吾家の随筆
牧野信一



 私は、初歩英語読本が随分好きだつた。往年それらの聚集モノメニアに陥つて、海外の知友の助けまでかりて幅は三尺位ひだが四段になつてゐる書架を一杯以上にしたことがある。十年も前のことなんだが、その為に英語のほんとの勉強を疎かにして今もつて初歩英語以上の知識は備はらず、馬鹿を見たと思ふこともある。だがその文庫は随分私を悦ばせて呉れた。モノメニアには違ひなかつたのだ、単純なものを悦び始めれば限りがないからな! 一種の神経衰弱病である。そんな時には小学一年の国語読本の第一章を思ひ出して、ハ、ハタ、タコ、コマ、マリ、マツニツキ……など朗吟しても涙が滾れる、〝Are you a man?〟〝Yes, I am a man.〟〝Are you a girl?〟〝No, I am a boy.〟──そんなことを呟いても、何だか面白くなつて、肚に力を込めたりするのだ。今度は皆な整つて、と先生が云ふと、中学一年級全体が一つの大声になつて、ジス、イズ、エー、スクールと合唱する、その時私はその合唱隊に加はるのが何となく厭で、決して声を挙げたことがなかつた、口だけ動かしてごまかした。

 その文庫に就いては近頃転々常に座右に一書物もないやうな日ばかりを送つてゐるんだから止むを得ないが、時々思ひ出すことがある。だが余り古いことで細いことは忘れてゐるのは物足りない。女学校二年の従妹が、この間読本の一節を示してこゝを訳して呉れと云つた。怠惰な鼠といふ一章で、自分も習つた覚えのあるところだつた。覚えがなければ、たとへ二ノ巻読本でも私には、あんなにスラスラと訳せる筈はないのだ。私は、酒を飲みながら得意になつて翻訳した。──「一匹の若い鼠が或る水車小屋に大勢の仲間と共に住んでゐた。彼は大変な怠け者で何をするのも厭がつた。彼の先輩が、夜になつたら一処に出かけないかと誘ふと彼はいつでも、僕は知らないと云ふのが常だつた、それではお前は、此処に凝つとしてゐたいのかと更に訊ねると、矢張り彼は同じ返答をするばかりだつた。或る日一匹の老先輩が、お前がそんな風にばかりしてゐると誰もお前のことを関はなくなつてしまふよ、時には自分の考へを棄てることも好いが、全々無考へでは仕様がないよと忠告した、彼は坐り直して一寸と小悧口気な顔つきをしたが、さて答へる術はなかつた。何故黙つてゐるんだ、お前はさうは思はないのか? 僕は知らない、と彼は云つたゞけだつた。そして、彼は、穴の中に引ツこんでゐた方がよからうか、それとも出掛けた方がよからうか? 孰れにすべきか一時間ばかり考へる為にノロノロと歩み走つた。──或る日非常な暴風雨が起つた。古い小屋だつたから今にも危ぶなかつた。軒は歪み、板は飛び、柱は傾き……鼠達は身を縮ませた。」

 そこで一同は、先発隊を派遣して新居を求め、いよいよ出発にとりかゝつた。私は声に節をつけて読み続けた──「集れツ! と大将は厳かに命令した。諸君は出掛ける決心がついたか? ──賛成賛成、此処に居るのは一刻も危険だ! と長い列は答へた。よろしい、番号ツ! 一二三四……。そこで大将は、あの若い鼠のグリツプが列に居ないのに気がついた。彼は穴の出口にたゞずんでゐた。お前は何も云はなかつたが勿論出かけるのだらうな? ──僕は知らない! ──何だつて! 危い場所は棄てるといふのが吾々のルールぢやないか、さうだらう? ──僕は知らない、もう少しの間位ひはまさか天井は落ちても来まい。──ぢや止れ、その代りケガをしても知らないよ。──止つていゝか悪いか、僕は知らない、とグリップは賢しげに云つた、──よし、もう待つては居られん、だが来れば安全だよ、でないと危いぞ……右向ケ右ツ、前ヘ進メツ! オイチニ、オイチニ! 長い列は足並みそろへて進軍した。列の最後の鼠の尾が、最後の階段の蔭に消えた時、グリップは、俺も行かうかなといふ気がした、だが若少し……と彼はまた思つた。」

 まだ〳〵これは長かつたが私は、終ひまで読んだのである。

 終ひにグリツプは、天井に圧し潰され最後をとげるのである。彼は、その死体までが、いかにも行かうか行くまいか決心がつきかねる形で、入口のところに横死してゐたといふのだ。

 失敬! だが私だつてこんな教訓談に打たれやしない。だが私は──こういふものは教科書にいれるのは一寸けしからんな、一寸失敬ぢやないか、一体その教訓を含んだものはいかんのだ、俺ア嫌えだア、いや俺ぢやない、その少年、……ぢやなかつたか、光ちやんは少女か! つまりその朗らかなる思想にだネ、一片のメランコリアを注ぎ込むやうな結果になるんだ、意味が困る、ましてや安価なる教訓に於ておや、か! 消極性なるものを一概に退けるのは無法だ、消極性には反つて積極的な微細な光りがあるんだ、消極は積極、積極は消極、積も消もないんだ、逆もまた真なり、なんて考へてればお目出た過ぎるんだが、あゝ吾輩もう舌が回らなくなつた、知らない〳〵。などと呟いだところを見ると、私自身が一片のメランコリアを注ぎ込まれたに違ひないのだ。

 実際私だつて、今が今迄こんな話などを引用する気は毛頭なかつたんだが、英語読本文庫のことなら何か書けるだらうと思つて、ペンを執つたんだ。ところがあの四角な本箱が髣髴したゞけで内容は忘れてゐるんだ、あれなら一時相当に研究したんだから、材料が座右に備つてさへゐれば、さういふ衒学を披瀝出来るんだが、矢張り単純研究のモノメニアだつたんだから、現在さういふ病気に陥つてゐない私にとつては、茫として、沖の白雲を望むが如く、何らの糧にはなつてゐない感がする。宇宙は火なり、否水なり、と称して、相互ひに火花を散らして激論した古代ギリシヤの二人の哲学者の両方を尤もだと思ふので困つてしまふ、と云つて僕は、桶ばかりをころがしてゐたデイオゲネスのおぢさんには閉口だ。

 ともかく私は、何にもここに書くことがなかつたのだ。──この酔ツぱらい奴! 何を云つてゐる! と云つて憤つたつて、僕は知らない。

底本:「牧野信一全集第二巻」筑摩書房

   2002(平成14)年324日初版第1

底本の親本:「文藝春秋 第三巻第六号(六月号)」文藝春秋社

   1925(大正14)年61日発行

初出:「文藝春秋 第三巻第六号(六月号)」文藝春秋社

   1925(大正14)年61日発行

入力:宮元淳一

校正:門田裕志

2011年74日作成

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