読書と生活
牧野信一
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友達のAが私の部屋に現はれて云つた。
「また大阪へ行つて来るんだが、土産は何が好い?」
「今日行くの?」
「そのつもりだつたんだが、水泳を見て来たいので明日になるだらう。一処に行かないか、帰りにサニイ・サイド・アツプも観て来たいし、バー・△△にも三十分ほど……」
「その間にダンス・ホールの時間を挟むのを忘れてゐるな。──悉く附き合はう。大阪へは、やつぱり飛行機で行くのか?」
私は、読みかけてゐたステブンスン作「驢馬旅行」にしほりを挟んで、外出の仕度にとりかゝつた。
「あゝ──」
Aは慣れた顔で点頭き、そして机の上の本を取りあげながら、
「感心に、厭に古いものを読んでゐるぢやないか……ゼ・トラベル・オン・ゼ・ドンキイ──面白いか?」
「単語を忘れてゐること夥しい。無闇に字引を引きながらなので、直ぐに飽きてしまふんだが、斯うでもしないと益々英語を忘れてしまひさうなので──時々少しづゝ、そんな風にして読んでゐるのだが、何時読了るか解つたものぢやない。その他に、此処に□冊ばかりあるだらう、あれこれと読むので何れも半分までもすゝんでゐない、春のはぢめの頃から、田舎生活から、附きまとふてゐる本なのだが──」
「……ピルグリムス・プログレツス──か。」
手持無沙汰のAは部屋の隅から書物をとりあげて、その表題を呟くのであつた。「おそろしく生真面目な学生だな。やあ、至るところにアンダー・ラインが引いてあるぜ、赤鉛筆か何かで──。それから、これは何だ、フフツ! ロビンソン漂流記──だつて!」
私は、そんな風に験められたりするとわけもなく顔がほてつて来てならなかつた。私は、読んでゐる間中は、それらの書物のうちに展開されて行く花やかな幻に包まれて吾身を忘れるかのやうな目出度い影響を被る自身を想像してゐた。
「ラ・マンチアのドン・キホーテがあるな、こいつは和訳だね、長いからな──。おやおや、此は何だ、クリステンダムの七勇士──ハツハツハ……」
Aが笑ふ意味が私には解らなかつた。不図気づくとAは、それらの本を抱へながら、凝つと私の顔を眺めてゐた。
「何を人の顔を見てゐるんだ?」
と私が迷惑さうに呟くとAは、
「フエンシングは少しは上達してゐるのかね?」
などゝ訪ねた。この頃闘剣に関して私が屡々を執つてゐるのをAは知つてゐるらしい。
「東京に来てからは一切止めてゐる──それより他に仕方がないではないか。」
「ぢや、やつぱり田舎では、ほんとうにあんな真似をしてゐたんだね、あきれたな。そして斯んな本を読んでゐれば、定めし長生きをするだらうよ。」
とわらつた。
「俺は馬鹿なことを考へて心持が滅入つて来ると──」
と私は田舎にゐた頃Aへ宛てゝ書いたことがある。小説の一節だか手紙だか区別しがたいものを私は友達へ書き送る悪癖を有してゐる。「俺は矢庭に上着を脱ぎ棄てる、シヤツの腕をまくつて、一振の闘剣を壁から取り降ろさずには居られない。そして俺は、窓を飛び抜けて一散に裏山の蜜柑林の中へ駆け込むのだ。あの畑を抜けると櫟林の手前に四囲を蜜柑の樹で深々と取り巻かれたさゝやかな芝生のあることを君は知つてゐるだらう。彼処で俺は、誰はゞかることなしに、空気を相手にして猛烈な大立廻りを演じるのだ。が俺にして見ると「馬鹿なことばかり考へる」頭の中の諸々の妄想が夫々怖ろしい悪魔の姿となつて俺の眼前に現はれ、八方から俺を取り囲んで闘剣を挑んで来るのだ。──フラツペ! 突く! ヴオレイ! 俺は忽ち悪魔共を征服してしまふ。──俺の全身は程好く汗に滲んでゐる。俺は、剣を天に対して、胸を拡げ、陽を仰ぎ、偉さうな会心の微笑を浮べると、漸く全身が水に洗はれた後のやうに清々として綺麗に頭の馬鹿な想ひが退散してしまつて、口笛を吹きながら引きあげるのである。──実際俺は、これ程仰山な真剣勝負を行はぬと何うしても爽かな落着きが得られなくなつたとなると、大変ではないか! 何時まで此処に居られるものか。それが、はじめのうちは主に一日に一度夕暮時に起る発作で、若し客でもあつて話してゐれば忘れられる程度の心的現象であつたが、それが日増に度を高めて来て、此頃では稍ともすると友達等と対談中にでも、この発作が起ると凝つとしてゐられなくなり、
(おゝ僕はちよつと失敬する、急に腹が痛くなつたから薬を飲んで五分間ほど寝て来る、直ぐ治るのだ。)
そんな嘘をついて、時には、さもさもほんとうに腹でも痛いかのやうに苦悶の態で脇腹をおさへ、顔を歪めながら自分の部屋に逃げ込むと、恰で盗人のやうにあたりの気合を気遣ひながら慌てゝ仕度を整へ、一目散に森の中の決闘場へ駆け込むのである。
そして更に変つた一事を云ふならば、近頃のは以前の如き連戦連勝に引きかへて、見るも怖ろしき悪戦苦闘である。それで、五分間休んで来る──の遁辞が、十分間となり、十五分間と変りどうかすると、はじめから「二十分ほど待つて呉れ。」などゝ重苦し気に弁解して、姿をかくす場合も珍しくなくなつた。何故なら俺は稍ともすると手許が狂ふて鮮やかな敵のヴオレイを喰ひ、手にする剣を巻き落され、アハヤといふ間に見事心臓を貫かれて悲鳴を挙げて悶絶したり、何んなに此方が夢中になつて攻め寄せて行つても敵のフラツペは風をはらんだ海賊船のやうに益々順調な逆効果をあげ、此方は、次第に呼吸が迫り、眼がくらみ、間もなく気絶してしまふのであるよ。
俺は近々此地を発足して、都に出て、新しい勇気を養ふて来なければなるまい。今は、クリステンダム物語を読みつゝあるが苦闘の日に病ひされて未だジヨーンズが(底なしの池)のほとりに駒をすすめたあたりまでしか達してゐない。
あの悪魔達の名称に就いては──デビルス・デイクシヨナリイといふ書物があるから是から引用して適当な称名を選ぶであらう。」
いやしくも彼女と称ばるべきドンキーを擲るなどとは言語道断である、余は英国紳士の誉をもつて彼女をその飼主から買ひとつた──といふあたりから、が終に旅行者は次の村に達した時にトゲのついた打ち棒をあつらへるに至る──といふあたりまでの「驢馬旅行」を俺は飛行機の中で読んだが──。
とAからの手紙に書いてあつた。「君が引いたアンダー・ラインの個所だけを面白く読んだよ。」
私は、何んな行にラインを附けたか忘れたが、あの主人公の英国紳士が、はぢめはそのやうに優しい心づかひのもとに彼女を引き伴れて旅に出たのであるが、稍行くと驢馬は決して歩かない、寄ん所なく腕をあげて一撃を喰はせる、と五六歩は歩くが、忽ち止つてしまふ、また一撃──五六歩……紳士は業を煮やし、見得も外聞も忘れて、満身の力を込めて擲る、蹴る、喚く──何のための旅行だか解らなくなつてしまひ、悲しくなる。──直次の村まで達しないうちに夜になつてしまふ、紳士の腕は完全にしびれてしまつて、鞭の役にもたゝなくなつてしまふ。そして紳士は次の村に到着するやいなや前の飼育者が持つてゐたのと同様のトゲのついた打ち棒を、その村の棒作り屋にあつらへるのであるが、それが大変に高価であるのに驚き、棒屋に向つて値下げを要求するのであつたが、旅行者の立場を見込んだこの因業な職人は決してこの要求を諾かぬのである、止むを得ず買上げたが、これがためにこの村に対する紳士の印象は濁り夜明けも待たずに発足する。だが、驢馬はそんなトゲのある棒で叩いても決して易々とは歩かぬ、皮膚が破れて血が流れても容易には歩かぬ──。
これは、その紀行文の発端で、私が読んだところまでなのだが、「驢馬旅行」と題する本だから紳士は彼女を伴れて最後までこの旅を続けてゐるのだらう、その難苦は想像にあまりある。
手許になくなると急にその先が読みたくなつたりするものだが、Aに持ち去られたので私は、恰度そのAの手紙を受けとつた時にはこれはこれでまた読みかけてゐるジヨン・バンヤン「ピルグリムス・プログレツス」の「美しき家」の章で、モーゼの杖、ヤエルがシセラを殺した釘、ミデアルの大軍を破つたギデオンが使用したランプ、ダビデがギデのゴリアテを殺した石などを見て、次の怖ろしき「虚栄市」の章へ繰込むところであつた。
宿の庭先には既に秋らしい虫が鳴き出してゐる。競技場からシネマへ、酒場へ、そしてダンスホールへ──と、今日も私は享楽の巷を全速力で経廻つて来た後の深更である。──所謂「モダン・ライフ」のスピード生活は私にとつても、こよなく愉快である。あれば、ある限りの享楽を──。そして私は、自分の部屋に引き返すと、創作の筆を執らぬ間は、「驢馬の旅」に汗し、「虚栄市」に戦き、「底なしの池」のほとりにたゝずまひ、「無人嶋に漂流し」、「風車と戦つて」──想ひを縦横に馳せ、天地を貫くフラツシユに昏倒する。私は、これらの空想と、この生活とが飽和したパントマイムの虹を描きながら眠る。
新しき小説よりも古典の方が面白い。私の読書は単なる娯楽が目的である。
底本:「牧野信一全集第四巻」筑摩書房
2002(平成14)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「時事新報 第一六九五九号、第一六九六一号、第一六九六二号」時事新報社
1930(昭和5)年8月29日、31日、9月1日
初出:「時事新報 第一六九五九号、第一六九六一号、第一六九六二号」時事新報社
1930(昭和5)年8月29日、31日、9月1日
※底本の親本で判読不可の文字を底本は□で表示しています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年8月1日作成
2016年5月9日修正
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