サフランの花
牧野信一



 これは私の父親(二十五才)の日記である。一八九八年六月、在米ボストン市


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六月六日(月)

 晴、午後に至りて風強し。頭あがらず。七時八時九時と時計を見入つて登校の思ひに急がれるばかりだがいよ〳〵もうブラッデイ氏の講義に間に合はぬとあきらめたら再び熟睡に落ちて十二時に醒めた。信一の夢を見ること切りなり。余は二度と故山の土を踏まざる考へを胸底深く秘め居れども子を思ふと決心も危ふし。彼既に四才なり。幸ひであれ。二日酔とは話には屡々聞きたるも斯程苦しきものとは思ひ掛けざりき。毒杯なるかな。爾後如何なる機会に相遇せんも断じて酒盃を執るまじ。夕刻ブラッデイ氏帰校の途中来訪せらる。氏の温情は東方の遊子の心を慰さむること夥し。氏なからんか余は到底この寂寞に堪へざるべし。トムソンとハリーが飲酒事件を発見されて譴責処分を享けたる由。然らば余もその同罪なればその由ブラッデイ氏に申出でたるに何故か氏は余の言をとりあげざりし。反つて一個の土産包みを贈らる。開きて見よとすゝめらるゝまゝに紐を解くと空色のソフト帽なり。氏に伴れられてアルバート・グリルへ赴く。恩師の温情深き帽を載き悪気分一掃吾ながら驚くべきおしやべり。氏に別れるやいなや自転車を飛してトムソンを訪問。折好くハリーも来訪中なりしが二人はトムソンの父君の前に引き据えられて大目玉を浴せられてゐる最中なり。トムソンの母君と令妹が涙を溜め居るなり。トムソンとハリーに酒をすゝめしは余の罪なれば彼等を許し余を罰せられよと余は思はず叫びたり。然しその時の余の態度が余りに堅苦しく滑稽なりしならん。余が云ひ終るやいなや両親と令妹が突然笑ひ出したるには寧ろ余が赤面の至りなりき。父君を囲んで吾等の写真を令妹が撮る。後令妹のピアノを聞きて談笑。ハリーはトムソンの部屋に泊り余は下宿に戻り日記を誌す。蓋し二人の友は余の良友なり。


六月七日(T)

 晴、靴を購ふ。代三弗最上品なり。帽に釣合せたるが予算大いに狂へり。帰校すると故国より小包みなり。茶、茶器、縮緬など。ブラッデイ夫人へ茶器、令嬢へ縮緬を贈る。悦び一方ならず夫人は上包みの紙、のしみづひき、粗品、牧野、日本等の文字を殊の外珍重して客間の壁に飾り令嬢は布を手にとりて得意となり、ピアノの側なる額の下に吊して手を叩きたれば余も亦得意となりて大いに日本の自慢を吹聴せり。夕刻令嬢の友数名日本よりの贈物を見物に来て茶を飲みたり、トムソンの令妹も来訪。余はいとも怪し気なる手つきにて得々然と茶をいれ一同にすゝめたるにジヤパン茶よりも甘しと称して各々四杯も代へたり。当地に発売のジヤパン茶なるものは混合物が多量にてミルク砂糖を交ぜて飲用するが余は口にしたるためしもなし。



六月八日(水)

 雨、休憩時間多くの級友余を囲みて日本の話を強ふるなり。余は級中随一の能弁家として人気高し。午後トムソンとハリーの他三人の女学生余の下宿に来訪。机上なる信一の写真を指差してトムソンが説明すると女学生等が幼児用のケープその他を編み呉れる由を約束せり。信一は母の許で幸福であらうか。学齢に達せしならば万難を排してなりと彼ひとりを当地へ招ばう。余は子の教育に関しては深甚なる抱負を持つ者なり。余は彼を伴ひて欧洲へ渡り医学を学ばしめん。子の他に余の望みは無きなり。子を思ふ時の不幸と幸福は筆紙に述べ難し。夕刻雨止みて一同にて手製の食事を終りブラッデイ氏邸へキネスコープの見物に赴く。


六月九日(木)

 雨、一時にて学校を止め終日読書。夜豊岳を訪問す。当区に於ける唯一の在留邦人なれど暫らく往来なし。豊岳切りと米国人を罵り後剣舞す。その演技の勇壮活溌には心神の自ずと引きしまるを覚えたれども、やがて棄子なる演技を観るに及びては堪え得ざる涙に誘はれ終ひに泣き伏したり。なほ酒をさそはれしが過ぐる日曜日の大失策を思へば慄然として辞退す。飛んだ踊りを見たるもの哉。夜半に至りても眠れず。


六月十日(金)

 雨、頭痛の為め休校。豊岳来る。彼切りと酒を望むため宿の主婦に頼みて一本を購ふ。余は口にせず。豊岳の気焔当るべからず。やがてまた剣舞に移らん気勢を示したれど部屋の狭さを顧みて詩吟を高唱す。豊岳を送つた帰途トムソンを訪ねる。妹が手工のネキタイを呉れた。


六月十一日(土)

 晴、午後よりブラッデイ氏宅へ招かる。兼て氏に頼み置きたる帆前船の働き口が定る。四十弗も払ふとのこと。夏一杯船乗とならん。元気自ら涌然たり。


六月十二日(日)

 晴、豊岳より岐阜提灯を贈らる。トムソン一家と教会へ赴く。祈るは吾子の健やかならんことのみなり。トムソンの妹へ岐阜提灯を贈る。貰ひものなれども余の陋室に灯す術もなからむ。トムソンの両親が余に下宿を引きあげて当家に同居せよとすゝめる。好意は有難いが同様の親切をブラッデイ家からも享けてゐるので進退に迷ひ辞退するより他はなかつた。午後トムソンの家族にハリーが加はり郊外へ馬車を駆る。左右の畑は紫色の花が満開で吾々は喉の枯れるほど歌ひながら風を切つて進んだ。何の花か知らぬのだが訊ねる間もなく歌ふばかりである。どこまでも咲いてゐる花だがサフランでゞもあらうか、見渡す限り紫色のカーペツトである。

 夜はトランクの整理に費す。シヤツを買はねばならぬが来週一杯は無理ならん。ほころび縫ひはシヤツにしろ靴下にしろ仲々巧いものだが到底修繕しきれさうもなし。十時遠洋航海の書を二部枕元に置き日記の筆を執つてゐるが眠さ切りなり、直ぐ寝入るであらう。佳き日曜日でありしことよ。

底本:「牧野信一全集第五巻」筑摩書房

   2002(平成14)年720日初版第1

底本の親本:「行動 第二巻第七号(七月号)」紀伊国屋出版部

   1934(昭和9)年71日発行

初出:「行動 第二巻第七号(七月号)」紀伊国屋出版部

   1934(昭和9)年71日発行

入力:宮元淳一

校正:門田裕志

2011年815日作成

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