文盲自嘲
太宰治


 先夜、音樂學校の古川といふ人が、お見えになり、その御持參の鞄から葛原しげる氏の原稿を取り出し、私に讀ませたのですが、生れつき小心な私は、讀みながら、ひどく手先が震へて困りました。かういふ事が、いつか必ず起るのではないかと、前から心配してゐたのでした。私は、「新風」といふ雜誌の七月創刊號に、「盲人濁笑」といふ三十枚ほどの短篇小説を發表しました。それは、葛原勾當日記の、假名文字活字日誌を土臺にして、それに私の濁創も勝手に加味し、盲人一流藝者の生活を、おぼつかなく展開してみたものでした。けれども、この勾當の正孫の、葛原しげる氏は、私たち文士の大先輩として、お元氣で、この東京にいらつしやる樣子なのですから、書きながら、ひどく氣になつて居りました。御住所を搜し、こちらからお訪ねして、なほ精しく故人の御遺徳をも伺ひ、それから、私ごとき非文不才の貧書生に、この活字日誌の使用を御許可下さるかどうか、改めてお願して、そのおゆるしを得て、はじめて取りかかるべき筋合ひのものであるとは、不徳の小文士と雖も、まづは心得て居りました。それが、締切日の關係やら、私のせつかちやら、人みしりやらで、たうとうその禮を盡さぬままにて、發表しました。お叱りは、覺悟の上でありました。けれどもいま、葛原しげる氏の原稿を拜讀して、そんなに、嚴しいお叱りも無いので、狡猾の小文士は思はず、にやりと笑ひ、ありがたしと膝を崩さうとした、とたんに、いけませんでした。「ゑちごじし、九十へんとは、それあ聞えませぬ太宰くん。」とありました。逃げようにも、逃げられません。いたづらに、「やあ、それは困つた。やあ、それは、しまつた。」などと阿呆な言葉ばかりを連發し、湯氣の出るほどに赤面いたしました。文盲不才、いさぎよく罪に服さうと存じます。他日、創作集の中に編入する時には、「四きのながめ。琴にて。三十二へん。」と訂正いたします。

 まことに、重ね重ねの御無禮を御海容下さらば幸甚に存じます。秋深く、蟲の音も細くなりました。鏤心の秋、琴も文も同じ事なり、まづしい精進をつづけて行かうと思ひます。

底本:「太宰治全集11」筑摩書房

   1999(平成11)年325日初版第1刷発行

初出:「琴 第一輯」

   1942(昭和17)年10月発行

入力:小林繁雄

校正:阿部哲也

2011年1012日作成

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