はまねこ
小川未明
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そこは北のさびしい海岸でありました。秋も末になると、海が荒れて、風は、昼となく夜となく吹いて、岩に打ちあたってくだける波がほえていました。この時分になると、白いかもめがどこからともなく、たくさんこの海岸に集まってきました。そして、波の上をかすめたり、岩に下りたりして、魚を捕ったのであります。
村の子供たちは、砂山の上で遊んでいました。
「はまねこが、今日は、たくさんいるなあ。」と、一人が、おどろいたように目をみはって、沖の方を見ていいました。このへんでは、白いかもめのことを、はまねこ、といっていたのです。
「沖が、荒れるんだろう。」と、ほかの子供が、いいました。
このとき、日は、もう西へはいりかけていました。遠く、その方を見ると、雲の切れめが、金色に光って、ものすごいうちに、くずれかけた悪魔のお城のような美しさがありました。そして、その下に、おおかみのきばのような、とがった嶺があり、もう、そこには、雪がきていて、頭が白くなっていたのであります。
「弓をこしらえて、はまねこを射ろうか?」
「はまねこなんか、とったって、たべられはしないや。」
「ううん、はまねこは、うまいというぜ。」
「はまねこをとると、よくないことがあるというから、だれもとらないのだよ。」
「うちのおじいさんがいった。はまねこを殺すと、海があれて、船が、難船するって。」
「難船でない。漁がないというんだぜ。」
いつしか、子供たちは、こんなことをいって争いました。そして、毎日のように見ているはまねこを、さも不思議そうにながめていたのであります。どうして、こんなことをいうのか?
この海岸の村に、つぎのような、昔噺が伝わっていたためです。
遠い、遠い、昔のこと、ある武士が、この浜でかもめを射ました。しかし、矢は、すこし外れて、片方の翼を傷つけたばかしです。傷ついたかもめは、くるくると落ち葉のように空をまわりながら、漁師の家の庭さきに落ちました。ちょうど網の破れめを直していた、人のいい漁師は、鳥が落ちてきたので、すぐ飛び出してみました。そして、だれか射ったのだということがわかると、
「おお、命にさわりのない傷だ。かわいそうだから、助けてやろう。」といって、その鳥を人の目にとまらぬところに隠したのであります。そして、漁師は、知らぬ顔で、また網を直していました。
そこへ、弓を持った、武士がはいってきました。
「このあたりへ、鳥が落ちなかったか? たしかに、ここへ落ちたと思うが……。」と、武士がいいました。
漁師は、知れたらたいへんだと思いましたが、あわれな鳥を助けてやりたいばかしに、
「いいえ、ここへは、そんな鳥など落ちてまいりません。鳥というものは、命がありますと、落ちてから、どこへか地の上をはいますものですから。」と、まことしやかに、答えました。
「はて、おかしなことがあるものだな。」と、武士は、そのままいってしまいました。
晩方になって、もう、人に捕らわれる心配がなくなると、漁師は、鳥を逃がしてやったのであります。
この漁師のおかみさんは、永らく病気でねていました。それですから、家の中は貧しかったのです。そして、これから寒くなるのに、着る着物の仕度とてありませんでした。
ある日のこと、入り口に、一人の女が立ちました。
「私は、べつに頼るところのない身でございます。ただ機を織ることだけは、だれにも負けませんから、どうかしばらくの間、置いてくださいませんか。」といって、頼んだのであります。漁師は、やさしい心の人であり、また、おかみさんもいい人でありましたから、
「じつは、女房が、機を織りかけてそのままになっているのがあるが、そんなら、それを織ってもらいましょう。」と漁師夫婦は、女の頼みをききいれました。
女は、その日から、精を出して機を織りました。家じゅうのものが、着るだけの布はじきに織ってしまいました。
「どうぞ、これから町へ売るのを織らしてください。」と、女はいって、毎日、毎晩、機を織りました。そして、もう、冬となって漁のできなくなった一家を助けました。
ある日のこと、女は織物を持って、町へ売りに出かけようとする漁師に向かって、別に、一反の織物を出して、
「この品だけは、安い値でお売りになってはいけません。あなたのお望みどおりの値に売れる品ですから。」といいました。
漁師は、それを持ってゆくと、はたして、いい値で売れました。喜んで家に帰って、もう一反同じものを織ってくれるように頼んだのであります。
「あの布は、私の持ってきました糸で織りましたのですが、もうあとにどれだけあるかわかりませんが、さあとにかく織ってみましょう。」といって、女は、家内の人たちが寝静まってしまった真夜中ごろ、独り起きて、チャン、チャンと機を織っていました。
漁師は、なんだか、不思議な気がして、ふすまのすきまから、隣のへやをのぞきました。そして、びっくりしました。なぜなら、いつか逃がしてやった、はまねこが、恩を返そうと、女に化けてきて、自分の体の毛をぬき、糸にまじえて、布を織っていたからであります。
翌朝起きると、すでに気づかれたと悟ったものか、機は、織り残しのままになって、女の姿はどこへか消えて見えなかったのでした。
それからは、この村では、はまねこを捕るものがなかったのです……。
子供たちは、この昔噺を、おじいさんや、おばあさんから聞いたことがなかったでしょうか? 子供たちが遊ぶ、砂山の下には、波が、岩に打ち寄せて砕けています。そして、雪のように白いかもめが、晩方の空にたくさん飛んでいました。
底本:「定本小川未明童話全集 8」講談社
1977(昭和52)年6月10日第1刷発行
1982(昭和57)年9月10日第6刷発行
底本の親本:「青空の下の原っぱ」六文館
1932(昭和7)年3月
初出:「国民新聞」
1931(昭和6)年11月2日
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:津村田悟
2019年3月29日作成
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