春の真昼
小川未明
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のどかな、あたたかい日のことでありました。静かな道で、みみずが唄をうたっていました。
田舎のことでありますから、めったに人のくる足音もしなかったから、みみずは、安心して、自分のすきな唄をうたっていました。
「おれほど、こう長く、息のつづくうまい歌い手は、世間にそうはないだろう。」と、心のうちで自慢していました。
あたたかな春風は、そよそよと空を吹いて、野原や、田の上を渡っていました。ほんとうに、いい天気でありました。あたりのものは、みんな、みみずの鳴き声にききとれているように、だまって、ほかに音がなかったのです。
このとき、ふいに、田の中から、コロ、コロ、といって、かえるが鳴き出しました。
「はてな、なんの音だろう?」と、みみずは、ちょっと声を止めて、その音に耳をすましましたが、すぐに、あの不器量なかえるの鳴く声だとわかりましたから、
「かえるのやつめが、負けぬ気でうたい出したわい。」と、みみずは、それを気にもかけぬというふうで、ふたたび唄をうたいつづけたのであります。
かえるも、なかなかよくうたいました。水の中から頭を出して、うららかにてらす太陽を見上げて、思いきり、ほがらかな調子でのどを鳴らしたのでした。
「あの日蔭者の陰気な唄と、私の唄とくらべものになるかい。お日さまにうかがってみても、どちらが上手かわかることだ。」と、かえるは、ひとり言をしたのでした。
けれど、お日さまは、もとより、どちらがうまいなどとは、いわれなかったのです。
「みみずも、かえるも、よくうたっているな。」と、目もとにほほえんで、地上を見下ろしているばかりでした。
みみずは、思いきり息を長く引いて、ジーイ、ジーイ、といい、かえるは、太く、短く、コロ、コロ、といって、うたっていました。
ちょうど、そこへ、どこからか二羽のつばめが、飛んできて、電線にとまると、ふたりの唄に耳を傾けたのです。
「ああ、なんというやさしい唄の声だろう……。」と、一羽のつばめは、いいました。
「ああ、なんという春の日にふさわしい、陽気な、ほがらかな鳴き声だろう……。」と、ほかのつばめはいいました。
甲のつばめは、みみずの唄をいいといい、乙のつばめはかえるの鳴き声をいいといいました。そしてこんどは、いつか、二羽のつばめが、争いはじめたのです。
「あの、コロ、コロ、いう鳴き声は、私が、ここから遠い、東の方の町を飛んでいるときに、白壁の倉のある、古い、大きな酒屋があった。つい入ってみる気になって、ひさしから奥へはいると、美しいお嬢さんが、琴を弾じていた。ちょうど、そのとき聞いた、美妙な琴の音を思い出す。」と、乙のつばめは、かえるの鳴き声をほめました。すると、甲のつばめは、
「私は、去年の夏の日、北方の青い、青い森の中を飛んでいました。そのとき、木の枝にからんだ、つたの葉の上に止まって、なんという虫かしらないが、細かい、かすかな、やさしい声で唄をうたっていた、その音色を忘れることができない。いま、きこえる、あの音は、まったくそのままであります。」といって、みみずの唄をほめたのでした。
どちらが、いいかわるいかといって、二羽のつばめが、電線の上で、かまびすしく争っていたときに、その下を、この近くの村にすんでいる、くろねこが通りかかりました。
「なにを、おまえたちは、そこで、やかましくいっているのだ?」といって、ねこは、立ちどまって、上を仰いだのです。
甲、乙のつばめは、かえるとみみずの唄から争っていることを話しました。いつになく、くろねこは機嫌がよく、のどをゴロ、ゴロならして、ふとった足で、肩をいからしながら、二、三歩前へ大またに歩きましたが、
「どれ、私が、どちらがいい声だか、判断してやろう。」といって、ごろりと草の上へねころびました。
二羽のつばめは、ねこに、判断を頼みました。そして、もし、甲のつばめが負けたら、乙のつばめをいいところへ案内し、乙のつばめが負けたら、まだ甲のつばめが知らない、景色のいいところへ甲をつれてゆく約束をしたのでありました。
「私たちは、このあたりを一まわり飛んできますから、どうか、その間に、みみずの唄がいいか、かえるの鳴き声がいいか、よく聞いて、判断してくださいまし。」と、つばめは、ねこに、声をかけたのです。
「ニャオン!」と、くろねこは、答えて、ねころびながら、自分の手足をなめていました。
二羽のつばめは、大空をおもしろそうに飛んでゆきました。道ばたでは、あいかわらず、みみずが、ジーイ、ジーイ、と唄をうたい、田の中では、かえるが、根気よく、お日さまを見上げながら、コロ、コロ、といって鳴いていたのでした。
つばめは、そのあたりを一まわりして、もどってきますと、ねこは、いびきをかいて、グウグウ眠り入っていました。
二羽のつばめは、いくら起こそうとして、電線の上から叫びましたけれど、ねこは、目をさましませんでした。
そのとき、一ぴきのとんぼが、ここへ飛んできました。とんぼは、広い世界へ生まれ出てから、まだ間がありません。うすい絹のように輝きのある羽をひらめかしていました。
「なにをそんなに騒いでいなさるのですか?」と、とんぼは、いいました。
つばめは、ねこを起こそうとしていることを告げました。
「私が、起こしてあげましょう……。」と、とんぼはいった。
「ねこをですか? あなたが……。」
小さな、とんぼを見ながら、つばめは、目を円くみはったのです。
「私は、身が軽く、すばしこいから、だいじょうぶ、ねこになど捕らえられるようなことはありません。」と、とんぼは答えました。
とんぼは、下へ降りてゆきました。そして、ねこの頭の上へとまろうとして、やめて、大胆に、鼻の先へとまったのです。猫は、びっくりして、目をさますと、とんぼが、鼻の上にとまっているので、生意気な、おれをばかにしているなと、火のように怒り、ひとつかみにしようとしたが、とんぼは、ひょいと飛びたったので、くろねこは、おどり上がってとんぼを捕らえようとしました。もうすこしで、とんぼは捕らえられるところを危うく逃げてしまいました。その拍子に、ねこは、田の中へ落ちました。これを電線の上で見ていたつばめは、どんなに小さな胸をとどろかせたことでしょう。かえるは、水の中にもぐり込み、みみずは、だまってしまいました。ただ、うららかな春の太陽だけが、静かな空に、にこやかに笑っていました。
底本:「定本小川未明童話全集 6」講談社
1977(昭和52)年4月10日第1刷
底本の親本:「未明童話集 4」丸善
1930(昭和5)年7月
※表題は底本では、「春の真昼」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:栗田美恵子
2018年3月26日作成
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