会話一片
牧野信一



(Aは友Bは私)

 A「潤一郎の卍といふのを読んでゐる?」

 B「面白さうだ、が余り短いので読まないよ。彼のものは長いのを一時に読むのが愉快だ。本になつたら読む。」

 A「僕は大概始めから続けて読んでゐるが相変らず面白いよ。」

 B「さう云へば君、菊池寛の半自叙伝は素的に面白いよ。今月だつてたつた二頁しか出てゐないが、これは僕は、毎月何んなに短くても屹度読んでゐる。第一回からずつと愛読してゐる。いつだつたかの所に、入学試験にパスして国へ帰る途中、さすがに嬉しく、汽車のデツキに出て口笛を吹いた──などゝいふようなところがあつたがそんな風ないろ〳〵一寸した箇所に僕は理屈のない面白味を覚えるよ。」

 A「卍にしろ、半自叙伝にしろ、兎も角あんまり短過ぎるね。少くとも里見弴の大地位の分量を望むね。」

 B「うむ。」

 A「夢魔(岡田禎子作)といふ戯曲は仲々しつかりしたものだよ。理智的で、堅実な筆致で、そしてぎごちなくない、相当落着き払つた清新味もある。屹度この作家は勉強家で、堅実な歩みを続けて、佳き戯曲家になるだらうと思ふよ。」

 B「さうか、ぢや読んで見よう。」

 A「それから尾崎士郎の(悲劇を探す男)が力作だつた。この作家は味気ないが、厭味のない、勇敢な作家らしいね。変に暗くもないし、無理な明るさもない、そして何となく薄ら寒くさつぱりとしてゐる。かまはず、自由に動いてゐる。」

 B「僕もさう思ふ。」

底本:「牧野信一全集第三巻」筑摩書房

   2002(平成14)年520日初版第1

底本の親本:「時事新報 第一六三六一号」時事新報社

   1929(昭和4)年15

初出:「時事新報 第一六三六一号」時事新報社

   1929(昭和4)年15

入力:宮元淳一

校正:門田裕志

2011年714日作成

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