「尾花」を読みて
(久保田万太郎・作)
牧野信一
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途中で考へるから、ともかく銀座の方へ向つて走つて呉れたまへ──僕は、いつにもそんなことはないのだが、たつたひとりで寂しさうに外へ出ると、車に乗つて、そんな風に呟いた。外套の襟に顔を埋めて、うまいものだなあ──と吐息を衝くのであつた。あの人の作品が、年を重ねる度に、一作は一作毎に深い艶を含んで、歴起として来るおもむきなんていふものは、容易に他人の眼にはつき憎い繊細なものとされ、何うかすると、あの人の作品は昔から変りもなく、既にして完成された左ういふものだなどゝ云はれたりするがそれも結構、左う見られるだけだつて結構至極、ゆらゆらと流るゝ隅田川の風情が、うつりゆく四季の眺めをうつして千万無量の飽かれざる景色に相違ないのだが、傑れたる芸術家の進路なんてものが何うして、たゞ流れる水の如く淡々として、たゞ自然のまゝである気づかひが在り得る筈のものではなく、また、在りたしと希つたところで在り得べきものではないのだ。ずつと〳〵はぢめの頃に溯つて、あれもこれも、あれからこれと、ふら〳〵と追ひかけて──まつたその頃は、たとへば僕など、文科の学生でありながら文学々生ではなく、小説家といふものは何ういふものか、西洋にも日本にも現在何んな小説家がゐるのやらも知らぬといふ飛んでもないたゞの、つまり何ひとつこれといふて選科を知らぬまるつきり漠然たる阿呆学生だつた、永代橋のちかくにあつたおぢさんの家に居て、学校へは行くと云ひながら、成るべく学校へは行かずに、ポツポツといふ蒸気船が未だ仲々威勢好く見えたりして、おつとりとこれに乗つかつて「漫遊」に耽つてゐた頃、小説を読め〳〵とすゝめるのが、その家の娘で、大層な文学好きだつた。彼女はあたりに評判の、たしかに美人であつた。あれこれと雑誌やら書物を借して、読後の感を叩くのだが、僕は非常な読書嫌ひであつた。口をあいて活動やどんちよう芝居を覯てゐる方が、何うも僕には、つまり端的で、おもしろかつたのだが、彼女の美しさを可成りに僕も認めてゐたゝめに、その不気嫌な顔に出遇ふのを怕れて、どうやら雑誌などを翻すようになつたのだ。万太郎の小説を追ひかけはぢめたのはその頃である。余程古い読者に違ひあるまい。彼の小説は、仲々次のものが現はれなかつた。漸く雑誌を手にすると、彼女は彼の小説の頁を先づ翻して、チエツ、また短けえのか、いやなやつ──と憤つた。また彼女は、彼の小説に与へられた批評文などまで漁つて、斯んな理屈をつけてやつつけてゐやがらとか、特殊な世界だつて! 違ふさ、何も六ヶしい字が書いてあるわけのものではなし、読んだら誰だつて面白さうなものなのに不思議だねえ! などゝ首を傾げた。「あんた見たいな人にだつて、そんなにおもしろく読めるといふのにね!」などゝ呟いた。
金魚の荷嵐のなかにおろしけり。
文字は或ひは間違つてゐるかも知れぬが、彼の発句に、左様なのが在ることを僕は微かに憶えてゐる。胸の中の嵐や悶えを、深く秘めて、彼の作家の夢は縦横に伸び、彫み出さるゝ片言句々が、何んな飛躍をはらみ、寧ろ云ひ得べくんば、さり気なき言葉のうちに奇怪なる後光を背ふて、戛々と鳴るさまが──おゝ、あれほどまでに愚かなる読者ではあるものゝ、昔と今とのその作物の熟達至極に、怕れを抱くことが出来るのだ。繊細な段階があると同時に、忖度も成し難き大技巧の斧の音が時を経、作を重ねる如に、玄妙なる隈どりを持つて花やかなる芸の空にいんいんと鳴りわたる様を、僕は聴き洩らすことは適はなかつたのだ。
既にしてこの読者も、昔の如き青年からは変つて、今更らと彼の作の甘美に酔ふものであるが、酔ふことの眼の先に、不図ちら〳〵と思ひ出されたのは、あの娘が何かの雑誌と一処に重ねて借し与へた「太平楽」? といふ冊子の口絵の一頁大に、はぢめて見た彼の写真像だつた。それまで僕は、その傘雨といふ俳名を知らなかつた。雅号は? の問の項に左う答へてあり、また、貴下のこれから成さうと思つてゐることは? に答へて、「結婚」と誌されてあつたのを妙に僕は今でも憶えてゐるのだ。傘雨は、冬のトンビを着流して、稍々伏目がちの七分身像で、ぶつきら棒に突ツ立つてゐた。
或る夕暮時銀座を歩いてゐると、娘が突然僕の袖をぐいと引つ張つて、
「あツ、居る〳〵、あそこに!」
と反対側のカフエー・ライオンの方へ眼配せした。何が居るのか? と僕は驚いて、不図其方を見ると、まさしくあの傘雨が、あの写真のやうに孤りでふつとたゞずんでゐた。
「なるほど、居るね!」
と僕が振り反らうとすると、娘は何故かひどく慌てゝ「さつさと歩きなよ、バカ!」と、とてもあかくなつてゐた。そして二人は脇目も触らずに、どん〳〵と歩いた。
──このところ何年経過か、算える要もないが、今、ひとりの僕を乗せた車は、銀座を突ツ切つてやがて川ふちに達してゐた。僕は成るべくのろく走つて呉れとかと注文しながら、あれをおもひこれを憶ひ出して、川ふちの霧に閉されてゐると、彼の新しい作の、どこまで冴えてゆくか見果てもつかぬ感激の街道が、思ひ出の靄の扉を左右にふり棄てゝ、実にも皎々と展かれて来るのであつた。車の中の不思議な客は、妙な声をあげて、一散に走つて呉れ、北の明るい方へ向つて──と乗り出した。
底本:「牧野信一全集第五巻」筑摩書房
2002(平成14)年7月20日初版第1刷
底本の親本:「三田文學 第九巻第一号(一月号)」三田文學会
1934(昭和9)年1月1日発行
初出:「三田文學 第九巻第一号(一月号)」三田文學会
1934(昭和9)年1月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年8月15日作成
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