三国志
草莽の巻
吉川英治
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「なに、無条件で和睦せよと。ばかをいい給え」
郭汜は、耳もかさない。
それのみか、不意に、兵に令を下して、楊彪について来た大臣以下宮人など、六十余人の者を一からげに縛ってしまった。
「これは乱暴だ。和議の媒介に参った朝臣方を、なにゆえあって捕え給うか」
楊彪が声を荒くしてとがめると、
「だまれっ。李司馬のほうでは、天子をさえ捕えて質としているではないか。それをもって、彼は強味としているゆえ、此方もまた、群臣を質として召捕っておくのだ」
傲然、郭汜は云い放った。
「おお、なんたることぞ! 国府の二柱たる両将軍が、一方は天子を脅かして質となし、一方は群臣を質としてうそぶく。浅ましや、人間の世もこうなるものか」
「おのれ、まだ囈言をほざくかっ」
剣を抜いて、あわや楊彪を斬り捨てようとしたとき、中郎将楊密が、あわてて郭汜の手を抑えた。楊密の諫めで、郭汜は剣を納めたけれども縛りあげた群臣はゆるさなかった。ただ楊彪と朱雋の二人だけ、ほうりだされるように陣外へ追い返された。
朱雋は、もはや老年だけに、きょうの使いには、ひどく精神的な打撃をうけた。
「ああ。……ああ……」
と、何度も空を仰いで、力なく歩いていたが、楊彪をかえりみて、
「お互いに、社稷の臣として、君を扶け奉ることもできず、世を救うこともできず、なんの生き甲斐がある」と歎いた。
果ては、楊彪と抱きあって、路傍に泣きたおれ、朱雋は一時昏絶するほど悲しんだ。
そのせいか、老人は、家に帰るとまもなく、血を吐いて死んでしまった。楊彪が知らせを受けて馳けつけてみると、朱雋老人の額は砕けていた。柱へ自分の頭をぶっつけて憤死したのである。
朱雋でなくとも、世の有様を眺めては、憤死したいものはたくさんあったろう。──それから五十余日というもの、明けても暮れても、李傕、郭汜の両軍は、毎日、巷へ兵を出して戦っていた。
戦いが仕事のように。戦いが生活のように。戦いが楽しみのように。意味なく、大義なく、涙なく、彼らは戦っていた。
双方の死骸は、街路に横たわり、溝をのぞけば溝も腐臭。木陰にはいれば木陰にも腐臭。──そこに淋しき草の花は咲き、虻がうなり、馬蠅が飛んでいた。
馬蠅の世界も、彼らの世界も、なんの変りもなかった。──むしろ馬蠅の世界には、緑陰の涼風があり、豆の花が咲いていた。
「死にたい。しかし死ねない。なぜ、朕は天子に生れたろうか」
帝は、日夜、御涙の乾く時もなく沈んでおられた。
「陛下」
侍中郎の楊琦がそっとお耳へささやいた。
「李傕の謀臣に、賈詡という者がおります。──臣がひそかに見ておりますに、賈詡には、まだ、真実の心がありそうです。帝の尊ぶべきことを知る士らしいと見ました。いちどひそかにお召しになってごらんなさい」
或る時、賈詡は用があって、帝の幽室へはいって来た。帝は人をしりぞけて突然陪臣の賈詡の前に再拝し、
「汝、漢朝の乱状に義をふるって、朕にあわれみを思え」と、宣うた。
賈詡は、驚いて、床にひざまずき、頓首して答えた。
「今の無情は、臣の心ではありません。時をお待ち遊ばしませ」
そこへ、折悪く李傕がはいってきた。長刀を横たえ、鉄の鞭をさげ、帝の顔をじっと睨みつけたので、帝は、お顔を土気色にして恐れおののいた。
「すわ!」
と侍臣達は万一を思って、帝のまわりに総立ちになり、おのおの、われを忘れて剣を握った。
その空気に、かえって李傕のほうが、怖れをなしたらしく、
「あははは。なにを驚いたのかね。……賈詡、なんぞ面白いはなしでもないか」
などと笑いにまぎらして、間もなく外へ立ち去った。
李傕の陣中には、巫女がたくさんいた。みな重く用いられ、絶えず帷幕に出入りして、なにか事あるごとに、祭壇に向って、祷りをしたり、調伏の火を焚いたり、神降しなどして、
「神さまのお告げには」と、妖しげなご託宣を、李傕へ授けるのであった。
李傕は、おそろしく信用する。何をやるにもすぐ巫女を呼ぶ。そして神さまのお告げを聴く。
巫女の降す神は邪神とみえ、李傕は天道も人道も怖れない。いよいよ乱を好んで、郭汜といがみあい、兵を殺し、民衆を苦しめてかえりみなかった。
彼と同郷の産、皇甫酈は、或る時、彼を陣中に訪れて、
「無用な乱は、よい加減にやめてはどうです。君も国家の上将として、爵禄を極め、何不足もないはずなのに」と、いった。
李傕は、嘲笑って、
「君は、何しに来たか」
と、反問した。
皇甫酈もニヤリとして、
「どうも、将軍はすこし神懸りにかかっているようだから、将軍に憑いている邪神を掃い落して上げようと思って来た」と、答えた。
彼は、弁舌家なので、滔々と舌をふるい、私闘のために人民を苦しめたり、天子を監禁したりしている彼の罪を鳴らし、今にして悔い改めなければ、ついに、天罰があたるといった。
李傕は、いきなり剣を抜いて、彼の顔に突きつけ、
「帰れっ。──まだ口を開いていると、これを呑ませるぞ」と、どなりつけた。そして、「──さては、天子の密旨をうけて、おれに和睦をすすめに来たな。天子のご都合はよいか知らぬが、おれには都合が悪い。誰かこの諜者をくれてやるから、試し斬りに用いたい者はいないか」
すると、騎都尉の楊奉が、
「それがしにお下げください。内密のお差向けとは申せ、将軍が勅使を虐殺したと聞えたら、天下の諸侯は、敵方の郭汜へみな味方しましょう。将軍は世の同情を失います」
「勝手にしろ」
「では」と、楊奉は、皇甫酈を、外へ連れ出して放してやった。
皇甫酈は、まったく、帝のお頼みをうけて、和睦の勧告に来たのだったが、失敗に終ったのでそこから西涼へ落ちてしまった。
だが、途々、「大逆無道の李傕は、今に天子をも殺しかねない人非人だ。あんな天理に反いた畜生は、必ずよい死に方はしないだろう」
と、云いふらした。
ひそかに、帝に近づいていた賈詡も、暗に、世間の悪評を裏書きするようなことを、兵の間にささやいて、李傕の兵力を、内部から切りくずしていた。
「謀士賈詡さえ、ああ云うくらいだから、見込みはない」
脱走して、他国や郷土へ落ちてゆく兵がぼつぼつ殖えだした。
そういう兵には、
「おまえたちの忠節は、天子もお知りになっておる。時節を待て。そのうちに、触れが廻るであろうから」と、云いふくめた。
一隊、一隊と、目に見えて、李傕の兵は、夜の明けるたび減って行った。
賈詡は、ほくそ笑んだ。そしてまた、或る時、帝に近づいて献策した。
「この際、李傕の官職を大司馬にのぼせ、恩賞の沙汰をお降し下さい──目をおつぶり遊ばして」
李傕は、煩悶していた。夜が明けるたび営中の兵が減って行く。
「なにが原因か?」
考えても、分からなかった。
不機嫌なところへ、反対に、思いがけない恩賞が帝から降った。彼は有頂天になって、例のごとく巫女を集め、
「今日、大司馬の栄爵を賜わった。近いうちに、何か、吉事があると、おまえ達が預言したとおりだった。祈祷の験はまことに顕かなもんだ。おまえ達にも、恩賞をわけてつかわすぞ」
と、それぞれの巫女へ、莫大な褒美を与えて、いよいよ妖邪の祭りを奨励した。
それにひきかえ将士には、なんの恩賞もなかった。むしろこの頃、脱走者が多いので叱られてばかりいた。
「おい楊奉」
「やあ、宋果か。どこへゆく」
「なに……。ちょっと、貴公に内密で話したいと思って」
「なんだ? ここなら誰もいないが、君らしくもなく、ふさいでいるじゃないか」
「楽しまないのは、この宋果ばかりではない。おれの部下も、営内の兵は皆、あんなに元気がない。これというのも、われわれの大将が将士を愛する道を知らないからだ──悪いことはみな兵のせいにし、よいことがあれば、巫女の霊験と思っている」
「ううム。……まったく、ああいう大将の下にいたら、将士も情けないものだ。われわれは常に、十死に一生をひろい、草を喰い石に臥し修羅の中に生命をさらして働いている者だが……その働きはあの巫女にも及ばないのだから」
「楊奉。──お互いに部下をあずかる将校として部下が可哀そうじゃないか」
「でも仕方があるまい」
「それで実は、君に……」と、同僚の宋果は、一大決心を、楊奉の耳へささやいた。
叛乱を起そうというのだ。楊奉も異存はない。天子を扶けだしてやろうとなった。
その夜の二更に、宋果は、中軍から火の手をあげる合図だった。──楊奉は、外部にあって、兵を伏せていた。
ところが、時刻になっても、火の手はあがらない。物見を出してうかがわせると、事前に発覚して、宋果は、李傕に捕われて、もう首を刎ねられてしまったとある。
「しまった」と、狼狽しているところへ、李傕の討手が、楊奉の陣へ殺到して来た。すべてが喰い違って、楊奉は度を失い、四更の頃まで抗戦したが、さんざんに打負かされて、彼はついに夜明けとともに、何処ともなく落ちのびてしまった。
李傕の方では、凱歌をあげたが、おかしなものである。実はかえって大きな味方の一勢力を失ったのだ。──日をおうに従って、彼の兵力はいちじるしく衰弱を呈してきた。
一方、郭汜軍も、ようやく、戦い疲れていた。そこへ、陝西地方から張済と称する者が、大軍を率いて仲裁に馳け上り、和睦を押しつけた。
いやといえば、新手の張済軍に叩きのめされるおそれがあるので、
「爾今、共に協力して政事をたて直そう」と、和解した。
質となっていた百官も解放され、帝もはじめて眉をひらいた。帝は張済の功を嘉し、張済を驃騎将軍に命じた。
「長安は大廃しました。弘農(陝西省・西安附近)へお遷りあってはいかがです」
張済のすすめに、帝も御心をうごかした。
帝には、洛陽の旧都を慕うこと切なるものがあった。春夏秋冬、洛陽の地には忘れがたい魅力があった。
弘農は、旧都に近い。御意はたちまち決った。
折しも、秋の半ば、帝と皇后の輦は長い戟を揃えた御林軍の残兵に守られて、長安の廃墟を後に、曠茫たる山野の空へと行幸せられた。
行けども行けども満目の曠野である。時しも秋の半ば、御車の簾は破れ、詩もなく笑い声もなく、あるはただ、惨心のみであった。
旅の雨にあせた帝の御衣には虱がわいていた。皇后のお髪には油の艶も絶え、お涙の痩せをかくすお化粧の料もなかった。
「ここは何処か」
吹く風の身に沁みるまま帝は簾のうちから訊かれた。薄暮の野に、白い一水が蜿々と流れていた。
「覇陵橋の畔です」
李傕が答えた。
間もなく、その橋の上へ、御車がかかった。すると、一団の兵馬が、行手をふさぎ、
「車上の人間は何ものだ」と、咎めた。
侍中郎の楊琦が、馬をすすめ、
「これは、漢の天子の弘農へ還幸せらるる御車である。不敬すな!」と、叱咤した。
すると、大将らしい者二人、はっと威に恐れて馬を降り、
「われわれどもは、郭汜の指図によって、この橋を守り、非常を戒めている者でござるが、真の天子と見たならば、お通し申さん。願わくは拝をゆるされたい」
楊琦は、御車の簾をかかげて見せた。帝のお姿をちらと仰ぐと、橋を固めていた兵は、われを忘れて、万歳を唱えた。
御車が通ってしまった後から、郭汜が馳けつけて来た。そして、二人の大将を呼びつけるなり呶鳴りつけた。
「貴様たちは、なにをしていたのだ。なぜ御車を通したか」
「でも、橋を固めておれとのお指図はうけましたが、帝の玉体を奪い取れとはいいつかりませんでした」
「ばかっ。おれが、張済のいうに従って、一時兵を収めたのは、張済を欺くためで、心から李傕と和睦したのじゃない。──それくらいなことが、わが幕下でありながら分らんのかっ」
と、二人の将を、立ちどころに縛めて、その首を刎ねてしまった。
そして、声荒く、
「帝を追えっ」
と、罵って、兵を率いて先へ急いだ。
次の日、御車が華陰県をすぐる頃に、後から喊の声が迫った。
振向けば、郭汜の兵馬が、黄塵をあげて、狂奔してくる。帝は、あなとばかり声を放ち、皇后は怖れわなないて、帝の膝へしがみついてはや、泣き声をおろおろと洩らし給う。
前後を護る御林の兵も、きわめて僅かしかいないし、李傕もすでに、長安で暴れていたほどの面影はない。
「郭汜だ。どうしよう」
「おお! もうそこへ」
宮人たちは、逃げまどい、車の陰にひそみ、唯うろたえるのみだったが──時しもあれ一彪の軍馬がまた、忽然と、大地から湧きだしたように、彼方の疎林や丘の陰から、鼓を打鳴らして殺到した。
意外。意外。
帝を護る人々にも、帝の御車を追いかけて来た郭汜にも、それはまったく意外な者の出現だった。
見れば──
その勢一千余騎。まっ黒に馳け向って来る軍の上には「大漢楊奉」と書いた旗がひらめいていた。
「あっ。楊奉?」
誰も、その旗には、目をみはったであろう。先頃、李傕に叛いて、長安から姿を消した楊奉を知らぬはない。──彼はその後、終南山にひそんでいたが、天子ここを通ると知って、にわかに手勢一千を率し、急雨の山を降るが如く、野を捲いて、これへ馳けて来たものだった。
楊奉の部下に、徐晃、字を公明と称ぶ勇士がある。
栗色の駿馬に乗り、大斧をふりかぶって、郭汜の人数を蹴ちらして来た。それに当る者は、ほとんど血煙と化して、満足な形骸も止めなかった。
郭汜の手勢を潰滅してしまうと楊奉はまた、その余勢で、
「鑾輿を擁して逃亡せんとする賊どもを、一人も余さず君側から掃蕩してしまえ」
と、徐晃にいいつけた。
「心得た」とばかり、徐晃は、火焔の如き血の斧をふりかぶって、栗色の駒を向けてきた。
御車を楯に隠れていた李傕とその部下は、戦う勇気もなくみな逃げ奔った。しかし、宮人たちは帝を捨てて逃げもならず、一斉に地上に坐って、楊奉の処置にまかせていた。
楊奉は、やがて戟をおさめると、兵を整列させて、御車を遥拝させた。そして彼自身は、盔を手に持って、帝の簾下にひざまずいて頓首していた。
帝は、歓びのあまり御車を降りて、楊奉の手を取られた。
「危うきところを救いくれし汝の働きは、朕の肺腑に銘じ、永く忘れおかぬぞ」
そして、また、「先に、大斧を揮っていた目ざましき勇士は何者か」と、訊ねられた。
楊奉は、徐晃をさしまねいて、
「河東楊郡の生れで徐晃、字を公明といい、それがしの部下です」
と奏して、徐晃にも、光栄を頒った。
その夜。
帝の御車は、華陰の寧輯という部落にある楊奉の陣所へ行って、営中にお泊りになった。
夜明け方、そこを出発なさろうと準備していると、「敵だッ」と、思わぬ声が走った。
朝討ちを狙って来た昨日の敵の逆襲だった。しかも昨日に数倍する大軍で襲せて来たのである。
楊奉におわれた李傕と楊奉に粉砕された郭汜とが、お互いに敗軍の将となり下がって、同傷の悲憤を憐れみ合い、
(ここはお互いに団結して、邪魔者の楊奉を除いてしまおうではないか。さもないと、二人とも、憂き目を見るにきまっている)と、にわかに、協力しだして、昨夜からひそかに蠢動し、近県の無頼漢や山賊の類まで狩りあつめて、さてこそ、わあっと一度に営を取囲んだものだった。
徐晃は、きのうに劣らぬ奮戦ぶりを示したが、味方は小勢だし、それに何といっても、帝の御車や宮人たちが足手まといとなって、刻々、危急にひんして来た。
折から、幸いにも、帝の寵妃の父にあたる董承という老将が、一隊の兵を率いて、帝の御車を慕って来たので、帝は、虎口を脱して、先へ逃げ落ちて行かれた。
「やるな、御車を」
「帝を渡せ」
と、郭汜、李傕の部下は、叱咤されながら、御車を追いかけて来た。
楊奉は、その敵が、雑多な雑軍なのを見て、
「珠玉、財物を、みな道へ捨てなさい」
と、帝や随臣にすすめた。
皇后には、珠の冠や胸飾りを、帝には座右の符冊典籍までを、車の上から惜しげなく捨てられた。
宮人や武将たちも、衣をはぎ、金帯をはずし、生命にはかえられないと、持つ物をみな撒き捨てて奔った。
「やあ、珠が落ちてる」
「釵があった」
「金襴の袍があるぞ」
追いかけて来た兵は皆、餓狼のごとく地上の財物に気をとられてそれを拾うに、われ勝ちな態だった。
「ばか者っ、進め! 帝の御車を追うんだっ。そんな物を拾っていてはならん」
と、李傕や郭汜が、馬で蹴ちらして喚いても、金襴や珠にたかっている蛆虫はそこを離れなかった。彼らには、帝王の轍の跡を追うよりは手に抱えた百銭の財の方がはるかに大事だった。
陝西の北部といえば、まだ未開の苗族さえ住んでいる。人文に遠い僻地であることはいうまでもない。
目的のために狎れ合った郭と李の聯合勢が、どこまでも執拗に追撃して来るので、帝の御車は道をかえて、遂にそんな地方へ逃げ隠れてしまわれた。
「この上はやむを得ません。白波帥の一党へ、聖旨を降して、お招きなさいませ。彼らをもって、郭汜、李傕の徒を追いしりぞけるのが、残されているたった一つの策かと思われます」
と、帝の周囲は、帝にすすめ参らせた。
白波帥とは、何者の党か。
帝には、ご存じもない。
いわるるまま詔書を発せられた。
いかに乱世でも、思いがけないことが降って来るもの哉──と、それを受けた白波帥の頭目どもは驚いたにちがいない。
彼らは、太古の山林に住み、旅人や良民の肉を喰らい血にうそぶいて生きている緑林の徒──いわゆる山賊強盗を渡世とした輩だったからである。
「おい。出向いてみようか」
「ほんとかい。天子の詔書が、俺たちを呼びにくるなんて」
「嘘じゃあるめえ。なんでも、長安のどさくさから、逃げ惑っておいでなさるってえ噂はちらほら聞えている」
「一党を率いて、出向いたところを一網に御用ってな陥し穽じゃあるめえな」
「先にそんな軍勢がいるものか。いつまで俺たちも、虎や狼の親分でいても仕方がねえ。一足跳びの立身出世は今この時だ。手下を率き連れて出かけよう」
李楽、韓暹、胡才の三親分は、評議一決して、山林の豺狼千余人を糾合し、
「おれたちは、今日から官軍になるんだ。ちっとばかり、行儀を良くしなくッちゃいけねえぞ」
と、訓令して、馳せつけた。
味方を得て、御車はふたたび、弘農をさして急いだ。途上、たちまち郭と李の聯合勢とぶつかった。
彼らの軍にも、土匪山賊がまじっている、猛獣と猛獣の咬みあいだ。その惨たることは、太陽も血に黒く霞むばかりだった。
「敵兵はあらかた緑林の仲間だな」
そう気がつくと、郭汜は先ごろ自分の兵が御車の上や扈従の宮人たちの手から、撒き捨てられた財物に気を奪われたことを思い出して、その折、兵から没収して一輛の車に積んでいた財物や金銀を戦場へ向って撒きちらした。
果たして、李楽らの手下は、戦をやめて、それをあばき合った。
ために、せっかくの官軍も、なんの役にも立たなくなったばかりか、胡才親分は討死してしまい、李楽も御車を追って、生命からがら逃げだした。
帝の御車は、ひた急ぎに、黄河の岸まで落ちて来られた。──李楽は断崖を下りて、ようやく一艘の舟を探しだしたが、岸壁は屏風のような嶮しさで、帝は下を覗かれただけで、絶望の声を放たれ、皇后には、よよと哭き惑われるばかりだった。
楊奉、楊彪らの侍臣も、「どうしたものか」と、思案に暮れたが、敵は早くも間近まで追い詰めて来た様子──しかも前後に見える味方はもうきわめて僅かだった。
皇后の兄にあたる伏徳という人が、数十匹の絹を車から下ろして、天子と皇后の御体をつつんでしまい、絶壁の上から縄で吊り下ろした。
ようやく、小舟に乗ったのは、帝と皇后のほかわずか十数人に過ぎなかった。それ以外の兵や、遅れた宮人たちも、黄河の水に跳びこんで、共に逃げ渡ろうと、水中から舷へ幾人もの手が必死にしがみついたが、
「駄目だ、駄目だ。そう乗っちゃあ、俺たちが助からねえ」
と、李楽は剣を抜いて、その指や手頸をバラバラ斬り離した。ために、舷をうつしぶきも赤かった。
ここまで帝にかしずいて来た宮人らも、あらかた舟に乗り遅れて殺されたり、また舷に取りすがった者も、情け容赦なく突き離されて、黄河の藻屑となってしまった。
帝は滂沱の御涙を頬にながして、
「あな、傷まし。朕、ふたたび祖廟に上る日には、必ず汝らの霊をも祭るであろう」
と、叫ばれた。
あまりの酷たらしさに皇后は、顔色もなくお在したが、舟がすすむにつれ、風浪も烈しく、いよいよ生ける心地もなかった。
ようやく、対岸に着いた時は、帝の御衣もびッしょり濡れていた。皇后は舟に暈われたのか、身うごきもなさらない。伏徳が背に負いまいらせてとぼとぼ歩きだした。
秋風は冷々と蘆荻に鳴る。曇天なので、人々の衣は、いとど乾かず、誰の唇も紫色していた。
それに、御車は捨ててもうないので、帝は裸足のままお歩きになるしかなかった。馴れないお徒歩なので、たちまち足の皮膚はやぶれて血をにじませ、見るだに傷々しいお姿である。
「もう少しのご辛抱です。……もうしばらく行けば部落があるかと思われますから」
楊奉は、お手を扶けながら、しきりと帝を励ましていたが、そのうちに後ろにいた李楽が、
「あっ、いけねえ! 対う岸の敵の奴らも漁船を引っぱりだして乗りこんで来るっ。ぐずぐずしていると追いつかれるぞ」と、例によって、野卑なことばで急きたてた。
楊奉は帝の側を去って、
「あれに一軒、土民の家が見えました。しばらく、これにてお待ちください」と、馳けて行った。
間もなく、彼は、彼方の農家から一輛の牛車を引っ張って来た。
もとより耕農に使うひどいガタ車であったが、莚を敷いて帝と皇后の御座をしつらえ、それにお乗せして、
「さあ、急ごう」と、楊奉が手綱をひいた。
李楽は、細竹をひろって、
「馳けろっ、馳けろっ」と、牛の尻を打ちつづけた。
車上の御座は、大浪の上にあるようにグワラグワラ揺れた。──灯ともる頃、ようやく、大陽という部落までたどりついて、農家の小屋を借り、帝の御駐輦所とした。「貴人がお泊りなさった」と、部落の百姓たちはささやきあったが、まさかそれが、漢朝の天子であろうとは知るわけもなかった。
そのうちに、一人の老媼が、
「貴人にあげて下さい」と、粟飯を炊いて来た。
楊奉の手から、それを献じると帝も皇后も、飢え渇えておられたところなので、すぐお口にされたが、どうしても喉を下らないご容子だった。
夜が明けると、
「やあ、これにおいでになったか」
と、乱軍の中ではぐれた太尉楊彪と太僕韓融の二人が、若干の人数をつれて探し当てて来た。
「では昨日、後から漁船に乗って黄河を渡って来たのは貴公だったのか」
と、楊奉を始め、扈従の人々も歓びあい、わけて帝には、この際一人の味方でも心強く思われるので、
「よくぞ無事で」と、またしても御涙であった。
それにしても、ここはいつまでもおる所ではない。少しも先へと、扈従の人々は、また牛車の上の素莚へ、帝と皇后をお乗せして部落を立った。
すると途中で、太僕韓融は、
「成功するや否やわかりませんが郭汜も李傕も手前を信用しています。この旧縁を力に、これから後へ戻って、彼らに兵を収めるように、一つ生命がけで、勧告してみましょう──彼らとて、肯かないこともないかと思われますから」と、人々へ告げて、一人道を引っ返して行った。
流民に等しい帝の漂泊は、なお幾日もつづいた。
後からぼつぼつ追いついて来た味方はあるが、それはほとんど野卑獰猛な李楽の手下ばかりだった。
だから李楽だけは一行の中でも二百余人の手下を持ち、誰よりも一番威張りだした。
太尉楊彪は、
「ひとまず、安邑県(山西省・函谷関の西方)へおいであって、しばし仮の皇居をお構え遊ばし、玉体を保たせられては如何ですか」と、帝へすすめた。
「よいように」
帝はもうすべてを観念なされているかのように見えた。
「さらば──」
と、牛車の龍駕は安邑まで急いだ。しかしこことて仮御所にふさわしいような家などはない。
「一時、ここにでも」と、人々が見つけた所は、土塀らしい址はあるが、門戸もなく、荒草離々と生い茂った中に、朽ち傾いた茅屋があるに過ぎなかった。
「まことに、これは朕がいま住む所にふさわしい。見よ、四方は荊棘のみだ。荊棘の獄よ」
と、帝は皇后にいわれた。
けれど、どんな廃屋でも、御所となれば、ここは即座に禁裏であり禁門である。
緑林の親分李楽も、帝に従ってから、征北将軍といういかめしい肩書を賜わっていたので、長安や洛陽の宮城を知らない彼は、ここにいても、結構いい気持になれた。
その増長がつのって、近頃は、側臣からする上奏を待たずに、ずかずか玉座へやって来て、
「陛下。あっしの子分どもも、ああやって、陛下のために苦労してきた奴らですから、ひとつ官職を与えてやっておくんなさい。──御史とか、校尉とか、なんとか、肩書をひとつ」
と、強請ったりした。
あまりの浅ましさに、侍臣たちがさえぎると、李楽はなおさら地を露わして、
「黙ッてろ、てめえたち!」と、朝官の横顔をはりたおした。
それくらいはまだ優しい方で、ひどく癇癪を起した時は、帝の側臣を蹴とばしたり、耳をつかんで屋外へほうりだしたりした。
帝には、それをご存じなので、李楽のいうままに、何事もうなずいておられた。けれど、官職を下賜されるには、玉璽がなければならない。筆墨や料紙はなんとか備えてあるが玉璽は今、お手許にない。──ゆえに、
「しばし待て」と、仰せられると李楽は、そんな故実など認めない。玉璽というのは、帝のご印章であろう、それならここでお手ずから彫らばすぐ間に合うではないかと無茶なことをいう。
「荊棘の木を切って来よ」
帝は、求められて、それを印材とし、彫刀もないので、錐をもって、手ずから印をお彫りになった。
李楽は、大得意だった。
子分たちの屯している中へ来て手柄顔に、わけを話し、「さあ、てめえには、御史をくれてやる。汝れは、校尉ってえ官職につかせてやろう。なおなお、おれのために、働けよ。──今夜はひとつ祝え。なに、酒がねえと。どこか村へ行って探して来い。たいがい床下をはがしてみると、一瓶や二瓶は出てくるものだ」
醜態暴状、見てはいられない。
ところへ、河東の太守王邑から、些細な食物と衣服が届けられた。──帝と皇后は、その施しでようやく、飢えと寒さから救われた。
前に。
帝の一行と別れて、ただ一名、李傕や郭汜に会って兵をやめるよう勧請してみる──と、途中から去った太僕韓融は、やがて、大勢の宮人や味方の兵をつれてこれへ帰って来た。
すぐ闕下に伏して、
「ご安心ください。彼らも、私の勧告に従って、兵戦を休め、沢山な捕虜をみな放してよこしました」と、奏上した。
あの暴将の李と郭が、一片の勧告でよくそんな神妙に心をひるがえしたものだ──と人々は怪しんだが、韓融からだんだん仔細をきいてみると、
「いや、彼らの良心よりも、飢饉の影響が否応なく、戦争をやめさせたのだ」
と、いうことであった。
秋から冬にかかってくると、その年の大飢饉は、深刻に、庶民の生活に現れてきた。
百姓たちは、棗を採って咬んだり、草を煮て、草汁を飲んでしのいだり、もうその草も枯れてくると枯草の根や、土まで喰ってみた。ここ茅屋の宮廷も、にわかに宮人が増して帝のお心は気づよくなったが、さしあたって、朝官たちの食う物に窮してしまった。
「洛陽へ還ろう」
帝は、しきりに、仰せられた。
すると、李楽がいつも、
「洛陽へ行っても、この飢饉は同じことだ」と、反対を唱えた。
しかし、朝臣の総意は、
「かかる狭小な地に、長く聖駕をお駐めするわけにはゆかぬ。洛陽は古から天子建業の地でもあれば──」と皆、還幸を望んでいた。
が、どうも李楽ひとりが、頑張るのでいつも評議はぶっこわしになる。
そこで、一夜、李楽が手下をつれて、また、村へ酒や女を捜しに行った留守の間に、かねて計り合わせていた朝臣や侍側の将たちは、にわかに御車をひき出し、
「洛陽へ還幸」
と、触れだした。
楊奉、楊彪、董承の輩が、御車を守護しつつ、闇を急いだ。──そして、幾日幾夜の難路を急ぎ、やがて箕関(河南省・河南附近)という所の関所にかかると、その夜もすでに四更の頃、四山の闇から点々と松明の光が閃めき迫って来て、それが喊の声に変ると、
「李傕、郭汜、この所にて待ち伏せたり」と、いう声が四方に聞えた。
楊奉は、おどろく帝をなぐさめて、
「いやいや何条、李傕や、郭汜がこんな所に出現しましょう。察するところ、李楽がいつわって、襲うて来たにちがいありません。──徐晃徐晃、徐晃やある」と呼ばわった。
「これにいます」
徐晃は、御車のうしろで答えた。楊奉は、命じて、
「殿軍は、汝にまかせる。きょうこそ、堪忍の緒をきってもよいぞ」と、いった。
「あっ」と、徐晃は歓び勇んで、
「お先へ、お先へ」と、御車を促した。
そして自身は、そこに踏みとどまり、やがて李楽が追いかけて来ると、馬上、大手をひろげて、
「獣っ、待てっ、これから先は洛陽の都門、獣類の通る道でないっ」と、どなった。
「なにッ、俺ッちを、獣だと。この青二才め」
喚きかかって来るのを引っぱずして、徐晃は、雷声一撃。
「よくも今日まで!」
と、日頃こらえにこらえていた怒りを一度に発して、大刀の下に見事李楽を両断してしまった。
幾度か、虎口を遁れ、百難をこえて、帝は、ようやく洛陽の旧都へ還られた。
「──ああ。これが洛陽だったろうか?」
帝は、憮然として、そこに立たれた。
侍衛の百官も、「変れば変るもの」と、涙を催さぬ者はなかった。
洛陽千万戸、紫瑠璃黄玉の城楼宮門の址も、今は何処?
見わたす限り草茫々の野原に過ぎなかった。石あれば楼台の址、水あれば朱欄の橋や水亭の玉池があった蹟である。
官衙も民家も、すべて、焼け石と材木を草の中に余しているだけだった。秋も暮れて、もう冬に近いこの蕭々たる廃都には、鶏犬の声さえしなかった。
でも、帝には、
「ここらが、温徳殿の址ではないか。この辺りか、商金門の蹟……」
と、なつかしげに禁門省垣の面影を偲びながら、半日もさまよい歩かれた。
それにつけても、董卓がこの都を捨てて、長安へ遷都を強いたあの時の乱暴さと、すさまじい兵乱の火が、帝のお胸に、悔恨となってひしと思い起された。
しかし、その董卓も、当時の暴臣どもも、多くは、すでに異郷で白骨になっている。──ただ今なお、董卓の遺臣の郭汜、李傕のふたりがあくまで、漢室の癌となって、帝に禍いしていた。
漢室と董卓とは、思えば、よほどの悪因縁に見える。
「人は住んでいないのであろうか」
帝は、あまりの淋しさに、扈従の人々をかえりみて問われた。
「以前の城門街あたりに、みすぼらしい茅屋が、数百戸あるようです。──それも連年の飢饉や疫病のために、辛くも暮している民ばかりのようです」
侍臣は、そうお答えした。
その後、公卿たちは、戸帳を作り、住民の数を詮議し、同時に年号も、
建安元年
と、改元した。
何にしても、皇居の仮普請が急がれたが、そういう状態なので、土木を起すにも人力はなし、また、朝廷に財もないので、きわめて粗末なただ雨露をしのぎ、政事を執るに足るだけの仮御所がそこに建てられた。
ところが。
仮御所は建っても、供御の穀物もなければ、百官の食糧もない。
尚書郎以下の者は、みな跣足となり、廃園の瓦を起して、畑を耕し、樹の皮をはいで餅とし、草の根を煮て汁としたりして、その日その日の生計に働いた。
また、それ以上の役人でも、どうせ朝廟の政務といっても、さし当って何もないので、暇があれば、山に入って木の実を採り、鳥獣を漁り、薪や柴を伐りあつめて来て、辛くも、帝の供御を調えた。
「あさましい世を見るものであります。けれど、いつまでこうしていても、ひとりでに、忠臣が顕れ、万戸が建ち並んで、昔日の洛陽にかえろうとも思われません。──なんとかご思案なければなりますまい」
或る時、太尉楊彪から、それとなく帝に奏上した。
もとより、帝にも、「よい策だにあれば」という思召しであるから、楊彪に、如何にせばよいかと、ご下問あると、楊彪はここに一策ありと次のような意見をのべた。
「今、山東の曹操は、良将謀士を麾下に集めて、蓄うところの兵数十万といわれています。ただ、彼に今ないものは、その旗幟の上に唱える大義の名分のみです。──今もし、天子、勅を下し給うて、社稷の守りをお命じあれば、曹操は風を望んで参りましょう」
帝は、楊彪の意見を、許容なされた。そこで間もなく、勅使は洛陽を立って、山東へ急ぎ下った。
山東の地は遠いが、帝が洛陽へ還幸されたことは、いちはやく聞えていた。
黄河の水は一日に千里を下る。夜の明けるたび、舟行の客は新しい噂を諸地方へ撒いてゆく。
「目に見えないが大きく動いている。刻々、動いて休まない天体と地上。……ああ偉大だ、悠久な運行だ。大丈夫たる者、この間に生れて、真に、生き甲斐ある生命をつかまないでどうする! おれもあの群星の中の一星であるに」
曹操は天を仰いでいた。
山東の気温はまだ晩秋だった。城楼の上、銀河は煙り、星夜の天は美しかった。
彼も今は往年の白面慷慨の一青年ではない。
山東一帯を鎮撫してから、一躍建徳将軍に封ぜられ、費亭侯の爵に叙せられ、養うところの兵二十万、帷幕に持つ謀士勇将の数も、今や彼の大志を行うに不足でなかった。
「これからだ!」
彼は、自分にいう。
「曹操が、曹操の生命を真につかむのは、これからだ。──われこの土に生れたり矣。──見よ、これからだぞ」
彼は、今の小成と栄華と、人爵とをもって、甘んじる男ではなかった。
その兵は、現状の無事を保守する番兵ではない。攻進を目ざしてやまない兵だ。その城は、今の幸福を偸む逸楽の寝床ではない、前進また前進の足場である。彼の抱負ははかり知れないほど大きい。彼の夢はたぶんに、詩人的な幻想をふくんではいる。けれど、詩人の意思のごとく弱くない。
「将軍。……そんな所においででしたか。宴席からお姿が見えなくなったので、皆どこへ行かれたのかと呟いています」
「やあ、夏侯惇か。いつになく今夜は酔ったので、独り酒を醒ましに出ていた」
「まさに、長夜の御宴にふさわしい晩ですな」
「まだまだ歓楽も、おれはこんなことでは足らない」
「──が、みな満足しております」
「小さい人々だ」
そこへ、曹操の弟曹仁が、なにか、緊張した眼ざしをして登って来た。
「兄上っ」
「なんだ、あわただしく」
「ただ今、県城から早打ちが来ました。洛陽から天子の勅使が下向されるそうです」
「わしへ?」
「もとよりです。黄河を上陸って旅途をつづけ、勅使の一行は、明日あたり領内へ着こうとの知らせでした」
「ついに来たか、ついに来たか」
「え。──兄上には、もう分っていたんですか」
「分るも分らぬもない。来るべきものが当然に来たのだ」
「ははあ……?」
「ちょうど今宵はみな宴席にいるな」
「はい」
「口を嗽ぎ、手を浄め、酒面を洗って、大評議の閣へ集まれと伝えろ。わしも直ぐそれへ臨むであろう」
「はっ」
曹仁は、馳け去った。
楼台を降った曹操は、冷泉に嗽いし、衣服をかえ、帯剣を鏘々と鳴らしながら、石廊を大歩して行った。
閣の大広間には、すでに群臣が集まっていた。たった今まで酒席にはしゃいでいた諸将も、一瞬に、姿勢を正し、烱々と眸をそろえながら、大将曹操の姿を迎えた。
「荀彧」
曹操は、指名して云った。
「きのう、そちが予に向って吐いた意見を、そのまま、この席でのべろ。──勅使はすでに山東に下られている。曹操の肚はもうきまっているが、一応荀彧から大義を明らかにのべさせる。荀彧、立て」
「はっ」
荀彧は起立して、今、天子を扶くる者は、英雄の大徳であり、天下の人心を収める大略であるという意見を、理論立てて滔々と演説した。
勅使が、山東へ降ってから、一ヵ月ほど後のことである。
「たいへんです」
洛陽の朝臣は、根をふるわれた落葉のように、仮普請の宮門を出入りして、みな顔色を失っていた。
一騎。
また、一騎。
この日、早馬が引きもきらず、貧しい宮門に着いて、鞍から飛びおりた物見の武士は、転ぶが如く次々に奥へかくれた。
「董承。いかにせばよいであろうか」
帝のお顔には、この夏から秋頃の、恐ろしい思い出がまた、深刻ににじみ出ているのが仰がれた。
李傕と郭汜の二軍が、その後、大軍を整え、捲土重来して、洛陽へ攻め上って来るとの急報が伝えられて来たのである。
「曹操へつかわした使者はまだ帰らず、朕、いずこにか身を隠さん」
と、帝は、諸臣に急を諮りながら、呪われたご運命を、眸のうちに哭いておられた。
「ぜひもありません」
董承は、頭をたれて、
「──この上は、再び、仮宮をお捨てあって、曹操が方へ、お落ちになられるが、上策かと思われますが」
すると、楊奉、韓暹の二人がいった。
「曹操をお頼りあるも、曹操の心の程はわかりません。彼にも如何なる野心があるか、知れたものではないでしょう。──それよりは、臣らがある限りの兵をひっさげて、賊を防いでみます」
「お言葉は勇ましいが、門郭城壁の構えもなく、兵も少ないのに、どうして防ぎきれようか」
「侮り給うな。われらも武人だ」
「いや、万一、敗れてからでは、間に合わぬ。天子を何処へお移し申すか。暴賊の手にまかすような破滅となったら、それこそおのおのの武勇も……」
と、争っているところへ、室の外で、誰か二、三の人々が呶鳴った。
「何を長々しいご詮議だて、そんな場合ではありませんぞ、もはや敵の先鋒が、あれあのとおり、馬煙をあげ、鼓を鳴らして、近づいて来るではありませんかっ」
帝は、驚愕して、座を起たれ、皇后の御手を取って、皇居の裏から御車にかくれた。侍衛の人々、文武の諸官、追うもあり、残るもあり、一時に混雑に陥ちてしまった。
御車は、南へ向って、あわただしく落ちて行かれた。
街道の道の辺には、飢民が幾人もたおれていた。
飢えた百姓の子や老爺は、枯れ草の根を掘りちらしていた。餓鬼のごとく、冬の虫を見つけて、むしゃむしゃ喰っている。腹膨れの幼児があるかと思うと、土を舐めながら、どんよりした眼で、
──なぜ生れたのか。
と云いたげに、この世の空をぼんやり見ている女がある。
奔馬や、帝の御車や、裸足のままの公卿たちや、戟をかかえた兵や将や、激流のような一陣の砂けむりが、うろたえた喚き声をつつんで、その前を通って行った。
土を舐め、草の根を喰っている、無数の飢えたる眼の前を後から後から通って行くのであった。
「アレ。なにけ? ……」
「なんじゃろ?」
無智な飢民の眼には、悲しむべきこの実相も、なんの異変とも映らぬもののようだった。
戟の光を見ても、悍馬のいななきを聞いても、その眼や耳は、おどろきを失っていた。恐怖する知覚さえ喪失している飢民の群れだった。
──が、やがて。
李傕、郭汜の大軍が、帝の御車を追って、後方から真っ黒に地をおおって来ると、どこへくぐってしまったものか、もう飢民の影も、鳥一羽も、野には見えなかった。
砂塵と悲鳴につつまれながら、帝の御車は辛くも十数里を奔って来られたが、ふと行く手の曠野に横たわる丘の一端から、たちまち、漠々たる馬煙が立昇って来るのが見えたので、
「や、や?」
「あの大軍は?」
「敵ではないか?」
「早……前にも敵か?」
と、扈従の宮人たちは、みなさわぎ立て、帝にも、愕然と眉をひそめられた。
進退ここにきわまるかと、御車に従う者たちが度を失って喚くので、皇后も泣き声を洩らさせ給い、帝も、御簾のうちから幾度となく、
「道を変えよ」と叫ばれた。
しかし、今さら道を変えて奔ってもどうなろう。後ろも敵軍、前も敵軍。
そう考えたか、扈従の武臣朝官たちは、早くもここを最期と叫んだり、或る者は、逃げる工夫に血眼をさまよわせていた。
ところへ!
彼方から唯二、三騎。それは武者とも見えない扮装の者が、何か懸命に大声をあげながら、こなたへ馳けて来るのが見えた。
「あっ。見たような」
「朝臣らしいぞ」
「そうだ、前に、勅使として、山東へ下った者たちだ」
意外。その人々は、やがて息せきながら駒を飛び降りるや、御車の前へひれ伏して、
「陛下。ただ今帰りました」
と、奏上した。
帝には、なお、怪訝りのとけぬご容子で、
「あれに見ゆる大軍は、そも、何ものの軍勢か」
「さればにて候、──山東の曹将軍には、われらを迎え、詔勅を拝するや、即日、お味方を号令し給い、その第一陣として、夏侯惇、そのほか十余将の御幕下に、五万の兵を授けられ、はやこれまで参ったものでござりまする」
「えっ……ではお味方に馳せ上った山東の兵よな」
御車の周囲にひしめいていた人々は、使者のことばを聞くと、一度に生色を取りもどし躍り上がらんばかりに狂喜した。
そこへ、鏘々たる鎧光をあつめた一隊の駿馬は早、近づいて来た。
夏侯惇、許褚、典韋などを先にして、山東の猛将十数名であった。
御車を見ると、
「礼!」
と、戒め合って、さすがに規律正しく一斉にザザザッと、鞍から飛びおりた。
そして、列を正しながら、約十歩ほど出て、夏侯惇が一同を代表していった。
「ご覧の如く、臣ら、長途を急ぎ参って、甲冑を帯し、剣を横たえておりますれば、謹んで、闕下にご謁を賜う身仕度もいたしかねます。──願わくは、軍旗をもって、直奏おゆるしあらんことを」
さすがに聞えた山東の勇将、言語明晰、態度も立派だった。
帝は、一時のお歓びばかりでなく、いとど頼母しく思し召されて、
「鞍馬長途の馳駆、なんで服装を問おう。今日、朕が危急に馳せ参った労と忠節に対しては、他日、必ず重き恩賞をもって酬ゆるであろうぞ」
と、宣うた。
夏侯惇以下、謹んで再拝した。
その後で夏侯惇はふたたび、
「主人曹操は、大軍を調うため、数日の暇を要しますが、臣ら、先鋒として、これに参りましたからには、何とぞ、御心安らかに、何事もおまかせおき給わりますように」と、奏した。
帝は、御眉を開いてうなずかれた。
御車をかこむ武臣も宮人たちも、異口同音、万歳万歳を歓呼した。
──ところへ、
「東の方より敵が見える」と、告げる者があった。
「いや、敵ではあるまい。お鎮まりあれ」と、夏侯惇はすぐ馬を駆って、鞍の上からはるかへ手をかざしていたが、やがて戻って来ると、一同へ告げた。
「案のごとく、ただ今、東方から続々と影を見せて来た軍勢は、敵にはあらで、曹将軍の御弟曹洪を大将とし、李典、楽進を副将として、先陣の後ろ備えとして参った歩兵勢三万にござります」
帝は、いやが上にも、歓ばれて、
「またも、味方の勢か」
と、一度に御心を安んじて、かえって、がっかりなされたほどだった。
間もなく、曹洪の歩兵勢も、着陣の鐘を鳴らし、万歳の声のうちに、大将曹洪は、聖駕の前へ進んで礼を施した。
帝は、曹洪を見て、「御身の兄曹操こそ、真に、朕が社稷の臣である」といわれた。
都落ちのはかない轍を地に描いて来た御車は、いちやく、八万の精兵に擁せられて、その轍の跡をすぐ洛陽へ引っ返して行った。
──とは知らず、洛陽を突破して、殺到した郭汜、李傕の聯合勢は、その前方に、思わぬ大軍が上って来るのを見て、
「はてな?」と、眼をこすった。
「いぶかしいことではある。朝臣のうちに、何者か、妖邪の法を行う者があるのではないか。たった今、わずかの近臣をつれて逃げのびた帝のまわりに、あのような軍馬が一時に現れるわけはない。妖術をもって、われらの目をくらましている幻の兵だ。恐るることはない。突き破れ」
と、当って来た。
幻の兵は、強かった。現実に、山東軍の新しい兵備と、勃興的な闘志を示した。
何かは堪るべき。
雑軍に等しい──しかも旧態依然たる李傕や郭汜の兵は存分に打ちのめされて、十方へ散乱した。
「血祭の第一戦だ。──斬って斬って斬りまくれ」
夏侯惇は、荒ぶる兵へ、なおさら気負いかけた。
血、血、血──曠野から洛陽の中まで、道は血しおでつながった。
その日、半日だけで、馘った敵屍体の数は、一万余と称せられた。
黄昏ごろ。
帝は玉体につつがもなく、洛陽の故宮へ入御され、兵馬は城外に陣を取って、旺なる篝火を焚いた。
幾年ぶりかで、洛陽の地上に、約八、九万の軍馬が屯したのである。篝火に仄赤く空が染められただけでも、その夜、帝のお眠りは久々ぶりに深かったに違いない。
程なく。
曹操もまた、大軍を率いて、洛陽へ上って来た。その勢威だけでも、敵は雲散霧消してしまった。
「曹操が上洛した」
「曹将軍が上られた」
人心は日輪を仰ぐごとく彼の姿を待った。彼の名は、彼が作ったわけでもない大きな人気につつまれて洛陽の紫雲に浮かび上がってきた。
彼が、都に入る日、その旗本はすべて、朱い盔、朱地金襴の戦袍、朱柄の槍、朱い幟旗を揃えて、八卦の吉瑞にかたどって陣列を立て、その中央に、大将曹操をかこんで、一鼓六足、大地を踏み鳴らして入城した。
迎える者、仰ぐ者、
「この人こそ、兵馬の長者」と懼れぬはなかった。
が、曹操は、さして驕らず、すぐ帝にまみえて、しかも、帝のおゆるしのないうちは、階下に低く屈して、貧弱な仮宮とはいえ、いたずらに殿上を踏まなかった。
曹操は、さらにこう奏上して、帝に誓った。
「生を国土にうけ、生を国恩に報ぜんとは、臣が日頃から抱いていた志です。今日、選ばれて、殿階の下に召され、大命を拝受するとは、本望これに越したことはありません。──不肖、旗下の精兵二十万、みな臣の志を体している忠良でありますから、なにとぞ、聖慮を安んぜられ、期して万代泰平の昭日をお待ちくださいますように」
彼の退出は、万歳万歳の声につつまれ、皇居宮院も、久ぶりに明朗になった。
──けれど一方、大きな違算に行き当って、進退に迷っていたのは、今は明らかに賊軍と呼ばれている李傕、郭汜の陣営だった。
「なに、曹操とて、大したことはあるまい。それに遠路を急ぎに急いで来たので、人馬は疲れているにちがいない」
二人とも、意見はこう一致して、ひどく戦に焦心っていたが、謀将の賈詡がひとり諫めて承知しないのである。
「いや、彼を甘く見てはいけません。なんといっても曹操は当代では異色ある驍将です。ことに以前とちがって、彼の下には近ごろ有数な文官や武将が集まっています。──如かず、逆を捨て、順に従って、ここは盔を脱いで降人に出るしかありますまい。もし彼に当って戦いなどしたら、あまりにも己を知らな過ぎる者と、後世まで笑いをのこしましょう」
正言は苦い。
李傕も、郭汜も、
「降服をすすめるのか。戦の前に、不吉なことば。あまつさえ、己を知らんなどとは、慮外な奴」
斬ってしまえと陣外へ突きだしたが、賈詡の同僚が憐れんで懸命に命乞いをしたので、
「命だけは助けておくが、以後、無礼な口を開くとゆるさんぞ」
と、幕中に投げこんで謹慎を命じた。──が、賈詡はその夜、幕を噛み破って、どこかへ逃亡してそのまま行方をくらましてしまった。
翌朝。──賊軍は両将の意思どおり前進を開始して、曹操の軍勢へひた押しに当って行った。
李傕の甥に、李暹、李別という者がある。剛腕をもって常に誇っている男だ。この二人が駒をならべて、曹操の前衛をまず蹴ちらした。
「許褚、許褚っ」
曹操は中軍にあって、
「行け、見えるか、あの敵だぞ」と、指さした。
「はっ」と、許褚は、飼い主の拳を離れた鷹のように馬煙をたてて翔け向った。そして目ざした敵へ寄るかと見るまに、李暹を一刀のもとに斬り落し、李別が驚いて逃げ奔るのを、
「待てっ」
と、うしろから追いつかみ、その首をふッつとねじ切って静々と駒を返して来るのだった。
その剛胆と沈着な姿に、眼のあたりにいた敵も彼を追わなかった。許褚は、曹操の前に二つの首を並べ
「これでしたか」と、庭前の落柿でも拾って来たような顔をして云った。
曹操は、許褚の背を叩いて、
「これだこれだ。そちはまさに当世の樊噲だ。樊噲の化身を見るようだ」
と、賞めたたえた。
許褚は、元来、田夫から身を起して間もない人物なので、あまりの晴れがましさに、
「そ、そんなでも、ありません」と、顔を赭くしながら諸将の間へかくれこんだ。
その容子がおかしかったか、曹操は、今たけなわの戦もよそに、
「あははは、可愛い奴じゃ。ははは」と、哄笑していた。
そういう光景を見ていると、諸将は皆、自分も生涯に一度は、曹操の手で背中を叩かれてみたいという気持を起した。
戦の結果は、当然、曹操軍の大勝に帰した。
李傕、郭汜の徒は、到底、彼の敵ではなかった。乱れに乱れ、討たれに討たれ、網をもれた魚か、家を失った犬のごとく、茫々と追われて西の方へ逃げ去った。
曹操の英名は、同時に、四方へ鳴りひびいた。
彼は、賊軍退治を終ると、討ち取った首を辻々に梟けさせ、令を発して民を安め、軍は規律を厳にして、城外に屯剳した。
「──何のことはない。これじゃあ彼の為にわれわれは踏み台となったようなものではないか」
楊奉は、日に増して曹操の勢いが旺になって来たのを見て、或る折、韓暹に胸の不平をもらした。
韓暹は、今こそ禁門に仕えているが、元来、李楽などと共に、緑林に党を結んでいた賊将の上がりなので、たちまち性根を現して、
「貴公も、そう思うか」と、曹操に対して、同じ嫉視の思いを、口汚く云いだした。
「今日まで、帝をご守護して来たおれたちの莫大な忠勤と苦労も、こうして曹操が羽振りをきかしだすと、どうなるか知れたものじゃない。──曹操は必ず、自分たち一族の勲功を第一にして、おれたちの存在などは認めないかも知れぬ」
「いや、認めまいよ」
楊奉は、韓暹に、なにやら耳打ちして、顔色をうかがった。
「ウム……ムム。……やろう!」
韓暹は眼をかがやかした。それから四、五日ほど、何か二人で密々策動していたようだったが、一夜忽然と、宮門の兵をあらかた誘い出して、どこかへ移動してしまった。
宮廷では驚いて、その所在をさがすと、前に逃散した賊兵を追いかけて行くと称しながら、楊奉、韓暹の二人が引率して大梁(河南省)の方面へさして行ったということがやっと分った。
「曹操に諮った上で」
帝は朝官たちの評議に先だって、ひとりの侍臣を勅使として、彼の陣へつかわされた。
勅使は、聖旨を体して、曹操の営所へおもむいた。
曹操は、勅使と聞いて、うやうやしく出迎え、礼を終って、ふとその人を見ると、何ともいえない気に打たれた。
「…………」
人品の床しさ。
人格の気高い光──にである。
「これは?」と、彼はその人間を熟視して、恍惚、われを忘れてしまった。
世相の悪いせいか、近年は実に人間の品が下落している。連年の飢饉、人心の荒廃など、自然人々の顔にも反映して、どの顔を見ても、眼はとがり、耳は薄く、唇は腐色を呈し、皮膚は艶やかでない。
或る者は、豺の如く、或る者は魚の骨に人皮を着せた如く、また或る者は鴉に似ている。それが今の人間の顔だった。
「──しかるに、この人は」と、曹操は見とれたのである。
眉目は清秀で、唇は丹く、皮膚は白皙でありながら萎びた日陰の美しさではない。どこやらに清雅縹渺として、心根のすずやかなものが香うのである。
「これこそ、佳い人品というものであろう。久しぶりに人らしい人を見た」
曹操は、心のうちに呟きながら、いとも小憎く思った。
いや、怖ろしく思った。
彼のすずやかな眼光は、自分の胸の底まで見透している気がしたからである。──こういう人間が、自分の味方以外にいることは、たとえ敵でなくとも、妨げとなるような気がしてならなかった。
「……時に。ご辺は一体、どういうわけで、今日の勅使に選ばれてお越しあったか。ご生国は、何処でおわすか」
やがて席をかえてから、曹操はそれとなく訊ねてみた。
「お尋ねにあずかって恥じ入ります」と、勅使董昭は、言葉少なに、曹操へ答えた。
「三十年があいだ、いたずらに恩禄をいただくのみで、なんの功もない人間です」
「今の官職は」
「正議郎を勤めております」
「お故郷は」
「済陰定陶(山東省)の生れで董昭字は公仁と申します」
「ホ、やはり山東の産か」
「以前は、袁紹の従事として仕えていましたが、天子のご還幸を聞いて、洛陽へ馳せのぼり、菲才をもって、朝に出仕いたしております」
「いや、不躾なことを、つい根掘り葉掘り。おゆるしあれ」
曹操は、酒宴をもうけ、その席へ、荀彧を呼んで、ともに時局を談じていた。
ところへ。──昨夜来、朝廷の親衛軍と称する兵が関外から地方へさして、続々と南下して行くという報告が入った。
曹操は聞くと、
「何者が勝手に禁門の兵をほかへ移動させたか。すぐその指揮者を生擒って来い」
と、兵をやろうとした。
董昭は、止めて、
「それは不平組の楊奉と、白波帥の山賊あがりの韓暹と、二人がしめし合わせて、大梁へ落ちて行ったものです。──将軍の威望をそねむ鼠輩の盲動。何ほどのことをしでかしましょうや。お心を労やすまでのことはありますまい」と、いった。
「しかし、李傕や郭汜の徒も、地方に落ちておるが」
曹操が、重ねていうと、董昭はほほ笑んで、
「それも憂えるには足りません。一幹の梢を振い落された片々の枯葉、機をみて掃き寄せ、一炬の火として焚いてしまえばよろしいかと思います。──それよりも、将軍のなすべき急務はほかにありましょう」
「ヤヤ、それこそ、予が訊きたいと希うことだ。乞う、忠言を聞かせ給え」
「将軍の大功は天子もみそなわし、庶民もよく知るところですが、朝廟の旧殻には、依然、伝統や閥や官僚の小心なる者が、おのおの異った眼、異った心で将軍を注視しています。それに、洛陽の地も、政をあらためるに適しません。よろしく天子の府を許昌(河南省・許州)へお遷しあって、すべての部門に溌剌たる革新を断行なさるべきではないかと考えられます」
耳を傾けていた曹操は、
「近頃含蓄のある教えを承った。この後も、何かと指示を与えられよ。曹操も業を遂げたあかつきには必ず厚くお酬いするであろう」と、その日は別れた。
その夜また、客があって、曹操にこういう言をなす者があると告げた。
「このほど、侍中太史令の王立という者が、天文を観るに、昨年から太白星が天の河をつらぬき、熒星の運行もそれへ向って、両星が出合おうとしている。かくの如きは千年に一度か二度の現象で、金火の両星が交会すれば、きっと新しい天子が出現するといわれている。──思うに大漢の帝系もまさに終らんとする気運ではあるまいか。そして新しい天子が晋魏の地方に興る兆しではあるまいか。──と王立は、そんな予言をしておりました」
曹操は黙って、客のことばを聞いていたが、客が帰ると、荀彧をつれて、楼へ上って行った。
「荀彧。こう天を眺めていても、わしに天文は分らんが、さっきの客のはなしは、どういうものだろう」
「天の声かも知れません。漢室は元来、火性の家です。あなたは土命です。許昌の方位は、まさに土性の地ですから、許昌を都としたら、曹家は隆々と栄えるにちがいありません」
「む、そうか。……荀彧。王立という者へ早速使いをやって、天文の説は、人にいうなと、口止めしておけ。よろしいか」
迷信とは思わない。
哲学であり、また、人生科学の追求なのである。すくなくも、その時代の知識層から庶民に至るまでが、天文の暦数や易経の五行説に対しては、そう信じていたものである。
──崇高な運命学の定説として彼らの運命観のなかには、星の運行があり、月蝕があり、天変地異があり、易経の暗示があり、またそれを普遍する予言者の声にも自ら多大な関心をはらう習性があった。
この渺々とした黄土の大陸にあっては、漢室の天子といい、曹操といい、袁紹といい、董卓といい、呂布といい、劉玄徳といい、また孫堅その他の英傑といい、一面みな弱いはかない「我れ」なることを知っていた。──広茫無限な大自然の偉力に対して、さしもの英傑豪雄の徒も人間の小ささを、父祖代々生れながらに、知りぬいていた。
例えば。
黄河や大江の氾濫にも。
いなごの飢饉にも。
蒙古からふく黄色い風にも。
大雨、大雪、暴風、そのほかあらゆる自然の力に対しては、どうする術も知らない文化の中の英雄たり豪傑だった。
だから、その恐れを除いては、彼らは黄土の大陸の上に、人智人力の及ぶかぎりな建設もしたり、またたちまち破壊し去ったり情痴と飽慾をし尽したり、自解して腐敗を曝したり、戦ったり、和したり、歓楽に驕ったり、惨たる憂き目にただよったり──一律の秩序あるごとくまた、まったく無秩序な自由の野民の如く──実に古い歴史のながれの中に治乱興亡の人間生態図を描いてきているのであるが、そういう長い経験の下に、自然、根づよく恐れ信じられてきたものは、ただ──人間は運命の下にある。
ということだった。
運命は、人智では分らないが、天は知っている。自然は予言する。
天文や易理は、それが為に、最高な学問だった。いやすべての学問──たとえば政治、兵法、倫理までが、陰陽の二元と、天文地象の学理を基本としていた。
曹操は、謹んで、天子へ奏した。
「──臣、ふかく思いますに、洛陽の地は、かくの如く廃墟と化し、その復興とて容易ではありません。それに将来、文化の興隆という上から観ても、交通運輸に不便で、地象悪く、民心もまた、この土を去って再びこの土を想い慕っておりません」
曹操はなお、ことばを続け、
「それに較べると、河南の許昌は、地味豊饒です。物資は豊富です。民情も荒んでいません。もっといいことには、かの地には城郭も宮殿も備わっています。──ゆえに、都をかの地へお遷しあるように望みます。──すでに、遷都の儀仗、御車も万端、準備はととのっておりますから」
「…………」
帝はうなずかれたのみである。
群臣は、唖然としたが、誰も異議は云いたてない。曹操が恐いのである。また、曹操の奏請も、手際がいい。
ふたたび遷都が決行された。
警固、儀伎の大列が、天子を護って、洛陽を発し、数十里ほど先の丘にかかった時であった。
漠々の人馬一陣、
「待てッ。曹操っ」
「天子を盗んで何処へ行く……」
と、呼ばわり、呼ばわり、猛襲して来た。
楊奉、韓暹の兵だった。中にも楊奉の臣、徐晃は、
「木ッぱ武者に、用はない。曹操に見参……」
と、大斧をひっさげて、馬に泡をかませて向って来た。
「やあ、許褚許褚。──あの餌は汝にくれる。討ち取って来い」
曹操が、身をかわして命じると許褚は、その側から鷲のごとく立って、徐晃の馬へ自分の馬をぶつけて行った。
徐晃も絶倫の勇。
許褚もまた「当代の樊噲」とゆるされた万夫不当である。
「好敵手。いで!」と、槍を舞わして、許褚が挑めば徐晃も、大斧をふるって、
「願うところの敵、中途にて背後を見せるな」と、豪語を放った。
両雄は、人まぜもせず、五十余合まで戦った。馬は馬体を濡れ紙のように汗でしとどにしても、ふたりは戦い疲れた風もなかった。
「──いずれが勝つか?」
しばしが程は、両軍ともにひそまり返って見てしまった。すばらしい生命力と生命力の相搏つ相は魔王と獣王の咆哮し合うにも似ていた。またそれはこの世のどんな生物の美しさも語るに足りない壮絶なる「美」でもあった。
はるかに、見まもっていた曹操は、なに思ったか突然、
「鼓手っ、銅鑼を打て」と、命じた。
口せわしくまた、「退き銅鑼だぞ」と、追い足した。
「はっ」と、鼓手は揃って、退け──! の銅鑼を打ち鳴らした。
何事が降って湧いたかと、全軍は陣を返し、もちろん、許褚も敵を捨てて帰って来た。
曹操は、許褚を始め、幕僚を集めて云った。
「諸君は不審に思ったろうが、にわかに銅鑼を鳴らしたのは、実は、徐晃という人間を殺すにしのびなくなったからだ。──われ今日、徐晃を見るに、真に稀世の勇士だ、大方の大将としても立派なものだ。敵とはいえ、可惜、ああいう英材をこんな無用の合戦に死なせるのは悲しむべきことだ。──わが願うところは、彼を招いて、味方にしたいのだが、誰か徐晃を説いて、降参させる者はないか」
すると、一名、
「私に仰せつけ下さい」
と、進んでその任に当ろうという者が現れた。山陽の人、満寵字を伯寧という者だ。
「満寵か。──よかろう。そちに命じる」
曹操はゆるした。
満寵はその夜、ひとり敵地へまぎれ入り、徐晃の陣をそっとうかがった。
木の間洩る月光の下に、徐晃は甲もとかず、帳を展べて坐っていた。
「……誰だっ。それへ来て、うかがっている者は」
「はっ……。お久しぶりでした。徐晃どの、おつつがもなく」
「オオ。満寵ではないか。──どうしてこれへ来たか」
「旧交を思い出して、そぞろお懐かしさの余りに」
「この陣中、敵味方と分れた以上は、旧友とて」
「あいや。それ故にこそ、特に私が選ばれて、大将曹操から密々にお旨をうけて忍んで来たわけです」
「えっ、曹操から?」
「きょうの合戦に、曹操第一の許褚を向うに廻して、あなたの目ざましい働きぶりを見られ、曹将軍には、心からあなたを惜しんで、にわかに、退け銅鑼を打たせたものです」
「ああ……そうだったか」
「なぜ、御身ほどな勇士が楊奉の如き、暗愚な人物を、主と仰いでおられるのか、人生は百年に足らず、汚名は千載を待つも取返しはつきませんぞ。良禽は木を選んで棲むというのに」
「いやいや、自分とても、楊奉の無能は知っているが、主従の宿縁今さらどうしようもない」
「ないことはありません」
満寵はすり寄って、彼の耳に何かささやいた。徐晃は、嘆息して、
「──曹将軍の英邁はかねて知っているが、さりとて、一日でも主とたのんだ人を首として、降服して出る気にはなれん」
と、顔を横に振った。
楊奉の部下が、
「徐晃が今、自分の幕舎へ、敵方の者をひき入れて何か密談しています」
と、彼の耳へ密告した。
楊奉は、たちまち疑って、
「引っ捕えて糺せ」と、数十騎を向けて、徐晃の幕舎をつつみかけた。すると、曹操の伏勢が起って、それを追い退け、満寵は徐晃を救いだして、共に、曹操の陣へ逃げて来た。
曹操は、望みどおり徐晃を味方に得て、
「近来、第一の歓びだ」と、いった。
士を愛すること、女を愛する以上であった曹操が、いかに徐晃を優遇したかいうまでもなかろう。
楊奉、韓暹のふたりは、奇襲を試みたが、徐晃は敵方へ走ってしまったし、所詮、勝ち目はないと見たので、南陽(河南省)へと落ちのび、そこの袁術を頼って行った。
──かくて、帝の御車と、曹操の軍は、やがて許昌の都門へ着いた。
ここには、旧い宮門殿閣があるし、城下の町々も備わっている。曹操はまず、宮中を定め、宗廟を造営し、司院官衙を建て増して、許都の面目を一新した。
同時に、
旧臣十三人を列侯に封じ、自身は、
大将軍武平侯
という重職に坐った。
また董昭は──前に、帝の勅使として来て曹操にその人品を認められていたかの董昭公仁は──この際いちやく、洛陽の令に登用された。
許都の令には、功に依って、満寵が抜擢された。
荀彧は、侍中尚書令。
荀攸は軍師に。
郭嘉は、司馬祭酒に。
劉曄は、司空曹掾に。
催督は、銭料使に。
夏侯惇、夏侯淵、曹仁、曹洪など直臣中の直臣は、それぞれ将軍にのぼり、楽進、李典、徐晃などの勇将はみな校尉に叙せられ、許褚、典韋は都尉に挙げられた。
多士済々、曹操の権威は、自ら八荒にふるった。
彼の出入には、常に、鉄甲の精兵三百が、弓箭戟光をきらめかせて流れた。──それにひきかえて、故老の朝臣は名のみ、大臣とか元老とかいわれても、日ましに影は薄れて行った。
また、それらの人々も、今はまったく曹操の羽振りに慴伏して、いかなる政事も、まず曹操に告げてから、後に、天子へ奏するという風に慣わされて来た。
「ああ。──一人除けばまた一人が興る。漢家のご運もはや西に入る陽か」
嘆く者も、それを声には出さないのである。──ただ無力なにぶい瞳のうちに哭いて、木像のごとく帝の側に佇立しているだけだった。
× × ×
軍師、謀士。
そのほか、錚々たる幕僚の将たちが、痛烈に会飲していた。
真ン中に、曹操がいた。面上、虹のごとき気宇を立って、大いに天下を談じていたが、たまたま劉備玄徳のうわさが出た。
「あれも、いつのまにか、徐州の太守となりすましているが、聞くところによると、呂布を小沛に置いて扶持しているそうだ。──呂布の勇と、玄徳の器量が、結びついているのは、ちと将来の憂いかと思う。もし両人が一致して、力を此方へ集中して来ると、今でもちとうるさいことになる。──なにか、未然にそれを防止する策はないか」
曹操がいうと、
「いと易いこと。それがしに精兵五万をおさずけ下さい。呂布の首と、玄徳の首を、鞍の両側に吊るし帰って来ます」と、許褚がいった。
すると、誰か笑った。
「ははははは。酒瓶ではあるまいし……」
荀彧である。
笑った唇へ、酒を運びながら、謀士らしい細い眼の隅から、許褚をながめて云ったのである。
荀彧に嗤われて、許褚は口をつぐんでしまった。彼は自分がまだ、智者の間に伍しては、一野人にすぎないことを知っていた。
「だめでしょうか、私の策は」
「君のいうことは、策でもなんでもない。ただ、勇気を口にあらわしただけのものだ。玄徳、呂布などという敵へ、そういう浅慮な観察で当るのは危険至極というものだ」
曹操は、面を向けかえて、
「荀彧。──ではそちの考えを聞こうじゃないか。なにか名案があるか」
「ないこともありません」
荀彧は、胸を正した。
「今のところ──ここしばらくは、私は不戦論者です。なぜなら、遷都のあと、宮門そのほか、容はやっと整えましたが、莫大な建築、兵備施設などに、多くを費やしたばかりのところですから」
「む、む……して」
「ですから、玄徳、呂布に対しては、どこまでも外交的な手腕をもって、彼らを自滅に導くをもって上策とします」
「それは同感だ。──偽って彼らと交友を結べというか」
「そんな常套手段では、むしろ玄徳に利せられるおそれがあります。それがしの考えているのは、二虎競食の計という策略です」
「二虎競食の計とは」
「たとえば、ここに二匹の猛虎が、おのおの、山月にうそぶいて風雲を待っていると仮定しましょう。二虎、ともに飢えています。よって、これにほかから香ばしい餌を投げ与えてごらんなさい。二虎は猛然、本性をあらわして咬みあいましょう。必ず一虎は仆れ、一虎は勝てりといえども満身痍だらけになります。──かくて二虎の皮を獲ることはきわめて容易となるではございませんか」
「むむ。いかにも」
「──で、劉玄徳は、今徐州を領しているものの、まだ正式に、詔勅をもってゆるされてはおりません、それを餌として、この際、彼に勅を下し、あわせて、密旨を添えて、呂布を殺せと命じるのです」
「あ。なるほど」
「それが、玄徳の手によって完全になされれば、彼は自分の手で、自分の片腕を断ち切ることになり──万一、失敗して、手を焼けば、呂布は怒って、必ずあの暴勇をふるい、玄徳を生かしてはおかないでしょう」
「うむ!」
曹操は、大きくうなずいたのみで、後の談話はもうそのことに触れなかった。
が、彼の肚はきまっていたのである。それから数日の後には、帝の詔勅を乞うて、勅使が、徐州へ向って立った。同時に、その使者が曹操の密書をもあわせて携えて行ったことは想像に難くない。
徐州城に、勅使を迎えた劉玄徳は、勅拝の式がすむと、使者を別室にねぎらって、自身は静かに、平常の閣へもどってきた。
「なんであろうか」
玄徳は、使者からそっと渡された曹操の私書を、早速、そこでひらいて見た。
「……呂布を?」
彼は眼をみはった。
何度も、繰返し繰返し読み直していると、後ろに立っていた張飛、関羽のふたりが、
「何事を曹操からいってよこしたのですか」と、訊ねた。
「まあ、これを見るがいい」
「呂布を殺せという密命ですな」
「そうじゃ」
「呂布は、兇勇のみで、もともと義も欠けている人間ですから、曹操のさしずをよい機として、この際、殺してしまうがよいでしょう」
「いや、彼はたのむ所がなくて、わが懐に投じてきた窮鳥だ。それを殺すは、飼禽を縊るようなもの。玄徳こそ、義のない人間といわれよう」
「──が、不義の漢を生かしておけば、ろくなことはしませんぞ。国に及ぼす害は、誰が責めを負いますか」
「次第に、義に富む人間となるように、温情をもって導いてゆく」
「そうやすやす、善人になれるものですか」
張飛は、あくまでも、呂布討つべしと主張したが、玄徳は、従う色もなかった。
すると翌日、その呂布が、小沛から出てきて登城した。
呂布は、なにも知らない様子であった。
彼はただその日、劉備玄徳に勅使が下って、正式に徐州の牧の印綬を拝したと聞いたので、その祝辞をのべるために、玄徳に会いに来たのである。
で──しばらく玄徳とはなしていたが、やがて辞して、長い廊を悠然と退がって来ると、
「待てっ。呂布」と、物陰で待ちかまえていた張飛が、その前へ躍り立って、
「一命は貰ったッ」
と、いうや否、大剣を抜き払って、呂布の長躯をも、真二つの勢いで斬りつけて来た。
「あっ」
呂布の沓は、敷き詰めてある廊の瓦床を、ぱっと蹴った。さすがに油断はなかった。七尺近い大きな体躯も、軽々と、後ろに跳びかわしていた。
「貴様は張飛だなっ」
「見たら分ろう」
「なんで俺を殺そうとするか」
「世の中の害物を除くのだ」
「どうして、俺が世のなかの、害物か」
「義なく、節なく、離反常なく、そのくせ、生半可な武力のある奴。──ゆく末、国家のためにならぬから、殺してくれと、家兄玄徳のところへ、曹操から依頼がきている。それでなくても平常から汝はこの張飛から見ると、傲慢不遜で気にくわぬところだ。覚悟をしちまえ」
「ふざけるなっ。貴様ごときに俺が、この首を授けてたまるか」
「あきらめの悪いやつが」
「待てっ、張飛」
「待たん!」
戛然と、二度目の剣が、空間に鳴った。
斬り損ねたのである。
誰か、うしろから張飛の肱を抑えて、抱きとめた者があったからである。
「ええいッ、誰だっ。邪魔するな」
「これっ、鎮まらぬかっ。愚者めが」
「あっ。家兄か」
玄徳は、声を励まして、
「誰が、いつ、そちに向って、呂布どのを殺せといいつけたか。呂兄はこの玄徳にとっては、大切な客分である。わが家の客に対して、剣を用いるのは、玄徳に対して戟を向けるも同じであるぞ」と、叱りつけた。
「ちぇっ。こんな性根の悪い食客を、兄貴は一体、なんの弱味があってそうまで大事がるのか料簡がわからない」
「だまれ、無礼な」
「誰にですか」
「呂布どのに対して」
「なにをっ……ばかな」
張飛は横へ唾を吐いた。しかし玄徳に対しては、絶対に弟であり目下であるということを忘れない彼である。──じっと家兄に睨みつけられると、不平満々ながら、やがて沓音を鳴らして立去ってしまった。
「おゆるし下さい。……あの通りな駄々ッ児です。まるで子どものように単純な漢ですから」
張飛の乱暴を詫び入りながら、玄徳はもう一度、自分の室へ呂布を迎え直して、
「今、張飛が申したことばの中、曹操から貴君を刺せと密命があったということだけはほんとです。──が、私にはそんな意志がないし、また、要らざることを、貴君の耳へ入れてもと考えて、黙殺していたわけですが、お耳に入ったからには、明らかにしておきましょう」
と、曹操から来た密書を、呂布に見せて、疑いを解いた。
呂布も、彼の誠意に感じたと見えて、
「いやよく分った。察するところ、曹操は、あなたと自分との仲を裂こうと謀ったのでしょう」
「その通りです」
「呂布を信じて下さい。誓って呂布は、不義をしません」
呂布は却って感激して退がった。──その様子を、ひそかにうかがっていた曹操の使者は、
「失敗だ。これでは、二虎競食の計もなんの意味もない」
と、苦々しげに呟いていた。
張飛は、不平でたまらなかった。──呂布が帰るに際して、玄徳が自身、城門外まで送りに出た姿を見かけたので、なおさらのこと、
「ごていねいにも程がある」と、業腹が煮えてきたのであった。
「家兄。お人よしも、度が過ぎると、馬鹿の代名詞になりますぞ」
その戻るところをつかまえて、張飛は、さっき貰った叱言へ熨斗をつけて云い返した。
「ほう、張飛か。なにをいつまで怒っているのか」
「なにをッて、あまりといえば、歯がゆくて、馬鹿馬鹿しくて、腹を立てる張りあいもない」
「ならば、そちのいう通り、呂布を殺したらなんの益がある」
「後の患いを断つ」
「それは、目先の考えというものだ。──曹操の欲するところは、呂布と我とが血みどろの争いをするにある。両雄並び立たず──という陳腐な計りごとを仕掛けてきたのじゃ。それくらいなことがわからぬか」
側にいた関羽が、
「ああ。ご明察……」
と、手を打って賞めてしまったので、張飛はまたも云い返すことばに窮してしまった。
玄徳はまた、その翌る日、勅使の泊っている駅館へ答礼に出向いて、
「呂布についてのご内命は、事にわかには参りかねます。いずれ機を図って命を果たす日もありましょうが、今しばらくは」と、仔細は書面にしたためて、謝恩の表と共に、使者へ託した。
使者は、許都へ帰った。そしてありのまま復命した。
曹操は荀彧をよんで、
「どうしたものだろう。さすがは劉玄徳、うまくかわして、そちの策には懸からぬが」
「では、第二段の計を巡らしてごらんなさい」
「どうするのか」
「袁術へ、使いを馳せて、こういわせます。──玄徳、近ごろ天子に奏請して、南陽を攻め取らんと願い出ていると」
「むム」
「また、一方、玄徳が方へも、再度の勅使を立て──袁術、朝廷に対して、違勅の科あり、早々、兵を向けて南陽を討つべしと、詔を以て、命じます。正直真っ法の玄徳、天子の命とあっては、違背することはできますまい」
「そして?」
「豹へ向って、虎をけしかけ、虎の穴を留守とさせます。──留守の餌をねらう狼が何者か、すぐお察しがつきましょう」
「呂布か! なるほど、あの漢には狼性がある」
「駆虎呑狼の計です」
「この計ははずれまい」
「十中八九までは大丈夫です。──なぜならば、玄徳の性質の弱点をついておりますからな」
「うム。……天子の御命をもってすれば、身うごきのつかない漢だ。さっそく運ぶがいい」
南陽へ、急使が飛んだ。
一方、それよりも急速に、二度目の勅使が、徐州城へ勅命をもたらした。玄徳は、城を出て迎え、詔を拝して、後に、諸臣に諮った。
「また、曹操の策略です。決してその手に乗ってはいけません」
糜竺は、諫めた。
玄徳は沈湎と考えこんでいたが、やがて面を上げると、
「いや、たとえ計りごとであっても、勅命とあっては、違背はならぬ。すぐ南陽へ進軍しよう」
弱点か、美点か。
果たして彼は、敵にも見抜かれていた通り、勅の一語に、身うごきがつかなかった。
玄徳の決意は固い。
糜竺をはじめ諸臣は、皆それを知ったので口をつぐんだ。
孫乾が云い出した。
「どうしても、勅を奉じて、南陽へご出陣あるならば、第一に、後の用心が肝要でありましょう。誰に徐州の留守をおあずけなさいますか」
「それがだ」と玄徳も熟考して、
「関羽か張飛のうちのいずれか一名を残して行かねばなるまい」
関羽は、進み出て、
「願わくは、それがしに仰せつけ下さい。後顧の憂いなきよう必ず留守しておりまする」
と、自薦して出た。
「いやいや、其方なら安心だが、其方は、朝夕事を議すにも、また何かにつけても、玄徳の側になくてはならぬ者。……はて、誰に命じたものか?」
と、玄徳が沈思していると、つと、張飛は一歩進み出して、例のように快然と云った。
「家兄。この徐州城に人もなきように、なにをご思案あるか。不肖、張飛もこれに在る。それがしここに留まって死守いたそう。安んじてご出馬ねがいたい」
「いや、其方にはたのみがたい」
「なぜでござるか」
「そちの性は、進んで破るにはよいが、守るには適しない」
「そんな筈はござらん。張飛のどこが悪いと仰せあるか」
「生来、酒を好み、酔えば、みだりに士卒を打擲し、すべてに軽率である。もっとも悪いのは、そうなると、人の諫めも聞かぬことだ。──其方を留めておいては、玄徳もかえって、心がかりでならん。この役は、ほかの者に申しつけよう」
「あいや、家兄。そのご意見は胆に銘じ、自分も平素から反省しているところでござる。……そうだ、こういう折こそいい時ではある。今度のご出馬を機会として、張飛は断じて酒をやめます。──杯を砕いて禁酒する!」
彼は常に所持している白玉の杯を、一同の見ている前で、床に投げつけて打ち砕いた。
その杯は、どこかの戦場で、張飛が分捕った物である。敵の大将でも落して行ったものか、夜光の名玉を磨いたような馬上杯で、(これ、天より張飛に賜うところの、一城にも優る恩賞なり)といって、常に肌身はなさず持って、酒席とあれば、それを取出して、愛用していた。
酒を解さない者には、一箇の器物でしかないが、張飛にとっては、わが子にも等しい愛着であろう。その上に、禁酒の約を誓言したのである。その熾烈な心情に打たれ、玄徳はついにこういって彼を許した。
「よくぞ申した。そちが自己の非を知って改めるからには、なんで玄徳も患をいだこう。留守の役は、そちに頼む」
「ありがたく存じます。以後はきっと、酒を断ち、士卒を憐み、よく人の諫めに従って、粗暴なきようにいたしまする」
情に感じ易い張飛は、玄徳の恩を謝して、心からそう答えた。すると糜竺が、
「そうはいうが、張飛の酒狂いは、二つの耳の如く、生れた時から持っている性質、すこし危ないものだな」と、冷やかした。
張飛は怒って、
「何をいう。いつ俺が、俺の家兄に、信を裏切ったことがあるか」と、もう喧嘩腰になりかけた。
玄徳はなだめて、留守中は何事も堪忍を旨とせよと訓え、また、陳登を軍師として、
「万事、よく陳登と談合して事を処するように」
と云いのこし、やがて自身は、三万余騎を率いて、南陽へ攻めて行った。
今、河南の地、南陽にあって、勢い日増しに盛大な袁術は、かつて、この地方に黄巾賊の大乱が蜂起した折の軍司令官、袁紹の弟にあたり、名門袁一族中では、最も豪放粗剛なので、閥族のうちでも恐れられていた。
「許都の曹操から急使が参りました」
「書面か」
「はっ」
「使者をねぎらってやれ」
「はっ」
「書面をこれへ」
袁術は、ひらいて見ていたが、
「近習の者」
「はい」
「即時、城中の紫水閣へ、諸将に集まれと伝えろ」
袁術は気色を変えていた。
城内の武臣文官は、
「何事やらん?」と、ばかりに、蒼惶として、閣に詰め合った。
袁術は、曹操からきた書面を、一名の近習に読み上げさせた。
劉玄徳、天子に奏し
年来の野望を遂げんと
南陽侵略の許しを朝に請う
君と予とは
また、年来の心友
何ぞ黙視し得ん
ひそかに、急を告ぐ
乞う
油断あるなかれ
「聴かれたか。一同」と、次に袁術は声を大にし、面に朱をそそいで罵った。
「玄徳とは何者だっ。つい数年前まで、履を編み蓆を売っていた匹夫ではないか。先頃、みだりに徐州を領して、ひそかに太守と名のり、諸侯と列を同じゅうするさえ奇怪至極と思うていたに、今また、身のほどもわきまえず、この南陽を攻めんと企ておるとか。──天下の見せしめに、すぐ兵を向けて踏みつぶしてしまえ」
令が下ると、
「行けや、徐州へ」と、十万余騎は、その日に南陽の地を立った。
大将は、紀霊将軍だった。
一方、南下して来た玄徳の軍も、道を急いで来たので、両軍は臨淮郡の盱眙(安徽省・鳳陽県東方)というところで、果然、衝突した。
紀霊は、山東の人で、力衆にすぐれ、三尖の大刀をよく使うので勇名がある。
「匹夫玄徳、なにとて、わが大国を侵すか。身のほどをわきまえよ」
と、陣頭へ出て呼ばわると、
「勅命、わが上にあり。汝ら好んで逆賊の名を求めるか」
と、玄徳も云い返した。
紀霊の配下に荀正という部将がある。馬を駆って、躍り出し、
「玄徳が首、わが手にあり」
と、喚きかかった。
横合から、関羽が、
「うぬっ、わが君へ近づいたら眼がくらむぞ」と、八十二斤の青龍刀を舞わしてさえぎった。
「下郎っ、退けっ」
「汝ごときを、相手になされるわが君ではない。いざ来い」
「何を」
荀正は、関羽につりこまれて、つい玄徳を逃がしてしまったばかりでなく、勇奮猛闘、汗みどろにかかっても、遂に、関羽へかすり傷一つ負わせることができなかった。
戦い戦い浅い河の中ほどまで二騎はもつれ合って来た。関羽は、面倒くさくなったように、
「うおうーッ」
と獅子吼一番して、青龍刀を高く振りかぶると、ざぶんと、水しぶき血しぶき一つの中に、荀正を真二つに斬り捨てていた。
荀正が討たれ、紀霊も追われて、南陽の全軍は潰走しだした。淮陰のあたりまで退いて、陣容を立て直したが、玄徳あなどり難しと思ったか、それから矢戦にのみ日を送って、にわかに、押してくる様子も見えない。
さてまた。
留守城の徐州では、
「者ども、警備を怠るな」と、張飛は張切って、日夜、望楼に立ち、家兄玄徳の軍旅の苦労をしのんで、自分も軍衣を解いて牀に長々と寝るということもなかった。
「さすがは張将軍である」と、留守の将士も服していた。彼の一手一足に軍律は守られていた。
きょうも彼は、城内の防塁を見廻った。皆、よくやっている。城中でありながら士卒も部将も、野営同様に、土に臥し、粗食に甘んじている。
「感心感心」
彼は、士卒の中を、賞め歩いていた。──が、その感賞を、張飛は、言葉だけで、世辞のように振りまいて歩いているのは、なんだか気がすまなかった。
「弓も弦を懸けたままにしておいては、ゆるんでしまう。たまには、弦をはずして、暢びるのもよいことだ。──その代り、いざとなったら直ぐピンと張れよ」
こういって、彼は、封印しておいた酒蔵から、大きな酒瓶を一箇、士卒に担わせて来て、大勢の真ん中へ置いた。
「さあ飲め、毎日、ご苦労であるぞ。──これは其方どもの忠勤に対する褒美だ。仲よく汲みわけて、今日は一献ずつ飲め」
「将軍、よろしいのですか」
部将は、怪しみ、かつ、おそれた。
「よいよい、おれが許すのだ。さあ卒ども、ここへ来て飲め」
もとより士卒たちは、雀躍してみなそこに集まった。──だが、それを眺めて、少しぼんやりしている張飛の顔を見ると、何か悪い気がして、
「将軍は、お飲りにならないのですか」と、訊ねた。
張飛は、首を振って、
「おれは飲まん、おれは杯を砕いておる」と、立ち去った。
しかし、他の屯へ行くと、そこにも不眠不休の士卒が、大勢、城壁を守っているので、
「ここへも一瓶持ってこい」
また、酒蔵から運ばせた。
彼方の兵へも、此方の兵へも、張飛は、平等に飲ませてやりたくなった。酒蔵の番をしている役人は、
「もう十七瓶も出したから、これ以上はおひかえ下さい」と、扉に封をしてしまった。
城中は、酒のにおいと、士卒たちの歓声に賑わった。どこへ行ってもふんぷんと匂う。張飛は、身の置き所がなくなった。
「お一杯くらいはよいでしょう」
士卒のすすめたのを、つい手にして舌へ流しこむと、もうたまらなくなったものか、
「こらこらっ。その柄杓で、それがしにも一杯よこせ」
と、渇いている喉へ水でも流しこむように、がぶがぶ、立て続けに二、三杯飲んでしまった。
「なに、酒蔵役人がもう渡さんと。──ふ、ふ、不埓なことを申すやつだ。張飛の命令であるといって持ってこい。もし、嫌の応のといったら、一小隊で押しよせて、酒蔵を占領してしまえ。……あはははは」
幾つかの酒瓶を転がして、自分の肚も酒瓶のようになると、彼はしきりと、
「わははは。いや愉快愉快、誰か勇壮な歌でも唄え。其方どもがやったら俺もやるぞ」
酒蔵役人の注進で、曹豹が、びっくりして駆けつけて来た。見ればこの態たらくである。──唖然として呆れ顔していると、
「やあ、曹豹か。どうだ、君も一杯やらんか」
張飛が酒柄杓をつきつけた。
曹豹は、振り払って、
「これ! 貴公はもう忘れていたのか。あれほど広言した誓約を」
「なにをぶつぶついう。まあ一杯やり給え」
「馬鹿なっ」
「なに。馬鹿なとはなんだっ。この芋虫めッ」
いきなり酒柄杓で、曹豹の顔を撲りつけ、あッと驚くまに、足を上げて蹴倒した。
曹豹は、勃然と怒って、
「おのれ、なにとて我れを辱めるか。よくも衆の前で蹴ったな」
起き直って、つめ寄った。
張飛は、その顔へ、虹のような酒の息を吐きかけて、
「蹴倒したが悪いか。汝は文官だろう。文官のくせに、大将たる俺に向って、猪口才なことを申すからこらしめたまでだ」
「友の忠言を」
「貴様のような奴はわが友ではない。酒も飲めぬくせに」
とまた、鉄拳をふり上げて、曹豹の顔をはりとばした。
見るに見かねて、兵卒たちが、張飛の腕につかまったり腰にたかったりして止めようとしたが、
「ええい、うるさい」と、ひとゆすり体を振ると、みな振り飛ばされてしまった。
「わははははは、逃げやがった。見ろ、見ろ、曹豹のやつが、俺に撲られた顔を抱えて逃げてゆく態を。ああ愉快、あいつの顔はきっと、樽のようにふくれあがって、今夜一晩じゅううなって寝るにちがいない」
張飛は、手をたたいた。
そして兵隊を相手に、角力を取ろうと云いだしたが、誰も寄りつかないので、
「こいつら、俺を嫌うのか」と、大手をひろげて、逃げ廻る兵を追いかけまわした。まるで、鬼と子供の遊戯の図でも見るように。
一方の曹豹は、熱をもった顔を抱えて、どこやらへ姿を隠してしまったが、「……ウウム、無念だ」と、顔のずきずき痛むたびに、張飛に対する恨みが骨髄にまで沁みてきた。
「どうしてやろう?」
ふと、彼は怖ろしい一策を思いついた。早速、密書をしたためて、それを自分の小臣に持たせて、ひそかに、小沛の県城へ走らせた。
小沛までは、幾らの道のりもない。徒歩で走れば二刻、馬で飛ばせば一刻ともかからない。およそ四十五里(支那里)の距離であった。
ちょうど、呂布は眠りについたばかりのところだった。
そこへ腹心の陳宮が曹豹の小臣から事情を聞きとって、密書を手に、入って来た。
「将軍、お起きなさい。──将軍将軍、天来の吉報ですぞ」
「誰だ。……眠い。そうゆり起すな」
「寝ている場合ではありません。蹶起すべき時です」
「なんだ……陳宮か」
「まあ、この書面をご一読なさい」
「どれ……」と、ようやく身を起して、曹豹の密書を見ると、いま徐州の城は張飛一人が守っているが、その張飛も今日はしたたかに酒に酔い、城兵もことごとく酔い乱れている。明日を待たず兵を催して、この授け物を受けに参られよ。曹豹、城内より門を開いて呼応仕らん──とある。
「天の与えとはこのことです。将軍、すぐお支度なさい」
陳宮がせきたてると、
「待て待て。いぶかしいな。張飛はこの呂布を目の敵にしている漢だ。俺に対して油断するわけはないが」
「何を迷うておられるのです。こんな機会を逸したら、二度と、風雲に乗ずる時はありません」
「大丈夫かな?」
「常のあなたにも似合わぬことだ。張飛の勇は恐るべきものだが、彼の持ち前の酒狂は、以て此方の乗ずべき間隙です。こんな機会をつかめぬ大将なら、私は涙をふるってあなたの側から去るでしょう」
呂布もついに意を決した。
赤兎馬は、久しぶりに、鎧甲大剣の主人を乗せて、月下の四十五里を、尾をひいて奔った。
呂布につづいて、呂布が手飼いの兵およそ、八、九百人、馬やら徒歩やら、押っとる得物も思い思いに我れおくれじと徐州城へ向って馳けた。
「開門! 開門っ」
呂布は、城門の下に立つと、大声でどなった。
「戦場の劉使君より火急の事あって、それがしへ使いを馳せ給う。その儀について、張将軍に計ることあり。ここを開けられよ」と、打ち叩いた。
城門の兵は、楼からのぞいたが、なにやら様子がおかしいので、
「一応、張大将に伺ってみた上でお開け申す、しばらくそれにてお控えあれ」
と、答えておいて、五、六人の兵が、奥へ告げに行ったが、張飛の姿が見あたらない。
その間に、城中の一部から、思いもよらぬ喊の声が起った。曹豹が、裏切りをはじめたのである。
城門は、内部から開かれた。
「──それっ」とばかり呂布の勢は、潮のごとく入って来た。
張飛は、あれからもだいぶ飲んだとみえて、城郭の西園へ行って酔いつぶれ、折ふし夕方から宵月もすばらしく冴えていたので、
──ああいい月だ!
と、一言、独り語を空へ吐いたまま前後不覚に眠っていたのであった。
だから幾ら望楼の上だの、彼の牀のある閣などを兵が探しまわっても、姿が見えないはずだった。
そのうちに、
「……やっ?」
喊の声に、眼がさめた。──剣の音、戟のひびきに、愕然と突っ立ち上がった。
「しまッた!」
猛然と、彼は、城内の方へ馳けだして行った。
が、時すでに遅し──
城内は、上を下への混乱に陥っている。足につまずく死骸を見れば、みな城中の兵だった。
「うぬ、呂布だなっ」
気がついて、駒にとび乗り、丈八の大矛をひッさげて広場へ出てみると、そこには曹豹に従う裏切者が呂布の軍勢と協力して、魔風の如く働いていた。
「目にもの見せん」と、張飛は、血しおをかぶって、薙ぎまわったが、いかんせん、まだ酒が醒めきっていない。大地の兵が、天空に見えたり、天空の月が、三ツにも四ツにも見えたりする。
いわんや、総軍のまとまりはつかない。城兵は支離滅裂となった。討たれる者より、討たれぬ前に手をあげて敵へ降服してしまう者のほうが多かった。
「逃げ給え」
「ともあれ一時ここを遁れて──」と、張飛を取り囲んだ味方の部将十八騎が、無理やりに彼を混乱の中から退かせ、東門の一ヵ所をぶち破って、城外へ逃げ走って来た。
「どこへ行くのだっ。──どこへ連れて行くのだ」
張飛は、喚いていた。
まだ酒の気が残っていて、夢でも見ているような心地がしているものとみえる。
すると、後ろから、
「やあ、卑怯だぞ張飛、返せ返せっ」と、百余騎ばかりを従えて、追いかけて来る将があった。
前の恨みをそそがんと、腕ききの兵ばかりを選りすぐって、追いつつみに来た曹豹であった。
「何を」
張飛は、引っ返すや否、その百余騎を枯葉のごとく蹴ちらして、逃げる曹豹を、真二つに斬りさげてしまった。
血は七尺も噴騰して月を黒い霧にかすめた。満身の汗となって、一斗の酒も発散してしまったであろう張飛は、ほっとわが姿を見まわして、
「ああ!」
急に泣きだしたいような顔をした。
呂布は、呂布らしい爪牙をあらわした。猛獣はついに飼主の手を咬んだのである。
けれど彼は元来、深慮遠謀な計画のもとにそれをやり得るような悪人型ではない。猛獣の発作のごとく至って単純なのである。欲望を達した後は、ひそかに気の小さい良心にさえ咎められているふうさえ見える。
それかあらぬか、彼は、徐州城を占領すると、即日城門の往来や町の辻に、次のような高札など建てて、自身の心に言い訳をしていた。
公布
われ久しく玄徳が恩遇を享く。今、かくのごとしといえども、忘恩無情の挙にあらず、城中の私闘を鎮め、利敵の徒を追い、征後の禍根を除きたるまでなり。
それ軍民ともに速やかに平日の務めに帰し、予が治下に安んぜよ。
呂布はまた、自身、城の後閣へ臨んで、
「婦女子の捕虜を手荒にいたすな」と、兵士たちを戒めた。
後閣には、玄徳の家族たちが住んでいた。しかし、落城と共に、召使いの婦女子を除いて、その余の主なる人々はみな逃げ落ちたことであろうと思っていたところ、意外にも、奥まったほの暗い一室に、どこか気品のある老母と若い美婦人と幼な児たちが、一かたまりになって、じっと、たたずんでいるのを見出した。
「お……おん身らは、劉玄徳の家族たちか」
呂布は、すぐ察した。
ひとりは玄徳の母。
その傍らにあるのは夫人。
手をひいている幼な児たちは玄徳の子であろう。
「…………」
老母は、なにもいわない。
夫人もうつろな眼をしている。
ただ、白い涙のすじが、その頬をながれていた。そして、──どうなることか?
と、恐怖しているものの如く、無言のうちに、微かなおののきを、その青白い顔、髪の毛、唇などに見せていた。
「ははは、あははは」
呂布は突然笑った。
わざと、笑いを見せるために笑ったのであった。
「夫人。ご母堂。──安心するがよい。わしは御身らのごとき婦女子を殺すような無慈悲な者ではない。……それにしても、主君の家族らを捨てて、逃げ落ちた不忠な奴輩は、どの面さげて、玄徳にまみえるつもりか、いかに狼狽したとはいえ、見さげ果てた者どもではある」
呂布は、傲然と、そう呟きながら、部将を呼んで、いいつけた。
「玄徳の老母や妻子を、士卒百人で守らせておけ、みだりにこの室へ人を入れたりなどしてはならんぞ。また、護衛の者どもも、無慈悲なことのないようにいたせよ」
呂布はまた、そう云いわたしてから、夫人と老母の姿を見直した。こんどは安心しているかと思ったからである。
──が、玄徳の母も、夫人の面も、石か珠のように、血の気もなく、また、何の表情も示さなかった。
涙のすじは、止めどなく、二つの面にながれている。そして物をいうことを忘れたように、唇をむすんでいた。
「安心せい。これで、安心したであろう」
呂布は恩を押売りするようにいったけれど、夫人も老母もその頭を下げもしなかった。歓びや感謝の念とは似ても似つかない恨みのこもった眼の光が、涙の底から針のように、呂布の面を、じっと射ていた。
「そうだ。これから俺はいそがしい身だ。──こらっ番士、きっと、護衛を申しつけたぞ」
呂布は、自分を誤魔化すように、そう云いちらして立ち去った。
さて、玄徳のほうでは、留守の徐州にそんな異変が起ったとは知るはずもなく、敵の紀霊を追って、その日、淮陰の河畔へ陣をすすめていた。
黄昏ごろ──
関羽は部下を従えて、一巡り前線の陣地を見廻って戻ってきた。
すると、歩哨の兵が、
「敵か」
「敵らしいぞ」と、野末のほうへ、小手をかざしてさわぎ合っている。
見ると、なるほど、舂きかけた曠野の果てから、夕陽を負ってとぼとぼとこっちへ向って来る一群れの人馬がある。
関羽も、いぶかしげに見まもっていたが、そのうちに、こちらからたしかめるべく馳けて行った兵が、
「張大将だ。張飛どのと、ほか十八騎の味方がやって来られるのだ」と、大声で伝えてきた。
「何。……張飛が来た?」
関羽はいよいよ怪しんだ。ここへ来るわけのない彼が来たとすればこれは、──吉事でないに決っている。
「何事が起ったのか?」
顔を曇らして待っていた。
程なく、張飛と、十七、八騎の者は、落武者の姿もみじめに、それへ来て駒を下りた。
関羽は、彼の姿を見たとたんに、胸へずきと不吉な直感をうけた。いつもの張飛とは別人のようだからである。元気もない。ニコともしない。──あの豪放磊落な男がしおれ返って、自分の前に頭を下げているではないか。
「おい、どうしたんだ」
肩を打つと、張飛は、
「面目ない、生きてお身や家兄に合わせる顔もないんだが、……ともかく罪を謝すために、恥をしのんでこれまでやって来た。どうか、家兄に取次いでくれい」と、力なく云った。
兎も角と、関羽は張飛をともなって玄徳の幕舎へ来た。玄徳も、
「え。張飛が見えたと?」
驚きの目で彼を迎えた。
「申しわけございません」
張飛は平蜘蛛のようにそれへ平伏して、徐州城を奪われた不始末を報告した。──あれほど誓った禁酒の約を破って、大酔したことも、正直に申し立てて面も上げず詫び入った。
「…………」
玄徳は黙然としていたが、やがて訊ねた。
「ぜひもない。だが母上はどうしたか。わが妻子は無事か。母や妻子さえ無事ならば、一城を失うも時、国を奪わるるも時、武運だにあらばまたわれにかえる時節もあろう」
「…………」
「張飛。なぜ答えぬか」
「……はい」
張飛らしくもない蚊の啼くような声だ。彼は鼻をすすって泣きながら云った。
「愧死しても足りません。大酔していたため、ついその……後閣へ馳って、城外へお扶けするいとまもなく」
聞くや否、関羽は急きこんで、
「では、ご母堂も、ご夫人も、お子様たちも、呂布の手にゆだねたまま、汝れひとり落ちてきたのかっ」
と赫となった。
「ああっ、この俺はどうしてこんな愚物に生れてきたか、家兄おゆるし下さい。──関羽、嘲ってくれい」
張飛は、泣きながら、そう叫んで、二つ三つ自分の頭を自分の拳で撲りつけたが、それでもまだ「愚鈍なる我」に対して腹が癒えないとみえて、やにわに剣を抜いて、自ら自分の首を刎ね落そうとした。
突然、剣を抜いて、張飛が自刃しようとする様子に、玄徳は、びっくりして、
「関羽。止めよっ」と、叫んだ。
あっと、関羽は、張飛の剣を奪り上げて、
「何をするっ。莫迦なっ」と、叱りつけた。
張飛は、身もだえして、
「武士の情けに、その剣で、この頭を刎ね落してくれ。なんの面目あって生きていられようか」
と、慟哭した。
玄徳は、張飛のそばへ歩み寄って、病人をいたわるような言葉でいった。
「張飛よ。落着くがいい。いつまで返らぬ繰り言をいうのではない」
優しくいわれて、張飛はなおさら苦しげだった。むしろ笞で打ッて打ッて打ちすえてほしかった。
玄徳は膝を折って彼の手を握り取り、しかと、手に力をこめて、
「古人のいった言葉に──兄弟ハ手足ノ如ク、妻子ハ衣服ノ如シ──とある。衣服はほころぶもこれを縫えばまだまとうに足る。けれど、手足はもしこれを断って五体から離したならいつの時かふたたび満足に一体となることができよう。──忘れたか張飛。われら三人は、桃園に義を結んで、兄弟の杯をかため、同年同日に生るるを求めず、同年同日に死なんと──誓い合った仲ではなかったか」
「……はっ。……はあ」
張飛は大きく嗚咽しながらうなずいた。
「われら兄弟三名は、各〻がみな至らない所のある人間だ。その欠点や不足をお互いに補い合ってこそ始めて真の手足であり一体の兄弟といえるのではないか。そちも神ではない。玄徳も凡夫である。凡夫のわしが、何を以て、そちに神の如き万全を求めようか。──呂布のために、城を奪われたのも是非のないことだ。またいかに呂布でも、なんの力もない我が母や妻子まで殺すような酷いこともまさか致しはすまい。そう嘆かずと、玄徳と共に、この後とも計をめぐらして、我が力になってくれよ。……張飛、得心が参ったか」
「……はい。……はい。……はい」
張飛は、鼻柱から、ぽとぽとと涙を垂らして、いつまでも、大地に両手をついていた。
玄徳のことばに、関羽も涙をながし、そのほかの将も、感に打たれぬはなかった。
その夜、張飛はただ一人、淮陰の河べりへ出て、なお、哭き足らないように月を仰いでいた。
「愚哉! 愚哉! ……おれはどこまでも愚物だろう。死のうとしたのも愚だ。死んだら詫びがすむと考えたのも、実に愚だ。──よしっ、誓って生きよう。そして家兄玄徳のために、粉骨砕身する。それこそ今日の罪を詫び、今日の辱をそそぐものだ」
大きな声で、独り言を洩らしていた。その顔を、ほとりにいた馬が、不思議そうにながめていた。
馬は月に遊んでいた。河の水に戯れ、草を喰んで、明日の英気を養っているかに見える。
──その夜、合戦はなかった。
次の日も、これというほどな戦いもない。前線の兵は、敵もうごかず味方も動かずであった。時おり、矢と矢が交わされる程度で、なお、幾日かを対陣していた。
ところが。
その間に、早くも、袁術のほうでは、手をまわし徐州の呂布へ、外交的に働きかけていた。
「もし足下が、玄徳の後ろを攻めて、わが南陽軍に利を示すならば、予は戦後君に対して、糧米五万石、駿馬五百匹、金銀一万両、緞子千匹を贈るであろう」
という好餌をもって、呂布を抱きこみにかかったのである。
勿論、呂布はよろこんで袁術から申し出た密盟に応じた。
すぐ、部下の高順に、三万の兵をさずけて、
「玄徳の後ろを襲え」と、盱眙へ急がせた。
盱眙の陣にあった玄徳は、早くもその情報を耳にして、
「如何にしたものか」を、幕僚に謀った。
張飛、関羽は口をそろえて、
「たとえ前後に敵をうけて、不利な地に立つとも、紀霊、高順の徒、何ほどのことかあらん」
と、悲壮な臍をかためて、乾坤一擲の決戦をうながしたが、玄徳は、
「いや、いや。ここは熟慮すべき大事なところだろう。どうもこの度の出陣は、何かと物事が順調でなかった。運命の波長が逆に逆にとぶつかってくる。思うに今、玄徳の運命は順風にたすけられず、逆浪にもてあそばれる象である。──天命に従順になろう。強いて破船を風浪へ向けて自滅を急ぐは愚である」と、説いて、自重することを主張した。
「わが君に戦意がないものを、どうしようもあるまい」
と、ほかの幕将たちは、張飛や関羽をなだめて、評議は、逃げ落ちることに一決した。
大雨の夜だった。
淮陰の河口は大水があふれて、紀霊軍も追撃することはできなかった。その暴風雨の闇にまぎれて、玄徳は、盱眙の陣をひきはらい、広陵の地方へ落ちて行った。
高順の三万騎が、ここへ着いたのは翌る日だった。みれば、草はみな風雨に伏し、木は折れ、河はあふれて、人馬の影はおろか、陣地の跡に一塊の馬糞もなかった。
「敵は、高順の名を聞いただけで逃げ落ちてしまったぞ、なんと笑止なことではないか」
高順は早速、紀霊の陣へ出向いて、紀霊と会見の後で、
「約束のごとく、玄徳の軍を追い落したから、ついては、条件の金銀粮米、馬匹、絹布などの品々を頂戴したい」と、申し出た。
すると紀霊は、
「やあ、それは主人袁術と、ご辺の主君呂布との間で結ばれた条件であろうが、このほうはまだ聞いていない。また聞いていたところで、そんな多額な財貨をそれがし一存でどうしようもない。いずれ帰国の上、主人袁術へ申しあげておくから、尊公もひとまずお帰りあって、何ぶんの返答をお待ちあるがよかろう」と、答えた。
無理もない話なので、高順は、徐州へ立ち帰って、そのとおりに呂布へ復命しておいた。
ところが、その後、袁術から来た書簡をひらいて見ると、
玄徳、今、広陵にひそむ
速やかに彼が首を挙げ、
先に約せる財宝を購え。
価を払わずして、
何ぞ、求むるのみを知るや。
「なんたる無礼な奴だろう。おれを臣下とでも思っているのか、自分のほうから提示した条件なのに、欲しければ、玄徳の首を値に持ってこいと、人を釣るようなこの文言は何事か」
呂布は、忿怒した。
われを欺いた罪を鳴らし、兵を向けて、袁術を打ち破らんとまで云いだした。
例によって、彼の怒りをなだめる役は、いつも陳宮であった。
「袁一門には、袁紹という大物がいることを忘れてはいけません。袁術とても、あの寿春城に拠って、今河南第一の勢いです。──それよりは、落ちた玄徳を招いて、巧みに用い、玄徳を小沛の県城に住まわせて、時節をうかがうことです。──時到らば兵を起し、玄徳を先手とし、袁術を破り、次いで、袁閥の長者たる袁紹をも亡ぼしてしまうのです。さもあれば天下の事、もう半ばは、あなたの掌にあるではありませんか」
翌日。呂布の使いは、広陵(江蘇省・楊州)へ立った。
玄徳は、その後、わずかな腹心と共に、広陵の山寺にかくれていた。
乱世の慣いとはいえ、一歩踏みはずすと、その顛落は実に早い。三日大名、一夜乞食ということは当時の興亡浮沈にただよわされていた無数の英雄門閥の諸侯にそのまま当てはまっている言葉だった。
玄徳といえども、その風雲の外にはいられなかった。あれから袁一門の部族からこもごも奇襲をうけて、敗亡また敗亡の非運をつづけていた。──食糧と財がなければ、兵はみな馬や武器を盗んで、
「今が見限り時」とばかり、陣を脱して逃亡してしまうのも、当り前のようにしている彼らの乱世生活であった。
山深く、廃寺の奥にひそんで、玄徳が身辺を見まわした時は、関羽、張飛、そのほか十数名の直臣と、数十騎の兵しか残っていなかった。
そこへ、呂布の使いが来た。
「また、何か詐わりを構えて来たのだな」
関羽は、その内容の如何を問わず反対した。張飛もまた、
「家兄、行ってはなりませんぞ」と、止めた。
「否とよ」
が、玄徳は、彼らをなだめて、呂布の招きに応じようとした。その理由は、
「すでに、彼も善心を起して、自分へ情けを寄せてきたのだ。人の美徳を辱めるのは、人間の良心へ唾することになろう。この暗澹たる濁世にも、なお、人間の社会が獣にまで堕落しないのは、天性いかなる人間にも、一片の良心は持って生れてきているからである。──だから人の良心と美徳は尊ばねばならぬ」と、いうのであった。
張飛は、蔭で舌打ちした。
「すこし兄貴は孔子にかぶれておる。武将と孔子とは、天職がちがう。──関羽、貴様もよくないぜ」
「なぜ俺が悪い?」
「閑があると、おぬしは自分の趣味で、兄貴へ学問のはなしをしたり、書物をすすめたりするからいけないんだ。──なにしろおぬしも根は童学草舎の先生だからな」
「ばかをいえ、じゃあ、武ばかりで文がなかったら、どんな人物ができると思う。ここにいる漢みたいな人間ができはせんか」
と関羽は指で張飛の鼻をそっと突いた。張飛は、ぐっと詰って、鼻をへこましてしまった。
日を改めて、玄徳は、徐州の境までおもむいた。
呂布は、玄徳の疑いを解くために、まず途中まで彼の母堂、夫人などの家族を送って対面させた。
玄徳は、母と妻とを、両の手に迎え入れ、わが子にまつわられながら、
「オオ、有難いことよ」と、皆の無事を、天に謝した。
夫人の甘氏と糜氏は、
「呂布は、わたし達の門を守らせて、時おり、物を贈って、よく見舞ってくれました」と、告げた。
やがてまた、呂布自身、玄徳を城門に出迎えて、
「自分は決して、この国を奪うたのではない。城内に私闘が起って、自壊の兆しがみえたから、未然に防いで、暫時守備の任に当っていたまでである」と、言い訳した。
「いや、私は初めから、この徐州は、将軍に譲ろうと思っていたくらいですから、むしろ適当な城主を得たとよろこんでいる程です。どうか、国を隆盛にし、民を愛して下さい」
呂布は、心とは反対に、再三辞退したが、玄徳は、彼の野望を満足さすべく、身を退いて、小沛の田舎城にひき籠ってしまった。そしてしきりと憤慨する左右の者をなだめて、こういった。
「身を屈して、分を守り、天の時を待つ。──蛟龍の淵にひそむは昇らんがためである」
大河は大陸の動脈である。
支那大陸を生かしている二つの大動脈は、いうまでもなく、北方の黄河と、南方の揚子江とである。
呉は、大江の流れに沿うて、「江東の地」と称われている。
ここに、呉の長沙の太守孫堅の遺子孫策も、いつか成人して、当年二十一歳の好青年となっていた。
「彼は、親まさりである。江東の麒麟児とは、彼であろう」
世間でも、父の遺臣の中でも、彼の成長に期する者は多かったが、如何せん、父孫堅の屍を曲阿の原に葬って、惨たる敗軍をひいて帰ったその年は、まだ年歯わずか十七歳で──。以来、賢をあつめ、兵を練り、ひそかに家名の再興を計っていたが、逆境のつづく時はどうしようもなく、遂にその後長沙の地を守りきれない悲運に会してしまった。
「時節が来たらお迎えに来ますから、しばらく、田舎に隠れていて下さい」
彼は、老母と一族を、曲阿の身寄りへあずけておいて、十七歳の頃から諸国を漂泊した。
ひそかに誓う大志を若い胸に秘めて、国々の人情、地理、兵備などを見て歩いた。いわゆる武者修行の辛酸をつぶさになめて遍歴したのである。
そして、二年ほど前から、淮南に足をとめて、寿春城の袁術の門に、食客として養われていた。
袁術と、亡父孫堅とは、交わりのあった仲であるのみならず、孫堅が劉表と戦って、曲阿の地で討死したのも──まったく袁術の使嗾があの合戦の動機でもあったから、──袁術も同情して、
「わが手許におるがよい」と、特にひきとめて、子の如く愛していたのであった。
その間、涇県の戦に出て、大功をあらわし、盧江の陸康を討伐に行って、比類なき戦績をあげた。
平常は書をよみ、挙止物静かで、よく人に愛賢を持っていたので、ここでも、
「彼は、大江の鱖魚だ」と、人々に嘱目されていた。
その孫策は、ことし二十一。──暇あれば、武技を練り、山野に狩猟して、心身を鍛えていたが、その日も、わずかな従者をつれて、伏牛山に一日を狩り暮し、
「ああ、くたびれた」と、中腹の岩に腰かけて、荘厳なる落日の紅雲をながめていた。
袁術の州府寿春城から淮南一帯の町々や部落は、目の下に指される。
──うねうねとそこを流れている一水は淮河の流れである。
淮河は狭い。
大江の流域からくらべれば比較にならないほどである。しかし、孫策は、
「ああ、いつの日か、大江の水にのせて、わが志を展べる時が来ることか」
と、すぐ江東の天に思いを馳せずにはおられなかった。
「曲阿の母は」と憶いに沈み、
「いつ、恥なき子として、父の墳墓の草を掃くことができるだろうか」と独り嘆じていた。
すると、物蔭に休んでいた従者のひとりががさがさと、歩み寄ってきて、
「御曹司、なにを無益に嘆き給うか。──あなたは、前途ある青年ではないか。この落日は明日のない落日ではありませんぞ」と、いった。
誰かと驚いてみると、朱治字は君理、その以前、父孫堅の家臣のひとりだったという者である。
「おお、君理か。きょうも一日暮れてしまった。山野を狩りして何になろう……。わしは毎日空しくこういう日を過しているのが、天地にすまない気がするのだ。一日として、それを心に詫びない日はない、いたずらに、慕郷の情にとらわれて、女々しく哭いているわけではないよ」
孫策は、真面目にいった。
君理は、孫策の意中を聞くと、共に嘆じた。
「ああ、やはりそうしたお心でしたか。少年日月早し。──鬱勃たるお嘆きはけだし当然です」
「わかるだろう、君理。……わしの悶々たる胸のうちが」
「日頃から拝察しています。わたくしも、呉に生れた一人ですから」
「祖先の地を失って、他国の客となり、青春二十一、なお空しく山野に鳥獣をおう。……ああ、わしは考えると、今の境遇に耐えられなくなる」
「御曹司……孫策様……。それほどまでに思し召すなら、なぜ大丈夫たるもの、思いきって、亡き父上の業を継ごうとしないのです」
「でも、わしは一介の食客だ。いかに袁術が可愛がってくれても、わしに獣をおう狩猟弓は持たせても、大事を興す兵馬の弓箭は持たせてくれない」
「ですから、その温床に甘えてはいけません。──あなたを甘やかすもの、愛撫するもの、美衣美食、贅沢な生活。すべてあなたの青春を弱める敵です」
「でも、袁術の情けにも、裏切れない」
「そんな優柔不断は、ご自身で蹴ってしまわなければ、生涯、碌々と終るしかありますまい。──澎湃たる世上の風雲をごらんなさい、こういう時代に生れ会いながら、綿々たる愚痴にとらわれていてどうなりましょう」
「そうだ。真実、わしもそれを痛感しているのだ。──君理、どうしたらわしは、何不自由もない今の温床を脱して、生きがいのある苦難と闘う時代の子となれるだろうか」
「あなたの叔父様に、不運な方があるでしょう。──え、丹陽の太守であった」
「ウむ。母方の叔父、呉景のことかね」
「そうです。呉景どのは今、丹陽の地も失って、落ちぶれているとか伺いましたが……その逆境の叔父御を救うためと称して、袁術に暇を乞い、同時に兵をお借りなさい」
「なるほど!」
孫策は、大きな眼をして、夕空を渡る鳥の群れを見あげながらじっと考えこんでいた。
すると、さっきから木陰にたたずんで、二人の話を熱心に立ち聞きしていたものがある。
二人の声が途切れると、ずかずかとそれへ出てきて、
「やよ、江東の麒麟児、なにをためらうことがあろう。父業を継いで起ち給え。不肖ながらまず第一にわが部下の兵百余人をつれて、真っ先に力をそえ申そう」と、唐突にいった。
驚いて、二人が、
「何者?」
と、その人を見れば、これは袁術の配下で、この辺の郡吏を勤めている呂範字を子衡という男であった。
(子衡はひとかどの謀士である)と家中でもその才能は一部から認められていた。孫策は、この知己を得て、非常な歓びを覚えながら、
「そちもまた、わが心根をひそかに憐れむ者か」と、いった。
子衡は、誓言を立てて、
「君、大江を渡るなれば」と、孫策を見つめた。
孫策は、火の如き眸に答えながら、
「渡らん、渡らん、大江の水、溯らん、溯らん、千里の江水。──青春何ぞ、客園の小池に飼われて蛙魚泥貝の徒と共に、惰眠をむさぼらんや」
と叫ぶと、忽然と起って、片手の拳を天に振った。
子衡は、その意気をおさえて、
「しかし、孫策様。てまえが推量いたすに、袁術は、決して兵を貸しませんぞ。なんと頼んでも、兵だけは貸しません。──その儀はどうなさいますか」
「心配するな。覚悟さえ決めたからには、この孫策に考えがある」
弱冠、早くも孫策は、この一語のうちに、未来の大器たるの片鱗を示していた。
「どうして袁術から兵をお借りになりますか」
子衡、君理のふたりは、孫策の胸をはかりかねて、そう質した。すると孫策は、
「袁術が日頃から欲しがっている物を、抵当として渡せば、必ず兵を借りうけられよう」
と、自信ありげに微笑した。
──袁術の欲しがっている物?
二人は小首をかしげたが分らなかった。さらに、それはなにかと訊くと、孫策は自分の肌を抱きしめるようにして、
「伝国の玉璽!」
と、強くいった。
「えっ? ……玉璽ですって」
二人は疑わしげな顔をした。
玉璽といえば、天子の印章である。国土を伝え、大統を継ぐにはなくてはならない朝廷の宝器である。ところがその玉璽は、洛陽の大乱のみぎりに、紛失したという沙汰がもっぱらであった。
「ああ。では……伝国の玉璽は、今ではあなたのお手にあったのですか」
子衡はうなるように訊ねた。──洛陽大乱の折、孫策の父孫堅が、禁門の古井戸から発見して、それを持って国元へ逃げたという噂は当時隠れもないことであった。子衡はふと、その頃の風説を思い起したのであった。
孫策は、あたりを見廻して、
「ウム。これに」と、ふたたび自分の胸をしかと抱いて見せながら云いだした。
「亡父孫堅から譲られて、常に肌身に護持しておるが、いつか袁術はそれを知って、この玉璽に垂涎を禁じ得ないふうが見える。──元々、彼は身の程も知らず、帝位に即こうとする野心があるので、それには、玉璽をわが物にしなければと考えておるものらしい」
「なるほど、それで読めました。袁術があなたを我が子のように愛しているわけが」
「彼の野心を知りながら、知らぬような顔をしていたればこそ、自分も無事にきょうまで袁術の庇護をうけてこられたのだ。いわばこの身を守り育ててくれたのは、玉璽のお蔭といってよい」
「しかし、その大切な玉璽を、袁術の手へ、お渡しになるご決心ですか」
「いかに大事な品であろうと、この孫策は、一箇の小筐の中になど大志は寄せぬ。わが大望は天地に持つ」
孫策の気概を見て、二人はことごとく心服した。その日、三名のあいだに、約束はすっかりできていた。
日を経て、孫策は、寿春城の奥まった所で、袁術にこう訴えた。
「いつか三年のご恩になりました。そのご恩にも酬いず、こういうお願いをするのは心苦しいきわみですが、先ごろ、故郷から来た友達の話を聞くと、叔父の呉景が、楊州の劉繇に攻めたてられ、身の置き所もない逆境だということです。曲阿にのこしてある私の母や叔母や幼い者たちも、一家一族、非運の底におののいていると聞きます……」
孫策はさしうつ向いて、涙声になりながら云いつづけた。
「──お蔭で私も、はや二十一となりましたが、未だ父の墓も掃かず、日々安閑としているのは、もったいなくもあり、また、腑がいない心地もします。どうか一軍の雑兵を私にお貸し下げください。江を渡って、叔父を救け、いささか亡父の霊をやすめ、せめて母や妹たちの安穏を見て再び帰って参りますから」
彼は、そう云い終ると、黙然と考えこんでいる袁術の眸の前へ──伝国の玉璽の入っている小筐をうやうやしくささげて出した。
眼は心の窓という。一目それを見ると、袁術の顔はぱっと赭くなった。つつみきれない歓びと野望の火が、眸の底に赫々とうごいた。
「この玉璽を質としてお手にあずけておきますから、願いの儀を、どうかお聞き届けくださいまし」
孫策がいうと袁術は、
「何。玉璽をわしの手に預けたいと?」
待っていたといわぬばかりな口ぶりで快諾した。
「よいとも、よいとも、兵三千に、馬五百匹を貸し与えよう。……それに、官爵の職権もなくては、兵を下知するに、威が届くまい」
袁術は、多年の野望がかなったので、孫策に、校尉の職を与え、また殄寇将軍の称をゆるした上、武器馬具など、すべて整えてくれた。
孫策は、勇躍して、即日、勢を揃えて出立した。
従う面々には、先の君理、子衡をはじめとして、父の代から仕えて、流浪中も彼のそばを離れずにきた程普、黄蓋、韓当などの頼もしい者もいた。
暦陽(江西省)のあたりまで来ると、彼方から一面の若武者が来て、
「おっ、孫君」と、馬を下りて呼んだ。
見れば、姿風秀麗、面は美玉のごとく、年頃も孫策と同じくらいな青年だった。
「やあ、周君か。どうしてここへ来たか」
なつかし気に孫策も馬を下りて、手を握り合った。
彼は盧江(安徽省)の生れで、周瑜字を公瑾といい、孫策とは少年時代からの竹馬の友だったが、その快挙を聞いて、共に助けんと、ここまで急いで来たのだと語った。
「持つべきものは友だ。よく来てくれた。どうか一臂の力をかしてくれ給え」
「もとより君のためなら犬馬の労もいとわないよ」
ふたりは駒を並べて進みながら睦まじそうに語らった。
「時に君は、江東の二賢を知っているか」
周瑜のことばに、
「江東の二賢とは?」
「野に隠れている二人の賢人さ。ひとりは張昭といい、ひとりは張紘という。だから江東の二張とも称ばれている」
「そんな人物がいるのか」
「ぜひ二賢を招いて、幕僚に加え給え。張昭は、よく群書をみて、天文地理の学問に明らかなんだし、また張紘のほうは、才智縦横、諸経に通じ、説を吐けば、江東江南の百家といえど彼の右に出る者はない」
「どうしたらそんな賢人を招けるだろうか」
「権力をもってのぞんでもだめだし、財物を山と運んでも動くまい、人生意気に感ず──ということがあるから、君自身が行って、礼をつくし、深く敬って、君の抱懐している真実を告げるんだね。……そしたら事によると、起つかも知れない」
孫策は、よろこんで、やがてその地方に至ると、自身、張昭の住んでいる田舎を訪れ、その隠棲の閑居をたずねた。
彼の熱心は、遂に張昭をうごかした。
「どうか、若年の私を叱って、父の讐を報じさせて下さい」
その言葉が、容易に出ない隠士張昭を起たせたのである。
また。
その張昭と周瑜を使いとして、もう一名の張紘をも説かせた。
彼の陣中には、望みどおりの二賢人が、左右の翼となって加わった。
張昭を、長史中郎将と敬い、張紘を参謀正義校尉と称えて、いよいよ一軍の偉容はととのった。
さて、そこで。
孫策が、第一の敵として、狙いをつけたのは叔父呉を苦しめた楊州の刺史劉繇である。
劉繇は、揚子江岸の豪族であり、名家である。
血は漢室のながれを汲み、兗州の刺史劉岱は、彼の兄にあたる者だし、太尉劉寵は、伯父である。
そして今、大江の流れに臨む寿春(江西省・九江)にあって、その部下には、雄将が多かった。──それを正面の敵とする孫策の業もまた難い哉といわなければならない。
牛渚(安徽省)は揚子江に接して後ろには山岳を負い、長江の鉄門といわれる要害の地だった。
「──孫堅の子孫策が、南下して攻めて来る!」
と、聞え渡ると、劉繇は評議をひらいて、さっそく牛渚の砦へ、兵糧何十万石を送りつけ、同時に、張英という大将に大軍を授けて防備に当らせようとした。
その折、評議の末席にいた太史慈は、進んで、
「どうか、自分を先鋒にやって下さい。不肖ながら必ず敵を撃破して見せます」
と、希望したが、劉繇はじろりと、一眄したのみで、「そちにはまだ資格はない」と、一言のもとに退けた。
太史慈は顔を赧らめて沈黙した。彼はまだ三十歳になったばかりの若年だし、劉繇に仕えてから年月も浅い新参でもあったりするので、
「さし出がましい者」という眼で大勢に見られたのを恥じたような態であった。
張英は、牛渚の要塞にたてこもると、邸閣とよぶ所に兵糧を蓄えて、悠々と、孫策の軍勢を待ちかまえていた。
それより前に、孫策は、兵船数十艘をととのえて、長江に泛かみ出て、舳艫をつらねて溯江して来た。
「オオ、牛渚だ」
「物々しい敵の備え」
「矢風にひるむな。──あの岸へ一せいに襲せろ」
孫策を始め、子衡、周瑜などの将は、各〻、わが船楼のうえに上って、指揮しはじめた。
陸地から飛んで来る矢は、まるで陽も晦くなるくらいだった。
舷を搏つ白浪。
岸へせまる鬨の声。
「つづけや、我に」
とばかり早くも孫策は、舳から陸地へ跳び降りて、むらがる敵のうちへ斬って入る。
「御曹司を討たすな」と、他の船からも、続々と、将兵が降りた。また、馬匹が上げられた。
味方の死骸をこえて、一尺を占め、また死骸をふみこえて、十間の地を占め──そうして次第に全軍は上陸した。
中でも、その日、目ざましい働きをしたのは孫策軍のうちの黄蓋だった。
彼は、敵将張英を見つけて、
「ござんなれ」と、奔馬をよせて斬りかけた。
張英も豪の者、
「なにを」と、喚きあって、力戦したが、黄蓋にはかなわなかった。馬をめぐらして急に味方の中へ逃げこむと、総軍堤の切れたように敗走しだした。
ところが。
牛渚の要塞へと逃げて来ると、城門の内部や兵糧庫のあたりから、いちめんの黒煙があがっていた。
「や、や、何事だ」
張英が、うろたえていると、要塞の内から、味方の兵が、
「裏切者だっ」
「裏切者が火を放った」と、口々にさけびながら煙と共に吐き出されてきた。
火焔はもう城壁の高さを越えていた。
張英は、逃げまどう兵をひいて、ぜひなく山岳のほうへ走った。──振りかえれば、勢いに乗った孫策の軍は、おそろしい迅さで追撃して来る。
「いったい何者が裏切りしたのか。いつの間に、孫策の手が味方の内へまわっていたのだろうか?」
山深く逃げこんだ張英は、兵をまとめて一息つくと共に、何か、魔に襲われたような疑いにつつまれて、敗戦の原因を考えこんでいた。
孫策の軍は、大勝を博したが、その日の大勝は、孫策にとっても、思いがけない奇捷であった。
「いったい城中よりの火の手をあげて、われに内応したのは何者か」と、いぶかっていると、搦手の山道からおよそ三百人ほどの手下を従えて、鉦鼓をうち鳴らし、旗をかかげ、
「おーい。箭を放つな。おれ達は孫将軍のお味方だ。敵の劉繇の手下と間違えられては困る」
呶鳴りながら降りてくる一群の兵があった。
やがてその中から、大将らしい者が二人。
「孫将軍に会わせてくれ」と、先へ進んできた。
孫策は、近づけて、その二人を見るに、ひとりは、漆を塗ったような黒面に、太くして偉なる鼻ばしらを備え、髯は黄にして、鋭い犬歯一本、大きな唇をかんでいるという──見るからに猛気にみなぎっている漢だった。
また、もうひとりのほうは、眼朗らかに、眉濃く、背丈すぐれ、四肢暢びやかな大丈夫で、両名とも、孫策の前につくねんと立ち、
「やあ、お初に」
「あなたが孫将軍で」
と、礼儀もよくわきまえない野人むきだしな挨拶の仕振りである。
「君たちは、一体、誰かね」
孫策が、訊ねると、大鼻の黒面漢が、先に答えた。
「おれたち二人は、九江の潯陽湖に住んでいる湖賊の頭で、自分は公奕といい、ここにいるのは弟分の幼平という奴です」
「ホ、湖賊?」
「湖に船をうかべて住み、出ては揚子江を往来する旅泊の船を襲い、河と湖水を股にかけて稼いできたんでさ」
「わしは良民の味方で、良民を苦しめる賊はすなわち我が敵だ。白昼公然と、わが前に現れたは何の意か」
「いや、実あ今度お前さんがこの地方へ来ると聞いて、弟分の幼平と相談したんでさ。──いつまで俺たちも湖賊でもあるまいとね。それと、孫堅将軍の子ならきっと一かどの者だろう。征伐されちゃあたまらない。それよりいッそ足を洗って、真人間に返ろうじゃねえかというわけで」
「ふム」
孫策は、苦笑した。そしてその正直さを愛した。
「──それにしても、手ぶらで兵隊の中へ加えておくんなせえといってでるのも智慧がなさ過ぎる。何か一手柄たててそれを土産に家臣に加えてくれといえば待遇もいいだろう。──よかろう。やろうというわけで、一昨日の晩から、牛渚の砦の裏山へ嶮岨をよじて潜りこみ、きょうの戦で、城内の兵があらかた出たお留守へ飛びこみ、中から火をつけて、残っている奴らをみなごろしに片づけてきたという次第なんで……。へい。どんなもんでしょうか御大将。ひとつ、あっしどもを、旗下に加えて使っておくんなさいませんか」
「はっははは」
孫策は、手をたたいて、傍らにいる周瑜や謀士の二張をかえりみながら、
「どうだ、愉快な奴どもではないか。──しかし、あまり愉快すぎるところもあるから、貴公らの仲間に入れて、すこし武士らしく仕込んでやるがいい」と、いった。
随身を許されて、二人は、喜色をたたえながら、いかめしい顔を並べている諸将へ向って、
「へい、どうかまあ、これからひとつ、ご昵懇におねがい申します」
と、仁義を切るようなお辞儀をした。
一同もふき出した。けれど、当人は大真面目である。のみならず敵の兵糧倉からは兵糧を奪い取ってくるし、附近の小賊や、無頼漢などを呼び集めてきたので、孫策の軍は、たちまち四千以上の兵力になった。
鉄壁と信じていた防禦線の一の砦が、わずか半日のまに破られたと聞いて、劉繇は、
「一体味方の勢はいたのか、いないのか」と愕然、色を失った。
そこへ張英が、敗走の兵と共に、霊陵城へ逃げこんで来たから、彼の憤怒はなおさらであった。
「なんの顔容あって、おめおめ生き返ってきたか。手討ちにして、衆人の見せしめにせん」
とまで息まいたが、諸臣のなだめに、張英はようやく一命を助けられた。
動揺は甚だしい。
そこでにわかに霊陵城の守りをかため直し、劉繇みずから陣中に加わって、神亭山の南に司令部をすすめた。
孫策の兵四千余も、その前日、神亭の山の北がわへ移動していた。
そこに駐軍してから数日後のこと、孫策は土地の百姓の長をよんで訊ねていた。
「この山には、後漢の光武帝の御霊廟があるとか、かねて聞いていたが、今でもその廟はあるのかね」
「へい、御霊廟は残っておりますが、誰も祭る者はございませぬので、いやもうひどく荒れておりまする」
「嶺の上か。そこは」
「頂上よりは下った中腹で、そこへ登りますると、鄱陽湖から揚子江のながれは目の下で、江南江北も一目に見わたされまする」
「明日、われをそこへ案内せい。自身参って、廟を掃い、いささか心ばかりの祭をいたすであろう」
「かしこまりました」
里長が帰って行った後で、張昭は、彼に諫めた。
「廟の祭をなさるのも結構ですが、戦終った後でなされてもいいでしょう」
「いや、急になにか、詣でたくなった。行かないと気がすまない」
「それはまた、なぜですか」
「ゆうべ夢を見た」
「夢を?」
「光武帝がわが枕元に立たれて、招くかと思えば、松籟颯々と、神亭の嶺に、虹のごとき光を曳いて見えなくなった」
「……でも今、山の南には、劉繇が本陣をすすめております。途中もし伏勢にでもお遇い遊ばしたら」
「いやいや、われには神明の加護がある。神の招きによって、神の祭に詣ずるのだ。なんの怖れやあろう」
次の日。──約束の里長を案内者として、彼は騎馬で山道へ向った。
随従の輩には、
程普、黄蓋、韓当、蒋欽、周泰などの十三将がつづいた。おのおの槍をさげ戟を横たえ、追々と登りつめて行くほどに、十方の視野はひらけ、雲から雲まで、続く大陸を、長江千里の水は、初めもなく果てもなく、ただ蜿蜒と悠久な姿を見せている。
それはまた、沿岸いたる所にある無数の湖や沼とどこかでつながっていた。黄土の大陸の十分の一は巨大な水溜りばかりだった。──そのまた土壌の何億分の一くらいな割合に、鳥の糞をこぼしたような部落があった。それの少し多く集まっているのが町である。城内である。
「オオ、此処か」
廟を仰ぐと、人々は馬を降り、辺りの落葉を掃って、供え物を捧げた。
孫策は香を焚いて、廟前にぬかずくと、詞をもって、こう祈念した。
「尊神よ。願わくは、わたくしに亡父の遺業を継がせて下さい。不日、江東の地を平定いたしましたら、かならず御廟を再興して、四時怠らず祭をしましょう」
そして、そこを去ると、彼は、嶺の道を、もとのほうへは戻らずに、南へ向って降りて行こうとするので諸将は驚きあわてて、
「ちがいます。道がちがう。そう参っては、敵地へ降りてしまいますぞ」と、注意した。
「違わぬ違わぬ」
孫策は、振向きもしない。
供の諸将は、怪しんで、
「味方の陣地は、北の道を降りるのですが」と、重ねていうと、
「だから南へ降りるのだ。ここまで来て、空しく北へ降りるのは遺憾千万ではないか。……事のついでに、この谷を降り、彼方の嶺をこえて、敵の動静を探って帰ろう」
と孫策が始めて意を明かすと、さしも豪胆な武将たちも、びっくりした。
「えっ。この十三騎で?」
「ひそかに近づくには、むしろ小勢がよかろう。臆病風にふかれて危ぶむ者は、帰っても苦しゅうないぞ」
そういわれては、帰る者も諫める者もあるわけはなかった。
渓流へ下りて、馬に水飼い、また一つの嶺をめぐって、南方の平野をのぞきかけた。
すると早くも、その附近まで出ていた劉繇の斥候が、
「孫策らしい大将が、わずか十騎ばかりで、すぐあの山まで来ています」
と、中軍──即ち司令部へ馳けこんで急報した。
「そんなはずはない」
劉繇は、信じなかった。
次の物見がまた、
「たしかに孫策です」と、告げてくると、
「しからば計略だ。──敵の謀略にのってかろがろしく動くな」と、なおさら疑った。
幕将の中でも下級の組に、年若いひとりの将校がいた。彼はさっきから斥候の頻々たる報告を聞いて、ひとり疼々しているふうだったが、ついに、諸将のうしろから躍りでて叫んだ。
「天の与えというものです。この時をはずしてどうしましょう。どうか、それがしに、孫策を生け捕ってこいとお命じ下さい」
劉繇は、その将校を見て、
「太史慈。──また、広言を吐くか」と、いった。
「広言ではございません。かかる時をむなしく過して、手をこまねいているくらいなら、戦場へ出ないほうがましです」
「行け。それほど申すなら」
「有難うぞんじます」と一礼して、太史慈は勇躍しながら、
「おゆるしが出た。われと思わん者はつづけ」
と、たった一人、馬に跳び乗るが早いか、馳けだして行った。
すると座中からまた一名の若い武将が立ち上がって、
「孫策は、まことの勇将だ。見捨ててはおけない」と、馬を出して馳け去った。
満座、みな大いに笑う。
一方、孫策は、敵の布陣をあらまし見届けたので、
「帰ろうか」と、馬をかえしかけていた。
ところへ、麓のほうから、
「逃ぐるなかれ! 孫策っ、逃ぐるなかれ!」と、呼ばわる者がある。
「──誰だ?」
屹と振返ってみると、駒を躍らせて、それへ登って来た太史慈は、槍を横たえて、
「その内に、孫策はなきか」と、たずねた。
「孫策はここにおる」
「おッ。そちか孫策は」
「しかり! 汝は?」
「東莱の太史慈とは我がことよ。孫策を手捕りにせんため、これまで参ったり」
「ははは。物ずきな漢」
「後に従う十三騎も、束になって掛るがよい。孫策、用意はいいか」
「何を」
槍と槍、一騎と一騎、火をちらして戦うこと五十余合、見るものみな酔えるが如く、固唾をのんでいたが、そのうちに太史慈は、わざと馬を打って森林へ走りこんだ。孫策は、追いかけながら、その背へ向って、ぶうんと、槍を投げつけた。
投げた槍は、太史慈の身をかすめて、ぶすっと、大地へ突き立った。
太史慈はひやりとした。
そしてなおなお、林の奥へと、駒をとばしながら、心のうちでこう思っていた。
「孫策の人となりは、かねて聞いていたが、聞きしに勝る英武の質だ。うっかりすると、これはあぶない──」
同じように。
彼をうしろから追ってくる孫策もまた、心中、
「これは名禽だ。手捕りにしてわが籠に飼わねばならん。どうしてこんないい若武者が、劉繇などに仕えていたのかしら?」
そこで孫策は、
「おオオい、待てえっ。──名も惜しまぬ雑兵なら知らぬこと、東莱の太史慈とも名乗った者が、汚い逃げざまを、恥かしくないのか。返せ返せ。返さねばわが生涯、笑いばなしとして、天下に吹聴するぞ」と、わざと辱めた。
太史慈は、耳もないように、走っていたが、やがて嶺をめぐって、裏山の麓まで来ると、
「やあ孫策。やさしくも追ってきたな。その健気に愛でて勝負してやろう。ただし、改めて我れに立ちむかう勇気があるか」と、馬をかえして云った。
馳け寄せながら孫策は、
「汝は、口舌の匹夫で、真の勇士ではあるまい。そういいながらまた逃げだすなよ」
と、大剣を抜きはらった。
「これでも、口舌の徒か」
太史慈は、やにわに槍をくりのばして、孫策の眉間をおびやかした。
「あっ」
孫策は、とっさに馬のたてがみへ顔を沈めたが、槍は、盔の鉢金をカチッとかすめた。
「おのれ!」
騎馬戦のむずかしさは、たえず手綱を上手に操って、敵の背後へ背後へと尾いてまわりながら馳け寄せる呼吸にある。
ところが、太史慈は、稀代な騎乗の上手であった。尾側へ狙けいろうとすると、くるりと駒を躍らせて、こっちの後ろへ寄ってくる。あたかも波上の小舟と小舟の上で斬りむすんでいるようなものである。従って、腕の強さばかりでなく、駒の駈引きも、虚々実々をきわめるので、勝負はなかなか果てしもない。無慮百余合も戦ったが、双方とも淋漓たる汗と気息にもまれるばかりであった。
「えおうッ」
「うオーッ」
声は、辺りの林に木魂して、百獣もために潜むかと思われたが落つるは片々と散る木の葉ばかりで、孫策はいよいよ猛く、太史慈もますます精悍を加えるのである。
どっちも若い体力の持主でもあった。この時孫策二十一歳、太史慈三十歳。──実に巡り会ったような好敵手だった。
「組まねばだめだ」
孫策が、そう考えた時、太史慈も心ひそかに、
「長びく間に、孫策の将士十三騎が追ってくると面倒」
と、勝負を急ぎだした。
だっと、両方の鐙と鐙とがぶつかったのは、両人の意志が、期せずして、合致したものとみえる。
「喝ッ」
と、突出してくる槍を、孫策は交わして柄を抱きこみ、とっさ、真二つになれと相手へ見舞った剣の手元は、これも鮮やかに、太史慈の交わすところとなって、その手頸をにぎり取られ──おうっッ──と引き合い、押し合ううちに、二つの体は、はね躍った馬の背から大地へころげ落ちていた。
空身となった奔馬は、たちまち、何処ともなく馳け去ってしまう。
組んず、ほぐれつ、太史慈と孫策とは、なお揉み合っていたが、そのうち孫策は、よろめきざま太史慈が背に挿していた短剣を抜き取って、突き伏せようとしたが、
「さはさせじ」
と、太史慈はまた、孫策の盔を引ッつかんで、離さなかった。
「太史慈が今、ついそこで、敵の孫策と一騎打ちしているが、いつ勝負がつくとも見えません。疾くご加勢あれば、生擒れましょう」
一騎、劉繇の陣へ飛んできて、こう急を告げた。
劉繇は、聞くとすぐ、
「それッ」と、千余騎をそろえて、漠々と馳けはしって行った。
金鼓は地をゆるがし、またたく間に、ふもとの林へ近づいた。
太史慈と孫策とは、その時まだ、ガッキと組み合ったまま、互いに、焔のような息をはずませていた。
「しまった!」
孫策は、近づく敵の馬蹄のひびきに、一気に相手を屠ってしまおうと焦ったが、太史慈の手が、自分のきている盔をつかんだまま離さないので、
「む、むッ!」
獅子の如く首を振った。
そして、相手の肩越しに、太史慈が肩に懸けている短剣の柄を握って孫策も離さなかった。
そのうちに、盔がちぎれたはずみに、二人とも、勢いよくうしろへ仆れた。
孫策の盔は、太史慈の手にあった。
また、太史慈の短剣は、孫策の手にあった。
ところへ──
劉繇の騎兵が殺到した。
同時に、
「君の安危やいかに?」と、孫策の部下十三騎の人々もここへ探しあてて来た。
当然、乱軍となった。
しかし衆寡敵せず、孫策以下の十三騎も、次第に攻めたてられて、狭い谷間まで追いつめられたが、たちまち、神亭廟のあたりから喊の声が起って、一隊の精兵が、
「オオ。救えッ」
と、雲のうちから馳け下って来た。
──われには神の加護あり……
と、孫策がいったとおり、光武帝の神霊が、早くも奇瑞をあらわして味方したもうかと思われたが、それは彼の幕将周瑜が、孫策の帰りがおそいので、手兵五百を率いてさがしに来たものだった。
そしてすでに陽も西山に沈もうとする頃、急に、黒雲白雲たちこめて、沛然と大雨がふりそそいできた。
それこそ神雨だったかも知れない。
両軍、相引きに退いて、人馬の喚きも消え去った後、山谷の空には、五彩の夕虹がかかっていた。
明くれば、孫策は、
「きょうこそ、劉繇が首を見、太史慈を生捕って帰ろうぞ」
とばかり暁に早くも山を越えて、敵の陣前へひた押しに攻めよせ、
「やあ、見ずや、太史慈」と、高らかに呼ばわった。
きのうの一騎打ちに、彼の手から奪い取った例の短剣を、旗竿に結びつけて、士卒に高く打振らせていた。
「武人たる者が、大事の剣を取落して、命からがら逃げ出して、恥とは思わぬか。──見よや、敵も味方も。これなん太史慈の短剣なるぞ」
どっと笑って、辱めた。
すると劉繇の兵の中からも、一本の旗竿が高く差し伸べられた。見ればその先には、一着の盔がくくりつけてある。
「やあ、孫策は無事なのか」
陣頭に馬をすすめて、太史慈はほがらかに云い返した。
「君よ、見給え。ここにあるのは君の頭ではないか。武士たる者が、わが頭を敵にわたし、竿頭の曝し物とされては、もはや利いたふうな口はきけない筈だがな。……あははは。わははは」
曠の陣頭で、晴々と、太史慈に笑いかえされたので、年少な孫策は、
「よしッ今日こそ、きのうの勝負をつけてみせる」と、馬を躍らしかけた。
「待ちたまえ」と、腹心の程普は、あわてて彼の馬前に立ちふさがりながら、
「口賢い敵の舌先に釣りこまれたりなどして、軽々しく打って出てはいけません。あなたの使命はもっと大きい筈でしょう」と、押し戻した。
そしてはやりたつ孫策の馬の轡を、ほかの将に預けて、程普は、自分で太史慈に向って行った。
太史慈は、彼を見ると、相手にもせず云い放った。
「東莱の太史慈は、君の如き小輩を斬る太刀は持たない。わが馬に踏みつぶされぬうちに、疾く逃げ帰って、孫策をこれへ出すがいい」
「やあ、大言なり、青二才」
程普は怒って、まっしぐらに打ってかかった。
すると、戦がまだ酣ともならないうちに、劉繇はにわかに陣鼓を打ち、引鐘を鳴らして退却を命じた。
「何が起ったのか」と、太史慈も戟をおさめて、急に引退いたが、不平でならなかった。
で、劉繇の顔を見ると、「惜しいことをしました。きょうこそ孫策を誘き寄せてと計っていたのに。──一体、なにが起ったのですか」と、詰らずにいられなかった。
劉繇は、苦々しげに、
「それどころではない。本城を攻め取られてしまったわ。──貴様たちが前の敵にばかり気をとられておるからだ」と、声をふるわせて云った。
「えっ、本城が?」
太史慈も、おどろいた。
──聞けば、いつのまにやら、敵は一部の兵力を分けて、曲阿へ向け、曲阿方面から劉繇の本城──霊陵城のうしろを衝いていた。
その上に。
ここにまた、盧江松滋(安徽省・安慶)の人で、陳武、字を子烈というものがある。陳武と周瑜とは同郷なので、かねて通じていたものか、
(時こそ来れ!)とばかりに江を渡って、孫軍と合流し、共に劉繇の留守城を攻めたので、たちまちそこは陥落してしまったのであった。
何にしても、かんじんな根拠地を失ったのであるから、劉繇の狼狽も無理ではない。
「この上は、秣陵(江蘇省・南京の南方鳳凰山)まで引上げ、総軍一手となって防ぐしかあるまい」と、全軍一夜に野を払って、秋風の如く奔り去った。
ところが、奔り疲れて、その夜、露営しているとまた、孫策の兵が、にわかに夜討ちをかけてきて、さらぬだに四分五裂の残兵を、ここでも散々に打ちのめした。
敗走兵の一部は、薛礼城へ逃げこんだ。そこを囲んでいるまに、敵将劉繇が、小癪にも味方の牛渚の手薄を知って攻めてきたと聞いたので、
「よしッ、袋の鼠だ」と、孫策は、直ちに、駒をかえして、彼の側面を衝いた。
すると、敵の猛将干糜が、捨て鉢にかかって来た。孫策は、干糜を手捕りにして、鞍のわきに引っ抱えて悠々と引上げてきた。
それを見て、劉繇の旗下、樊能という豪傑が、
「孫策、待てッ」と、馬で追って来た。
孫策は、振向きざま、
「これが欲しいか!」と、抱えていた干糜の体を、ぎゅッと締めつけると、干糜の眼は飛び出してしまった。そしてその死体を、樊能へ投げつけたので、樊能は馬からころげ落ちた。
「仲よく、冥途へ行け」
と、孫策は、馬上から槍をのばして、樊能を突き殺し、干糜の胸板にも止めを与えて、さッさと味方の陣地へ入ってしまった。
最後の一策として試みた奇襲も惨敗に帰したばかりか、たのみとしていた干糜、樊能の二将まで目のまえで孫策のために殺されてしまったので、劉繇は、
「もう駄目だ」と、力を落して、わずかな残兵と共に、荊州へ落ちて行った。
荊州(湖北省・江陵・揚子江流域)には一方の雄たる劉表がなお健在である。
劉繇は始め、秣陵へ退いて、陣容をたて直すつもりだったが、敗戦の上にまた敗北を重ねてしまい、全軍まったく支離滅裂となって、彼自身からして抗戦の気力を失ってしまったので、
「この上は、劉表へすがろう」とばかり、命からがら逃げ落ちてしまったのである。
ここかしこの荒野に捨て去られた屍は一万の余を超えていた。
「劉繇、たのむに足らず」
と見かぎって、孫策の陣門へ降参してゆく兵も一群れまた一群れと、数知れなかった。
しかし、さすが大藩の劉繇の部下のうちには、なお降服を潔しとしないで、秣陵城をさして落ち合い、そこで、
「華々しく一戦せん」と、玉砕を誓った残党たちもあった。
張英、陳横などの輩である。
沿岸の敗残兵を掃蕩しながら、やがて孫策は秣陵まで迫って行った。
張英は、城中の矢倉から敵の模様をながめていたが、近々と濠ぎわまで寄せてきた敵勢の中に、ひときわ目立つ若い将軍が指揮している雄姿を見つけて、
「あっ、孫策だ」と、あわただしく弓をとって引きしぼった。
狙いたがわず、矢は、若い将軍の左の腿にあたり、馬よりどうと転げ落ちた。──あッと、辺りの兵は驚きさわいで、将軍のまわりへ馳け寄って行く──。
それこそ、孫策であった。
孫策は、起たなかった。
大勢の兵は、彼の体をかつぎ上げて、味方の中へ隠れこんだ。
その夜。
寄手は急に五里ほど陣をひいてしまった。陣中は寂として、墨の如く夜霧が降りていた。そして、随処に弔旗が垂れていた。
「急所の矢創が重らせたもうて、孫将軍には、あえなく息を引取られた」と、士卒の端まで哭き悲しんでいた。まだ、喪はふかく秘せられているが、不日、柩を奉じて引揚げるか、埋葬の地をさだめて、戦場の丘に仮の葬儀が営まれるであろうと、ささやき合ったりしていた。
城中から捜りに出ていた細作は、さっそく、立帰って、
「孫策は死にました」と、張英に知らせた。
張英は膝を打って、
「そうだろう! おれの矢にあたって、助かった者はない」と、衆に誇った。
しかし、なお念のためにと、陳横の手から、再度、物見を放って見ると、その朝、附近の部落民が、怖ろしくがんじょうな柩を、大勢して重そうに陣門へ担いこんでゆくのを見た。
「間違いはありません。孫策はたしかに落命しました。そして葬儀も近いうち仮に営むらしく、そっと支度しています」
物見の者は、一点の疑いも挟まず、ありのまま復命した。
張英、陳横は、顔見合わせて、
「うまく行ったな」
ニタリと笑いあった。
星の静かな夜であった。
一軍の兵馬が、ひっそりと、水の流れるように、野を縫ってゆく。
哀々たる銅角を吹き、羯鼓を打ち鳴らし、鉦板をたたいて行く──葬送の音楽が悲しげに闇を流れた。兵馬みな黙し、野面を蕭々と風も哭く。
一かたまりの松明のひかりの中に新しい柩が守られていた。
ひらめく五色の弔旗も、みな黒く見えた。──柩の前後に従いてゆく諸将も、
「──ああ」
と、時折、空を仰いだ。
これなん死せし孫策の遺骸をひそかに葬るものであると見て、その日、早くも探り知った張英、陳横の二将は、突如のろしを打ちあげて、この葬列を不意討ちした。
それまで──
草かと見えたものも、石か木かと見えたものもすべて喊の声をあわせて襲ってきた。
すでに、大きな支柱を亡った孫軍は、いかに狼狽するかと思いのほか、
「来たぞ」
葬列は、たちまち、五行にわかれて整然たる陣容をつくり、
「張英、陳横を逃がすな」
という号令の声が高く聞えた。
張英は驚いて、
「あッ、敵には備えがあったらしいぞ、立騒がぬところを見ると、何か、計があるやも知れぬ」
味方の軽はずみを戒めて戦っていたが、もとより秣陵の城内をほとんど空にして出て来た小勢である。たちまち、撃退されて、
「もどれもどれ。城中へひきあげろ」と、争って引っ返した。
すると途中の林の中から、
「孫策これにあり! 秣陵の城はすでに、わが部隊の手に落ちているのに、汝らは、どこへ帰る気かッ」と、呼ばわりながら、騎馬武者ばかりおよそ四、五人、真っ黒に馳けだして来て、張英の行く手をふさいだ。
張英は、わが耳を疑いながら、たかの知れた敵蹴ちらして通れ──と下知しながら、はや血戦となった中を馳けていたが、そのうちに、
「張英とは、汝かっ」
と、正面へ躍ってきた一騎の若武者がある。
見れば、過ぐる日、自分が城の矢倉から狙い撃ちして、見事、射止めたと信じていた孫策であったので、
「やっ、死んだとは、偽りであったか」
仰天して逃げかけると、
「浅慮者ッ」と、大喝して、孫策の馬は後ろから彼の馬の尻へ重なった。
とたんに張英の胴は、黒血三丈を噴いて、首はどこかに飛んでいた。
陳横も、討たれた。
もとより孫策は、深く計っていたことなので、そのまま、秣陵の城へ進むと、先に城中に押入っていた味方が、門を開いて、彼を迎え入れた。
一同、勝鬨の声をあわせて、万歳を三唱した頃、長江の水は白々と明け放れ、鳳凰山、紫金山の嶺々に朝陽は映えていた。
孫策は、即日、法令を布いて、人民を安んじ、秣陵には、味方の一部をのこして、直ちに、涇県(安徽省・蕪湖の南方)へ攻め入った。
この頃から、彼の勇名は、一時に高くなって、彼を呼ぶに、人々はみな、
江東の孫郎、
と、称えたり、また、
小覇王、
と唱えて敬い畏れた。
かくて、小覇王孫郎の名は、旭日のような勢いとなり、江東一帯の地は、その武威にあらまし慴伏してしまったが、ここになお頑健な歯のように、根ぶかく歯肉たる旧領を守って、容易に抜きとれない一勢力が残っていた。
太史慈、字は子義。
その人だった。
主柱たる劉繇が、どこともなく逃げ落ちてしまってからも、彼は、節を変えず、離散した兵をあつめ、涇県の城にたてこもり、依然として抗戦しつづけていた。
きのうは九江に溯江し、きょうは秣陵に下り、明ければまた、涇県へ兵をすすめて行く孫策は、文字どおり南船北馬の連戦であった。
「小城だが、北方は一帯の沼地だし、後ろは山を負っている。しかも城中の兵は、わずか二千と聞くが、この最後まで踏み止まっている兵なら、おそらく死を決している者どもにちがいない」
孫策は、涇県に着いたが、決して味方の優勢を慢じなかった。
むしろ戒めて、
「みだりに近づくな」と、寄手の勢を遠巻きに配して、おもむろに城中の気はいを探っていた。
「周瑜」
「はっ」
「君に問うが、君が下知するとしたら、この城をどうしておとすかね」
「至難です。多大な犠牲を払う覚悟でなければ」
「君も至難と思うか」
「ただ、わずかに考えられる一つの策は、死を惜しまぬ将一人に、これも決死の壮丁十人を募り、燃えやすい樹脂や油布を担わせて、風の夜、城中へ忍び入り、諸所から火を放つことです」
「忍び入れるだろうか」
「大勢では見つかりましょう」
「でも、あの高い城壁を」
「よじ登るに、法を以てすれば、登れぬことはありません」
「だが──誰をやるか」
「陳武が適任でしょう」
「陳武は、召抱えたばかりの者だし、将来も使えるいい大将だ。それを死地へやるのは惜しい。──また、もっと惜しいのは、敵ながら太史慈という人物である。あれは生擒りにして、味方に加えたいと望んでおるのだが」
「それでは、こうしては如何です。──中に火光が見え出したら、同時に三方から息もつかず攻めよせ、北門の一方だけ、わざと手薄にしておきます。──太史慈はそこから討って出ましょう。──出たら彼一名を目がけて追いまくり、その行く先に、伏兵をかくしておくとすれば」
「名案!」
孫策は、手を打った。
陳武の下に、十名の決死隊が募られた。もし任務をやりとげて、生きてかえったら、一躍百人の伍長にすすめ、莫大な恩賞もあろうというので、たくさんの志望者が名のりでた。
その中から十名だけの壮丁を選んで、風の夜を待った。
無月黒風の夜はやがて来た。
油布、脂柴などを、壮丁の背に負わせて、陳武も身軽にいでたち、地を這い、草を分けて、敵の城壁下まで忍びよった。
城壁は石垣ではない。高度な火で土を焼いた磚という一種の瓦を、厚さ一丈の余、高さ何十丈に積みかさねたものである。
──が、何百年もの風雨に曝されているので、磚と磚とのあいだには草が生え、土がくずれ、小鳥が巣をつくり、その壁面はかなり荒れている。
「おい一同。まず俺ひとりが先へ登って行って、綱を下ろすから、そこへかがみこんだまま、敵の歩哨を見張っておれ。──いいか、声を出すな、動いて敵に見つかるな」
陳武は、そう戒めてから、ただ一人でよじ登って行った。──磚と磚のあいだに、短剣をさしこんで、それを足がかりとしては、一歩一歩、剣の梯子を作りながら踏み登って行くのであった。
「──火だっ」
「火災だっ」
「怪し火だ!」
銭糧倉から、また、矢倉下から、書楼の床下から、同時にまた、馬糧舎からも、諸門の番人が、いちどに喚き出した。
城将の太史慈は、
「さわぐな。敵の計だ。──うろたえずに消せばよい」
と、将軍台から叱咤して、消火の指揮をしていたが、城中はみだれ立った。
──びゅっッ!
──ぴゅるん!
太史慈の体を、矢がかすめた。
台に立っていられないほど風も強い闇夜である。
諸所の火の手は防ぎきれない。一方を消しているまに、また一箇所から火があがる。その火はたちまち燃えひろがった。
のみならず城の三方から、猛風に乗せて、喊の声、戦鼓のひびき、急激な攻め鉦の音などがいちどに迫ってきたので、城兵は消火どころではなく、釜中の豆の如く沸いて狼狽しだした。
「北門をひらいて突出しろ」
太史慈は将軍台から馳け下りながら、部将へ命令した。そして真っ先に、
「城外へ出て、一挙に、孫策と雌雄を決しよう! 敵は城を囲むため、三方へ全軍をわけて、幸いにも北方は手薄だぞ」と、猛風をついて、城の外へ馳けだした。
火にはおわれ、太史慈には励まされたので、当然釜中の豆も溢れだした。
ところが、手薄と見えた城北の敵は、なんぞ知らん、案外に大勢だった。
「それっ、太史慈が出たぞ」と合図しあうと、八方の闇から乱箭が注がれてきた。
太史慈の兵は、敵の姿を見ないうちに、おびただしい損害をうけた。
それにも怯まず、
「かかれかかれ! 敵の中核を突破せよ!」
と、太史慈はひとり奮戦したが、彼につづく将士は何人もなかった。
その少い将士さえ斃れたか、逃げ散ったか、あたりを見廻せば、いつの間にか、彼は彼ひとりとなっていた。
「──やんぬる哉、もうこれまでだ」
焔の城をふり向いて、彼は唇を噛んだ。この上は、故郷の黄県東莱へひそんで、再び時節を待とう。
そう心に決めたか。
なおやまない疾風と乱箭の闇を馳けて、江岸のほうへ急いだ。
すると後ろから、
「太史慈をにがすな!」
「太史慈、待てっ」
と、闇が吼える。──声ある烈風が追ってくる。十里、二十里、奔っても奔っても追ってくる。
この地方には沼、湖水、小さな水溜りなどが非常に多い。長江のながれが蕪湖に入り、蕪湖の水がまた、曠野の無数の窪にわかれているのだった。
その湖沼や野にはまた、蕭々たる蘆や葭が一面に生い茂っていた。──ために、彼は幾たびか道を見失った。
「──しまッた!」
ついに、彼の駒は、沼の泥土へ脚を突っこんで、彼の体は、蘆のなかへほうり出されていた。
すると、四方の蘆のあいだから、たちまち熊手が伸びた。
分銅だの鈎のついた鎖だのが、彼の体へからみついた。
「無念っ」
太史慈は、生擒られた。
高手小手に縛められて、孫策の本陣へとひかれてゆく途中も、彼は何度も雲の迅い空を仰いで、
「残念だっ」と、眦に悲涙をたたえた。
やがて彼は、孫策の本陣へ引かれて来た。
「万事休す」と観念した彼は、従容と首の座について、瞑目していた。
すると誰か、「やあ、しばらく」と、帳をあげて現れた者が、友人でも迎えるように、馴々しくいった。
太史慈が、半眼をみひらいて、その人を見れば余人ならぬ敵の総帥孫策であった。
太史慈は毅然として、
「孫郎か、はやわが首を刎ね落し給え」と、いった。
孫策は、つかつかと寄って、
「死は易く、生は難し、君はなんでそんなに死を急ぐのか」
「死を急ぐのではないが、かくなる上は、一刻も恥をうけていたくない」
「君に恥はないだろう」
「敗軍の将となっては、もうよけいな口はききたくない。足下もいらざる質問をせず、その剣を抜いて一颯に僕の血けむりを見給え」
「いやいや。予は、君の忠節はよく知っておるが、君の噴血をながめて快笑しようとは思わぬ。君は自分を敗軍の将と卑下しておらるるが、その敗因は君が招いたものではない。劉繇が暗愚なるためであった」
「…………」
「惜しむらく、君は、英敏な資質をもちながら、良き主にめぐり会わなかったのだ。蛆の中にいては、蚕も繭を作れず糸も吐けまい」
「…………」
太史慈が無言のままうつ向いていると、孫策は、膝を折って、彼の縛めを解いてまた云った。
「どうだ。君はその命を、もっと意義ある戦と、自己の人生のために捧げないか。──云いかえれば、わが幕下となって、仕える気はないか」
太史慈は、潔く、
「参った。降伏しました。願わくはこの鈍材を、旗下において、なんらかの用途に役立ててください」
「君は、真に快男子だ。妙に体面ぶらず、その潔いところも気に入った」
手を取って、彼は、太史慈を自分の帷幕へ迎え入れ、
「ところで君、先頃の神亭の戦場では、お互いに、よく戦ったが、あの際、もっと一騎打ちをつづけていたら、君はこの孫策に勝ったと思うかね」と、笑いばなしにいった。
太史慈も、打笑って、
「さあ、どんなものでしょうか。勝敗のほどはわかりませんな」
「だが、これだけは確実だったろう。──予が負けたら、予は君の縄目をうけていた」
「勿論でしょう」
「そうしたら、君は予の縄目を解いて、予がなした如く、予を助けたであろうか」
「いや、その場合は、恐らくあなたの首はなかったでしょうな。──なぜならば、私にはその気もちがあっても、劉繇が助けておくはずがありませんから」
「ははは、もっともだ」
孫策は、哄笑した。
酒宴をもうけて、二人はなお愉快そうに談じていた。孫策は、彼に向って、
「これから戦いの駈引きについてもいろいろ君の意見を訊くから、良計があったら、教えてもらいたい」といったが、太史慈は、
「敗軍の将は兵を語らずです」と、謙遜した。
孫策は、追及して、
「それはちがう。昔の韓信を見たまえ。韓信も、降将広武君に謀計をたずねておる」
「では、大した策でもありませんが、あなたの帷幕の一員となった証に愚見を一つのべてみます。……がしかし私の言は、恐らく将軍のお心にはあわないでしょう」
太史慈は、孫策の面を見ながら、微笑をふくんだ。
孫策も、微笑した。
「ははあ、では君は、せっかく進言しても、この孫策に用いる度量があるまいといわるるのか」
「そうです」
太史慈は、うなずいて、
「──それをおそれます。しかし一応、申しのべてみましょう」
「うむ。聞こう」
「ほかでもありませんが、劉繇に付き従っていた将士は、その後、主とたのむ彼を見失って、四散流迷しております」
「あ。敗残兵のことか」
「ひと口に、敗残軍といえば、すでに弱力化した無能の群れとして、これを無視してしまう傾きがありますが、時利あらずで、その中には、惜しむべき大将や兵卒らも入りまじっています」
「うむ。それをどうせよと、君は進言するか」
「今、この太史慈を、三日間ほど、自由に放して下されば、私が行って、それらの残軍を説き伏せ、粗を捨て、良を選び、必ず将来、あなたの楯となるような精兵三千をあつめて帰ります。──そしてあなたに忠誠を誓わせてご覧にいれますが」
「よし。行ってくれ給え」
孫策は、度量を見せて、すぐ許したが、
「──だが、きょうから三日目の午の刻(正午)までには、必ず帰って来なければいかんよ」
と、念を押して、一頭の駿馬を与え、夜のうちに、彼を陣中から放してやった。
翌朝。
帷幕の諸将は、太史慈のすがたが見えないので、怪しんで孫策にたずねると、ゆうべ彼の進言にまかせて、三日の間、放してやったとのことに、
「えっ。太史慈を?」と、諸将はみな、せっかく生捕った檻の虎を野へ放したように唖然とした。
「おそらく、太史慈の進言は、偽りでしょう。もう帰って来ないでしょう」
そういう人々を笑いながら、孫策は、首を振った。
「なに、帰って来るさ。彼は信義の士だ。そう見たからこそ、予は彼の生命を惜しんだので、もし信義もなく、帰って来ないような人間だったら、再び見ないでも惜しいことはない」
「さあ、どうでしょう」
諸将はなお信じなかった。
三日目になると、孫策は、陣外へ日時計をすえさせて、二人の兵に日影を見守らせていた。
「辰の刻です」
番兵は、一刻ごとに、孫策へ告げにきた。しばらくするとまた、
「巳の刻となりました」
と、報らせてくる。
日時計は、秦の始皇帝が、陣中で用いたのが始めだという。「宋史」には何承天が「表候日影」をつかさどるとある。明代には晷影台というのがある。日時計の進歩したものである。
後漢時代のそれは、もちろん原始的なもので、垂直の棒を砂上に立て、その投影と、陰影の長さをもって、時刻を計算したものだった。
砂地のかわりに、床を用いたり、また、壁へ映る日影を記録したりする方法などもあった。
「午の刻です!」
陣幕のうちへ、刻の番の兵が大声で告げると、孫策は、諸将を呼んで、
「南のほうを見ろ」と、指さした。
果たせるかな、太史慈は、三千の味方を誘って、時も違えず、彼方の野末から、一陣の草ぼこりを空にあげて帰って来た。
孫策の烱眼と、太史慈の信義に感じて、先に疑っていた諸将も、思わず双手を打ちふり、歓呼して彼を迎えた。
ひとまず、江東も平定した。
軍勢は日ましに増強するばかりだし、威風は遠近をなびかせて、孫策の統業は、ここにその一段階を上がったといってよい。
「ここが大事だ。ここで自分はなにをなすべきだろうか?」
孫策は自問自答して、
「そうだ、母を呼ぼう」という答えを得た。
彼の老母や一族は、柱とたのむ故孫堅の没後、永らく曲阿の片田舎にひきこもって、あらゆる迫害をうけていた。
珠簾の輿、錦蓋の美車。
加うるに、数多の大将や護衛の兵を送って、彼は曲阿の地から老母とその一族をむかえてきた。
孫策は、久方ぶりに、母の手を取って、宣城に奉じ、
「もう、安心して、余生をここでお楽しみください。──孫策も大人になりましたから」
といった。
もう白髪となった老母は、ただおろおろしていた。歓びのあまり、
「そなたの亡夫がいたらのう」と、かえって泣いてばかりいる。
孫策は弟の孫権に、
「おまえに大将周泰をつけておくから、宣城を守り、わしに代って母に孝養をしてあげてくれ」
そう云い残して、彼はふたたび南方の制覇におもむいた。
彼は、戦い取った地には、すぐ治安を布いて、民心を得ることを第一義とした。
法をただし貧民を救い、産業を扶ける一方、悪質な違反者には、寸毫もゆるさぬ厳罰を加えた。
──孫郎来る!
という声だけでも、良民はあわてて道をひらいて路傍に拝し、不良民は胆をひやして影をかくした。
それまで、州や県の役所や城をすてて、山野へ逃げこんでいた多くの官吏も、
「孫郎は民を愛し、信義の士をよく用うる将軍らしい」
と、分ると、ぞくぞく郷へ帰ってきて仕官を願い出てくるものが絶えなかった。
孫策は、それらの文吏をも採用してよく能才を用い、平和の復興に努めさせた。
そしてなお後図の治安は治安として、自身は征馬を南へすすめていたのである。
その頃、呉郡(浙江省)には、
東呉の徳王
と、自ら称している厳白虎が威を揮っていたが、孫策の襲来が、ようやく南へ進路をとってくる様子と聞いて、
「すわこそ!」
と、どよめき立ち、厳白虎の弟厳与は、楓橋(江蘇省・蘇州附近)まで兵を出して防寨に拠った。
この際、孫策は、
「たかのしれた小城」
と、自身、前線へ立って、一もみに、突破しようとしたが、張紘にたしなめられた。
「大将の一身は、三軍の生命です。もうあなたは、中軍にあって、天授のお姿を、自重していなければいけません」
「そうか」
孫策は、諫めをきいて、大将韓当に先鋒をいいつけた。
陳武、蒋欽の二将は、小舟にのって、楓橋のうしろへ廻り、敵を挟撃したので、厳与は支えきれず、呉城へ後退してしまった。
息もつかせず、呉城へ迫った孫策は、濠ばたに馬を立てて、攻め競う味方を指揮していた。
すると、呉城の高矢倉の窓から半身のり出して、左の手を梁にかけ、右の手で孫策を指さしながら、何か、口汚く罵っている大将らしい漢がある。
「憎き奴かな」
と、孫策がうしろを見ると、味方の太史慈も、目をとめて、弓をひきしぼっていた。──太史慈の指が、弦を切って、ぶうんと、一矢放つと、矢はねらいたがわず、高矢倉の梁に突き立った。
しかも、敵の大将らしい漢の手を、梁へ射つけてしまったので、孫策が、
「見事!」と、鞍を叩いて賞めると、全軍みな、彼の手ぎわに感じて快哉をさけび合い、その声からしてすでに呉城を圧していた。
太史慈のあざやかな一矢に、高矢倉の梁に掌を射とめられた大将は、
「誰か、この矢をはやく抜き取ってくれ」と、悲鳴をあげて、もがいていたが、そのうちに、馳け寄ってきた兵が、矢を抜いて、どこかへ扶けて行った。
その大将は、よい物笑いとなった。太史慈の名は、「近ごろの名射手よ」と、聞え渡った。多年、浙江の一地方にいて、みずから「東呉の徳王」などと称していた厳白虎も、
「これは侮れんぞ」と、年来の自負心に、すこし動揺をおぼえだした。
寄手を見ると、総帥の孫策をはじめ、旗下の将星は、みな驚くほど年が若い。
新しい時代が生みだした新進の英雄群が、旺な闘志をもって、轡をそろえているような盛観だ。
「厳与。──ここはひとつ考えるところだな」
彼は、弟をかえりみながら、大きく腕をくんで云った。
「どう考えるんです」
「どうって、まあ、一時の辱はしのんでも深傷を負わぬうちに、和睦するんだな」
「降服するんですか」
「彼に、名を与えて、実権を取ればいいさ。彼らは若いから、戦争には強いが、深慮遠謀はあるまい。和睦した後で、こちらには、打つ手がある」
兄に代って、厳与は早速、講和の使者として、孫策の軍中へおもむいた。
孫策は、対面して、
「君が、東呉の徳王の弟か。なるほど……」と、無遠慮に、顔をながめていたが、すぐ酒宴をもうけさせて、「まあ、飲んで話そう」と、酒をすすめた。
厳与は、心のうちで、
「さすが、江東の小覇王とかいわれるだけあって、颯爽たるものだが、まだ乳くさいところは脱けないな。理想主義の書生が、ふと時を得て、兵馬を持ち、有頂天になったというところだろう」
と、観察していた。そして相手の若さを甘く見て、しきりとまず、おだて上げていた。
すると、酒半酣のころ、孫策はふいに、
「君は、こうしても、平然としておられるかね」と、何かわけの分らないことを質問しだした。
「こうしてもとは?」
厳与が、訊きかえすと、孫策は突然、剣を抜いて、
「こうしてもだッ」
と、彼の腰かけている椅子の脚を斬った。
厳与は仰向けにひッくり返った。孫策は、腹をかかえて笑いながら、
「だから断っておるのに」
と、転がったほうが悪いように云いながら、剣をおさめて、おどろいたまま蒼ざめている厳与に、手を伸ばして、
「さあ、起き給え。酒のうえの戯れだ。──時に、東呉の徳王がお使者、ご辺の兄上には、いったいこの孫策へ向って、いかなる条件で、和睦を求めらるるのか。ご意向を承ろう」
「兄が申すには……」と、厳与は腰のいたみをこらえながら、威儀をつくろい直していった。
「つまりその、……益なき戦をして兵を損ぜんよりは、長く将軍と和をむすんで、江東の地を平等に分け合おうではありませんか。兄の意はそこにあるんですが」
「平等に?」
孫策は、眦をあげて、
「汝らの如き軽輩が、われわれと同格の気で、国を分け取りにせんなどとは、身の程を知らぬも甚だしい。帰れッ」と、罵った。
和睦不調と見て、厳与が、黙然と帰りかける後ろへ、とびかかった孫策は、一刀にその首を刎ね落して、血ぶるいした。
孫策は、剣を拭って、片隅にふるえている厳与の従者たちに向い、
「──拾って行け」と、床の上にころがっている厳与の首を指さしながら、重ねて云った。
「当方の返辞は、その首だ。立ち帰って、厳白虎に、ありのまま、告げるがいい」
従者は、主人の首を抱えて、逃げ帰った。
厳白虎は弟が首になって帰ったのを見ると、復讐を思うよりはかえって孫策のすさまじい挑戦ぶりにふるえあがって、
「単独で戦うのは危険だ」と、考えた。
ひとまず会稽(浙江省・紹興)へ退いて、浙江省の諸雄をたのみ、策を立て直そうと、ひどく弱気になって、烏城を捨て、夜中にわかに逃げだしてしまった。
寄手の太史慈や黄蓋などはそれを追いまくって、存分な勝ちを収めた。
きのうまでの、「東呉の徳王」も、見る影もなくなってしまった。到るところで追手の軍に打ちのめされ、途中、民家をおびやかしてからくも糧食にありついたり、山野にかくれたりしてようやく会稽へたどり着いた。
その時、会稽の太守は、王朗という者だった。王朗は厳白虎を助けて、大軍をくり出し、孫策の侵略に当ろうとした。
すると、臣下のうちに、虞翻、字は仲翔という者があって、
「時が来ました。時に逆らう盲動は、自分を亡ぼすのみです。この戦はお避けなさい」
と、諫言した。
「時とは何だ?」
王朗がと問うと、
「時代の波です」と、仲翔は言下に答えた。
「──では、外敵の侵略にまかせて、手をこまねいていろというのか」
「厳白虎を捕えて、孫策に献じ、彼と誼みをむすんで、国の安全をおはかりなさい。──それが時代の方向に沿うというものです」
「ばかを申せ。孫策ずれに、会稽の王朗が見っともない媚びを呈せられようか。それこそ世の物笑いだ」
「そうではありません。孫策は、義を尊び、仁政を布き、近来、赫々たる民望をはやくも負っています。それにひきかえ厳白虎は、奢侈、悪政、善いことは、何一つしてきませんでした。しかも頭の古い旧時代の人間です。あなたが手をださなくても、もう時代と共に亡び去る物のひとつです」
「いや、厳白虎とわしとは、旧交も深い。孫策如きは、われわれの平和をみだす外敵だ。こんな時こそ聯携して、侵略の賊を打たねばならん」
「ああ。あなたも、次の時代に用のないお方だ」
仲翔が長嘆すると、王朗は、激怒して、
「こやつめ、わしの滅亡を希っておるな。目通りはならん。去れっ」と、追放を命じた。
仲翔は甘んじて、国外へ去った。
邸を追われる時、彼はもとより一物も持って出なかったが、平常、籠に飼っていた雲雀だけは、
「おまえも心なき人には飼われたくないだろう」と呟いて、籠のまま抱えて立ち退いた。
彼が王朗に説いたいわゆる時代の風浪は、山野にかくれていた賢人をひろい上げてもゆくが、また、官衙や武府の旧勢力のうちにもいる多くの賢人をたちまち、山林へ追いこんでしまう作用もした。
仲翔もその一人だった。
彼は、黙々と、野を歩いて、これから隠れすむ草廬の地をさがした。
そして、名もない田舎の山にかかると、ほっとしたように、
「おまえも故郷に帰れ」と、籠の小禽を青空へ放した。
仲翔は、ほほ笑みながら、青空へ溶け入る小禽の影を見送っていた──これから生きる自分のすがたと同じものにそれが見えたからであろう。
仲翔が放してやった籠の小禽が、大空へ飛んでいた頃、もう下界では、会稽の城と、潮のような寄手のあいだに、連日、激戦がくり返されていた。
会稽の太守王朗は、その日、城門をひらいて、自身、戦塵のうちを馳けまわり、
「黄口児孫策、わが前に出でよ」と、呼ばわった。
「孫策は、これにあり」
と声に応じて、鵯のような若い将軍は、鏘々と剣甲をひびかせて、彼の眼前にあらわれた。
「おう、汝が、浙江の平和を騒がす不良青年の頭か」
聞きもあえず、孫策は、
「この老猪め、なにをいうか。良民の膏血をなめ喰って脂ぶとりとなっている惰眠の賊を、栄耀の巣窟から追い出しにきた我が軍勢である。──眼をさまして、疾く古城を献じてしまえ」
と、云い返した。
王朗は、怒って、
「虫のいいことをいうな」とばかり、打ってかかった。
孫策も、直ちに戟を交えようとすると、
「将軍、豚を斬るには、王剣を要しません」
と、後ろからさっと一人の旗下が躍って孫策に代って王朗へ槍をつけた。
これなん太史慈である。
すわ──と王朗の旗下からも周昕が馬をとばして、太史慈へぶつかってくる。
「王朗を逃がすな!」
「太史慈を打ちとれ!」
「周昕をつつめ」
「孫策を生け捕れッ」
双方の喚きは入りみだれ、ここにすさまじい混戦となったが、孫軍のうちから周瑜、程普の二将が、いつのまにか後ろへまわって退路をふさぐ形をとったので、会稽城の兵は全軍にわたって乱れだした。
王朗は、命からがら城へひきあげたが、その損害は相当手痛いものだったので、以来、栄螺のように城門をかたく閉めて、「うかつに出るな」と、もっぱら防禦に兵力を集中してうごかなかった。
城内には、東呉から逃げて来た厳白虎もひそんでいた。厳白虎も、
「寄手は、長途の兵、このまま一ヵ月もたてば兵糧に困ってきます。──長期戦こそ、彼らの苦手ですから、守備さえかためていれば、自然、孫策は窮してくるにきまっている」
と、一方の守備をうけ持って、いよいよ築土を高くし、あらゆる防備を講じていた。
果たして、孫策のほうは、それには弱っていた。いくら挑戦しても、城兵は出てこない。
「まだ、麦は熟さず、運輸には道が遠い。良民の蓄えを奪い上げて、兵糧にあててもたちまち尽きるであろうし、第一われらの大義が立たなくなる。──如何いたしたものだろう」
「孫策よ。わしに思案があるが」
「おお、叔父上ですか。あなたのご思案と仰っしゃるのは?」
孫策の叔父孫静は、彼の問いに答えて、
「会稽の金銀兵糧は、会稽の城にはないことを御身は知っているか」
「存じませんでした」
「ここから数十里先の査涜にかくしてあるんじゃよ。だから急に、査涜を攻めれば、王朗はだまって見ておられまい」
「ごもっともです」
孫策は、叔父の説をいれた。その夜、陣所陣所にたくさんな篝を焚かせ、おびただしい旗を立てつらね、さも今にも会稽城へ攻めかかりそうな擬兵の計をしておいて、その実、査涜へ向って、疾風の如く兵を転じていた。
擬兵の計を知らず、寄手のさかんな篝火に城兵は、「ぬかるな! 襲って来るぞ」と、眠らずに、防備の部署についたが、夜が白んで、城下の篝火が消えて見ると、城下の敵は一兵も見えなかった。
「査涜が襲われている!」
こう聞いた王朗は、仰天して城を出た。そして査涜へ駆けつける途中、またも孫策の伏兵にかかって、ついに王朗の兵は完膚なきまでに殲滅された。
王朗は、ようやく身をもって死地をのがれ、海隅(浙江省・南隅)へ逃げ落ちて行ったが、厳白虎は余杭(浙江省・杭州)へさして奔ってゆく途中、元代という男に酒を飲まされて、熟睡しているところを、首を斬られてしまった。
元代は、その首を孫策へ献じて、恩賞にあずかった。
こうして、会稽の城も、孫策の手に落ち、南方の地方はほとんど彼の統治下になびいたので、叔父、孫静を、会稽の城主に、腹心の君理を、呉郡の太守に任じた。
すると、その頃、宣城から早馬が来て、彼の家庭に、小さな一騒動があったことを報らせてきた。
「或る夜、近郷の山中に住む山賊と、諸州の敗残兵とが、一つになって、ふいに宣城へ襲せてきました。弟様の孫権、大将周泰のおふた方で、防ぎに努めましたが、その折、賊のなかへ斬って出られたご舎弟孫権様をたすけるため、周泰どのには、甲も着ず、真ッ裸で、大勢を相手に戦ったため、槍刀創を、体じゅうに十二ヵ所も受けられ、瀕死の容態でございます」
使いのはなしを聞くと、孫策は急いで宣城へ帰った。なによりも、案じられていた母の身は、つつがなかったが、周泰は、想像以上、ひどい重傷で、日夜苦しがっていた。
「なんとかして、助けてやりたいが、よい名薬はないか」
と、家臣へ、知識を求めると、先に厳白虎の首を献じて、臣下の一員となっていた元代が、
「もう七年も前ですが、海賊に襲われて、手前がひどい矢疵を受けた時、会稽の虞翻という者が自分の友だちに、名医があるといって紹介してくれまして、その医者の手当で、わずか十日で全治したことがありましたが」
と、話した。
「虞翻とは、仲翔のことではないか」
「よくご存じで」と、元代は、孫策のことばに眼をみはった。
「いや、その仲翔は、王朗の臣下だったが、探しだして用うべき人物だと、わしは張昭から薦められていたところだ。──さっそく、仲翔をさがしだし、同時に、その名医も、つれて来てもらいたいが」
孫策の命に、
「仲翔は今、どこにいるか」と、諸郡の吏に、捜索の令が行き渡った。
仲翔は、つい先ごろ、野にかくれたばかりだが、またすぐに見出されて孫策の命を聞くと、
「人ひとりの命を助けるためとあれば」
と、友人の医者を伴い、さっそく宣城へやってきた。
仲翔の親友というだけであって、その医者も変っていた。
白髪童顔の老人で、いかにも清々と俗気のない姿だ。
野茨かなにか、白い花を一輪持って、たえず嗅ぎながら歩いている。あんまり人間くさい中へ来たので、野のにおいが恋しいといったような顔つきだ。
孫策が、会って名を問うと、
「華陀」と、答えた。
沛国譙郡の生れで、字を元化という。素姓はあるが、よけいなことは云いたがらないのである。
すぐ病人を診て、
「まず、ひと月かな」と、つぶやいた。
果たして、一月の中に、周泰の瘡は、拭ったように全治した。
孫策は、非常によろこんで、
「まことに、君は名医だ」と、いうと華陀は、
「あなたもまた、国を治す名医じゃ。ちと、療治は荒いが」
と、笑った。
「なにか、褒美に望みはないか」
と、孫策がきくと、
「なにもない。仲翔を用いて下されば、有難い」
と、答えた。
江南江東八十一州は、今や、時代の人、孫策の治めるところとなった。兵は強く、地味は肥沃、文化は溌剌と清新を呈してきて、
小覇王孫郎
の位置は、確固たるものになった。
諸将を分けて、各地の要害を守らせる一方、ひろく賢才をあつめて、善政を布いた。やがてまた、朝廷に表を捧げて、中央の曹操と親交をむすぶなど、外交的にも進出するかたわら、かつて身を寄せていた淮南の袁術へ、
「爾来、ごぶさたをいたしていましたが」
と、久しぶりに消息を送って、さて、その使者をもって、こういわせた。
「かねて、お手許へお預けしておいた伝国の玉璽ですが、あれは大切なる故人孫堅の遺物ですから、この際お返しねがいたいものです。──もちろん、当時拝借した兵馬に価する物は、十倍にもしてお返し申しますが」
× × ×
時に。
その後の袁術の勢力はどうかというに、彼もまた淮南を中心に、江蘇、安徽一帯にわたっていよいよ強大を加え、しかも内心不敵な野望を抱いていたから、軍備城塞にはことに力を注いでいた。
「今日、この議閣に諸君の参集を求めたのはほかでもないが、今となって孫策から、にわかに、伝国の玉璽を返せと云ってきた。──どう答えてやったものだろうか。それについて、各〻に意見あらば云ってもらいたい」
その日。
袁術は、三十余名の諸大将へ向って諮った。
長史楊大将、都督長勲をはじめとして、紀霊、橋甤、雷薄、陳闌──といったような歴々がのこらず顔をそろえていた。
「真面目にご返辞などやるには当りますまい、黙殺しておけばよろしい」
一人の大将がいう。
すると、次席の将がまた、
「孫策は、忘恩の徒だ。──ご当家で養われたばかりか、偽って、三千の兵と、五百頭の馬を拝借して去ったまま、今日まで何の沙汰もして来ない。──便りをしてきたと思えば、預けた品を返せとはなんたる無礼か」と、罵った。
「ウム、ウム」
袁術の顔色は良かった。
諸臣はみな彼の野望をうすうす知っていた。で、一斉に、
「よろしく江東に派兵して、忘恩の徒を懲らすべきである」と、衆口こぞって云った。
しかし、楊大将は反対して、
「江東を討つには、長江の嶮を渡らねばならん。しかも孫策は今、日の出の勢いで、士気はあがっている──如かず、ここは一歩自重してまず北方の憂いをのぞき、味方の富強を増大しておいてから悠々南へ攻め入っても遅くないでしょう」
「そうだ。……北隣の憂いといえば小沛の劉備と、徐州の呂布だが」
「小沛の劉備は小勢ですから、踏みやぶるに造作はありませんが、呂布がひかえています。──そこで謀計をもって、二者を裂かねばかかれません」
「いかにして、二者を反かせるか」
「それは易々とできましょう。ただし、先にご当家から呂布へ与えると約束した兵糧五万斛、金銀一万両、馬、緞子などの品々を、きれいにくれてやる必要がありますが」
「よし、やろう」
袁術は、即座にその説を取り上げた。
「やがて、小沛と徐州がおれの饗膳へ上るとすれば、安い代価だ」
先に、劉備と戦った折、呂布へ与えると約束して与えなかった糧米、金銀、織布、名馬など、莫大なものが、ほどなく徐州へ向けて蜿蜒と輸送されて行った。
呂布の歓心を求める為に。
そして、劉備を孤立させ、その劉備を屠ってから、呂布を制する謀計であることはいうまでもない。
呂布も、そう甘くはない。
「はてな、今となって、あの袁術が、莫大な財貨を贈ってきたのは、どういう肚なのだろう」
もとより、意欲では歓んだが、同時に疑心も起した。
「陳宮、そちはどう思う」
腹心の陳宮に問うと、
「見えすいたことですよ」と陳宮は笑った。
「あなたを牽制しておいて、一方の劉備を討とうという袁術の考えでしょう」
「そうだろうな。おれもなんだかそんな気がした」
「劉備が小沛にいることは、あなたにとっては前衛にはなるがなんの害にもなりません。それに反して、もし袁術の手が伸びて、小沛が彼の勢力範囲になったら、北方の泰山諸豪とむすんでくるおそれもあるし、徐州は枕を高くしていることはできなくなる」
「その手には乗らんよ」
「そうです。乗ってはなりません。受ける物は遠慮なく受けて、冷観しておればよろしいのです」
数日の後。
果たせるかな情報が入った。
淮南兵の怒濤が、小沛へ向って活動しだしたというのである。
袁術の幕将の一人たる紀霊がその指揮にあたり、兵員十万、長駆して小沛の県城へ進軍中と聞えた。
もちろん、袁術から、先に代償を払っているので、徐州の呂布には懸念なく、軍を進めているらしい。
一方、小沛にある劉玄徳は、到底、その大軍を受けては、勝ち目のないことも分っているし、第一兵器や糧秣さえ不足なので、
「不測の大難が湧きました。至急、ご救援をねがいたい」
と、呂布へ向って早馬を立てた。
呂布は、ひそかに動員して、小沛へ加勢をまわしたのみか、自身も両軍の間に出陣した。
淮南軍は、意外な形勢に呂布の不信を鳴らした。大将の紀霊からは、激越な抗議を呂布の陣へ持込んできた。
呂布は、双方の板ばさみになったわけだが、決して困ったような顔はしなかった。
袁術からも、劉備からも、双方ともにおれを恨まぬように裁いてやろう。
呂布のつぶやくのを聞いて、陳宮は、彼にそんな器用な捌きがつくかしらと疑いながら見ていた。
呂布は、二通の手紙を書いた。
そして紀霊と劉備を同日に、自分の陣へ招待した。
小沛の県城からすこし出て、玄徳も手勢五千たらずで対陣していたが、呂布の招待状が届いたので、「行かねばなるまい」と、起ちかけた。
関羽は、断じて引止めた。
「呂布に異心があったらどうしますか」
「自分としては、今日まで彼に対して節義と謙譲を守ってきた。彼をして疑わしめるような行為はなにもしていない。──だから彼が、予を害そうとするわけはない」
玄徳は、そういって、もう歩を運びかけた。すると張飛が、前に立って、
「あなたは、そういっても、われわれには、呂布を信じきれない。──しばらくお出ましは待って下さい」
「張飛ッ。どこへ行く気か」
「呂布が城外へ出て、陣地にあるこそもっけの幸いです。ちょっと、兵を拝借して彼奴の中軍をふいに襲い、呂布の首をあげて、ついでに、紀霊の先鋒をも蹴ちらして帰ってきます。二刻とはかかりません」
玄徳は、呂布の迎えよりも、彼の暴勇のほうをはるかに恐れて、
「関羽ッ、孫乾ッ、はやく張飛を止めろ」
と左右へいった。
張飛はもう剣を払って馳けだしていたが、人々に抱き止められてようやく連れ戻されて来た。
関羽は張飛を諭した。
「貴様、それほどまで、呂布を疑って万一を案じるなら、なぜ、命がけでも、守護するの覚悟をもって、家兄のお供をして呂布の陣へ臨まないか」
張飛は、唾するように、
「行くさ! 誰が行かずにいるものか」と、玄徳に従って、自分もあわてて馬に乗った。
関羽が苦笑すると、
「何を笑う。自分だって、行くなと止めた一人じゃないか」
と、まるで子どもの喧嘩腰である。
呂布の陣へ来ると、なおさら張飛の顔はこわばったまま、ニコともしない。さながら魁偉な仮面だ。眼ばかり時々左右へ向ってギョロリとうごく。
関羽も、油断せず玄徳のうしろに屹然と立っていた。
やがて、呂布が席についた。
「よう来られた」
この挨拶はいいが、その次に、「この度はご辺の危難をすくうためこの方もずいぶん苦労した。この恩を忘れないようにして貰いたいな」と、いった。
張飛、関羽の二つの顔がむらむらと燃えている。──が、玄徳は頭を低く下げて、
「ご高恩のほど、なにとて忘れましょう。かたじけのうぞんじます」
そこへ、呂布の家臣が、
「淮南の大将紀霊どのが見えました」
「オ。はや見えたか。これにご案内しろ」
呂布は、軽く命じて、けろりと澄ましているが、玄徳は驚いた。
紀霊は、敵の大将だ。しかも交戦中である。あわてて席を立ち、
「お客のようですから、私は失礼しておりましょう」
と、避けてそこをはずそうとすると、呂布は押止めて、
「いや、今日はわざと、足下と紀霊とを、同席でお呼びしてあるのだ。まあ、相談もあるから、それへかけておいでなさい」
そのうちに、もう紀霊が、つい外まで案内されて来た様子。
呂布の臣となにか話しながらやってくるらしく、豪快な笑い声が近づいてくる。
「こちらです」
案内の武士が、営門の帷をあげて、閣の庭を指すと、紀霊は何気なく入りかけたが、
「……あっ?」と、顔色を変えて、そこへ足を止めてしまった。
玄徳、関羽、張飛。
敵方の三人が、揃いも揃ってそこの席にいたのである。──紀霊にしても驚いたのはむりもない。
呂布は、振返って、「さ。これへ来給え」と、空いている一席を指さした。
しかし、紀霊は、疑わずにいられなかった。恐怖のあまり彼は身をひるがえして、外へ戻ってしまった。
「来給えというのに。なにを遠慮召さるか」
呂布は立って行って、彼の臂をつかまえた。そして、小児の如く吊り下げて、中へ入れようとするので、紀霊は、
「呂公、呂公。何科あって、君はこの紀霊を、殺そうとし給うのか」と、悲鳴をあげた。
呂布は、くすくす笑って、
「君を殺す理由はない」
「では、玄徳を殺す計で、あれに招いておるのか」
「いや、玄徳を殺す気もない」
「しからば……しからば一体どういうおつもりで?」
「双方のためにだ」
「分らぬ。まるで狐につままれたようだ。そう人を惑わせないで、本心を語って下さい」
「おれの本心は、平和主義だ。おれは元来、平和を愛する人間だからね。──そこで今日は、双方の顔をつき合わせて、和睦の仲裁をしてやろうと考えたわけだ。この呂布が仲裁では、君は役不足というのか」
平和主義も顔負けしたろう。
それも、余人がいうならともかく、呂布が自分の口で、(おれは平和主義だ)と、見得を切ったなどは、近ごろの珍事である。
もとより紀霊も、こんな平和主義者を、信用するはずはない。おかしいよりも、彼は、なおさら疑惑に脅かされた。
「和睦といわれるが、いったい和睦とは、どういうわけで?」
「和睦とは、合戦をやめて、親睦をむすぶことさ。知らんのか君は」
紀霊は、呆っ気にとられた。
その顔つきを煙にまいて、呂布は、彼の臂を引っ張ッたまま席へつれてきた。
変なものができあがった。
座中の空気は白けてしまう。紀霊と玄徳とは、ここで、客同士だが、戦場では当面の敵と敵である。
「…………」
「…………」
お互いにしり眼に見合って、毅然と構えながらももじもじしていた。
「こう並ぼう」
呂布は、自分の右へ、玄徳を招じ、左のほうへ、紀霊の座をすすめた。
酒宴になった。
だが、酒のうまかろうはずがない。どっちも、黙々と、杯の端を舐めるようなことをしている。
そのうちに呂布が、
「さあ、これでいい。──これで双方の親交も成立した。胸襟をひらいて、ひとつ乾杯しよう」
と、ひとり飲みこんで杯を高くあげた。
しかし、挙がった手は、彼の手だけだった。
ここに至っては、紀霊も黙っていられない。席を蹴らんばかりな顔をして、
「冗談は止めたまえ」と、呂布へ正面を切った。
「なにが冗談だ」
「考えてもみられよ。それがしは君命をうけて、十万の兵を引率し、玄徳を生捕らずんば生還を期せずと、この戦場に来ておるのだ」
「分っておる」
「百姓町人の擲り合いかなんぞなら知らぬこと。そう簡単に、兵を引揚げられるものではない。それがしが戦をやめる日には玄徳を生捕るか、玄徳の首を戟につらぬいて、凱歌をあげる日でなければならん」
「…………」
玄徳は、黙然と聞いていたが、その後ろに立っていた関羽、張飛の双眼には、ありありと、烈火がたぎっていた。
──と思うまに、張飛は、玄徳のうしろから戛々と、大股に床踏み鳴らして、
「やい紀霊ッ。これへ出ろ。──黙っておれば、人もなげな広言。われわれ劉玄徳と誓う君臣は、兵力こそ少いが、汝ら如き蛆虫や、いなごとは実力がちがう。そのむかし、黄巾の蜂徒百万を、僅か数百人で蹴散らした俺たちを知らないか。──もういちどその舌の根をうごかしてみろ! ただは置かんぞッ」
あわや剣を抜いて躍りかかろうとするかの血相に、関羽は驚いて、張飛を抱きとめ、
「そう貴様一人で威張るな。いつも貴様が先に威張ってしまうから、俺などの出る所はありはしない」
「ぐずぐず云っているのは、それがし大嫌いだ。やい紀霊、戦場に所は選ばんぞ。それほど、わが家兄の首が欲しくば取ってみろ」
「まあ、待てと申すに。──呂布にもなにか考えがあるらしい。呂布がどう処置をとるか、もうしばらく、家兄のように黙りこくって見ているがいい」
すると、張飛は、
「いや、その呂布にも、文句がある。下手な真似をすると、呂布だろうが、誰だろうが、容赦はしていねえぞ」
と、髪は、冠をとばし、髯は逆しまに分かれて、丹の如き口を歯の奥まで見せた。
そう張飛に挑戦されては、紀霊もしりごみしてはいられない。
「この匹夫めが」
剣を鳴らして起ちかけた。
呂布は、双方を睨みつけて、
「やかましい。無用な騒ぎ立てするな」と、大喝して、
「誰か、来い」と、後ろへもどなった。
そして馳け集まって来た家臣らに向い、
「おれの戟を持って来い。おれの画桿の大戟のほうだ」と、すさまじい語気でいいつけた。
出来合いの平和主義も、意のままにならないので、立ち所に憤怒の本相をあらわす気とみえる。彼が立腹したら何をやりだすか分らない。紀霊も非常に恐れたし、玄徳も息をのんで、
「どうなることか」と、見まもっている。
画桿の大戟は彼の手に渡された。それを引っ抱えながら一座を睨めまわして、呂布はこう云いだした。
「今日、おれが双方を呼んで、和睦しろというのは、おれがいうのじゃない。天が命じているのだ。それに対して、私の心をはさみ、四の五の並べ立てるのは天の命に反くものだぞ」
果然、彼はまだ、厳かな平和主義者の仮面を脱がない。
なに思ったか、呂布は、そういうや、否、ぱっと、閣から走りだして、彼方、轅門のそばまで一息に飛んでゆくと、そこの大地へ、戟を逆しまに突きさして帰って来た。
そしてまた云うには、
「見給え、ここから轅門までのあいだ、ちょうど百五十歩の距離がある」
一同は、彼の指さすところへ眼をやった。なんのために、あんな所へ戟を立てたのか、ただいぶかるばかりだった。
「──そこでだ。あの戟の枝鍔を狙って、ここからおれが一矢射て見せる。首尾よくあたったら、天の命を奉じて、和睦をむすんで帰り給え。あたらなかったら、もっと戦えよという天意かも知れない。おれは手を退いて干渉を止めよう。勝手に、合戦をやりつづけるがいい」
奇抜なる提案だ。
紀霊は、あたるはずはないと思ったから、同意した。
玄徳も、
「おまかせする」と、いうしかなかった。
「では、もう一杯飲んで」と、席に着き直って、呂布はまた、一巡酒をすすめ、自分も彼方の戟を見ながら飲んでいたが、やがてぽっと酔いが顔にきざしてきた頃、
「弓をよこせ!」と、家臣へどなった。
閣の前へ出て、呂布は正しく片膝を折った。
弓は小さかった。
弭──または李満弓ともいう半弓型のものである。けれど梓に薄板金を貼り、漆巻で緊めてあるので、弓勢の強いことは、強弓とよぶ物以上である。
「…………」
ぶツん!
弦はぴんと返った。切ってはなたれた矢は笛の如く風に鳴って、一線、鮮やかに微光を描いて行ったが、カチッと、彼方で音がしたと思うと、戟の枝鍔は、星のように飛び散り、矢は砕けて、三つに折れた。
「──あたった!」
呂布は、弓を投げて、席へもどった。そして紀霊に向い、
「さあ約束だ。すぐ天の命を受け給え。何、主君に対して困ると。──いや袁術へは、こちらから書簡を送って、君の罪にならぬようにいっておくからいい」
彼を、追いかえすと、呂布は玄徳へ、得意になって云った。
「どうだ君。もし俺が救わなかったら、いかに君の左右に良い両弟が控えていても、まず今度は、滅亡だったろうな」
売りつける恩とは知りながらも、玄徳は、
「身の終るまで、今日のご恩は忘れません」
と、拝謝して、ほどなく小沛へ帰って行った。
「このまま踏み止まっていたら、玄徳はさておいて、呂布が、違約の敵と名乗って、総勢で攻めてくるにちがいない」
紀霊は、呂布を恐れた。
何だか呂布に一ぱい喰わされた気もするが、彼の太い神経には、まったく圧服されてしまった。
やむなく紀霊は、兵を退いて、淮南へ帰った。
彼の口から、仔細を聞いて、嚇怒したのは、袁術であった。
「彼奴。どこまで図太い奴か底が知れん。莫大な代償を受取っておきながら、よくも劉備を庇いだてして、無理押しつけな和睦などを酬いおったな」
虫がおさまらない。
袁術、堪忍をやぶって、
「この上は、予が自身で、大軍をすすめ、徐州も小沛も、一挙に蹴ちらしてくれん」
と、令を発せんとした。
紀霊は、自己の不面目を、ふかく恥じていたが、
「いけません。──断じて、うかつには」と、諫めた。
「呂布の勇猛は、天下の定評です。勇のみかと思っていたら、どうして、機智も謀才もあるのには呆れました。それが徐州の地の利をしめているのですから、下手に出ると、大兵を損じましょう」
「というと、彼奴が北隣に蟠踞していては、将来ともこの袁術は、南へも西へも伸びることができないではないか」
「それについて、ふと思い当ったことがあります。聞くところによると、呂布には妙齢の美しい娘がひとりあるそうです」
「妾の腹か、妻女の子か」
「妻女の厳氏が生んだ愛娘だというはなしですから、なお、都合がいいのです」
「どうして」
「ご当家にも、はや嫁君を迎えてよいご子息がおありですから、婚を通じて、まず、呂布の心を籠絡するのです。──その縁談を、彼が受けるか受けないかで、彼の向背も、はっきりします」
「む、む」
「もし彼が、縁談をうけて、娘をご子息へよこすようでしたら──しめたものです。呂布は、劉備を殺すでしょうよ」
袁術は、膝を打って、
「よい考えだ。良策を献じた褒美として、このたびの不覚は、罪を問わずにおいてやる」
と、いった。
袁術はまず、一書を認めて、このたび和睦の労をとられた貴下のご好意に対して、満腔の敬意と感謝を捧げる──と慇懃な答礼を送った。
日をはかって、それからわざと二月ほど間をおいてから、
「──時に、光栄ある貴家と姻戚の縁をむすんで、永く共栄をわかち、親睦のうえにも親睦を篤うしたいが」と、縁談の使いを向けた。
もちろんその返辞は、
「よく考えた上、いずれご返辞は、当方より改めて」と、世間なみな当座の口上であった。
先には、和睦の仲介へ、篤く感謝して来ているし、それからの縁談なので、呂布は、真面目に考慮した。
「わるい話でもないな。……どうだね。お前の考えは」
妻の厳氏に相談した。
「さあ……?」
愛しいひとり娘なので、彼の妻も、象牙を削ったような指を頬にあてて考えこんだ。
後園の木蘭の花が、ほのかに窓から匂ってくる。呂布のような漢でも、こういう一刻は和やかな眼をしているよい父親であった。
第一夫人、第二夫人、それと、いわゆる妾とよぶ婦人と。
呂布の閨室は、もともと、そう三人あった。
厳氏は正妻である。
その後、曹豹の女を入れて、第二の妻としたが、早逝してしまったので子供もなかった。
三番目のは妾である。
妾の名は、貂蝉という。
貂蝉といえば、彼が、まだ長安にいた頃、熱烈な恋をよせ、恋のため、董相国に反いて、遂に、時の政権をくつがえしたあの大乱の口火となった一女性であるが──その貂蝉はまだ彼の秘室に生きていたのだろうか。
「貂蝉よ、貂蝉よ」
彼は今も、よくそこの閨園では呼んでいる。だが、その後、彼にかしずいている貂蝉は、かの王允の養女であった薄命な貂蝉とは、名こそ同じだが、別人であった。
どこか、似てはいる。
しかし、年もちがう、気だてもちがう。
呂布も、煩悩児であった。
長安大乱のなかで死んだ貂蝉があきらめきれなかった。それ故、諸州にわたって、貂蝉に似た女性をさがし、ようやくその面影をどこかしのべる女を得て、
「貂蝉、貂蝉」と、呼んでいるのだった。
その貂蝉にも、子はなかったので、子供といっては、厳氏の腹から生れた娘があるだけである。
煩悩な父親は、その愛娘へも、人なみ以上な鍾愛をかけている。──子の幸福を、自分の行く末以上に案じている。
「どうだね?」
袁術からの縁談には、彼はほとほと迷っていた。
男親は、あまりに、多方面から考えすぎる。
一面では良縁と思うし、一面では危うさを覚える。
「……わたしは、いいおはなしと思いますが」
正妻の厳氏はいった。
「なぜならば、わたしが、ふと聞いたうわさでは、袁術という人は、早晩、天子になるお方だそうですね」
「誰に聞いた?」
「誰とはなく、侍女たちまで、そんな噂をささやきます。──天子の位につく資格をもっているんですって」
「彼の手には、伝国の玉璽がある。それでだろう。──しかし、衆口のささやき伝える力のほうが怖しい。実現するかもしれないな」
「ですから、よいではございませんか。娘を嫁入らせば、やがて皇妃になれる望みがありましょう」
「おまえも、偉いところへ眼をつけるな」
「女親のいちばん考える問題ですもの。ただ、先方に何人の息子がいるか、それは調べておかなければいけませんね。大勢のなかの一番出来の悪い息子なんかに貰われたら後悔しても追いつきませんから」
「その点は、不安はない。袁術には、一人しか息子はいないのだから」
「じゃあ、考えていらっしゃることはないじゃありませんか」
雌鶏のことばに、雄鶏も羽ばたきした。──袁家から申しこんできた「共栄の福利を永久に頒たん」との辞令が、真実のように思い出された。
返辞を待ちきれないように、袁家からは、再度韓胤を使者として、
「ご縁談の儀は、いかがでしょうか。一家君臣をあげて、この良縁の吉左右を、鶴首しておるものですから」
と、内意をただしにきた。
呂布は、韓胤を駅館に迎えて、篤くもてなし、承知の旨を答えるとともに、使者の一行にたくさんな金銀を与え、また帰る折りには、袁術へ対して、豪華な贈物を馬や車に山と積んで持たせてやった。
「申し伝えます。さだめし袁ご一家におかれても、ご満足に思われましょう」
韓胤の帰った翌日である。
例のむずかしやの陳宮が、いとどむずかしい顔をして、朝から政務所の閣にひかえ、呂布が起きだしてくるのを待っていた。
やがて、呂布が起きてきた。
「おお、陳宮か、早いな」
「ちと、おはなしがありまして」
「なんじゃ」
「袁家とのご縁談の儀で」
陳宮の顔つきから見て、呂布は心のうちで、ちょっと当惑した。
また何か、この諫言家が、自分を諫めにきたのではないか。
もう先方へは承諾を与えてある。今、内輪から苦情をもち出されてはうるさい。
「…………」
そんな顔しながら、寝起きの鈍い眼を、横へ向けていた。
「おさしつかえございませんか。ここで申し上げても」
「反対かな。そちは」
「いや、決して」
陳宮が、頭を下げたので、呂布はほっとして、
「吏員どもが出てくるとうるさい。あの亭へ行こう」
閣を出て、木蘭の下を歩いた。
水亭の一卓を囲んで、
「そちにはまだ話さなかったが、妻も良縁というから、娘をやることに決めたよ」
「結構でしょう」
陳宮の答えには、すこし奥歯に物がはさまっている。
「いけないかね」
呂布は、彼の諫めをおそれながら、彼の保証をも求めていた。
「いいとは思いますが、その時期が問題です。挙式は、いつと約しました」
「いや、まだそんなところまでは進んでいない」
「約束からお輿入れまでの日取りには、古来から一定した期間が定まっておりましょう」
「それによろうと思う」
「いけません」
「なぜ」
「世上一般の慣例としては、婚約の成立した日から婚儀までの期間を、身分によって四いろに分けています」
「天子の華燭の式典は一ヵ年、諸侯ならばそのあいだ半年、武士諸大夫は一季、庶民は一ヵ月」
「その通りです」
「そうか。むむ……」と、呂布はのみこみ顔で、
「袁術は、伝国の玉璽を所有しておるから、早晩、天子となるかもしれない。だから、天子の例にならえというのか」
「ちがいます」
「では、諸侯の資格か」
「否」
「大夫の例で行えというか」
「いけません」
「しからば……」と、呂布も気色ばんだ。
「おれの娘をやるのに、庶民なみの例で輿入れせよと申すか」
「左様なことは、誰も申し上げますまい」
「わからぬことをいうやつ、それでは一体、どうしろというのか」
「事は、家庭のご内事でも、天下の雄将たるものは、常に、風雲をながめて何事もなさるべきでしょう」
「もちろん」
「驍勇並ぶ者なきあなたと、伝国の玉璽を所有して、富国強兵を誇っているところの袁家とが、姻戚として結ばれると聞いたら、これを呪咀し嫉視せぬ国がありましょうか」
「そんなことを怖れたらどこへも娘はやれまい」
「しかし、万全を図るべきでしょう。ご息女のお為にも。──お輿入れの吉日を、千載の好機と待ちかまえ、途中、伏兵でもおいて、花嫁を奪い去るようなおそれがないといえますか」
「それもそうだ……じゃあどうしたらいいだろう」
「吉日を待たないことです。身分も慣例も構うことではありません。四隣の国々が気づかぬまに、疾風迅雷、ご息女のお輿を、まず袁家の寿春まで、お送りしてしまうことです」
「なるほど」
呂布も、彼にいわれてみれば、至極、もっともであると思うのだった。
「だが、弱ったなあ」
「何がお困りですか」
陳宮は突っこんで訊ねた。
呂布は頭をかいて、
「実は、夫人もこの縁談には乗り気で、非常な歓びだものだから……つい其方にも計らぬうち、袁術の使者へ、承諾の旨を答えてしまった」
「結構ではありませんか。てまえはべつに今度の縁談をお止め申しているのではございません」
「──だが、使者の韓胤は、もはや淮南へ、帰国してしまったのだ」
「それも構いません」
「なぜ。どうして」
呂布は、怪しんだ。
あまりに陳宮が落着きはらっているので妙に思われて来たらしい。
陳宮は、こう打明けた。
「──実はです。今朝、てまえ一存で、ひそかに韓胤の旅館を訪問し、彼とは内談しておきました」
「なに。袁術の使者と、おれに黙って会っていたのか」
「心配でなりませんから」
「──で。どういうはなしを致したのか」
「わたしは、韓胤に会うと、単刀直入に、こう口を切っていいました。
こんどのご縁談は
つまるところ──
貴国においては
劉備の首がお目あてでしょう。
花嫁は花嫁として
後から欲しいお荷物は
劉備の首、それでしょう!
いきなり手前がいったものですから韓胤は驚いて、顔色を失いましたよ」
「それはそうだろう。……そしたら韓胤はなんと答えたか」
「ややしばらくてまえの面を見ていましたが、やがて声をひそめて、
──左様な儀は
どうか大きなお声では
仰っしゃらないように。
と、あれもなかなか一くせある男だけに、いい返辞をしたものです」
「ふウム。それから、其方はなにをいおうとしたのか」
「花嫁のお輿入れは、世間の通例どおりにしては、必ず、不吉が起る。順調に運ぶとは思われない。だから、自分からも、主君にそうおすすめ申すから、貴国のほうでも、即刻お取急ぎ下さるように。……こう申して帰ってきたのです」
「韓胤は、おれには、何もいわなかった」
「それはいわないでしょう。この縁談は、政略結婚ですと、明らかにいって来るお使者はありませんからな」
陳宮は、こういったら、呂布が考え直すかと思って、その顔いろを見つめていたが、呂布の心は、娘を嫁がせる支度やその日取りにばかりもう心を奪われていた。
「では、日取りは、早いほどいいわけだな。何だか、ばかに気ぜわしくなったぞ」
彼はまた、後閣へ向って、大股にあるいて行った。
妻の厳氏にいいふくめて、それから、夜を日についで、輿入れの準備をいそがせた。
あらゆる華麗な嫁入り妝匣がそろった。おびただしい金襴や綾羅が縫われた。馬車や蓋が美々しくできた。
いよいよ花嫁の立つ朝は来た。東雲の頃から、徐州城のうちに、鼓楽の音がきこえていた。ゆうべから夜を明かして、盛大な祝宴は張られていたのである。
やがて、禽の啼く朝の光と共に、城門はひらかれ、花嫁をのせた白馬金蓋の馬車は、たくさんな侍女侍童や、美装した武士の列に護られて、まるで紫の雲も棚びくかとばかり、城外へ送り出されてきた。
陳珪は、老齢なので、息子の邸で病を養っていた。
彼の息子は、劉玄徳の臣、陳登であった。
「なんだね、あの賑やかな鼓楽は?」
病室にかしずいている小間使いが、
「ご隠居さまには、まだご存じないんですか」と、徐州城を出た花嫁の行列が、遠い淮南へ立ってゆくのを、町の人たちが今、歓呼して見送っているのですと話した。
すると、陳珪は、
「それは大変じゃ、こうしては居られない」と、病室から歩みだし、
「わしを驢に乗せて、お城まで連れてゆけ」と、いって、どうしても肯かなかった。
陳珪は、息をきりながら徐州城へ上がって、呂布へ目通りをねがった。
「病人のくせに、何で出てきたのか。祝いになど来ないでもいいのに」と、呂布がいうと、
「あべこべです」
陳珪は、強くかぶりを振って、云いだした。
「──あなたのご臨終もはや近づいたので、今日は、お悼みをのべに上がりました」
「老人。おまえは、自分のことを云っているのじゃないか」
「いいえ、老病のわたくしよりもあなたのほうが、お先になりました」
「なにを、ばかな」
「でも、命数は仕方がございません。ご自分で、冥途へ冥途へと、自然、足をお向けになるんですから」
「不吉なことを申すな。このめでたい吉日に」
「きょうが吉日とお考えになられるのからして、もう死神につかれているのです。──なぜならば、こんどのご縁談は、袁術の策謀です。あなたに、劉備という者がついていては、あなたを亡ぼすことができないため、まずご息女を人質に取っておいて、それから劉備のいる小沛へ攻め寄ろうとする考えなのです」
「…………」
「劉備が攻められても、今度はあなたも、劉備へ加勢はできますまい。彼を見殺しにすることは、ご自身の手脚がもがれて行くことだとお思いになりませんか」
「…………」
「やれやれ、ぜひもない! 怖ろしいのは、人の命数と、袁術の巧妙な策略じゃ」
「ウーム……」
呂布はうなっていたが、やがて陳珪をそこへ置き放したまま、大股にどこかへ出て行った。
「陳宮っ。陳宮!」
閣の外に、呂布の大声が聞えたので、何事かと、陳宮が詰所から走ってゆくと、その面を見るなり、呂布は、
「浅慮者め。貴様はおれを過らせたぞッ」と、呶鳴りつけた。
そしてにわかに、騎兵五百人を庭上へ呼んで、
「姫の輿を追いかけて、すぐ連れもどしてこいっ。──輿入れは中止だ」と、云いわたした。
呂布のむら気はいつものことだが、これにはみんな泡をくった。騎兵隊は、即刻、砂けむりあげて、花嫁の行列を追った。
呂布は、書面を認めて、
「昨夜から急に、むすめが微恙で寝ついたので、輿入れの儀は、当分のあいだ延期とご承知ねがいたい」と、袁術のほうへ、早馬で使いをやった。
病人の陳珪老人は、その夕方まで城内にいたが、やがてトボトボ驢の背にのってわが家へ帰りながら、
「ああ、これで……伜のご主君のあぶない所が助かった」
と、まばらな髯のなかで、独りつぶやいていた。
次の日、陳珪は、また静かに、病床に横臥していたが、つらつら険悪な世上のうごきを考えると小沛にいる劉玄徳の位置は、実に危険なものに思われてならなかった。
「呂布は前門の虎だし、袁術は後門の狼にも等しい。その二人に挟まれていては、いつかきっと、そのいずれかに喰われてしまうにきまっている」
彼は心配のあまり、病床で筆をとって、一書をしたため、使いを立てて呂布の手もとへ上申した。その意見書には、こういう献策がかいてあった。
近ごろ、老生の聞く所によると、袁術は、玉璽を手にいれ、不日天子の称を冒さんとしている由です。
明らかな大逆です。
この際、あなたとしては、ご息女の輿入れをお見合わせになったのを幸いに、急兵を派して、まだ旅途にある使者の韓胤を搦め捕り、許都の朝廷へさし立てて、順逆を明らかにしておくべきではありませんか。
曹操は、あなたの功を認めるでしょう。あなたは、官軍たるの強みを持ち、曹操の兵を左翼に、劉玄徳を右翼として、大逆の賊を討ち掃うべきです。
今こそ、その秋です。
曠世の英名をあげて、同時に一代の大計をさだめる今を、むなしく逸してはいけません。こういう機会は、二度と参りますまい。
「……あなた、何を考えこんでいらっしゃるのですか」
妻の厳氏は、呂布の肩ごしにそれをさしのぞいて陳珪の意見書を共に読んでしまった。
「いや、陳珪のいうところも、一理あるから、どうしようかと思案していたのさ」
「死にかけている病人の意見などに動かされて、せっかくの良縁を、あなたは破棄してしまうおつもりですか」
「むすめは、どうしているね」
「泣いておりますよ、可哀そうに……」
「弱ったなあ」
呂布はつぶやきながら、吏士たちの詰めている政閣のほうへ出て行った。
すると何事か、そこで吏士たちがさわいでいた。
侍臣に訊かせてみると、
「小沛の劉備が、どこからか、続々と、馬を買いこんでいるといっているのです」
と、告げた。
呂布は、大口あいて笑った。
「武将が、馬を買入れるのは、いざという時の心がけで、なにも、目にかどを立ててさわぐこともあるまい──わしも良馬を集めたいと思って、先ごろ、宋憲以下の者どもを山東へつかわしてあるが、彼らも、もう帰ってくる時分だろう」
それから三日目だった。
山東地方へ軍馬を求めに出張していた宋憲と、その他の役人どもは、まるで狐にでもつままれたような恰好で、ぼんやり城中へ帰ってきた。
「軍馬はたくさん集めてきたか。さっそく逸物を五、六頭ひいて見せい」
呂布がいうと、
「申し訳ございません」と、役人どもは、彼の怒りを恐れながら、頭をすりつけて答えた。
「名馬三百匹をひいて、一昨夜、小沛の境までかかりました所、一団の強盗があらわれて、そのうち二百頭以上の逸物ばかり奪い去ってしまいました。……われら、きのうも今日も、必死になって、後をさがしましたが、山賊どもも、馬の群れも、まったく行方がわかりませんので、むなしく残りの馬だけひいて、ひとまず立ち帰って参りました」
「なに、強盗の一団に、良馬ばかり二百頭も奪われてしまったというのか」
呂布の額には、そういううちにもう青筋が立っていた。
「穀つぶしめ。貴様たちは日頃、なんのために禄を喰っているか」
呂布は、声荒らげて、宋憲らの責任を糺した。
「──大事な軍馬を数多強盗に奪われましたと、のめのめと面を揃えて立帰ってくる役人がどこにあるっ。強盗などを見かけたら即座に召捕るのが汝ら、吏たる者の職分ではないか」
「お怒りは、重々、ごもっともでございまするが」と、宋憲は、怒れる獅子王の前に、ひれ伏したまま言い訳した。「何ぶんにも、その強盗が、ただの野盗や山賊などではございません、いずれも屈強な男ばかりでみな覆面しておりましたが、中にもひときわ背のすぐれた頭目などは、われわれどもを、まるで小児の如く取って投げ、近寄ることもどうすることもできません。──しかもその行動はおそろしく迅速で、規律正しく、われわれの乗馬を奪って跳びのるが早いか、その頭目の号令一下に、馬匹の群れに鞭を加え、風のように逃げてしまったのです。……あまりに鮮やかなので、不審に思って、内々、取調べてみますと、われわれの手には及ばなかったはずです。──その覆面の強盗どもは、実は、小沛の劉玄徳の義弟、張飛という者と、その部下たちでありました」
「なに。それが張飛だったと……?」
呂布の忿怒は、小沛の方へ向けられた。しかしまだ多少疑って、
「たしかか。──たしかにそれに相違ないか」と、念を押した。
「決して、偽りはありません」
「うぬっ」と、呂布は歯を噛んで、席を突っ立ち、
「おれの堪忍はやぶれた」と、咆哮した。
城中の大将たちは、直ちに呼びだされた。呂布は立ったままでいた。そして一同そこに立ち揃うと、
「劉備へ宣戦する! すぐさま小沛へ押し寄せろ」
命を下すや否、彼も甲冑をつけて、赤兎馬に跨り、軍勢をひいて小沛の県城へ迫った。
驚いたのは、玄徳である。
「何ゆえに?」
理由がわからない。
しかし事態は急だ。防がずにいられない。
彼も、兵を従えて、城外へすすみ出た。そして大音をあげて、
「呂将軍、呂将軍。この態はそも、何事ですか。故なく兵をうごかし給うは近頃、奇怪なことに思われますが」
「ほざくな、劉備」
呂布は、姿を見せた。
「この恩知らず! 先に、この呂布が、轅門の戟を射て、危ういところを、汝の一命を救ってやったのに、それに酬いるに、わが軍馬二百余頭を、張飛に盗ませるとは何事だ。偽君子め! 汝は強盗を義弟として、財を蓄える気か」
ひどい侮辱である。
玄徳は顔色を変えたが、身に覚えないことなので、茫然、口をつぐんでいた。すると張飛はうしろから戟をさげて進み出で、劉備の前に立ちふさがって云い放った。
「吝ッたれ奴! 二百匹ばかりの軍馬がなんだ。あの馬を奪りあげたのは、かくいう張飛だが、われをさして強盗とは聞き捨てならん。おれが強盗なら汝は糞賊だ」
「なに、糞賊?」
呂布もまごついた。世にさまざまな賊もあるが、まだ糞賊というのは聞いたこともない。張飛のことばは無茶である。
「そうではないか! 汝は元来、寄る辺なく、この徐州へ頼ってきた流寓の客にすぎぬ。劉兄のお蔭で、いつのまにか徐州城に居直ってしまい、太守面をしているのみか、国税もすべて横領し、むすめの嫁入り支度といっては、民の膏血をしぼり、この天下多難の秋に、眷族そろって、能もなく、大糞ばかりたれている。されば汝ごとき者を、国賊というのももったいない。糞賊というのだ。わかったか呂布っ」
張飛の悪たれが終るか終らない咄嗟だった。
呂布は颯ッと満面の髯も髪もさかだてて、画桿の大戟をふりかぶるやいな、
「下郎っ」と、凄まじい怒りを見せて打ってかかった。
張飛は、乗ったる馬を棹立ちに交わしながら、
「よいしょッ」
と、相手の反れた戟へ、怒声をかけてやった。
揶揄された呂布は、いよいよ烈火のようになって、
「おのれ」
と、さらに、戟を持ち直し、正しく馬首を向け直すと、張飛も、
「さあ、おいで」
と、一丈八尺の矛を構えて、炬のごとき眼を、呂布に向けた。
これは天下の偉観といってもよかろう。張飛も呂布も、当代、いずれ劣らぬ勇猛の典型である。
けれど同じ鉄腕の持ち主でも、その性格は甚だしくちがっている。張飛は、徹底的に、呂布という漢が嫌いだった。呂布を見ると、なんでもない日頃の場合でも、むらむらと闘志を挑発させられる。同様に、呂布のほうでも、常々、張飛の顔を見ると、ヘドを催すような不快に襲われる。
かくの如く憎み合っている両豪が、今や、戦場という時と所を得て、対い合ったのであるからその戦闘の激烈であったことは言語に絶している。
戟を交わすこと二百余合、流汗は馬背にしたたり、双方の喚きは、雲に谺するばかりだった。しかもなお、勝敗はつかず、馬蹄のためにあたりの土は掘り返り、陽はいつのまにか暮れんとしている。
「張飛、張飛っ。なぜ引揚げぬか。家兄の命令になぜ従わん」
後ろのほうで、関羽の声がした。
気がついて、彼が前後を見まわすと、もう薄暮の戦場にのこっているのは、自分ひとりだけであった。
そして敵兵の影を遠巻きに退路をつつみ、草靄が白く野を流れていた。
「オーッ。──関羽かっ」
張飛は答えながら、なおも、呂布と戦っていたが、なるほど、味方の陣地のほうで遠く退き鐘が鳴り響いている──。
「はやく来い。そんな敵は打ちすてて引揚げろ」
関羽は、彼のために、遠巻きの敵の一角を斬りくずしていた。張飛もいささか慌てて、
「呂布、明日また来い」と云いすてて馳けだした。
何か、呂布の罵る声がうしろで聞えたが、もう双方の姿もおぼろな夕闇となっていた。関羽は、彼のすがたを見ると馳け寄ってきて、
「家兄がご立腹だぞ」と、ささやいた。
県城へ引揚げてくると、劉備はすぐ張飛を呼んで詰問した。
「またも其方は禍いをひき起したな。──一体、盗んだ馬は、どこに置いてあるのか」
「城外の前の境内にみなつないであります」
「道ならぬ手段をもって得た馬を玄徳の厩につなぐことはできない。──関羽、その馬匹をことごとく呂布へ送り返せ」
関羽はその晩二百余頭の馬匹をすべて呂布の陣へ送り返した。
呂布は、それで機嫌を直して、兵を引こうとしたが、陳宮がそばから諫めた。
「今もし玄徳を殺さなければ、必ず後の禍いです。徐州の人望は、日にまして、あなたを離れて、彼の身にあつまりましょう」
そう聞くと呂布は、玄徳の道徳や善行が、かえって恐ろしくも憎くもなった。
「そうだ。人情はおれの弱点だ」
そのまま、息もつかず翌日にわたって、攻め立てたので、小勢の県城は、たちまち危なくなった。
「どうしよう?」
玄徳が、左右に諮ると、孫乾がいった。
「この上はぜひもありません。いったん城を捨てて、許都へ走り、中央にある曹操へたのんで、時をうかがい、今日の仇を報じようではありませんか」
玄徳は、彼の説に従って、その夜三更、搦手から脱けだして、月の白い道を、腹心の者とわずかな手勢だけで、落ちのびて行った。
張飛と関羽のふたりは、殿軍となって、二千余騎を県城の外にまとめ、
「この地を去る思い出に」
とばかり、呂布の兵を踏みやぶり、その部将の魏続、宋憲などに手痛い打撃を与えて、
「これで幾らか胸がすいた」と、先へ落ちて行った劉玄徳のあとを追い慕った。
時は、建安元年の冬だった。
国なく食なく、痩せた馬と、うらぶれた家の子郎党をひき連れた劉玄徳は、やがて許昌の都へたどり着いた。
曹操は、しかし決してそれに無情ではなかった。
「玄徳は、わが弟分である」
といって、迎うるに賓客の礼をとり、語るに上座を譲ってなぐさめた。
なお、酒宴をもうけて、張飛や関羽をもねぎらった。
玄徳は、恩を謝して、日の暮れがた相府を辞し、駅館へひきあげた。
すると、その後ろ姿を見送りながら、曹操の腹心、荀彧は、
「玄徳はさすがに噂にたがわぬ人物ですな」と、意味ありげに、独り言をもらした。
「むむ」とうなずいたのみで曹操が黙然としていると、荀彧はその耳へ顔を寄せて、
「彼こそ将来怖るべき英雄です。今のうちに除いておかなければ、ゆく末、あなたにとっても、由々しい邪魔者となりはしませんか」と、暗に殺意を唆った。
曹操は、何か、びくとしたように、眼をあげた。その眸は、赤い熒光を放ったように見えた。
ところへ、郭嘉が来て、曹操からその相談をうけると、
「とんでもない事です──」といわんばかりな顔して、すぐ首を横に振った。
「彼がまだ無名のうちならとにかく、すでに今日では、義気仁愛のある人物として、劉玄徳の名は相当に知られています。もしあなたが、彼を殺したら、天下の賢才は、あなたに対する尊敬を失い、あなたの唱えてきた大義も仁政も、嘘としか聞かなくなるでしょう。──一人の劉備を怖れて、将来の患いを除くために、四海の信望を失うなどは、下の下策というもので、私は絶対に賛成できません」
「よく申した」
曹操の頭脳は明澄である。彼の血は熱しやすく、時に、また濁りもするが、人の善言をよくうけ入れる本質を持っている。
「予もそう思う。むしろ今逆境にある彼には、恩を恵むべきである」といって、やがて朝廷に上がった日、玄徳のため、予州(河南省)の牧を奏請して、直ちに任命を彼に伝えた。
さらに。
玄徳が、任地へおもむく時には、兵三千と糧米一万斛を贈り、
「君の前途を祝す予の寸志である」と、その行を盛んにした。
玄徳は、かさねがさねの好意に、深く礼をのべて立ったが、別れる間際に、曹操は、
「時来れば、君の仇を、君と協力して討ちに行こう」と、ささやいた。
勿論、曹操の胸にも、いつか誅伐の時をと誓っているのは、呂布という怪雄の存在であった。
「…………」
玄徳は、唯々として、何事にも微笑をもってうなずきながら任地へ立った。
ところが、曹操の計画だった呂布征伐の実現しないうちに、意外な方面から、許都の危機が伝えられだした。
許都は今、天子の府であり、曹操は朝野の上にあって、宰相の重きをなしている。
「この花園をうかがう賊は何者なりや!」と、彼は憤然と、剣を杖として立ち、刻々、相府へ馳けこんでくる諜報員の報告を、厳しい眼で聞きとった。
この許昌へ遷都となる以前、長安に威を振っていたもとの董相国の一門で張済という敗亡の将がある。
先頃から董一族の残党をかりあつめて、
王城復古
打倒曹閥
の旗幟をひるがえし、許都へ攻めのぼろうと企てていた一軍は、その張済の甥にあたる張繍という人物を中心としていた。
張繍は諸州の敗残兵を一手に寄せて、追々と勢威を加え、また、謀士賈詡を参謀とし、荊州の太守劉表と軍事同盟をむすんで、宛城を根拠としていた。
「捨ておけまい」
曹操は、進んで討とうと肚をきめた。
けれど彼の気がかりは、徐州の呂布であった。
「もし自分が張繍を攻めて、戦が長びけば、呂布は必ず、その隙に乗じて、玄徳を襲うであろう。玄徳を亡ぼした勢いを駆って、さらに許都の留守を襲撃されたらたまらない──」
その憂いがあるので、曹操がなお出陣をためらっていると、荀彧は、
「その儀なれば、何も思案には及びますまい」と、至極、簡単にいった。
「そうかなあ。余人は恐るるに足らんが、呂布だけは目の離せない曲者と予は思うが」
「ですから、与し易しということもできましょう」
「利を喰わすか」
「そうです。慾望には目のくらむ漢ですから、この際、彼の官位を昇せ、恩賞を贈って、玄徳と和睦せよと仰っしゃってごらんなさい」
「そうか」
曹操は、膝を打った。
すぐ奉車都尉の王則を正式の使者として、徐州へ下し、その由を伝えると、呂布は思わぬ恩賞の沙汰に感激して、一も二もなく曹操の旨に従ってしまった。
そこで曹操は、
「今は、後顧の憂いもない」と、大軍を催して、夏侯惇を先鋒として、宛城へ進発した。
淯水(河南省・南陽附近)のあたり一帯に、十五万の大兵は、霞のように陣を布いた。──時、すでに春更けて建安二年の五月、柳塘の緑は嫋々と垂れ、淯水の流れは温やかに、桃の花びらがいっぱい浮いていた。
張繍は、音に聞く曹操が自らこの大軍をひきいて来たので、色を失って、参謀の賈詡に相談した。
「どうだろう、勝ち目はあるか」
「だめです。曹操が全力をあげて、攻勢に出てきては」
「では、どうしたらいいか」
「降服あるのみです」
さすがに賈詡は目先がきいている。張繍にすすめて、一戦にも及ばぬうち降旗を立てて自身、使いとなって、曹操の陣へおもむいた。
降服に来た使者だが、賈詡の態度ははなはだ立派であった。のみならず弁舌すずやかに、張繍のために、歩のよいように談判に努めたので、曹操は、賈詡の人品にひとかたならず惚れこんでしまった。
「どうだな、君は、張繍の所を去って、予に仕える気はないか」
「身にあまる面目ですが、張繍もよく私の言を用いてくれますから、棄てるにしのびません」
「以前は、誰に仕えていたのかね」
「李傕に随身していました。しかしこれは私一代の過ちで、そのため、共に汚名を着たり、天下の憎まれ者になりましたから、なおさら、自重しております」
宛城の内外は、戦火をまぬかれて、平和のための外交がすすめられていた。
曹操は、宛城に入って、城中の一郭に起居していたが、或る夜のこと、張繍らと共に、酒宴に更けて、自分の寝殿に帰って来たが、ふと左右をかえりみて、「はてな? この城中に美妓がいるな。胡弓の音がするぞ」と、耳をすました。
彼の身のまわりの役は、遠征の陣中なので、甥の曹安民が勤めていた。
「安民。おまえにも聞えるだろう。──あの胡弓の音が」
「はい、ゆうべも、夜もすがら、哀しげに弾いていたようでした」
「誰だ? いったい、あの胡弓を弾いている主は」
「妓女ではありません」
「おまえは、知っているのか」
「ひそかに、垣間見ました」
「怪しからんやつだ」
曹操は、戯れながら、苦笑してなお訊ねた。
「美人か、醜女か」
「絶世の美人です」
安民は、大真面目である。
「そうか、……そんな美人か……」と、曹操は、酒の香をほッと吐いて、春の夜らしい溜息をついた。
「おい。連れて来い」
「え。……誰をですか」
「知れたことを訊くな。あの胡弓を奏でている女をだ」
「……ところが、あいにくと、あの美女は、未亡人だそうです。張繍の叔父、張済が死んだので、この城へ引きとって張繍が世話をしているのだとか聞きました」
「未亡人でも構わん。おまえは口をきいたことがあるのだろう。これへ誘ってこい」
「奥郭の深園にいるお方、どうして、私などが近づけましょう。言葉を交わしたことなどありません」
「では──」と、曹操はいよいよ語気に熱をおびて、いいつけた。
「混盔の兵、五十人を率いて、曹操の命なりと告げて、中門を通り、張済の後家に、糺すことあれば、すぐ参れと、伴ってこい」
「はいっ」
曹安民は、叔父の眼光に、嫌ともいえず、あわてて出て行ったが、しばらくすると、兵に囲ませて、一人の美人をつれて来た。
帳外の燭は、ほのかに閣の廊に揺れていた。
曹操は、佩剣を立てて、柄頭のうえに、両手をかさねたままじっと立っていた。
「召しつれました」
「大儀だった。おまえ達はみな退がってよろしい」
曹安民以下、兵たちの跫音は、彼方の衛舎へ遠ざかって行く。──そして後には、悄然たるひとりの麗人の影だけがそこに取り残されていた。
「夫人、もっと前へおすすみなさい。予が曹操だ」
「…………」
彼女は、ちらと眸をあげた。
なんたる愁艶であろう。蘭花に似た瞼は、ふかい睫毛をふせておののきながら曹操の心を疑っている。
「怖れることはない。すこしお訊ねしたいことがある」
曹操は、恍惚と、見まもりながら云った。
傾国の美とは、こういう風情をいうのではあるまいか。──夫人は、うつ向いたまま歩を運んだ。
「お名まえは。姓は?」
重ねて問うと、初めて、
「亡き張済の妻で……鄒氏といいまする」
かすかに、彼女は答えた。
「予を、ご存じか」
「丞相のお名まえは、かねてから伺っておりますが、お目にかかるのは……」
「胡弓をお弾きになっておられたようだな。胡弓がおすきか」
「いいえ、べつに」
「では何で」
「あまりのさびしさに」
「おさびしいか。おお、秘園の孤禽は、さびしさびしと啼くか。──時に夫人、予の遠征軍が、この城をも焼かず、張繍の降参をも聞き届けたのは、いかなる心か知っておられるか」
「…………」
曹操は、五歩ばかりずかずかと歩いて、いきなり夫人の肩に手をかけた。
「……お分りか。夫人」
夫人は、肩をすくめて貌容を紅の光に染めた。
曹操は、その熱い耳へ、唇をよせて、
「あなたへ恩を売るわけではないが、予の胸一つで張繍一族を亡ぼすも生かすも自由だということは、お分りだろう。……さすれば、予がなんのために、そんな寛大な処置をとったか。……夫人」
幅広い胸のなかに、がくりと、人形のような細い頸を折って仰向いた夫人は、曹操の火のような眸に会って、麻酔にかかったようにひきつけられた。
「予の熱情を、御身はなんと思う。……淫らと思うか」
「い……いいえ」
「うれしいと思うか」
たたみかけられて、夫人の鄒氏はわなわなふるえた。蝋涙のようなものが頬を白く流れる。──曹操は、唇をかみ、つよい眸をその面に屹とすえて、
「はっきりいえっ!」
難攻の城を攻めるにも急激な彼は、恋愛にも持ち前の短気をあらわして武人らしく云い放った。
すこし面倒くさくなったのである。
「おいっ、返辞をせんかっ」
ゆすぶられた花は、露をふりこぼしてうつ向いた。そして唇のうちで、何かかすかに答えた。
嫌とも、はいとも、曹操の耳には聞えていない。しかし曹操はその実、彼女の返辞などを気にしているのではない。
「何を泣く、涙を拭け」
云いながら、彼は室内を大股に濶歩した。
今朝、賈詡のところへ、そっと告げ口にきた部下があった。
「軍師。お聞きですか」
「曹操のことだろう」
「そうです」
「急に、閣を引払って、城外の寨へ移ったそうだな」
「そのことではありません」
「では、何事か」
「申すもちと、はばかりますが」
と、小声を寄せて、鄒氏と曹操との関係をはなした。
賈詡は、その後で主君の張繍の座所へ出向いた。
張繍も、いやな顔をして、ふさいでいたが、賈詡の顔を見ると、いきなり鬱憤を吐きだすようにいった。
「怪しからん! ──いかに驕り誇っているか知らんが、おれを辱めるにも程がある。おれはもう曹操などに屈してはいられないぞ」
「ごもっともです」
賈詡は、張繍の怒っている問題にはふれないで、そっと答えた。
「……が、こういうことは、あまりお口にしないほうがよいでしょう。男女のことなどというものは論外ですからな」
「しかし、鄒氏も鄒氏だ……」
「まあ、胸をさすっておいで遊ばせ。その代りに、曹操へは、酬うべきものを酬うておやりになればよいでしょう」
謀士賈詡は、何事か、侍臣を遠ざけて密語していた。
すると次の日。
城外に当る曹操の中軍へ、張繍がさりげなく訪ねてきて、
「どうも困りました。私を意気地ない城主と見限ったものか、城中の秩序がこのところゆるんでいるので、部下の兵が、勝手を振舞い、他国へ逃散する兵も多くて弱っておりますが」
と、愚痴をこぼした。
曹操は、彼の無智をあわれむように、打笑って、
「そんなことを取締るのは君、造作もないじゃないか。城外四門へ監視隊を備え、また、城の内外を、たえず督軍で見廻らせて、逃散の兵は、即座に、首を刎ねてしまえば、すぐやんでしまうだろう」
「そうも考えましたが、降服した私が、自分の兵とはいえ、貴軍へ無断で、配備をうごかしては……とその辺をはばかっておるものですから」
「つまらん遠慮をするね。君のほうは君の手で、びしびし軍律を正してくれなければ我軍としても困るよ」
張繍は、心のうちで、「思うつぼ」と、歓んだが、さあらぬ顔して、城中へ帰ってくると、すぐその由を、賈詡に耳打ちした。
賈詡はうなずいて、
「では、胡車児をこれへ、お呼び下さい。私からいいつけましょう」と、いった。
城中第一の勇猛といわれる胡車児はやがて呼ばれて来た。毛髪は赤く、鷲のような男である。力能く五百斤を負い、一日七百里(支那里)を馳けるという異人だった。
「胡車児。おまえは、曹操についている典韋と戦って、勝てる自信があるか」
賈詡が問うと、胡車児は、すこぶるあわてた顔いろで、顔を横にふった。
「世の中に誰も恐ろしい奴はありませんが、あいつには勝てそうもありません」
「でも、どうしても、典韋を除いてしまわなければ曹操は討てない」
「それなら、策があります。典韋は酒が好きですから、事によせて、彼を酔いつぶし、彼を介抱する振りをして、曹操の中軍へ、てまえがまぎれこんで行きます」
「それだ! わしも思いついていたのは。──典韋を酔いつぶして、彼の戟さえ奪っておけば、おまえにも彼を打殺すことができるだろう」
「それなら、造作もありません」
胡車児は、大きなやえ歯をむきだして笑った。
本尊様と狛犬のように、常に、曹操のいる室外に立って、爛々と眼を光らしている忠実なる護衛者の典韋は、
「ああ、眠たい」
閑なので、欠伸をかみころしながら、司令部たる中軍の外に舞う白い蝶を見ていた。
「もう、夏が近いのに」と、無聊に倦んだ顔つきして、同じ所を、十歩あるいては十歩もどり、今度の遠征ではまだ一度も血にぬらさない手の戟を、あわれむ如くながめていた。
かつて、曹操が兗州から起つに当って、四方の勇士を募った折、檄に応じて臣となった典韋は、その折の採用試験に、怪力を示して、曹操の口から、
(そちは、殷の紂王に従っていた悪来にも劣らぬ者だ)
といわれ、以来、典韋と呼ばれたり、悪来とも呼ばれたりしてきた彼である。
だが、その悪来典韋も、狛犬がわりに、戟を持って、この長日を立っているのは、いかにも気だるそうであった。
「こらっ、何処へゆく」
ふと、ひとりの兵が、閣の廊をうかがって、近づいて来たので、典韋はさっそく、退屈しのぎに、呶鳴りつけた。
兵は、膝をついて、彼を拝しながら、手紙を出した。
「あなたが、典韋様ですか」
「なんだ、おれに用か」
「はい、張繍様からのお使いです」
「なるほど、おれへ宛てた書状だが、はて、何の用だろう」
ひらいてみると、長いご陣中の無聊をおなぐさめ申したく、粗樽をもうけてお待ちしているから明夕城中までお越し給わりたい──という招待状であった。
「……久しく美酒も飲まん」
典韋は、心のなかで呟いた。翌日は、昼のうちだけ非番だし、行こうと決めて、
「よろしくお伝えしてくれ」と、約束して使いの兵を帰した。
次の日、まだ日の暮れないうちから出向いて、二更の頃まで、典韋は城中で飲みつづけた。そしてほとんど、歩くのもおぼつかない程、泥酔して城外へもどって来た。
「主人のいいつけですから、私が中軍までお送りします。わたくしの肩におつかまり下さい」
一人の兵が、介抱しながら、親切に体を扶けてくれる。見るときのう手紙を持って使いに来た兵である。
「おや、おまえか」
「ずいぶんご機嫌ですな」
「何しろ一斗は飲んだからな。どうだ、この腹は。あははは、腹中みな酒だよ」
「もっと飲めますか」
「もう飲めん。……おや、おれは随分、大漢のほうだが、貴様も大きいな。背がほとんど同じぐらいだ」
「あぶのうございます。そんなに私の首に捲きつくと、私も歩けません」
「貴様の顔は、すごいな。髯も髪の毛も、赤いじゃないか」
「そう顔を撫でてはいけません」
「なんだ、鬼みたいな面をしながら」
「もうそこが閣ですよ」
「何、もう中軍か」
さすがに、曹操の室の近くまで来ると、典韋は、ぴたとしてしまったが、まだ交代の時刻まで間があったので、自分の部屋へはいり込むなり前後不覚に眠ってしまった。
「お風邪をひくといけませんよ。……ではこれでお暇いたしますよ」
送ってきた兵は、典韋の体をゆり動かしたが、典韋の鼾声は高くなるばかりであった。
「……左様なら」
赤毛赤髯の兵卒は、後ずさりに、出て行った。その手には、典韋の戟を、いつのまにか奪りあげて持っていた。
曹操はこよいも、鄒氏と共に酒を酌みかわしていた。
ふと、杯をおいて、
「なんだ、あの馬蹄の音は」と、怪しんで、すぐ侍臣を見せにやった。
侍臣は、帰ってきて、
「張繍の隊が、逃亡兵を防ぐため、見廻りしているのでした」と、告げた。
「ああそうか」
曹操は、疑わなかった。
けれどまた、二更の頃、ふいに中軍の外で、吶喊の声がした。
「見てこい! 何事だ?」
ふたたび侍臣は馳けて行った。そして帳外からこう復命した。
「何事でもありません。兵の粗相から馬糧を積んだ車に火がついたので、一同で消し止めているところです」
「失火か。……何のことだ」
すると、それから間もなく、窓の隙間に、ぱっと赤い火光が映じた。宵から泰然とかまえていた曹操も、ぎょッとして、窓を押し開いてみると、陣中いちめん黒煙である。それにただ事ならぬ喊声と人影のうごきに、
「典韋っ、典韋!」と呼びたてた。
いつになく、典韋も来ない。
「──さては」と、彼はあわてて鎧甲を身につけた。
一方の典韋は、宵から大鼾で眠っていたが、鼻をつく煙の異臭に、がばとはね起きてみると、時すでに遅し、──寨の四方には火の手が上がっている。
すさまじい喊殺の声、打鳴らす鼓の響き。張繍の寝返りとはすぐ分った。
「しまった! 戟がない」
さしもの典韋もうろたえた。
しかも暑いので、半裸体で寝ていたので、具足をつけるひまもなかった。
──がそのまま彼は外へ躍りだした。
「典韋だ! 悪来だ!」
敵の歩卒は、逃げだした。
その一人の腰刀を奪い、典韋は、滅茶苦茶に斬りこんだ。
寨の門の一つは、彼ひとりの手で奪回した。しかしまたたちまち、長槍を持った騎兵の一群が、歩卒に代って突進して来た。
典韋は、騎士歩卒など、二十余人の敵を斬った。刀が折れると、槍を奪い、槍がササラのようになると、それも捨てて左右の手に敵兵二人をひッさげ、縦横にふり廻して暴れまわった。
こうなると、敵もあえて近づかなかった。遠巻きにして、矢を射はじめた。半裸体の典韋に矢は仮借なく注ぎかけた。
それでも典韋は、寨門を死守して、仁王のごとく突っ立っていた。しかし余り動かないので恐々と近づいてみると、五体に毛矢を負って、まるで毛虫のようになった典韋は、天を睨んで立ったまま、いつの間にか死んでいた。
かかる間に、曹操は、
「空しくこんな所で死すべからず──」
とばかり、馬の背にとび乗って、一散に逃げだした。
よほど機敏に逃げたとみえ、敵も味方も知らなかった。ただ甥の曹安民ただ一人だけが裸足で後からついて行った。
しかし、曹操逃げたり! とは直ぐ知れ渡って、敵の騎馬隊は、彼を追いまくった。追いかけながら、ぴゅんぴゅんと矢を放った。
曹操の乗っている馬には三本の矢が立った。曹操の左の肘にも、一箭突き通った。
徒歩の安民は、逃げきれず、大勢の敵の手にかかって、なぶり殺しに討たれてしまう。
曹操は、傷負の馬に鞭うちながら、ざんぶと、淯水の河波へ躍りこんだが、彼方の岸へあがろうとした途端に、また一矢、闇を切ってきた鏃に、馬の眼を射ぬかれて、どうと、地を打って倒れてしまった。
淯水の流れは暗い。もし昼間であったら紅に燃えていたろう。
曹操も満身血しお、馬も血みどろであった。しかも馬はすでに再び起たない。
逃げまどう味方の兵も、ほとんどこの河へ来て討たれた様子である。
曹操は、身一つで、ようやく岸へ這いあがった。
すると闇の中から、
「父上ではありませんか」と、曹昂の声がした。
曹昂は、彼の長子である。
一群の武士と共に、彼も九死に一生を得て、逃げ落ちてきたのであった。
「これへお召しなさい」
曹昂は、鞍をおりて、自分の馬を父へすすめた。
「いい所で会った」
曹操はうれしさにすぐ跳び乗って馳けだしたが、百歩とも駈けないうちに、曹昂は、敵の乱箭にあたって、戦死してしまった。
曹昂は、弊れながら、
「わたくしに構わないでお落ち下さい。父上っ。あなたのお命さえあれば、いつだって、味方の雪辱はできるんですから、私などに目をくれずに逃げのびて下さい」と、叫んだ。
曹操は、自分の拳で自分の頭を打って悔いた。
「こういう長子を持ちながら、おれは何たる煩悩な親だろう。──遠征の途にありながら、陣務を怠って、荊園の仇花に、心を奪われたりなどして、思えば面目ない。しかもその天罰を父に代って子がうけるとは。──ああ、ゆるせよ曹昂」
彼は、わが子の死体を、鞍のわきに抱え乗せて、夜どおし逃げ走った。
二日ほど経つと、ようやく、彼の無事を知って、離散した諸将や残兵も集まって来た。
折も折、そこへまた、
「于禁が謀叛を起して、青州の軍馬を殺した」といって、青州の兵らが訴えてきた。
青州は味方の股肱、夏侯惇の所領であり、于禁も味方の一将である。
「わが足もとの混乱を見て、乱を企むとは、憎んでも余りある奴」
と、曹操は激怒して、直ちに于禁の陣へ、急兵をさし向けた。
于禁も、先頃から張繍攻めの一翼として、陣地を備えていたが、曹操が自分へ兵をさし向けたと聞くと、慌てもせず、
「塹壕を掘って、いよいよ備えを固めろ」と、命令した。
彼の臣は日頃の于禁にも似あわぬことと、彼を諫めた。
「これはまったく青州の兵が、丞相に讒言をしたからです。それに対して、抵抗しては、ほんとの叛逆行為になりましょう。使いを立てて明らかに事情を陳弁なされてはいかがですか」
「いや、そんな間はない」
于禁は陣を動かさなかった。
その後、張繍の軍勢も、ここへ殺到した。しかし于禁の陣だけは一糸みだれず戦ったので、よくそれを防ぎ、遂に撃退してしまった。
その後で、于禁は、自身で曹操をたずねた。そして青州の兵が訴え出た件は、まったく事実とあべこべで、彼らが、混乱に乗じて、掠奪をし始めたので、味方ながらそれを討ち懲らしたのを恨みに思い、虚言を構えて、自分を陥さんとしたものであると、明瞭に云い開きを立てた。
「それならばなぜ、予が向けた兵に、反抗したか」と、曹操が詰問すると、
「──されば、身の罪を弁疏するのは、身ひとつを守る私事です。そんな一身の安危になど気をとられていたら、敵の張繍に対する備えはどうなりますか。仲間の誤解などは後から解けばよいと思ったからです」
と、于禁は明晰に答えた。
曹操はその間、じっと于禁の面を正視していたが、于禁の明快な申し立てを聞き終ると、
「いや、よく分った。予が君に抱いていた疑いは一掃した」
と、于禁へ手をさしのべ、力をこめて云った。
「よく君は、公私を分別して、混乱に惑わず、自己一身の誹謗を度外視して、味方の防塁を守り、しかも敵の急迫を退けてくれた。──真に、君のごとき者こそ、名将というのだろう」
と、口を極めて賞讃し、特にその功として、益寿亭侯に封じ、当座の賞としては、黄金の器物一副をさずけた。
また。
于禁を誹って訴えた青州の兵はそれぞれ処罰し、その主将たる夏侯惇には、
「部下の取締り不行届きである」との理由で、譴責を加えた。
曹操は今度の遠征で、人間的な半面では、大きな失敗を喫したが、一たん三軍の総帥に立ち返って、武人たるの本領に復せば、このように賞罰明らかで、いやしくも軍紀の振粛をわすれなかった。
賞罰のことも片づくと、彼はまた、祭壇をもうけて、戦没者の霊を弔った。
その折、曹操は、全軍の礼拝に先だって、香華の壇にすすみ、涙をたたえて、
「典韋。わが拝をうけよ」と、いった。
そして、瞑目久しゅうして、なお去りやらず、三軍の将士へ向って、
「こんどの戦で、予は、長子の曹昂と、愛甥の曹安民とを亡くしたが、予はなお、それを以て、深く心を傷ましはしない。……けれど、けれど、日常、予に忠勤を励んだ悪来の典韋を死なせたのは、実に、残念だ。──典韋すでに亡しと思うと、予は泣くまいとしても、どうしても泣かずにはおられない」と、流涕しながらいった。
粛として、彼の涙をながめていた将士は、みな感動した。
もし曹操の為に死ねたら幸福だというような気がした。忠節は日常が大事だとも思った。
何せよ、曹操は、惨敗した。
しかし味方の心を緊め直したことにおいては、その失敗も償って余りがあった。
逆境を転じて、その逆境をさえ、前進の一歩に加えて行く。──そういうこつを彼は知っていた。
故あるかな。
過去をふりむいて見ても、曹操の勢力は、逆境のたびに、躍進してきた。
× × ×
一たん兵を退いて都の許昌に帰ってくると、曹操のところへ、徐州の呂布から使者が来て、一名の捕虜を護送してよこした。
使者は、陳珪老人の子息陳登であり、囚人は、袁術の家臣、韓胤であった。
「すでにご存じでしょうが、この韓胤なる者は、袁術の旨をうけて、徐州へ来ていた婚姻の使者でありました。──呂布は、先頃、あなたからの恩命に接し、朝廷からは、平東将軍の綬を賜わったので、いたく感激され、その結果、袁術と婚をなす前約を破棄して、爾後、あなたと親善をかためてゆきたいという方針で──その証として、韓胤を縛りあげ、かくの如く、都へ差立てて来た次第でありまする」
陳登は、使いの口上をのべた。
曹操はよろこんで、
「双方の親善が結ばれれば、呂布にとっても幸福、予にとっても幸福である」
と、すぐ刑吏に命じて、韓胤の首を斬れといった。
刑吏は、市にひき出して、特に往来の多い許都の辻で、韓胤を死刑に処した。
その晩、曹操は、
「遠路、ご苦労であった」
と、使いの陳登を私邸に招待して、宴をひらいた。
酒宴のうちに、曹操は、陳登の人間を量り、陳登は、曹操の心をさぐっていた。
陳登は、曹操にささやいた。
「呂布は元来、豺狼のような性質で、武勇こそ立ち優っていますが、真実の提携はできない人物です。──こういったら丞相は呂布の使いにきた私の心をお疑いになりましょうが、私の父陳珪も、徐州城下に住んでいるため、やむなく呂布の客臣となっていますが、内実、愛想をつかしておるのです」
「いや、同感だ」
果たして、曹操の腹にも二重の考えが、ひそんでいたのである。陳登が、口を切ったので、彼もまた、本心をもらした。
「君のいう通り、呂布の信じ難い人間だということは予も知っている。しかし、それさえ腹に承知して交際っているぶんには、彼が豺狼の如き漢であろうと、何であろうと、後に悔いるようなことは、予も招かぬつもりだ」
「そうです。その腹構えさえお持ちでしたら、安心ですが」
「幸い、君と知己になったからには、今後とも、予のために、蔭ながら尽力してもらいたい。……君の厳父陳大夫の名声は、予も夙に知っておる。帰国したらよろしく伝えてくれ」
「承知しました。他日、丞相がもし何かの非常手段でもおとりになろうという場合は、必ず、徐州にあって、われわれ父子、内応してお手伝いしましょう」
「たのむ。……今夜の宴は、計らずも有意義な一夜だった。今のことばを忘れないように」
と曹操と陳登は、盞をあげて、誓いの眸を交わした。
曹操は、その後、朝廷に奏し、陳登を広陵の太守に任じ、父の陳珪にも老後の扶持として禄二千石を給した。
その頃。
淮南の袁術のほうへは、早くも使臣の韓胤が、許都の辻で馘られたという取沙汰がやかましく伝えられていた。
「言語道断!」
袁術は、呂布の仕方に対して、すさまじく怒った。
「礼儀を尽したわが婚姻の使者を捕えて、曹操の刑吏にまかせたのみか、先の縁談は破棄し、この袁術に拭うべからざる恥辱をも与えた」
即座に、二十余万の大軍は動員され、七隊に分れて、徐州へ迫った。
呂布の前衛は、木の葉の如く蹴ちらされ、怒濤の如く一隊は小沛に侵入し、そのほか、各処の先鋒戦で、徐州兵はことごとく潰滅され、刻々、敗兵が城下に満ちた。
呂布は事態の悪化に、あわて出して、にわかに重臣を呼びあつめた。
「誰でもよい。今日は忌憚なく意見を吐け。それがこの徐州城の危急を救う策ならば、何なりとおれは肯こう」と、いった。
席上、陳宮がいった。
「今にして、お気がつかれたでしょう。かかる大事を招いたのは、まったく陳珪父子のなせる業です。──その証拠には、あなたは陳珪父子をご信用あって、許都への使いもお命じになりましたが、どうです。彼らは朝廷や曹操にばかり媚びて、巧みに自身の爵禄と前途の安泰を計り、今日この禍いが迫っても、顔を見せないではありませんか」
「然り! 然り!」と、誰か手を打って、陳宮の説を支持する者があった。
陳宮は、なお激語をつづけて、
「──ですから、当然な報酬として、陳珪父子の首を斬り、それを持って、袁術へ献じたら、袁術も怒りを解いて、兵を退くでしょう。悪因悪果、彼らに与えるものと、徐州を救う方法は、それしかありません」
呂布は、たちどころにその気になった。すぐ使いをやって陳珪父子を城中に呼びつけ、罪を責めて、首を斬ろうとした。
すると、陳大夫は、からからと高笑いして、
「病にも死なず、さりとて、花も咲かず、枯木の如く老衰したわしの首など、梅の実一つの値打ちもありません。伜の首も御用とあればさしあげましょう。……しかしまあ、あなたは何という臆病者だろう。アハハハハ、天子に対して恥かしくはありませんか」
と、なおも笑いこけた。
「なにを笑う」
呂布は、くわっと、眼をいからせて、陳珪父子を睨めつけた。
「われを臆病者とは、云いも云ったり。さほど大言を吐くからには、汝に、敵を破る自信でもあるのか」
「なくてどうしましょう」
陳大夫は澄ましたものである。
呂布はせきこんで、
「あらば申してみよ。もし、確乎たる良策が立つなら、汝の死罪はゆるしてくれよう」
「計りごとはありますが、用いると用いざるとは、あなたの胸一つでしょう。いかなる良策でも、用いなければ空想を語るに過ぎません」
「ともかく申してみい」
「聞説、淮南の大兵二十余万とかいっています。しかし、烏合の衆でしょう。なぜならば、袁術はここにわかに、帝位につかんという野心から、急激にその軍容を膨脹させました。ご覧なさい、第六軍の将たる韓暹は、以前、陝西の山寨にいた追剥の頭目ではありませんか。また、第七軍を率いている楊奉は、叛賊李傕の家来でしたが、李傕を離れて、曹操にも追われ、居る所なきまま袁術についている輩です」
「ウム。なるほど」
「それらの人間の素姓は、あなたもよくご存じのはずですのに、何を理由に、袁術の勢を怖れますか。──まず、利を以て、彼らを抱きこみ、内応の約をむすぶことです。そして寄手を攪乱せしめ、使いを派して、こちらは劉玄徳と結託します。玄徳は温良高潔の士、必ず今でも、あなたの苦境は見捨てますまい」
陳大夫のさわやかな弁に呂布は酔えるが如く聞き入っていたが、
「いや、おれは決して、彼らを恐れてはいない。ただ大事をとって、諸臣の意見を徴してみたまでだ」と、負け惜しみをいって、陳父子の罪は、そのまま不問に附してしまった。
そのかわり陳珪、陳登のふたりは謀略を施して、敵の中から内応を起させる手段をとるべし──と任務の責めを負わされて、一時、帰宅をゆるされた。
「伜。あぶない所だったな」
「父上も、思いきったことをおっしゃいましたな。今日ばかりは、どうなることかと、ひやひやしておりましたよ」
「わしも観念したな」
「ところで、よいご思案があるんですか」
「いや、何もないよ」
「どうなさるので?」
「明日は明日の風が吹こう」
陳大夫は、私邸の寝所へはいると、また、老衰の病人に返ってしまった。
一方、袁術のほうでは。
婚約を破棄した呂布に対し、報復の大兵を送るに当って、三軍を閲し、同時に、(これ見よ)といわぬばかりに、ここに、多年の野望を公然とうたって、皇帝の位につく旨を自らふれだした。
小人珠を抱いて罪あり、例の孫策が預けておいた伝国の玉璽があったため、とうとうこんな大それた人間が出てしまったのである。
「むかし、漢の高祖は、泗上の一亭長から、身を興し、四百年の帝業を創てた。しかし、漢室の末、すでに天数尽き、天下は治まらない。わが家は、四世三公を経、百姓に帰服され、予が代にいたって、今や衆望沸き、力備わり、天応命順の理に促され、今日、九五の位に即くこととなった。爾らもろもろの臣、朕を輔けて、政事に忠良なれ」
彼はすっかり帝王になりすましてから群臣に告げ、号を仲氏と立て、台省官府の制を布き、龍鳳の輦にのって南北の郊を祭り、馮氏のむすめを皇后とし、後宮の美姫数百人にはみな綺羅錦繍を粧わせ、嫡子をたてて東宮と僭称した。
慢心した暴王に対しては、命がけで正論を吐いて諫める臣下もなかったが、ただひとり、主簿の閻象という者が折をうかがって云った。
「由来、天道に反いて、栄えた者はありません。むかし周公は、后稜から文王におよぶまで、功を積み徳をかさねましたが、なお天下の一部をもち、殷の紂王にすら仕えていました。いかにご当家が累代盛んでも、周の盛代には及ぶべくもありません。また漢室の末が衰微しても、紂王のような悪逆もしておりません」
袁術は聞いているうちにもう甚だしく顔いろを損じて、皆までいわせず、
「だから、どうだというのか」と、怖ろしい声を出した。
「……ですから」
閻象はふるえ上がって、後のことばも出なくなった。
「だまれッ。学者ぶって、小賢しいやつだ。──われに伝国の玉璽が授かったのは偶然ではない。いわゆる天道だ。もし、自分が帝位に即かなければかえって天道に反く。──貴さまの如き者は書物の紙魚と共に日なたで欠伸でもしておればよろしい。退れっ」
袁術は、臣下の中から、二度とこんなことをいわせないために、
「以後、何者たりと、わが帝業に対して、論議いするやつは、即座に断罪だぞ」と、布令させた。
そこで彼は、すでに告発した大軍の後から、さらに、督軍親衛軍の二軍団を催して、自身、徐州攻略におもむいた。
その出陣にあたって、兗州の刺史金尚へ、
「兵糧の奉行にあたれ」と、任命したところ、何のゆえか、金尚がその命令にグズグズいったというかどで、彼は、たちまち親衛兵を向け、金尚を搦めてくると、
「これ見よ」とばかり首を刎ねて、血祭りとした。
督軍、親衛の二軍団がうしろにひかえると、前線二十万の兵も、
「いよいよ、合戦は本腰」と、気をひきしめた。
七手にわかれた七将は、徐州へ向って、七つの路から攻め進み、行く行く郡県の民家を焼き、田畑をあらし、財を掠めていた。
第一将軍張勲は、徐州大路へ。
第二将軍橋甤は、小沛路へ。
第三陳紀は、沂都路へ。
第四雷薄は、瑯琊へ。
第五陳闌の一軍は碣石へ。
第六軍たる韓暹は、下邳へ。
第七軍の楊奉は峻山へ。
──この陣容を見ては、事実呂布がふるえあがったのも、あながち無理ではない。
呂布は、陳大夫が、やがて「内応の計」の効果をあげてくるのを心待ちにしていたが、陳父子はあれきり城へ顔も出さない。
「如何したのか!」と、侍臣をやって、彼の私邸をうかがわせてみると、陳大夫は長閑な病室で、ぽかんと、陽なたぼッこしながら、いかにも老いを養っているという暢気さであるという。
短気な呂布、しかも今は、陳大夫の方策ひとつにたのみきっていた彼。
何で穏やかに済もう。すぐ召捕ッてこいという呶鳴り方だ。先には、彼の舌にまどわされてゆるしたが、今度は顔を見たとたんに、あの白髪首をぶち落してくれねばならん!
捕吏が馳け向った後でも、呂布はひとり忿憤とつぶやきながら待ちかまえていた。
──ちょうど黄昏どき。
陳大夫の邸では、門を閉じて、老父の陳大夫を中心に、息子の陳登も加わって、家族たちは夕餉の卓をかこんでいた。
「オヤ、何だろう」
門のこわれる音、屋鳴り、召使いのわめき声。つづいてそこへどかどかと捕吏や武士など大勢、土足のままはいって来た。
否応もない。陳大夫父子は、その場から拉致されて行った。
待ちかまえていた呂布は、父子が面前に引きすえられると、くわっと睨めつけ、
「この老ぼれ。よくもわれをうまうまとあざむいたな。きょうこそは断罪だ」
と、直ちに、武士に命じて、その白髪首を打ち落せ──と猛った。
陳大夫は相かわらず、にやにや手応えのない笑い方をしていたが、それでも、少し身をうごかして両手をあげ、
「ご短気、ご短気」
と、煽ぐようにいった。
呂布はなおさら烈火の如くになって、殿閣の梁も震動するかとばかり吼えた。
「おのれ、まだわれを揶揄するか。その素っ首の落ちかけているのも知らずに」
「待たしゃれ。落ちかけているとは、わしが首か。あなたのお首か」
「今、眼に見せてやる」
呂布が、自身の剣へ手をかけると、陳大夫は、天を仰ぐように、
「ああ、ご運の末か。一代の名将も、こう眼が曇っては救われぬ。みすみすご自身の剣で、ご自身の首を刎ねようとなさるわ」
「何を、ばかな!」と、いったが、呂布も多少気味が悪くなった。
その顔いろの隙へ、陳大夫の舌鋒はするどく切りこむように云った。
「確か、先日も申しあげてあるはずです。いかなる良策も、お用いなければ、空想を語るに等しいと。──この老ぼれの首を落したら、誰かその良策を施して、徐州の危急を救いましょうか。──ですからその剣をお抜きになれば、ご自身の命を自ら断つも同じではございませんか」
「汝の詭弁は聞き飽いた。一時のがれの上手をいって、邸に帰れば、暢気に寝ておるというではないか。──策を用いぬのは、われではなく汝という古狸だ」
「ゆえに、ご短気じゃというのでござる。陳大夫は早ひそかに、策に着手しています。即ち近日のうちに、敵の第六軍の将韓暹と、某所で密会する手筈にまでなっておるので」
「えっ。ほんとか」
「何で虚言を吐きましょう」
「しからば何で、私邸の門を閉じて、この戦乱のなかを、安閑と過しているのか」
「真の策士はいたずらに動かず──という言葉をご存じありませんか」
「巧言をもって、われを欺き、他国へ逃げんとする支度であろう」
「大将軍たる者が、小人のような邪推をまわしてはいけません。それがしの妻子眷族は、みな将軍の掌の内にあります。それらの者を捨てて、この老人が身一つ長らえて何国へ逃げ行きましょうや」
「では、直ちに、韓暹に行き会い、初めに其方が申した通り、わが為に、最善の計ごとを施す気か、どうだ?」
「それがしはもとよりその気でいるのですが、肝腎なあなたはどうなんです」
「ウーム。……おれの考えか。おれもそれを希っているが、ただ悠長にだらだらと日を過しているのは嫌いだ。やるなら早くいたせ」
「それよりも、内心この陳大夫をお疑いなのでしょう。よろしい。しからばこうしましょう。せがれ陳登は質子として、ご城中に止めておき、てまえ一人で行ってきます」
「でも、敵地へ行くのには、部下がなければなるまい」
「つれてゆく部下には、ちと望みがございます」
「何十名いるか。また、部将には誰をつれて行きたいか」
「部将などいりません。供もただ一匹で結構です」
「一匹とは」
「お城の牧場から一頭の牝羊をお下げ渡してください。韓暹の陣地は、下邳の山中と聞く。──道々、木の実を糧とし、羊の乳をのんで病躯を力づけ、山中の陣を訪れて、きっと韓暹を説きつけてみせます。ですから、あなたのほうでも、おぬかりなく、劉玄徳へ使いを立て、万端、お手配をしておかれますように」
陳大夫はその日、一頭の羊をひいて、城の南門から、飄然と出て行った。
下邳は徐州から東方の山地で、寄手第六軍の大将韓暹は、ここから徐州へ通じる道を抑え、司令部を山中の嘯松寺において、総攻撃の日を待っている。
もちろん、街道の交通は止まっている。野にも部落にも兵が満ちていた。
──けれど陳大夫は平然と通って行った。
白い羊を引いて。
そして、疎髯を風になびかせながら行く。
「なんだろ、あの爺は」と、指さしても、咎める兵はなかった。
咎めるには、あまりに平和なすがたである。戦場のなかを歩いていながら少しも危険を意識していない。そういうものにはつい警戒の眼を怠る。
「もうほど近いな」
陳大夫は、山にかかると、時折、岩に腰かけた。この山には、清水がない。羊の乳を器にしぼって、わずかに渇と飢えをしのいだ。
時は、真夏である。
満山、蝉の声だった。岩間岩間に松が多い。やがて、嘯松寺の塔が仰がれた。
「おやじ。どこへ行く」
中軍の門ではさすがに咎められた。陳大夫は、羊を指さしていった。
「韓将軍へ、献上に来たのです」
「村の者か、おまえは」
「いいや、徐州の者だよ」
「なに、徐州から来たと」
「陳珪という老爺が、羊をたずさえて訪ねてきたと、将軍に取次いでもらいたい」
陳珪と聞いて、門衛の部将は驚いた。呂布の城下に住み、徐州の客将だ。しかも先頃、曹操の推薦で朝廷から老後の扶養として禄二千石をうけたという。なにしろ名のある老人だ。
より驚いたのは、取次からそれを聞いた大将の韓暹である。
「何はともあれ会ってみよう」と、堂に迎え、慇懃にもてなした。
「これは、ほんの手土産で」と、陳大夫は、韓暹の家来に羊を渡し、世間ばなしなどし始めた。何の用事で来たかわからない。
そのうち日が暮れると、
「今夜は月がよいらしい。室内はむし暑いから、ひとつあの松の木の下で、貴公と二人きりで、心のまま話したいものだが」と、陳大夫は望んだ。
松下に莚をのべて、その夜韓暹と彼は、人を避けて語った。聴くものは、梢の月だけだった。
「老人は呂布の客将。いったい何の用で、敵のそれがしを、突然訪ねてこられたか」
韓暹が、そう口を切ると、老人は初めて態度を正した。
「何をいわるるか。わしは呂布の臣ではない。朝廷の臣下である。徐州の地に住んでいるからよく人はそういうが、徐州も王土ではないか」
それから老人は急に雄弁になりだした。諸州の英雄をあげ、時局を談じ、また風雲の帰するところを指して、
「尊公の如きは、実に惜しいものである」と、嘆いた。
「ご老体。何故、そのように此方のためにお嘆きあるか。願わくは教え給え」
「されば、それを告げんがために、わざわざ参ったことゆえ、申さずにはおられん。──思い給え、尊公はかつて、天子が長安から還幸の途次、御輦を護って、忠勤を励んだ清徳な国士ではなかったか。しかるに今日、偽帝袁術をたすけ、不忠不義の名を求めんとしておる。──しかも偽帝の運命のごときは、尊公一代のうちにも滅亡崩壊するにきまっている。一年か二年の衣食のため、君は生涯の運命を売り、万世までの悪名を辞さない気でおられるのか。もしそうだとしたら、君のために嘆く者は、ひとりこの老人のみではあるまい」
陳大夫は次に、呂布の書簡を取出して、
「以上、申しあげた儀は、それがしの一存のみでなく、呂布の意中でもあること。仔細はこの書面に──」と、披見を促した。
韓暹は始終、沈湎と聞いていたが、呂布の書簡をひらいて遂に肚を決めたらしく、
「いや、実を申せば、自分も常々、袁術の増長ぶりには、あいそも尽き、漢室に帰参したいものと考えていたものの、何せん、よい手蔓もなかったので──」と、本心を吐いた。
ここまでくれば、もう掌上の小鳥。陳大夫は心にほくそ笑みながら、
「第七軍の楊奉と尊公とは、常から深いお交わりであろうが。──楊将軍を誘って、共に合図をおとり召されては如何」
「合図をとれとは?」
韓暹は、小声のうちにも、息をはずませた。ここ生涯の浮沈とばかり、心中波立っている容子が明らかであった。
陳大夫も、声をひそめて、
「されば、徐州に迫る日を期して、ご辺と楊奉とで諜しあわせ、後ろより火の手をあげて裏切りし給え。同時に、呂布も精鋭をひきいて、一揉みに駆けちらせば、袁術の首を見るは半日の間も待つまい」
「よし。誓って──」と、韓暹は月を見た。夜は更けて松のしずくが梢に白い。陣中、誰のすさびか笙を吹き鳴らしている者がある。兵も、暑いので眠られないとみえる。
短い夏の夜は明ける。
いつのまに帰ったか、陳大夫のすがたは朝になるともう見えなかった。陽が高くなると、きょうも酷熱である。その中を、袁術の本営から伝騎の令は八方へ飛んだ。
七路の七軍は一斉にうごきだした。雲は低く、おどろおどろ遠雷が鳴りはためいている。
徐州城は近づいた。
一天晦瞑、墨をながしたような空に、青白い電光がひらめく度に、城壁の一角がぱっと明滅して見える。
ぽつ! ぽつ! と大つぶの雨と共に、雷鳴もいよいよ烈しい。戦は開始された。
七路に迫る寄手は喊声をあげてきた。呂布ももちろん、防ぎに出ていた。──驟雨は沛然として天地を洗った。
夜になったが、戦況はわからない。そのうちにどうしたのか、寄手の陣形は乱脈に陥り、流言、同士討ち、退却、督戦、また混乱、まったく収まりがつかなくなってしまった。
「裏切りが起った」
夜が明けて、初めて知れた。第一軍張勲のうしろから、第七軍の楊奉、第六軍の韓暹が、火の手をあげて、味方へ討ってかかってきたのである。
──と知った呂布は、
「今だっ」と、勢いを得て、敵の中央に備え立てている紀霊、雷薄、陳紀などの諸陣を突破して、またたくまに本営に迫った。
楊奉、韓暹の手勢は、その左右から扶けた。袁術の大軍二十万も凩に吹き暴らさるる木の葉にもひとしかった。
呂布は、無人の境を行くごとく、袁術いずこにありやと、馳けまわっていたが、そのうちに彼方の山峡から一颷の人馬が駈け出でてさっと二手にわかれ、彼の進路をさえぎったかと思うと、突然、山上から声があった。
「匹夫呂布、自ら死地をさがしに来たるかっ」
「──あっ?」
と、驚いて見あげると、日月の旗、龍鳳の幡、黄羅の傘を揺々と張らせ、左右には、金瓜、銀斧の近衛兵をしたがえた自称帝王の袁術が、黄金のよろいに身をかためて、傲然と見おろしていた。
雲間の龍を見て吼える虎のように、呂布は、袁術のいる所を仰いでいった。
「おうっ、われ今そこへ行かん。対面して、返辞をしよう。うごくな袁術っ」
馬をすすめて、中軍の前備えを一気に蹴やぶり、峰ふところへ躍り入ると、
「呂布だぞ」
「近づけるな」
と、袁術の将星、梁紀、楽就の二騎が、土砂まじりの山肌をすべるが如く馳け下ってきて、呂布を左右から挟んで打ってかかる。
「邪魔するな」
呂布は、馬首を高く立て楽就の駒を横へ泳がせ、画桿の方天戟をふりかぶったかと思うと、人馬もろとも、楽就は一抹の血けむりとなって後ろに仆れていた。
「卑怯っ」
逃ぐるを追って、梁紀の背へ迫ってゆくと、横あいから、
「呂布、待て」と、敵の大将李豊、捨身に槍をしごいて、突ッかけてくる。
同時に、四沢の岩石が一度になだれ落ちてくるかのように、袁術の旗下や部下のおびただしい人馬が駆け寄せ、
「呂布を討て」と、喚き合った。
「虎は罠にかかったぞ」
袁術も、山を降りて、味方のうしろから督戦に努め、
「呂布の首も、今こそ、わが手の物」と、小気味よげに、指揮をつづけていた。
ところへ、昨夜、内部から裏切って、前線の味方を攪乱した韓暹、楊奉の二部隊が、突然、間道を縫って、谷あいの一方にあらわれ、袁術の中軍を側面から衝いた。そのため、
──もう一息!
と、いうところで、呂布を討ちもらしたばかりか、形勢は逆転して、呂布と裏切者のために、袁術は追いまくられ、峰越えに高原の道二里あまりを、命からがら逃げのびてきた。
すると、またも。
高原の彼方に、一朶の雲かと見えたのが、近づくに従って、一颷の軍馬と化し、敵か味方かと怪しみ見ているいとまもなく、その中から馳けあらわれた一人の大将は漆艶のように光る真っ黒な駿馬にうちまたがり、手に八十二斤の大青龍刀をひっさげ、袁術のまえに立ちふさがって、
「これは予州の太守劉玄徳が義弟の関羽字は雲長なり、家兄玄徳の仰せをうけて、義のため、呂布を扶けに馳けつけて参った。──それへ渡らせられるは、近ごろ自ら皇帝と僭称して、天をおそれぬ増長慢の賊、袁術とはおぼえたり。いで、関羽が誅罰をうけよ」と、名乗りかけた。
袁術は、仰天して、逃げ争う大将旗下のなかに包まれたまま、馬に鞭打った。
関羽は、追いかけながら、さえぎる者をばたばた斬り伏せ、袁術の背へ迫るや、臂を伸ばして、青龍刀のただ一揮に、
「その首、貰ッた」
と、横なぐりに、払ったが、わずかに、馬のたてがみへ、袁術が首をちぢめたため、刃はその盔にしか触れなかった。
しかし、自称皇帝の増長の冠は、ために、彼の頭を離れ、いびつになったまま素ッ飛んだ。
こうして袁術はさんざんな敗北を喫し、紀霊を殿軍にのこして、辛くも、生命をたもって淮南へ帰った。
それに反して、呂布は、ぞんぶんに残敵の剿滅を行い、意気揚々、徐州へひきあげて、盛大なる凱旋祝賀会を催した。
「こんどの戦で、かくわれをして幸いせしめたものは、第一に陳珪父子の功労である。第二には、韓暹、楊奉の内応の功である。──それからまた、予州の玄徳が、以前の誼みをわすれず、かつての旧怨もすてて、わが急使に対し、速やかに、愛臣関羽に手勢をつけて、救援に馳けつけてくれたことである。そのほか、わが将士の力戦をふかく感謝する」
と、呂布はその席で、こう演舌して、一斉に、勝鬨をあわせ、また、杯をあげた。
祝賀のあとでは、当然恩賞が行われた。
関羽は次の日、手勢をひきいて予州へ帰って行った。
以来、呂布はすっかり陳大夫を信用して、何事も彼に謀っていたが、
「時に、韓暹と楊奉のうち、一名は自分の左右に留めておこうと思うが、老人の考えはどうか」
と、今日もたずねた。
陳珪は、答えていった。
「将軍の座右には、すでに人材が整うています。一羽の馴れない鶏を入れたために、鶏舎の群鶏がみな躁狂して傷つく例もありますから、よほど考えものです。むしろ二人を山東へやって、山東の地盤を強固ならしめたら、一、二年の間に大いに効果があがるでしょう」
「実にも」と、呂布はうなずいた。
で、韓暹を沂都へ、楊奉を瑯琊へ役付けて、赴任させてしまった。
老人の子息陳登は、そのよしを聞いて、不平に思ったのか、或る時、ひそかに父の料簡をただした。
「生意気をいうようですが、すこし父上のお考えと私の計画とはちがっていたようですね。私は、あの二人を留め置いて、いざという時、われわれの牙として、大事に協力させようと思っていたのに」
皆まで聞かず、陳大夫は、若い息子のことばを打消して、そっとささやいた。
「その手は巧くゆかんよ。なぜなら、いくら手なずけても、元来彼らは卑しい心性しかない。わしら父子に与すよりは、日のたつほど呂布に諂い、呂布の走狗となってゆくに違いない。さすれば却って、虎に翼を添えてやるようなものだ。呂布を殺す時の邪魔者になる……」
陳大夫はまた門を閉じて、病室に籠った。呂布から呼び迎えに来てもよほどのことでないと、めったに出てもゆかないのである。
梧桐は落ちはじめた。夏去り、秋は近くなる。
淮南の一水にも、秋色は澄み、赤い蜻蛉が、冴えた空に群れをなして舞う。
袁術皇帝は、この秋、すこぶる御気色うるわしくない。
「呂布め。裏切者どもめ」
いかにして先頃の恥をそそごうかと、おごそかな帝座に在って、時々、爪を噛んでいた。
こういう時、思い出されるのは、かつて自分の手もとにいた孫策である。
その孫策はいつのまにか、大江を隔てて呉の沃土をひろく領し、江東の小覇王といわれて、大きな存在となっているが、袁術は彼の少年頃から手もとに養っていたせいか、いつでも、自分のいうことなら、嫌とはいわないような気がする──
そこで彼は、孫策のところへ、使いを立てた。
蔭ながら御身の成功をよろこんでおる。
御身もまた我との誼みをわすれはしまい。
近ごろ御身の呉国はいよいよ隆昌に向い、文武の大将も旗下に多いと聞く。この際、我と力をあわせ、呂布を討って、彼の領を処理し、さらに、呉に勢威を加えてはどうか。
それは、御身のため、長久の計でもあろう。
と、いうような書翰だった。
江を渡った使者の船は、呉城に入って、正式に孫策と面会し、袁術の手簡を捧げた。
孫策はすぐ返辞を書いて、
「委細はこのうち」と、軽く使者を追い返した。
袁術は、その返書をひらいてみると、こう書いてあった。
老君、予の玉璽を返さず、帝位を僭して、さらに世を紊す。
予、天下に謝すの途を知る。
いつの日か、必ずまみえん。
乞う、首をあろうて待て。
「豎子っ。よくも朕をかく辱めたな」
袁術は、書面を引裂いて、直ちに呉へ出兵せよといったが、群臣の諫めに、ようやく怒りをおさえて時を待つことにした。
「袁術先生、予のてがみを読んで、どんな顔をしたろう」
淮南の使いを追い返したあとで、孫策はひとりおかしがっていた。
しかし、また一方、
「かならず怒り立って、攻め襲うて来るにちがいない」
とも思われたので、大江の沿岸一帯に兵船をうかべ、いつでもござんなれとばかり備えていた。
ところへ、許都の曹操から使者が下って、天子のみことのりを伝え、孫策を会稽の太守に封じた。
孫策は、詔をうけたが、同時に曹操からの要求もあった。
いやそれは朝命としてであった。
──直ちに、淮南へ出兵し、偽帝袁術を誅伐せよ。
という命令である。
もとより拒むところでない。玉璽をあずけた一半の責任もある。孫策は、
「畏まりて候」と、勅に答えた。
許都の使いが帰った日である。
呉の長史──孫策の家老格である張昭は彼に目通りしていった。
「唯々とご承諾になったようですが、何といっても淮南は豊饒の地、袁一族は名望と伝統のある古い家柄です。先ごろ呂布と一戦してやぶれたりといえども、決して軽々しく見ることはできません。──それにひきかえ、わが呉は、新興の国です。鋭気や若さはありますが、財力、軍の結束などまだ足りません」
「やめろというのか」
「勅を拝して、今さら命に背けば、異心ありとみなされます」
「では、どうする?」
「如かず、この際は──あなたから曹操へ急書を発し、こちらは江を渡って袁術の側面を衝くゆえ、許都から大軍を下し、彼の正面に当り給え──と、もっぱら曹操の軍に主戦をやらせるのです。そしてご当家はあくまでも、援兵というお立場をおとりなさい」
「なるほど」
「一にも二にも、曹操を助けると唱えておけばです、後日ご当家に危急のあった折に、曹操へ援兵を要求することだってできましょう」
「や、ありがとう。長史のことばは、近頃の名言だ。その通りに計らおう」
彼の発した書簡は、日ならずして、許都の相府に着いた。
この秋、相府の人々は、
「丞相は近ごろ、愚に返ったんじゃないか」
と、憂いあうほど、曹操はすこしぼんやりしていた。
この春、張繍を討つべく遠征して、かえって惨敗を負って帰ったので、彼の絶大な自信にゆるぎがきたのか、また多情多恨な彼のこととて、今なお、芙蓉帳裡の明眸や、晩春の夜の胡弓の奏でが忘れ得ないのか──とにかく、この秋の彼の姿は、いつになく淋しい。
「否、否。──丞相はそれほど甘い煩悩児でもないよ」
と、相府のある者は、彼のすがたをよく新しい祠堂の道に見るといって、人々の愚かな臆測をうち消した。
新しい祠堂というのは、張繍との戦に奮戦して討死した悪来典韋のために建てた廟であった。
曹操は、帰京後も典韋の霊をまつり、子の典満を取りたてて、中郎に採用し、果てしなく彼の死を愁んでいた。
そこへ、呉の孫策から急書がとどいた。曹操は、一議におよばず承知のむねを返辞して、即日三十余万の大兵を動員した。一面は痴児のごとく、めそめそ悲しむくせがあるかと思えば、たちまち果断邁進、三軍を叱咤するの一面を示す彼であった。
大軍は、続々都を立った。
時、建安の二年秋九月。許都はうるわしい月夜だった。
南征の師は、号して三十万とはいうが、実数は約十万の歩兵と、四万の騎兵隊と、千余車の輜重とで編制されていた。
許都を立つに先だって、もちろん曹操は予州の劉備玄徳へも、徐州の呂布へも、参戦の誘文を発しておいた。
秋天将にたかし。
われ淮水に向って南下す。
乞う途上に会同せられよ。
檄によって劉玄徳は、関羽張飛などの精猛をひきつれて、予州の境で待ちあわせていた。
曹操は、彼を見ると、晴々と、
「いつもながら信義に篤い足下の早速な会同を満足におもう」と、いった。
盟軍の旗と旗とは交歓され、その下にしばし休息しながら、両雄は睦まじそうに語らっていた。
玄徳は、関羽をかえりみて、「あれを、ここへ」と、いいつけた。
関羽の手で、そこへ差出されたのは、二顆の首級だった。
驚いて、曹操は、
「何者の首か?」と眼をみはった。
玄徳は答えて、
「一つは韓暹の首、一つは楊奉の首です」
「袁術の内部から裏切りして、呂布の味方につき、地方へ赴任したあの二人か」
「そうです。その後の両名は、沂都、瑯琊の両県に来て吏庁にのぞんでいましたが、たちまち苛税を課し良民を苦しめ、部下に命じて掠奪を行わしめ、婦女子をとらえて姦するなど、人心を険悪にすること一通りでありません。依って、人民の乞いをいれ、また、吏道を正す意味で、ひそかに関羽、張飛に命じ、両名を酒宴に招いて殺させました」
「ほう。そうか」
「ついては、丞相の命を待たずに行ったことですから、今日はご処罰を仰ぐつもりでおります──独断をもって、両名を誅伐した罪、どうかお糺しください」
「何をいう。君のしたことは、吏道を粛正し、良民の害をのぞいたので、私怨私闘とはちがう。その功を、賞めこそすれ、咎める点はない」
「おゆるし給わるか」
「もちろん、呂布へは、自分からも、よきように云っておこう。ご安堵あるがよい」
ここ数日、秋の空はよく澄んで、日中は暑いくらいだった。
しかし、南下するに従って、行軍は道に悩んだ。
──というのは今年、徐州以南の淮水の地方は、かなり大雨がつづいたらしい。
ために、諸所の河川は氾濫し、崖はくずれ、野には無数の大小の湖ができてしまい、馬も人も、輜重の車も、泥濘に行きなやむこと一通りでなかった。
「やあ、難行軍だったでしょう」
呂布は、徐州の堺まで迎えに出ていた。
曹操はあいそよく、「ご健勝でよろこばしい」と、会釈の礼を交わし、兵馬は府外に駐屯し、その後、駅館の歓迎宴では、劉玄徳も同席して、袁術討伐の気勢をあげた。
如才ない曹操は、
「このたびの南征には、大いに君の力を借りねばならんが、ついては、自分から朝廷に奏して、君を左将軍に封じておいた。──印綬は、いずれ戦後、改めて下賜されよう」と、告げた。
呂布はもとよりそういう好意に対しては過大によろこぶ漢である。
「犬馬の労も惜しまず」と、ばかり意気ごむ。
ここに、曹、玄、呂の三軍は一体となって、続々、南進をつづけ、陣容は完く成った。
すなわち曹操を中軍として、玄徳は右をそなえ、呂布は左にそなえた。
これに対し、淮南の自立皇帝袁術には、そもどういう対策があろうか。
「すわ!」
国境で哨兵は狼火をあげた。
「一大事」とばかり伝騎は飛ぶ。
早打ち、また早打ち。──袁術の寿春城へさして、たちまち櫛の歯をひくように変を知らせてきた。
「曹、玄、呂、三手の軍勢が一体となって──」
と聞くと、さすがの袁術も、もってのほかに驚倒した。
「とりあえず橋甤まいれ」と、防戦に立たせ、袁術は即刻大軍議をひらいたが、とやかく論議しているまにも、頻々として、
「敵は早くも、国境を破り、なだれ入って候ぞ」との警報である。
袁術も臍をかため、自ら五万騎をひいて寿春を出で、敵を途中にくいとめんとしたが、
「先鋒の味方あやうし」
という敗報がすでに聞え渡ってきた。
と、思うに、
「味方の先鋒の大将橋甤は、惜しくも敵方の先手の大将夏侯惇とわたりあい、乱軍のなかにおいて、馬上より槍にて突き伏せられました」
と、またもや、おもしろくない注進であった。
袁術の顔いろが悪くなるたびに、袁術の中軍は動揺しだした。
「あれあれ、あの馬けむりは、敵の大軍が近づいてきたのではないか」
ひるみ立った士気には、「退くな」と必死に督戦する中軍の令も行われず、全軍、目ざましい抗戦もせず総退却してしまった。
袁術もやむなく、中軍を退いて寿春城の八門をかたく閉ざし、
「この上は、城地を守って、遠征の敵の疲れを待とう」と、長期戦を決意した。
寄手は、浸々と、寿春へつめよせる。
呂布の軍勢は、東から。劉玄徳の兵は西から。
また、曹操は北方の山をこえて、淮南の野を真下にのぞみ、すでにその総司令部を寿春からほど遠からぬ地点まで押しすすめてきたという。
寿春の上下は色を失い、城中の諸大将も、評議にばかり暮しているところへ、またまた、西南の方面から、霹靂のような一報がひびいてきた。
曰く、
「──呉の孫策、船手をそろえて、大江を押渡り、曹操と呼応して、これへ攻めよせてくるやに見えます!」
西南の急報を聞いて、
「なに、孫策が」と、袁術は仰天した。
彼は、先頃その孫策からうけた無礼な返書を思いあわせて、身を震わせた。
「恩知らず。忘恩の賊子め」
しかし、いくら罵ってみても事態はうごかない。
袁術は今や手足のおく所も知らなかった。眼前の曹軍があげる喊の声は、満山の吼えるが如く、背後にせまる江南数百の兵船は海嘯のように彼を脅かして、夜の眠りも与えなかった。
睡眠不足になった袁術皇帝をかこんで、きょうも諸大将は陰々滅々たる会議に暮らしていたが、時に、楊大将がいった。
「陛下。もういけません。寿春に固執して、ここを守ろうとすれば、自滅あるのみです。おそれながら、かくなる上は、御林の護衛軍をひきいて、一時淮水を渡られ、ほかへお遷りあって、自然の変移をお待ちあるしかございますまい」
──一時、この寿春を捨て、本城をほかへ遷されては。
と、いう楊大将の意見は、たとえ暫定的なものにせよ、ひどく悲観的であるが、袁術皇帝をはじめ、諸大将、誰あって、
「それは余りにも、消極策すぎはしないか」と、反対する者もなかった。
それには理由がある。
誰も口にはしないが、実をいえば、内部的に大きな弱点があることを、誰も知悉しているからだった。
というのは、この年、寿春地方は、水害がつづいて、五穀熟せず、病人病馬は続出し、冬期の兵糧もはなはだ心もとなかった。
ところへ、この兵革をうけたので、それも士気の振わない一因だった。──で、楊大将の考えとしては、皇帝の眷族と、本軍の大部分を水害地区の外にうつし、ひとつに兵糧持久の策とし、二つには目前の敵の鋭気を避け、遠征軍には苦手な冬季を越える覚悟で、時々奇襲戦術をもって酬い、おもむろに事態の変化を待とうというのである。
「なるほど、これが万全かもしれない」
長い沈黙はつづいたが、やがて各〻うなずいた。
袁術皇帝も、
「その儀、しかるべし」
と、許容あって、立ちどころに大々的脱出の手配にかかった。
李豊、楽就、陳紀、梁剛の四大将は、あとに残って、寿春を守ることになり、これに属する兵はおよそ十万。
また、袁術とその眷族に従って、城を出てゆく本軍側には、将士二十四万人が附随し、府庫宮倉の金銀珍宝はいうまでもなく、軍需の貨物や文書官冊などもみな、昼夜、車につんで陸続と搬出し、これを淮水の岸からどしどし船積みして何処ともなく運び去った。
袁術も、扈従の臣も、もちろんいちはやく、淮水の彼方へ渡って、遠く難を避けてしまった。
残るはただ満々たる水と、空骸にひとしい城があるばかり。──曹操以下、寄手の三十万が、城下へ殺到したのは、実にその直後だったのである。
ここへ来て、曹操もまた、大いに弱っていた。
寿春へ近づくほど、水害の状況がひどい。想像以上な疲弊である。
城内の町は分らないが、郊外百里の周囲は、まだ洪水のあとが生々しく、田は泥湖と化し、道は泥没し、百姓はみな木の皮を喰ったり、草の葉に露命をつないでいる状態である。果然、彼の兵站部は大きな誤算にゆきあたって、
「どうしたら三十万の兵を養うか」に苦労しはじめた。
遠征の輜重は、もとよりそう多くの糧米は持ってあるけない。行く先々の敵産が計算に入れてある。
「これ程とは!」
と、糧米総官の王垢が、この地方一帯の水害を見た時、茫然、当惑したのも無理はなかった。
それも、七日や十日は、まだ何とかしのぎもついてゆく。
半月となるとこたえて来た。
ところが滞陣はすでに一ヵ月に近くなった。陣中の兵糧は涸渇を呈した。
「一時に攻め陥せ」
むろん曹操もあせりぬいている。しかし攻城作戦のほうも水害のため、兵馬のうごきは不活溌となるし、城兵は頑強だし、容易にはかどらないのである。
そこで曹操は、呉の孫策へあてて、一書を認め、早馬で飛ばした。
秋高の天、地は水旱
精兵は痩せ、肥馬は衰う
呉船来るを待つや急なり
慈米十万は百万騎に勝る
呉の孫策は、すでに、曹操との軍事経済同盟の約束によって、大江をわたり、南のほうから進撃の途中にあったが、曹操の書簡を手にして、
「すぐ糧米を運漕せよ」と、彼の乞いに応じるべく、本国へ手配をいいやった。
けれど、何分、道は遠い。途中揚子江の大江はあるし、護送には、おびただしい兵馬も要る。
とやかくと、日数はかかった。──そのあいだにも、曹操の陣中では、いよいよ兵糧総官の王垢も悲鳴をあげだしていた。
「丞相。──申しあげます」
「なんだ、王垢と任峻ではないか。両名とも元気のない顔をそろえて何事だ」
任峻は、倉奉行である。
王垢と共に、曹操のまえへ出て、遂に、窮状を訴えた。
「もはや、兵の糧は、つづきません、幾日分もございません」
「それがどうした?」
曹操は、わざと、そううそぶいて云い放った。
「予に相談してどうなるか。予は倉奉行でもないし、兵糧総官でもないぞ」
「はっ……」
「辞めてしまえっ。左様なことぐらいでいちいち予に相談しなければ職が勤まらぬほどなら」
「はいっ」
「──が、こんどだけは、智恵をさずけてやろう。今日から、糧米を兵へ配る桝をかえるがいい。小桝を使うのだ小桝を。──さすればだいぶ違うだろう」
「桝目を減じれば大へん違ってまいります」
「そういたせ」
「はっ」
二人は倉皇と退がって、直ちにその日の夕方から、小桝を用いはじめた。
一人五合ずつの割りあてが、一合五勺減りの小桝となった。もちろん粟、黍、草根まで混合してある飢饅時の糧米なので、兵の胃ぶくろは満足する筈がない。
「どんな不平を鳴らしているか」
曹操はひそかに、下級兵のつぶやきに耳をたてていた。もちろん喧々囂々たる悪声であった。
「丞相もひどい」
「これでは出征の時の宣言と約束がちがう」
「こんなもので戦えるか」
要するに、怨嗟は曹操にあつまっている。喰い物のうらみは強い。曹操は、糧米総官の王垢を呼んだ。
「不平の声がみちているな」
「どうも……取鎮めてはおりますが、如何とも」
「策はあるまい」
「ございません」
「ゆえに予は、おまえから一物を借りて、取鎮めようと思う」
「わたくし如き者から、何を借りたいと仰せられますか」
「王垢。おまえの首だ」
「げッ……?」
「すまないが貸してくれい。もし汝が死なぬとせば、三十万の兵が動乱を起す。三十万の兵と一つの首だ。──その代りそちの妻子は心にかけるな。曹操が生涯保証してやる」
「あっ。それは、それはあんまりです。丞相ッ、助けてください」
王垢は泣きだしたが、曹操は平然と、かねて云い含ませてある武士に眼くばせした。武士は飛びかかッて、王垢の首を斬り落した。
「すぐ陣中に梟けろ」
曹操は命じた。
王垢の首は竿に梟けられて陣中に曝された。それに添える立札まで先に用意されてあった。
立札には、
王垢、糧米を盗み、小桝を用いて私腹をこやす。
罪状歴然。軍法に依ってここに正す。
と、書いてあった。
「さては、小桝を用いたのは、丞相の命令ではなかったとみえる。ひどい奴だ」
兵は、王垢を怨んで、曹操に抱いていた不平は忘れてしまった。その士気一変の転機をつかんで、曹操は即日大号令を発した。
「こん夜から三日のうちに、寿春を攻め陥すのだ。怠る者は首だぞ。立ちどころに死罪だぞ!」
その夜、曹操は軍兵に率先して、みずから壕ぎわに立ち、
「壕を埋めて押しわたれ。焼草を積んで城門矢倉を焼き払え」と、必死に下知した。
それに対して敵も死にもの狂いに、大木大石を落し、弩弓を乱射した。
矢にあたり、石につぶされる者の死骸で、濠も埋まりそうだった。ために怯み立った寄手のなかに、身をすくめたままで、前へ出ない副将が二人いた。
「卑怯者っ」
曹操は叱咤するや否や、その二人を斬ってしまった。
「まず、味方の卑怯者から先に成敗するぞ」
自身、馬を降りて土を運び、草を投げこみ、一歩一歩、城壁へ肉薄した。
軍威は一時に奮い立った。
一隊の兵は、城によじ登り、早くも躍りこんで、内部から城門の鎖を断ちきった。どッと、喊声をあげて、そこから突っこむ。
堤の一角はやぶれた。洪水のように寄手の軍馬はながれ入る。あとは殺戮あるのみである。守将の李豊以下ほとんど斬り殺されるか生擒られてしまい、自称皇帝の建てた偽宮──禁門朱楼、殿舎碧閣、ことごとく火をかけられて、寿春城中、いちめんの大紅蓮と化し終った。
「息もつくな。すぐ船、筏をととのえて、淮河をわたり、袁術を追って、最後のとどめを与えるのだ」
将領たちを督励して、さらに、追撃の準備をしている数日の間に、
「荊州の劉表が、さきの張繍と結託して、不穏な気勢をあげている──」
と、許都からの急報である。
曹操は、眉をひそめ、
「張繍はともかく、劉表がうごいては、由々しい大事となろうかも知れぬ」
と、征途を半ばにして、すぐ都へ引揚げた。
許都へ帰るにあたって、彼は、呉の孫策へ早馬をとばし、
「君は、兵船を以て、長江を跨ぐがごとく布陣し、上流荊州の劉表を、暗に威嚇しておるように」
と、申入れた。
また、呂布と玄徳には、
「以前の誼みを温めて、徐州と小沛を守り合い、唇歯の交わりを以て、新たに義を結びたまえ」
と、二人に誓いの杯を交わさせた。そして劉玄徳へは、特に、
「もうこれで呂布にも異存はあるまいから、ご辺も予州を去り、もとの小沛の城へ帰られるがよい」
と、命じた。
玄徳は、好意を謝し、別れようとすると、曹操は、呂布のいないのを見すまして、
「……君を、小沛に置くのは、虎狩りの用意なのだ。陳大夫と陳登父子が、ぼつぼつ陥し穽をほりかけている。あの父子と計らって、ぬからぬように準備し給え」
とささやいた。
かくて曹操は、後図の憂いにも万全を期し、やがて、総軍をひいて許都へ帰ってくると、段煨、伍習という二名の雑軍の野将が、私兵をもって、長安の李傕と郭汜を打ち殺したといって、その首を朝廷へ献上しに来た。
李傕、郭汜は、長安大乱以来の朝敵である。公卿百官は、思わぬ吉事と慶びあって、帝に奏上し、段煨と伍習には、恩賞として、官職を与え、そのまま長安の守りを命じた。
「太平の機運が近づいた」と、なして、朝野は賀宴を催して祝った。町には、二箇の逆賊の首が七日間さらされていた折も折、征途から帰還した、曹操の兵三十万も、この祝日に出会ったので、飲むわ、喰うわ、躍るわ、許都は一時、満腹した人間の顔と、祝賀の一色に塗りつぶされた。
年明けて、建安三年。
曹操もはや四十を幾つかこえ、威容人品ふたつながら備わって、覇気熱情も日頃は温雅典麗な貴人の風につつまれている。時には閑を愛して独り書を読み、詩作にふけり、終日、春闌の室を出ることもなかった。また或る日は家庭の良き父となりきって、幼い子女らと他愛なく遊び戯れ、家門は栄え、身は丞相の顕職にあり、今や彼も、功成り名遂げて、弓馬剣槍のこともその念頭を去っているのであるまいかと思われた。
正月、朝にのぼって彼は天子に謁し、賀をのべた後で、
「ことしもまた、西へ征旅に赴かねばなりますまい」
と、いった。
南の淮南は、去年、一年たたきに叩いて、やや小康を保っている。
西といえば、さし当って、近ごろ南陽(河南省・南陽)から荊州地方に蠢動している張繍がすぐ思い出される。
果たせるかな。その年、初夏四月。
丞相府の大令が発せられるや、一夜にして、大軍は西方へ行動を起した。
討伐張繍!
土気は新鮮だった。軍紀は凜々とふるった。
天子は、みずから鑾駕をうながして、曹操を外門の大路まで見送られた。
ちょうど夏の初めなので、麦はよく熟している。大軍が許都郊外から田舎道へ流れてゆくと、麦畑に働いていた百姓たちは、恐れて、われがちに逃げかくれた。
曹操は、それを眺めて、「地頭や村老をよべ」と命じ、やがて、恐る恐る揃って出た村長や百姓たちに向って、こう諭した。
「せっかくお前たちの汗と丹精によって、このように麦の熟した頃、兵馬を出すのも、またやむを得ない国策によるのである。──だが案じるな。ここを通るわが諸大将の部隊に限っては、断じて、田畑を踏みあらすことのないように軍令を発してある。また、村々において、寸財の物でも掠め取る兵があれば、すぐ訴え出ろ。われわれ麾下の大将は、立ちどころに犯した兵を斬り捨ててしまうであろう」
このことを伝え聞いて、村老野娘も、畑にありながら、安心して、軍隊を見送った。
軍律はよく行き渡っている。兵も馬も、狭い麦のほとりを通る時は、馬の手綱をしめ、手をもって麦を分けながら行った。
ところが。
曹操の乗っていた馬が、どうしたのか、ふと、野鳩の羽音におどろいて、急にはねあがり、麦畑へ狂いこんで、麦を害ねた。
曹操は、何思ったか、
「全軍、止れ!」
と、急に命じ、行軍主簿を呼んでいうには、
「今、不覚にも自分は、みずから法令を出して、その法を犯してしまった。すでに、統率者自身、統率をやぶったのだ。何をもって、人を律し、人を正し、人を服させよう。──予は、自害して、法を明らかにするのが、予の任務であると信じる。諸軍よ、予の死を悲しまず、さらに軍紀を振起し、一意、天下の為に奉ぜよ」
云い終ると、剣を抜いて、あわや自刃しようとした。
「滅相もない!」
諸将は、愕然として、彼の左右から押しとどめた。
「お待ち下さい。春秋の語にも、法は尊きに加えず──とあります。丞相は大軍を統べ給う身、丞相の生死は、軍全体の死活です。われわれが可愛いと思ったら、ご自害はお止まりください」
「ムム、そうか。春秋の時すでにそういう古例があったか。しからば、父の賜ものたる髪を切って、断罪の義に代え法に服した証となそう」
と、わが髪をつかみ、片手の短剣をもって、根元からぶすりときって、主簿に渡した。
秋霜厳烈!
それを目に見、耳につたえて、悚然、自分を誡めない兵はなかった。
行軍は、五月から六月にかかった。六月、まさに大暑である。
わけて河南の伏牛山脈をこえる山路の難行はひと通りでない。
大列のすぎる後、汗は地をぬらし、草はほこりをかぶり、山道の岩砂は焼け切って、一滴の水だに見あたらない。兵は多く仆れた。
「水がのみたい」
「水はないか」
斃れた兵も呻く。なお、進む兵もいう。
すると、曹操が、突然、馬上から鞭をさして叫んだ。
「もうすこしだ! この山を越えると、梅の林がある。──疾く参って梅林の木陰に憩い、思うさま梅の実をとれ。──梅の実をたたき落して喰え」
聞くと、奄々と渇にくるしんでいた兵も、
「梅でもいい!」
「梅ばやしまで頑張れ」と、にわかに勇気づいた。
そして無意識のうちに、梅の酸い味を想像し、口中に唾をわかせて、渇を忘れてしまっていた。
──梅酸渇を医す。
曹操は、日頃の閑に、何かの書物で見ていたことを、臨機に用いたのであろうが、後世の兵学家は、それを曹操の兵法の一として、暑熱甲冑を焦く日ともなれば、渇を消す秘訣のことばとして、思い出したものである。
伏牛山脈をこえてくる黄塵は、早くも南陽の宛城から望まれた。
張繍は、うろたえた。
「はや、後詰したまえ」
と、荊州の劉表へ、援助をたのむ早打ちをたて、軍師の賈詡を城にとどめて、
「つかれ果てた敵の兵馬、大軍とて何ほどかあろう」と、自身防ぎに出た。
だが、配下の勇士張先が、まっ先に曹操の部下許褚に討たれたのを始めとして、一敗地にまみれてしまい、口ほどもなくまたたちまちみだれ合って、宛城のうちへ逃げこんでしまった。
曹操の大軍は、ひた寄せに城下にせまって、四門を完全に封鎖した。
攻城と籠城の形態に入った。
籠城側は新手の戦術に出て、城壁にたかる寄手の兵に沸えたぎった熔鉄をふりまいた。
金屎か人間かわからない死骸が、蚊のごとく、ばらばら落ちては壁下の空壕を埋めた。
が、そんなことにひるむ曹操の部下ではない。曹操もまた、みずから、
「ここを突破してみせん」
と、西門に向って、兵力の大半を集注し、三日三晩、息もつかずに攻めた。
なんといっても、主将の指揮するところが主力となる。
雲の梯にもまごう櫓を組み、土嚢を積み、壕をうずめ、弩弓の乱射、ときの声、油の投げ柴、炎の投げ松明など──あらゆる方法をもって攻めた。
張繍は防ぐ力も尽きて、
「──賈詡、荊州の援軍は、いつ頃着くだろう。もう城の余命も少ないが。……間にあうか、どうか」とたずねた。
軍師たる賈詡の顔いろが、今はただ一つのたのみだった。賈詡は落着いて答えた。
「だいじょうぶです」
「まだ大丈夫か」
「まだ? ……いやいや、頑としてなお、この城は支えられます。のみならず、曹操を生擒りにするのも、さして難かしいことではありません」
「えっ。曹操を」
「大言と疑って、わたくしの言を疑うことがなければ、必ず、曹操の一命は、あなたの掌の物としてご覧にいれます」
「どういう計りごとで?」
張繍はつめ寄った。
賈詡が胸中の計とは何?
彼は、張繍に説いた。
「こんどの戦闘中、ひそかに、それがしが矢倉のうえから見ていると、曹操は、城攻めにかかる前に、三度、この城を巡って、四門のかためを視察していました。──そして彼がもっとも注意したらしい所は、東南の巽の門です。──なぜ注意したといえば、あそこは逆茂木の柵も古く、城壁も修理したばかりで、磚は古いのと新しいのと不揃いに積み畳まれている。……要するに、防塁の弱点が見えるのです」
「ムム、なるほど」
「──で、烱眼な曹操はすぐ、この城を陥す攻め口はここと、肚のうちでは決めているに違いないのです。──そこで彼は次の日から、西門に主力をそそぎ、自分もそこに立って、躍起と攻め始めたものでしょう」
「東南門の巽の口を、攻め口ときめておりながら、なぜ西門へ、あんな急激にかかってきたのか」
「偽撃転殺の計です。──つまり西門に防戦の力をそそがせておいて、突然巽の門をやぶり、一殺に、宛城を葬らんとする支度です」
張繍は聞いて、慄然、肌に粟を生じた。
「それがしにお任せください」
賈詡は、直ちに、それに備える手筈にかかった。
この城中に、賈詡のあることは、曹操も疾く知っている。また賈詡の人物も、知りぬいているはずである。
──にもかかわらず、
曹操ほどな智者も、自分の智には墜ちいりやすいものとみえる。
彼は、その夜、西門へ総攻撃するようにみせかけて、ひそかによりすぐった強兵を巽にまわし、自身まッ先に進んで、鹿垣、逆茂木を打越え、城壁へ迫って行ったが、ひそとして迎え戦う敵もない。
曹操は、快笑して、
「笑止や。わが計にのって、城兵はみな西門の防ぎに当り、かくとも知らぬ様子だぞ」
一挙に、そこを打破って、壁門の内部へ突入した。
──と、こはいかに、内部も暗々黒々として篝の火一つみえない。あまりの静けさに、
「はてな?」
駒脚を止めて見廻したとたんに、ぐわあん! ──と一声の狼火がとどろいた。
「しまった」
曹操は、つづく手勢を振向いて、絶叫した。
「──虚誘掩殺の計りごとだっ。──退却っ、退却っ!」
しかし、もう遅かった。
地をゆるがす鬨の声と共に、十方の闇はすべて敵の兵となって、
「曹操を生捕れ」とばかり圧縮してきた。
曹操は単騎、鞭打って逃げ走ったが、その夜、巽の口で討たれた部下の数は、何千か何万か知れなかった。
ここばかりでなく、偽攻の計を見やぶられたので、西門のほうでも、さんざんに張繍のために破られ、全線にわたって、破綻を来したため、五更の頃まで、追撃をうけ、夜も明けて陽を仰いだ頃、城下二十里の外に退いて、損害を調べると、一夜のうちに味方の死者五万余人を生じていたことが分かった。折からまた、
「荊州の劉表、にわかに兵をうごかし、わが退路を断って、許都を衝かんとする姿勢にうかがわれる」
という凶報は来るし──曹操は、惨たる態で、歯がみしたが、
「今にみよ」と、恨みの一言を、敗戦場に吐きすてて、「退くも兵法」とばかり向きをかえて、許都へひっ返した。
途中まで来ると、
「劉表は一たん大兵を出そうとしたが、呉の孫策が、兵船をそろえ、江をさかのぼって、荊州を荒さん──と聞えたので、怯気づいて、出兵の可否に迷っておる」という情報が入った。
古今の武将のうち、戦をして、彼ほど快絶な勝ち方をする大将も少ないが、また彼ほど痛烈な敗北をよく喫している大将も少ない。
曹操の戦は、要するに、曹操の詩であった。詩を作るのと同じように彼は作戦に熱中する。
その情熱も、その構想も、たとえば金玉の辞句をもって、胸奥の心血を奏でようとする詩人の気持と、ほとんど相似たものが、戦にそのまま駆りたてられているのが、曹操の戦ぶりである。
だから、曹操の戦は、曹操の創作である。──非常な傑作があるかと思えば、甚だしい失敗作も出る。
いずれにせよ、彼は、戦を楽しむ漢であった。楽しむほどだから、惨敗を喫しても、しおれないかといえばそうでもない。
さすがの曹操も、大敗して帰る途中は、凄愴な眉と、惨たるものを顔色に沈めてゆく。
梅酸も酸味
敗戦もまた酸
不同といえども似たり
心舌を越えて甘し
馬上、ゆられながら、彼はいつか詩など按じていた。逆境の中にも、なお人生を楽しもうとする不屈な気力はある。決して、さし迫ることはない。
襄城をすぎて、淯水の畔にかかった。
ふと、彼は馬を止めて、
「……ああ」と、低徊しながら、頬に涙さえながした。
怪しんで、諸将がたずねた。
「丞相、何でそのように悲しまれるのですか」
「ここは淯水ではないか」
「そうです」
「去年、やはりこの地に張繍を攻めて、自分の油断から、典韋を討死させてしまった。……典韋の死を傷んで、ついその折の事どもを思い出したのだ」
彼は、馬を降りて、水辺の楊柳につなぎ、一基の石を河原の小高い土にすえて、牛を斬り、馬を屠った。そして典韋の魂魄をまねくの祀をいとなみ、その前に礼拝して、ついには声を放って哭いた。
多くの将士もみな、曹操の情に厚い半面に心を打たれ、こもごも、拝礼した。
次に、曹操の嫡子曹昂の霊をまつり、また甥の曹安民の供養をもなした。──楊柳の枝は長く垂れて、水はすでに秋冷の気をふくみ、黒い八哥鳥がしきりと飛び交っていた。
──諸軍号哭の声やまず。
と、原書は支那流に描写している。初夏、麦を踏んで意気衝天の征途につき、涼秋八月、満身創痍の大敗に恥を噛んで国へ帰る将士の気持としては、あながち誇張のない表現かもしれない。
顧みれば、呂虔とか于禁などの幕将まで負傷している。無数の輜重は敵地へ捨ててきた。──ああ。仰げば、暮山すでに晦く陽はかげろうとしている。
「あっ、何者か来る」
「味方の早打ちだ」
士卒が口々にいった時、彼方から早馬一騎、鞭をあててこれへ来た。
許都に残っている味方の荀彧から来た使いである。もちろん書簡をたずさえている。
さっそく曹操がひらいて見ると、
荊州の劉表、奇兵を発し
ご帰途を安象附近に待って
張繍と力を協す。
ご警戒あるように。
という報だった。
「それくらいなことはあろうと、かねての用意はある」
曹操はさわがなかった。荀彧の使いにも、
「案じるな」と、云って返した。
安象の堺まで来ると、果たせるかな劉表の荊州兵と張繍の聯合勢とが難所をふさいでいた。
「彼に地の利あれば、われにも地の利を取らねばなるまい」
曹操もまた、一方の山に添うて陣をしいた。そして、その行動が日没から夜にわたっていたのを幸いに、夜どおしで、道もなさそうな山に一すじの通りを坑り、全軍の八割まで山陰の盆地へ、かくしてしまった。
夜が明けて、朝霧もはれかけてくると、小手をかざして彼方の陣地から見ていた劉表、張繍の兵は、
「なんだ、あんな小勢か」と、呟いている様子だった。
「あんなものだろう」と、うなずく者はいった。
「このあいだは五万から戦死しているし、それに、難行苦行、敗け軍のひきあげだ。途中、逃亡兵も続出する。病人もすててくる。──あれだけでもよく還ってきたくらいなものだろう」
軍の幹部たちも、その程度の見解を下したものか、やがて要害を出て、野を真っ黒に襲撃してきた。
充分、侮らせて。
また、近よせておいて。
曹操は、突然山の一角に立ち現れて、
「盆地の襲兵ども、今だぞ、淵を出て雲と化れ! 野をめぐって敵を抱きこみ、みなごろしにして、血の雨を見せよ」
と、号令を下した。
眼に見えていた兵数の八倍もある大兵が、地から湧いて、退路をふさぎ、側面前面からおおいつつんで来たので、劉表、張繍の兵はまったく度を失った。
曠野の秋草は繚乱と、みな血ぶるいした。所々に、死骸の丘ができた。逃げ争って行った兵は、要害にいたたまらず、山向うの安象の町へ逃げこんだ。
「県城も焼きつぶせ」
曹操の兵は、鬱憤ばらしに追撃を加えて行ったが、その時またも──実にいつも肝腎なもう一攻めという時に限って意地わるくくる──都の急変が報じられてきた。
河北の袁紹、都の空虚をうかがい
大動員を発布。
と、いうのであった。
「──袁紹が!」
これにはよほど愕いたとみえて、曹操は何ものもかえりみず、許都へさして昼夜をわかたず急いだ。
張繍、劉表は彼のあわて方を見て、こんどは逆に追おうとした。
「追ったら必ず手痛い目にあいますぞ」
賈詡は諫めたが、二将は追撃した。案の定、途中、屈強な伏兵にぶつかって、惨敗の上塗りをしてしまった。
賈詡は、二将が懲りた顔をしているのを見て、
「──何をしているんです! 今こそ追撃する機会です。きっと大捷を博しましょう」
と、励ました。
二の足ふんだが、賈詡があまり自信をもって励ますので、再び曹操の軍に追いついて、戦を挑むと、こんどは存分に勝って、凱歌をあげて帰った。
「実に妙だな。賈詡、いったい其許には、どうしてそのように、戦いの勝敗が、戦わぬ前にわかるのか」
後で、二将が訊くと、賈詡は笑って答えた。
「こんな程度は、兵学では初歩の初歩です。──第一回の追撃は敵も追撃されるのを予想していますから、策を授け、兵も強いのを残して、後ろに備えるのが常識の退却法です。が、──二度目となると、もう追いくる敵もあるまいと、強兵は前に立ち、弱兵は後となって、自然気もゆるみますから、その虚を追えば、必ず勝つなと信じたわけであります」
ようやく許都に帰りついた曹操は帰還の軍隊を解くにあたって、傍らの諸将にいった。
「先頃、安象で大敵に待たれた時、見つけない一名の将が手勢百人たらずを率い、予の苦戦を援けていたが、さだめし我に仕官を望む者であろう。いずれの隊伍に属しておるか、糺してみよ」
命に依って、幕僚の一名は、将台に立って、その由を、全軍の上に伝えた。
すると、隊列の遥か後ろのほうから声に応じて、一かどの面だましいを備えた武将が、槍を小脇にさしはさんで進み出で、
「此方であります」
と、曹操の前にかしこまった。
曹操は、一瞥して、
「如何なる素姓の者か」と、たずねた。
「はっ、或いはなお、ご記憶にありはせぬかと存じますが。──自分はかつて、黄巾賊の乱にもいささか功をたて、一時は鎮威中郎将の栄職にありましたが、その後、思うところあって、故郷汝南に帰っていました。──李通字を文達と申す者であります」
旧交はないが、夙に名は聞いている。曹操は拾い物をしたように、
「よく機をつかんで、予の急を救け、予に近づいたのも、一方の将たるに足る才能である。神妙のいたりだ。郷土にもどって、汝南の守りにつくがいい」
と、稗将軍建功侯に封じた。
また、その日ではないが。
許都に留守届していた荀彧が、曹操の帰還を祝したあとで、ふと訊ねた。
「いつぞや、私より早馬をもってご帰途の途中に向けて劉表、張繍の両軍が嶮をふさいで待ちかまえている由をお報らせしたところ、丞相のご返簡には、──案じるな、我には必ず破るの計がある。──とございましたが、丞相にはどうして、そんな先の確信がおありだったのですか」
曹操は、答えて、
「ああ、あの時か。──あの時は、疲労困憊の極に達していたわれわれに対して、劉表と張繍は必殺の備えをして待ちかまえていた。これ、死一道の覚悟をわれらに与えたものである。ために味方の将士は、のがれぬ所と捨身になって凄い戦闘を仕かけた。──人間の逆境も、あれくらいまで絶体絶命に押しつけられると、死中自ら活路ありで──その道理から予も、とっさに、勝つと確信をもったわけである」と、笑っていった。
そのことばを人々、伝え合って、
「丞相の如きこそ、真の孫子の玄妙を体得した人というのだろう」
と、大敗して帰った彼に対して、却って一そう心服を深めたということである。
しかし、さすがに今年の秋は、去年のような祝賀の祭もなかった。
とはいえ去燕雁来の季節である。洛内の旅舎は忙しい。諸州から秋の新穀鮮菜美果などおびただしく市にはいってくるし、貢来の絹布や肥馬も輻輳して賑わしい。
その中に、従者五十人ばかりを連れ、羈旅華やかな一行が、或る時、駅館の門に着いた。
「冀州の袁紹様のお使者として来た大人だそうだよ」
旅舎の者は、下へもおかないあつかいである。
この都でも、冀州の袁紹と聞けば、誰知らぬ者はない。天下の何分の一を領有する北方の大大名として、また、累代漢室に仕えた名門として、俗間の者ほど、その偉さにかけては、新興勢力の曹操などよりははるかに偉い人──という先入主をもっていた。
今しがた禁裏を退出した曹操は、丞相府へもどって、ひと休みしていた。
そこへ郭嘉が、
「お取次いたします」と、牀下に拝礼した。
「なんだ。書簡か」
「はい、袁紹の使いが、はるばる、都下の駅館に到着いたして、丞相にこれをご披露ねがいたいとのことで」
「──袁紹から?」
無造作にひらいて、曹操は読み下していたが、秋の日に萱が鳴るように、からからと笑った。
「虫のいい交渉だ。──先ごろ、この曹操が都をあけていた折はあわよくば洛内に軍を進めんとうかがったりしながら、この書面を見れば、北平の公孫瓚と国境の争いを起したによって、兵糧不足し、軍兵も足りないから、合力してくれまいか──という申入れだ。しかも、文辞傲慢、この曹操を都の番人とでも心得ておるらしい」
不快となると、はっきり不快な色を面上にみなぎらせる。それでも足りないように、曹操は書簡を叩きつけた。
そして、郭嘉に向って、なお、余憤をもらした。
「袁紹の尊傲無礼はこの事ばかりではない。日ごろ帝の御名をもって政務の文書を交わしても、常に不遜の辞句を用い、予を一吏事のごとく見なしておる。──いつかはそのおごれる鼻をへし折ってくれんものと、じっと隠忍しておるがいかんせん、冀州一円にわたる彼の旧勢力も、まだなかなか……自己の力の不足をかえりみ、独り嘆じている程なのに、この上北平を攻めるものだから兵力を貸せ、食糧を貸せとはどこまで予を与しやすしと思っているのか底の知れぬ横着者ではある」
「……丞相」
郭嘉は彼の激色がうすらぐのを待って静かにいった。
「童子も知っていることを改めて申すようですが、むかし漢の高祖が項羽を征服した例を見るに、高祖は決して項羽よりも強いのではありません。強さにかけては項羽のほうがはるかに上でしょう。にもかかわらず、高祖に亡ぼされたのは勇をたのんで、智を軽んじたせいです。それと、高祖の隠忍がよく最後の勝ちを制したものと思います」
「そのとおりだ」
「わたくしごときが、丞相を批評しては、罪死に値しますが、忌憚なく申しあげれば、袁紹の人物と丞相とを比較してみますと、わが君には十勝の特長があり、袁紹には十敗の欠点があります」
といって、郭嘉は指を折りながら、両者の得失をかぞえあげた。
一……袁紹は時勢を知らない。その思想は、保守的というより逆行している。
が──君は、時代の勢いに順い、革新の気に富む。
二……袁紹は繁文縟礼、事大主義で儀礼ばかり尊ぶ。
が──君は、自然で敏速で、民衆にふれている。
三……袁紹は寛大のみを仁政だと思っている。故に、民は寛に狎れる。
が──君は、峻厳で、賞罰明らかである。民は恐れるが、同時に大きな歓びも持つ。
四……袁紹は鷹揚だが内実は小心で人を疑う。また、肉親の者を重用しすぎる。
が──君は、親疎のへだてなく人に接すること簡で、明察鋭い。だから疑いもない。
五……袁紹は謀事をこのむが、決断がないので常に惑う。
が──君は、臨機明敏である。
六……袁紹は、自分が名門なので、名士や虚名をよろこぶ。
が──君は、真の人材を愛する。
「もうよせ」
曹操は、笑いながら急に手を振った。
「そうこの身の美点ばかり聞かせると、予も袁紹になるおそれがある」
その夜──
彼は、独坐していた。
「右すべきか、左すべきか。多年の宿題が迫ってきた」
袁紹という大きな存在に対して深い思考をめぐらそうとする時、さすがの彼も眠ることができなかった。
「恐るるには足らない」
心の奥では呟いてみる。
しかし、そのそばから、
「侮れない──」とも、すぐ思う。
袁紹と自分とを、一個一個の人間として較べるなら郭嘉が、
(君に十勝あり。袁紹に十敗あり)
と、指を折って説かれるまでもなく、曹操自身も、
「自分のほうがはるかに人間は上である」と、充分自信はもっているが、単にそれだけを強味として相手を鵜呑みにしてしまうわけにもゆかなかった。
袁一門の閥族中には、淮南の袁術のような者もいるし、大国だけに賢士を養い、計謀の器、智勇の良臣も少なくない。
それに、何といっても彼は名家の顕門で、いわば国の元老にも擬せられる家柄であるが、曹操は一宮内官の子で、しかもその父は早くから郷土に退き、その子曹操は少年から村の不良児といわれていた者にすぎない。
袁紹が洛陽の都にあって、軍官の府に重きをなしていた頃、曹操はまだやっと城門を見廻る一警吏にすぎなかった。
袁紹は風雲に追われて退き、曹操は風雲に乗じて躍進を遂げたが、名門袁紹にはなお隠然として保守派の支持があるが、新進曹操には、彼に忠誠なる腹心の部下をのぞく以外は嫉視反感あるのみだった。
天下はまだ曹操の現在の位置を目して、「お手盛りの丞相」と、蔭口をきいていた。その武力にはおそれても、その威に対しては心服していないのである。
そういう微妙な人心にくらい曹操ではない。彼はなお自分の成功に対して多分に不満であり不安であった。
敵は武力で討つことはできるが、徳望は武力でかち得ないことは知っている。
こういう際、「袁紹と事を構えたら?」と、そこに多分な迷いが起ってくる。
今、地理的に。
この許都を中心として西は荊州、襄陽の劉表、張繍を見ても、東の袁術、北の袁紹の力をながめても、ほとんど四方連環の敵であって、安心のできる一方すら見出せない。
「──だが、この連環のなかにじっとしていたら、結局、自分は丞相という名だけを持って、窒息してしまう運命に立到るであろう。自分の位置は、風雲によって生れたのであるから、天下の全土を完全に威服させてしまうまでは、寸時も生々躍動の前進を怠ってはならない。打開を休めてはならない。旧態の何物をも、ゆるがせに見残しておいてはならない」
曹操の意志は、大きな決断へ近づきだした。
「そうだ。──打開にはいつも危険が伴うのはあたりまえだ。──袁紹何ものぞ。すべて旧い物は新しい生命と入れ代るは自然の法則である。おれは新人だ、彼は旧勢力の代表者でしかない。よし! やろう」
肚はすわった。
彼はそう決意して眠りについたが、翌日になると、なお、もう一応自己の信念をたしかめてみたくなったか、丞府の吏に、
「荀彧を呼びにやれ」と、いいつけた。
やがて、荀彧は召しによって府へ現れた。
曹操は、特に人を遠ざけて、閣のうちに彼を待っていた。
「荀彧か。きょうはそちに、取りわけ重大な意見を問いたいため呼んだわけだが、まず、これを一見するがよい」
「書簡ですか」
「そうだ。昨日、袁紹の使いが着いて、はるばる齎してきたもの。即ち、袁紹の自筆である」
「……なるほど」
「これを読んで、そちはどう感じるな」
「一言で申せば、辞句は無礼尊大であるし、また、書面でいってきたことは、虫のよい手前勝手としか思われません」
「そうだろう。──袁紹の無礼には、積年、予は忍んできたつもりだが、かくまで愚弄されては、もはや堪忍もいつ破れるか知れぬ気がする」
「ごもっともです」
「──ただ、どう考えても、袁紹を討つには、まだいささか予の力が不足しておる」
「よくご自省なさいました。その通りであります」
「しかし、断じて予は彼を征伐しようと思う。そちの意見は、どうだ?」
「必ず行うてよろしいでしょう」
「賛成か」
「仰せまでもございません」
「予は勝つか」
「ご必勝、疑いもありません。わが君には四勝の特長あり、袁紹には四敗の欠点がありますから」
と、荀彧は、きのう郭嘉がのべた意見と同じように、両者の人物を比較して、その得失を論じた。
曹操は、手を打って、大いに笑いながら、
「いや、そちの意見も、郭嘉のことばも、まるで割符を合わせたようだ。予も、欠点の多いことは知っている。そういいところばかりある完全な人間ではないよ」
と、彼の言をさえぎってからまた、真面目に云い直した。
「しからば、袁紹の使いを斬って、即時、彼に宣戦してもよいか」
「いや! その儀は?」
「いけないか」
「断じて、今は」
「なぜ」
「呂布をお忘れあってはなりません。常に、都をうかがっている後門の虎を。──それに、荊州方面の物情もまだ決して安んじられません」
「では、なお将来まで、袁紹の無礼に忍ばねばならんか」
「至誠をもって、天子を輔け、至仁をもって士農を愛し、おもむろに新しい時勢を転回して、時勢と袁紹とを戦わせるべきです。──ご自身、戦う必要のないまでに、時代の推移に、袁紹の旧官僚陣が自壊作用を起してくるのを待ち、最後の一押しという時に、兵をうごかせば、万全でしょう」
「ちと、気が長いな」
「何の、一瞬です。──時勢の歩みというものは、こうしている間も、目に見えず、おそろしい迅さでうごいている。──が、植物の成長のように、人間の子の育つように、目には見えぬので、長い気がするのですが、実は天地の運行と共に、またたくうちに変ってゆくものです。──何せよ、ここはもう一応、ご忍耐が肝要でしょう」
郭嘉、荀彧ふたりの意見が、まったく同じなので曹操も遂に迷いを捨て、次の日、袁紹の使者を丞相府に呼んで、
「ご要求の件、承知した」
と、曹操から答えて、糧米、馬匹、そのほか、おびただしい軍需品をととのえて渡した。そして、使者には、盛大な宴を設けてねぎらい、また、その帰るに際しては特に、朝廷に奏請して、袁紹を大将軍太尉にすすめ、冀州、青州、幽州、并州の四州をあわせて領さるべし──と云い送った。
黄河をわたり、河北の野遠く、袁紹の使いは、曹操から莫大な兵糧軍需品を、蜿蜒数百頭の馬輛に積載して帰って行った。
やがて、曹操の返書も、使者の手から、袁紹の手にとどいた。
袁紹のよろこび方は絶大なものだった。それも道理、曹操の色よい返辞には、次のような意味が認めてあった。
まず、閣下の健勝を祝します。
次には、
閣下がこの度、北平(河北省・満城附近)の征伐を思い立たれたご壮図に対しては、自分からも満腔の誠意をもって、ご必勝を祈るものであります。
馬匹糧米など軍需の品々も、できる限り後方よりご援助しますから、河南には少しもご憂慮なく、一路北平の公孫瓚をご討伐あって万民安堵のため、いよいよ国家鎮護の大を成し遂げられんことを万祷しております。
ただ、お詫びせねばならぬ一事は、不肖、守護の任にある許都の地も、何かと事繁く、秩序の維持上、兵を要しますので、折角ながら兵員をお貸しする儀だけは、ご希望にそうことができません。なお、
勅命に依って、
貴下を、大将軍太尉にすすめ、併せて冀、青、幽、并の四州の大侯に封ずとのお旨であります。ご領受あらんことを。
「いや、曹操の返辞も、どうかと思っていたが、この文面、このたびの扱い、万端、至れり尽せりである。彼も存外、誠実な漢とみゆる」
袁紹は安心した。
そこで大挙、北平攻略への軍事行動を開始し、しばらく西南の注意を怠っていた。
× × ×
夜は、貂蝉をはべらせて、酒宴に溺れ、昼は陳大夫父子を近づけて、無二の者と、何事も相談していた。
それが、呂布の近状であった。
ひそかに憂えていた臣は陳宮である。きょうもにがにがしげに彼は呂布へ諫言を呈した。
「陳珪父子の者を、ご信用になるも結構ですが、あまり心腹の大事まで彼らにお諮りあるのは如何かと思われます。──言葉の色よく媚言巧みに、彼らが君を甘やかしている態度は、まるで幇間ではありませんか」
「陳宮、そちはこの呂布を、暗愚だというのか」
「そんなわけではありません」
「ではなぜ、おれに讒言して、賢人をしりぞけようとするか」
「彼ら父子を、真実、賢人だと思っていらっしゃるのですか」
「少なくとも、呂布にとってはまたなき良臣といえる」
「──ああ」
「何がああだ、人の寵をそねむものと、貴様こそ、諂佞の誹をうけるぞ」
「もう何も申しあげる力もございません」
陳宮は、退いた、忠ならんとすれば、却って諂佞の臣と主人の口からまでいわれる。
「如かず、門を閉じて」と、彼はしばらく引籠ったまま徐州城へも出なかった。そのうち北方の公孫瓚と袁紹との戦乱が聞えてくる。四隣の物情はなんとなく騒然たるものを感ぜしめる。
「そうだ。狩猟にでも行って、浩然の気を養おう」
一僕を連れて、彼は秋の山野を狩り歩いた。
すると、一人の怪しげな男を認めた。旅姿をしたその男は陳宮の顔を見ると、あわてて逃げだした。
「……はてな?」
やり過してから、陳宮は小首を傾けていたが、何思ったか、にわかに弓に矢をつがえて、馳けてゆく先の男へ狙いすました。
矢は狙いあやまたず、旅人の脚を射止めた。
猟犬のように、下僕の童子はそれへ飛びかかってゆく。
陳宮も、弓を投げすてて、後から馳けだした。猛烈に反抗するその男を召捕って、きびしく拷問してみると、それは、小沛の城から玄徳の返簡をもらって、許都へ帰る使いの者ということが分った。
「曹操の密書をおびて、玄徳へ手わたしてきた、というのか」
「はい……」
「では、玄徳から曹操へ宛てた返書を、それに持っておるだろう」
「いえ、それはもう、先へ行った伝馬の者がたずさえてゆきましたから手前は持っておりません」
「偽りを申せ」
「嘘ではございません」
「きっとか」
陳宮が、剣に手をかけると、旅の男は、飛び上がった。
とたんに、真赤な霧風が剣光をまいた。大地には、首と胴が形を変えて離ればなれになっている。
「童子、死骸を検べてみろ」
「ご主人様。……袍の襟を解いたらこんな物が出てきました」
「オオ。玄徳の返書だ」
陣宮は、一読すると、
「誰にも、口外するなよ。わしはこれから、徐州城へ参るゆえ、弓を持って、おまえは先に邸へ帰れ」
供の童子にいい残して、陳宮はその足ですぐ登城した。
そして、呂布に謁し、云々と仔細を告げて、玄徳から曹操へ宛てた返簡を見せると、呂布は、鬢髪をふるわせて、激怒した。
「匹夫、玄徳め。──いつのまにか曹操と諜しあわせて、この呂布を亡ぼさんと謀っておったな」
直ちに、陳宮、臧覇の二大将に兵を授け、
「小沛の城を一揉みにもみ潰し、玄徳を生捕って来れ」と、命じた。
陳宮は謀士である。小沛は小城と見ても無謀には立ち向わない。
彼は、附近の泰山にいる強盗群を語らって、強盗の領袖、孫観、呉敦、昌豨、尹礼などという輩に、
「山東の州軍を荒し廻れ。今なら、伐取り勝手次第」と、けしかけた。
宋憲、魏続の二将はいちはやく汝頴地方へ軍を突き出して、小沛のうしろを扼し、本軍は徐州を発して正面に小沛へ迫り、三方から封鎖しておめきよせた。
玄徳は、驚愕した。
「さては、返書を持たせて帰した使いが、途中召捕られて、曹操の意思が、呂布へ洩れたか」
と、胆を寒うした。
先頃、曹操から、密書をもって云いよこしたことばには、呂布を討つ機会は、実に今をおいてはない。北方の袁紹も、北平と事を構えて、黄河からこっちを顧みている遑はなし、呂布、袁術のあいだも、国交の誼みなく、予と其許とが呼応して起てば、呂布は孤立の地にある。まことに、易々たる事業というべきではないか。
要するに、戦備の催促である。もちろん劉玄徳は、敢然、協力のむねを返簡した。──呂布が見て怒ったのも当然であった。
「関羽は西門を守れ、張飛は東門に備えろ、孫乾は北門へ。また、南門の防ぎには、この玄徳が当る」
取りあえず部署をさだめた。
なにしろ急場だ。城内鼎の沸くような騒ぎである。──その混乱というのに、関羽と張飛のふたりは、何事か西門の下で口論していた。
なにを口喧嘩しているのか。
この戦の中に。
また、義兄弟仲のくせして。──と兵卒たちが、守備をすてて、関羽、張飛のまわりへ立って聞いていると、
「なぜ、敵将を追うなと止めるか。敵の勇将を見て、追わぬほどなら、戦などやめたがいい」
といっているのが張飛。
それに対して、関羽は、
「いや、張遼という人物は、敵ながら武芸に秀で、しかも恥を知り、従順な色が見える。──だから生かしておきたいのだ。そこが武将のふくみというものではないか」
と、諭したり、説破したり、論争に努めている。
玄徳の耳にはいったとみえ、
「この際、何事か」と、叱りがきた。
「関羽、どっちが理か非か。家兄の前へ出て埓を明けよう」
張飛は、関羽を引っぱって、遂に、玄徳の前まで議論を持ちだした。
で、双方の云い分を玄徳が聞いてみると、こういう次第であった。
その日、早朝の戦に。
呂布の一方の大将張遼が、関羽の守っている西門へ押しよせて来た。
関羽は、城門の上から、
「敵ながらよい武者振りと思ったら、貴公は張遼ではないか。君ほどな人物も、呂布の如き粗暴で浅薄な人間を主君に持ったため、いつも無名の戦や、反逆の戦場に出て、武人か強盗か疑われるような働きをせねばならぬとは、同情にたえないことだ。──武将と生れたからには戦わば正義の為、死なば君国の為といわれるような生涯をしたいものだが、可惜、忠義のこころざしも、貴公としては、向け場がござるまい」
と、大音ながら、話しかけるような口調で呼びかけた。
すると──
寄手をひいて、猛然、攻めかけてきた張遼が、なに思ったか、急に馬をめぐらして、今度は張飛の守っている東の門へ攻めに廻った様子である。
そこで関羽は、馬を馳せて、張飛の守っている部署へ行き、
「討って出るな」と、極力止めた。
「──張遼は惜しい漢だ。彼には正義の軍につきたい心と、恥を知る良心がある」
と、敵とはいえ、助けておきたい心もちと理由とを、張飛に力説した。
「おれの部署へ来て、よけいな指揮はしてもらいたくない」
張飛は、肯かない。
そこで口論となり、時を移してしまったので、寄手の張遼も、余りに無反応な城門に、不審を起したものか、やがて、退いてしまったというわけであった。
「惜しいと云いたいのは、張遼を討ちもらしたことで、まったく、関羽に邪魔されたようなものだ。家兄、これでも、関羽のほうに理がありましょうか」
張飛は、例の如く、駄々をこねだして、玄徳に訴えた。
玄徳も、裁きに困ったが、
「まあ、よいではないか。捕えても逃がしても、大海の魚一尾、張遼一名のために、天下が変るわけもあるまい」
と、どっちつかずに、双方を慰撫した。
× × ×
どこかで、可憐な少女の歌う声がする。
十里城外は、戦乱の巷というのに、ここの一廓は静かな秋の陽にみち、芙蓉の花に、雲は麗しく、木犀のにおいを慕って、小さい秋蝶が低く舞ってゆく。
にらの花が、地面にいっぱい
金かんざし、銀かんざし
お嫁にゆく小姑に似合おう
小姑のお聟さんは
背むしの地主老爺
床にねるにも、おんぶする
卓へつくにも、だっこする
隣のお百姓さん
見ない振りしておいで
誰も笑わないことにしよう
前世の因縁、しかたがない
徐州城内の、北苑、呂布の家族や女たちのみいる禁園であった。十四ばかりの少女が、芙蓉の花を折りながら歌っている。歌に甘えて、その背へ、うしろから抱きついているのは、少女の妹であろう。やっと歩けるほどな幼さである。
誰もいないと思ってか、少女は手折った芙蓉を髪に挿し、また、声を張りあげて歌っていた。
妹是桂花 香千里
哥是蜜蜂 万里来
蜜蜂見花 団々転
花見蜜蜂 朶々開
呂布はその声に、後閣の窓から首を出した。
眼をほそめて、娘の歌に聞き恍れている顔つきである。
「…………」
姉は十四、妹は五ツ。
ふたりとも、呂布の娘である。
十四の姉のほうは、先頃、袁術の息子へ嫁がせるまでになって、一夜、盛大な歓宴をひらき、珠簾の輿にのせて、淮南の道へと見送ったが、にわかに、模様が変ったため、兵を派して輿を途中から連れもどし、そのまま、もとの深窓に封じてしまった、──あの花嫁御寮なのである。
花嫁はまだ小さい。
国と国の政略も知らない。戦争がどこに起っているかも知らない。父親の胸のうちも、徐州の城の運命も知らない。
ただ歌っている──そして幼い妹と手をつないでくるくるめぐっていたが、ふと、父の呂布の顔を、後閣の窓に見たので、
「あら!」
と、顔を紅らめながら母たちの住んでいる北苑の深房へ馳けこんでしまった。
「はははは。まだまことに無邪気な姫君でいらっしゃいますな」
呂布のそばには、家臣の郝萌が顔をならべてたたずんでいた。
「む、む。……あのようにまだ子どもだからな、可憐しいよ」
呂布は腕をくんだ。──なにか娘のことについて、沈吟しているようだった。
室には郝萌と彼と、ただ二人きりで、最前から何か密談していたところである。
その郝萌は、玄徳から曹操へ宛てた例の返簡が、呂布の手に入って、こんどの戦端となった、その日に、
(急ぎ淮南へ参って、袁術に会い、先頃の縁談は、まったく曹操にさまたげられて、一旦はお約束にそむいたものの、依然、貴家との婚姻はねがっているところである。──と申して、至急取りまとめて来い)との秘命をうけて、早馬で淮南へ向い、つい今しがた、袁術からの返辞を持って、これへ帰ってきたものであった。
急に、婚約の儀を蒸し返して、袁術へ、唇歯の交わりを求める裏には、
(二家姻戚として、二国同盟して、共に、曹操を打破ろうではないか)
と、いう軍事的な意味がもちろん含まれている。
袁術とても、もとより息子の嫁の縹緻や気だてなどより、重点はそこにあるので、慎重評議の結果、やはり呂布は味方に抱きこみたいが、呂布の変り易い信義にはまだ疑いがあるとて、
(ともあれ愛娘の身を先に淮南へお送りあるなれば、充分、好意をもってご返答に及ぼう)
という、返辞だった。
要するに、愛娘を先に質子として送り、信義を示すならば──という条件なのである。
呂布の胸は今、郝萌からその復命を聞いて迷っていた。
「娘を淮南へ送ったものか、どうしたものか? ……」と。
そして、すでに、
「やろう」と、肚をきめかけた時、ふと、愛娘の歌声が聞えてきたのである。可憐な、そしてまだ無邪気な愛娘のすがたを、苑に見ると、彼はまた気が変って、
「……いや。花嫁としてやるならばだが、質子として、遠い淮南へ、むすめをやるほど、呂布もまだ落ち目になっておらん。袁術のほうでそう高くとまっているなら、この問題はもっと先のことにしよう。……郝萌、使いの役目、大儀だった。退がって休息するがいい」
と、いった。そして遂に、袁術へ提携を呼びかけた婚姻政略の蒸し返しは、一時、断念してしまった。
呂布は、小沛の敵──劉玄徳には、そう恐れを抱いていない。
彼が恐れているのは、曹操を敵にまわすことである。
が、玄徳を攻めれば、当然、曹操を敵として、乾坤一擲の運命を賭すまでの局面へ行き当る──それは、避けたいのだ。しかし目前の玄徳は討たざるを得ない。すでに、小沛の城は三方から自分の兵で押しつつんでいる。
(袁術との同盟さえ成れば、曹操が起っても、恐るるには足らないが)
と考えて、彼は急遽、郝萌を淮南へ飛ばし、袁術の肚を当ってみたわけであるが、先も足もとを見て、妥協しかねる条件を持ち出すなど、不遜な態度を示したので、呂布は自己の面子としても、また、わが娘への愛着からも、これ以上の屈辱には忍べなかった。
で。──そのほうが望み薄ときまると、却って彼は肚がすわったように、
「よし、この上は」と翌日は、自身、戦場に臨んで、督戦した。
「こんな小城一つに、幾日、攻めあぐねておるぞ。一押しに、踏みつぶせ」
味方を叱咤しながら、彼を乗せた赤兎馬は、はや小沛の城の下まで迫っていた。
すると城壁の上に、劉玄徳がすがたを現わして、呂布へ呼びかけ、諄々といった。
「呂将軍、呂将軍、何とてかくは烈しく囲み給うか。それがしと将軍とは、情あり恩あり、誼みこそあれ、仇はない筈。──先に、曹操より天子の勅命として、それがしに兵を催せとの厳命ゆえ、やむなく承知の返簡は認めたが、なんで立ちどころに将軍との旧交を捨てて故なき害意をさし挟もうや。願わくは、ご賢慮あれ。──将軍とこの劉備とが戦って、相互の兵力を多大に消耗し尽すを、陰でよろこび、陰で利益する者は、何者なるかを、深くご賢察あれや」
呂布は、それを聞くと、しばらく馬上に黙然としていたが、突然、
「包囲は解くな」
と、味方へいいつけて、ひらりと、陣後へ馬をかえしてしまった。
弱点といおうか、人間性に富むといおうか、呂布は実に迷いの多い漢ではあった。ここまで駒を寄せながら、玄徳が理を尽して説くと、また、
(そうかな?)
という気迷いにとらわれて、自身は徐州の城へ帰ってしまった。
従って寄手の包囲陣も、そのまま、むなしく日を送っているまに、それより前に小沛を脱出していた劉玄徳の急使は、早くも許都に着いて、
「委細は、主人劉備の書中にございますが、かくかくの次第、一刻もはやくご救援を乞いまする」
と、告げた。
曹操は、直ちに相府へ諸大将をあつめて、小沛の急変を伝え、同時に、
「劉備を見ごろしにしては、予の信義に反く。今、袁紹は北平の討伐に向い、それに憂いはないが、なお予の背後には張繍、劉表の勢力が、常に都の虚をうかがっている。──とはいえ、呂布を放置しておかんか、これまた、いよいよ勢いを強大にし、将来の患となるのは目に見えておる。──如かず、一部の者に、許都の留守をあずけ、予は劉備を援けて、共にこの際、呂布の息の根をとめてこようと思う。汝らは、如何に思うか」
と、評議に諮った。
堂中の諸大将を代表して、荀攸が起立して答えた。
「出師のご発議、われらに於てもしかるべく存じます。劉表、張繍とても、先ごろ手痛く攻撃された後のこと、軽々しく兵をおこして参ろうとは思われません。──それをはばかって、もしこの際、呂布のなすままに委せておいたら、袁術と合流して、泗水淮南に縦横し、遂には将来の大患となりましょう。彼の勢いのまだ小なるうちに、よろしく禍いの根を断つこそ急務と思われます」
曹操は左の手を胸に当て、右手を高く伸ばして、
「いしくも申したり。──満座、異議はないか」
といった。
異口同音に、
「ありません」
諸大将、すべて起立して、賛意を表した。
「さらば征いて、小沛の危急を救え」とばかり、まず夏侯惇、呂虔、李典の三名を先鋒に、五万の精兵をさずけ、徐州の境へ馳せ向かわした。
呂布の麾下、高順の陣は、突破をうけて潰乱した。
「なに。曹操の先手が、はや着いたとか」
呂布は狼狽した。もう曹操との正面衝突は、避け難い勢いに立到ったものと観念した。
「侯成、はや参れ。郝萌、曹性も馳け向かえ。──そして高順を助けて、遠路につかれた敵兵を一挙に平げてしまえ」
呂布の命令に、呂布の軍は直ちに軍の移動を起した。
それまで、小沛を遠巻きにしていた彼の大兵が、一部、それに向ったので、全軍三十里ほど、小沛から退いたのであった。
城中の玄徳は、
「さてこそ、許都の援軍が徐州の境まで着いたと見ゆる」と察して、孫乾、糜竺、糜芳らを城内にのこし、自身は関羽、張飛の両翼を従えて今までの消極的な守勢から攻勢に転じ、俄然、凸形に陣容をそなえ直した。
──が、なおそこは、静かなること林の如く、動かざること山のようであったが、すでに呂布軍の一角と、曹操軍の尖端とは激突して、戦塵をあげ始めていた。
その日の戦に。
曹操麾下の夏侯惇は、呂布の大将高順と名乗りあって、五十余合戦ったが、そのうち高順が逃げだしたので、
「きたなし、返せ返せ」と、呼ばわりながらあくまで追い馳けまわして行った。
すると、高順の味方曹性が、「すわ、高順の危急」と見たので、馬上、弓をつがえて、近々と走り寄り、夏侯惇の面をねらって、ひょうと射た。
矢は、夏侯惇の左の眼に突き刺さった。彼の半面は鮮血に染み、思わず、
「あッ」
と、鞍の上でのけ反ったが、鐙に確と踏みこたえて、片手でわが眼に立っている矢を引き抜いたので、鏃と共に眼球も出てしまった。
夏侯惇は、どろどろな眼の球のからみついている鏃を面上高くかざしながら、
「これは父の精、母の血液。どこも捨てる場所がない。──あら、もったいなや」
と、大音で独り言をいったと思うと、鏃を口に入れて、自分の眼の球を喰べてしまった。
そして、真っ赤な口を、くわっと開いて、片眼に曹性のすがたを睨み、
「貴様かッ」
と、馬を向け跳びかかってくるや否、ただ一槍の下に、片眼の讐を突き殺してしまった。
おそらく天下第一の健啖家は、夏侯惇であろう。
──後には、人々の話題をにぎわし、夏侯惇もよく笑いばなしに語ったが、わが眼を喰って血戦したその場合の彼の心は、悲壮とも壮絶ともいいようはない。
眼球を抜かれた一眼の窪からあふれでる鮮血は止まらない。もちろん激痛も甚だしかった。
「今はこれまで」と、彼も最期を思ったほど、敵の中に囲まれていたのである。
その重囲を、一角から斬りくずして、彼の身を救って出たのは、彼の弟夏侯淵であった。
夏侯淵は、兄を助けて、
「ひとまず退きましょう」
味方の李典、呂虔の陣へ走りこんで一手となった。
勢いにのった呂布軍は、全線にわたって、攻勢を示し、
「この図をはずすな」と、呂布自身、馬をとばして、押し進んできた。
李典、呂虔の兵は、済北まで引きしりぞいた。呂布は、全戦場の形勢から、
「勝機は今!」と、確信したものか、奔濤の勢いをそのまま揚げて、直ちに、小沛まで詰め寄せてきた。
ここには、関羽、張飛が、「ござんなれ」と、備えていた。
敵を代えて、呂布は、新手の玄徳軍と猛戦を開始した。
高順、張遼の二軍は、張飛の備えに打ってかかり、呂布自身は、関羽に当った。
乱箭の交換に、雲は叫び、肉闘剣戟の接戦となって、鼓は裂け、旗は折れ、天地は震撼した。
だが、なんといっても、玄徳の小沛勢は小勢である。張飛、関羽がいかに勇なりといえど、呂布の大軍には抗し得なかった。
当然、敗退した。
城中へ城中へと先を争って逃げてゆく、その小勢のなかに、玄徳のうしろ姿を見つけた呂布は、
「大耳児。待て」と、呼びかけた。
玄徳は生れつき耳が大きかった。兎耳と綽名されていた。それゆえに呂布はそう叫んだのである。
玄徳は、その声に、
「追いつかれては──」と、戦慄した。
きょうの呂布の血相では、所詮、口さきで彼の戟を避けることはできそうもない。
「逃げるに如くなし」
玄徳は、うしろも見ず、馬に鞭打った。
ところが、余りに、追迫されたので、彼が、城門の濠橋まで来てみるともう橋はあげてある。
「玄徳なるぞ、吊橋を下ろせ」
城中の兵は、彼の姿にあわてて、内から門をひらき、橋を渡したが──玄徳が急いで逃げ渡ろうとするまでに、呂布も、疾風のごとく、共に橋をこえていた。
「あれよ! 呂布が」と、味方の兵は、弓に矢をつがえたが、何分、主人の玄徳と、呂布の体がほとんど一体になってからみ合ったまま、だーっと城門内まで馳けこんでしまったので、
「もし、主人を射ては」と、手もすくんで、遂に一矢も放つことができなかった。
もちろん呂布の前には、たちまち、十騎二十騎と立ちふさがったが、彼の大戟が呼ぶ血風の虹をいよいよ壮絶にするばかりだった。
その間に。
呂布につづく高順、張遼の軍勢も、またたくうち橋を渡って、城門内を埋めてしまい、楼台城閣は炎を吐き、小沛の小城は今や完全に、彼の蹂躪するところとなってしまった。
今は施すすべもない。なにをかえりみているいとまもない。業火と叫喚と。
そして味方の混乱が、否応もなく、玄徳を城の西門から押し出していた。
火の粉と共に、われがちに、逃げ散る兵の眼には、主君の姿も見えないらしい。
玄徳も逃げた。
けれど、いつのまにか、彼はただ一騎となっていた。
小沛から遠く落ちて、ただの一騎となった身に、気がついた時、玄徳は、
「ああ、恥かしい」と思った。
もう一度、城へ戻って戦おうかと考えた。小沛の城には老母がいる、妻子が残してある。
「──何で、われ一人、このまま長らえて落ちのびられよう」
慚愧にとらわれて、しばし後ろの黒煙をふり向いていたが、
「いや待て。──ここで死ぬのが孝の最善か。妻子への大愛か。──呂布もみだりに老母や妻子を殺しもしまい。今もどって、いたずらに呂布を怒らすよりはむしろ呂布に完全な勝利を与えて、彼の心に寛大な情のわくのを祈っていたほうがよいかもしれぬ」
玄徳は、そう思慮して、悄然とひとり落ちて行った。
彼のその考えは後になってみると賢明であった。
呂布は、小沛を占領すると糜竺をよんで、
「玄徳の妻子は、そちの手に預けるから、徐州の城へ移して、固く守っておれ。擒虜の女子供をあなどって、みだりに狼藉する兵でもあったら、これを以て斬り捨ててさしつかえない」
と、自身の佩いていた剣をといて授けた。
糜竺は拝謝して、玄徳の妻子を車にのせ徐州へ移った。
呂布はまた、高順、張遼の両名を、この小沛の城に籠めて自身は、山東、兗州の境にまで進み、威を振って敗残の敵を狩りつくした。
関羽。
張飛。
孫乾など。
諸将の行方を追及することも急だったが、彼らは山林ふかく身を寓せて、呂布の捜索から遁れていたので、遂に、網の目にかからなかった。
玄徳は、許都へ志した。思えばそういう中をただ一騎、無事に落ちのびられたのは、奇蹟といってもよい。
山に臥し、林に憩い、惨たる旅をつづけてゆくうちに、
「わが君。わが君っ──」
と或る谷あいで追いついてくる数十騎の者があった。見ると、孫乾であった。
「ようこそご無事に」と、孫乾は、玄徳のすがたを見ると、声をあげて哭いた。
「嘆いている場合ではない。とにかく許都へ上って、曹操に会い、将来を計ろう」
主従は道をいそいだ。
わびしき山村が見えた。玄徳以下、飢えつかれた姿で、村にたどり着いた。
すると、誰が伝えたわけでもないのに、
「小沛の劉玄徳様が、戦に負けて、ここへ落ちてござられたそうな」
「あの、劉予州様かよ」
「おいたわしい事ではある」
と、そこらの茅屋から村の老幼や、女子どもまで走りでて、路傍に坐り、彼の姿を拝して、涙をながした。
田夫野人と呼ばれる彼らのうちには、富貴の中にも見られない真情がある。人々は、食物を持って来て玄徳に献げた。またひとりの老媼は、自分の着物の袖で、玄徳の泥沓を拭いた。
無智といわれる彼らこそ、人の真価を正しく見ていた。日頃の徳政を通して、彼らは、
「よいご領主」
と、玄徳の人物を、夙に知っていたのであった。
その夜は猟師の家に宿った。
猟師という主の男は、感涙をながして、
「こんな山家にご領主をお泊め申すことは勿体ないやら有難いやらで、どうおもてなし致していいかわかりません」と、拝跪していった。
玄徳は見て、
「主は、以前からこの村に住居しておる者か」と、たずねた。
猟師にしては、どこか骨柄の秀でたところが見えたからである。
主は、破れ床に平伏して、
「お恥かしい次第ですが、祖先は漢家のながれをくみ、劉氏の苗裔で、自分は劉安と申すものでございます」と、答えた。
その晩、劉安は肉を煮て玄徳に饗した。
飢えぬいていた玄徳主従は、歓んで箸を取った。そして「何の肉か」と、たずねると、
「狼の肉です」という劉安の返辞だった。
ところが、翌朝出発に際し、孫乾が馬を引出そうとして、何気なく厨をのぞくと、女の死骸があった。
おどろいて、主の劉安に、
「いかなるわけか」
と質すと、劉安は泣いて、
「わたくしの愛妻ですが、ご覧のごとく、家貧しく殿へ饗すべき物もありませんので、実は、妻の肉を煮ておもてなしに捧げたわけでございます」と、初めて打明けた。
孫乾からそれを聞いて、玄徳は感傷してやまなかった。で、劉安にこうすすめた。
「どうだ、都へのぼって任官をしては」
すると、劉安は顔を振って、
「思し召はありがとうぞんじますが、手前が都へ行っては、ひとりの老母を養う者がありません。老母は、動かせない病人ですから、どうもその儀は」
と、断った──という。
=読者へ
作家として、一言ここにさし挟むの異例をゆるされたい。劉安が妻の肉を煮て玄徳に饗したという項は、日本人のもつ古来の情愛や道徳ではそのまま理解しにくいことである。われわれの情美感や潔癖は、むしろ不快をさえ覚える話である。
だから、この一項は原書にはあっても除こうかと考えたが、原書は劉安の行為を、非常な美挙として扱っているのである。そこに中古支那の道義観や民情もうかがわれるし、そういう彼我の相違を読み知ることも、三国志の持つ一つの意義でもあるので、あえて原書のままにしておいた。
読者よ。
これを日本の古典「鉢の木」と思いくらべてみたまえ。雪の日、佐野の渡しに行き暮れた最明寺時頼の寒飢をもてなすに、寵愛の梅の木を伐って、炉にくべる薪とした鎌倉武士の情操と、劉安の話とを。──話の筋はまことに似ているが、その心的内容には狼の肉の味と、梅の花の薫りくらいな相違が感じられるではないか。
閑話休題。
玄徳は次の日、そこを立って梁城の附近に到ると、彼方から馬けむりをあげてくる大軍があった。
これなん、曹操自身が、許都の精猛を率いて、急ぎに急いできた本軍であった。
地獄で仏に。
玄徳は、計らずも曹操にめぐり会って、まったくそんな心地であった。
曹操は始終を聞いて、
「乞う。安んじ給え」
と、彼をなぐさめ、なお、前の夜玄徳が泊った宿の主、劉安の義侠を聞いて、金若干を与え、
「老母を養うべし」と、使いにいわせた。
曹操の本軍が済北に到着すると、先鋒の夏侯淵は片眼の兄を連れて、
「ご着陣を祝します」と、第一に挨拶に来た。
「夏侯惇か、その眼はどうしたのだ」
曹操の訊ねをうけて夏侯惇は片眼の顔を笑いゆがめて、
「先の戦場において喰べてしまいました」
と、仔細をはなした。
「あははは。わが眼を喰った男は人類はじまって以来、おそらく汝ひとりであろう。身体髪膚これ父母に享くという。汝はまた、孝道の実践家だ。──暇をつかわすゆえ、許都へ帰って眼の治療をするがいい」
曹操は大いに笑ったが、次々と挨拶にくる諸将を引見して、
「ところで、呂布のほうはどんな情勢にあるか」と、おのおのの意見を徴した。
ひとりがいう。
「呂布はあせっております。自己の勢力を拡大すべく味方となる者なら強盗であろうと山賊であろうと党を選ばず扶持して、軍勢に加え、いたずらにその数を誇示し、兗州その他の境を侵して、ともかく軍の形容だけは、このところ急激に膨脹して、勢い隆々たるものがあります」
「小沛の城は」
「目下、呂布の部下、張遼、高順の二将がたて籠っております」
「ではまず、玄徳の復讐のために、小沛を攻めて、奪回しろ」
一令の下に、諸将は、各〻の陣所につき、中軍のさしずを待ちかまえた。
曹操は、玄徳と共に、山東の境へ突出して、はるか蕭関のほうをうかがった。
その方面には──
泰山の強盗群、孫観、呉敦、尹礼、昌豨などの賊将が手下のあぶれ者、三万余を糾合して、
「山岳戦ならお手のものだ。都の弱兵などに負けてたまるか」
と、威を張り、陣を備えて、賊党とはいえ、なかなか侮りがたい勢いだった。
「許褚。突きすすめ」
曹操は、けしかけるように、許褚へ先駆を命じた。
許褚は、
「仰せ、待っていました」とばかり手勢をひいて敵中へ突撃した。泰山の大盗孫観、呉敦をはじめ、馬首をそろえて、彼へ喚きかかってきたが、一人として許褚の前に久しく立っていることはできなかった。
山兵は、つなみの如く、蕭関へさして逃げくずれた。
「追えや。今ぞ」
曹操の急追に、山兵の死骸は、谷をうずめ、峰を紅く染めた。
その間に、幕下の曹仁は、手勢三千余騎をさずけられて、間道を縫い、目ざす小沛の城へ、搦手から攻めかけていた。
小沛から徐州へ──
ひんぴんとして伝令は馳けた。
呂布は、徐州に帰っていた。
兗州から帰って、席あたたまるいとまもなく、眉に火のつくような伝令また伝令のこの急場に接したのであった。
「小沛は徐州の咽喉だ。自身参って、防ぎ支えねばならん」
彼は、陳大夫、陳登の父子をよんで、防戦の策を計り、陳登は、われに従え、陳大夫は残って徐州を守れと命じた。
「心得ました」
父子は、呂布の前をさがると、城中人馬の用意に物騒がしい中を、いつも密談の場所としてある真っ暗な一室にかくれて、ささやき合っていた。
「父上、呂布の滅亡も近づきましたな」
「ウム。いよいよわしら父子の待ってる日が来た」
「幸いに、私は、彼に従って、小沛へ行きますから、戦の出先で、ある妙計を施します。──その結果、呂布が曹操に追われて、徐州へ逃げてくるかも知れませんが、その時こそ、父上は城門を閉じて、呂布を断じてこの城へ入れないで下さい。よろしゅうございますか」
陳登は、かたく念を押したが、陳大夫は、すぐうんとはうなずかなかった。
「父上。なぜ、ご返辞がないのですか」
「でも……。いくらわしが、この城の守りに残っていても、城中には、呂布の一族妻子などが大勢いるではないか。──呂布が城門まで逃げ帰ってきたのを見たら、わしが開けるなといっても、一族の輩が承知するはずはない」
「ですから、それも私が、一策を講じてよいようにして行きます」
暗黒の密室にかくれて、父子が諜し合わせていると、隣の武器庫で、
「陳大夫はどうしたのだろう」
「陳登の姿も見えぬが」と、ほかの大将が話していた。
父子は眼を見合せて、しばし息をこらしていたが、隙を見て、別れ別れに出て行った。
「何しておったか」
呂布は、それへ来た陳登のすがたを見ると、一喝した。
無理はない。もう出陣の身支度も終って、閣の外に、勢揃いしていたところである。
陳登は悪びれず、彼の床几の前に拝伏して、
「実は、父があまりにも、お留守の大役を案じるので、励ましていたものですから」と言い訳した。
呂布は眉をひそめて、
「徐州の留守が、どうしてそんな心配になると、陳大夫はいうのか?」
「何分こんどは、今までの一方的な戦争とちがって、曹軍の大勢は、この徐州の四面を遠くから包囲してきております。もし、万が一にも、事態が急に迫った時は、城中のご一族、金銀兵糧なども、にわかにはほかへ移しようもございません。──老人の取越し苦労といいましょうか、老父はひどくそれを案じておりました」
「ああ、なる程。その憂いも一理あるな」
呂布は急に糜竺を招いて、
「そちは陳大夫と共に城に残ってわが妻子や金銀兵糧などを、すべて下邳の城のほうへ移しておけ。よろしいか」と、いいつけた。
彼は、後方の万全を期したつもりで、勇躍、徐州城から馬をすすめて行ったが、何ぞ知らん、その糜竺も、疾くから陳大夫父子と気脈を通じて、呂布の陥穽を掘っていた一人だったのである。
──が。呂布はなお気づかなかった。
小沛の危急を救うつもりで、途中まで来ると、
「蕭関が危ない」と聞えてきた。
呂布は、気が変って、
「さらば、蕭関から先に喰い止めよう」と、急に道をかえた。
陳登は、諫めた。
「将軍は、お後から徐々と、なるべくお急ぎなくお進みなさい」
「なぜ、急ぐなというか」
「蕭関の防ぎには、お味方の陳宮や臧覇も向っていますが、多くは泰山の孫観とか呉敦などの兵です。彼らはもともと山林の豺狼、利に遭えば、いつ寝返りを打つかも知れません。まずそれがしが先に数十騎をひきいて蕭関をのぞみ、陣中の気ぶりを見た上でお迎えに馳け戻ってきましょう」
「よく気がついた。わが命を守って、細やかな心くばり。そちの如き者こそ、真の忠義の士というのだろう。早く行け」
「では、殿にはお後から」と、陳登は先に馳けた。
そして蕭関の砦へ来ると、味方の陳宮、臧覇に会見して、戦いのもようを問い、
「時に、呂将軍は、なぜか容易にこれへお進みがない。──なにかご辺たちは、殿から疑われるような覚えはござらぬか」と、ささやいた。
「……はてな? そんな覚えはないが」
陳宮、臧覇は、顔を見合わせた。けれど、なんの覚えはなくとも、敵と対峙している前線にあって、後方の司令部から疑惑されていると聞いては、不安を抱かずにいられなかった。
その夜のことである。
独りひそかに、砦の高櫓へのぼって行った陳登は、はるか曹操の陣地とおぼしき闇の火へ向って、一通の矢文を射込み、何喰わぬ顔をしてまた降りてきた。
そこを去って、蕭関の砦を後にすると、陳登は、暗夜に鞭をあげて、夜明け頃までにはまた、呂布の陣へ帰っていた。
待ちかねていた呂布は、
「どうだった? ……蕭関の様子は」と、すぐ糺した。
陳登はわざと眉を曇らして、
「案の定、まことに憂うべき状態です」と、いった。
呂布はもちろん顔色を変えた。
「では、わが眼のとどかぬ出城へ移って、早くも陳宮は異心をさし挟んでおる様子か」
「孫観、呉敦の輩は、もともと山野の賊頭なので、利を見て動くこともあろうかと、ひそかにおそれていましたが、陳宮のようなご恩顧の直臣までが、裏切りを謀っておろうとは思いませんでした。実に、人の心は頼み難いものです」
「いや陳宮は近頃、自分の言が事ごとに容れられないので、おれにすねているふうがあった。危うい哉──何も知らずに蕭関へ臨んだら、呂布は一生の大事を過るところだった」
彼は、陳登の功をたたえ、次の如き一策をさずけて、再び陳登を蕭関へ返した。
「──おれの伝令と偽って、陳宮に会い、何事でもよいから評議に時を移し、なるべく陳宮を酒に酔わしておけ。そして城楼から火の手をあげ、乾の門をあけておくのだ。火の手と共におれが突き進んで、自身、彼を成敗してしまうから」
呂布は、すこぶる賢明な策のつもりだった。──で、日没頃から徐々と移動を起し、全軍、蕭関へ向って近づいていた。
先に引っ返した陳登は、宵闇のとっぷりと迫った頃、蕭関に行き着いて、駒を降りるや否、
「一大事が起った」と、あわただしく、陳宮を呼びだして、息を喘きながら告げていた。
「──今日、曹操の大軍は、急角度に方向を変え、泰山の嶮や谷間をわたって、一斉に徐州へ攻め入ったという急報です。それ故、ここをお守りあっても、何の効もありません。速やかに、手勢をひいて、徐州を助けに向えとの命令です」
「えっ?」
陳宮は、愕然と、胆を冷やした顔いろだった。
応とも、否とも、陳宮が答えないまに、陳登はそう云い放したまま、すぐ駒にとび乗って、闇の中へ馳け去ってしまった。
陳宮は、信じたとみえて、それから半刻とも経たないうちに、蕭関の守兵は、続々と砦を出て徐州のほうへ急いで行った。
砦はがら空になった。
するとその──寂たる暗天の望楼台に、一つの人影が起ち上がった。
駒を飛ばして駈け去ったはずの陳登であった。
陳登は鏃に密書をむすび、その矢をつがえて、搦手の山中へ、ひょうっと射た。
「……?」
真っ暗な山ふところを見つめていると、やがて、松明を振っていた。
(矢文、見た、承知)
の火合図なのである。
暫くすると、乾、巽の二つの門から、ひたひたと、夜の潮のように、おびただしい人馬が、声もなく火影もなく、城内にはいって来た。そしてまた、墓場のようにしんとしていた。
陳登は、見届けると、第二の合図をあげた。それは望楼から打揚げた狼烟であった。シュルシュルシュルと火鼠のような光が空へ走る。
城外十里の彼方にあって、その火の手を待っていた呂布は、
「それっ、蕭関へ」と、一斉に駈けだした。
揉みに揉んで、全軍、道を急いで行くと、同じような速度で砦から出てきた大部隊があった。
徐州を救えと、何も知らずに急いできた陳宮の軍隊だった。
呂布のほうでも知る筈はない。暗さは暗し、双方とも疑心暗鬼に襲われているところである。──当然、大衝突を起すと共に、かつての戦史にも見られない程な──酸鼻な同士討ちを徹底的に演じてしまった。
「はてな?」
呂布はようやく気がついた。
同時に、相手の軍勢の中でも、
「戟を引け、者どもしずまれ。──もしや相手は味方ではないか。曹操の軍とも思われぬふしがある」と、陳宮の声がしきりとしていた。
「馬鹿っ。同士討ちだっ」
呂布はどなった。
けれど、そう気がついたのがすでに遅い。双方ともおびただしい死傷を出し、お互いに意味なき戦をしたことに呆れはてて、茫然たるばかりだった。
「怪しからぬ陳登の虚言。おれに報告したことと、そちに云ったこととはまるで違う。……ともあれ、砦へ行ってよく聞こう」
呂布は、怪しみながらも、そこで出会った陳宮の兵を合わせ、彼を連れて蕭関へ急いで来たが、そこへ近づくや否や、砦の内から一斉に曹操の兵が不意を衝いて喚きかかってきた。
こんどは本当の曹操の兵だった。先に陳登が引入れておいたものである。鳴りをしずめて待ち構えていた矢先でもある。何でたまろう、呂布、陳宮の兵は、潰乱混走を重ね、またしても、徹底的な打撃をうけてしまった。
呂布さえ、闇を逃げまどって、からくも夜が明けてから、山間の岩陰から出てきたほどである。
幸いに、陳宮に出会ったので、残り少ない味方をあつめ、
「ともかく、この上は、徐州へ帰って、一思案し直そう」と、悄然と急いだ。
ところが。
徐州の城門へ馳け入ろうとすると、櫓の上からバシャバシャッと雨のような矢が降って来た。
「こはいかに?」
と仰天して、いななく駒の手綱をしめながら、城楼をふり仰ぐと、糜竺が壁上にあらわれて、
「匹夫。何しに来たか」と、大音で罵った。
「この城こそは、さきに汝が詐ってわが旧主玄徳様から騙し奪ったもの。当然、今日もとの主人の手に返った。もはや汝の家ではないのだ。どこへでも行きたい方角へ落ちて行け!」
呂布は、鐙に立って、歯がみをしながら、
「陳大夫はいないかっ。城内に陳大夫がいるだろう。──陳大夫! 顔を見せろ」
と、さけんだ。
糜竺は、からからと笑って、
「陳老人は今、奥にあって、祝杯をあげてござる。まんまと計られた相手に、この上、未練なすがたを見せたいのか」
云い終ると、彼のすがたも、ひらりと楼の内にかくれ、後にはどっと手をうって笑う声のみが聞えた。
「無念だ。無念だ。……だが、まさか陳大夫が俺を?」
呂布は、狂いまわる駒と共に、低徊してそこを去らなかった。
陳宮は、歯ぎしりして、
「まだ悪人の奸計とおさとりなく、愚かな後悔に恋々とご苦悶あるか。悲しい哉、わが主君は、死ななければ目の醒めないお人だ」
あまりな呂布の醜態に、陳宮は腹を立てて、独り先へ駒を引っ返してゆくと、呂布もあわてて後を追ってきた。
そして、力なく、
「小沛へ行こう。小沛の城には、腹心の張遼、高順のふたりを入れて守らせてある。しばらく小沛に拠って形勢を見よう」と、いった。
実際、残る策としては、それしかなかった。さすがの陳宮も万策つきたか、黙々と呂布に従って行った。
すると、どうだろう?
まぎれもない張遼、高順の二将が彼方から来るではないか。しかも小沛の兵をのこらずひきつれ、砂けむりをあげて、こっちへ急いでくる様子なのだ。──呂布、陳宮は眼をみはって、
「おやっ? 何で……」
と、またしても、呆ッ気にとられた顔をして口を開いていた。
一方。
それへ近づいてきた高順と、張遼のほうでも呂布の姿を見て、心から不審そうに、
「やっ、これはわが君、どうしてこれへお越しなされましたか」と、訊ねた。
「いや、おれよりも、その方どもこそ、一体何しにこんな所へ急いできたか」
呂布の反問に高順、張遼はいよいよ解せない顔して、
「これはいかな事、われわれ両名は、固く小沛を守って動かぬことを欲していましたが、つい二刻ほど前、陳登馬を飛ばして馳せきたり、わが君には昨夜来、曹操の計にかかって重囲に陥ち給えり、疾く疾く徐州へ急いで主君を救い奉れ──と、こう城門で呼ばわるなり、鞭打って立去りました故、すわこそと、にわかに用意をととのえ、これまで参ったところでござる」
そばで聞いていた陳宮は、もう笑う元気も、怒る勇気もなくなったような、ただほろ苦い唇をゆがめて、
「それもこれも、みな陳大夫陳登父子の謀み事、さてさて首尾よくもかかったり、悔めど遅し、醒れど及ばず。──ああ」
と、横を向いた。
呂布は恨みがましく、はったと眼を天の一方にすえて、
「ううむ、よくもおれに苦杯をのましたな。おれがいかに陳登父子を寵用して目をかけてやったか、誰もみな過分と知っておるところだ。忘恩の悪漢め、どうするか見ておれ」
陳宮は、冷ややかにいった。
「ご主君、ようやくおわかりになりましたか。しかし、これからどうなさいます」
「小沛へ行こう」
「およしなさい。恥をかさねるだけです。──陳登はもう曹操の軍を引入れて、祝杯をむさぼっているに違いありません」
「さもあらばあれ、彼奴らの如き、蹴ちらして奪いかえすまでだ」
猛然先に立って、小沛の城壁の下まできた。
陳宮のいった通り、城頭にはもう敵の旌旗が翩翻とみえる。──そして呂布来れりと聞くとそこの高櫓へ登った陳登が、声高に笑っていった。
「あれ見ろ、赤い馬に乗った物乞いを。飢えたか、何を吠えているぞ。岩石でも喰らわしてやれ」
「忘恩の賊陳登。おれの恩を忘れたか。きのうまで、誰のために着、誰のために禄を喰んでいたか」
「だまれ、我もと漢朝の臣、あに汝ごとき粗暴逆心の賊に心から随身なそうや。──愚かものめ!」
「うぬっ、その細首の髻を、この手につかまぬうちは、誓ってここを退かんぞ! 陳登、城を出て闘え」
喚いているところへ、後ろにある高順の陣をめがけて、突然、一彪の軍馬が北方から猛襲して来た。
「さてはまだ曹操の兵が、城外にもいたのか」
と、大いに動揺して、左右の陣を、にわかに後ろへ開いて、鶴翼に備え立て、
「いざ、来い」と、おのおの手に唾して待ちかまえたが、近づくと、それは曹操の兵とも見えない。おそろしく薄ぎたなくて雑多な混成軍であった。馬も悪いし武器も不揃いだった。しかし、勢いは甚だしくすさまじい。どっと向う見ずに吶喊してきたかと思うと、先手と先手のぶつかり合った波頭線の人馬は、血けむりに赤く霞んで、双方の喚きは、直ちに惨烈をきわめた。すると、たちまちに四散して、馬前、人もなき鮮血の大地を蹴って、
「劉玄徳の舎弟関羽!」
「玄徳の義弟張飛とはおれのこと、この顔を覚えておれ」
と、名のりながら、馬を獅子の如く躍らしてくる二騎があった。
見れば、ひとりは豹頭虎眉の猛者、すなわち張飛、ひとりは朱面長髯の豪傑、すなわち関羽であった。
「や。や。玄徳の義弟だ」
「張、関が現れたぞ」
眼に見、耳に聞いただけでも、呂布の兵は震い怖れた。ふたりは無人の境を行くように、呂布の備えを蹂躪した。
「ふがいなき味方かな」と、大将高順は部下を叱咤し、張飛の前に立ちふさがって、鏘々、火花を交わしたが、たちまち、馬の尻に鞭打って、潰走する味方の中に没し去った。
関羽は、八十二斤の青龍刀をひっさげ、あえて、雑兵には眼もくれず、中軍へ猪突して、
「めずらしや呂布、赤兎馬はなお健在なりや」と、呼びかけた。
事の不意と、意外な敵の出現に呂布は動転していたが、是非なく、馬を返して戦った。
ところへまた、
「兄貴、その敵は、おれにくれ」と、張飛が見つけて、迅雷のようにかかって来た。
呂布は心中に、
「きょうは悪日」と呟いて、あわてふためきながら逃げだした。
「や、おのれ、待て」と、張飛は追う。
関羽も跳ぶ。
赤兎馬の尾も触れんばかり後ろに迫ったが、彼の馬と、呂布の馬とは、その脚足がまるで違う。
駿足赤兎馬の迅い脚は、辛くも呂布の一命を救った。
徐州は奪られ、小沛にははいれず、呂布は遂に、下邳へ落ちて行った。
下邳は徐州の出城のようなもので、もとより小城だが、そこには部下の侯成がいるし、要害の地ではあるので、
「ひとまずそこに拠って」と、四方の残兵を呼び集めた。
かくて戦は、曹操の大捷に帰し、曹操は玄徳に対して、
「もともと其許の城だから、其許は以前の如く、徐州に入城して、太守の座に直りたまえ」
といった。
徐州には彼の妻子が監禁されていたが、糜竺や陳大夫に守られていたので、みな恙なく、玄徳を迎えて対面した。
久しぶり、一家君臣一座に会して、
「関羽と張飛は、小沛を離散の後、いずこに身をひそめていたのか」
玄徳が問うと、
「てまえは海州の片田舎にかくれました」
と、関羽は答えたが、張飛は、
「ぜひなく㟐蕩山にのがれて、山賊をやっていた」
と、正直に語ったので人々は大笑いした。
数日の後。
曹操は、中軍を会場として、盛大な賀宴をひらいた。
その時、彼は自分の左の席を、玄徳に与えた。右のほうは空席にしていた。
それから順に、従軍の諸大将や文官も席に着いたところで、曹操は立って、
「この度、第一の功は、陳大夫陳登父子の働きである。予の右座は、陳老人に与うるものである」
と、述べた。
全員、拍手の中に、陳大夫老人は末席から息子に手をひかれて曹操の右側に着席した。
「あなたには、十県の禄を与え、子息陳登には、伏波将軍の職を贈る」
と、曹操はなお犒らった。
歓語快笑のうちに宴はすすみ、その中でまた、
「いかにして、呂布を生虜るべきか?」
の最後の作戦が、和気藹々のうちに種々検討された。──生虜るか殺すかこんどこそ呂布の始末をつけないうちは曹操は許都へ退かない決心であった。
下邳の小城は、呂布にとって逃げこんだ檻にひとしい。
呂布はすでに檻の虎だ。
しかし、窮鼠が猫を咬むの喩えもあるから、檻の虎の料理は、易しきに似て、下手をすれば、咬みつかれる怖れがある。
その席上、程昱がいった。
「遠火で魚をあぶるように、ゆるゆると攻め殺すがよいでしょう。短兵急に押し詰めると、いわゆる破れかぶれとなって、思慮にとぼしい呂布のこと、どんな無謀をやるかもしれません」
呂虔も、程昱の意見、しかるべしと賛同して、
「呂布の立場になってみると、今はただ臧覇、孫観などの泰山の賊党がたのみであろうと思われる。──それもはかなく、いよいよ面子もなく──最後の切札を選ぶとなれば──淮南の袁術へすがって、無条件降伏を申し入れ、袁術の援けをかりて、猛然、反抗して来るにちがいありません」
曹操は、両者の言へ、等分にうなずいて、
「いずれの説も、予の意中と変りはない。予のおそるるところも、呂布と袁術とが、結ばれる点にある。──山東の道々は、予自身の軍をもって遮断するから、劉玄徳は、その麾下をよく督して下邳より淮南のあいだの通路を警備したまえ」と、いった。
玄徳は、謹んで、
「尊命、承知いたしました」と、誓った。
宴は終って、一同、万歳を唱え、おのおの陣所へ帰って行く。
玄徳は即日、兵馬をととのえ、徐州には糜竺と簡雍の二人をとどめて、自身、関羽、張飛、孫乾の輩を率きつれて、邳郡から淮南への往来を断り塞ぐべく出発した。
それも──
下邳の窮敵に気づかれると、死にもの狂いの抵抗をうけることは必然なので、山を伝い、山間を抜け、ようやく呂布の背面にまわった。
要路の地勢を考えて、まず柵を結い、関所を設け、丸木小屋の見張所を建て、望楼を組上げなどして、街道はおろか、峰の杣道、谷間の細道まで、獣一匹通さぬばかり監視は厳重をきわめていた。
× × ×
冬は近づく。
泗水の流れはまだ凍るほどにも至らないが、草木は枯れつくし、満目蕭条として、寒烈肌身に沁みてくる。
呂布は、城をめぐる泗水の流れに、逆茂木を引かせ、武具兵糧も、充分城内に積み入れて、
「雪よ。早く山野を埋めろ」と、天に祷った。
彼は自然の他力をたのみにしていたが、人智に長けた陳宮は、冷笑して彼に諫めた。
「曹操の勢は、遠路を来て、戦いつづけ、まだ配備もととのわず、冬を迎えて陣屋の設けもできていません。今、直ちに逆寄せをなし給えば、逸をもって労を撃つで──必ず大捷を博すだろうと思います」
呂布は首を振った。
「そううまくは行くまい。敗軍のあげくだから、まだ此方の将士こそ士気が揚っていない。彼の来り攻めるを待って、一度に突いて出れば、曹軍の大半は泗水に溺れてしまうだろう」
「は。……そうですか」
陳宮も近頃は、彼に対する情熱を持ちきれないふうである。抗弁もせず嘲笑って引き退がった。
とこうするまに、早くも曹操は山東の境を扼し、また当然下邳へ押しよせて、城下を大兵で取固めた。
そして二日余りは矢戦に送っていたが、やがて曹操自身、わずか二十騎ほどを従えて、何思ったか、泗水の際まで駒を出して、
「呂布に会わん」
と、城中へ呼びかけた。
底本:「三国志(二)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
1989(平成元)年4月11日第1刷発行
2008(平成20)年12月22日第53刷発行
「三国志(三)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
1989(平成元)年4月11日第1刷発行
2008(平成20)年9月16日第50刷発行
※副題には底本では、「草莽の巻」とルビがついています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2013年7月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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