珍しい酒もり
小川未明
|
北の国の王さまは、なにか目をたのしませ、心を喜ばせるような、おもしろいことはないものかと思っていられました。毎日、毎日、同じような、単調な景色を見ることに怠屈されたのであります。
このとき、南の国へ使いにいった、家来が帰ってまいりました。なにかおもしろい話を持ってこないかと、さっそく、その家来にご面会になりました。
「ご苦労だった。無事にいってこられて、なにより、けっこうのことだ。南の国王は、達者でいらせられたか……。」と、おたずねになりました。
家来は、長い旅をしたので、顔の色は、日に焼けて、頭髪は、雨や、風に、たびたび遇うたことを思わせるように、伸びて乱れていました。
「南の国王は、お達者でいらせられます。そして、毎日、愉快にお暮らしになっていらせられます。帰ったら、よろしく申しあげてくれいとの、お言葉でありました。」と、家来は、申しあげました。
北の国の王さまは、うなずかれてから、
「それは、けっこうなことだ。しかし、ほんとうに南の国王は、愉快に日を送って、おいでなされるか?」と、問いました。
家来は、両手を下について、
「毎日、それはそれは愉快に、日を暮らしていらせられます。南の方は、こちらよりは、ずっと日が長いように思われますが、それでも、国王は、短いといって、嘆いていられたほどであります……。」と、お答え申したのでした。
北の国王は、不思議のように思われました。自分には、どうして南の国のような、楽しいことがないのだろうかと、かなしく思われたのでした。
「自分は、明けても、暮れても、この単調な景色を見るのに飽きてしまった。やがて、広い野原は、雪におおわれることであろう。どうして、自分には、そうしたおもしろいことがないのであろうか?」と、おっしゃられました。
家来は、王さまの顔を見上げながら、
「南の国王も、かつては、お怠屈でいらせられたようでございます。しかるに、一度、城下にさまよっています、あらゆる哀れな宿なしどもをお集めなされて、ごちそうなされ、彼らが見たり、聞いたりした、珍しいことを、なんなりと言上いたせよと、命令あったために、彼らは、いろいろのことを申しあげたのでありました。彼ら、宿なしどもは、北といわず、南といわず、西といわず、東といわず、平常諸方をあるきまわっていますから、世の中の不思議なことを知っていました。また、彼らの中には、まれには、学者のおちぶれも、まじっていますので、およびもつかない天界のことや、または吉凶の予言みたいなことまでも申しあげます。……それ以来というもの、国王は、世の中の、いろいろなことに、ご興味をもたせられて、あるときは、ご旅行をあそばされ、またあるときは、ご研究に月日をお費やしあそばされるというふうでありました……。」と、申しあげました。
北の国の王さまは、しばらく、頭を傾けて、お考えなされました。
「なるほど、みょうなところへお気をつかれたものだ。それで、彼らは、どんな話を言上いたしたか、それをば聞かなかったか……。」と、王さまはいわれたのです。
家来は、いま、そのことを申しあげようと思っていましたから、すぐに、
「私が、こちらへ帰ります時分には、王は、南の島へ船を出されて、その島の山谷に咲いているらんの花をとりにまいられました。その美しいことは、いかなる花も比較にならず、また、その香りの高いことは、谷を渡って吹いてくる風に、花の咲いていることが知れるほどです……。また、笛を、吹くと踊りだす、白いへびのすんでいるところや、人間の言葉をまねする鳥の巣のありかなどを、彼らは申しあげたので、王は、それらを猟をされにお出かけになったのであります……。」
「それは、さだめしおもしろいことであろう。しかし、そうしたあそびごとも、南国だからされるのである。こちらのように、半年は冬、半年は夏というような国には、そんな鳥もすんでいなければ、珍しい花も咲いていない。ほんとうに、こういう国土に生まれたものの不しあわせというものだ。」と、北の国の王さまは、いわれたのであります。
家来は、うつむいて、しばらく考えているようすでありました。
「しかし、わが王さま、また、この寒い国には、別な珍しいものがあるでありましょう。一度、この国の宿なしどもを、お招きになり、ごちそうなされたら、また、いかなる珍しい話を、お聞きなさらぬともかぎりますまい。」と、申しあげました。
「それも、おもしろい企てにはちがいないが、この地方の宿なしどもは、そんな珍しい話を持っているようにも思われない……。」と、王さまは、いわれて、すぐに、お呼びなさろうとはなされませんでした。
しだいに寒くなって、いつしか冬とはなりました。空は、くらく、野原には、風が、枯れた枝にさけんでいました。
王さまは、毎日、このさびしい、寒い景色を見て、日を暮らすことに怠屈なされました。雪が降ってきて、あたりは真っ白になり、やがて、その年も暮れて、正月になろうとしたのであります。
「どんなにか、宿なしどもや、乞食らが、この寒さになやんでいることだろう。彼らは、楽しいお正月を迎えることもできない。なかには、災難から、そうおちぶれてしまったものもあろう。事情を聞いたら、いずれも、気の毒なものばかりのように思われる。彼らからいろいろの話を聞くだけでも無益ではないであろうから、正月には、彼らを招いて、ひとつ盛大な宴会を開いて、みようと思う……。」
王さまは、こんなことを頭の中に描かれました。そして、その旨をさっそく、家来たちに申しわたされたのであります。
家来たちは、いずれも、そのお考えなされたことが、たいへんによいことであり、また、おもしろいことだといわぬものはなかったのです。
「いや、北の国には、また、南の国と違った、いろいろの不思議なこと、珍しいことがあるであろう。はやく王さまに、宿なしどもや、乞食の申しあげることを自分らも聞きたいものだ。」と、南の国へ使いにいって帰ってきた、家来などはいったのであります。
しかし、北の方の王さまは、なんとなく、それほどの期待をされていませんでした。いよいよ王さまが宿なしどもや、乞食どもを、お招きなされて、盛大なご宴会を開かれるというふれが、いたるところに、はられましたから、すきな酒も飲めずに、貧乏に苦しんでいる人たちは、しかも、王さまのお召しで、たくさん好きなものをいただけるというのだから、たいへんにありがたいことと思って、その日の至るのを喜んで待っていました。
ここに、だれもゆかないような、さびしい海岸に、波で打ち上げられたものか、こわれた船がある、その中に住んでいる老人がありました。この老人は、いつごろから、そこに住んでいるのか、だれも知ったものがありません。そして、ようすから見て、どうやら、この地方の人ではないようにも思われました。
ある日、この老人は、村の方へ出てゆきました。そして、王さまが宿なしどもや、乞食たちをお集めなされて、正月のご宴を開かれるということを聞いたのです。
「私も、ぜひまいってみたいものだ。」と、老人はいいました。
どこからともなく、たくさんの怪しげなふうをした人間が、城下へ集まってまいりました。毎日、毎日、雪道をあるいて、遠くから、ぞろぞろと入ってきました。
やがて、正月となり、その日とはなったのです。さすがに、広い、大きな、御殿へも、これらの人たちは、はいりきれなかったのでした。しかたなく、雪の上へ、むしろを敷いて、その上にすわらなければならなかった。
王さまのお言葉で、みんなに、上等の酒がふるまわれました。そこで、その日ばかりは、特別に無礼のことのないかぎり、彼らはくつろいで飲んでも、いいとのことであったから、みんなは、上機嫌になってしまいました。
そのとき、家来は、立ち上がって、彼らに向かって、
「王さまのお言葉である。いままで不思議と思ったこと、珍しいと思ったことがあったら、だれでも、そこで話すがいい。王さまは、この世の中の不思議なこと、珍しいことを知りたいと仰せらるるのだ。」といいました。
いい機嫌になって、くつろいで話をしていました彼らは、急に、静かになってしまいました。そして、たがいに、顔を見合わしているばかりで、立ち上がって、不思議なことや、珍しいことを語ろうとするものがありませんでした。
「なにも申しあげずに、だまっているのは、かえって、無礼に当たるぞ!」と、家来は、また、大きな声を出して、みんなを見まわしながらいいました。
そのとき、みすぼらしいふうをした一人の男が、立ち上がりました。
「ある寒い晩のこと、私は、森の中で、眠れずに目をさましていました。すると、真夜中ごろのこと、すさまじい音がして、星が、森の中へ落ちました。私は、星が落ちたのを見たことは、はじめてです。夜の明けるのを待って、昨夜、星の落ちた場所へいってみますと、土の中に底光りのする石がうまっていました。掘り出してみると、さるの顔に似た形をしていました……。」
このとき、王さまは、
「その石をどうした? ……まだ、持っているか。」といわれました。
「あまり、気味のいいものでありませんから、海の中へ投げ捨ててしまいました。すると、その日から三日間ばかり、海があれたのであります……。」と、みすぼらしい男は、答えました。
「やれやれ、そんな珍しいものを捨てて惜しいことをしたな。」と、王さまは、いわれたのです。
つぎに、また、みすぼらしいふうをした、ほかの男が立ち上がりました。みんなは、その男が、どんな話をするだろうかとながめていました。
「北の小さな町へ、山から、白くまが出てきたときは、町では大騒ぎをしました。町の人は、どうしても、その白くまを殺してしまわなければならぬといって追いました。
白くまは、どんどん逃げてゆきました。海は凍って、すでに氷の原となっていました。くまは、氷の上を走ってゆきました。すると、沖の方は氷がわれていて、その間に、黒い島が現れていました。くまは氷のかたまりの上を飛んで、その黒い島の上へ登ってしまいました。町の人々は、そこまでは、ゆくことができませんでした。しかし、白くまの上がった島は、くじらの背だったのです。そのうちに、くじらは、白くまを背中に乗せたまま、沖の方へだんだん動いていったのでした……。」
「それは、珍しい話だ。」と、王さまは、笑われました。
こんどは、彼らの踊りや、唄を聞きたいものだと、王さまは、仰せられたのであります。
「王さまのお許しであるから、唄をうたいたいものはうたい、踊りたいものは、おどるがいいぞ。」と、家来は伝えました。
彼らは、いろいろの唄をうたい、さまざまの踊りを、ごらんに入れたのです。王さまは、ひじょうに、ご満足なされて、
「ときどきこれから、こういう催しをすることにいたそう。」といわれました。そして、御殿から、外の広場へと出られて、みんなが、雪の上でもうたい、踊っているのを、ごらんぜられたのであります。
ちょうど、このとき、一人の老人が、大きな袋のようなものを脊負って、破れた、マンドリンに合わせて踊っていました。その踊りも変わっていれば、また、マンドリンの音も、さびしいうちになんともいえない陽気なところがある不思議な音でした。
「あの大きな袋の中には、なにがはいっているのか?」と、家来におたずねになりました。
家来にも、そればかりは、わかりませんでしたから、かたわらの人々に聞きますと、やはり、だれも知っているものがありません。
「いや、たぶん、きっと珍しい宝物がはいっているのだろう……べつに、問わなくともよい。」と、王さまは、笑われて、あちらへいってしまわれました。
やがて、踊りが終わると、乞食の一人が、おじいさんに、その袋の中には、なにがはいっているかと、たずねました。
おじいさんは、耳が遠いのか、それとも言葉が通じないのか、ただにやにや笑っているばかりです。宿なしどもの一人は、おじいさんの気のつかない間に、袋のすみに小さな穴を明けて、その中のものを見ようとしました。すると、中からは小粒の黒い種子のようなものが、こぼれてきました。
「なんだ、つまらない!」と、そのものは、つばをしました。
いつしか、日が暮れかけたので、酒もりも終わりを告げ、みんなは、ふたたびどこへともなく散ってしまったのです。
おじいさんは、大きな袋を脊負って、広い雪の野原を通って、破船の横たわる海岸を指して帰りました。袋のすみに、小さな穴の明いていることに気づかなかったから、おじいさんが歩くたびに、黒い種子が、ぼろぼろと雪の上にこぼれたのでした。
ちらちらと、雪が降ってきて、こぼれた黒い種子をみんな隠してしまいました。おじいさんが、袋の軽くなったのに、はじめて、気がついたときは、どうすることもできなかったのであります。
長い冬が、いつしか過ぎて夏がきました。そのとき、いままでさびしかった広い野原に、急に浮き出たように、紅・黄・白・紫、いろいろの珍しい花が、絵のごとく美しく咲き乱れたのでした。
世界じゅうを、あちら、こちら、歩いて、珍しい花の種子を集めて、おじいさんは東の方の故郷へ帰る途中で、この海岸で難船したのでした。
王さまは、その話を聞かれると、気の毒に思われ、厚くおじいさんをいたわられて、船に乗せて故郷へ帰してやられました。しかし、その花の野原は、いつまでも、王さまの心をなぐさめたのであります。
底本:「定本小川未明童話全集 6」講談社
1977(昭和52)年4月10日第1刷
底本の親本:「未明童話集 4」丸善
1930(昭和5)年7月
※表題は底本では、「珍しい酒もり」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:栗田美恵子
2019年5月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。