水車小屋の日誌
牧野信一




 今度東京へ戻つてからの住むべき部屋を頼む意味の手紙を八代龍太に書くつもりで、炉端で鉛筆を削つた。酒を飲んでゐる平次と倉造が、茶わんの杯をさして、村境の茶屋に三味線の技に長けたひとりの貌麗しい酌女が現れてゆききの遊冶郎のあぶらをしぼつてゐるとのことであるから見参に赴かうではないかと誘つた。賛成の旨を応へ、手紙一本書く間を待ち給へ、と二階へあがつた。窓からは、暮色の波に揺れる一面の稲田が、もう遥の山々は空との境もなく深い宵やみに閉ざされてゐるので──沼の観であつた。向ふ岸に一点の灯が見ゆるのだ。茶屋の灯である。村里を左様に離れた畑中に、ひとり花やかな館を営む所以を不思議と思つたところが、彼は同村民を野蛮で吝嗇の徒と排して、夙に街道の旅人を招ぶべき念であつたとのことである。茶屋の者達は努めて都の言葉を用意して、村言葉の連中をわらふとの由だつた。

 龍太への手紙を書かうと紙に向つてゐると、抽象的観念の実在──斯んな文句がいつものやうに口をつくと、例によつて全身に異状な熱湯の竜巻が萌して二枚三枚五枚と書きつゞけ、終ひに七枚となつた時、不図窓の向方を眺めると、山の頂きがほの白んだ空の裾に青黒く鮮明な隈どりを描き、いなご取りの群がたんぼ道へ繰りだす明方であつた。炉端へ来て見ると平次と倉造が各々拳を固め、胸板と太もゝを張り自暴のかたちで熟睡してゐた。若しもそのまゝ二人を地蔵起しにして、台石の上に立てかけたならば二体の仁王像であると思はず戦いた。倉造の左眼は義眼であり、また平次は、当人の言によると激しい疳癖性のために睡眠中にも眼ぶたを伏せぬ癖とのことを聞いたが、はつきりとその証拠を見、また義眼者の眠れる表情の怪奇に戦竦した。



 馬を引きだして駅へ向つた。封書の目方を計つて投函するためには二里の山坂を越えた駅の郵便局へ赴かなければならなかつた。書き落した用件は、今夜三行のハガキで済まさうと思つた。茶屋は深く戸を閉してゐた。登楼の念切なるを感じてゐたが、馬に乗り、枯草色のシヤツを着け、風を引きかけてゐる身の大事をとつて小屋の引籠からつかみだした虫臭いほんとうの赤毛布をマントにしてゐる姿を思ふと、いつになつたらあの門を潜れるかと歎ぜられた。平次と倉造は、伊達の眼鏡や金鎖を所蔵して他所行の着物も二通りあるから、いつでも一着は借すであらう、身装りさへ整へれば断じて水車小屋の人夫とは想像されぬと自負してゐたが、借り物は堪えられぬのだ。前夜はこのまゝで関はぬと決心したのだつたが、今その前を通過して見ると、館は真新しい舟板の塀をめぐらせて、しやれた灯籠や庭木のあんばいが眼になどついた。こゝより他に歓楽の酒を売る一軒の居酒屋もなかつた。自分は享楽児でありながら、いつも彼方の明るみへ向つては眼前に深い沼を感じて、たぢろいでばかりゐるので、口惜し紛れに「抽象的」になど走るるのかと考へたが、左様でもなく、それについてはやはり龍太に書かずには居られなくなつて、第一信を投函するやいなや慌てゝ小屋へ駆け戻つた。



 手紙を書く間、待たぬかといふと、平次はどうせ倉造が戻るのは九時頃だらうから待つのも好いが昨夜のでんは堪えられぬと不気嫌であつた。二人は昨夜さん〴〵に待ち足労れて、二階を罵つてゐるうちに眠つてしまつたのであつたが、僕が馬を引いて出かけると間もなく倉造は、同行の夢にうなされて眼を覚すと思はず激しく眼をこすつたのであるさうだつた。その瞬間彼は、不覚にも左の義眼のことを忘却して手荒く突いた。がために、ひとたまりもなくそれは破裂してしまつた。彼は早速眼を買ひに、今朝徒歩で小田原の町へ出発した。僕はやゝ責任を感じて定価を訊ねると、近頃は安いのが出来てたしか一個三十銭位からあるさうだと平次が代言した。そして彼は、六里もある道程を眼玉ひとつを買ふためにてく〳〵と歩いて行くなんて何と馬鹿気たことではないか、三つや四つのかけ換へ位は買ひ置いておいたら好さゝうなものなのに、ドブロクを飲む金は工面しても眼玉の買ひ置きは惜しいのらしい、しみつたれと仲間を難じた。そしてまた、そんなに僕が身装のことを気にするのなら帰りがけに小田原の町にある僕の生家を訪れて、講演会に出席するために要用と偽り、親父のもうにんぐこうとを持ちだして来てやらうと、倉造が点頭いてゐたことなどをつけたした。

 何を聴いても僕の気分などは浮き立ちもせず沈みもしない白さであるばかりであつた。では、ゆつくりと手紙も書けるといふものだと僕はいひ遺して二階へと引きあげた。ところが机に向つて見ると、どうしたといふことであらうか、前夜のあの凄まじい竜巻に引き換へて頭は全く空の如く無であるのみで、あんなにも龍太へ向つて書き足したかつた「抽象的陶酔」とか「現実的享楽」とか「一体人の頭に浮ぶ凡ての象に、抽象や現実の別のあり得るはずもないのだ。例へば天を仰いで可見の星の姿を写さうならば、それは直に空想の所産であつて、ひつきよう絶対の存在ではないか。」などと書きかけて破いたばかりで情熱などはものの見事に消え失せてゐた。

 部屋を頼むハガキを一分間のうちに走筆して炉端に現れると、平次は作業場から米俵を担ぎだして、昨日からの俵の数を算へ土間に積みあげた。何か口をあけて叫んでゐるらしいが、水車の轟々たる音響で一向言葉は通ぜず、こちらも、それに応へるかのやうにぱくぱくと口を動かしたが、実際には言葉は何も発してゐなかつた。故意ではない、全く何もいふべき文句もなかつたからである。すると平次は、こちらの口つきを見てどう悟つたものか快げなる薄ら笑ひを浮べた。僕も微笑を浮べたのかも知れない。彼はせつせつと俵を担ぎだして、間もなくそこに山を築いて頂上に腕を降ろした。そしてまた何か叫んだ。僕は口を動かすのも面倒だつたから、好い加減に首を縦に振つてゐた。

 やがて山の上の平次が何かつぶやきながら、開け放しになつた戸口からランプ一つしかともつてゐない薄暗い内側へ、月の光りが射し込んでゐるのを指差すので、彼もまた月光の恵みを悦ぶのかと僕も感じて籠り詰つたかの如き夢の息苦しさを、鯨のやうに吐きだしながらもうろうたる酔眼を投げると、光りの中に新しい眼玉をぎよろりと輝かせた倉造が洋服箱を抱へて肩をそびやかせてゐた。



 八代龍太へ──「ヘンジデンニテタノム」

(一九三三、十、十九、相州夜見村にて)

底本:「牧野信一全集第五巻」筑摩書房

   2002(平成14)年720日初版第1

底本の親本:「帝国大學新聞 第四九八号」帝国大學新聞社

   1933(昭和8)年1023日発行

初出:「帝国大學新聞 第四九八号」帝国大學新聞社

   1933(昭和8)年1023日発行

入力:宮元淳一

校正:門田裕志

2011年815日作成

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