森の中の犬ころ
小川未明
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町のある酒屋の小舎の中で、宿無し犬が子供を産みました。
「こんなところで、犬が子を産みやがって困ったな。」と、主人は小言をいいました。これも、小僧たちが、平常小舎の中をきれいに片づけておかないからだと、小僧たちまでしかられたのであります。
「この畜生のために、おれたちまでしかられるなんて、ばかばかしいこった。犬の子を河へ流してきてしまえ。」と、小僧たちは話をしました。
「そんな、かわいそうなことをするもんじゃない。目があいたらどこかへ持っていって捨てておいで。」と、かみさんがいいました。
そのうちに、小犬たちは、だんだん目が見えるようになりました。そして、よちよちと、短い、筆先のような尾をふりながら歩くようになりました。「どうか、もうすこし、子供たちが大きくなるまで、ここにおいてください。」と、あわれな母犬はものをいわないかわりに、目で小僧さんたちに訴えたのであります。けれどそれは許されませんでした。
「だれか、もらいてがあるといいんだがな。」
「警察へつれていくと、一ぴき三十銭になるぜ。君つれていかないか?」
「ばかにするない。晩に、どこかへ、リヤカーに載せて捨ててきてやろう。」と、小僧さんたちは、そんな話をしていたのです。これを聞いた、母犬は、おどろきました。なぜなら、たとえしんせつそうに見える人間でも、そうしたことをやりかねないからです。
「私も、はじめは、何不自由なく、かわいがられたものだ。それを、どういうわけか、いつからともなくきらわれて、私は、ついに、おいてきぼりにされて、飼い主は、どこへかいってしまった。私は、いまでも、その人たちをなつかしく、慕わしく思っているばかりでなく、ご恩を受けたことを、けっして忘れはしない。けれど、こんなことがあってから、人間を信じていいものかわからなくなった……。」と、母犬は考えました。
母犬は、だれにも、気づかれない間に、小犬たちをつれて、そこからほど隔たった、ある森の中に引っ越してしまいました。
その森は、ある大きな屋敷の一部になっていたのです。破れた垣根からは、犬ばかりでなく、近所に住む人間の子供たちも、ときどき、出入りをしました。秋になると、どんぐりの実が落ちれば、また、くりの実なども落ちるのでありました。
母犬と小犬が、この森の中にうつったのは、まだ春のころでありました。人間の子供たちが、いたずらをしに、容易に近づかれないように、いばらや、竹のしげった一本の木の根のところに、穴を深く掘って、その中にすんだのであります。やっと、安心をした母犬は、かわいい子供たちを、かわるがわるなめてやりながら、
「ここなら、雨もあたらないし、また、だれからも追いたてられたり、じゃまにされたりすることもないだろう。私たちが人間になつくのは心の底からだけれど、人間は気まぐれで、捨てもすれば、また、ちょっとしたことでも、ひどくなぐったりする。だから、人間をほんとうに信じてはならない。おまえたちは、ほかの犬たちのように、りっぱな小舎にすむことができず、また、おいしいものを食べられなくても、それをうらやましがってはならない。そのかわりお母さんが、いつでもなにかさがしてきてあげるから……。」と、母犬は、よく小犬たちにいいきかせました。
母犬は、自分が、空腹を感じているときでも、なにか食べ物を見つければ、すぐに子供たちのいるところへ持ってきました。また、途中で、なにかもの音がすると、それが、小犬たちのいる森の方からでなかったかと、どこででも、立ち止まって耳をすましたのです。その間を、小犬たちは、穴の中から、首をのばして、母犬が、なにかうまいものを持ってきてくれるのを、いまかいまかと待っていました。そして、あまり、その帰りがおそいと、クンクンと、鼻をならし、また、低く悲しげにないたのであります。
これをききつけて、あわれな母犬は、大急ぎでもどりました。
「さあ、さあ、待たしてわるかった。今日はいままで歩いたけれど、なにも見つからなかったのだよ。私の乳をあげるから、これで、がまんをしておくれ。」と、自分のひもじさも、疲れもすべて、忘れて、三びきの小犬をふところに、母犬は抱いたのです。
ある日のこと、母犬の留守の間に、酒屋の小僧がやってきて、一ぴきの小犬をさらってゆきました。
「いい犬の子があったら、ほしいものだ。」と、頼んだ家がありましたので、そこへ持ってゆくつもりでありました。
母犬は、森の穴に帰ってみると、一ぴきの子供がいませんので、どこへいったろうと、心配しました。暗くなっても、まだ、小犬はもどってきませんでした。母犬は、きちがいのようになって、あたりをさがしまわりました。とうとう夜じゅう、かなしい声をたててなきあかしたのです。その声は町の方まできこえてきました。
「かわいそうに、もし人間が、自分の子供がいなくなったらどんなだろう?」と、酒屋のかみさんは、思いました。
小僧さんも、またかわいそうに思ったのか、翌日、昨日さらっていった小犬を、もう一度森の中までつれてきて、「おいしいものをたべさして、かわいがってくださるお家があるのだよ。」と、母犬に向かってよくさとしました。すると、その意味がわかったとみえて、母犬は尾をふって、もらわれてゆくわが子をさびしそうに見送っていたのです。
底本:「定本小川未明童話全集 8」講談社
1977(昭和52)年6月10日第1刷発行
1982(昭和57)年9月10日第6刷発行
底本の親本:「青空の下の原っぱ」六文館
1932(昭和7)年3月
※表題は底本では、「森の中の犬ころ」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:藤井南
2015年12月12日作成
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