余の倅に就いて
牧野信一



 試みに、余の三歳になる一子をとらへて、──葛西をぢちやんに如何どうされたか?

 と訊ねて見給へ! 彼は、忽ち武張つた表情をして、次のやうな動作をするであらう。

 彼は、両脚を踏ン張つて五体に力を込めて、そして自らの二つの掌をもつて自らの両頬を挟んで──斯うだ〳〵、といふ意気込みで、己れの顔を釣りあげるやうにして、さし示すであらう。

 国々に依つて、その名称は異るだらうが、余等が郷国では、

「お江戸を見せてやらう。」と称するいたづらがはやつたものだ。現今では如何か知らないが、余等が幼時、二十年近くも前の話だ。

「お江戸を見せてやらう。」

 甲の者は突然斯う云つて、乙の者が驚いて逃げようとする間もなく、乙の首を両手ではさんで宙に釣り上げるのである。

「お江戸が見えたか?」と甲は云つた。乙は意地を張つて、

「いや見えない。」と云ふ。甲の腕力と乙の我慢との競争になるわけなのだ。

「これでもか!」と甲は、更に力を込めて乙を釣りあげるのである。大概甲の方が丈が高くて年長で、力強いことは決つてゐる。素人が角力に取組むことが出来ないと同じやうに、年少の方が、自分よりも丈の高い男の首を釣り上げることなんて出来る筈はない。近頃の余と倅は、この甲と乙のやうである。

 何しろ首だけを持たれて、兎のやうに釣りあげられるのだから、乙の苦痛は素晴しいものだ。脚は地面を離れる、眼眦も鼻も口も頬も……即ち顔全体が、質の悪い鏡に写つた時のやうに延びてしまふのだ。

 乙は、苦痛に堪へ切れなくなつて、終ひには口から出放せに、

「あゝ、見えたよ〳〵。」と叫んで降参してしまふのである。そこで始めて甲は、乙を放してやるのだ。

「生意気なことを云ふとお江戸を見せるぞ。」

 即ちこれは、余等の幼時に往々用ひたる脅し文句だつた。近頃余は、さう云つて倅を脅すことがある。

 そこで余の長男は、嘗て一ト度、善蔵氏に少しく違つたかたちで「お江戸を見せられた。」のである。三歳の児童とは云へ、その時の苦痛は胆に命じたものと見える。数旬を経たる今日でも、明らかに彼の記憶に残つてゐるらしい。

 たゞ一方善蔵氏は、大人である、遊戯をやつたわけではない。余等が幼時の、甲の態度とは黒白の差であること勿論である。

 或る晩のことである。善蔵氏とHの父とは、切りに面白気な雑言に耽つてゐた。(Hはこの話の主人公である余の一子、その父は即ち余のことである。)そこに腕白なHが現れたのである。Hは殆ど口数は利かないが、その反動と思はれる程盛んに手足を活動させた。父の手から盃を奪つたり、そして酒を滾したり、或ひは床の間に駈け上つて、書物を投げ出したり、父の机上のペンを執つて鉛筆の代りにしたり、机上の書物を己れの絵本と取り違へて乱雑に繰り拡げたり……するのであつた。

「ヒデオッ!」と彼の父は酷い顰ッ面をして叱責した。「いけません〳〵、何といふ行儀の悪いことだ、おいッこらッ!」

 如何程父が恐ろし気な顔付きをしても、普段が甘いものでHは馬耳東風に聞き反らすばかりでなく、反つてムッとして矢庭に父の背中に飛びかゝり、その頭をポカリと擲つたりするのであつた。

「母親には相当甘えても好いが、父と子は幼時から、そこに一つの掟をつけて置かなければならんのだ。父親の親し味といふものは、さういふ間から醸されなければならないのだ。」

 たしかそんな意味のことを善蔵氏は、余に伝へた。余は、一本参らせられたかたちで苦笑を洩したのである。善蔵氏はどんな印象だつたか知らないが余は嘗て、或る家庭を訪れた時、そこの主人が無茶苦茶にその子を愛撫し、それこそ舐めたりさすつたりの言葉通りの光景を見せられて、余は、その親子から、悪い意味で人間離れのした感じを享けて顔を反けたことがあつたのだ。こゝで一寸善蔵氏に批評的な言葉を云つて見ると、彼は、さういふ場合に、非常に親切である。余の如く顔を反けたりはしない。威厳をもつて高飛車に法を説くだけではない。或る場合に酔善蔵から、さういふ感じを享ける人があるかも知らないが、その場合一寸此方が踏み止まつて彼の心境を窺つて見るならば、何と彼の胸の底には悲しく微妙な思ひ遣りが含まれてゐることだらう。

 彼は厳然とうなるが、そこに一種の明るさが含まれてゐるから、相手をいぢけさせたり怯えさせたりはしない。それが証拠にはこの時Hは彼から大いにたしなめられたが、その後決して彼を怖ろしがつたりしないことでも解る。また余に於ても、何時か彼から「僕の印象を書く場合には喧嘩のつもりでやつてくれ。」といふやうなことを云はれ、確かに承知したにも関はらず、さう悪口なんて書きたくも無い気がするところは、Hと同じわけでもあらう。本誌で、彼から余に与へた文章で、その反駁をこゝでする事も彼に約したが、あの時の双方の感情は随筆社のS君が乱したわけで、それにもうあれだけ喋つた揚句で、もう余にはあの言葉に拘泥する気はない。

 余りHの騒ぎが烈しく、そして余は手にあまつて「オイ、オイ。」と階下に声を掛けてHの母を呼んだ。

「さア、階下したにおいで。」と彼女は云つた。

「まア、好いですわ、まア、まア。」と善蔵氏は手を挙げて制しながら、余に向つて、

「ひとつ虫封じをしてやらうか。」と云つた。その声は自信(?)に充ちてゐた。利目があつたら幸ひだ──少くとも余にさう思はせる程のものだつた。それにしても虫封じとはどんな事をすることか? 余はさう思つて一寸好奇心を起した。そこで余は、一寸Hに気の毒な気もしたが、そんな思ひ遣りはとつくの昔に解つてゐる彼を信じて「うむ。」と依頼の点頭きを示した。

「いゝですか、一寸酷いですよ。」善蔵氏はHの母に云つた。

「どうぞ〳〵。私も、もう困つてゐるんですから。」

「ほんとうに好いですか。」

「えゝ、ほんとに。」彼女の答へが少しく易々し過ぎるかたちを善蔵氏は見てとつてゐた。

「きつとですか。」

「ギユウといふ目にあはせて下さい。」

「そんな馬鹿なこともないが。」善蔵氏は一寸彼女の軽ハズミに不平を洩した。「苛めたりするわけぢやないですぞ、だが一辺封じ込んで置かう、屹度利目がある。此方が一生懸命にやることが悪い結果になる筈はない。」

「何だか少し薄気味悪くなつたア。」と余はテレ臭さ気な笑ひを浮べたが、心は少しも笑つてはゐなかつた。Hは何も知らずに、切りに鳩ポツポを踊つてゐた。不図その様子を眺めた善蔵氏は、一寸感傷らしく眼を柔げた。

「僕等だつて子供と同じなんだ。ひよつとすると子供の方が偉いかも知れない。僕等だつて子供と同じに何を見たつて、つまりそれは驚異なんぢやないか! うむ、さうだらう。」

「さうだ〳〵。」と余は軽々しく雷同して酩酊の声を挙げた。

「僕も踊るだア。」

「僕が踊つて見よう。」

 Hは母に取り縋つて非常な駄々をこねてゐた。「葛西さん、虫を封じて下さい。」

「よしツ!」と云つて彼は、拳を振つた。──真剣! 精一杯! 善蔵氏は常にさういふ言葉を云ふが、確かにそれに違ひない。往々余などは恥ぢ入る場合がある。打ツかつた以外のものに脇見をしない。(普通のそれとは趣きを異にしてゐるが、説明は省く。)

「ぢやあなたは階下したへ行つてゐなさい。」

 彼女は点頭いて降りて行つた。そして善蔵氏はHの頬を両手ではさんだのだ。普通でさへきかないHが、黙つてゐるわけはない。脚を踏み手を踊らせ、喉を思ひ切り高く鳴して喚きたてた。

「いゝか、君、いゝか。」

 それでも彼は、余に遠慮して尚も念をおした。

「いゝ、いゝ。」

 Hの喚き声は、四隣に鳴り渡つた。尤も善蔵氏は、Hを釣り上げはしない、たゞ両手で頬を抑へてゐるばかりなのだ。

「Hは何故さう云ふことをきかないんだ。お父さんの云ふことを……」彼はさう云つて、凝つとHの眼をにらめた。

「ギヤア、ギヤア!」

「いくらギヤア〳〵と云つたつて離しませんぞ、これからおとなしくするか。」

「ギヤア〳〵。」

「ギヤア〳〵位ゐには驚かんぞ。」

「! ! !」(Hの喚声)

「をぢちやんの眼を見ろ。」

「! ! !」

 五分間位ゐ続いたかしら?

「あばれるなら、ウントあばれて御覧、をぢちやんの方が強いだらう。動けないだらう。」

「! ! !」

「仲々離しませんよ。」

「! ! !」

「もう、好いかしら。」と余は、小声で囁いた。

「何の、何の。」

「! ! !」

 見ると善蔵氏の眼鏡の下の、見張つた眼は余の気の為だつたかも知らないが、その力の強さに似ず、微かにうるむで見えた。余の胸は、怪しく塞つた。「もう好いかな、……坊や、もうおとなしくするかね。」

「泣いてるようぢや駄目だ〳〵。」

「! ! !」

「ゴメンか?」と余は云つた。

「ゴメン。」とHは云つた。

「うむ、よし〳〵、ゴメンと云へば何でするものか、うむ、Hは利口だ。」そして善蔵氏はHを離した。「ぢやよし、今度は、をぢちやんが馬になつてやるぞ、」さう云つて彼は馬の真似をした。「坊や、お乗り〳〵面白いぞウ! どうだ、威勢の好い馬だらう。」

 Hは忽ち破顔一笑して、快活な馬の背に飛び乗つた。「いくらあばれたつて好んだ、云ふことさへきけばいゝんだ。いゝか、走るぞ、どうだ、面白いだらう。」


          *


 その後別にHは、おとなしくなりもしないが、「葛西をぢちやんに如何されたか?」と訊ねると、例のかたちの返答だけは忘れないのは事実である。

 余も往々、手にあまるとHをとらへて、善蔵氏の「虫封じ」と幼時のいたづらとから思ひついた方法で、彼の頭をもつて引きあげるのである。余は、Hを支へて自分の胸のあたりまで高く引き上げるのだ。

 ところがあまりに屡々余は、その方法を用ひ過ぎたが為に、いつの間にかHは、却つてそれを面白がり始めて、この頃では稍ともすれば余の前へ頭を差し出して、

「タカイ、タカイ、」と称して自らそれを要求するやうになつてしまつたのである。余の叱責は遊戯に変つてしまつたのである。だからもう、Hが如何程望まうとも、余は当分それは行ふまいと思つたのだ。すると余が最近或る雑誌を繰り拡げてゐると、偶然にも余に微笑を与へた記事と写真に出遇つたのである。「幼児の体育」といふ記事だつた。欧米では幼児の体育の為に、その父親が毎朝のやうに子をとらへて様々な運動を施すといふのである。その種目の一つに即ち、幼児の首をとらへて高く釣りあげて、これを何回か繰り返すといふ他動的体操が含まれてゐた。五体の骨格と筋肉とを発達せしむる為には、この方法が最も効果が多いといふ説明だつた。

 男子と男子との交際は、如何程酩酊したる場合であらうとも、肩に手をかけたり或は、手と手と触れる場合などがあつてはならない、常に三尺の距離を保たねばならない、それと同じく父と子の交際も亦礼譲の間隔がなければならない、無暗に愛撫するのあまり頬ツぺを撫でたり、矢たら抱き上げたりする如き、むくつけき溺愛があつてはならない──と常々善蔵氏は余に話してゐる。そしてそれは余も亦意とするところである。善蔵氏のいろいろな場合に於ける生活信条を余は、「東洋風」とのみに片附けてはゐない、広く紳士の信条であらう。

 雑誌の記事を発見して以来、往々余はHをとらへて例の運動を試みるようになつた、体育の目的で、かゝる愛撫をするのであれば、善蔵氏よ、許して呉れるか! いつか善蔵氏に話したが、余はHをして将来運動家に仕立てあげる考へなのである。日本古来の武士道的教練も、中世フランス式教練も、古代スパルタも、論語孟子も、夫々独自であると同様に一味相通ずる「スタビリチイ」の精神に、新旧の差別なんてある筈はない。葛西善蔵だつて、牧野信一だつて、ハムレツトだつてドンキホーテだつて、善蔵氏から聞いた言葉を借りるが「王者の剣を執るが如く」云々の意気に変りはあるまい。ところで余はこゝで詳しく葛西善蔵の細い STABILITY を論じたいのであるが、論文作成術の能に欠けたる劣等学生だつた余には、今暫く研究と修業を積んだ後でないとそれを発表する自信が持てない。

 今善蔵氏は日光へ去つてゐるが、此間うちはよく「タクシーの運動」をやつてゐた。如何にも愉快さうだった。善蔵氏のあの晴れやかさは珍らしきものだと思ふ。例へば家庭で様々な出来事に出遇つて酷い疳癪を起したりして、この分では如何なるか、散歩に出掛けても定めし憂鬱で、同伴しても此方で暗鬱になるだらう、とさう思ひながらも、一度門を出ると、反対に此方の因循を癒して呉れる程晴々としてゐる。──若き余などに真似の出来ぬ羨しさである。──今度「青二才奴!」などゝやられたら、何と云ひ返してやらうか。「年位ゐ何だ、十位ゐ違ふのが何だ、カツカツカツ!」と云つたところで始まらない。

 さつきの「ハムレツトだつてドンキホーテだつて……」などゝ云つて余の頭の鈍さを披瀝したところで仕方があるまい。

 ところで余のHは、善蔵氏の虫封じが時効にかゝつてしまつたものか、余のそれは体育になつてしまつたし、別の叱責法を考究中なのだが好き思案が浮ばない、近頃の乱暴は手がつけられない。(善蔵氏! 日光から帰つたら是非もう一度こらしめて下さい。)Hがまた此頃タクシーの運動を面白がり始めて、余にせがんで仕方がないのだが、さうさうそんな同伴は出来ないので玩具の自動車を与へたところが、未だ脚を踏む方法を知らないので自分では走らす事が出来ない、余に同乗をすゝめるのだが乗れる筈はない、彼は走らない自動車に乗つてやたらにガチヤ〳〵とハンドルを回したり、ラツパを鳴したり、口で威勢よくブーブーと叫んだりするばかりである。そして余に後おしを強制するのである。余が迷惑がると、大声を発してあばれるのである。何の手の下しようもない仕末になつてしまつた。おまけに近頃では生意気な駄々をこねるのである。お灸を据ゑると云ふのは可笑しくつて嫌だし、押入だと云つても平凡だ……、この分で行つたら余はHの為にどんなに自分の仕事を邪魔されるか計り難い。

 善蔵氏、是非もう一遍彼の虫を封じて下さい、今度前よりも一層手ごわくやつてもらはないと効めがないかも知れない。余があの気合を伝授して貰へば好いのだが、どうも余に出来さうもない、折角覚えても、用ひ過ぎて却つて面白がられたり、体育の一つになつてしまつたり、遊戯になつてしまつたり、結局威厳を失ふことになつてしまひさうだ。──自ら生んだ子の行動を唖然として、眺めてゐるばかりの余である。そして善蔵氏の「虫封じ」を待つてゐるHの愚かな父である。

底本:「牧野信一全集第二巻」筑摩書房

   2002(平成14)年324日初版第1

底本の親本:「新潮 第四十一巻第五号(十一月号)」新潮社

   1924(大正13)年111日発行

初出:「新潮 第四十一巻第五号(十一月号)」新潮社

   1924(大正13)年111日発行

入力:宮元淳一

校正:門田裕志

2011年526日作成

青空文庫作成ファイル:

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