赤いえり巻き
小川未明



 おはなが、東京とうきょう奉公ほうこうにくるときに、ねえさんはなにをいもうとってやろうかとかんがえました。二人ふたりとおはなれてしまわなければなりません。おはなは、まだないにぎやかな、うつくしいものや、たのしいことのたくさんあるみやこへゆくことは、なんとなくうれしかったけれど、子供こども時分じぶんから、したしんだ、はやしや、や、自分じぶんむらわかれることがかなしかったのです。

 あねは、かつて、自分じぶんも一みやこへいってみたいとこころにあこがれたことがありました。しかし、ついに機会きかいがなくてすぎてしまいました。そして、もう奉公ほうこうるには、あまりとしをとってしまったので、自分じぶんは、むらのこってたんぼて、くわをとってはたらくことにいたしました。

「なにをいもうとに、ってやったらいいだろう。」

 あねは、ひとりではたらきながらおもったのです。

 たとえ、いもうとは、はなやかなみやこへゆくのにしろ、いえはなれるということは、あねにはさびしいことでした。そしてらぬところへいって、とおくみんなからわかれて、一人ひとり生活せいかつするということは、どんなにか、心細こころぼそいことであろうとおもわれると、いもうとがかわいそうになりました。

「せめて、いつまでもいもうとにつくものをってやりたい。」と、あねおもいました。

 このとき、そばのはやしえだにとまって、あかいいすかがいていました。もう、あきもふけていました。はやしをおとずれるかぜあらく、そらくもゆきははやかった。そして、ところどころに、あおガラスのようなえたいろえたのです。

 あねは、このあきから、ふゆにかけてくる小鳥ことりをめずらしそうにているうちに、ふと、こころかんだのは、このあかとりのような、いろのえりきをいもうとってやろうということでした。東京とうきょうは、ゆきは、あまりないが、ふゆかぜさむいといている。そと用事ようじかけるのにも、えりきがなくてはならないだろう。あかいえりきをってやったら、いもうとも、さぞよろこぶにちがいないとかんがえました。

 あねは、まちました。そして、洋品店ようひんてんで、あかいえりきをってうちかえり、それをいもうとあたえたのであります。

「まあ、きれいなえりきだこと。」といって、いもうとをみはりました。

わたしは、かんがえたのだよ、東京とうきょうのステーションにりたとき、このなえりきをしていったら、むかえにてくださるかたに、おまえだということがわかるだろうとおもって……。それに、このあかいろは、わるいろでないとおもったのだから……。」と、あねはいいました。

       *   *   *   *   *

 おはなが、上野駅うえのえきいたときに、彼女かのじょ心配しんぱいしたほどのこともなく、すぐに、出迎でむかえにきていたおくさまや、ぼっちゃんたちのにとまったのです。そのはずで、あかいえりきが、たくさん汽車きしゃからりたひとたちのあいだでも、目立めだったからでした。ちょうど、朝日あさひひかりは、繁華はんかまち建物たてもののいただきをして、プラットホームにながれていましたが、そこへ、けたあかかお少女しょうじょが、なえりきをしてあるいてきたので、あか金魚きんぎょあか着物きものをきたさるのように、それがえたのも不思議ふしぎがありません。

 くちわるい、ぼっちゃんたちは、おはなに、金魚きんぎょというあだをつけました。けれど、おはなは、そんなことをにかけるような性質せいしつでなく、いつも、田舎いなかにいた時分じぶんのように、いきいきしていました。そして、みんなから、かわいがられました。

「おはな、おまえははやのみこみで、こちらのいうことを、半分はんぶんしかかないから、そんなまちがいをするのだよ。」と、おくさまからいわれることもありました。

 ほんとうに、彼女かのじょは、そそっかしやで、よく、ちゃわんをこわしたり、たなからものをとしたりしました。

「また、おはなが、なにかとした。」といって、しまいには、小言こごとをいうよりか、みんなは、それが愛嬌あいきょうになって、おかしがってわらったのです。

 それほど、彼女かのじょは、つみのない少女しょうじょでした。

「おはなは、東京とうきょうがいいか、それとも田舎いなかがいいかい。」と、うちのものが、きました。

 彼女かのじょは、すぐに返事へんじをせずに、わらっていましたが、二つのくろをかがやかしながら、

「おら、田舎いなかがいい。」とこたえました。

「どうして?」と、うちひとたちは、いいましたが、こうくまでもなく、はなやかな自然しぜんまえひらけて、とりのように自由じゆうけまわったであろう彼女かのじょ姿すがた想像そうぞうすると、なんとなく彼女かのじょ不憫ふびんかんぜられたのであります。

 ほんとうに、東京とうきょうふゆは、ゆきこそらないがさむかった。彼女かのじょは、使つかいにるのに、ねえさんが、こちらへくる時分じぶんってくれた、あかいえりきをわすれずにしていきました。それには、なつかしいあねのまごころがこもっているとおもわれたから……。田舎いなかから、手紙てがみのくるたびに、彼女かのじょは、をうるませていました。

「おはなは、あのあかいえりきが、たいへんににいっているらしいんですよ。」

 こう、おくさまは、主人しゅじんにいわれたこともあります。

「あのえりきをして、汽車きしゃからりたとき、だったね。」と、子供こどもらはおもして、おかあさんにいいました。

「なに、もうすこしたつと、おはなもすっかり東京とうきょうになってしまうから。」と、そのとき、おとうさんはいわれました。

       *   *   *   *   *

 あるちいさな子供こどもをつれてそとたおはなが、なかなかかえってこないので、うちじゅうが大騒おおさわぎをしたことがあります。

「どこへいったのだろう。」

 みんなは、おはなをさがしあるきました。しかし、いつも近所きんじょにいるのが、そのにかぎって、どこへいったか、そのかげえませんでした。

まちほうへでもいったのかもしれない。ちいさなのをつれて、けがでもさしたらこまってしまうが……。」

 こう、うちひとたちはいって、心配しんぱいしました。それから、まちのにぎやかなとおりのほうへさがしにゆきました。すると人集ひとあつまりのしている活動写真館かつどうしゃしんかんまえに、なえりきが、くろ人波ひとなみにもまれながら、はっきりとられたのです。

「あすこにいるのは、おはなだろう……。」

 はたして、彼女かのじょでありました。

 うちかえってから、こののち、こんなことがあってはならないとかきれたあとで、

あかいえりきをしているから、わかっていい。」といわれると、

わたしあかいえりきなんか、いやになった。」と、おはなはいいました。

「なぜ、きれいでいいじゃないか。それに、おまえのねえさんが、ってくだきったのだから……。」と、うちのものがいいますと、おはなは、したいてだまっていました。

 おはなには、もうだいぶ、給金きゅうきんがたまったころであります。このごろは、都会とかいむすめちそうなものがほしくなったとみえて、白粉おしろいや、香油こうゆのびんなども、いつのまにかったものが、だなのなかにかくしてありました。

 ある、かぜのこと、彼女かのじょそとからかえると、ちがった水色みずいろ流行りゅうこうながえりきをしていました。

「そんないいのをったのかい。あかいえりきはどうしたの?」と、おくさまはかれたのです。

 彼女かのじょは、かおあかくして、わらっていたが、

よごしたので、さおにかけておきましたら、とんびがさらっていってしまいました。」と、かおをあげてこたえました。

「とんびが? あのあかいえりきをさらっていったの?」と、おくさまはわらわれました。

「はい、昨日きのうのおひるごろ、さらっていったんです。」

 みんなは、かお見合みあってわらいました。

「ほんとうかい?」

「うそだろう……。いやになったから、ててしまったのだろう……。」

「いいえ、ほんとうです。」と、おはなこたえました。

 田舎いなかあねが、しんせつにってくれたものを、たとえてたにしろ、てたとはいわれなかった。とんびは、よくものをさらってゆく。だから、とんびがさらっていったといったら、だれでもしかたがないとおもったからであります。

 子供こどもたちだけは、おはなのいったことをほんとうだとしんじました。そして、大人おとなたちは、おはなはおはならしいうそをいうものだといって、わらったのであります。

       *   *   *   *   *

 ちょうど二ねんめのはるであります。おはなあねが、病気びょうきにかかったので、おはなは、田舎いなかかえることになりました。もう、そのころは、彼女かのじょは、東京とうきょうのほうが、田舎いなかよりもよかったので、かえるのをいやがりました。

「また都合つごうがついて、てこられるようになったらおいで。」と、うち人々ひとびとは、おはなかえるのをしんだのでした。

 彼女かのじょは、ふたたび田舎いなかひととなってしまった。その、たよりがありません。東京とうきょうなつそらあかくもが、はたのようにただよってえると、

「おはなのえりきのようなくもだね。」と、ぼっちゃんがたは、そらあおいでいいました。

「ほんとうに、とんびがさらっていって、てていったのかもしれないよ。」

 あかいえりきのようなくもは、たか煙突えんとつうえに、またひかったとううえに、かぜかれて、ただよっていましたが、また、いつのまにかえてしまいました。

 こうして、今年ことしなつも、れてゆくのでした。そして、きたほう田舎いなかには、もうあきがきたのです。木枯こがらしが、うみうえき、き、はやしきました。その時分じぶんになると、ないすかが、どこからかんできて、えだにとまっていたのです。

 もし、これをおはなが、たんぼたなら、かならず、自分じぶんのなくなったあかいえりきをおもし、東京とうきょうぼっちゃんたちのことをおもしたでありましょう。

底本:「定本小川未明童話全集 7」講談社

   1977(昭和52)年510日第1刷発行

   1982(昭和57)年910日第6刷発行

底本の親本:「未明童話集5」丸善

   1931(昭和6)年710日発行

初出:「童話研究」

   1928(昭和3)年9

※表題は底本では、「あかいえりき」となっています。

※初出時の表題は「赤い襟巻」です。

入力:特定非営利活動法人はるかぜ

校正:きゅうり

2019年927日作成

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