現下に於ける童話の使命
小川未明
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この度、日本国民童話協会が創立されまして衷心からお喜びの言葉を申し上げます。就きましては、この機会に聊か私見を述べ、またこれからさき出発せられる皆様に対して希望を申し上げ度いと思うのであります。
今迄童話をお話になる皆様は、各〻各所に於いて特色を発揮され、民衆の教化又子供の教化に当たられて来たのであります。そうしてそれぞれ立派な仕事をなされて来たのであります、それが凡ての利害を棄てて、今度ここに合同され一つの指導原理に統一されたと云う事は、今日の日本にとって、教化運動に於ける一大動力となるべきものと考え、喜ばしく存ずるのであります。
そうして凡ての文化運動も斯うなければならぬと思います。何故ならば、日本は何れの方面に於いても非常時に際会して居ります。就中、思想問題に於いて、今民族文化と云うものが創造されなければ、如何に外に於いて日本が完全に戦っても駄目である。この思想問題の行き詰まって居るのを打開しなければならぬと云う使命が、文化人の上に重く掛かって来た事であると思います。民族文化を如何にして振興するか。これは一言にして云えば、民族悉くが振るいたって、一つの目的に向かって邁進しなければ到底駄目である。それをするには国民に一つの希望を持たせ、目的を持たせなければならぬ、これは即ち童話の使命であると思います。
童話と云うものを余りに低く評価して来たのでないか。今日の子供の頭を統一して行く、子供の思想を統一する、子供を何処に連れて行くかと云う事が、指導階級に分かって居ったならば、児童の思想統一は軈て日本国民の思想統一になると思います。青少年の思想統一を抜きにして、国民の思想統一はあり得ないと思います。それは文化の上に於いて色々の分野がありましょうけれども、私は矢張り童話と云うものは非常な力を持って来るのではないかと思います。
何故かと云うと私共は、日本の昔話に依って教化されて来たのであります。我々の聞いた昔話は、今から見れば色々に欠点もあったでしょう。併しながら仇討ちの話にしても、滑稽な話にしても、どんな話をとって来ても、そこには昭々たる伝統があった。伝統に準じて話が出来て居った。そこには矢張り祖先の訓戒があった。民俗の血が流れて居った。矢張り昔のお話には、日本国民の伝統的精神が、その中にあった。これが矢張り子供達に与えた感銘と云うものは深いのであって、我々が今日斯うやって成長して居るのも、世の中を見る目を養われたのも、子供の中に聞いたお話が、余程力になって居ると云う。それのみならず斯う云うお話が日本の各農村及び都会にお話されて行くと云う事は、要するには国民の心と心とを結合する作用をなして居った。お話に依って思想の統一を図り、国民の融和を図ると云う事は、知らず、知らずの間に出来る事であって、お話の使命の尊い事は、ここにあると思います。
それが明治以降になりまして、文化が分裂して、職業化して行きましたから、お話と云うものが、何時しか民族の大きな倫理観と云うか或いは宇宙観、或いは人生観と云うものが壊れてしまって、子供だけを対象として語ると云う商品的な形をとって行った。それから職業化して行ったと云う、お話の堕落がここにあるのではないかと思います。併しこれはお話ばかりでなく、社会の制度、機構が行き詰まって来たので独りお話のみを云うのではない。
兎に角今度の事変が、日本国民の自覚を促したと云う事は事実であって、この自覚を促したと云う事は、日本の使命と云うものは余りに大きくなりまして、今は民族だけの問題でなくて、アジアの問題に発展して来て居るのでありますが、それは又一面から見れば、アジアの新しい神話が創造され、お伽噺が生まれ、童話が生まれて来る時期であります。
それで私つくづく考えますのに、今こそ一番童話が国内を統一し、そうして東亜共栄圏の結束を促すと云う上にも、童話の使命が重くなるじゃないかと思います。日本は何処に行くかと云う前に、私は矢張り今日の日本が日本精神に立ち返って、新アジア建設、新アジア秩序の中核を作って行かなければならぬ。今迄の強い者勝ちの世界は、昨日のもので、今は共栄で行かなければならぬ事は、一つの原理になって居る。ヨーロッパに於いてすでに然りであります。これは換言すれば、東洋思想の勝利であって、更に云えば日本精神の勝利でないかと思います。
日本が東亜新秩序建設となって今迄の物質的から精神的に生き、弱肉強食の帝国主義的考えから離脱して、弱い者を助け、強い者を挫くと云う所に生き、一宿一飯の恩にも深く感じ、憐れを持ち実利よりも恥を重んずると云う日本精神の発現以外に私は東亜新秩序と云うものが出ないのであると思います。今迄の様に或る一国が力に於いても、或いは経済に於いても、弱い者を圧して行くと云う事は、結局出来ない事であって、矢張り一緒に歩いて行って、而して自ら徳が彼等に感染し、訓化して行って八紘一宇の精神を実現する以外に道はないのであります。
それにしても現在余りに精神革命と云い、凡ゆる方面に於いて急速な事は好まれない。矢張り児童を通して児童の教化が一番いいじゃないかと思います。十年、二十年は直ぐ過ぎてしまう。今の子供達がアジア四億の子供達と一緒に、アジアを建設する時に、或いは世界を建設する時に、実際しっかりして居ったならば、どんな思想が来ようとも、どんな目に遭おうが大丈夫であって、人間が出来なければ私は到底駄目だと思う。如何なる思想に対しても、如何なる艱難に対してもしのいで行って、弱い者を助けて、共に進んで行くと云う任侠の精神がなければ、東亜新秩序の建設は出来ないと思うのでありますが、それを期待するのは矢張り現在の子供でないかと思います。それにしてはこれらのお話が、日本の性格東洋の風格と云うものを強くお話の中に錯綜して、人と人を結んだお話は、東洋諸国を結合する楔となるじゃないかと思います。
そう云う様に童話の使命は重くある。童話を語る人の使命も重いですが、現在これから童話を以て子供を指導される方は、日本の新しい子供を作る、日本の子供を教化する前に、自己革命が必要だと思う。そればかりでなく、凡ての指導者がそうだと思うですが、長い間の功利思想に成長して来た父兄に対して、又その下に人となりつつあった子供に対して感化と云う事は生易しいものでないと思います。私は文字を通して、その自覚を促すよりも、人格的接触に於いて、お話する人々が、父兄を前に置いて、自分の情熱と自分の魂を以て訓化するより道はないじゃないかと思います。そう云う意味で指導者たらんとする者は、先ず自分の革命が大事じゃないかと思います。
特にこの児童の教化ですが、童話を書く人や或いは童話を話す者だけで、果たしてこの完璧を期せられるかと云う事は疑われるのであります。児童の凡ての文化機関が一元化して、一つの溌剌たる理念の下に結合して初めて可能なる事でないかと思います。軈て日本の児童文化も、そこ迄発展して行くものと私は期待して居るのでありますが、兎に角この童話を書く人間は、作品を通して大政に翼賛し、お話をする人は、そのお話を通して大政に翼賛されて、今日の非常時局に向かって打開して、そうして輝かしい未来に向かって精進されん事を希望する次第であります。
底本:「定本小川未明童話全集 13」講談社
1977(昭和52)年11月10日第1刷発行
1983(昭和58)年1月19日第5刷発行
底本の親本:「新しい児童文学の道」フタバ書院成光館
1942(昭和17)年2月
初出:「蚕糸会館に於ける日本国民童話協会発会式講演」
1941(昭和16)年6月3日
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2018年3月26日作成
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