義務
太宰治



 義務の遂行とは、並たいていの事では無い。けれども、やらなければならぬ。なぜ生きてゐるか。なぜ文章を書くか。いまの私にとつて、それは義務の遂行の爲であります、と答へるより他は無い。金の爲に書いてゐるのでは無いやうだ。快樂の爲に生きてゐるのでも無いやうだ。先日も、野道をひとりで歩きながら、ふと考へた。「愛といふのも、結局は義務の遂行のことでは無いのか。」

 はつきり言ふと、私は、いま五枚の隨筆を書くのは、非常な苦痛なのである。十日も前から、何を書いたらいいのか考へてゐた。なぜ斷らないのか。たのまれたからである。二月二十九日までに五、六枚書け、といふお手紙であつた。私は、この雜誌(文學者)の同人では無い。また、將來、同人にしてもらふつもりも無い。同人の大半は、私の知らぬ人ばかりである。そこには、是非書かなければならぬ、といふ理由は無い。けれども私は、書く、といふ返事をした。稿料が欲しい爲でもなかつたやうだ。同人諸先輩に、媚びる心も無かつた。書ける状態に在る時、たのまれたなら、その時は必ず書かなければならぬ、といふ戒律のために「書きます」と返事したのだ。與へ得る状態に在る時、人から頼まれたなら、與へなければならぬといふ戒律と同斷である。どうも、私の文章の vocabulary は大袈裟なものばかりで、それゆゑ、人にも反撥を感じさせる樣子であるが、どうも私は、「北方の百姓」の血をたつぷり受けてゐるので、「高いのは地聲ぢごゑ」といふ宿命を持つてゐるらしく、その點に就いては、無用の警戒心は不要にしてもらひたい。自分でも、何を言つてゐるのか、わからなくなつて來た。これでは、いけない。坐り直さう。

 義務として、書くのである。書ける状態に在る時、と前に言つた。それは高邁のことを言つてゐるのでは無い。すなはち私は、いま鼻風邪をひいて、熱も少しあるが、寢るほどのものでは無い。原稿を書けないといふほどの病氣でも無い。書ける状態に在るのである。また私は、二月二十五日までに今月の豫定の仕事はやつてしまつた。二十五日から、二十九日までには約束の仕事は何も無い。その四日間に、私は、五枚くらゐは、どうしたつて書ける筈である。書ける状態に在るのである。だから私は書かなければならない。私は、いま、義務の爲に生きてゐる。義務が、私のいのちを支へてくれてゐる。私一個人の本能としては、死んだつていいのである。死んだつて、生きてたつて、病氣だつて、そんなに變りは無いと思つてゐる。けれども、義務は、私を死なせない。義務は、私に努力を命ずる。休止の無い、もつと、もつとの努力を命ずる。私は、よろよろ立つて、鬪ふのである。負けて居られないのである。單純なものである。

 純文學雜誌に、短文を書くくらゐ苦痛のことは無い。私は氣取りの強い男であるから、(五十になつたら、この氣取りも臭くならない程度になるであらうか。なんとかして、無心に書ける境地まで行きたい。それが、唯一つのたのしみだ)たかだか五枚六枚の隨筆の中にも、私の思ふこと全部を叩き込みたいと力むのである。それは、できない事らしい。私はいつも失敗する。さうして、また、そのやうな失敗の短文に限つて、實によく先輩、友人が讀んでゐる樣子で、何かと忠告を受けるのである。

 所詮は、私はまだ心境ととのはず、隨筆など書ける柄では無いのである。無理である。この五枚の隨筆も、「書きます」と返事してから、十日間も私は、あれこれと書くべき材料を取捨してゐた。取捨では無い。捨てることばかり、やつて來た。あれもだめ、これもだめ、と捨ててばかりゐて、たうとう何も無くなつた。ちよつと座談では言へるのであるが、ことごとしく純文學雜誌に「昨日、朝顏を植ゑて感あり」などと書いて、それが一字一字、活字工に依つて拾はれ、編輯者に依つて校正され、(他人のつまらぬ呟きを校正するのは、なかなか苦しいものである。)それから店頭に出て、一ヶ月間、朝顏を植ゑました、朝顏を植ゑました、と朝から晩まで、雜誌の隅で繰り返し繰り返し言ひつづけてゐるのは、とても、たまらないのである。新聞は、一日きりのものだから、まだ助かるのである。小説だつたら、また、言ひたいだけのことは言ひ切つて在るのだから、一月ぐらゐ、店頭で叫びつづけても、惡びれない覺悟もできてゐるが、どうも、朝顏有感は、一ヶ月、店頭で呟きつづける勇氣は無い。

底本:「太宰治全集11」筑摩書房

   1999(平成11)年325日初版第1刷発行

初出:「文學者 第二巻第四号」

   1940(昭和15)年41日発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:小林繁雄

校正:阿部哲也

2011年1012日作成

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