三国志
群星の巻
吉川英治
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曹操を搦めよ。
布令は、州郡諸地方へ飛んだ。
その迅速を競って。
一方──
洛陽の都をあとに、黄馬に鞭をつづけ、日夜をわかたず、南へ南へと風の如く逃げてきた曹操は、早くも中牟県(河南省中牟・開封─鄭州の中間)──の附近までかかっていた。
「待てっ」
「馬をおりろ」
関門へかかるや否や、彼は関所の守備兵に引きずりおろされた。
「先に中央から、曹操という者を見かけ次第召捕れと、指令があった。そのほうの風采と、容貌とは人相書にはなはだ似ておる」
関の吏事は、そういって曹操が何と云いのがれようとしても、耳を貸さなかった。
「とにかく、役所へ引ッ立てろ」
兵は鉄桶の如く、曹操を取り囲んで、吟味所へ拉してしまった。
関門兵の隊長、道尉陳宮は、部下が引っ立ててくる者を見ると、
「あっ、曹操だ! 吟味にも及ばん」と、一見して云いきった。
そして部下の兵をねぎらって彼がいうには、
「自分は先年まで、洛陽に吏事をしておったから、曹操の顔も見覚えている。──幸いにも生擒ったこの者を都へ差立てれば、自分は万戸侯という大身に出世しよう。お前たちにも恩賞を頒ってくれるぞ。前祝いに、今夜は大いに飲め」
そこで、曹操の身はたちまち、かねて備えてある鉄の檻車にほうりこまれ、明日にも洛陽へ護送して行くばかりとなし、守備の兵や吏事たちは、大いに酒を飲んで祝った。
日暮れになると、酒宴もやみ、吏事も兵も関門を閉じて何処へか散ってしまった。曹操はもはや、観念の眼を閉じているもののように、檻車の中によりかかって、真暗な山谷の声や夜空の風を黙然と聴いていた。
すると、夜半に近い頃、
「曹操、曹操」
誰か、檻車に近づいてきて、低声に呼ぶ者があった。
眼をひらいて見ると、昼間、自分をひと目で観破った関門兵の隊長なので、曹操は、
「何用か」
嘯く如く答えると、
「おん身は都にあって、董相国にも愛され、重く用いられていたと聞いていたが、何故に、こんな羽目になったのか」
「くだらぬことを問うもの哉。燕雀なんぞ鴻鵠の志を知らんやだ。──貴様はもうおれの身を生擒っているんじゃないか。四の五のいわずと都へ護送して、早く恩賞にあずかれ」
「曹操。君は人を観る明がないな。好漢惜しむらく──というところか──」
「なんだと」
「怒り給うな。君がいたずらに人を軽んじるから一言酬いたのだ。かくいう自分とても、沖天の大志を抱いておる者だが、真に、国の憂いを語る同志もないため、空しく光陰の過ぎるのを恨みとしておる。折から、君を見たので、その志を叩きにきたわけだが」
意味ありげな言葉に、曹操も初めの態度を改めて、「然らばいおう」と、檻車の中に坐りなおした。
曹操は、口を開いた。
「なるほど董卓は、貴公のいわれたようにこの曹操を愛していたに違いない。──しかしそれがしは、遠く相国曹参が末孫にて、四百年来、漢室の禄をいただいて来た。なんで成上がり者の暴賊董卓ごときに、身を屈すべきや」
と語気、熱をおびてきて──
「如かず国のため、賊を刺し殺して、祖先の恩を報ずべしと、董卓の命を狙ったが、天運いまだ我に非ず──こうして捕われの身となってしまった。なんぞ今さら、悔いることがあろうか」
白面細眼、自若としてそういう容子、さすがに名門の血すじを引いているだけに、争いがたい落着きがあった。
「…………」
黙然──ややしばらくの間、檻車の外にあってその態を見ていた関門兵の隊長は、
「お待ちなさい」
いうかと思うと、檻車の鉄錠をはずして、扉を開き、驚く彼を中から引きだして、
「曹操どの、貴君はどこへ行こうとしてこの関門へかかったのですか」
「故郷──」
曹操は、茫とした面持で、隊長の行為を怪しみながら答えた。
「故郷の譙郡に帰って、諸国の英雄に呼びかけ、義兵を挙げて再び洛陽へ攻め上り、堂々、天下の賊を討つ考えであったのだ」
「さもこそ」
隊長は、彼の手をひいて、ひそかに自分の室へ請じ、酒食を供して、曹操のすがたを再拝した。
「思うに違わず、ご辺は私の求めていた忠義の士であった。貴君に会ったことは実に喜ばしい」
「では御身も董卓に恨みのある者か」
「いや、いや、私怨ではありません。大きな公憤です。義憤です。万民の呪いと共に憂国の怒りをもって、彼を憎み止まぬ一人です」
「それは、意外だ」
「今夜かぎり、てまえも官を棄ててここから奔ります。共に力を協せて、貴君のゆく所まで落ちのび、天下の義兵を呼び集めましょう」
「えっ、真実ですか」
「なんで嘘を。──すでにこういう前に、貴君の縄目を解いているではありませんか」
「ああ!」
曹操は初めて、回生の大きな歓喜を、その吐息にも、満面にも現して、
「して、貴公は一体、何とおっしゃるご仁か」と、訊ねた。
「申しおくれました。自分は、陳宮字を公台という者です」
「ご家族は」
「この近くの東郡に住まっています。すぐそこへ参って、身支度を代え、すぐさま先へ急ぎましょう」
陳宮は、馬をひきだして、先に立った。
夜もまだ明けないうちに、二人はまた、その東郡をも後にすてて、ひた急ぎに、落ちて行った。
それから三日目──
日夜わかたず駆け通してきた二人は、成皐(河南省・滎陽附近)のあたりをさまよっていた。
「今日も暮れましたなあ」
「もうこの辺までくれば大丈夫だ。……だが、今日の夕陽は、いやに黄いろッぽいじゃないか」
「また、蒙古風ですよ」
「あ、胡北の沙風か」
「どこへ宿りましょう」
「部落が見えるが、この辺はなんという所だろう」
「先ほどの山道に、成皐路という道標が見えましたが」
「あ。それなら今夜は、訪ねて行くよい家があるよ」
と、曹操は明るい眉をして、馬上から行く手の林を指さした。
「ほ、こんな辺鄙の地に、どういうお知合がいるのですか」
「父の友人だよ。呂伯奢という者で、父とは兄弟のような交わりのあった人だ」
「それは好都合ですな」
「今夜はそこを訪れて一宿を頼もう」
語りながら、曹操と陳宮の二人は、林の中へ駒を乗り入れ、やがてその駒を樹につないで、尋ね当てた呂伯奢の門をたたいた。
主の呂伯奢は驚いて、不意の客を迎え入れ、
「誰かと思ったら、曹家のご子息じゃないか」
「曹操です。どうもしばらくでした」
「まあ、お入りなさい。どうしたのですか。一体」
「何がです」
「朝廷から各地へ、あなたの人相書が廻っていますが」
「ああその事ですか。実は、丞相董卓を討ち損じて、逃げて来たまでのことです。私を賊と呼んで人相書など廻しているらしいが、彼奴こそ大逆の暴賊です。遅かれ早かれ、天下は大乱となりましょう。曹操も、もうじっとしてはいられません」
「お連れになっている人はどなたですか」
「そうそう、ご紹介するのを忘れていた。これは道尉陳宮という者で、中牟県の関門を守備しており、私を曹操と見破って召捕えたくらいな英傑ですが、胸中の大志を語り合ってみたところ、時勢に鬱勃たる同憂の士だということが分ったので、陳宮は官を捨て、私は檻を破って、共にこれまでたずさえ合って逃げ走って来たというわけです」
「ああそうですか」
呂伯奢はひざまずいて、改めて陳宮のすがたを拝し、
「義人。──どうかこの曹操を扶けて上げてください。もしあなたが見捨てたら曹操の一家一門はことごとく滅んでしまうほかはありません」
と、曹操の父の友人というだけに、先輩らしく慇懃に将来を頼むのであった。
そして呂伯奢は、いそいそと、
「まあ、ごゆるりなさい、てまえは隣村まで行って、酒を買って来ますから」
と、驢に乗って出て行った。
曹操と陳宮は、旅装を解いて、一室で休息していたが、主はなかなか帰ってこない。
そのうちに、夜も初更の頃、どこかで異様な物音がする。耳をすましていると、刀でも磨ぐような鈍い響きが、壁を越えてくるのだった。
「はてな?」
曹操は、疑いの目を光らし、扉を排して、また耳をそばだてていたが、
「そうだ、……やはり刀を磨ぐ音だ。さては、主の呂伯奢は、隣村へ酒を買いに行くなどといって出て行ったが、県吏に密訴して、おれ達を縛らせ、朝廷の恩賞にあずかろうという気かも知れん」
呟いていると、暗い厨のほうで四、五名の男女の者が口々に──縛れとか、殺せとか──云いかわしているのが、曹操の耳へ、明らかに聞えてきた。
「さてこそ、われわれを、一室に閉じこめて、危害を加えんとする計にうたがいなし。──その分なれば、こっちから斬ッてかかれ」
と、陳宮へも、事の急を告げて、にわかにそこを飛び出し、驚く家族や召使い八名までを、またたく間にみな殺しに斬ってしまった。
そして、曹操が先に、
「いざ逃げん」と、促すと、どこかでまだ、異様な呻き声をあげて、ばたばた騒ぐものがある。
厨の外へ出て見ると、生きている猪が、脚を木に吊されて、啼いているのだった。
「ア、しまった!」
陳宮ははなはだ後悔した。
この家の家族たちは、猪を求めて来て、それを料理しようとしていたのだ──と、分ったからである。
曹操は、もう闇へ向って、急ごうとしていた。
「陳宮。はやく来い」
「はっ」
「何をくずぐずしているのだ」
「でも……。どうも、気持が悪くてなりません、慚愧にたえません」
「なんで」
「無意味な殺生をしたじゃありませんか。かわいそうに、八人の家族は、われわれの旅情をなぐさめるために、わざわざ猪を求めてきて、もてなそうとしていたんです」
「そんなことを悔いて、家の中へ、掌を合わせていたのか」
「せめて、念仏でも申して、科なき人たちを殺した罪を、詫びて行こうと思いまして」
「はははは。武人に似合わんことだ。してしまったものは是非もない。戦場に立てば何千何万の生霊を、一日で葬ることさえあるじゃないか。また、わが身だって、いつそうされるか知れないのだ」
曹操には、曹操の人生観があり、陳宮にはまた、陳宮の道徳観がある。
それは違うものであった。
けれど今は、一蓮托生の道づれである。議論していられない。
二人は、闇へ馳けた。
そして、林の中につないでおいた駒を解き、飛び乗るが早いか、二里あまりも逃げのびてきた。
──と、彼方から、驢に二箇の酒瓶を結びつけてくる者があった。近づき合うにつれて、ぷーんと芳熟した果実のよい匂いが感じられた。腕には、果物の籠も掛けているのだった。
「おや、お客人ではないか」
それは今、隣村から帰って来た呂伯奢であったのである。
曹操は、まずい所で会ったと思ったが、あわてて、
「やあ、ご主人か。実は、きょうの昼間、これへ来る途中で寄った茶店に、大事な品を忘れたので、急に思い出して、これから取りに行くところです」
「それなら、家の召使いをやればよいに」
「いやいや、馬でひと鞭当てれば、造作もありませんから」
「では、お早く行っておいでなさい。家の者に、猪を屠って、料理しておくようにいっておきましたし、酒もすてきな美酒をさがして、手に入れてきましたからね」
「は、は、すぐ戻ってきます」
曹操は、返辞もそこそこに、馬に鞭打って呂伯奢と別れた。
そして四、五町ほど来たが、急に馬を止め、
「君!」と、陳宮を呼びとめ、
「君はしばらく此処で待っていてくれないか」
と云い残し、何思ったか、再び道を引っ返して馳けて行った。
「どこへ行ったのだろう?」と、陳宮は、彼の心を解きかねて、怪しみながら待っていたところ、やがてのこと曹操はまた戻ってきて、いかにも心残りを除いて来たように、
「これでいい! さあ行こう。君、今のも殺って来たよ。一突きに刺し殺してきた」
と、いった。
「えっ。呂伯奢を?」
「うん」
「なんで、無益な殺生をした上にもまた、あんな善人を殺したのです」
「だって、彼が帰って、自分の妻子や雇人が、皆ごろしになったのを知れば、いくら善人でも、われわれを恨むだろう」
「それは是非もありますまい」
「県吏へ訴え出られたら、この曹操の一大事だ。背に腹はかえられん」
「でも、罪なき者を殺すのは、人道に反くではありませんか」
「否」
曹操は、詩でも吟じるように、大声でいった。
「我をして、天下の人に反かしむるとも、天下の人をして、我に反かしむるを休めよ──だ。さあ行こう。先へ急ごう!」
──怖るべき人だ。
曹操の一言を聞いて、陳宮はふかく彼の人となりを考え直した。そして心に懼れた。
この人も、天下の苦しみを救わんとする者ではない。真に世を憂えるのでもない。──天下を奪わんとする野望の士であった。
「……過った」
陳宮も、ここに至って、ひそかに悔いを噛まずにいられなかった。
男子の生涯を賭して、道づれとなったことを、早計だったと思い知った。
けれど。
すでにその道は踏み出してしまったのである。官を捨て、妻子を捨てて共に荊棘の道を覚悟の上で来てしまったのだ。
「悔いも及ばず……」と、彼は心を取りなおした。
夜がふけると、月が出た。深夜の月明りをたよりに、十里も走った。
そして、何処か知らぬ、古廟の荒れた門前で、駒を降りてひと休みした。
「陳宮」
「はい」
「君もひと寝入りせんか。夜明けまでには間がある。寝ておかないと、あしたの道にまた、疲労するからな」
「寝みましょう。けれど大事な馬を盗まれるといけませんから、どこか人目につかぬ木蔭につないで来ます」
「ムム。そうか。……ああしかし惜しいことをしたなあ」
「何ですか」
「呂伯奢を殺して戻ったくせにしてさ、おれとしたことが、彼がたずさえていた美酒と果実を奪ってくるのを、すっかり忘れていたよ。やはり幾らかあわてていたんだな」
「…………」
陳宮には、それに返辞する勇気もなかった。
馬を隠して、しばらくの後、またそこへ戻って来てみると、曹操は、古廟の軒下に、月の光を浴びていかにも快よげに熟睡していた。
「……なんという大胆不敵な人だろう」
陳宮は、その寝顔を、つくづくと見入りながら、憎みもしたり、感心もした。
憎むほうの心は、
(自分は、この人物を買いかぶった。この人こそ、真に憂国の大忠臣だと考えたのだ。ところがなんぞ計らん、狼虎にひとしい大野心家に過ぎない)
と、思い、また敬服するほうの半面では、
(──しかし、野心家であろうと姦雄であろうと、とにかく大胆さと、情熱と、おれを買いかぶらせた程の弁舌とは、非凡なものだ。やはり一方の英傑にちがいないなあ……)
と、ひとり心のうちで思うのであった。
そして、そう二つに観られる自分の心に質して、陳宮は、
「今ならば、睡っている間に、この曹操を刺し殺してしまうこともできるのだ。生かしておいたら、こういう姦雄は、後に必ず天下に禍いするだろう。……そうだ、天に代って、今刺してしまったほうがいい」と、考えた。
陳宮は、剣を抜いた。
寝顔をのぞかれているのも知らず、曹操はいびきをかいていた。その顔は実に端麗であった。陳宮は迷った。
「いや、待てよ」
寝込みを殺すのは、武人の本領でない。不義である。
それに、今のような乱世に、こういう一種の姦雄を地に生れさせたのも、天に意あってのことかも知れない。この人の天寿を、寝ている間に奪うことは、かえって天の意に反くかも知れない。
「ああ……。なにを今になって迷うか。おれはまた煩悩すぎる。月は煌々と冴えている、そうだ、月でも見ながらおれも寝よう」
思いとどまって、剣をそっと鞘にもどし、陳宮もやがて同じ廂の下に、丸くなって寝こんだ。
さて。──日も経て。
曹操はようやく父のいる郷土まで行き着いた。
そこは河南の陳留(開封の東南)と呼ぶ地方である。沃土は広く豊饒であった。南方の文化は北部の重厚とちがって進取的であり、人は敏活で機智の眼がするどく働いている。
「どうかして下さい」
曹操は、家に帰ると、事の次第をつぶさに告げて、幼児が母に菓子でもねだるような調子でせがんだ。
「──義兵の旗挙げをする決心です。誰がなんといっても、この決心はうごきません。そこで、父上にも、ひと肌ぬいでいただきたいんですが」と、いうのである。
父の曹嵩も、
「ウーム……。偉いことをしでかして来おったな」
と、呆れ顔に、呻いてばかりいたが、元来、幼少から兄弟中でいちばん可愛がっている曹操のことなので、
「どうかしてくれって、どうすればよいのじゃ」と、叱言も出なかった。
「軍費が要り用なんです」
「軍費といったら、わしの家のこればかしな財産では、いくらの兵も養えまいが」
「ですから、父上のお顔で、富豪を紹介して下さい。曹家は、財産こそないが、遠くは夏侯氏の流れを汲み、漢の丞相曹参の末流です。この名門の名を利用して、富豪から金を出させて下さい」
「じゃあ、衛弘に話してみるさ」
「衛弘って誰ですか」
「河南でも一、二を争う財産家だがね」
「じゃあ、父上が聘んで、一日、酒宴を設けてくれませんか」
「おまえのいうことは、なんでも簡単だな」
「大きな仕事を手軽にやってのけるのが、大事を成す秘訣ですよ」
父子は、日を定めて、衛弘をわが邸に招待した。
衛弘は、曹操をながめて、
「都へ行っていたと聞いていたが、いつのまにか、よい青年になったなあ」
などといった。
曹操は、彼を待遇するに、あらゆる慇懃を尽した。
そして、話のはずんできた頃、胸中の大事を打明けて、援助を依頼してみた。
もし嫌だといったら、生かしては帰さないという気を、胸にふくんでの真剣な膝づめ談判であったから、静かに頼むうちにも、曹操の眸は、刃のように研げていたに違いなかった。
ところが、衛弘は聞くとすぐ、
「よろしい。ご辺の忠義にめでて、ご援助しましょう。近ごろの天下の乱れを、わしも嘆いていたが、わしの器量にはないことだから、時勢の成行きを眺めていた折です。──いくらでも軍用金はご用立てしよう」と、承知してくれた。
曹操は、よろこんだ。
「えっ、ではお引きうけ下さるか。しからば、私は早速、兵を集めにかかるが」
「おやんなさい。けれど、敗れるような戦はすべきではありませんぞ。充分、勝算を握った上で、大挙なさるがよい」
「軍費のほうさえ心配なければ、どんなことでもできます。河南をわが義兵をもって埋めてごらんに入れるから見ていて下さい」
父の曹嵩には、幾つになっても、子は子供にしか見えなかった。曹操のあまりな豪語に、衛弘がすこし乗り過ぎているのじゃないかと、かえって側で心配したほどだが、それから後、曹操のやることを見ていると、いよいよ不敵をきわめていた。
まず彼は、近郷の壮丁を狩り集め、白い二旒の旗を作って、一旒には「義」と大書し、一旒には「忠」と大きく書いて、
「われこそ、朝廷から密詔をうけて、この地に降った者である」
と唱えだした。
今でこそ、地方の一郷士に落ちぶれているが、なんといっても、曹家は名門である。嫡子の曹操もまた出色の才人と、遠近に聞えている。
「密勅をうけて降ったものである──」
という曹操の声に、まず近村の壮丁や不遇な郷士が動かされた。
「陳宮、こんな雑兵じゃ仕方がないが、もっと有力な諸州の刺史、太守などが集まるだろうか」
時々、彼は陳宮へ計った。
陳宮は献策した。
「忠義を旗に書いて待っているだけでは駄目です。もっと憂国の至情を吐露なさい。鉄血、人を動かすものをぶっつけなさい」
「どうしたらいいか」
「檄を飛ばすことです」
「おまえ、書いてくれ」
「はい」
陳宮は、檄文を書いた。
彼は、心の底から国を憂えている真の志士である。その文は、読む者をして奮起せしめずにおかないものであった。
「──ああ名文だ。これを読めば、おれでも兵を引っさげて馳せ参ずるな」
曹操は感心して、すぐ檄を諸州諸郡へ飛ばした。
英雄もただ英雄たるばかりでは何もできない。覇業を成す者は、常に三つのものに恵まれているという。
天の時と、
地の利と、
人である。
まさに、曹操の檄は、時を得ていた。
日ならずして、彼の「忠」「義」の旗下には続々と英俊精猛が馳せ参じてきた。
「それがしは、衛国の生れ、楽進、字は文謙と申す者ですが、願わくば、逆賊董卓を、ともに討たんと存じ、麾下に馳せ参って候」
と、名乗ってくる者や、
「──自分らは沛国譙郡の人、夏侯惇、夏侯淵という兄弟の者ですが、手兵三千をつれてきました」
と、いう頼もしい者が現れてきたりした。
もっとも、その兄弟は、曹家がまだ譙郡にいた頃、曹家に養われて、養子となっていた者であるから、真っ先に馳せつけて来るのは当然であったが、そのほか毎日、軍簿に到着をしるす者は、枚挙にいとまがないくらいであった。
山陽鉅鹿の人で李典、字は曼成という者だの──徐州の刺史陶謙だの──西涼の太守馬騰だの、北平太守の公孫瓚だの──北海の太守孔融なんどという大物が、おのおの何千、何万騎という軍を引いて、呼応して来た。
彼の帷幕にはまた、曹仁、曹洪のふたりの兄弟も参じた。
一方、それらの兵に対して、曹操は、衛弘から充分の軍費をひき出して、武器糧食の充実にかかっていた。
「あのように、軍資金が豊富なところを見ると、彼の檄は、空文でない。ほんとに朝廷の密詔を賜わっているのかも知れん」
形勢を見ていた者までが、その隆々たる軍備の急速と大規模なのを見て、
「一日遅れては、一日の損がある──」といわんばかり、争って、東西から来り投じた。
(河南の地を兵で埋めてみせん)
と、いつか衛弘にいった言葉は、今や空なる豪語ではなくなったのである。
従って、富豪衛弘も、投財を惜しまなかった。いや、彼以外の富豪までが、みな乞わずして、
「どうか、つかってくれ」と、金穀を運んできた。
すでに曹操はもう、多くの将星を左右に侍らせ、三軍の幕中に泰然とかまえていて、そういう富豪の献物が取次がれて来ても、
「あ、さようか。持って来たものなら取っておいてやれ」
と、いうぐらいのもので、会ってやりもしなかった。
さきに都を落ちて、反董卓の態度を明らかにし、中央から惑星視されていた渤海の太守袁紹の手もとへも、曹操の檄がやがて届いてきた。
「曹操が旗をあげた。この檄に対して、なんと答えてやるか」
袁紹は、腹心をあつめて、さっそく評議を開いた。
彼の幕下には、壮気にみちた年頃の大将や、青年将校が多かった。
田豊。沮授。許収。顔良。
また──
審配。郭図。文醜。
などという錚々たる人材もあった。
「誰か、一応、その檄文を読みあげてはどうか」
とのことに、顔良が、
「しからば、てまえが」と、大きく読み出した。
檄
操等、謹ンデ、
大義ヲモッテ天下ニ告グ
董卓、天ヲ欺キ地ヲ晦マシ
君ヲ弑シ、国ヲ亡ボス
宮禁、為ニ壊乱
狠戻不仁、罪悪重積ス
今
天子ノ密詔ヲ捧ゲテ
義兵ヲ大集シ
群凶ヲ剿滅セントス
願ワクバ仁義ノ師ヲ携エ
来ッテ忠烈ノ盟陣ニ会シ
上、王室ヲ扶ケ
下、黎民ヲ救ワレヨ
檄文到ランノ日
ソレ速ヤカニ奉行サルベシ
「これこそ、我々が待っていた天の声である。地上の輿論である。太守、何を迷うことがありましょう。よろしく曹操と力を協すべき秋です」
幕将は、口を揃えていった。
「──だが」と、袁紹は、なお少し、ためらっている風だった。
「曹操が、密詔をうけるわけはないがなあ? ……」
「よいではありませんか。たとえ密詔をうけていても、いなくても。その為すことさえ、正しければ」
「それもそうだ」
袁紹も遂に肚をきめた。
評定の一決を見ると、さすがに名門の出であるし、多年の人望もあるので、兵三万余騎を立ちどころに備え、夜を日についで、河南の陳留へ馳せのぼった。
来てみると、その旺なのに袁紹も驚いた。軍簿の到着に筆をとりながら、重なる味方だけを拾ってみると、その陣容は大したものであった。
まず──
第一鎮として、後将軍南陽の太守袁術、字は公路を筆頭に、
第二鎮
冀州の刺史韓馥
第三鎮
予州の刺史孔伷
第四鎮
兗州の刺史劉岱
第五鎮
河内郡の太守王匡
第六鎮
陳留の太守張邈
第七鎮
東郡の太守喬瑁
そのほか、済北の相、鮑信、字は允誠とか、西涼の馬騰とか、北平の公孫瓚とか、宇内の名将猛士の名は雲の如くで、袁紹の兵は到着順とあって、第十七鎮に配せられた。
「自分も参加してよかった」
ここへ来て、その実状を見てから、袁紹も心からそう思った。時勢の急なるのに、今さら驚いたのである。
第一鎮から第十七鎮までの将軍はみな、一万以上の手兵を率いて各〻の本国から参集してきた一方の雄なのである。
その中にはまた、どんな豪強や英俊がひそんでいるかも知れなかった。
わけて、第十六鎮の部隊には、時を待っていた深淵の蛟龍がいた。
北平の太守で奮武将軍の公孫瓚がその十六鎮の軍であったが、檄に応じて、北平から一万五千余騎をひっさげて南下してくる途中、冀州の平原県(山東省・津滬線平原)のあたりまで来かかると、
「しばらくっ、しばらくっ!」
と、大声をあげて、公孫瓚の馬を止めた者がある。
「何者か?」と、旗本たちが振りかえると、かたわらの桑畑の中を二、三旒の黄なる旗がざわざわと翻りつつ、此方へ近づいてくるのが見える。
「や? 何処の武士どもか」と、疑っている間に、それへ現れた三騎の武人は、家来の雑兵約十名ばかりと共に公孫瓚の馬前にひざまずいて、
「将軍、願わくば、われわれ三名の者も、大義の軍に入れて引具し給え。不肖ながら犬馬の労を惜しまず、討賊の先陣に立って、尽忠の誠を、戦場の働きに見せ示さんと、これにてご通過を待ちうけていた者でござります」と、いった。
公孫瓚は、初めのうち、さてはこの辺の郷士かとながめていたが、そういう三名の中に、一名だけ、どこかで見覚えのある気がしたので、思いよりのまま試みに、
「もしや貴公は、劉備玄徳どのには非ざるか」
と、訊ねてみると、
「そうです。ご記憶でしたか、自分は劉玄徳です」
との答え。
「おう、さてはやはり──」と、驚いて、
「黄巾の乱後、洛陽の外門でちょっとお会いしたことがあるが、その後、ご辺にはいかなる官職につかれておらるるか」
「お恥かしいことですが、碌々として、何の功も出世もなく、この片田舎の県令をやっていました」
「それはひどい微職だな。貴公のような人物を、こんな片田舎に埋めておくなどとは、もったいないことだ。──してまた、お連れの二人はいかなる人物か」
「これは、自分の義弟たちです」
「ほ、ご令弟か」
「ひとりは関羽、また次にひかえておる者は、張飛と申しまする」
「官職は」
「関羽は馬弓手、張飛は歩弓手。──共にまだ役儀といっては、ほんの卒伍にしか過ぎません」
「いずれも頼もしげなる大丈夫を可惜、田野の卒として、朽ちさせておいたことよな。──よろしい、ご辺らも同じ志ならば、わが軍中に従って、共々お働きあるがよい」
「では、おゆるし下さるか」
「願うてもないことだ」
「必ず逆臣董卓を殺して、朝廟を清めます」
玄徳も、関羽も、恩を謝して誓った。そして再拝しながら起ちかけると、張飛は、
「だからおれがいわぬことじゃない」と、ぶつぶついった。
「彼奴が黄巾賊の討伐に南下していた頃、潁川の陣営で、おれが董卓を殺そうとしたのに、兄貴たちが止めたものだから、今日こんなことになってしまった。──あの折、おれに董卓を殺させてくれれば、今の乱は、起らなかったわけだ」
玄徳は、聞き咎めて、
「張飛。何を無用なたわ言をいっているか。早々、軍の後方につくがよい」
と、叱った。そして自身もわざと、中軍より後の列に加わり共に曹操の大計画に参加したのであった。
かくて──
曹操の計画は、今やまったく確立したといってよい。
布陣、作戦すべて成った。
会合の諸侯十八ヵ国。兵力数十万。第一鎮より第十七鎮まで備えならべた陣地は、二百余里につづくと称せられた。
吉日を卜して、曹操は、壇を築き、牛を斬り馬を屠って祭り、
「われらここに起つ!」
と、旗挙げの式を執り行った。
その式場で、諸将から、
「今、義兵を興し、逆賊を討たんとする。よろしく三軍の盟主を立て、総軍の首将といただいて、われら命をうくべし」と、いう発議が出た。
「然るべし」
「そうあるべしだ」と異口同音の希望に、
「では、誰をか、首将とするべきか?」
となると、人々はみな譲り合って、さすがに、われこそとあつかましく自己推薦をする者もない。
で結局、曹操が、
「袁紹はどうであろう」
と、指名した。
「袁紹は元来、漢の名将の後胤であるのみでなく、父祖四代にわたって、三公の重職に昇り、門下にはまた、四方に良い吏人が多い。その名望地位から見ても、袁紹こそ盟主として恥かしくない人物ではあるまいか」
彼のことばに、
「いや、自分は到底、その器ではない」
と袁紹は謙遜して、再三辞退したが、それは他の諸将に対する一片の儀礼である。遂に推されて、
「では」
と、型の如く承諾した。
次の日。
式場に三重の壇を築き、五方に旗を立てて、白旄、黄鉞、兵符、印綬などを捧持する諸将の整列する中を、袁紹は衣冠をととのえ、剣を佩いて壇にのぼり、
「赤誠の大盟ここになる。誓って、漢室の不幸をかえし、天下億民の塗炭を救わん。──不肖袁紹、衆望に推されて、指揮の大任をうく。皇天后土、祖宗の明霊よ、仰ぎねがわくば、これを鑒せよ」
香を焚いて、祭壇に、拝天の礼を行うと、諸将大兵みな涙をながし、
「時は来た」
「天下の黎明は来た」
「日ならずして、洛陽の逆軍を、必ず地上から一掃せん」
と、歯をくいしばり、腕を撫し、また、慷慨の気を新たにして、式終るや、万歳の声しばし止まず、ために、天雲も闢けるばかりであった。
袁紹はまた、諸将の礼をうけてから、
「われ今、菲才をもって、首将の座に推さる。かかる上は、功ある者は賞し、罪ある者は必ず罰せん。諸公、また部下に示すに、厳をもってのぞまれよ。つつしんで怠り給うなかれ」
と、命令の第一言を発した。
「万歳っ。万歳っ」と、雷のような声をもって、三軍はそれに応えた。
袁紹は、第二の命として、
「わが弟の袁術は、いささか経理の才がある。袁術をもって、今日より兵糧の奉行とし、諸将の陣に、兵站の輸送と潤沢を計らしめる」
それにも、人々は、支持の声を送った。
「──次いで、直ちに我軍は、北上の途にのぼるであろう。誰か先陣を承って、汜水関(河北省・汜水)の関門を攻めやぶる者はないか」
すると、声に応じて、
「われ赴かん」
と、旗指し物を上げて名乗った者がある。長沙の太守孫堅であった。
この暁。
洛陽の丞相府は、なんとなく、色めき立っていた。
次々と着いてくる早馬は、武衛門の楊柳に、何頭となくつながれて、心ありげに、いななきぬいていた。
「丞相、お目をさまして下さい」
李儒は、顔色をかえて、董卓の寝殿の境をたたいていた。
宿直の番士が、
「お目ざめになりました。いざ」と、帳を開いて、彼の入室をゆるした。
艶めかしい美姫と愛くるしい女童が、董卓にかしずいて、玉盤に洗顔の温水をたたえて捧げていたが、秘書の李儒がはいって来たのを見ると、目礼して、遠い化粧部屋へ退がって行った。
「なんだな、早朝から」
董卓は、脂肪ぶとりの肥大な体を、相かわらず重そうに揺るがして、榻へよった。
「大事が勃発しました」
「また、宮中にか?」
「いや、こんどは遠国ですが」
「草賊の乱か」
「ちがいます──かつてなかった叛軍の大がかりな旗挙げが起りました」
「どこに」
「陳留を中心として」
「では、主謀者は曹操か袁紹のやつだろう」
「さようです。たちまちのうちに、十八ヵ国の諸国をたぶらかし、われ密詔を受けたりと偽称して、幕営二百余里にわたる大軍を編制しました」
「そいつは捨ておけん」
「もとよりのことです」
「で──まだ詳報はこないか」
「昨夜、夜半から今暁にかけて、ひんぴんたるその早馬です。──すでに、敵は袁紹を総大将と仰ぎ、曹操を参謀とし、その第一手の先鋒を呉の孫堅がひきうけて、汜水関近くまで攻め上ってきた由にございます」
「孫堅。──ああ、長沙の太守だな。あれは戦は上手かな?」
「上手なはずです。なにしろ、兵法で有名な孫子の末孫ですから」
「孫子の末裔だと」
「はい、呉郡富春(浙江省・富陽市)の産で、孫、名は堅、字は文台と申し、南方ではなかなか名の売れている男です」
と、李儒は、かねて聞き及んでいる彼の人がらについて、こんな話をした。
それは、孫堅が十七歳の頃のことである。
孫堅は父に伴われて、銭塘地方へ旅行したことがある。当時、銭塘地方の港場は、海賊の横行が甚だしくて、その害をこうむる旅船や旅客は数知れないくらいだった。
ある夕べ、孫堅が父と共に、港を歩いていると、海岸で何十人という海賊どもが、海から荷揚げした財貨を山分けするので騒いでいた。
孫堅は、それを見かけると、わずか十七歳の少年のくせに、いきなり剣を抜いて、海賊の群れへ躍り入り、賊の頭目を真二つに斬って、
(我は、沿海の守護なり)
と叫んで、阿修羅のごとく、暴れまわった。
賊は驚いて、あらかた逃げてしまった。ために、山と積まれてあった盗難品の財宝は、後に、それぞれ被害者の手にかえった。その中には、銭塘の富豪が家宝とした宝石の匣などもあった。けれど孫堅は、一物も礼など受けなかった。
以来、彼の名は、弱冠から南方にひびいて、その人望は、抜くべからざるものになってきた──という話なのである。
「ふーム。そいつは相当な男だとみえる。しからばこちらからも、由々しい大物を大将として、討伐に向わせねばならんが……」
董卓もさすがに、慎重になって、
「はて、誰がよいか」と、思案していた。
すると、帳の蔭にあって、
「丞相丞相、それがしのあるを、なにとて忘れ給うか」と、不平そうにいう者があった。
「誰だ。帳の蔭でいう者は」
董卓が咎めると、
「呂布です」と、姿をあらわした。
呂布は、一礼して、
「何をお迷いなされますか。たかの知れた曹操や袁紹輩の企てなど片づけるに何の造作がありましょうや。こんな時、それがしをお用い下さらずして、何のために、赤兎馬を賜わったのですか」
と、むしろ責めるような語気で、なお云った。
「この呂布を、お差向けねがいます。芥の如き大軍をかき分けて、孫堅とやらを始め、曹操、袁紹など逆徒に加担の諸侯の首を、一々大地に梟けならべてご覧に入れん」
「いや、たのもしい」と、董卓も大いによろこんで、
「そちがおればこそ儂も枕を高くして、安臥しておられるのだ。決して、寝所の帳か番犬のように、忘れ果てていたわけじゃない」と、慰めた。
時すでに、丞相室の帳外には、変を聞いて馳けつけてきた諸将がつめあっていたが、
「呂布どの、待たれよ。鶏を裂くに、なんぞ牛刀を用うべき。敵の先鋒には、それがしまず味方の先鋒となって、ひと当り当て申さん」と、云いながら、はいってきた一将軍があった。
諸人、眸をあつめて、誰かと見るに、虎体狼腰、豹頭猿臂、まことに稀代な骨がらを備えた勇将とは見えた。
すなわち、関西の人、華雄将軍であった。
「おお、華雄か。いみじくも申したり。まず汝、汜水関へ下って、よく嶮を守り、わが洛陽を安んぜよ」
と、董卓は大いによろこんで、ただちに、印綬を彼にゆるし、与うるに五万の兵をもってした。
華雄は再拝して退き、李粛、胡軫、趙岑の三名を副将として選抜し、威風堂々と、その日に、汜水関へと進発して行った。
北軍到る!
北軍南下す!
飛報は早くも袁紹、曹操たちの革新軍へも聞え渡った。
先手を承った孫堅の陣はもちろん、
「来れや、敵」と、覚悟のまえの緊張を呈していた。
その後陣に、済北の鮑信が備えていたが、北軍南下の報らせを聞くと、弟の鮑忠をそっと呼んで、
「どうだ弟。おまえがひとつ、小勢をつれて間道を迂回し、汜水関の敵へ、奇襲をやってみんか」
「やりましょう」
「実は、長沙の孫堅が、いちはやく先手を承ってしまったので、このままにいれば、われわれは彼の名誉の後塵を拝するばかりだ。残念ではないか」
「私もそう思っていたところです」
「では、すぐ行け。首尾よく関内に突撃したら、火をつけろ。煙を合図に外からおれが大挙して攻めかけるから」
「心得ました」
鮑忠は、兄の鮑信としめし合わせ、夜のうちに五百騎ばかり引いて道なき山を越えて行った。
しかし、それはすぐ、敵の華雄の知るところとなってしまった。物見の小勢につり込まれて、深入りした鮑忠は、難なく取りかこまれて五百の兵と共に敵地で全滅の憂き目に会ってしまった。
その際。
華雄は、自身馬をすすめて、鮑忠を一刀のもとに斬り落し、
「幸先よし」
と、首を取って、その首を早馬で洛陽へ送った。
董卓からは、感状と剣一振りとが直ちに届けられてきた。
味方の鮑忠が、抜け馳けして、早くも敵に首級を捧げ、敵をよろこばせていたとは知らず、先手の将、孫堅は、
「いで、ひと押しに」
と、戦術の正法を行って、充分な備えをしてから、汜水関の正面へ攻めかけ、
「逆臣を扶くる匹夫。なんぞ早く降伏を乞わざるか。われは、革新の先鋒たり。時勢はすでに刻々と革まるを、汝ら、頑愚の眼にはまだ見えぬか」と、関城の下でどなった。
華雄はこれを聞いて、
「笑うべきたわ言をほざくやつだ」
と、自分の周囲を見まわして、
「誰か、孫堅が首を取って、この関城に、第一の功を誇ろうとする者はないか」と、いった。
副将の胡軫、声に応じて、
「それがしに命じ給え」と、名乗り出た。
「胡軫か、よかろう」
すなわち、華雄から五千の兵を分ち与えられて、胡軫は直ちに、関を下った。
だが、華雄はなお不安と見たか、さらにまた、自身一万の兵をひいて、関の側面から出て行った。
関下の激戦は、もう始まっていた。
孫堅は、槍を押っとり、
「出で来りし者は、胡軫と見えたり。いでや来れ」
寄せ合うと、胡軫も、
「なんの猪口才な」
と、矛を舞わし、悍馬の腹を上げて、躍りかかってきた。
すると、孫堅の旗本、程普は、
「この狼め。ご主君の手をわずらわすまでもない。くたばれッ」と、横あいから槍を投げた。
風を切って飛んだ投げ槍は、ぐざと、胡軫の喉を突きとおし、しかも胡軫のからだを馬の上からさらって、串刺しにしたまま大地へ突き立ってしまった。
北軍の華雄は、
「死なしたり」
と、地だんだ踏んだが、すでに胡軫の組五千は崩れ立った後なので、収拾もつかない。
「退けや、退けや」
と、汜水関へひとまず兵をおさめて、関の諸門を閉め、勢いに乗じて、間近に寄せてきた敵へ、石、大木、鉄弓、火弓など、雨のように浴びせかけた。
せっかく、敵の副将は討ち取ったが、そのため、孫堅は部下に多数の犠牲を出してしまった。
「かくては、益もなし」と、はやく機を察して、孫堅もまた、さっと見事な退陣ぶりを見せて、梁東という部落の辺まで、兵を引いてしまった。
そして、袁紹の本陣へ、その日の獲物たる胡軫の首を送り届けて、同時に、
「兵糧を送られたい」と、云ってやった。
ところが、本陣のうちに、孫堅へ恨みをふくむ者がいた。軍の総帥たる袁紹へささやいて、
「それは考えものですぞ」と讒言した。
「彼──孫堅という人間は、江東の虎です。彼を先手として、もし洛陽を陥しいれ、董卓を殺し得たとしても、それは狼をのぞいて、虎を迎えてしまうようなものです。あの功に焦心っている容子を見れば、およそ邪心が察せられます。──兵糧が乏しくなってきたのはよい折、この折を幸いに、兵糧を送らずにおいて、彼自身の兵が意気沮喪して、乱れ散るのを待つのがいいです。それが賢明というものです」
袁紹は、そう聞くと、
「実にも道理」
と、その説を容れ、とうとう兵糧を送らなかった。諸州十八ヵ国から集まってきた将軍同志の胸には味方とはいえ、おのおの虎視眈々たるものや、異心があったのは、是非もないことである。
汜水関のほうからは、たえず隠密を放って、寄手の動静をさぐらせていたが、その細作の一名が、副将の李粛へ、ある時こういう報告をしてきた。
「どうもこの頃、孫堅の陣には、元気が見えません。おかしいのは兵站部から炊煙がのぼらないことです。まさか、喰わずに戦っているわけでもないでしょうが」
李粛は、それを聞きおいて、次の日、べつな方面から、また二名の細作を呼び寄せて質した。
「近頃、寄手の後方に変りはないか」
「敵の糧道はどうだ」
「ここ一ヵ月半ばかり、糧車は通ったことはありません」
李粛はうなずいて、もう一名の細作へ向い、
「敵の馬は、よく肥えているか」
「このごろ妙に痩せてきたように見られます」
「敵の兵隊は、どんな歌を謡うか」
「慕郷の歌をよく謡っています」
「よろしい」
細作たちを退けると、李粛はすぐに、大将華雄に会って、一策を献じた。
「寄手の孫堅を生擒ってしまう時がきました。こよい手前は、一軍をひいて間道から敵の後ろへまわり、不意に夜討ちをかけますから、将軍は火光を合図に関門をひらき、正面から一挙に押し出してください」
「成功の見込みがあるかね」
「ありますとも。てまえが探り得たところでは、孫堅はなにか疑われて、後方の味方から兵糧の輸送を絶たれているようです。そのため兵気はみだれ、戦意は昂らず、ここ内紛を醸しておるようです。──今こそ、孫堅の首は、手に唾して奪るべしです」
「そうか。──今夜は月明だな」
「絶好な機ではありませんか」
「よし、やろう」
秘策は、夕方までに一決した。
その夜、李粛は、一軍の奇兵をひいて、月明りをたよりに、間道をすすみ、梁東の部落を本拠に布陣している寄手の背後へまわって、突如、喊の声をあげた。
「わあッ──、わあッ」
闇にまぎれて、孫堅の幕中へ突き入り、諸所へ火を放ち、弓の弦を切って迫った。
梁東の空に、赤い火光を見ると、かねての手筈である、華雄は、汜水関の大扉を、八文字にひらかせて、
「それっ、孫堅を生擒りにしてこの門へ迎え捕れ」
と、ばかり万軍の中に馬を駆って、あたかも峡谷を湧きでる山雲のように、関下へ向って殺到した。
なんでたまろう。梁東の寄手は、たちまち駆けみだされた。
「退くな」
「あわてるな」
と、孫堅の旗本は、善戦して部下を励ましたが、その兵は、甚だしく弱かった。
一ヵ月も前から、なぜか、味方の後方から兵糧の輸送が絶えていたため、彼らは不平に燃え、軍紀は行われず、兵も痩せ、馬も痩せていたからである。
「無念」
と、思ったが孫堅も、ほどこす術がなかった。
旗本の程普とか黄蓋などとも駈け隔てられてしまい、祖茂という家来一人をつれたのみで、遂に、みじめな敗戦の陣地から、馬に鞭打って逃げ走った。
それと見るや、敵将の華雄は、飛ぶが如く馬を打って、
「孫堅、卑怯なり、返せっ」
と呼ばわった。
「何を」
孫堅は、振向いて馬上から、弓をもってそれに酬いた。二すじまで射たが、弓はみな反れた。焦心りながら、第三矢をつがえたが、あまり強く引いたので、弓は二つに折れてしまった。
「しまったッ──」
折れた弓を投げ捨てて、孫堅また駒をめぐらし、林の中へと逃げ入った。
「ご主君、ご主君」
祖茂は、馳けつづいて来ながら、孫堅にいった。
「──盔をお脱りなさい。あなたの朱金の盔は、燦として、あまりに赤いから眼につきます。敵の目印になります」
「や、そうか」
道理で、ひどく追い矢が集まると思い当ったので、孫堅は頭にかぶっていた「幘」という朱金襴の盔を手ばやく脱いで、焼け残りの民家の軒柱へそれをかけ、あわてて附近の密林へかくれこんでいた。
見ていると、──案のじょう、その盔へ雨霰のように、敵の矢が飛んできた。
だが、いくら射ても、射ても盔は燦爛として、位置も変らないので、射手の兵は怪しみだし、やがて近づいてきて、
「や、孫堅はいない」
「盔ばかりだ」と、立騒いでいた。
林の上に、月は煌として冴えていた。白影黒影、さながら魚群の泳ぐように、孫堅の行方をさがし求めている。
その中に、華雄の姿もあった。
孫堅の臣、祖茂は、木かげに潜っていたが、それを見るとむらむらとして、
「うぬっ、董賊の股肱めッ」と、槍をしごいて、突かんとした。
眼ばやく、ちらと、こちらへ眸をうごかした華雄は、
「敗残の匹夫、そこにいたかッ」
と、雷喝した声は、まるで大樹も裂くばかりで、刃鳴一閃のもとに祖茂の首は飛んでしまった。
青い血けむりを後に、
「誰か、今の首を拾って来い」
と、兵に云い捨てて華雄は悠々とほかへ駒を向けて立去った。
「……ああ、危なかった」
後に。──孫堅はほっと辺りを見まわしていた。首のない祖茂の胴体がほうりだされてあるすぐ近くの灌木の茂みの中に、孫堅も息をこらして潜んでいたのである。
「……祖茂よ、ああ惨だ」
孫堅は落涙した。祖茂が日ごろの忠勤を思い出して、胸が痛んだ。
さはいえ、敵の重囲のなかだ。孫堅は気を取り直して、血路を思案した。矢傷の苦痛もわすれて二里ばかり歩いた。
やがて、逃げのびてきた味方を集めたが、それは全軍の十分の一にも足らない数だった。ほとんど、全滅的な敗北を遂げたのである。
悲痛なる夜は明けた。
敗れた者の傷魂のように、その晩、残月のみが白かった。
「先鋒の味方は全滅したぞ」
「敵の大軍は、勝ちに乗って刻々迫って来つつある──」
後方の本陣は大動揺を起した。
総帥の袁紹、唯幕の曹操、みな色を変えた。
前には。
鮑将軍の弟の鮑忠が、抜けがけをして、かなりの味方を損じたという不利な報告があったし、今また、先鋒の孫堅が、木ッ端微塵な大敗をこうむったという知らせに、幕営の諸将も、全軍の兵気も、
「いかがすべき?」と、いわんばかり、すっかり意気沮喪の態であった。
それか、あらぬか。
袁紹、曹操を始めとして、十七鎮の諸侯は、その日、本営の一堂に会して、頽勢挽回の大作戦会議をこらしていた。けれど、敵軍の旺なことや、敵将華雄の万夫不当の勇名に圧しられてか、なんとなく会も萎縮していた。
総帥の袁紹も、はなはだ冴えない顔をしていたが、ふと座中の公孫瓚のうしろに立って、ニヤニヤ笑みをふくんでいる者が眼についたので、
「公孫瓚、貴公のうしろに侍立している人間は誰だ。いったい何者だ」
と、質した。──不愉快な! といわんばかりな語気をもってである。
袁紹に訊ねられて、公孫瓚は、自分のうしろをちょっと振向いて、
「あ、この者ですか」と、それを機に一堂の諸将軍へも、改めて紹介した。
「これは涿県楼桑村の生れで、それがしとは幼少からの朋友です。劉備字は玄徳といって、つい先頃までは、平原県の令を勤めていた者です。──どうかよろしく」
曹操は、眼をみはって、
「オオ、ではかつて、黄巾の乱の折、広宗の野や潁川地方にあって、武名を鳴らした無名の義軍を率いていた人か」
「そうです」
「道理で──どこかで見たことがあるような気がしていたが。……そうそう潁川の合戦で、賊を曠野につつんで焼打ちした時、陣頭でちょっと会釈を交わしたことがある。だいぶ前になるので、とんと見忘れていた」
袁紹も、初めて疑いを解いて、ぶしつけな質問をした不礼を詫び、
「楼桑村に名族の子孫ありとはかねがね耳にしていた。その玄徳どのとあれば、漢室の宗親である。誰か、席を与え給え」と、いった。
一将軍が、座を譲って、
「おかけなさい」と、すすめると、玄徳は初めて口をひらいて、
「いやいや、私は、将軍方とは比較にならない小県の令です。身分がちがいます。どうして諸公と並んで席に着けましょう。これで結構です」
と、かたく辞退し、そのまま公孫瓚のうしろに侍立していた。
袁紹はかぶりを振って、
「ご遠慮には及ぶまい。なにもご辺の公職に席を上げようといったのではなく、ご辺の祖先は前漢の帝系であり、国のため功績もあったことだから、それに対して敬意を払ったわけだ。遠慮なく席に着かれるがよい」
公孫瓚も、共にいった。
「折角のご好意だから、頂戴したがよかろう」
諸将軍も、またすすめるので、
「──では」
と玄徳は、堂上の一同へ、拝謝をした上、初めて一つの席を貰った。
で、関羽と張飛のふたりは、歩を移して、改めて玄徳の背後に屹と侍立していた。
──時しも。
暁天に始まって、すでに半日の余にわたる大戦は、いよいよたけなわであった。
先頃からの勝ちに誇って、
「十八ヵ国十七鎮の大兵と誇称するも、反逆軍は烏合の勢とみえたり。何ほどのこともないぞ」
と、甘く見た華雄軍は、その擁する洛陽の精兵を挙げて、孫堅の一陣を踏みちらし、勢いに乗って汜水関の守りを出たものであった。そしてすでに数十里を風が木の葉を捲くごとく殺到し、鼓は雲にひびき、鬨の声は、山川をゆるがし、早くも、ここ革新軍の首脳部たる本陣の間近まで迫って来たらしくある。
「味方の二陣は、ついに、突破されました」
「三陣も!」
「残念。中軍もかき乱され、危うく見えます」
刻々の敗報である。
そして、敵の華雄軍は、長い竿の先に孫堅の朱い盔をさしあげ、罵詈悪口をついて、大河の如くこれへ襲せてくる──という伝令のことばだった。
ひきもきらぬ伝令が、みな味方の危機を告げるばかりなので総大将袁紹をはじめ、満堂の諸将軍もさすがに色を失って、
「いかがせん!」と、浮腰になった。
曹操は、さすがに、
「狼狽してもしかたがない。こんな時は、よけい胆気をすえるに限る」
と、侍立の部下をかえりみて、
「酒を持ってこい」と、命じた。
「はっ」
酒杯は、各将軍の卓にも、一ツずつ置かれた。曹操は、杯をもつと、ぐびぐび飲んでいた。
わあっッ……
うわあっ
百雷の鳴るような鬨の声だ。大地が、ぐわうぐわうと地鳴りしている。
また、血まみれの斥候が一名、堂の階下へ来て、
「だっ、だめですっ」
絶叫してこときれてしまった。
すぐまた、次の二、三騎が、
「味方の中軍は、敵の鉄兵に蹂躙され、ために、四散して、もはやここの備えも、手薄となりました」
「本陣を、至急、ほかへ移さぬと危ないと思われます。包囲されます」
「あれあれ、あの辺りに、もはや敵の先駆が──」
告げ来り、告げ去り、もはやここの本陣も、さながら暴風の中心に立つ一木の如く、枝々みな震い樹葉みなふるえた。
「つげ」
曹操は、部下に酒をつがせ、なお腰をすえていたが、酔うほどに蒼白となった。
「包囲されては」と、早くも、本陣の退却を、ひそひそ議する者さえある。
酒どころか、諸将軍の顔の半分以上は、土気色だった。
万丈の黄塵は天をおおい、山川草木みな血に嘯く。
──時に、突如席を立って、
「云いがいなき味方かな。このうえは、それがしが参って、敵勢をけちらし、味方の頽勢を一気にもり返してお目にかけん」
と、咆ゆるが如くいって、はや剣を鳴らした者がある。
袁紹将軍の寵将で、武勇の誉れ高い兪渉という大将であった。
「行け」
袁紹は、壮なりとして、彼に杯を与えた。
兪渉は、ひと息に飲んで、
「いでや」とばかり、兵を引いて、敵軍のまっただ中へ駆け入ったが、またたく間に、彼の手兵は敗走して来て、
「兪渉将軍は、乱軍の中に、敵将華雄と出会って、戦うこと、六、七合、たちまち彼の刀下に斬って落された」
とのことに、満堂の諸侯は、驚いていよいよ肌に粟を覚えた。
すると、太守韓馥が、
「さわぎ給うな。われに一人の勇将あり。いまだかつて、百戦におくれをとったことを知らない潘鳳という者である。彼なれば、たやすく華雄を打取ってくるにちがいありません」
袁紹は、よろこんで、
「どこにおるか、その者は」
「たぶん、後陣の右翼におりましょう」
「すぐこれへ呼べ」
「はっ」
潘鳳は、召しに応じて手に大きな火焔斧をひっさげ、黒馬をおどらして、本陣の階下へ馳けて来た。
「いかさま、頼もしげなる豪傑だ。すぐ馳け入って、敵の華雄を打取ってこい」
袁紹の命に潘鳳はかしこまって、直ちに乱軍の中へはいって行ったが、間もなく潘鳳もまた、華雄のために討ち取られ、その首は、敵の凱歌の中に、手玉にとられて、敵を歓ばしめているという報らせに、満堂ふたたび興をさまし、戦意も失ってしまったかに見えた。
袁紹は、股を打って嘆声を発した。
「ああ、惜しいかな。こんなことになるならば、わが臣下の、顔良と文醜の二大将をつれて来るのだったに」
席を立って、地だんだを踏んだり、また席に返って、嗟嘆をつづけた。
「その顔良、文醜の両名は、後詰めの人数を催すために、わざと、国もとへのこして来てしまったが、もしそのうちの一人でもここにいたら敵の華雄を打つことは、手のうちにあったものを! ……」
と、一座は黙然。
袁紹の叱咤ばかり高かった。
「ここには、国々の諸侯もかくおりながら、その臣下に、華雄を討つほどの大将一人持っていないとあっては、天下のあざけりではあるまいか。後代までの恥辱ではあるまいか」
とはいえ、総帥の彼自身が、すでに及ばぬ悔いばかり呶鳴って、焦躁に駆られているので、満座の諸侯とて言葉もなく、皆さしうつ向いているばかりだった。
すると、その沈痛を破って、
「ここに人なしとは誰かいう。それがし願わくば、命ぜられん。またたく間に、華雄が首をとって、諸侯の台下に献じ奉らん」と、叫んだ者があった。
諸人、驚いて、
「誰か」
と、階下を見ると、その人、身の丈は長幹の松の如く、髯の長さ剣把に到り、臥蚕の眉、丹鳳の眼、さながら天来の戦鬼が、忽として地に降りたかと疑われた。
「彼は、何者か。いったい誰の手に属している大将か」
袁紹が訊ねると、公孫瓚、それに答えて、
「されば、ここにおる玄徳の弟で、関羽という者です」
「ほ。玄徳の弟か。して、いかなる官職にあった者か」
「玄徳の部下として、馬弓手をやっていたそうです」
聞くなり袁紹は非常に怒って関羽を見下し、
「ひかえろ、汝、足軽の分際でありながら、諸侯の前もはばからず、人もなげなる広言。この忙しない軍中にいけ邪魔な狂人めが、──やおれ部下どもこの見ぐるしい曲者を、眼のまえから追いのけろっ」
と大喝して叱った。
すると、曹操が諫めて、
「待ち給え。味方同士、怒り合っている場合でない。この人物も、かく諸侯列座のまえで、大言をはくからには、よもいたずらのたわ言とは思えん。試みに、駆け向わせてみたら如何でしょう。もし敗れて逃げ帰って来たら、その上で罰をただし給え」
「いや、曹操の仰せも、一理あるが如しとはいえ、足軽者の馬弓手などを出して駆け向わせたら、敵の華雄に笑われて、よい土産ばなしと、洛陽までもいい伝えられようが」
「笑わば笑え。曹操が見るところでは、この男、一馬弓手とはいえ、世の常ならぬ面だましいを備えおる。──はや敵も間近、時おくれては、この本陣も蹂躙されん。是非の軍法は後にして執り行えばよし。──関羽。関羽。この酒をひと息のんで、すぐ駆け向え。はや戦え」
曹操が、酒をついで与えると、関羽は、杯を眺めただけで、再拝しながら、
「ありがたい御意ですが、そこにお預かりおき下さい。ひと走り行って、華雄の首を引ッさげ帰り、お後で頂戴いたしますから」
と、八十二斤と称する大青龍刀を横ざまに擁し、そこにあった一頭の馬をひきよせ、ぱっと腰を鞍上へ移すや否、漆黒の髯は面から二つに分かれて風を起し、たちまち戦塵のなかへ姿を没してしまった。
関羽の揮う青龍刀の向うところ、万丈の血けむりと、碧血の虹が走った。
はるかに、味方の陣を捨て、むらがる敵軍の中へ馳け入るなり、
「華雄やある。敵将華雄はいずれにあるぞ。わが雄姿に恐れをなして潜んだるか。出合えっ」
と、呼ばわった。猛虎が羊の群れを追うように、数万の敵は浪打って散った。
喊の声は、天地をつつみ、鼓声はみだれ、山川もうごくかと思われた。
此方──敗色にみなぎっていた味方の本陣では、彼の働きに、一縷ののぞみをかけて、
「戦況いかに?」
と、袁紹、曹操をはじめ、国々の諸侯みな総立ちとなって、帷幕のうちから、戦いの空を見まもっていた。
すると、やがて。
敵も味方も、鳴りを忘れて、ひそとなった一瞬──まるで血の池を渡って来たような黒馬にまたがって、関羽は静々と、数万の敵兵をしり目に、袁紹、曹操たちの眼のまえに帰ってきた。
ひらと、駒を降りるや、
「いざ、諸侯のご実検に」
と、階を上がって、中央の卓の上に、まだ生々しい一個の首級を置いた。
それは、敵の大将、華雄の首であったから、満堂の諸侯も、階下の兵も、われをわすれて、
「おお、華雄だ」
「華雄の首を打った」
と、期せずして、万歳をさけぶと、その動揺めきに和して、味方の全軍も、いちどに勝鬨をあげた。
関羽は、数歩すすんで、曹操の前に立ち、血まみれな手のまま、先に預けておいた酒杯を取りあげて、
「──では、このご酒を、頂戴いたします」
と、胸を張って、ひと息に飲みほした。
酒は、まだあたたかだった。
曹操は、彼の労を多として、
「見事だ。もう一献、ついでやろう」
と、手ずから瓶を持つと、
「いや、ひとりそれがしの誉れとしては済みません。どうか、その一献は、全軍のために挙げて下さい」
「そうか。いかにも。──では万歳を三唱しよう」
酒杯を持って、曹操が起立すると、ふたたび破れんばかりな勝鬨の嵐が起った。
すると、玄徳のうしろから、
「あいや、勝利に酔うのはまだ早い。義兄関羽が、華雄を斬ち取ったからには、此方とても、ひと手柄してみせる。この機をはずさず、全軍をすすめ給え。此方、先鋒に立ってまたたくまに洛陽へ攻め入り、董相国を生擒って、諸侯の階下にひきすえてお見せ申さん」と、誰か叫んだ。
人々が、振向いてみると、それは一丈八尺の蛇矛を突っ立てて玄徳のそばに付いていた張飛であった。
袁紹の弟、袁術は、にがにがしげに見やって、
「いらざる雑言を申すな。諸侯高官、国々の名将も、各〻、謙譲の口をとじて、さし控えておるに、汝、一県令の部下として、身のほどをわきまえんか。僭上なやつだ。だまれっ」
と、叱った。
曹操が、なだめると、袁術はなおつむじを曲げて、
「かような軽輩を用いて、吾々と同視するなら、自分は自分の兵をまとめて、本国へ帰る」
と、憤然としていった。
むずかしくなりそうなので、曹操は、公孫瓚に告げて、玄徳、関羽、張飛の三人を、席から退かした。
そして、夜になってから玄徳のところへ、ひそかに酒肴を贈って、悪く思わないようにと、三名の心事を慰めた。
──華雄討たれたり
──華雄軍崩れたり
敗報の早馬は、洛陽をおどろかせた。李粛は、仰天して、董相国に急を告げた。董卓も、色を失っていた。
「味方は、どう崩れたのだ」
「汜水関に逃げ帰っています」
「関を出るなと命じろ」
「取りあえず、援軍の行くまで、そうしておれと命令しておきました」
「どうして、あの華雄ほどな勇将が、むざむざ討たれたのだろう」
「なんといっても、袁紹には、地方的な勢力も徳望もありますから」
「袁紹の叔父、袁隗は、まだ洛陽の府内にいたな」
「太傅の官にあります」
「物騒千万だ。この上、もし内応でもされたら、洛陽はたちまち壊乱する」
「てまえも案じていますが」
「由々しいものを見のがしておった。すぐ除いてしまえ」
太傅袁隗のやしきへ、すぐ丞相府の兵千余騎が向けられた。
表裏から火を放って、逃げだしてくる男女の召使いも武士も、みな殺しにしてしまった。もちろん、袁隗も逃がさなかった。
即日、二十万の大兵は、洛陽を発した。
その一手は、李傕、郭汜の二大将に引率され五万余騎、汜水関の救護に向った。
また、別の一手は。
これは十五万と算えられ、董卓自身が率いて、虎牢関の固めにおもむいたのである。
董卓を守る旗本の諸将には、李儒、呂布をはじめとして、張済、樊稠などという錚々たる人々がいた。虎牢関の関は、洛陽をへだたること南へ五十余里、ここの天嶮に、十万の兵を鎮すれば、天下の諸侯は通路を失うといわれる要害だった。
董卓は、そこに本陣を定めると、股肱の呂布をよんで、
「そちは関外に陣取れ」
と、三万の精兵を授けた。
この要害に、董卓自ら守りに当って、十二万の兵を鎮し、さらに三万の精兵を前衛に立てて、万夫不当といわれる呂布をその先手に置いたのであるから、まさに金城鉄壁の文字どおりな偉観であった。
かく、十州の通路を断たれて、諸侯が各〻その本国との連絡を脅かされてきたので、寄手の陣には、動揺の兆しがあらわれた。
「由々しいこととなった。今のうちに、謀を議して、方針を示しておこう」
袁紹は、曹操へ耳打ちした。
曹操も、同感であるとて、さっそく評議をひらき、軍の方針を明らかにした。
敵が、二手となって、南下して来たので、当然、こちらの兵力も二手とした。
で、一部を汜水関に残し、あとの軍勢は挙げて、虎牢関に向うこととなった。総兵力は八ヵ国といわれ、その八諸侯は、王匡、鮑信、喬瑁、袁遺、孔融、張楊、陶謙、公孫瓚などであった。
曹操は、遊軍として臨んだ。味方の崩れや弱みを見たら、随意に、そこへ加勢すべく、遊兵の一陣を擁して、控えていた。
「……来たな」と、北軍の呂布は、例の名馬赤兎にまたがり、虎牢関の前衛軍のうちから、悠々、寄手の備えをながめていた。
呂布、その日のいでたちは。
朱地錦の百花戦袍を着たうえに、連環の鎧を着かさね、髪は三叉に束ね、紫金冠をいただき、獅子皮の帯に弓箭をかけ、手に大きな方天戟をひっさげて、赤兎馬も小さく見えるばかり踏みまたがった容子は──寄手の大軍を圧して、
「あれこそ、呂布か」と、眼をみはらせるばかりだった。
そのうちに寄手の陣頭から、河内の太守王匡、その部下の猛将方悦と共に、
「呂布を討って取れ」
と、呼ばわりながら、河内の強兵をすぐって、呂布の軍へ迫った。
敵が打鳴らす鼓の轟きを耳にしながら、
「動くな。近づけろ」
呂布は、味方を制しながら、落着き払っていたが、やがて敵味方、百歩の間に近づいたと見るや、
「それっ、みな殺しにしてしまえ」
と号令一下、呂布自身も、またがれる赤兎馬に鉄鞭一打ちくれて、むらがる河内兵の中へ突入して行った。
「わッしょっ」
呂布の懸け声だ。
画桿の方天戟を、馬上から右に左に。
「えおオッ! ……」
と振るたびに、敵兵の首、手足、胴など血けむりといっしょに、吹き飛んでゆくかと見えた。
「やあ、口ほどもないぞ、寄手の奴輩、呂布これにあり。呂布に当らんとする者はないのか」
傲語を放ちながら、縦横無尽な疾駆ぶりであった。
無人の境を行くが如しとは、まさに、彼の姿だった。何百という雑兵が波を打ってその前をさえぎっても、鎧袖一触にも値しないのである。
馬は無双の名馬赤兎。その迅さ、強靱さ、逞しさ。赤兎の蹄に踏みつぶされる兵だけでも、何十か何百か知れなかった。
洛陽童子でも、それは唄にまで謡っている──
牧場に駒は多けれど
馬中の一は
赤兎馬よ
洛陽人は多けれど
勇士の一は
呂布奉先
従って、かねて聞く五原郡の呂布を討ち取った者こそ、こんどの大戦第一の勲功となろうとは──寄手もひとしく思い目がけているところだった。
河内の猛将方悦は、
「われこそ」
と、呂布へ槍を突っかけたが、二、三合とも戦わぬうちに、呂布の方天戟の下に、馬もろとも、斬り下げられた。
太守王匡は、またなき愛臣を討たれて、
「おのれ、匹夫」
と、みずから半月槍を揮って、呂布へ駒を寄せ合わせたが、「太守危うし」と、加勢にむらがる味方がばたばたと左右に噴血をまいて討死するのを見て、色を失い、あわてて駒を引返した。
「王匡、恥を忘れたな」
呂布がうしろから笑った。しかし、王匡の耳には入らなかった。
もっともその時。味方の危機と見て、喬瑁軍と袁遺軍の二手の勢が、呂布の兵を両翼から押し狭めて、
うわッっ……
うわあ……っッ
と、鼓を鳴らし、矢を射、砂煙をあげて、牽制して来たのだった。
赤兎馬は、怯まない。たちまち、その一方に没したかと見ると、そこを蹂躙しつくして、またたちまち一方の敵を蹴ちらすという奮戦ぶりだった。
上党の太守張楊の旗下に、穆順という聞えた名槍家があった。その穆順の槍も、呂布と戦っては、苦もなく真二つにされてしまった。
北海の太守孔融の身内で、武安国という大力者があったが、それも、呂布の前に立つと、嬰児のように扱われ、重さ五十斤という鉄の槌も、いたずらに空を打つのみで、片腕を斬り落され、ほうほうの態で味方のうちへ逃げこんでしまった。
呂布にはもう敵がなかった。
無敵な彼のすがたは、ちょうど万朶の雲を蹴ちらす日輪のようだった。
彼の行くところ八州の勇猛も顔色なく、彼が馳駆するところ八鎮の太守も駒をめぐらして逃げまどった。
袁紹も、策を失って、「どうしたものか」と、曹操へ計った。
曹操も腕をこまぬいて、
「呂布のごとき武勇は、何百年にひとり出るか出ないかといってもよい人中の鬼神だ。おそらく尋常に戦っては、天下に当る者はあるまい。──この上は、十八ヵ国の諸侯を一手として、遠巻きに攻め縮め、彼の疲れを待って、一斉に打ちかかり、生擒りにでもするしか策はありますまい」
「自分もそう思う」
と、袁紹はすぐ軍令を認めて、汜水関の方面に抑えとしてある十ヵ国の諸侯へ向け、にわかに、伝令の騎士を矢つぎ早に発した。
すると。
その伝令が十騎と出ない間に、
「呂布だっ」
「呂布来る」
と、耳を突き抜くような声がしはじめた。
さながら怒濤に押されて来る芥のように、味方の軍勢が、どっと、味方の本陣へ逃げくずれて来た。
「すわ」
とばかり袁紹のまわりには、旗本の面々が、鉄桶の如く集まって、これを守り固めるやら、
「退くなッ」と、督戦するやら、
「かかれ、かかれっ」
「呂布、何者」
「総がかりして討取れ」
などと、口々には励ましたが、誰あって、生命を捨てに出る者はない。ただ陣中は混乱をきわめ、阿鼻叫喚、奔馬狼兵、ただ濛々の悽気が渦まくばかりであった。
その間に、
「呂布なり、呂布なり。──曹操に会おう。敵将袁紹に見参せん。──曹操は何処にありや」
と、明らかに、呂布の声が聞えたが、袁紹はいち早く雑兵の群れへまぎれこんでいたので、遂に彼の眼に止まらず、呂布の赤兎馬は、暴風のごとく、陣の一角を突破して、さらに、次の敵陣を蹴ちらしにかかった。
それこそは、劉備玄徳の従軍していた公孫瓚の陣地だったのである。
呂布は、直ちに、林立する幡旗を目がけて、
「公孫瓚、出合えっ」
と、猪突して行った。
数十旒の営旗は、風に伏す草の如く、たちまち、赤兎馬に蹴ちらされて、戟は飛び、槍は折れ、鉄弓も鉄鎚も、まるで用をなさなかった。
「おのれ、よくも」
公孫瓚は、歯がみをして、秘蔵の戟を舞わし、近づいて戦わんとしたが、
「いたかっ」
と、赤兎馬を向けて、驀進してくる呂布の眼光を見ると、胆を冷やして、ひと支えもなし得ず、逃げ走ってしまった。
「口ほどにもない奴、その首を置いてゆけ」
千里を走るという駒の蹄から砂塵をあげて追いかけにかかると、その時、横合いから突として、
「待てっ、呂布。燕人張飛ここにあり。その首から先に貰った」
と、一丈余りの蛇矛を舞わして、りゅうりゅうと打ってかかった男があった。
「何ッ」
呂布は、赤兎馬を止めて、きっと振返った。
見れば、威風すさまじき一個の丈夫だ。虎髯を逆立て、牡丹の如き口を開け、丈八の大矛を真横に抱えて、近づきざま打ってかかろうとして来る容子。──いかにも凜々たるものであったが、その鉄甲や馬装を見れば、甚だ貧弱で、敵の一歩弓手にすぎないと思われたから、
「下郎っ。退がれッ」
と、呂布はただ大喝を一つ与えたのみで、相手に取るに足らん──とばかりそのまままた進みかけた。
張飛は、その前へ迫って、駒を躍らせ、
「呂布。走るを止めよ。──劉備玄徳のもとに、かくいう張飛のあることを知らないか」
早くも、彼の大矛は、横薙ぎに赤兎馬のたてがみをさっとかすめた。
呂布は、眦をあげて、
「この足軽め」
方天戟をふりかぶって、真二つと迫ったが、張飛はすばやく、鞍横へ馳け迫って、
「おうっッ」
吠え合わせながら、矛に風を巻いて、りゅうりゅう斬ってかかる。
意外に手ごわい。
「こいつ莫迦にできぬぞ」
呂布は、真剣になった。もとより張飛も必死である。
貧しい郷軍を興して、無位無官をさげすまれながら、流戦幾年、そのあげくはまた僻地に埋もれて、髀肉を嘆じていたこと実に久しかった彼である。
今、天下の諸侯と大兵が、こぞって集まっているこの晴れの戦場で、天下の雄と鳴り響いた呂布を相手にまわしたことは、張飛としてけだし千載の一遇といおうか、優曇華の花といおうか、なにしろ志を立てて以来初めて巡り合った機会といわねばなるまい。
とはいえ、呂布は名だたる豪雄である。やすやすと討てるわけはない。
両雄は実に火華をちらして戦った。丈八の蛇矛と、画桿の方天戟は、一上一下、人まぜもせず、秘術の限りを尽し合っている。
さしもの張飛も、
「こんな豪傑がいるものか」
と、心中に舌を巻き、呂布も心のうちで、
「どうしてこんなすばらしい漢が歩弓手などになっているのだろう」
と、おどろいた。
幾度か、張飛の蛇矛は、呂布の紫金冠や連環の鎧をかすめ、呂布の方天戟は、しばしば、張飛の眉前や籠手をかすって、今にもいずれかが危うく見えながら、しかも両雄は互いにいつまでも喚き合い叫び合い、かえってその乗馬のほうが、汗もしとどとなって轡を噛み、馬は疲れるとも、馬上の戦いは疲れて止むことを知らなかった。
あまりの目ざましさに、両軍の将兵は、
「あれよ、張飛が」
「あれよ、呂布が──」
と、しばし陣をひらいて見とれていたが、呂布の勢いは、戦えば戦うほど、精悍の気を加えた。それに反して、張飛の蛇矛は、やや乱れ気味と見えたので、遥かに眺めていた曹操、袁紹をはじめ十八ヵ国の諸侯も、今は、内心あやぶむかのような顔色を呈していたが、折しも、突風のようにそこへ馳けつけて行った二騎の味方がある。
一方は、関羽だった。
「義弟、怯むな」
と、加勢にかかれば、また一方の側から、
「われは劉備玄徳なり、呂布とやらいう敵の勇士よ、そこ動くな」
と、名乗りかけ、乗り寄せて、玄徳は左右の手に大小の二剣をひらめかし、関羽は八十二斤の青龍刀に気をこめて、義兄弟三人三方から、呂布をつつんで必死の風を巻いた。
いくら呂布でも、今はのがれる術はあるまい。たちまち、斬って落されるだろう。
そう見えたが、
「なにをっ」
と、猛風一吼して、
「束になって来い」
と呂布はまだ嘲笑う余裕さえあった。関羽、張飛、玄徳の三名を物ともせず、右に当り左に薙ぎ、閃々の光、鏘々の響き、十州の戦野の耳目は、今やここに集められたの観があった。
両軍の陣々にあった国々の諸侯も、みな酒に酔ったように、遥かにこれを眺めていた。そのうちに呂布の一撃が、あわや玄徳の面を突こうとした刹那、
「えおうッ」
「うわうッ」
双龍の水を蹴って、一つの珠を争うごとく、張飛、関羽のふたりが、呂布の駒を挟んだ。
呂布の鞍と、関羽の鞍とが、打つかり合ったほどだった。
ダダダダ──と赤兎馬は、蹄を後ろへ退いた。とたんに、
「こは敵わじ」
と思ったか、呂布は、
「後日再戦」
と三名の敵へ云いすて、いっさんに馬首をかえして、わが陣地のほうへ引返した。
──ここで彼を逸しては。
とばかり玄徳、関羽、張飛の三騎も駒をそろえて追いかけた。
「あす知れぬ士同士だぞ。戦場の出合いに後日はない、返せっ呂布ッ」
と玄徳がさけぶと、
──ぴゅッん
と呂布から一矢飛んできた。
呂布は、駒を走らせ走らせ、振返って、獅子皮の帯の弓箭を引抜き、
「悪しければ、おれの陣まで送って来い」
とまた、一矢放った。
三本まで射た。
そして、またたく間に、虎牢関の内へ逃げこんでしまった。
「残念っ」
張飛も関羽も、歯がみをしたがどうしようもない。
それもその筈、一日千里を走る赤兎馬である。張飛、関羽らの乗っている凡馬とは、ほんとに走るだんになると較べものにはならなかった。
しかし。
呂布が逃げたので、一時はさんざんな態だった味方は、果然、意気を改めた。国々の諸侯は総がかりを号令し、喊の声は大いに奮った。
敵軍は、呂布につづいて、虎牢関へ引き退いたが、その大半は、関門へ逃げ入れないうちに討たれてしまった。
潮のごとく、寄手は関へ迫った。関門の鉄扉かたく閉ざされて敗北のうめきを内にひそめていた。
関羽、張飛は関門のすぐ真下まで来て、踏み破らんと焦ったが、天下の嶮といわれる鉄壁。如何とも手がつけられない。
──時に、ふと。
関上遥けき一天を望むと、錦繍の大旆やら無数の旗幟が、颯々とひるがえっている所に、青羅の傘蓋が揺々と風に従って雲か虹のように見えた。
張飛は、くわっと口をあいて、思わず大声をあげ、
「おうっ、おうっ。──あれに見える者こそまさしく敵の総帥董卓だ。彼奴の姿を目前に見て、空しくおられようか。続けや者ども」
と、真先に、城壁へすがりついて、よじ登ろうとしたが、たちまち櫓の上から巨木岩石が雨の如く落ちてきたので、関羽は、地だんだ踏んで口惜しがる張飛を諫めて、ようやく、そこの下から百歩ほど退かせた。
この日の激戦は、かくて引き別れとなった。世に伝えて、これを虎牢関の三戦という。
味方の大捷に、曹操をはじめ、十八ヵ国の諸侯は本陣に雲集して、よろこびを動揺めかせていた。
そのうちに、討取った敵の首級何万を検し大坑へ葬った。
「この何万の首のうちに、一つの呂布の首がないのだけは、遺憾だな」
曹操がいうと、
「いや、張飛や関羽などという雑兵に負けて逃げるようでは、呂布の首の値打ちも、もう以前のようにはない」と、袁紹は大きく笑った。
勝てば皆、軍は自分ひとりでしたように思い、負ければ、皆負けた原因を、他人に向けて考える。
凱歌と共に、杯を挙げて、一同はひとまず各〻の陣地へもどった。すると、誰か、
「待ち給え袁術」と、一人の将軍を呼び止めた者がある。
袁術は、袁紹の弟で、兵糧方を一手に指揮している者だ。誰かと思ってふりかえると、それは、さきに汜水関の第一戦で惨敗を喫してから後、常に、陣中でもうけが悪いので肩身せまそうにしていた長沙の太守孫堅だった。
「やあ。孫堅か。足下も陣地へ引揚げるところか」
「いや、貴公の陣地へ、わざわざ貴公を訪ねて来たのだ」
「──とはまた、どんなご用で」
「ほかでもないが、さきごろ、それがしが先鋒を承って、汜水関の攻撃に向っていた際に、何ゆえ、貴公は故意に兵糧の輸送を止めたか。返答あらば承ろう」
剣の柄に手をかけて詰問した。
袁術は、蒼くなって、
「いや、あのことか、あのことについてならば、一度足下に親しく事情を語ろうと思っていたが、陣中、つい遑もなかったので」
「そんなことを糺すのではない。なぜ兵糧を送らなかったか、それだけを聞けば此方にも覚悟があるのだ。そもそも、この孫堅は、董卓とはもともと何の怨みがあるわけでもない。ただ、こんどの檄に応じて戦に加わったのは、上は国家のため、下は百姓の苦しみを救わんがためだ。しかるに雑人ばらの讒言を信じて、故意に、この孫堅に敗軍の憂き目を見せたことは、味方同士とはいえ、ゆるしておき難い。返答によっては、今日ここにおいて、おん身の首を申しうける覚悟できた。……さっ、申し開きがあるなら云ってみろ」
孫堅の人物は疾く知っている。気の短い、そして猛々しい南方の生れだ。青白い面色して、眦をつりあげながら迫るのだった。袁術は、脚のくる節からふるえが這いのぼってくるのを覚えた。
「ま、ま。そう怒らないで。──まったく、後では自分も申し訳なく思っていた。それにつけても憎ッくい奴は、足下の讒訴を云いふらした男じゃ。その者の首を刎ねて、陣中に高札し、足下の冤をそそぐから、胸をなでてくれ給え」
平謝りに謝って、袁術は自分の命惜しさに、前に自分へ向って、兵糧止めを進言した隊中の部将を呼びつけ、理由も告げず縛らせて、
「この男です。この男が足下のことをあまり讒言するので、つい口に乗ったわけで──。どうかこれをもって、鬱憤をなぐさめてくれ給え」
左右の家臣に命じて、即座に部将の首を刎ねてしまった。
こういう小人をあいてにとって怒ってみてもはじまらないと考えたのか──孫堅は苦笑いして、わが陣地へ帰ってしまった。そして久しぶりに、帳を垂れて長々と眠りかけると、夜営の哨兵が、なにか呶鳴る声がした。
「……何か?」と、身を起していると、常に彼の傍らに警固している程普、黄蓋の二大将が、
「太守。起きておいでですか」と、帳の間から小声でいった。
「なんだ、夜中」
孫堅は、寝所の帳を払って、腹心の程普にたずねた。
程普は、彼の耳へ、顔を寄せんばかり近寄って、
「この深夜に、陣門を叩く者がありました。何者かと思えば、敵方の密使二騎で、ひそかに太守にお目にかかりたいと申しますが」
「何。董卓から?」
孫堅は、意外に思って、
「ともかく会ってみよう」と、使者を室へ入れて見た。
生命がけで来た敵は、孫堅のすがたに接すると、懸命な弁をふるって云った。
「それがしは、董相国の幕下の一人、李傕という者ですが、丞相は常々からふかく将軍を慕っておられるので、特に、それがしに使いを命ぜられ、長くあなたと好誼を結んでゆきたいとの仰せであります。──それも言辞の上や形式だけの好誼でなく、幸い、董相国には妙齢なご息女がありますから、将軍のご子息の一方を、婿として迎えられ、一門子弟、ことごとく郡守刺史に封ぜんとのお旨であります。こんな良縁と、ご栄達の機会は、またとあるまいかと存じられますが……」
みなまで聞かぬうちに、
「だまれッ」
孫堅は、一喝を加えて、
「順逆の道さえ知らず、君を弑し民を苦しめ、ただ、我慾あるのみな鬼畜に、なんでわが子を婿などにくれられようか。──わが願望は逆賊董卓を打ち、あわせてその九族を首斬って、洛陽の門に梟けならべて見せんということしかない。──その望みを達しない時は、死すとも、眼をふさがじと誓っておるのだ。足もとの明るいうちに立帰って、よく董卓に伝えるがいい」
と、痛烈に突っぱねた。
鉄面皮な使者は、少しも怯まず、
「そこです。将軍……」
となお、くどく云いかけるのを、孫堅は耳にもかけず、押しかぶせて呶鳴った。
「汝らの首も斬り捨てるところだが、しばらくのあいだ預けておく。早々立帰って董卓にこの由を申せ」
使者の李傕ともう一名の者は、ほうほうの態で洛陽へ逃げ帰った。
そして、ことの仔細を、ありのままに丞相へ報告に及んだ。
董卓は、虎牢関の大敗以来、このところ意気銷沈していた。
「李儒、どうしたものか」と、例によって、丞相のふところ刀といわれる彼に計った。
李儒はいう。
「遺憾ながら、ここは将来の大策に立って、味方の大転機を計らねばなりますまい」
「大転機とは」
「ひと思いに、洛陽の地を捨て長安へ都をお遷しになることです」
「遷都か」
「さればです。──さきに虎牢関の戦いで、呂布すら敗れてから、味方の戦意は、さっぱり振いません。如かず、一度兵を収めて、天子を長安にうつし奉り、時を待って、戦うがよいと思います。──それに近頃、洛内の児童が謡っているのを聞けば、
西頭一箇ノ漢
東頭一箇ノ漢
鹿ハ走ッテ長安ニ入ル
マサニ斯ノ難ナカルベシ
とあります。歌の詞を按ずるに、西頭一箇の漢とは高祖をさし、長安十二代の泰平をいって、同時に、長安の富饒においでになったことのある丞相の吉方を暗示しているものと考えられます。東頭一箇の漢とは、光武洛陽に都してより今にいたるまで十二代。それを云ったものでしょう。天の運数かくの如しです。──もし長安へおうつりあれば、丞相のご運勢は、いよいよ展けゆくにちがいありません」
李儒の説を聞くと、董卓は、にわかに前途が展けた気がした。その天文説は、たちまち、政策の大方針となって、朝議にかけられた。──いや独裁的に、百官へ云い渡されたのであった。
廟議とはいえ、彼が口を開けば、それは絶対なものだった。
けれどこの時は、さすがに、百官の顔色も動揺めいた。
第一、帝もびっくりされた。
「……遷都?」
事の重大に、にわかに、賛同の声も湧かなかった。代りにまた、反対する者もなかった。
寂たる一瞬がつづいた。
すると、司徒の楊彪が、初めて口を切った。
「丞相。今はその時ではありますまい。関中の人民は、新帝定まり給うてから、まだ幾日も、安き心もなかった所です。そこへまた、歴史ある洛陽を捨てて、長安へご遷都などと発布されたら、それこそ、百姓たちは、鼎のごとく沸いて、天下の乱を助長するばかりでしょう」
太尉黄琬も、彼についで、発言した。
「そうです。今、楊彪の申されたとおり、遷都の儀は、然るべからずと存じます。その理由は、明白です。──ここにある百官の諸卿も、胸にその不可は知っても、ただ丞相の意に逆らうことを恐れて、黙しておるのみでしょう」
続いて、荀爽も、反対した。
「もし今、挙げて、王府をこの地から掃えば、商賈は売るに道を失い、工匠は職より捨てられ、百姓は流離して、天を怨みましょう。──丞相どうか草民をあわれんで下さい」
つづけざまに異論が沸きそうに見えたので、董卓は、形相をなして呶鳴った。
「わずかな百姓が何だっ。天下の計をなすのに、いちいち百姓のことなど按じていられるか」
荀爽は、またいった。
「百姓は邦の本ですぞ。百姓なくして、国家がありましょうか」
「おのれ、まだいうかっ。彼奴らの官職を剥ぎ、位階を奪り上げろ」
董卓は、云い捨てて、廟を下り、即座に、車馬千駄の用意を命じて、自分はひとまず宮門から自邸へと輦を急がせた。
すると、その途上を、街路樹の木蔭で待ちうけていたらしい若い武士が二人、
「丞相、しばらくっ」
「しばらくお待ち下さい」
と追いかけてきて、輦の前にひざまずいた。見れば、城門の校尉伍瓊と、尚書の周毖であった。
「なんだ、汝ら、わが途上をさえぎって」
「無礼なお咎めは、覚悟のまえで申上げにきました」
「覚悟のまえだと。なにをわれに告げようというのか」
「今日、宮中において、遷都のご内定があったかに承りますが」
「内定ではない。決議だ」
「洩れ伺って、われわれ末輩まで、驚倒いたしました。伝統ある都府は、一朝一夕にはできません。いわんや漢室十二代の光輝あるこの土を捨てて」
「蠅めら、何をいう。書生の分際で、朝議の決議に、異議を申したてるなど、もってのほかな奴だ。しかも路傍で──」
「いかほどお怒りをうけましょうとも、天下の為、坐視はできません」
「坐視できぬ。さては敵の廻し者か。生かしておいては、後日の害だ。こやつらの首を刎ねろっ」
云い放って、輦を進めると、二人はなお、忠諫を叫びながら、輦の輪に取りすがった。
そこを、董卓の家臣たちが、背から突き、頭から斬り下げたので、車蓋まで鮮血は飛び、車の歯にも肉漿がかかって、赤い線がからまってぐわらぐわらまわって行くように見えた。
それを見た洛陽の市民はみな泣いた。また、遷都のうわさは半日の間にひろまって、聞く者みな茫然としてしまった。
夜に入ると、心なしか、地は常よりも暗く、天は常よりも怪しげな妖星の光が跳ねおどっていた。
「遷都だ。遷都のお触れが出たぞ」
「ここを捨てて長安へ」
「後はどうなるのだろう」
洛陽の市民は、寝耳に水の驚きに打たれて、なすことも知らなかった。
それにきのうの白昼、董相国の輦に向って直諫した二忠臣が、相国の怒りにふれて、
──斬れっ。
というただ一喝のもとに、武士たちの刀槍の下に寸断された非業な死にざまをも、市民は、まざまざと目撃しているので、
「ものをいうな」
「何もいうな」
「殺されるぞ」
と、ひたすら懼れて、不平の叫びすらあげえないのであった。
危うい哉、董卓は、天をも惧れない、また、地に満つる民心の怨みも意としない。彼は、一夜を熟睡して、醒めるとすぐ、
「李儒、李儒」
「はっ、これにいます」
「遷都の発令はすんだか」
「万端終りました」
「朝廷においても、公卿百官もみな心得ているだろうな」
「引移る準備に狂奔しております。それから都門へ高札を立て、なおそれぞれ役人から触れさせましたから、洛内の人民どもも、おそらく車駕について大部分は長安へ流れてきましょう」
「いや、それは貧乏人だけだ。富貴な金持は、たちまち家財を隠匿して、閑地へ散ってしまう。丞相府にも朝廷にも、金銀はすでに乏しかろう」
「さればです。遷都令と同時に軍費徴発令をお発しありたいと存じます」
「いいようにやれ、いちいち法文を発するには及ばん」
「では、ご一任ください」
李儒は五千人を選んで、市中に放ち、遷都と軍事の御用金を命ずると称して、洛中の目ぼしい富豪を片っぱしから襲わせた。そして金銀財宝を山のごとくあつめ、それを駄馬や車輛に積んでは、そばからそばから長安へ向けて輸送した。
洛陽は、無政府状態となった。
官紀も、警察制度もすべての秩序も一日のまに喪失して、市街は混乱におちいった。
富家の財宝を没収するやり方も実にひどかった。
狂風に躍る暴兵は、ここぞと思う富豪の邸へ目をつけると、四方を取囲んでおいて、突然、邸内へ乱入し、家財金銀を担ぎだして手むかう者は立ちどころに斬り殺した。年若い女子の悲鳴が、その間に、陰々と、人目のない所から聞えてきたり、また公然と、さらわれて行ったり、眼もあてられない有様だった。
また、発令の翌日。
御林軍の将校たちは、流民が他国へ移るを防ぐために、強制的に兵力でこれを一ヵ所にまとめ、百姓の家族たちを五千、七千と一団にして、長安のほうへ送った。
乳のみ児を抱えた女房や、老人、病人を負った者や、なけなしの襤褸だの貧しい家財を担って子の手をひいてゆく者だの──明日知れぬ運命へ駆り立てられながら、山羊の群れの如く真っ黒に追われて歩く流民の姿は、実に憐れなものだった。
鬼畜の如き暴兵は、手に刀を、たえず鞭の如く振って、
「歩け、歩け、歩かぬやつは斬るぞ」
「病人など捨てて歩け」と、脅しつけたり、白昼人妻に戯れたり、その良人を刺し殺したり、ほしいままな暴虐を加えて行った。
ために、流民の号泣する声が、野山にこだまして、天も曇るかと思われた。
同じ日──
董卓もその私邸官邸を引払い、私蔵する財物は、八十輛の馬車に積んで連ね、
「さらば立とうか」と、彼も輦にかくれた。
彼にはこの都に、なんの惜し気もなかった。もともと一年か半年の間に横奪りした都府であるから。
けれど、公卿百官のうちには、長い歴史と、祖先の地に、恋々と涙して、
「ああ、遂に去るのか」
「長生きはしたくない」
と、慟哭している老官もあった。
そのため、遷都の発足は、いたずらに長引きそうなので、董卓は、李粛を督して、強権を布令させた。
今朝寅の刻を限って、宮門、離宮、城楼、城門、諸官衙、全市街の一切にわたって火を放ち、全洛陽を火葬に附すであろう。
という命である。
ひとつは、やがて必ず殺到するであろう袁紹や曹操らの北上軍に対する焦土戦術の意味もある。
なににしても、急であった。
その混乱は、名状しようもない。そのうちに、寅の刻となった。
まず、宮門から火があがった。
紫金殿の勾欄、瑠璃楼の瓦、八十八門の金碧、鴛鴦池の珠の橋、そのほか後宮の院舎、親王寮、議政廟の宏大な建築物など、あらゆる伝統の形見は、炎々たる熱風のうちに見捨てられた。
「幾日燃えているだろうな」
董卓は、そんなことを思いながら、この大炎上を後に出発した。
彼の一族につづいて、炎の中から、帝王、皇妃、皇族たちの車駕が、哭くがごとく、列を乱して遁れてきた。
また、先を争って、公卿百官の車馬や、後宮の女子たちの輿や、内官どもの馬や財産を積んだ車や、あらゆる人々が──その一人も後に停まることなく──雪崩れあって、奔々と洛陽の外へ吐き出されて行った。
また、呂布は。
かねて、董卓から密々の命をうけていて、これはまったく、別の方面へ出て働いていた。一万余人の百姓や人夫を動員し、数千の兵を督して、前日から、帝室の宗廟の丘に向い、代々の帝王の墳墓から、后妃や諸大臣の塚までを、一つ残さず掘り曝いたのだ。
帝王の墳墓には、その時代時代の珍宝や珠玉が、どれほど同葬してあるかしれない。皇妃皇族から諸大臣の墓まで数えればたいへんな物である。中には得がたい宝剣や名鏡から、大量な朱泥金銀などもある。もとより埴輪や土器などには目もくれない。
これは車輛に積むと数千輛になった。値にすれば何百億か知れない土中の重宝だった。
「夜を日についで長安へこれを運べ」
呂布は、兵をつけて、続々とこれを長安へ送り立てると同時に、一方、今なお虎牢関の守りに残っている味方の殿軍に対して、
「関門を放棄せよ」と、使いをやり、
「疾風の如く、長安まで退け」と、命令した。
殿軍の大将趙岑は、
「長安までとは、どういうわけだろう」
と、怪しんだがともかく関をすてて全軍、逃げ来って見ると、すでに洛陽は炎々たる火と煙のみで、人影もなかった。
先に、知らせると、守備の兵が動揺して、遷都の終らぬまに、敵軍が堰を切って奔入してくるおそれがあるのでわざと間際まで知らせなかったのであるが、しかし、それほど遷都は早く行われたのであった。
もちろん。
呂布もいち早く、掘りあばいた帝王陵の坑を無数に残して、蜂のごとく、長安へ飛び去っていた。
当時、寄手の北上軍のほうでも、ここ二、三日、何となく敵方の動静に、不審を抱いていた。
折から、諜報が入ったので、
「すわや」と色めき、
「一挙に占れ」とばかり、国々の諸侯は、われがちに軍をうごかし、汜水関へは、孫堅軍が先の雪辱をとげて一番に馳け入り、虎牢関の方面では、公孫瓚の軍勢に打ちまじって、玄徳、関羽、張飛の義兄弟が第一番に踏みのぼり、関頭に立って名乗りをあげた。
「おお、焼けている!」
「洛陽は火の海だ」
そこに立てば、すでに関中は指呼することができる。
渺茫三百余里が間、地をおおうものはただ黒煙だった。天を焦すものは炎の柱だった。
──これがこの世の天地か。
一瞬、その悽愴さに打たれたが、いずれも入城の先頭をいそいで、十八ヵ国の兵は急潮のごとく馳け、前後して洛中へ溢れ入った。
孫堅は、馬をとばして、まず先に市中の巡回を開始し、惨たる灰燼に、そぞろ涙を催したが、熱風の裡から声を励まして、
「火を消せ。消火につとめろ、財物を私するな、逃げおくれた老幼は保護してやれ、宮門の焼け址へ歩哨を配置せい!」と、将兵に下知して、少しも怠るところがなかった。
諸侯の軍勢も、各〻、地を選んで陣を劃したが、曹操は早速、袁紹に会って忠告した。
「何もお下知が出ないようですが、この機をはずさず、長安へ落ちて行った董卓を追撃すべきではないでしょうか。なんで、悠々閑々と、無人の焼け址に、腰をすえておられるか」
「いや、月余の連戦で、兵馬はつかれている。すでに洛陽を占領したのだから、ここで二、三日の休養はしてもよかろう」
「焦土を奪って、なんの誇るところがあろう。かかる間にも、兵は驕り、気は堕してくる。弛まぬうちに、疾く追撃にかかり給え」
「君は予を奉じた者ではないか。追討ちにかかる時には、軍令をもって沙汰する。いたずらに私言をもてあそんでは困る」
袁紹は、横を向いてしまった。
「ちぇッ……」
持ち前の気性が、むらむらと曹操の胸へこみあげてきた。一喝、彼の横顔へ、
「豎子、共に語るに足らん!」と罵ると、たちまち、わが陣地へ帰って来て、
「進軍っ。──董卓を追いまくるのだっ」と、叫んだ。
彼の手勢としては、夏侯淵、曹仁、曹洪などの幕下をはじめとして一万余騎がある。西方長安へさして落ちのびて行った敵は、財宝の車輛荷駄や婦女子の足手まといをつれ、昏迷狼狽の雪崩れを打って、列伍もなさず、戦意を喪失しているにちがいない。
「追えや、追えや。敵はまだ遠くは去らぬぞ」
と、曹操は急ぎに急いだ。
× × ×
一方──
帝の車駕をはじめおびただしい洛陽落ちの人数は、途中、行路の難に悩みながら、滎陽まで来て、ひと息ついていた所へ、早くも、
「曹操の軍が追ってきた」
との諜報に、色を失って、帝をめぐる女子たちの車からは悲しげな嗚咽さえ洩れた。
「さわぐことはありません。相国、ここの天嶮は、伏兵をかくすに妙です」
李儒は、滎陽城のうしろの山岳を指さした。彼はいつも董卓の智慧嚢だった。彼の口が開くと、董卓はそれだけでも心が休まるふうに見えた。
帝陵の丘をあばいて発掘した莫大な重宝を、先に長安へ輸送して任を果たし終った呂布軍も、一足あとから滎陽の地を通りかけた。
するといきなり彼の軍へ向って城内から矢石を浴びせかけて来たので、
「太守徐栄は、相国のため道を開き、帝の御車をお迎えして、ここに殿軍なすと聞いたので、安心して参ったが、さては裏切りしたか。その分なれば、踏みつぶして押し通れ」
と、呂布は激怒して、合戦の備えにかかった。
「やあ、呂布であったか」
城壁の上で声がした。見ると李儒だった。
「──敵の追手が迫ると聞き、曹操の軍と見ちがえたのだ。怒り給うな、今、城門をあけるから」
早速、呂布を迎えて仔細を告げて詫びた。
「そうか。では相国には、たった今落ちのびて行かれたか」
「まだ、この城楼から見えるほどだ。オオ、あれへ行くのがそうだ。見給え」
と、楼台に誘って、彼方の山岳を指さした。
羊腸たる山谷の道を、蟻のように辿ってゆく車駕や荷駄や大兵の列が見える。
やがてそれは雲の裡にかくれ去った。
呂布は、眼を辺りへ移して、
「この小城では守るに足らん。李儒、貴公はここで曹操の追手を防ぐ気か」と、たずねた。
李儒は、頭を振って、
「いやこの城は、わざと敵に与えて敵の気を驕らせるためにあるのだ。殿軍の大兵は、みな後ろの山谷に伏兵として潜めてある。──足下もここにいては、呂布ありと敵が大事をとって、かえって誘うに困難だから、あの山中へひいて潜んでいてくれ」といった。
李儒の謀計を聞いて、
「心得た」
呂布もいさぎよく山へかくれた。
かかる所へ、曹操は一万余の手勢をひいて、ひたむきに殺到した。
またたく間に、滎陽城を突破し逃げる敵を追って、山谷へ入った。
不案内な山道へ誘いこまれたのである。しかもなお、曹操は、
「この分なら、董卓や帝の車駕に追いつくのも、手間ひまはかからぬぞ、殿軍の木ッ端どもを蹴ちらして追えや追えや」と、いよいよ意気を昂げていたのであった。
なんぞ知らん。
鹿を追うこと急にして、彼ほどな男も、足もとに気づかなかった。
突如として。
四方の谷間や断崖から、鬨の声が起ったのだ。
「伏せ勢?」
気のついた時は、すでに曹操ばかりでなく、彼の一万余兵は、まったく袋の中の鼠になっていた。
道を求めんと、雪崩れ打てば、断崖の上から大石が落ちてきて道を埋め、渓流を渡って、避けんとすれば、彼方の沢や森林から雨のごとく矢が飛んできた。
曹操の軍は、ここに大敗を遂げた。殲滅的に打ちのめされた。
「あれも斃れたか。おお、あれも死んだか」
曹操は、自分の目の前で、死を急いでゆく幕下の者を見ながら、なお戦っていた。
時分はよしと思ったか、呂布は谷ふところの一方から、悠々、馬を乗り出して、彼へ呼びかけた。
「おうっ、驕慢児曹操っ。野望の夢もいま醒めたろう。笑止や、主にそむいた亡恩の天罰、思い知るがいい」
呂布は、死にもの狂いの曹操を雑兵の囲みにまかせて、自分は小高い所から眺めていた。
曹操は、見つけて、
「おのれ、あれなるは、たしかに呂布」と、さえぎる雑兵を蹴ちらして、呂布の立っている高地へ近づこうとしたが、董卓直参の李傕が、横合いの沢から一群を率いてどっと馳けおり、
「曹操を生擒れ」
「曹操を逃がすな」
「曹操こそ、乱賊の主魁ぞ」
と、口々に呼ばわって、伏兵の大軍すべて、彼ひとりを目標に渦まいた。
八方の沢や崖から飛んでくる矢も、彼の前後をつつむ剣も戟も、みな彼一身に集まった。
しかも曹操の身は今や、まったく危地に墜ちていた。うまうまと敵の策中にその生殺を捉われてしまった。
──君は戦国の奸雄だ。
と、予言されて、むしろ本望なりとかつてみずから祝した驕慢児も、今は、絶体絶命とはなった。
奇才縦横、その熱舌と気魄をもって、白面の一空拳よく十八ヵ国の諸侯をうごかし、ついに、董卓をして洛陽を捨てるのやむなきにまで──その鬼謀は実現を見たが──彼の夢はやはり白面青年の夢でしかなく、はかない現実の末路を遂げてしまうのであろうか。
そう見えた。
彼もまた、そう覚悟した。
ところへ、一方の血路を斬りひらいて、彼の臣、夏侯淵は主を求めて馳けつけてきた。
そしてここの態を見るや否や、「主君を討たすな」と、一角から入りみだれて猛兵を突っこみ、李傕を追って、ようやく、曹操を救けだした。
「ぜひもありません。かくなる上は、お命こそ大事です。ひとまず麓の滎陽まで引退がった上となさい」
夏侯淵は、わずか二千の残兵を擁して踏みとどまり、曹操に五百騎ほど守護の兵をつけて、
「早く、早く」と促した。
顧みれば、一万の兵は、打ちひしがれて、三千を出なかった。
曹操は、麓へ走った。
しかし、道々幾たびも、伏兵また伏兵の奇襲に脅やかされた。従う兵もさんざんに打ち減らされ、彼のまわりにはもう十騎余りの兵しか見えなかった。
それも、馬は傷つき、身は深傷を負い、共に歩けぬ者さえ加えてである。
みじめなる落武者の境遇を、曹操は死線のうちに味わっていた。
人心地もなく、迷いあるいて、ただ麓へ麓へと、うつろに道を捜していたが、気がつくと、いつか陽も暮れて、寒鴉の群れ啼く疎林のあたりに、宵月の気はいが仄かにさしかけている。
「ああ、故郷の山に似ている」
ふと、曹操の胸には父母のすがたがうかんできた。大きな月のさしのぼるのを見ながら、
「親不孝ばかりした」
驕慢児の眼にも、真実の涙が光った。脆い一個の人間に返った彼は、急に五体のつかれを思い、喉の渇に責められた。
「清水が湧いている……」
馬を降りて、彼は清水へ顔を寄せた。そして、がぶとひと口飲み干したと思うと、またすぐ近くの森林から執念ぶかい敵の鬨の声が聞えた。
「……やっ?」
ぎょッとして、駒の背へ飛び移るまに、もう残るわずかな郎党も矢に斃れたり、逃げる力もなく、草むらに、こときれてしまっている。
追いかけて来たのは、滎陽城太守の徐栄の新手であった。徐栄は、逃げる一騎を曹操と見て、
「しめたッ」
ひきしぼった鉄弓の一矢を、ぶん! ──と放った。
矢は、曹操の肩に立った。
「──しまったッ」
曹操は叫びながら、駒のたてがみへうつ伏した。
またも、徐栄の放った二つの矢が、びゅんと耳のわきをかすめてゆく。
肩に突っ立った矢を抜いている遑もなかったのである。
その矢傷から流れ出る血しおに駒のたてがみも鞍も濡れひたった。駒は血を浴びてなお狂奔をつづけていた。
すると、一叢の木蔭に、ざわざわと人影がうごいた。
「あっ、曹操だっ」と、いう声がした。
それは徐栄の兵だった。徒歩立ちで隠れていたのである。一人がいきなり槍をもって、曹操の馬の太腹を突いた。
馬は高くいなないて、竿立ちに狂い、曹操は大地へはね落された。
徒歩兵四、五人が、わっと寄って、
「生擒れっ」とばかり折り重なった。
仰向けに仆れたまま、剣を抜き払って、曹操は二人を斬っただけで、力尽きてしまった。
落馬した刹那に、馬の蹄で肋骨をしたたかに踏まれていたからだった。
時に。
曹操の弟曹洪は、乱軍の中から落ちて一人この辺りをさまよっていたが、異なる馬の啼き声がしたので、
「や。……今のは兄の愛馬の声ではないか」と、馳けつけてきて、月明りにすかしてみると、今しも兄の曹操はわずかな雑兵輩の自由になって、高手小手に縛められようとしている様子である。
「くそッ」
跳ぶ如く馳け寄って、一人を後ろから斬り伏せ、一人を薙ぎつけた。驚いて、逃げるは追わず、すぐ兄の身を抱き上げて、
「兄上っ、兄上。しっかりして下さい。曹洪です」
「あ、おまえか」
「お気がつきましたか。──さっさっ、私の肩につかまってお起ちなさい。今逃げた兵が、徐栄の軍を呼んでくるに違いありません」
「だ、だめだ……曹洪」
「なんですと?」
「残念ながら、矢傷を負い、馬に踏まれた胸も苦しい。この身は打捨てて行け。おまえだけ、早く落ちて行ってくれ」
「心弱いことを仰っしゃいますな。矢傷ぐらい、大したことはありません。いま、天下の大乱、この曹洪などはなくとも、曹操はなくてはなりません。一日でも、生きてゆくのは、あなたの天から享けている使命です」
曹洪は、こう励まして、兄の着ている鎧甲を解いて身軽にさせ、小脇に抱いて、敵の捨てたらしい駒の背へしがみついた。
果して。
わあっ……と、徐栄の手勢が、後から追って来た。
曹洪は、心も空に、片手に兄を抱え、片手に手綱をとり、眼をふさいで、
「この身はともかく、兄曹操の一命こそ、大事の今。諸仏天加護ありたまえ」
と、祷りながら無我夢中に逃げつづけた。
逆落しに、山上から曠野まで馳せおりて来た心地がした。
「やれ、麓へ出たか」と、思ってふと見ると、満々たる大河が行く手に横たわっているではないか。それと見た曹操は、苦しげに、弟をかえりみて、
「ああ、わが命数も極まったとみえる。曹洪、降ろしてくれ、いさぎよくおれはここで自害する。──敵のやって来ないうちに」と、死を急いだ。
曹洪は、兄を抱いて、馬から降りたが、決して抱いている手をゆるめなかった。
「なんです、自害するなんて、平常のあなたのご気性にも似あわぬことを!」と、わざと叱咤して、
「前にはこの大河、うしろからは敵の追撃、今やわたし達の運命は、ここに終ったかの如く見えますが、物窮まれば通ず──という言葉もある。運を天にまかせて、この大河を越えましょう」
河岸に立つと、白浪のしぶきは岸砂を洗い、流れは急で、飛鴻も近づかぬ水の相であった。
身に着けている重い物は、すべて捨てて、曹洪は一剣を口にくわえ、傷負の兄をしっかと肩にかけると、ざんぶとばかり濁流の中へ泳ぎ出した。
江に接していた低い雨雲がひらくと、天の一角が鮮明に彩られてきた。いつか夜は白みかけていたのである。満々たる江水は虹に燃え立って、怪魚のように泳いでゆく二人の影を揉みに揉んでいた。
流れは烈しいし、深傷を負っているので、曹洪の四肢は自由に水を切れなかった。見る見るうちに、下流へ下流へと押流されてゆく。
しかし、ついに彼岸は、眼のまえに近づいた。
「もうひと息──」と、曹洪は、必死に泳いだ。
対岸の緑草は、ついそこに見えながら、それへ寄りつくまでが容易でなかった。激浪がぶつかっては、渦となって波流を渦巻いているからだった。
すると。
その河畔からやや離れた丘に徐栄の一部隊が小陣地を布いていた。河筋を監視するために、二名の歩哨が立って、暁光の美観に見とれていたが──
「やっ? なんだろ」
一人が指さした。
「怪魚か」
「いや、人間だっ」
あわてて部将のところへ報らせに馳けた。
部将もそれへ来て、
「曹操軍の落武者だ。射てしまえ」と、弩弓手へ号令した。
まさかそれが曹操兄弟とは気づかなかったので、緩慢にも弓組の列を布いて、射術を競わせたものだった。
びゅっん──
ぶうっん──
弦は鳴り矢はうなって、彼方の水ぎわへ、雨かとばかり飛沫を立てた。
曹洪は、すでに岸へ這いついていたが、前後に飛んでくる敵の矢に、しばらく、死んだまねをしていた。
その間に、「どう逃げようか」を、考えていた。
ところがかえって、遥か河上から、一手の軍勢が、河に沿って下って来るのが見えた。朝雲の晴れ渡った下にひるがえる旗幟を望めば、それはまぎれもなく滎陽城の太守徐栄の精鋭だった。
「あれに見つかっては」と、曹洪は、気も顛動せんばかりにあわてた。矢ばしりの中も今は恐れていられなかった。剣を舞わして、矢を縦横に薙ぎ払いながら馳け出した。
曹操も、矢を払った。二人か一人か、それは遠目には分らないほど、相擁しながら馳けたのである。
丘の上の隊も、河に沿って来た一群の軍勢も、曹操兄弟が矢風の中を凌いで馳け出した影を見ると、
「さては、名のある敵にちがいないぞ。逃がすな」
と、たちまち砂塵をあげて、東西から追いちぢめ、そのうち一小隊は、早くも先へ馳け抜けて、二人の前をも立ちふさいでしまった。
丘から射放つ矢は集まってくる。
止まるも死、進むも死だった。
一難、また一難。死はあくまで曹操をとらえなければ止まないかに見えた。
「この上は、敵の屍を山と積み、曹家の兄弟が最期として、人に笑われぬ死に方をして見せましょう。兄上も、お覚悟ください」
曹洪も、ついに決心した。
そして兄曹操と共に、剣をふりかざして、敵の中へ斬りこんだ。
敵は、さわいで、
「やあ、曹家といったぞ。さては曹操、曹洪の兄弟と見えたり」
「思いがけない大将首、あれを獲らずにあるべきや」
餓狼が餌を争うように二人を蔽いつつんだ。
すると。
彼方の野末から、一陣の黄風をあげて、これへ馳けて来る十騎ほどの武士があった。
ゆうべから主君曹操の行方をさがし歩いていた夏侯惇、夏侯淵の二将の旗下たちだった。
「おうっ、ご主君これにか」
十槍の穂先をそろえて、どっと横から突き崩して来た。
「いざ、疾く」
と曹兄弟に、駒をすすめ、夏侯惇はまっ先に、
「それっ、落ちろっ」と気を揃えて逃げだした。
矢は急霰のように追ったが、徐栄軍はついに追いきれなかった。曹操たちは、一叢の蒼林を見て、ほっと息をついた。見ると五百ばかりの兵馬がそこにいる。
「敵か、味方か?」
物見させてみると、僥倖にも、それは曹操の家臣、曹仁、李典、楽進たちであった。
「おお、君には、ご無事でおいで遊ばしたか」
と、楽進、曹仁らは、主君のすがたを迎えると、天地を拝して歓び合った。
戦は、実に惨憺たる敗北だったが、その悲境の中に、彼らは、もっとも大きな歓びをあげていたのだった。
曹操は、臣下の狂喜している様を見て、
「アア我誤てり。──かりそめにも、将たる者は、死を軽んずべきではない。もしゆうべから暁の間に、自害していたら、この部下たちをどんなに悲しませたろう」と、痛感した。
「訓えられた。訓えられた」と彼は心で繰返した。
敗戦に訓えられたことは大きい。得がたい体験であったと思う。
「戦にも、負けてみるがいい。敗れて初めて覚り得るものがある」
負け惜しみでなくそう思った。
一万の兵、余すところ、わずか五百騎、しかし、再起の希望は、決して失われていない。
「ひとまず、河内郡に落ちのびて、後図を計るとしよう」
曹操はいった。
夏侯惇、曹仁たちも、
「それがよいでしょう」
兵馬に令してそこを発った。
一竿の列伍は淋しく河内へ落ちて行った。山河は蕭々と敗将の胸へ悲歌を送った。生れながら気随気ままに育って、長じてもなお、人を人とも思わなかった曹操も、こんどという今度はいたく骨身に徹えたものがあるらしかった。
途すがら、耿々の星を仰ぐたびに、彼はひとり呟いた。
「──君は乱世の奸雄だと、かつて予言者がおれにいった。おれは満足して起った。よろしい、天よ、百難をわれに与えよ、奸雄たらずとも、必ず天下の一雄になってみせる」
──一方。
洛陽の焦土に残った諸侯たちの動静はどうかというに。
ここはまだ濛々と余燼のけむりに満ちている。
七日七夜も焼けつづけたが、なお大地は冷めなかった。
諸侯の兵は、思い思いに陣取って消火に努めていたが、総帥袁紹の本営でも、旧朝廷の建章殿の辺りを本陣として、内裏の灰を掻かせたり、掘りちらされた宗廟に、早速、仮小屋にひとしい宮を建てさせたりして、日夜、戦後の始末に忙殺されていた。
「仮宮も出来あがったから、とりあえず、太牢を供えて、宗廟の祭を営もう」
袁紹は、諸侯の陣へ、使いを派して、参列を求めた。
いと粗末ではあったが、形ばかりの祭事を行って後、諸侯は連れ立って、今は面影もなくなり果てた禁門の遠方此方を、感慨に打たれながら見廻った。
そこへ、
「滎陽の山地で、曹操の軍は、敵のため殲滅的な敗北をとげ、曹操はわずかな旗下に守られて河内へ落ちて行った──」
という報らせが入った。
諸侯は、顔見合わせて、
「あの曹操が……」とのみで、多くを語らなかったが、袁紹は、
「それ見たことか」と、聞えよがしにいった。
そしてまた、
「董卓が洛陽を捨てたのは、李儒の献策で、余力をもちながら、自ら先んじて、都府を抛擲したものだ。──それを一万やそこらの小勢で、追討ちをかけるなど、曹操もまだ若い」
と、その拙を嘲笑った。
半焼となっている内裏の鴛鴦殿で、一同は小盞を酌み交わしてわかれた。
折ふし黄昏れかけてきたので、池泉の畔には芙蓉の花がほの白く、多恨な夕風に揺れていた。
諸侯はみな帰ったが、孫堅は二、三の従者をつれて、なお去りがてに、逍遥していた。
「ああ……そこらの花陰や泉の汀で、後宮の美人たちがすすり泣きしているようだ。兵馬の使命は、新しい世紀を興すにあるが、創造のまえに破壊がともなう。……ああいかん、多情多恨にとらわれては」
ひとり建章殿の階に坐って、星天を仰ぎ、じっと黙思していた。
茫──と、白い一脈の白気が、星の光群をかすめていた。孫堅は、天文を占って、
「帝星明らかならず、星座星環みな乱る。──ああ乱世はつづく。焦土はここのみには、止まるまい」と、思わず嘆声をあげた。
すると、階下にいた彼の郎党のひとりが、
「殿。……なんでしょう?」
怪しんで指さした。
「なにが?」
孫堅も、眸をこらした。
「さっきから見ていますと、この御殿の南の井戸から、時々、五色の光が映しては消え、映しては消え、暗闇で宝石でも見ているようです。……どうも眼のせいとも思われませんが」
「ムム、なるほど。……そういわれてみれば、そんな気もする。炬火をともして、井戸の中を調べてみろ」
「はっ」
郎党たちは馳けて行った。
程なく、井戸のまわりでかざし合う炬火が彼方にうごいていた。そのうちに、郎党たちが、なにか、大声あげて騒ぎだした様子に孫堅も近づいてそこを覗いて見ると、水びたしになった若い女官の死体が引揚げられてあった。──すでに日も経ているらしいが、その装束も尋常の女性とは思われないし、なお、生けるままな容貌は白玕のように美しかった。
いや、そればかりではない。
死美人の屍には、もっと麗わしい物が添っていた。それは襟頸にかけて抱いている紫金襴の嚢だった。
蝋より真白い指が、しっかとそれを抱いている。──死んでも離すまいとする死者の一念が見えた。
孫堅は、そばへ寄って、近々と死体をながめていたが、
「なんだろう。はて、この嚢を取りあげてみろ」
郎党に命じて身を退いた。
彼の従者は、すぐ死美人の頸からそれをはずし取って、孫堅の手へ捧げた。
「おい、炬火を出せ」
「はっ」
従者は、彼の左右から、炬火をかざした。
「……?」
孫堅の眼は、なにか、非常な驚きに輝きだしていた。紫金襴の嚢には、金糸銀糸で瑞鳳彩雲の刺繍がしてあった。打紐を解いてみると、中から朱い匣があらわれた。その朱さといったらない。おそらく珊瑚朱か堆朱の類であろう。
可愛らしい黄金の錠がついている。鍵は見当らない。孫堅は、歯で咬んでそれをねじ切った。
中から出てきたのは、一顆の印章であった。とろけるような名石で方円四寸ばかり、石の上部には五龍を彫り、下部の角のすこし欠けた箇所には、黄金の繕いがほどこしてある。
「おい、程普を呼んで来い。──大急ぎで、ひそかに」
孫堅は、あわてて云った。
そしてなおも、
「はてな? ……これは尋常の印顆ではないが」
と、掌中の名石を、恍惚として凝視していた。
程普が来た。
息をきって、使いの者と共に、ここへ近づいて来るなり、
「なんぞ御用ですか」と、訊ねた。
孫堅は、印顆を示して、
「程普。これをなんだと思う?」と、鑑識させた。
程普は、学識のある者だった。手に取って、一見するなり驚倒せんばかり驚いた。
「太守。あなたはこれを一体、どうなされたのですか」
「いや、いまここを通りかかると井戸のうちから怪しい光を放つので、調べさせてみたところ、この美人の死体が揚ってきた。それはこの死美人が頸にかけていた錦の嚢から出てきた物だ」
「ああもったいない……」と程普は自分の掌に礼拝して、
「──これは伝国の玉璽です。まぎれもなく、朝廷の玉璽でございます」
「えっ、玉璽だと」
「ごらんなさい。篤と──」
程普は、炬火のそばへ、玉璽を持って行って、それに彫ってある篆字の印文を読んで聞かせた。
受命于天
既寿永昌
「……とございましょうが」
「むむ」
「これはむかし荊山のもとで、鳳凰が石に棲むのを見て、時の人が、石の心部を切って、楚国の文王に献じ、文王は、稀世の璞玉なりと、宝としていましたが、後、秦の始皇の二十六年に、良工を選んでみがかせ、方円四寸の玉璽に作りあげ、李斯に命じて、この八字を彫らせたものであります」
「ウーム……。なるほど」
「二十八年始皇帝が洞庭湖をお渡りの折、暴風のために、一時この玉璽も、湖底に沈んだことなどもありましたが、ふしぎにもこの玉璽を持つ者は、一身つつがなく栄え、玉璽もいつか世に現れて、累世朝廷の奥に伝国の宝として、漢の高祖より今日まで、伝え伝えて参った物ですが……どうしてこれが今日の兵火に無事を得たのでしょうか。思えば、実に奇瑞の多い玉璽ではあります」
玉璽を掌にしたまま孫堅は、茫然と、程普の物語る由来に聞き恍れていた。
そしてひそかに、思うらく、
(どうして、こんな名宝が、おれの掌に授かったのだろうか?)
なにか恐ろしい気持さえした。
程普は、語りつづけて。
「──今、思い合せれば、先年、十常侍らの乱をかもした折、幼帝には北邙山へお遁れ遊ばしましたが、その頃、にわかに玉璽が紛失したという噂が一時立ちました。──今、その玉璽が計らずも、井泉の底より拾い上げられて、太守のお掌に授かるというのは、ただ事ではありません」
「ウーム、自分もそう思う。……まったくこれはただ事ではない」
孫堅も呻いた。
程普は、主君の耳へ口をよせて、
「──天が授けたのです。天が、あなた様をして、九五の御位にのぼせ、子孫にわたって、伝国の大統を指命せられた祥瑞と思われます。……はやく本国へお帰りあって、遠大の計をめぐらすべきではありませんか」と、ささやいた。
孫堅は、大きくうなずいて、
「そうだ」と、深く期すもののように、眼を輝かして、居合わせた郎党たちへ云い渡した。
「こよいのことは、断じて、他言は相成らぬぞ。もしほかへ洩らした者あらば、必ず首を刎ねるからそう心得よ」
やがて、夜も更けて。
孫堅は、自分の陣へこっそり帰って寝たが、程普は味方の者へ、
「ご主君には、急病を発しられたゆえ、明日、陣を払って、急に本国へお帰りになることになった」
と、虚病を触れて、その夜からにわかに行旅の支度にかからせた。
ところが。
その混雑中に、孫堅についていた郎党のひとりが、袁紹の陣へ行って、内通した。一部始終を袁紹に告げて、わずかな褒美をもらって姿をくらましていた。
だから袁紹は、あらかじめ玉璽の秘密を知っていた。
夜が明けると、孫堅は、何喰わぬ顔して、暇乞いにやって来た。孫堅はわざと、憔悴した態をよそおって、
「どうも近頃、健康がすぐれないので、陣中の務めも懶くてならんのです。はなはだ急ですが、しばらく本国へ帰って静養したいと思います。──当分は風月を友にして」
云いかけると、袁紹は、
「あはははは」と、横を向いて笑った。
孫堅はむっとして、
「何で総帥には、それがしが真面目に別辞を述べているのに、無礼な笑い方をなさるのか」
と、剣に手をかけて詰問った。
袁紹は露骨に、
「君は、虚病もうまいが、怒る真似もうまい。いや裏表の多い人物だ。──君の静養というのは、伝国の玉璽をふところに温めて、やがて鳳凰の雛でも孵そうという肚だろう」
「な、なにっ?」
「あわてんでもよい。こら孫堅、身のほどを知れよ。建章殿の井のうちから、昨夜、拾いあげた物をこれへ出せ」
「そんなことは知らん」
「不届きな! 汝、天下を奪う気か」
「知らん。なにをもって、このほうを謀叛人というか」
「だまれ。国々の諸侯が、義兵をあげて、この艱苦を共にしているのは、漢の天下を扶けて、社稷をやすんぜんがためだ。玉璽は、朝廷に返上すべきもので、匹夫の私すべきものではない」
「なにを、ばかなっ」
「ばかなとは、何事だ」
袁紹も、彼に対して、あわや剣を抜こうとした。
「や、剣に手をかけたな。──汝、この孫堅を斬ろうという気か」
孫堅がいえば、
「おうっ」と、袁紹もいきり立って、
「貴様の如き黄口児になんでこの袁紹が欺かれようぞ。いかに嘘を構えても、謀叛心はもはや歴然だ。成敗して陣門にさらしてくれる」
「なにをっ」
孫堅は、いうより早く剣を抜いた。袁紹も、大剣を払い、双方床を蹴って躍らんとした。
「すわや!」と、満堂は殺気にみちた。
袁紹が後ろには、顔良、文醜などの荒武者どもが控えている。──また、孫堅がうしろには程普、黄蓋、韓当などの輩が、
「主人の大事」と、ばかり各〻、剣環を鳴らしてざわめき立った。
洛陽入りの後はここに戦いもなかった。長陣の鬱気ばらしに、ひと喧嘩、血の雨も降りそうな時分である。
だが、驚いたのは、満堂の諸侯で、総立ちになって、双方を押しへだてた。──日頃、盟の血をすすり、義を天下に唱えながら、こんな仲間割れの醜態を、世上へさらしたら、民衆の信望はいっぺんに失墜してしまうに相違ない。義軍の精神は疑われ、長安へ落ちた董卓軍は、それ見たことか、と、手を打って歓ぶにちがいない。
「まあ、まあ、ここは」
「孫堅も、あれまでに、身の潔白を云い立てておるのですから、よもや仮病などではありますまい」
「総帥も、お立場上、自重してくださらなければ困る」
諸侯の仲裁で、やっと、
「では、各〻に任すが、孫堅はきっと、玉璽を盗んでいないか。その証しはどうして見せるか」
袁紹がいうと、孫堅は、
「われも漢室の旧臣、なんで伝国の玉璽を奪って謀叛などせんや。──天地神明に誓ってさようなことはない」と絶叫した。
その血相に、誰も、「あれほどいうからには」と、信じきって、仲直りに、杯を挙げて別れたところが、なんぞ計らん、それから一刻も経たないうちに、孫堅の陣地には、もう一兵の影も見えなかった。
「さては、怪しい?」と、袁紹も焦立ち、諸侯の陣もなんとなく動揺しだして見えた所へ、さきに董卓を追って、滎陽で大敗を喫した曹操が、わずかな残兵をひいて、洛陽へ帰って来た。
袁紹は、折も折とて、彼に計ろうと酒宴を設け、諸侯を呼んで、曹操を慰めると、曹操はむしろ憤然として、
「口に大義を唱えても、心に一致する何ものもなければ、同志も同志ではない。いたずらに民を苦しめ、無益の人命と財宝を滅すのみだ。小生はしばらく山野へ帰って考え直す。諸氏も、熟慮してみたがよかろう」と、即日、洛陽を去って揚州の方面へ立ってしまった。
その頃、孫堅はすでに、ひた走りに本国へさして逃げ帰っていた。
途中。
袁紹の追討令で、追手の軍に追われたり、諸城の太守に遮められたり、さんざんな憂き目に遭ったが、ついに黄河のほとりまで逃げのびて、一舟を拾い、からくも江東へ逃げ渡った。
舟中の身辺をかえりみると、幕下の将兵わずか数名しかいなかった。けれど、彼のふところには伝国の玉璽がまだ失われずにあった。
破壊は一挙にそれをなしても、文化の建設は一朝にしては成らない。
また。
破壊までの目標へは、狼煙一つで、結束もし、勇往邁進もするが、さて次の建設の段階にすすむと、必ずや人心の分裂が起る。
初めの同志は、同志ではなくなってくる。個々の個性へ返る。意見の衝突やら紛乱が始まる。熱意の冷却が分解作用を呼ぶ。そして第二の段階へ、事態は目に見えぬまに推移してゆくのである。
曹操、袁紹らの挙兵も、今やそこへ逢着して来たのであった。
当初の理想もいま何処へ。
まず、その狼煙を最初に揚げて、十八ヵ国の諸侯を糾合した曹操自身からまっ先に、袁紹の優柔不断に腹を立てて、(おれは俺でやろう)と決意したものの如く、大勢には勝利を占めながら、残り少なきわずかな手勢と、鬱勃たる不平と、惨心とを抱いて、いちはやく揚州の地へ去ってしまった。
また。
廃墟となった禁門の井戸から、計らずも玉璽を拾った孫堅は孫堅で、珠を抱くと、たちまち心変りして、袁紹と烈しい喧嘩別れをして、即日、これも本国へさして急いでしまったが、途上、荊州の劉表に遮られて、その軍隊はさんざんな傷手をうけ、身をもって黄河を遁れ渡った時は──その一舟中に生き残っていた者、わずかに、程普と黄蓋などの旗本六、七人に過ぎなかったという──後日の沙汰であった。
そんな折も折。
東郡の喬瑁と、刺史劉岱とが、またぞろ洛陽の陣中、兵糧米の借り貸しか何かのつまらないことから喧嘩を起し、劉岱はふいに夜中、相手の陣営へ斬りこんで、喬瑁を斬り殺してしまった──などという事件が起ったりした。
諸侯の間でさえそんな状態であったから、以下の将校や卒伍の乱脈は推して知るべきであった。
掠奪はやまない。酒は盗む。喧嘩はいつも女や賭博のことから始まった。──軍律はあれど威令が添わないのである。洛陽の飢民は、夜ごと悲しげに、廃墟の星空を仰いで、
(こんなことなら、まだ前の董相国の暴政のほうがましだった)と、呟き合った。
夜となれば人通りもなく、たまたま闇に聞えるのは、人肉を喰って野生に返った野良犬のさけびか、女の悲鳴ばかりだった。
「太守、お呼びですか」
劉備玄徳は、一夜ひそかに、公孫瓚の前に立っていた。
公孫瓚は、彼に告げた。
「ほかではないが、このごろ、つくづく諸侯の心やまた、総帥袁紹の胸を察するに、どうも面白くないことばかりだ。袁紹には、この後を処理してゆく力がない。要するに彼は無能だ。きっと今に、収拾できない混乱が起ると思う」
「はい……」
「君もそう思うだろう。君を始め、関羽、張飛などにも、抜群な働きをさせて、なんの酬いるところもなくて気の毒だが、ひとまず洛陽を去って、ご辺も平原へ帰ってはどうか。──自分も陣を引払って去ろうと考える」
「そうですか。──いやまた、時節がありましょう。ではお暇いたします」
玄徳は、別れを告げた。
かくて彼は、関羽、張飛のふたりにも、事態をつげて、平原をさして行った。
洛陽には入ったが、ついに、何物も得るところはなく──である。従兵馬装、依然として貧しき元の木阿弥だった。
けれど、関羽も張飛も、相かわらず朗らかなものだった。馬上談笑して、村へ着けば、時折に酒など買い、
「おい、飲まないか。まだおれ達の祝杯は、前途いつのことだか分らないが、生命だけはたしかに持って帰れるんだから──少しくらいは祝ってもよかろう。馬上で飲み廻しの旅なんて、洒落ているぞ」
などと張飛は笑わせて、いつも日々是好日の態だった。
さて、その後。
──焦土の洛陽に止まるも是非なしと、諸侯の兵も、ぞくぞく本国へ帰った。
袁紹も、兵馬をまとめて一時、河内郡(河南省・懐慶)へ移ったが、大兵を擁していることとて、立ちどころに、兵糧に窮してしまった。
「兵の給食も、極力、節約を計っていますが、このぶんでゆくと、今に乱暴を始め出して、民家へ掠奪に奔るかもしれません。さすれば将軍の兵馬は、たちまち土匪と変じます。昨日の義軍の総帥もまた、土匪の頭目と人民から見られてしまうでしょう」
兵糧方の部将は、それを憂いて幾たびも、袁紹へ、対策を促した。
袁紹も、今は、見栄を張っていられなくなったので、
「では、冀州(河北省・中南部)の太守韓馥に、事情を告げて、兵糧の資を借りにやろう」
と、書状を書きかけた。
すると、逢紀という侍大将のひとりが、そっと、進言した。
「大鵬は天地に縦横すべしです。なんで区々たる窮策を告げて、人の資などおたのみになるのでござるか」
「逢紀か。いや、ほかに策があれば、なにも韓馥などに借米はしたくないが、なにか汝に名案があるのか」
「ありますとも。冀州は富饒の地で、粮米といわず金銀五穀の豊富な地です。よろしく、この国土を奪取して、将来の地盤となさるべきではありますまいか」
「それはもとより望むところだが、どういう計をもってこれを奪るか」
「ひそかに北平(河北省・満城附近)の太守公孫瓚へ使いを派し、冀州を攻って、これを割け奪りにしようではないか。──そういってやるのです」
「むム」
「必ずや、公孫瓚も食指をうごかすでしょう。そうきたら、将軍はまた、一方韓馥へも内通して、力とならんといっておやりなさい。臆病者の韓馥は、きっと将軍にすがります。──その後の仕事は掌にありというものでしょう」
袁紹は歓んで直ちに、逢紀の献策を、実行に移した。
冀州の牧、韓馥は、袁紹から書面を受けて、何事かとひらいてみると、
(北平の公孫瓚、ひそかに大兵を催し、貴国に攻め入らんとしておる。兵備、怠り給うな)
という忠言だった。
もちろん、その袁紹が、一方では公孫瓚を使嗾しているなどとは知らないので、韓馥は大いに驚いて、群臣と共に、どうしたものかと、評議にかけた。
「この忠言をしてくれた袁紹は、先に十八ヵ国の軍にのぞんで総帥たる人。また、智勇衆望も高い名門の人物。よろしくこの人のお力を頼んで、慇懃、冀州へお迎えあるがしかるべきでございましょう。──袁紹お味方と聞えなば、公孫瓚たりといえども、よも手出しはできますまい」
群臣の重なる者は、みなその意見だった。
韓馥も、また、「それはよからん」と、同意した。
ひとり長史耿武は、憤然と、その非をあげて諫めた。
けれど、彼の直言は、用いられなかった。評定は紛論におちいり、耿武の力説を正しとして、席を蹴って去る者三十人に及んだ。
耿武も遂に、用いられないことを知って、
「やんぬる哉!」と、即日、官をすてて姿をかくした。
けれど、彼は忠烈な士であったから、みすみす主家の亡ぶのを見るに忍びず、日を待って、袁紹が冀州へ迎えられる機会をうかがっていた。
袁紹はやがて、韓馥の迎えによって、堂々と、国内の街道へ兵馬を進めてきた。──忠臣耿武は、その日を剣を握って、道の辺の木陰に待ちかまえていた。
耿武は、身を挺して、袁紹を途上に刺し殺し、そして君国の危殆を救う覚悟だった。
すでに袁紹の列は目の前にさしかかった。
耿武は、剣を躍らせて、
「汝、この国に入るなかれ」
と、さけんで、やにわに、袁紹の馬前へ近づきかけた。
「狼藉者っ」
侍臣たちは、立騒いで防ぎ止めた。大将顔良は、耿武のうしろへ廻って、
「無礼者っ」と、一喝して斬りさげた。
耿武は、天を睨んで、
「無念」と云いざま、剣を、袁紹のすがたへ向って投げた。
剣は、袁紹を貫かずに、彼方の楊柳の幹へ突刺さった。
袁紹は、無事に冀州へ入った。太守韓馥以下、群臣万兵、城頭に旌旗を掲げて、彼を国の大賓として出迎えた。
袁紹は、城府に居すわると、
「まず、政を正すことが、国の強大を計る一歩である」
と、太守韓馥を、奮武将軍に封じて、態よく、自身が藩政を執り、もっぱら人気取りの政治を布いて、田豊、沮授、逢紀などという自己の腹心を、それぞれ重要な地位へつかせたので、韓馥の存在というものはまったく薄らいでしまった。
韓馥は、臍を噛んで、
「ああ、われ過てり。──今にして初めて、耿武の忠諫が思いあたる」
と、悔いたが、時すでに遅しであった。彼は日夜、懊悩煩悶したあげく、終に陳留へ奔って、そこの太守張邈の許へ身を寄せてしまった。
一方。
北平の公孫瓚は、「かねての密約」と、これも袁紹の前言を信じて、兵を進めて来たが、冀州はもう袁紹の掌に落ちているので、弟の公孫越を使者として、
「約定のごとく、冀州は二分して、一半の領土を当方へ譲られたい」
と、申込むと、袁紹は、
「よろしい。しかし、国を分つことは重大な問題だから、公孫瓚自身参られるがよい。必ず、約束を履行するであろう」と、答えた。
公孫越は満足して、帰路についたが、途中、森林のうちから雨霰の如き矢攻めに遭って、無残にも、立往生のまま射殺されてしまった。
それと聞えたので、公孫瓚の怒りは、いうまでもないこと。一族みな、血をすすって、袁紹の首を引っさげずに、なんで、再び郷土の民にまみえんや──とばかり盤河の橋畔まで押して来た。
橋を挟んで、冀州の大兵も、ひしめき防いだ。中に袁紹の本陣らしい幡旗がひるがえって見える。
公孫瓚は、橋上に馬をすすませて、大音に、
「不義、破廉恥、云いようもなき人非人の袁紹、いずこにあるぞ。──恥を知らば出でよ」
と、いった。
「何を」と、袁紹も、馬を躍らせて来て、共に盤河橋を踏まえ、
「韓馥は、身不才なればとて、この袁紹に、国を譲って、閑地へ後退いたしたのだ。──破廉恥とは、汝のことである。他国の境へ、狂兵を駆り催してきて、なにを掠め奪らんとする気か」
「だまれっ袁紹。先つ頃は、共に洛陽に入り、汝を忠義の盟主と奉じたが、今思えば、天下の人へも恥かしい。狼心狗行の曲者めが、なんの面目あって、太陽の下に、いけ図々しくも、人間なみな言を吐きちらすぞ」
「おのれよくも雑言を。──誰かある、彼奴を生擒って、あの舌の根を抜き取れ」
文醜は、袁紹の旗下で豪勇第一といわれている男である。
身丈七尺をこえ、面は蟹のごとく赤黒かった。
大将袁紹の命に、
「おうっ」
と、答えながら、橋上へ馬を飛ばして来るなり、公孫瓚へ馳け向って戦を挑んで来た。
「下郎、推参」
槍を合わせて、公孫瓚も怯まず争ったが、とうてい、文醜の敵ではなかった。
──これは敵わじ。
と思うと、公孫瓚は、橋東の味方のうちへ、馬を打って逃げこんでしまった。
「汚し」と文醜は、敵の中軍へ割って入り、どこまでも、追撃を思い止まらなかった。
「遮れ」
「やるな」と、大将の危機と見て、公孫瓚の旗下、侍大将など、幾人となく、彼に当り、また幾重となく、文醜をつつんだが、みな蹴ちらされて、死屍累々の惨状を呈した。
「おそろしい奴だ」
公孫瓚は、胆を冷やして、潰走する味方とも離れて、ただ一騎、山間の道を逃げ走ってきた。
すると後ろで、
「生命おしくば、馬を降りて、降伏しろ。今のうちなら、生命だけは助けてくれよう」
またも文醜の声がした。
公孫瓚は、手の弓矢もかなぐり捨てて、生きた心地もなく、馬の尻を打った。馬はあまりに駆けたため、岩につまずいて、前脚を折ってしまった。
当然、彼は落馬した。
文醜はすぐ眼の前へ来た。
「やられた!」
観念の眼をふさぎながら、剣を抜いて起きなおろうとした時、何者か、上の崖から飛下りた一個の壮漢が、文醜の前へ立ちふさがるなり、物もいわず七、八十合も槍を合わせて猛戦し始めたので、「天の扶け」とばかり公孫瓚は、その間に、山の方へ這い上がって、からくも危うい一命を拾った。
文醜もついに断念して、引っ返したとのことに、公孫瓚は、兵を集めて、さて、
「きょう不思議にも、自分の危ういところを助けてくれた者は、一体どこの何人か」
と、部将に問うて、各〻の隊を調べさせた。
やがて、その人物は、公孫瓚の前にあらわれた。しかし、味方の隊にいた者ではなく、まったくただの旅人だということが知れた。
「ご辺は、どこへ帰ろうとする旅人か」
公孫瓚の問いに、
「それがしは、常山真定(河北省・正定の附近)の生れゆえ、そこへ帰ろうとする者です。趙雲、字は子龍と云います」
眉濃く、眼光は大に、見るからに堂々たる偉丈夫だった。
趙子龍は、つい先頃まで、袁紹の幕下にいたが、だんだんと袁紹のすることを見ているに、将来長く仕える主君でないと考えられてきたので、いっそ故郷へ帰ろうと思いここまで来たところだとも云い足した。
「そうか。この公孫瓚とても、智仁兼備の人間ではないが、ご辺に仕える気があるなら、力を協せて、共に民の塗炭の苦しみを救おうではないか」
公孫瓚のことばに、趙子龍は、
「ともかく、止まって、微力を尽してみましょう」と、約した。
公孫瓚は、それに気を得て、次の日、ふたたび盤河の畔に立ち、北国産の白馬二千頭を並べて、大いに陣勢を張った。
公孫瓚が、白い馬をたくさん持っていることは、先年、蒙古との戦に、白馬一色の騎馬隊を編制して、北の胡族を打破ったので、それ以来、彼の「白馬陣」といえば、天下に有名になっていた。
「やあ、なかなか偉観だな」
対岸にある袁紹は、河ごしに、小手をかざして、敵陣をながめながら云った。
「顔良、文醜」
「はっ」
「ふたりは、左右ふた手にわかれて、両翼の備えをなせ。また、屈強の射手千余騎に、麹義を大将として、射陣を布け」
「心得ました」
命じておいて、袁紹は旗下一千余騎、弩弓手五百、槍戟の歩兵八百余に、幡、旒旗、大旆などまんまるになって中軍を固めた。
大河をはさんで、戦機はようやく熟して来る。東岸の公孫瓚は、敵のうごきを見て、部下の大将厳綱を先手とし、帥の字を金線で繍った紅の旗をたて、
「いでや」と、ばかり河畔へひたひたと寄りつめた。
公孫瓚は、きのう自分の一命を救ってくれた趙雲子龍を非凡な人傑とは思っていたが、まだその心根を充分に信用しきれないので、厳綱を先手とし、子龍にはわずか兵五百をあずけて、後陣のほうへまわしておいた。
両軍対陣のまま、辰の刻から巳の刻の頃おいまで、ただひたひたと河波の音を聞くばかりで、戦端はひらかれなかった。
公孫瓚は、味方をかえりみて、「果てしもない懸引き、思うに、敵の備えは虚勢とみえる。一息に射つぶして、盤河橋をふみ渡れ」と、号令した。
たちまち、飛箭は、敵の陣へ降りそそいだ。
時分はよしと、東岸の兵は、厳綱を真っ先にして、橋をこえ、敵の先陣、麹義の備えへどっと当って行った。
鳴りをしずめていた麹義は、合図ののろしを打揚げて、顔良、文醜の両翼と力をあわせ、たちまち、彼を包囲して大将厳綱を斬って落し、その「帥」の字の旗を奪って、河中へ投げこんでしまった。
公孫瓚は、焦心だって、
「退くなっ」
と、自身、白馬を躍らして、防ぎ戦ったが、麹義の猛勢に当るべくもなかった。のみならず、顔良、文醜の二将が、「あれこそ、公孫瓚」と目をつけて、厳綱と同じように、ふくろづつみに巻いて来たので、公孫瓚は、歯がみをしながら、またも、崩れ立つ味方にまじって逃げ退いた。
「戦は、勝ったぞ」と、袁紹は、すっかり得意になって、顔良、文醜、麹義などの奔突してゆく後ろから、自身も、盤河橋をこえて、敵軍の中を荒しまわっていた。
さんざんなのは、公孫瓚の軍だった。一陣破れ、二陣潰え、中軍は四走し、まったく支離滅裂にふみにじられてしまったが、ここに不可思議な一備えが、後詰にあって、林のごとく、動かず騒がず、森としていた。
その兵は、約五百ばかりで、主将はきのう身を寄せたばかりの客将、趙雲子龍その人であった。
なんの気もなく、
「あれ踏みつぶせ」と、麹義は、手兵をひいて、その陣へかかったところ、突如、五百の兵は、あたかも蓮花の開くように、さっと、陣形を展げたかと見るまに、掌に物を握るごとく、敵をつつんで、八方から射浴びせ突き殺し、あわてて駒を返そうとする麹義を見かけるなり、趙子龍は、白馬を飛ばして、馬上から一気に彼を槍で突き殺した。
白馬の毛は、紅梅の落花を浴びたように染まった。きのう公孫瓚から、当座の礼としてもらった駿足である。
子龍は、なおも進んで敵の文醜、顔良の二軍へぶつかって行った。にわかに、対岸へ退こうとしても、盤河橋の一筋しか退路はないので、河に墜ちて死ぬ兵は数知れなかった。
深入りした味方が、趙子龍のために粉砕されたとはまだ知らない──袁紹であった。
盤河橋をこえて、陣を進め、旗下三百余騎に射手百人を左右に備え立て、大将田豊と駒をならべて、
「どうだ田豊。──公孫瓚も口ほどのものでもなかったじゃないか」
「そうですな」
「白馬二千を並べたところは、天下の偉観であったが、ぶッつけてみると一たまりもない。旗を河へ捨て、大将の厳綱を打たれ、なんたる無能な将軍か。おれは今まで彼を少し買いかぶっておったよ」
云っているところへ、俄雨のように、彼の身のまわりへ敵の矢が集まって来た。
「や、や、やっ」
袁紹は、あわてて、
「何処にいる敵が射てくるのか」と、急に備えを退いて、楯囲いの中へかけ込もうとすると、
「袁紹を討って取れ」
とばかり、趙雲の手勢五百が、地から湧いたように、前後から攻めかかった。
田豊は、防ぐに遑もなく、あまりに迅速な敵の迫力にふるい恐れて、
「太守太守、ここにいては、流れ矢にあたるか、生擒られるか、滅亡をまぬかれません。──あれなる盤河橋の崖の下まで退いて、しばらくお潜みあるがよいでしょう」
袁紹は、後ろを見たが、後ろも敵であった。しかも、敵の矢道は、縦横に飛び交っているので、
「今は」と、絶体絶命を観念したが、いつになく奮然と、着たる鎧を地に脱ぎ捨て、
「大丈夫たるもの、戦場で死ぬのは本望だ。物陰にかくれて流れ矢になどあたったらよい物笑い。なんぞ、この期に、生きるを望まん」と、叫んだ。
身軽となって真っ先に、決死の馬を敵中へ突き進ませ、
「死ねや、者ども」
とばかり力闘したので、田豊もそれに従い、他の士卒もみな獅子奮迅して戦った。
かかるところへ逃げ崩れて来た顔良、文醜の二将が、袁紹と合体して、ここを先途としのぎを削ったので、さしも乱れた大勢を、ふたたび盛り返して、四囲の敵を追い、さらに勢いに乗って、公孫瓚の本陣まで迫って行った。
この日。
両軍の接戦は、実に、一勝一敗、打ちつ打たれつ、死屍は野を埋め、血は大河を赤くするばかりの激戦で、夜明け方から午過ぐる頃まで、いずれが勝ったとも敗れたとも、乱闘混戦を繰返して、見定めもつかないほどだった。
今しも。
趙雲の働きによって、味方の旗色は優勢と──公孫瓚の本陣では、ほっと一息していたところへ、怒濤のように、袁紹を真っ先として、田豊、顔良、文醜などが一斉に突入して来たので、公孫瓚は、馬をとばして、逃げるしか策を知らなかった。
その時。
轟然と、一発の狼煙は、天地をゆすぶった。
碧空をかすめた一抹の煙を見ると、盤河の畔は、みな袁紹軍の兵旗に満ち、鼓を鳴らし、鬨をあげて、公孫瓚の逃げ路を、八方からふさいだ。
彼は生きたそらもなかった。
二里──三里──無我夢中で逃げ走った。
袁紹は勢いに乗じて急追撃に移ったが、五里余りも来たかと思うと、突如、山峡の間から、一彪の軍馬が打って出て、
「待ちうけたり袁紹。われは平原の劉玄徳──」
と、名乗る後から、
「速やかに降参せよ」
「死を取るや、降伏を選ぶや」
と、関羽、張飛など、平原から夜を日に次いで駆けつけて来し輩が、一度に喚きかかって来た。
袁紹は、仰天して、
「すわや、例の玄徳か」と、われがちに逃げ戻り、人馬互いに踏み合って、後には、折れた旗、刀の鞘、兜、槍など、道に満ち散っていた。
闘い終って。
公孫瓚は、劉玄徳を、陣に呼び迎え、
「きょうの危機に、一命を拾い得たのは、まったくご辺のお蔭であった」
と、深く謝して、また、「先にも、自分の危ういところを、折よく救ってくれた一偉丈夫がある。ご辺とはきっと心も合うだろう」と、趙子龍を迎えにやった。
子龍はすぐ来て、
「何か御用ですか」と、いった。
公孫瓚は、
「この人物です」と、玄徳へ紹介して、きょうの激戦で目ざましい働きをした子龍の用兵の上手さや、その人がらを、口を極めてたたえた。
子龍は、大いに羞恥って、
「太守、それがしを召しおいて、知らぬ人の前なのに、そうおからかいになるものではありません。穴でもあらば、隠れたくなります」と、謙遜した。
星眸濶面の見るからに威容堂々たる偉丈夫にも、童心のような羞恥のあるのをながめて、玄徳は思わずほほ笑んだ。
その笑みを見て、趙子龍も、
「やあ」
ニコと、笑った。
玄徳の和やかな眸。
彼の秋霜のような眼光。
それが、初めて相見て、笑みを交わしたのであった。
公孫瓚は、玄徳をさして、
「こちらが、劉備玄徳といって、きょう平原から馳けつけて、自分を扶けてくれた恩人だ。以前から誼みを持って、お互いに扶け合ってきた友人ではあるが」
と、姓名を告げると、趙子龍は、非常に驚いて、
「では、かねがね噂に聞いていた関羽、張飛の二豪傑を義弟に持っておられる劉玄徳と仰せられるのはあなたでありましたか。──これは計らずも、よい折に」
と、機縁をよろこんで、
「それがしは、常山真定の生れで、趙雲、字は子龍ともうす者。仔細あって公太守の陣中にとどまり、微功を立てましたが、まだ若輩の武骨者にすぎません。どうぞ将来、よろしくご指導ください」
と、辞を低うして、慇懃なあいさつをした。
玄徳も、
「いや、ご丁寧に、恐縮なごあいさつです。自分とてもまだ飄々たる風雲の一槍夫。一片の丹心あるほかは、半国の土地も持たない若年者です。私のほうからこそ、よろしくご好誼をねがいます」
二人は、相見た一瞬に、十年の知己のような感じを持った。
玄徳は、ひそかに、
(これはよい人物らしい。尋常の武骨ではない)
と、心中に頼もしく思い、趙雲子龍も同じように、
(まだ若いようだが、かねて噂に聞いていた以上だ。この劉玄徳という人こそ、将来ある人傑ではあるまいか。──主君と仰ぐならば、このような人をこそ)
と、心から尊敬を抱いた。
玄徳も、子龍も、ふたりともに客分といったような格で、公孫瓚にとっては、その点、すこし淋しい気もしたが、しかし、二人を引合わせて、彼も共にうれしい気がした。
玄徳には、後日の賞を約し、子龍には自分の愛馬──銀毛雪白な一頭を与えて、またの戦いに、協力を励まして別れた。
子龍は、拝領の白馬にまたがって、わが陣地へ帰って行ったが、意中に強く印象づけられたものは、公孫瓚の恩ではなく、玄徳の風貌だった。
遷都以後、日を経るに従って、長安の都は、おいおいに王城街の繁華を呈し、秩序も大いにあらたまって来た。
董卓の豪勢なることは、ここへ遷ってからも、相変らずだった。
彼は、天子を擁して、天子の後見をもって任じ、位は諸大臣の上にあった。自ら太政相国と称し、宮門の出入には、金花の車蓋に万珠の簾を垂れこめ、轣音揺々と、行装の綺羅と勢威を内外に誇り示した。
ある日。
彼の秘書官たる李儒が、彼に告げた。
「相国」
「なんじゃ」
「先頃から、袁紹と公孫瓚とが、盤河を挟んで戦っていますが」
「ム。そうらしいな。どんな形勢だ」
「袁紹のほうが、やや負け色で、盤河からだいぶ退いたようですが、なお、両軍とも対陣のまま、一ヵ月の余も過しております」
「やるがいい、両軍とも、わしに叛いたやつだ」
「いや、ここ久しく、朝廷におかれても、遷都後の内政にいそがしく、天下の事は抛擲した形になっていますが、それでは、帝室のご威光を遍からしめるわけにゆきません」
「なにか、策があるのか」
「相国から奏上して、天子の詔をうけ、勅使を盤河へつかわして、休戦をすすめ、両者を和睦させるべきかと存じます」
「なるほど」
「両方とも、おびただしい痛手をうけて、戦い疲れている折ですから、和睦の勅使を下せば、よろこんで承知するでしょう。──そしてその恩徳は、自然、相国へ対して、帰服することとなって来ましょう」
「大きにもっともだ」
董卓は、早速、帝に奏して、詔を奏請し、太傅馬日磾、趙岐のふたりを勅使として関東へ下した。
勅使馬太傳は、まず袁紹の陣へ行って、旨を伝え、それから公孫瓚の所へ行って、董相国の和解仲裁の意をもたらした。
「袁紹さえ異存なくば」
と、一方がいえば、一方も、
「彼が兵を退くならば」
との云い分で、両方とも、渡りに舟とばかり、勅命に従った。
そこで馬太傳は、盤河橋畔の一亭に、両軍の大将をよんで、手を握らせ、杯を交わしあって、都へ帰った。
袁紹も、公孫瓚も、同日に兵馬をまとめて、おのおの帰国したが、その後、公孫瓚は、長安へ感謝の表を上せて、そのついでに、劉備玄徳を、平原の相に封じられたいという願いを上奏した。
朝廷のゆるしは間もなく届いた。公孫瓚は、それを以て、
「貴下に示す自分の微志である」と、玄徳に酬いた。
玄徳は、恩を謝して、平原へ立つことになったが、その送別の宴が開かれて、散会した後、ひそかに、彼の宿舎を訪れて来た者がある。趙雲子龍であった。
子龍は、玄徳の顔を見ると、
「もう、今宵かぎり、お別れですなあ」
と、いかにも名残り惜しげに、眼に涙すらたたえて云った。
そして、いつまでも、話しこんで帰ろうともしなかったが、やがて思いきったように、子龍は云いだした。
「劉兄。──明日ご出発のみぎりに、それがしも共に平原へ連れて行ってくれませんか。こう申しては押しつけがましいが、私は、あなたとお別れするに忍びない。──それほど心中に深くお慕い申しているわけです」
と鬼をあざむく英傑が、処女の如く、さしうつ向いていうのであった。
玄徳もかねてから、趙子龍の人物には、傾倒していたので、彼に今、別離の情を訴えられると、
「せっかく陣中でよい友を得たと思ったのに、たちまち、平原へ帰ることになり、なにやら自分もお別れしとうない心地がする」と、いった。
子龍は、沈んだ顔をして、
「実は、それがしは、ご存じの如く、袁紹の旗下にいた者ですが、袁紹が洛陽以来の仕方を見るに、不徳な行為が多いので、ひるがえって、公孫瓚こそは、民を安める英君ならんと、身を寄せた次第です。──ところが、その公孫瓚も、長安の董卓から仲裁の使いをうけると、たちまち、袁紹と和解して、小功に甘んじるようでは、その器もほどの知れたもので、とうてい、天下の窮民を救う英雄とも思われません。まずまず、袁紹とちょうどよい相手といってよいでしょう」
こう嘆いてから、彼は、玄徳に向って、自分の本心を訴えた。
「劉大兄。お願いです。それがしを平原へお伴い下さい。あなたこそ、将来、為すある大器なりと、見込んでのお願いです。……どうぞ、それがしを家臣として行く末までも」
子龍は、床にひざまずいて、真実を面に、哀願した。
玄徳は、瞑目して、考えこんでいたが、
「いや、私はそんな大才ではありません。けれど、将来において、また再会のご縁があったら、親しく今日の誼をまた温めましょう。──今は時機ではありません。私の去った後は、なおのこと、どうか公孫瓚を助けてあげて下さい。時来るまで、公孫瓚の側にいて下さい。それが、玄徳からお願い申すところです」
諭されて、子龍もぜひなく、
「では、時を得ましょう」と、涙ながら後に留まった。
翌日。
玄徳は、張飛、関羽などの率いる一軍の先に立って、平原へ帰った。──即ち、その時から彼は平原の相として、ようやく、一地方の相たる印綬を帯びたのだった。
× × ×
ここに、南陽の太守で、袁術という者がある。
袁紹の弟である。
かつては、兄袁紹の旗下にあって、兵糧方を支配していた男だ。
南陽へ帰ってからも、兄からはなんの恩禄をくれる様子もないので、
「怪しからぬ」と、不平でいっぱいだった。
彼は、書面を送って、
「先頃からの賞として、冀北の名馬千匹を賜わりたい。くれなければ考えがある」
と兄へ申入れた。
袁紹は、弟の強請がましい恩賞の要求に、腹を立てたか、一匹の馬も送ってよこさないばかりか、それについての返辞も与えなかった。
袁術は大いに怨んで、それ以来、兄弟不和となっていたが、兵馬の資財はすべて兄のほうから仰いでいたので、たちまち、経済的に苦しくなって来た。
で、荊州の劉表へ使いをやって、兵糧米二万斛の借用を申しこむと、劉表からも態よく断られてしまった。
「こいつも兄の指し金だな」
袁術は、憤怒を発して、とうとう自暴自棄の兆をあらわした。
彼の密使は、暗夜ひそかに、呉へ渡って、呉の孫堅へ一書を送った。
文面は、こうであった。
異日、印を奪わん為、洛陽の帰途を截ち、公を苦しめたるものは袁紹の謀事なり。今また、劉表と議し、江東を襲って、公の地を掠めんと企つ。いうに忍びず、ただ、公は速やかに兵を興して荊州を取れ。われもまた兵を以て助けん。公荊州を得、われ冀州を取らば、二讐一時に報ずるなり。誤ち給うなかれ。
ここは揚子江支流の流域で、城下の市街は、海のような太湖に臨んでいた。孫堅のいる長沙城(湖南省)はその水利に恵まれて、文化も兵備も活発だった。
程普は、その日旅先から帰ってきた。
ふと見ると、大江の岸にはおよそ四、五百艘の軍船が並んでおびただしい食糧や武器や馬匹などをつみこんでいるのでびっくりした。
「いったい、どこにそんな大戦が起るというのか」
従者をして、船手方の者にただしてみると、よく分らないが、孫堅将軍の命令が下り次第に、荊州(揚子江沿岸)の方面の戦争にゆくらしいとのことだった。
「はてな」
程普はにわかに、私邸へ帰るのを見合わせて、途中から登城した。そして同僚の幕将たちにわけを聞いていよいよ驚いた。
彼はさっそく太守の孫堅に謁して、その無謀を諫めた。
「承れば、袁術と諜し合わせて、劉表、袁紹を討とうとの軍備だそうですが、一片の密書を信じて、彼と運命を共にするのは、危ない限りではありますまいか」
孫堅は笑って、
「いや程普、それくらいなことは、自分も心得ておるよ。袁術はもとより詐り多き小人だ。──しかし、予は彼の力をたのんで兵を興すのではない。自分の力をもってするのだ」
「けれど、兵を挙げるには、正しい名分がなければなりません」
「袁紹は先に、洛陽において、わしをあのように恥かしめたではないか。また、劉表はそのさしずをうけて、予の軍隊を途中で阻み、さんざんにこの孫堅を苦しめた。今、その恥と怨みとをそそぐのだ」
程普も、それ以上、諫言のことばもなく、自らまたすすんで軍備を督励した。
吉日をえらんで、五百余艘の兵船は、大江を発するばかりとなった。──早くもこの沙汰が、荊州の劉表へ聞えたので、劉表は、
「すわこそ」と、軍議を開いて、その対策を諸将にたずねた。
時に、蒯良という一将がすすみ出て、意見を吐いた。
「なにも驚き騒ぐほどな敵ではありません。よろしく江夏城の黄祖をもって、要害をふせがせ、荊州襄陽の大軍をこぞって、後軍に固く備えおかれれば、大江を隔てて孫堅もさして自由な働きはできますまい」
人々も皆、
「もっともな説」と、同意して、国中の兵力をあつめ、それぞれ防備の完璧を期していた。
湖南の水、湖北の岸、揚子江の流域はようやく波さわがしい兆しをあらわした。
さて、ここに。
孫堅方では、その出陣にあたって、閨門の女性やその子達をめぐって、家庭的な一波紋が起っていた。
彼の正室である呉氏の腹には、四人の子があった。
長男の孫策、字は伯符。
第二子孫権、字は仲謀。
第三男、孫翊。
第四男、孫匡。
などの男ばかりだった。
また、呉氏の妹にあたる孫堅の寵姫からは、孫朗という男子と、仁という女子との二人が生れていた。
また、兪氏という寵妾にも、ひとりの子があった。孫韶、字は公礼である。
──明日は出陣。
と聞えた前夜のこと。その大勢の子らをひきいて、孫堅の弟孫静は、なにか改まって、兄孫堅の閣へたずねて来た。
「舎弟か、──やあ大勢で揃って来たな。明日は出陣だ。みんなして門出を祝いに来たか」
孫堅は、上機嫌だった。
弟の孫静は、
「いや兄上」と改まって、
「あなたのお子たちをつれて、こう皆して参ったわけは、ご出戦をお諫めにきたので、お祝いをのべに来たのではありません」
「なに。諫めに?」
「はい。もし大事なお身に、間違いでもあったら、この大勢の公達や姫たちは、どうなされますか。このお子たちの母たる呉夫人も、呉姫も、兪美人も、どうか思い止まって下さるようと、私を通じてのおすがりです」
「ばかをいえ、この期になって──」
「でも、敗れて後、戟をおさめるよりはましでしょう」
「不吉なことを申すな」
「すみません、しかし兄上、これが、天下の乱にのぞんで億民の救生に起つという戦なら、私はお止めいたしません。たとえ三夫人の七人のお子がいかにお嘆きになろうとも、孫静が先に立ってご出陣を慶します。──けれどこんどの軍は、私怨です。自我の小慾と小義です。その為、兵を傷つけ、百姓を苦しめるようなお催しは、絶対にお見合せになったほうがよいと考えられますが」
「だまれ、おまえや女子供の知ったことじゃない」
「いや、そう仰っしゃっても」
「黙らぬかっ。──汝は今、名分のない戦といったが、誰か、孫堅の大腹中を知らんや。おれにも、救世治民の大望はある。見よ、今に天下を縦横して、孫家の名を重からしめてみせるから」
「ああ」
孫静は、ついに黙ってしまった。
すると、呉夫人の子の長男孫策は、ことし紅顔十七歳の美少年だったが、つかつかと前へ進んで、
「お父上が出陣なさるなら、ぜひ私も連れて行ってください。七人の兄弟のうちでは、私が年上ですから」と、いった。
にがりきっていた孫堅は、長男の健気なことばに、救われたように機嫌を直した。
「よくいった。幼少からそちは兄弟中でも、英気すぐれ、物の役にも立つ子と、わしも見込んでいただけのものはあった。明日、わしの立つまでに、身仕度をしておるがよい」
孫堅は、さらに、大勢の子と、弟とを見まわして、
「次男の孫権は、叔父御の孫静と心をあわせて、よく留守を護っておれよ」と、云い渡した。
次男の孫権は、
「はい」と、明瞭に答えて、父の面に、じっと訣別を告げていた。
孫策の母の呉夫人は、叔父と共に諫めに行った長男が、かえって父について戦に征くと聞いて、
「とんでもない。あの子を呼んでおくれ」
と、侍女を迎えにやったが、それがまだ夜も明けない頃だったのに、長男の孫策は、もう城中にいなかった。
孫策は、もし母が聞いたら、必ず止めるであろうと、あらかじめ察していたし、また、彼は鷹の子の如く俊敏な気早な若武者でもあったから、父の出陣の時刻も待たず、
「われこそ一番に」と、まだ暗いうちに大江の畔へ出て、早くも軍船の一艘に乗込み、真っ先に船をとばして、敵の鄧城(河南省・鄧県)へ攻めかかっていたのであった。
黎明と共に、出陣の鼓は鳴った。長沙の大兵は、城門から江岸へあふれ、軍船五百余艘、舳艫をそろえて揚子江へ出た。
孫堅は、長男の孫策が、すでに夜の明けないうち、十艘ばかり兵船を率いて、先駆けしたと聞いて、「頼もしいやつ」と、口には大いにその健気さを賞したが、心には初陣の愛児の身に万一の不慮を案じて、
「孫策を討たすな」と、急ぎに急いで、敵の鄧城へ向った。
劉表の第一線は、黄祖を大将として、沿岸に防禦の堅陣を布いていた。
孫策は、父の本軍より先に来て、わずかな兵船をもって、一気に攻めかかっていたが、陸上から一斉に射立てられて、近づくことさえできなかった。
その間に、味方の五百余艘が、父孫堅の龍首船をまん中にして、江上に船陣を布き、
「孫策、はやまるな」
と、小舟をとばして伝令して来たので、孫策もうしろへ退いて、父の船陣の内へ加わった。
孫堅は、充分に備え立て、各船の舳に楯と射手をならべ、弩弓の弦を満々とかけて、
「いざ、進め」と、白浪をあげながら江岸へ迫った。
そして、射かける間に、各親船から小舟をおろし、戟、剣の精鋭を陸へ押しあげて、一気に沿岸の防禦を突破しようという気勢であった。
しかし、敵もさるものである。
防禦陣の大将黄祖は、かねて手具脛ひいて待っていたところであるから、
「怨敵ござんなれ」と、鳴りをしずめたまま、兵船の近づくまで、一矢も放たなかった。
そして、充分、機を計って、
「よしっ」
と、黄祖が、一令を発すると、陸上に組んである多くの櫓や、また、何町という間、布き列ねてある楯や土塁の蔭から、いちどに飛箭の暴風を浴びせかけた。
両軍の射交わす矢うなりに、陸地と江上のあいだは矢の往来で暗くなった。黄濁な揚子江の水は岸に激して凄愴な飛沫をあげ、幾度かそこへ、小舟の精兵が群れをなして上陸しようとしたが、皆ばたばたと射殺されて、死体はたちまち、濁流の果てへ、芥のように消えて行った。
「退けや、退けや」
孫堅は、戦不利と見て、たちまち船陣を矢のとどかぬ距離まで退いてしまった。
彼は、作戦を変えた。
夜に入ってからである。さらに、附近の漁船まで狩りだして、それに無数の小舟を列ね、赤々と、篝火を焚かせて、あたかも夜襲を強行するようにみせた。
江上は、真っ暗なので、その火ばかりが物すごく見えた。陸上の敵は、
「すわこそ」と、昼にもまして、弩弓や火箭を射るかぎり射てきた。
しかしそれには、兵は乗っていなかったのである。舟をあやつる水夫だけであった。孫堅の命令で、水夫は、敵にいたずらな矢数をつかい果たさせるため、暗澹たる江上の闇で、ただ、わあわあっと、声ばかりあげていた。
夜が明けると、小舟も漁船も、敵に正体を見られぬうちに、四散してしまった。そして、夜になるとまた、同じ策を繰返した。
こうして七日七夜も、毎夜、空船の篝で敵を欺き、敵がつかれ果てた頃、一夜、こんどはほんとに強兵を満載して、大挙、陸上へ馳けのぼり、黄祖の軍勢をさんざんに追い乱した。
船手の水軍は、すべて曠野へ上がって、雲の如き陸兵となった。
鄧城へ逃げこんだ敵の黄祖は、張虎、陳生の両将を翼として、翌日ふたたび猛烈に撃退しにかかって来た。
そして、乱軍となるや、「孫堅を始め、一人も生かして帰すな」とばかり、張虎、陳生らは、血眼になって馳けまわり、孫堅の本陣へ突いてくると、大音で罵った。
「汝ら、江東の鼠、わが大国を犯して、なにを求めるかっ」
聞いて、孫堅は、
「口はばったい草賊めら、あの二人を討て」と、左右へ下知した。
幕下の韓当は、
「われこそ」と、刀を舞わして、張虎へ当り、戦うこと三十余合、火華は鏘々と、両雄の眸を焦いた。
陳生、それを見て、
「助太刀」と、呼ばわりながら、張虎を扶けて韓当を挟み撃ちに苦しめた。
さしもの韓当もすでに危うしと見えた時である。──父孫堅の傍らにあった孫策は、従者の持っていた弓を取りあげて、キリキリと箭を眦へ当ててふかく引きしぼり、
「おのれ」と、弦を切って放った。
箭は、ぴゅっと、味方の上を越えて、彼方なる陳生の面に立った。
陳生は、物すごい叫びをあげて、どうと鞍から転び落ちる──
「や、やっ」
張虎は、怖れて、にわかに逃げかけた。やらじと追いかけて、韓当はそのうしろから、張虎の盔の鉢上をのぞんで重ね討ちに斬りさげた。
──二将すでに討たる!
と聞えて、全軍敗色につつまれ出したので、黄祖は狼狽して、蜘蛛の子のように散る味方の中、馬を打って逃げ走った。
「黄祖を擒れ」
「生擒りにせよ」
若武者孫策は、槍をかかえて彼を追うこと急だった。
幾たびか、孫策の槍が、彼のすぐ後ろまで迫った。
黄祖は、盔も捨て、ついには、馬までおりて、徒歩の雑兵たちの中へまぎれこんで、危うくも、一つの河をわたり、鄧城の内へ逃げ入った。
この一戦に、荊州の軍勢はみだれて、孫堅の旗幟は十方の野を圧した。
孫堅は、ただちに、漢水まで兵をすすめ、一方、船手の軍勢を、漢江に屯させた。
× × ×
「黄祖が大敗しました」
早馬の使いから、次々、敗報をうけて、劉表は色を失っていた。
蒯良という臣が云った。
「この上は、城を固めて、一方、袁紹へ急使をつかわし、救いをお求めなされるがよいでしょう」
すると、蔡瑁は、
「その計、拙し」と反対して、「敵すでに城下に迫る。なんで手をつかねて生死を他国の救いに待とうぞ。それがし不才なれど、城を出て、一戦を試みん」と豪語した。
劉表も、それを許した。
蔡瑁は、一万余騎をひきいて、襄陽城を発し、峴山(湖北省・襄陽の東)まで出て陣を張った。
孫堅は、各所の敵を席捲して、着々戦果を収めて来た勢いで、またたちまち、峴山の敵も撃破してしまった。
蔡瑁は、口ほどもなく、みじめな残兵と共に、襄陽城へ逃げ帰って来た。
大兵を損じたばかりか、おめおめ逃げ帰って来た蔡瑁を見ると、初めに、劉表の前で、卑怯者のようにいい負かされた蒯良は、
「それみたことか」と、面罵して怒った。
蔡瑁は、面目なげに、謝ったが蒯良は、
「わが計事を用いないで、こういう大敗を招いたからには、責めを負うのが当然である」
と、軍法に照らして、その首を刎ねん──と太守へ申し出た。
劉表は、困った顔して、
「いや今は、一人の命も、むだにはできない場合だから」
と、なだめて、ついに、彼を斬ることは許さなかった。
──というのは、蔡瑁の妹は絶世の美人であって、近ごろ劉表は、その妹をひどく愛していたからであった。
蒯良も、ぜひなく黙ってしまった。大義と閨門とはいつも相剋し葛藤する──。が、今は争ってもいられない場合だった。
「頼むは、天嶮と、袁紹の救援あるのみ」
と、蒯良は、悲壮な決心で、城の防備にかかった。
この襄陽の城は、山を負い、水をめぐらしている。
荊州の嶮。
と、いわれている無双な要害であったから、さすが寄手の孫堅軍も、この城下に到ると、攻めあぐんで、ようやく、兵馬は遠征の疲労と退屈を兆していた。
するとある日。
ひどい狂風がふきまくった。
野陣の寄手は、砂塵と狂風に半日苦しんだ。ところが、どうしたことか、中軍に立っている「帥」の文字をぬいとってある将旗の旗竿が、ぽきんと折れてしまった。
「帥」の旗は、総軍の大将旗である。兵はみな不吉な感じにとらわれた。わけて幕僚たちは眉をくもらせて、
「ただ事ではない」と、孫堅をかこみ、そしておのおの口を極めていった。
「ここ戦もはかばかしからず、兵馬もようやく倦んできました。それに、家郷を遠く離れて、はや征野の木々にも冬の訪れが見えだしたところへ──朔風にわかにふいて、中軍の将旗の旗竿が折れたりなどして、皆不吉な予感にとらわれています。もうこの辺で、いちど軍をお退きになられてはいかがでしょうか」
すると孫堅は
「わははは。其方どもまで、そんな御幣をかついでいるのか」と、哄笑した。
彼は、気にもかけていなかった。しかし、士気に関することであるから、孫堅も、真面目になって云い足した。
「風はすなわち天地の呼吸である。冬に先立って、こういう朔風がふくのは冬の訪れを告げるので旗竿を折るためにふいてきたのではない。──それを怪しむのは人間の惑いに過ぎん。もうひと押し攻めれば、落ちるばかりなこの城だ。掌のうちにある敵城をすてて、なんでここから引っ返していいものか」
いわれてみれば、道理でもあった。諸将は二言なく、孫堅の説に服して、また、士気をもり返すべく努めた。
翌日から、寄手はまた、大呼して城へ迫った。水を埋め、火箭鉄砲をうち浴せ、軽兵は筏に乗って、城壁へしがみついた。
しかし、襄陽の城は、頑としていた。
霜が降りてくる。
霙が夜々降る。
蕭々たる戦野の死屍は、いたずらに、寒鴉を歓ばすのみであった。
旋風のあった翌日である。
襄陽城の内で、蒯良は、劉表のまえに出て、ひそかに進言していた。
「きのうの天変は凡事ではありません。お気づきになりましたか」
「ムム。あの狂風か」
「昼の狂風も狂風ですが、夜に入って、常には見ない熒星が、西の野に落ちました。按ずるに将星地に墜つの象、まさに、天人が何事かを訓えているものです」
「不吉を申すな」
「いや、味方に取っては、憂うべきことではありません。むしろ、壇を設けて祭ってもいいくらいです。方をはかるに、凶兆は敵孫堅の国土にあります。──機をはずさず、この際、袁紹が方へ人をつかわして、援助を乞われたら、寄手の敵は四散するか、退路を断たれて袋の鼠となるか、二つに一つを選ばねばならなくなるでしょう」
劉表は、うなずいて、
「誰か、城外の囲みを突破して、袁紹のもとへ使いする者はないか」と、家臣の列へ云った。
「参りましょう」
呂公は、進んで命をうけた。蒯良は、彼ならばよかろうと、人を払って、呂公に一策を授けた。
「強い馬と、精猛な兵とを、五百余騎そろえて射手をその中にまじえ、敵の囲みを破ったら、まず峴山へ上るがよい。必ず敵は追撃して来よう。このほうはむしろそれを誘って、山の要所に、岩石や大木を積んで置き、下へかかる敵を見たら一度に磐石の雨を浴びせるのだ。──射手は敵の狼狽をうかがって、四林から矢をそそぎかけろ、──さすれば敵は怯み、道は岩石大木に邪げられ、やすやすと袁紹のところまで行くことができよう」
「なるほど、名案ですな」
呂公は、勇んで、その夜、ひそかに鉄騎五百を従えて、城外へ抜けだした。
馬蹄をしのばせて、蕭殺たる疎林の中を、忍びやかに進んで行った。万樹すべて葉をふるい落し、はや冬めいた梢は白骨を植え並べたように白かった。
細い月が懸かっていた。──と敵の哨兵であろう、疎林の端まで来ると、
「誰だ」と、大喝した。
どっと、先頭の十騎ばかりが、跳びかかって、たちまち五人の歩哨を斬りつくした。
すぐ、そこは、孫堅の陣営だったから、孫堅は、直ちに、馳けだして、
「今、馳け通った馬蹄の音は敵か、味方か」と、大声で訊ねた。
答えはなく、五人の歩哨は、二日月の下に、碧い血にまみれていた。
孫堅は、それを見るなり、
「やっ。さては」と、直覚したので、馬にとび乗るが早いか、味方の陣へ、
「城兵が脱出したぞっ。──われにつづけっ」
と、呼ばわって、自身まっ先に呂公の五百余騎を追いかけて行った。
急なので、孫堅の後からすぐ続いた者は、ようやく、三、四十騎しかなかった。
先の呂公は振りかえって、
「来たぞ、追手が」
かねて計っていたことなので、驚きもせず、疎林の陰へ、射手を隠して、自分らは遮二無二、山上へよじ登って行った。そして敵のかかりそうな断崖の上に、岩石を積みかさねて、待ちかまえていた。
──程なく。
十騎、二十騎、四、五十騎と、敵らしい影が、林の中から山の下あたりへ、わウわウと殺到して、なにか口々に罵っていた。
中に、孫堅の声がした。
「敵は、山上に逃げたにちがいない。──なんの、これしきの断崖、馬もろとも、乗り上げろっ」
猛将の下、弱卒はない。
孫堅が、馬を向けると後から後から駈けつづいて来た部下も、どっと、峴山の登りへかかりかけた。
けれど、足もとは暗く、雑草の蔓と、雪崩れやすい土砂に悩まされて、孫堅の馬も、ただいななくのみだった。
断崖の上からうかがっていた呂公は、今ぞと思って、
「それっ、落せっ、射ろ」と、山上山下へ、両手を振って合図をした。
大小の岩石は、一度に、崖の上から落ちてきて、下なる孫堅とその部下三、四十人を埋めてしまうばかりだった。しかも、あわてて遁れようとすれば、四方の木陰から、凄まじい矢うなり疾風が身をつつむ。
「しまった!」
孫堅の眼が、二日月を睨んだ。とたんに、彼の頭の上から、一箇の巨大な磐石が降って来た。
ずしんっ──
地軸の揺れるのを覚えた刹那、孫堅の姿も馬も、その下になっていた。あわれむべし血へどを吐いた首だけが、磐石の下からわずかに出ていた。
孫堅、その時、年三十七歳。
初平三年の辛未、十一月七日の夜だった。巨星は果たして地に墜ちたのだ。夜もすがら万梢悲々と霜風にふるえて、濃き血のにおいとともに夜はあけた。
朝陽を見てから、敵も味方も気づいて、騒ぎ出したことだった。
呂公は、自分の殺した三十余騎の追手中に、敵の大将がいようなどとは、夢にも気がつかなかったのである。
が──疎林の内に残っていた射手の一隊が、夜明けと同時に発見して、
「これこそ孫堅だ」
と、その死体を、狂喜して城内へ奪い去り、呂公は、連珠砲を鳴らして、城内へ異変を告げた。
寄手の勢もにわかの大変に、その狼狽や動揺はおおうべくもない。──号泣する者、喪失して茫然たる者、血ばしって弓よ刀よと騒動する者──兵はみだれ、馬はいななき、早くも陣の備えはその態を崩しはじめた。
劉表、蒯良など、城内の者は、手を打ちたたいて、
「孫堅、洛陽に玉璽を盗んで、まだ二年とも経たぬ間に、はやくも天罰にあたって、大将にあるまじき末期を遂げたか。──すわや、この虚をはずすな」
黄祖、蔡瑁、蒯良なんどみな一度に城戸をひらいて、どっと寄手のうちへ衝いて行った。
すでに大将を失った江東の兵は戦うも力はなく、打たるる者数知れなかった。
漢江の岸に、兵船をそろえていた船手方の黄蓋は、逃げくずれてきた味方に、大将の不慮の死を知って、大いに憤り、
「いでや、主君の弔合戦」
とばかり、船から兵をあげて、折りから追撃して来た敵の黄祖軍に当り、入り乱れて戦ったが、怒れる黄蓋は、獅子奮迅して、敵将黄祖を、乱軍のなかに生擒って、いささか鬱憤をはらした。
また。
程普は、孫堅の子、孫策を扶けて襄陽城外から漢江まで無二無三逃げて来たが、それを見かけた呂公が、
「よい獲物」とばかり孫策を狙って、追撃して来たので、程普は、
「讐の片割れ、見捨てては去れぬ」と、引っ返して渡り合い、孫策もまた、槍をすぐって程普を助けたので、呂公はたちまち、馬より斬って落されて、その首を授けてしまった。
両軍の戦うおめき声は、暁になって、ようやくやんだ。
何分この夜の激戦は、双方ともなんの作戦も統御もなく、一波が万波をよび、混乱が混乱を招いて、闇夜に入り乱れての乱軍だったので、夜が明けてみると、相互の死傷は驚くべき数にのぼっていた。
劉表の軍勢は、城内にひきあげ、呉軍は漢水方面にひき退いた。
孫堅の長男孫策は漢水に兵をまとめてから、初めて、父の死を確かめた。
ゆうべから父の姿が見えないので、案じぬいてはいたがそれでもまだ、どこからか、ひょっこり現れて、陣地へ帰って来るような気がしてならなかったが、今はその空しいことを知って声をあげて号泣した。
「この上は、せめて父の屍なりとも求めて厚く弔おう」と、その遭難の場所、峴山の麓を探させたが、すでに孫堅の死骸は、敵の手に収められてしまった後だった。
孫策は、悲痛な声して、
「この敗軍をひっさげ、父の屍も敵に奪られたまま、なんでおめおめ生きて故国へ帰られよう」
と、いよいよ、慟哭してやまなかった。
黄蓋は、慰めて、
「いやゆうべ、それがしの手に、敵の一将黄祖という者を生擒ってありますから、生ける黄祖を敵へ返して、大殿の屍を味方へ乞い請けましょう」と、いった。
すると、軍吏桓楷という者があって、劉表とは、以前の交誼があるとのことなので、桓楷を、その使者に立てた。
桓楷は、ただ一人、襄陽城におもむいて、劉表に会い、
「黄祖と、主君の屍とを、交換してもらいたい」
と、使いの旨を告げると、劉表はよろこんで、
「孫堅の死体は、城内に移してある。黄祖を送り返すならば、いつでも屍は渡してやろう」と、快諾し、また、
「この際、これを機会に、停戦を約して、長く両国の境に、ふたたび乱の起らぬような協定を結んでもいい」と、いった。
使者桓楷は、再拝して、
「では、立帰って、早速その運びをして参りましょう」
と、起ちかけると、劉表の側に在った蒯良が、やにわに、
「無用、無用」と、叫んで、主の劉表に向かって諫言した。
「江東の呉軍を破り尽すのは、今この時です。しかるに、孫堅の屍を返して、一時の平和に安んぜんか、呉軍は、今日の雪辱を心に蓄えて、必ず兵気を養い、他日ふたたびわが国へ仇をなすことは火を見るよりも明かなことだ。──よろしく使者桓楷の首を刎ねて、即座に、漢水へ追撃の命をお下しあるように望みます」
劉表は、ややしばらく、黙考していたが、首を振って、
「いやいや、わしと黄祖とは、心腹の交わりある君臣だ。それを見殺しにしては、劉表の面目にかかわる」と、蒯良のことばを退けて、遂に屍を与えて、黄祖の身を、城内へ受取った。
蒯良は、そのことの運ばれる間にも、幾度となく、
「無用の将一人をすてても、万里の土地を獲れば、いかなる志も後には行うことができるではありませんか」と、口を酸くして説いたが、遂に用いられなかったので、
「ああ、大事去る!」と、独り長嘆していた。
一方、呉の兵船は、弔旗をかかげて、国へ帰り、孫策は、父の柩を涙ながら長沙城に奉じて、やがて曲阿の原に、荘厳な葬儀を執り行った。
年十七の初陣に、この体験をなめた孫策は、父の業を継ぎ、賢才を招き集めて、ひたすら国力を養い、心中深く他日を期しているもののようであった。
「呉の孫堅が討たれた」
耳から耳へ。
やがて長安(陝西省・西安)の都へその報は旋風のように聞えてきた。
董卓は、手を打って、
「わが病の一つは、これで除かれたというものだ。彼の嫡男孫策はまだ幼年だし……」
と、独りよろこぶこと限りなかったとある。
その頃、彼の奢りは、いよいよ募って、絶頂にまで昇ったかの観がある。
位は人臣をきわめてなおあきたらず、太政太師と称していたが、近頃は自ら尚父とも号していた。
天子の儀仗さえ、尚父の出入の耀かしさには、見劣りがされた。
弟の董旻に、御林軍の兵権を統べさせ、兄の子の董璜を侍中として、宮中の枢機にすえてある。
みな彼の手足であり、眼であり、耳であった。
そのほか、彼につながる一門の長幼縁者は端にいたるまで、みな金紫の栄爵にあずかって、わが世の春に酔っていた。
郿塢──
そこは、長安より百余里の郊外で、山紫水明の地だった。董卓は、地を卜して、王城をもしのぐ大築城を営み、百門の内には金玉の殿舎楼台を建てつらね、ここに二十年の兵糧を貯え、十五から二十歳ぐらいまでの美女八百余人を選んで後宮に入れ、天下の重宝を山のごとく集めた。
そして、憚りもなく、常にいうことには、
「もし、わが事が成就すれば、天下を取るであろう。事成らざる時は、この郿塢城に在って、悠々老いを養うのみだ」──と。
明らかに、大逆の言だ。
けれど、こういう威勢に対しては、誰もそれをそれという者もない。
地に拝伏して、ただ命をおそれる者──それが公卿百官であった。 こうして、彼は、自分の一族を郿塢城において、半月に一度か月一度ぐらいずつ、長安へ出仕していた。
沿道百余里、塵をもおそれ、砂を掃き、幕をひき、民家は炊煙も断って、ただただ彼の車蓋の珠簾とおびただしい兵馬鉄槍が事なく通過するのみを祷った。
「太師。お召しですか」
天文官の一員は彼によばれて、ひざまずいた。
その日、朝廷の宴楽台に、酒宴のあるという少し前であった。
「なにか変ったことはないか」
董卓の訊ねに、
「そういえば昨夜、一陣の黒気が立って、月白の中空をつらぬきました。なにか、諸公のうちに、凶気を抱く者があるかと思われます」
「そうだろう」
「なにかお心あたりがおありでございますか」
すると董卓は、はったと睨みつけて云った。
「そちらの知ったことではない。我より問われて初めて答えをなすなど怠慢至極だ。天文官は、絶えず天文を按じ、凶事の来らぬうちに我へ告げねば、なんの役に立つかっ」
「はっ。恐れ入りましてございます」
天文官は、自分の首の根から黒気の立たないうちに、蒼くなってあたふた退出した。
やがて、時刻となると、公卿百官は、宴に蝟集した。すると、酒もたけなわの頃、どこからか、呂布があわただしく帰って来て、
「失礼します」と、董卓のそばへ行って、その耳元へなにやらささやいた。
満座は皆、杯もわすれて、その二人へ、神経をとがらしていた。
──と、董卓は、うなずいていたが、呂布へ向って低声に命じた。
「逃がすなよ」
呂布は、一礼して、そこを離れたと見ると、無気味な眼を光らして、百官のあいだを、のそのそと歩いて来た。
「おい。ちょっと起て」
呂布の腕が伸びた。
酒宴の上席のほうにいた司空張温の髻を、いきなりひッ掴んだのである。
「あッ、な、なにを」
張温の席が鳴った。
満座、色醒めて、どうなることかと見ているまに、
「やかましい」
呂布は、その怪力で、鳩でも掴むように、無造作に、彼の身を堂の外へ持って行ってしまった。
しばらくすると、一人の料理人が、大きな盤に、異様な料理を捧げて来て、真ん中の卓においた。
見ると、盤に盛ってある物は、たった今、呂布に掴み出されて行った張温の首だったので、朝廷の諸臣は、みなふるえあがってしまった。
董卓は、笑いながら、
「呂布は、いかがした」と呼んだ。
呂布は、悠々、後から姿をあらわして、彼の側に侍立した。
「御用は」
「いや、そちの料理が、少し新鮮すぎたので、諸卿みな杯を休めてしまった。安心して飲めとお前からいってやれ」
呂布は満座の蒼白い顔に向って、傲然と、演説した。
「諸公。もう今日の余興はすみました。杯をお挙げなさい。おそらく張温のほかに、それがしの料理をわずらわすようなお方はこの中にはおらんでしょう。──おらない筈と信じる」
彼が、結ぶと、董卓もまた、その肥満した体躯を、ゆらりと上げて云った。
「張温を誅したのは、ゆえなきことではない。彼は、予に叛いて、南陽の袁術と、ひそかに通謀したからだ。天罰といおうか、袁術の使いが密書を持って、過って呂布の家へそれを届けてきたのじゃ。──で彼の三族も、今し方、残らず刑に処し終った。汝ら朝臣も、このよい実例を、しかと見ておくがよい」
宴は、早めに終った。
さすが長夜の宴もなお足らないとする百官も、この日は皆、匆々に立ち戻り、一人として、酔った顔も見えなかった。
中でも司徒王允は、わが家へ帰る車のうちでも、董卓の悪行や、朝廟の紊れを、つくづく思い沁めて、
「ああ。……ああ」
歎息ばかり洩らしていた。
館に帰っても、憤念のつかえと、不快な懊悩は去らなかった。
折ふし、宵月が出たので、彼は気をあらためようと、杖をひいて、後園を歩いてみたが、なお、胸のつかえがとれないので、茶蘼の花の乱れ咲いている池畔へかがみこんで、きょうの酒をみな吐いてしまった。
そして、冷たい額に手をあてながら、しばらく月を仰ぎ、瞑目していると、どこからか春雨の咽ぶがようなすすり泣きの声がふと聞えた。
「……誰か?」
王允は見まわした。
池の彼方に、水へ臨んでいる牡丹亭がある。月は廂に映じ窓にはかすかな灯が揺れている。
「貂蝉ではないか。……なにをひとりで泣いているのだ」
近づいて、彼は、そっと声をかけた。
貂蝉は、芳紀十八、その天性の麗わしさは、この後園の芙蓉の花でも、桃李の色香でも、彼女の美には競えなかった。
まだ母の乳も恋しい幼い頃から、彼女は生みの親を知らなかった。襁褓の籠と共に、市に売られていたのである。王允は、その幼少に求めてわが家に養い、珠をみがくように諸芸を仕込んで楽女とした。
薄命な貂蝉はよくその恩を知っていた。王允もわが子のごとく愛しているが、彼女も聡明で、よく情に感じる性質であった。
楽女とは、高官の邸に飼われて、賓客のあるごとに、宴にはべって歌舞吹弾する賤女をいう。
けれど、王允と、貂蝉とは、その愛情においては、主従というよりも、養父と養女というよりも、なお、濃いものであった。
「貂蝉、風邪をひくといけないぞよ。……さ、おだまり、涙をお拭き。おまえも妙齢となったから、月を見ても花を見ても、泣きたくなるものとみえる。おまえくらいな妙齢は、羨ましいものだなあ」
「……なにを仰っしゃいます。そんな浮いた心で、貂蝉は悲しんでいるのではございません」
「では、なんで泣いていたのか」
「大人がお可哀そうでならないから……つい泣いてしまったのです」
「わしが可哀そうで……?」
「ほんとに、お可哀そうだと思います」
「おまえに……おまえのような女子にも、それが分るか」
「分らないでどうしましょう……。そのおやつれよう。お髪も……めっきり白くなって」
「むむう」
王允も、ほろりと、涙をながした。──泣くのをなだめていた彼のほうが、滂沱として、止まらない涙に当惑した。
「なにをいう。そ……そんなことはないよ。おまえの取りこし苦労じゃよ」
「いいえ、おかくしなさいますな。嬰児の時から、大人のお家に養われてきた私です。この頃の朝夕のご様子、いつも笑ったことのないお顔……。そして時折、ふかい嘆息を遊ばします。……もし」
貂蝉は、彼の老いたる手に、瞼を押しあてて云った。
「賤しい楽女のわたくし、お疑い遊ばすのも当り前でございますが、どうか、お胸の悩みを、打明けて下さいまし。……いいえ、それでは、逆しまでした。大人のお胸を訊く前に、わたくしの本心から申さねばなりません。──私は常々、大人のご恩を忘れたことはないのです。十八の年まで、実の親も及ばないほど愛して下さいました。歌吹音楽のほか、人なみの学問から女の諸芸、学び得ないことはなに一つありませんでした。──みんな、あなた様のお情けにちりばめられた身の宝です。……これを、このご恩を、どうしてお酬いしたらよいか、貂蝉は、この唇や涙だけでは、それを申すにも足りません」
「…………」
「大人。……仰っしゃって下さいませ。おそらく、あなたのお胸は、国家の大事を悩んでいらっしゃるのでございましょう。今の長安の有様を、憂い患らっておいでなのでございましょう」
「貂蝉」
急に涙を払って、王允は思わず、痛いほど彼女の手をにぎりしめた。
「うれしい! 貂蝉、よく云ってくれた。……それだけでも、王允はうれしい」
「私のこんな言葉だけで、大人の深いお悩みは、どうしてとれましょう。──というて、男の身ならぬ貂蝉では、なんのお役にも立ちますまいし……。もし私が男であるならば、あなた様のために、生命を捨ててお酬いすることもできましょうに」
「いや、できる!」
王允は、思わず、満身の声でいってしまった。
杖をもって、大地を打ち、
「──ああ、知らなんだ。誰かまた知ろう。花園のうちに、回天の名珠をちりばめた誅悪の利剣がひそんでいようとは」
こういうと、王允は、彼女の手を取らんばかりに誘って、画閣の一室へ伴い、堂中に坐らせてその姿へ頓首再拝した。
貂蝉は、驚いて、
「大人。何をなさいますか、もったいない」
あわてて降ろうとすると、王允は、その裳を抑えて云った。
「貂蝉。おまえに礼をほどこしたのではない。漢の天下を救ってくれる天人を拝したのだ。……貂蝉よ、世のために、おまえは生命をすててくれるか」
貂蝉は、さわぐ色もなく、すぐ答えた。
「はい。大人のおたのみなら、いつでもこの生命は捧げます」
王允は、座を正して、
「では、おまえの真心を見込んで頼みたいことがあるが」
「なんですか」
「董卓を殺さねばならん」
「…………」
「彼を除かなければ、漢室の天子はあってもないのと同じだ」
「…………」
「百姓万民の塗炭の苦しみも永劫に救われはしない……貂蝉」
「はい」
「おまえも薄々は、今の朝廷の累卵の危うさや、諸民の怨嗟は、聞いてもいるだろう」
「ええ」
貂蝉は、目瞬きもせず、彼の吐きだす熱い言々を聞き入っていた。
「──が、董卓を殺そうとして、効を奏した者は、きょうまで一人としてない。かえって皆、彼のために殺し尽されているのだ」
「…………」
「要心ぶかい。十重二十重の警固がゆき届いている。また、あらゆる密偵が網の目のように光っている。しかも、智謀無類の李儒が側にいるし、武勇無双の呂布が守っている」
「…………」
「それを殺さんには……。天下の精兵を以てしても足らない。……貂蝉。ただ、おまえのその腕のみがなし得る」
「……どうして、私に?」
「まず、おまえの身を、呂布に与えると欺いて、わざと、董卓のほうへおまえを贈る」
「…………」
さすがに、貂蝉の顔は、そう聞くと、梨の花みたいに蒼白く冴えた。
「わしの見るところでは、呂布も董卓も、共に色に溺れ酒に耽る荒淫の性だ。──おまえを見て心を動かさないはずはない。呂布の上に董卓あり、董卓の側に呂布のついているうちは、到底、彼らを亡ぼすことは難しい。まずそうして、二人を割き、二人を争わせることが、彼らを滅亡へひき入れる第一の策だが……貂蝉、おまえはその体を犠牲にささげてくれるか」
貂蝉は、ちょっと、うつ向いた。珠のような涙が床に落ちた。──が、やがて面を上げると、
「いたします」
きっぱりいった。
そしてまた、「もし、仕損じたら、わたしは、笑って白刃の中に死にます。世々ふたたび人間の身をうけては生れてきません」と、覚悟のほどを示した。
数日の後。
王允は、秘蔵の黄金冠を、七宝をもって飾らせ、音物として、使者に持たせ、呂布の私邸へ贈り届けた。
呂布は、驚喜した。
「あの家には、古来から名剣宝珠が多く伝わっているとは聞いたが、洛陽から遷都して来た後も、まだこんな佳品があったのか」
彼は、武勇絶倫だが、単純な男である。歓びの余り、例の赤兎馬に乗って、さっそく王允の家へやってきた。
王允は、あらかじめ、彼が必ず答礼に来ることを察していたので、歓待の準備に手ぬかりはなかった。
「おう、これは珍客、ようこそお出でくだされた」と、自身、中門まで出迎えて、下へも置かぬもてなしを示し、堂上に請じて、呂布を敬い拝した。
王允は、一家を挙げて、彼のためにもてなした。
善美の饗膳を前に、呂布は、手に玉杯をあげながら主人へ云った。
「自分は、董太師に仕える一将にすぎない。あなたは朝廷の大臣で、しかも名望ある家の主人だ。一体、なんでこんなに鄭重になさるのか」
「これは異なお訊ねじゃ」
王允は、酒をすすめながら、
「将軍を饗するのは、その官爵を敬うのではありません。わしは日頃からひそかに、将軍の才徳と、武勇を尊敬しておるので、その人間を愛するからです」
「いや、これはどうも」と、呂布は、機嫌のよい顔に、そろそろ微紅を呈して、「自分のようながさつ者を、大官が、そんなに愛していて下さろうとは思わなかった。身の面目というものだ」
「いやいや、計らずも、お訪ねを給わって、名馬赤兎を、わが邸の門につないだだけでも、王允一家の面目というものです」
「大官、それほどまでに、この呂布を愛し給うなら、他日、天子に奏して、それがしをもっと高い職と官位にすすめて下さい」
「仰せまでもありません。が、この王允は、董太師を徳とし、董太師の徳は生涯忘れまいと、常に誓っておる者です。将軍もどうか、いよいよ太師のため、自重して下さい」
「いうまでもない」
「そのうちに、おのずから栄爵に見舞われる日もありましょう。──これ、将軍へ、お杯をおすすめしないか」
彼は、ことばをかえて、室内に連環して立っている給仕の侍女たちへ、いった。
そして、その中の一名を、眼で招いて、
「めったにお越しのない将軍のお訪ね下すったことだ。貂蝉にもこれへ来て、ちょっと、ごあいさつをするがよいといえ」
と、小声でいいつけた。
「はい」
侍女は、退がって行った。間もなく、室の外に、楚々たる気はいがして、侍立の女子が、帳をあげた。客の呂布は、杯をおいて、誰がはいって来るかと、眸を向けていた。
丫鬟の侍女ふたりに左右から扶けられて、歩々、牡丹の大輪が、かすかな風をも怖がるように、それへはいって来た麗人がある。
楽女貂蝉であった。
「……いらっしゃいませ」
貂蝉は、客のほうへ、わずかに眼を向けて、優かにあいさつした。雲鬢重たげに、呂布の眼を羞恥らいながら、王允の蔭へ、隠れてしまいたそうにすり寄っている。
「……?」
呂布は、恍惚とながめていた。
王允は、自分の前の杯を、貂蝉にもたせて云った。
「おまえの名誉にもなる。将軍へ杯をさしあげて、おながれをいただくがよい」
貂蝉は、うなずいて、呂布のまえへ進みかけたが、ちらと、彼の視線に会うと、眼もとに、まばゆげな紅をたたえ、遠くからそっと、真白な繊手へ、翡翠の杯をのせて、聞きとれないほどな小声でいった。
「……どうぞ」
「や。これは」
呂布は、われに返ったように、その杯を持った。──なんたる可憐!
貂蝉は、すぐ退がって、帳の外へ隠れかけた。呂布はまだ、手の杯を、唇にもしない。──彼女がそのまま去るのを残り惜しげに、眼も離たずにいた。酒を干すいとますらない眼であった。
「貂蝉。──お待ち」
王允は、彼女を呼びとめて、客の呂布と等分に眺めながら云った。
「こちらにいらっしゃる呂将軍は、わしが日頃、敬愛するお方だし、わが一家の恩人でもある。──おゆるしをうけて、そのままお側におるがよい。充分に、おもてなしをなさい」
「……はい」
貂蝉は、素直に、客のそばに侍した。──けれど、うつ向いてばかりいて、何もいわなかった。
呂布は、初めて、口を開いて、
「ご主人。この麗人は、当家のご息女ですか」
「そうです。女の貂蝉というものです」
「知らなかった。大官のお女に、こんな美しいお方があろうとは」
「まだ、まったく世間を知りませんし、また、家の客へも、めったに出たこともありませんから」
「そんな深窓のお女を、きょうは呂布のために」
「一家の者が、こんなにまで、あなたのご来訪を、歓んでいるということを、お酌み下されば倖せです」
「いや、ご歓待は、充分にうけた。もう、酒もそうは飲めない。大官、呂布は酔いましたよ」
「まだよろしいでしょう。貂蝉、おすすめしないか」
貂蝉は、ほどよく、彼に杯をすすめ、呂布もだんだん酔眼になってきた。夜も更けたので、呂布は、帰るといって立ちかけたが、なお、貂蝉の美しさを、くり返して称えた。
王允は、そっと、彼の肩へ寄ってささやいた。
「おのぞみならば、貂蝉を将軍へさしあげてもよいが」
「えっ。お女を。……大官、それはほんとですか」
「なんで偽りを」
「もし、貂蝉を、この呂布へ賜うならば、呂布はお家のために、犬馬の労を誓うでしょう」
「近い内に、吉日を選んで、将軍の室へ送ることを約します。……貂蝉も、今夜の容子では、たいへん将軍が好きになっているようですから」
「大官。……呂布は、すっかり酩酊しました。もう、歩けない気がします」
「いや、今夜ここへお泊めしてもよいが、董太師に知れて、怪しまれてはいけません。吉日を計って、必ず、貂蝉はあなたの室へ送るから、今夜はお帰りなさい」
「間違いはないでしょうな」
呂布は、恩を拝謝し、また、何度もくどいほど、念を押してようやく帰った。
王允は、後で、
「……ああ、これで一方は、まずうまく行った。貂蝉、何事も天下のためと思って、眼をつぶってやってくれよ」と、彼女へ云った。
貂蝉は、悲しげに、しかしもう観念しきった冷たい顔を、横に振って、
「そんなに、いちいち私をいたわらないで下さい。おやさしくいわれると、かえって心が弱くなって、涙もろくなりますから」
「もういうまい。……じゃあかねて話してある通り、また近いうちに、董卓を邸へ招くから、おまえは妍をこらして、その日には歌舞吹弾もし、董卓の機嫌もとってくれよ」
「ええ」
貂蝉は、うなずいた。
次の日、彼は、朝に出仕して、呂布の見えない隙をうかがい、そっと董卓の閣へ行って、まずその座下に拝跪した。
「毎日のご政務、太師にもさぞおつかれと存じます。郿塢城へお還りある日は、満城を挙げて、お慰みを捧げましょうが、また時には、茅屋の粗宴も、お気が変って、かえってお慰みになるかと思われます。──そんなつもりで実は、小館にいささか酒宴の支度を設けました。もし駕を枉げていただければ、一家のよろこびこれにすぎたるものはありませんが」
と、彼の遊意を誘った。
聞くと、董卓は、
「なに、わしを貴邸へ招いてくれるというのか。それは近頃、歓ばしいことである。卿は国家の元老、特にこの董卓を招かるるに、なんで芳志にそむこう」
と、非常な喜色で、
「──ぜひ、明日行こう」と、諾した。
「お待ちいたします」
王允は、家に帰ると、この由を、ひそかに貂蝉にささやき、また家人にも、
「明日は巳の刻に、董太師がお越しになる。一家の名誉だし、わし一代のお客だ。必ず粗相のないように」と、督して、地には青砂をしき、床には錦繍をのべ、正堂の内外には、帳や幕をめぐらし、家宝の珍什を出して、饗応の善美をこらしていた。
次の日。──やがて巳の刻に至ると、
「大賓のお車が見えました」と、家僕が内へ報じる。
王允は、朝服をまとって、すぐ門外へ出迎えた。
──見れば、太師董卓の車は、戟を持った数百名の衛兵にかこまれ、行装の絢爛は、天子の儀仗もあざむくばかりで、車簾を出ると、たちまち、侍臣、秘書、幕側の力者などに、左右前後を護られて、佩環のひびき玉沓の音、簇擁して門内へ入った。
「ようおいでを賜わりました。きょうはわが王家の棟に、紫雲の降りたような光栄を覚えまする」
王允は、董太師を、高座に迎えて、最大の礼を尽した。
董卓も、全家の歓待に、大満足な容子で、
「主人は、わが傍らにあがるがよい」と、席をゆるした。
やがて、嚠喨たる奏楽と共に、盛宴の帳は開かれた。酒泉を汲みあう客たちの瑠璃杯に、薫々の夜虹は堂中の歓語笑声をつらぬいて、座上はようやく杯盤狼藉となり、楽人楽器を擁してあらわれ、騒客杯を挙げて歌舞し、眼も綾に耳も聾せんばかりであった。
「太師、ちとこちらで、ご少憩あそばしては」
王允は誘った。
「ウム……」
と、董卓は、主にまかせて、護衛の者をみな宴に残し、ただ一人、彼について行った。
王允は、彼を、後堂に迎えて、家蔵の宝樽を開け、夜光の杯についで、献じながら静かにささやいた。
「こよいは、星の色までが、美しく見えます。これはわが家の秘蔵する長寿酒です。太師の寿を万代にと、初めて瓶をひらきました」
「やあ、ありがとう」
董卓は、飲んで、
「こう歓待されては、何を以て司徒の好意にむくいてよいか分らんな」
「私の願うようになれば私は満足です。──私は幼少から天文が好きで、いささか天文を学んでおりますが、毎夜、天象を見ておるのに、漢室の運気はすでに尽きて、天下は新たに起ろうとしています。太師の徳望は、今や巍々たるものですから、古の舜が堯を受けたように、禹が舜の世を継いだように、太師がお立ちになれば、もう天下の人心は、自然、それにしたがうだろうと思います」
「いや、いや。そんなことは、まだわしは考えておらんよ」
「天下は一人のひとの天下ではありません。天下のひとの天下です。徳なきは徳あるに譲る。これはわが朝のしきたりです。世定まれば、誰も叛逆とはいいません」
「ははははは。もし董卓に天運が恵まれたら、司徒、おん身も重く用いてやるぞ」
「時節をお待ちします」
王允は再拝した。
とたんに、堂中の燭はいっぺんに灯って、白日のようになった。そして正面の簾がまかれると、教坊の楽女たちが美音をそろえて歌いだし、糸竹管弦の妙な音にあわせて、楽女貂蝉が、袖をひるがえして舞っていた。
客もなく、主もなく、また天下の何者もなく、貂蝉のひとみは、ただ舞うことに、澄みかがやいていた。
舞う──舞う──貂蝉は袖をひるがえして舞う。教坊の奏曲は、彼女のために、糸竹と管弦の技をこらし、人を酔わしめずにおかなかった。
「ウーム、結構だった」
董卓は、うめいていたが、一曲終ると、
「もう一曲」と、望んだ。
貂蝉が再び起つと、教坊の楽手は、さらに粋を競って弾じ、彼女は、舞いながら哀々と歌い出した。
紅牙催拍シテ燕ノ飛ブコト忙シ
一片ノ行雲画堂ニ到ル
眉黛促シテ成ス遊子ノ恨ミ
臉容初メテ故人ノ腸ヲ断ツ
楡銭買ワズ千金ノ笑
柳帯ナンゾ用イン百宝ノ粧イ
舞罷ミ簾ヲ隔テテ目送スレバ
知ラズ誰カコレ楚ノ襄王
眼を貂蝉のすがたにすえ、歌詞に耳をすましていた董卓は、彼女の歌舞が終るなり、感極まった容子で、王允へ云った。
「主。あの女性は、いったい誰の女か。どうも、ただの教坊の妓でもなさそうだが」
「お気に召しましたか。当家の楽女、貂蝉というものですが」
「そうか。呼べ」と、斜めならぬ機嫌である。
「貂蝉、おいで」
王允は、さし招いた。
貂蝉は、それへ来て、ただ羞恥っていた。董卓は、杯を与えて、
「幾歳か」と、訊いた。
「…………」
答えない。
貂蝉は、小指を、唇のそばの黒子に当てて、王允の陰に、うつ向いてしまった。
「ははは、恥かしいのか」
「たいへんな羞恥み性です。なにしろめったに人に接しませんから」
「いい声だの。すがたも、舞もよいが。……主、もう一度、歌わせてくれないか」
「貂蝉。あのように、今夜の大賓が、求めていらっしゃる。なんぞもう一曲……お聴きしていただくがよい」
「はい」
貂蝉は、素直にうなずいて、檀板を手に──こんどはやや低い調子で──客のすぐ前にあって歌った。
一点ノ桜桃絳唇ヲ啓ク
両行ノ砕玉陽春ヲ噴ク
丁香ノ舌ハ衠鋼ノ剣ヲ吐キ
姦邪乱国ノ臣ヲ斬ラント要ス
「いや、おもしろい」
董卓は、手をたたいた。
前に歌った歌詞は自分を讃美していたので、今の歌が自分をさして暗に姦邪乱国の臣としているのも、気づかなかった。
「神仙の仙女とは、実に、この貂蝉のようなのをいうのだろうな。いま、郿塢城にもあまた佳麗はいるが、貂蝉のようなのはいない。もし貂蝉が一笑したら、長安の粉黛はみな色を消すだろう」
「太師には、そんなにまで、貂蝉がお気に入りましたか」
「む……。予は、真の美人というものを、今夜初めて見たここちがする」
「献じましょう。貂蝉も、太師に愛していただければ、無上の幸せでありましょうから」
「え。この美人を、予に賜わるというのか」
「お帰りの車の内に入れてお連れください。──そういえば、夜も更けましたから、相府のご門前までお送りしましょう」
「謝す。謝す。──王允司徒、ではこの美女は、氈車に乗せて連れ帰るぞ」
董卓は、ほとんど、その満足をあらわす言葉も知らないほど歓んで、貂蝉を擁して、車へ移った。
王允は、心のうちで、しすましたりと思いながら、貂蝉と董卓の車を丞相府まで送って行った。
「……では」と、そこの門で、董卓に暇を乞うていると、ふと、氈車の内から、貂蝉のひとみが、じっと、自分へ、無言の別れを告げているのに気づいた。
「では、これにて」
王允は、もういっぺん、くり返して云った。それは貂蝉へ、それとなく返した言葉であった。
貂蝉のひとみは、涙でいっぱいに見えた。王允も、胸がせまって、長くいられなかった。
あわてて彼は、わが家のほうへ引っ返してきた。すると、彼方の闇から、二列に松明の火を連ね、深夜を戛々と急いでくる騎馬の一隊がある。
近づいてくると、その先頭には赤兎馬に踏みまたがった呂布の姿が見えた。──はっと思うまもなく、呂布は、王允の姿を見つけて、
「おのれ、今帰るか」
と、馬上から猿臂を伸ばして、王允の襟がみをつかみ大の眼をいからして、
「よくも汝は、先日、貂蝉をこの呂布に与えると約束しておきながら、こよい董太師に供えてしまいおったな。憎いやつめ。おれを小児のようにもてあそぶか」と、どなった。
王允は、騒ぐ色もなく、
「どうして将軍は、そんなことをもうご存じなのか。まあ、待ち給え」と、なだめた。
呂布は、なお怒って、
「今、わが邸へ、董太師が美女をのせて、相府へ帰られたと、告げて来た者があるのだ。そんなことが知れずにいると思うのか。この二股膏薬め。八ツ裂きにしてくれるから覚えておれよ」
と、従う武士にいいつけて、はや引ったてようとした。
王允は、手をあげて、
「はやまり給うな将軍。あれほど固く約したこの王允を、なにとて、お疑いあるぞ」
「やあ、まだ吐かすか」
「ともあれ、もう一度邸へお越しください。ここではお話もしにくいから」
「そうそう何度も、貴様の舌には欺かれぬぞ」
「その上でなお、お合点がゆかなかったら、即座に、王允の首をお持ち帰りください」
「よしっ、行ってやる」
呂布は彼について行った。
密室に通して、王允は、
「仔細はこうです」と、言葉巧みに云った。
「──実はこよい、酒宴の果てた後で、董太師が興じて仰せられるには、そちは近頃、呂布へ貂蝉を与える約束をした由だが、その女性を、ひとまず予が手許へあずけて置け。そして吉日を卜して大いに自分が盛宴を設け、不意に、呂布と娶わせて、やんやと、酒席の興にして、大いに笑い祝す趣向とするから。──と、かような言葉なのでした」
「えっ。……では、董太師が、おれの艶福をからかう心算で、つれておいでになったのか」
「そうです。将軍のてれる顔を酒宴で見て、手を叩こうという、お考えだと仰っしゃるのです。──で、折角の尊命をそむくわけにも参りませんから、貂蝉をおあずけした次第です」
「いや、それはどうも」と、呂布は、頭をかいて、
「軽々しく、司徒を疑って、何とも申しわけがない。こよいの罪は、万死に値するが、どうかゆるしてくれい」
「いや、お疑いさえ解ければ、それでいい。必ず近日のうちに、将軍の艶福のために、盛宴が張られましょう。貂蝉もさだめし待っておりましょう。いずれ彼女の歌舞の衣裳、化粧道具など一切もお手許のほうへ送らせることといたします」
呂布は、そう聞くと、三拝して、立帰った。
春は、丈夫の胸にも、悩ましい血を沸かせる。
王允のことばを信じて、呂布はその夜、素直に邸に帰ったもののなんとなく寝ぐるしくて、一晩中、熟睡できなかった。
「──どうしているだろう、貂蝉は今頃」
そんなことばかり考えた。
董太師の館へ伴われて行ったという貂蝉が、どんな一夜を明かしているかと、妄想をたくましゅうして、果ては、牀のうえにじっとしていられなくなった。
呂布は、帳を排して、窓外へ眼をやった。そして彼女のいる相府の空をぼんやり眺めていた。
鴻が鳴き渡ってゆく。
朧月が更けている。──夜はまだ明けず、雲も地上も、どことなく薄明るかった。庭前を見れば、海棠は夜露をふくみ、茶蘼は夜靄にうな垂れている。
「ああ」
彼は、独り呻きながら、また、牀へ横たわった。
「こんなに心のみだれるほど想い悩むのは、俺として生れてはじめてだ。──貂蝉、貂蝉、おまえはなぜ、あんな蠱惑な眼をして、おれの心を囚えてしまったのだ」
彼は、夜明けを待ちかねた。
──が、朝となれば、彼は毅然たる武将だった。邸にも多くの武士を飼っている彼だ。朝陽を浴びて颯爽と、例の赤兎馬に乗って、丞相府へ出仕した。
べつに、そう急用もなかったのであるが、彼は早速、董卓の閣へ出向いて、
「太師はお目ざめですか」と、護衛の番将に訊ねた。
番将は懶げに、そこから後堂の秘園をふり向いて、
「まだ帳を下ろしていらっしゃるようですな」と、無感情な顔して云った。
「ほ」
呂布は、何かむらむらと、不安に襲われたが、わざと長閑な陽を仰いで云った。
「もう午の刻にも近いのに、まだお寝みなのか」
「後堂の廊も、あの通り閉したままですから」
静かに、春園の禽は、昼を啼きぬいていた。
──寝殿は帳を垂れたまま寂として、陽の高きも知らぬもののように見える。
呂布はおおい難い顔いろの裡からやや乱れた言葉でまた訊ねた。
「太師には、昨夜、よほどお寝みがおそかったとみえますな」
「ええ、王允の邸へ、饗宴に招かれて、だいぶごきげんでお帰りでしたからね」
「非常な美姫をお伴れになったそうですな」
「や、将軍もそれを、もうご存じですか」
「ムム、王允の家の貂蝉といえば有名な美人だから」
「それですよ、太師のお目ざめが遅いわけは。昨夜、その美人を幸いして、春宵の短きを嘆じていらっしゃることでしょう。……何しても、きょうはよい日和ですな」
「あちらで待っているから、太師がお目ざめになったら知らしてくれ」
呂布は、思わず、憤然と眉に色を出して、そこから立去った。
相府の一閣で、彼はぼんやりと腕ぐみしていた。気にかかるので、時折、池の彼方の閣を見まもっていた。後堂の寝殿は、真午になって、ようやく窓をひらいた様子であった。
「太師には、ただ今、お目ざめになられました」
さっきの番将が告げに来た。
呂布は、取次も待たずに、董卓の後堂へ入って行った。そして、廊にたたずみながら奥をうかがうと、臥房深き所、芙蓉の帳まだみだれて、ゆうべいかなる夢をむすんだか、鏡に向って、臙脂を唇に施している美姫のうしろ姿がちらと見えた。
呂布は、われを忘れて、臥房のすぐ扉口の外まで、近づいて行った。
「オ……。貂蝉」
彼は、泣きたいように胸を締めつけられた。七尺の偉丈夫も、魂を掻きむしられ、沈吟、去りもやらず、鏡の中に映る彼女のほうを偸み見していた。
そして、煮え沸る心の底で、
「貂蝉はもう昨夜かぎりで、処女ではなくなっている! ……。ここの臥房には、まだすすり泣きの声が残っているようだ。……ああ、董太師もひどい。貂蝉もまた貂蝉だ。……それとも王允がおれを欺いたのか。いやいや董太師に求められては、かよわい貂蝉はもうどうしようもなかったろう」
彼の蒼白い顔は、なにかのはずみに、ふと室内の鏡に映った。
貂蝉は、
「あら?」
びっくりして振向いた。
「…………」
呂布は、怨みがましい眼をこらして、彼女の顔をじっと睨んだ。──貂蝉は、とたんに、雨をふくんだ梨花のようにわなないて、
(──ゆるして下さい。わたくしの本心ではありません。胸をなでて……怺えて……。このつらいわたしの胸も分っていて下さるでしょう)
哀れを乞うような、すがりついて泣きたいような、声なき想いを、眼と姿態にいわせて呂布へ訴えた。
すると、壁の陰で、
「貂蝉。……誰かそれへ参ったのか」と、董卓の声がした。
呂布は、ぎょっとして、数歩跫音をしのばせて、室を離れ、そこからわざと大股に、ずっとはいって来て、
「呂布です。太師には、今お目ざめですか」と、常と変らない態を装って礼をした。
春宵の夢魂、まだ醒めやらぬ顔して、董卓は、その巨躯を、鴛鴦の牀に横たえていたので、唐突な彼の跫音に、びっくりして身を起した。
「誰かと思えば、呂布か。……誰に断って、臥房へ入って来た」
「いや、今、お目ざめと、番将が知らしてくれたものですから」
「いったい、何の急用か」
「は……」
呂布は、用向きを問われて口ごもった。──臥房へまで来て命を仰ぐほどな用事は何もないのであった。
「実は……こうです。夜来、なんとなく寝ぐるしいうちに、太師が病にかかられた夢を見たものですから、心配のあまり、夜が明けるのを待ちかねて、相府へ詰めておりました。──がしかし、お変りのない容子を見て、安心いたしました」
「何をいっておるのか」
董卓は、彼のしどろもどろな口吻を怪しんで、舌打ちした。
「起きぬけから忌わしいことを聞かせおる。そんな凶夢を、わざわざ耳に入れにくるやつがあるか」
「恐れ入りました。常々健康をお案じしておるものですから」
「嘘をいえ」と、叱って、「そちの容子は、なんとなくいぶかしいぞ。その眼の暗さはなんだ。その挙動のそわそわしている様はなんだ。去れっ」
「はっ」
呂布は、うつ向いたまま、一礼して悄然と、影を消した。
その日、早めに邸へ帰って来ると、彼の妻は、良人の顔色の冴えないのを憂いて訊いた。
「なにか太師のごきげんを損ねたのではありませんか」
すると呂布は、大声で、
「うるさいっ。董太師がなんだ。この呂布を圧えることは、太師でもできるものか。貴さまは、できると思うのか」
と、妻に当って、どなりちらした。
呂布の容子は、目立って変ってきた。
相府への出仕も、休んだり遅く出たり、夜は酒に酔い、昼は狂躁に罵ったり、また、終日、茫然とふさぎ込んだまま、口もきかない日もあった。
「どうしたんですか」
妻が問えば、
「うるさい」としかいわない。
床を踏み鳴らして、檻の猛獣のように、部屋の中を独り廻っている時など、頬を涙にぬらしていることがあった。
そうこうする間に、一月余りは過ぎて、悩ましい後園の春色も衰え、浅翠の樹々に、初夏の陽が、日ましに暑さを加えてきた。
「お勤めはともかく、この際、お見舞にも出ないでは、大恩のある太師へ叛く者と、人からも疑われましょう」
彼の妻はしきりと諫めた。
近頃、董太師が、重いというほどでもないが、病床にあるというので、たびたび、出仕をすすめるのだった。
呂布もふと、
「そうだ。出仕もせず、お見舞にも出なくては、申し訳ない」
気を持ち直したらしく、久しぶりで、相府へ出向いた。
そして、董卓の病床を見舞うと、董卓は、もとより、彼の武勇を愛して、ほとんど養子のように思っている呂布のことであるから、いつか、叱って追い返したようなことは、もう忘れている顔で、
「オオ、呂布か、そちも近頃は、体が勝れないで休んでいるということではないか。どんな容体だの」と、かえって病人から慰められた。
「大したことではありません。すこしこの春に、大酒が過ぎたあんばいです」
呂布は、淋しく笑った。
そしてふと、傍らにある貂蝉のほうを眼の隅から見やると、この半月の余は、董卓の枕元について帯も裳も解かず、誠心から看護して、すこし面やつれさえして見える容子なので──呂布はたちまち、むらむらと嫉妬の火に全身の血を燃やされて、
(初めは、心にもなくゆるした者へも、女はいつか、月日と共に、身も心も、その男に囚われてしまうものか)と、遣るかたなく、煩悶しだした。
董卓は、咳入った。
その間に、呂布は、顔いろをさとられまいと、牀の裾へ退いた。──そして董卓の背をなでている貂蝉の真白な手を、物に憑かれた人間のように見つめていた。
すると、貂蝉は、董卓の耳へ、顔をすりよせて、
「すこし静かに、おやすみ遊ばしては……」
とささやいて、衾をおおい、自分の胸をも、上からかぶせるようにした。
呂布の眼は、焔になっていた。その全身は、石の如く、去るのを忘れていた。貂蝉は、病人の視線を隠すと、その姿を振向いて、片手で袖を持って、眼を拭った。……さめざめと、泣いてみせているのである。
(──辛い。わたしは辛い。想っているお方とは、語らうこともできず、こうして、いつまで心にもない人と一室に暮らさなければならないのでしょう。あなたは無情です。ちっともこの頃は、お姿を見せてくださらない! せめて、お姿を見るだけでも、わたしは人知れず慰められているものを)
もとより声に出してはいえなかったが、彼女の一滴一滴の涙と、濡れた睫毛と、物いえぬ唇のわななきは、言葉以上に、惻々と、呂布の胸へ、その想いを語っていた。
「……では、では、そなたは」
呂布は、断腸の思いの中にも、体中の血が狂喜するのをどうしようもなかった。盲目的に彼女のうしろへ寄って行った。そして、その白い頸を抱きすくめようとしたが、屏風の角に、剣の佩環が引っかかったので、思わず足をすくめてしまった。
「呂布っ。何するか」
病床の董卓は、とたんに、大喝して身をもたげた。
呂布は、狼狽して、
「いや、べつに……」と、牀の裾へ退がりかけた。
「待てっ」と、董卓は、病も忘れて、額に青すじを立てた。
「今、おまえは、わしの眼を偸んで、貂蝉へたわむれようとしたな。──わしの寵姫へ、みだらなことをしかけようとしたろう」
「そんなことはしません」
「ではなぜ、屏風の内へはいろうとしたか。いつまで、そんな所に物欲しそうにまごついているか」
「…………」
呂布は、いい訳に窮して、真っ蒼な顔してうつ向いた。
彼は、弁才の士ではない。また、機知なども持ち合わせない人間である。それだけに、こう責めつけられると、進退きわまったかの如く、惨澹たる唇を噛むばかりだった。
「不届き者めッ、恩寵を加えれば恩寵に狎れて、身のほどもわきまえずにどこまでもツケ上がりおる! 向後は予の室へ、一歩でもはいると承知せぬぞ。いや、沙汰あるまで自邸で謹慎しておれ。──退がらぬかっ。これ、誰かある、呂布をおい出せ」
と、董卓の怒りは甚しく、口を極めて罵った。
どやどやと、室外に、武将や護衛の力者たちの跫音が馳け集まった。──が、呂布は、その手を待たず、
「もう、来ません!」
云い放って、自分からさっと、室の外へ出て行った。
ほとんど、入れちがいに、
「何です? 何か起ったのですか」と、李儒が入ってきた。
まだ怒りの冷めない董卓は、火のような感情のまま、呂布が、この病室で、自分の寵姫に戯れようとした罪を、外道を憎むように唾して語った。
「困りましたなあ」
李儒は冷静である。にが笑いさえうかべて聞いていたが、
「なるほど、不届きな呂布です。──けれど太師。天下へ君臨なさる大望のためには、そうした小人の、少しの罪は、笑っておゆるしになる寛度もなければなりません」
「ばかな」
董卓は、肯じない。
「そんなことをゆるしておいたら、士気はみだれ、主従のあいだはどうなるか」
「でも今、呂布が変心して、他国へ奔ったら、大事はなりませぬぞ」
「…………」
董卓も、李儒に説かれているうちに、やや激怒もおさまって来た。ひとりの寵姫よりは、もちろん、天下は大であった。いかに貂蝉の愛に溺れていても、その野望は捨てきれなかった。
「だが李儒。呂布のやつは、かえって傲然と帰ってしまったが、では、どうしたらよいか」
「そうお気づきになれば、ご心配はありません。呂布は単純な男です。明日、お召しあって、金銀を与え、優しくお諭しあれば、単純だけに、感激して、向後はかならず慎むでしょう」
李儒の忠言を容れて、彼はその翌日、呂布を呼びにやった。
どんな問罪を受けるかと、覚悟してきて見ると、案に相違して、黄金十斤、錦二十匹を賜わった上、董卓の口から、
「きのうは、病のせいか、癇癖を起して、そちを罵ったが、わしは何ものよりも、そちを力にしておるのだ。悪く思わず、以前のとおりわが左右を離れずに、日ごとここへも顔を見せてくれい」
と、なだめられたので、呂布はかえって心に苦しみを増した。しかし主君の温言のてまえ、拝跪して恩を謝し、黙々とその日は無口に退出した。
その後、日を経て、董卓の病もすっかりよくなった。
彼はまた、その肥大強健な体に驕るかのように、日夜貂蝉と遊楽して、帳裡の痴夢に飽くことを知らなかった。
呂布も、その後は、以前よりはやや無口にはなったが、日々精勤して、相府の出仕は欠かさなかった。
董卓が朝廷へ上がる時は、呂布が赤兎馬にまたがって、必ずその衛軍の先頭に立ち、董卓が殿上にある時は、また必ず呂布が戟を持って、その階下に立っていた。
或る折。
天子に政事を奏するため、董卓が昇殿したので、呂布はいつものように戟を執って、内門に立っていた。
壮者の旺な血ほど、気懶い睡気を覚えるような日である。呂布は、そこここを飛びかう蝶にも、睡魔に襲われ、眼をあげて、夏近い太陽に耀く木々の新翠や真紅の花を見ては、「──貂蝉は何をしているか」と、煩悩にとらわれていた。
ふと、彼は、
「きょうは必ず董卓の退出は遅くなろう。……そうだ、この間に」と考えた。
むらむらと、思慕の炎に駆られだすと、彼は矢も楯もなかった。
にわかに、どこかへ、駆けだして行ったのである。
董卓の留守の間に──と、呂布はひとり相府へ戻って来たのだった。そして勝手を知った後堂へ忍んで行ったと思うと、戟を片手に、
「貂蝉。──貂蝉」と、声をひそめながら、寵姫の室へ入って、帳をのぞいた。
「誰?」
貂蝉は、窓に倚って、独り後園の昼を見入っていたが、振向いて、呂布のすがたを見ると、
「オオ」
と、馳け寄って、彼の胸にすがりついた。
「まだ太師も朝廷からお退がりにならないのに、どうしてあなただけ帰って来たのですか」
「貂蝉。わしは苦しい」
呂布は、呻くように云った。
「この苦しい気もちが、そなたには分らないのだろうか。実は、きょうこそ太師の退出が遅いらしいので、せめて束の間でもと、わし一人そっとここへ走り戻って来たのだ」
「では……そんなにまで、この貂蝉を想っていて下さいましたか。……うれしい」
貂蝉は、彼の火のような眸を見て、はっと、脅えたように、
「ここでは、人目にかかっていけません。後から直ぐに参りますから、園のずっと奥の鳳儀亭で待っていてください」
「きっと来るだろうな」
「なんで嘘をいいましょう」
「よし、では鳳儀亭に行って待っているぞ」
呂布はひらりと庭へ身を移していた。そして、木の間を走るかと思うと、後園の奥まった所にある一閣へ来て、貂蝉を待っていた。
貂蝉は彼が去ると、いそいそと化粧をこらし、ただ一人で忍びやかに、鳳儀亭の方へ忍んで行った。
柳は緑に、花は紅に、人なき秘園は、熟れた春の香いにむれていた。
貂蝉は、柳の糸のあいだから、そっと鳳儀亭のあたりを見まわした。
呂布は、戟を立てて、そこの曲欄にたたずんでいた。
曲欄の下は、蓮池だった。
鳳儀亭へ渡る朱の橋に、貂蝉の姿が近づいて来た。花を分け柳を払って現れた月宮の仙女かと怪しまれるほど、その粧いは麗わしかった。
「呂布さま」
「おう……」
ふたりは亭の壁の陰へ倚った。そして長いあいだ無言のままでいた。呂布は、体じゅうの血が燃えるかと思った。うつつの身か、夢の身かを疑っていた。
「……おや、貂蝉、どうしたのだね」
「…………」
「ええ、貂蝉」
呂布は、彼女の肩をゆすぶった。──彼の胸に顔をあてていた貂蝉が、そのうちにさめざめと泣き出したからであった。
「わしとこうして会ったのを、そなたはうれしいと思わないのか。いったい、何をそんなに泣くのか」
「いいえ、貂蝉は、うれしさのあまり、胸がこみあげてしまったのです。──お聞きください。呂布さま。わたくしは王允様の真の子ではありません。さびしい孤児でした。けれど、わたしを真の子のように可愛がって下された王允様は、行く末は必ず、凜々しい英傑の士を選んで嫁けてやるぞ──といつも仰っしゃって下さいました。それかあらぬか、将軍をお招きした夜、それとなく私とあなたとを会わせて賜わりましたから、私は、ひとたび、あなたにお目にかかると、これで平生の願いもかなうかと、その夜から、夢にも見るほど、楽しんでおりました」
「ウむ。……ムム」
「ところが、その後、董太師のために、心に秘めていた想いの花は、ふみにじられてしまいました。太師の権力に、泣く泣く心にそまぬ夜々を明かしました。もうこの身は、以前のきれいな身ではありません。……いかに心は前と変らず持っていても、汚された身をもって、将軍の妻室にかしずくことはできませんから、それを思うと、恐ろしくて、口惜しくて……」
貂蝉は、あたりへ聞えるばかり嗚咽して、彼の胸に、とめどなく悶えて泣いていたが、突然、
「呂布さま。どうか貂蝉の心根だけは、不愍なものと、忘れないでいてください」
と、叫びざま、曲欄へ走り寄って、蓮の池へ身を投げようとした。
呂布は、びっくりして、
「何をする」と、抱き止めた。
その手を、怖ろしい力で、貂蝉は振りのけようと争いながら、
「いえ、いえ、死なせて下さい。生きていても、あなたとこの世のご縁はないし、ただ心は日ごと苦しみ、身は不仁な太師の贄になって、夜々、虐まれるばかりです。せめて、後世の契りを楽しみに、冥世へ行って待っております」
「愚かなことを。来世を願うよりも今生に楽しもう。貂蝉、今にきっと、そなたの心に添うようにするから、死ぬなどと、短気なことは考えぬがいい」
「えっ……ほんとですか。今のおことばは、将軍の真実ですか」
「想う女を、今生において、妻ともなし得ないで、豈、世の英雄と呼ばれる資格があろうか」
「もし、呂布さま。それがほんとなら、どうか貂蝉の今の身を救うて下さいませ。一日も一年ほど長い気がいたします」
「時節を待て。それも長いこととはいわぬ──また、今日は老賊に従って、参殿の供につき、わずかな隙をうかがってここへ来たのだから、もし老賊が退出してくるとたちまち露顕してしまう。そのうちに、またよい首尾をして会おう」
「もう、お帰りですか」
貂蝉は、彼の袖をとらえて、離さなかった。
「将軍は、世に並ぶ者なき英雄と聞いていましたのに、どうしてあんな老人をそんなに、怖れて、董卓の下風に従いているのですか」
「そういうわけではないが」
「私は、太師の跫音を聞いても、ぞっと身がふるえてきます。……ああいつまでも、こうしていたい」
なお、寄りすがって、紅涙雨の如き姿態であった。──ところへ、董卓は朝から帰って来るなり、ただならぬ血相をたたえて彼方から歩いて来た。
「はて。貂蝉も見えないし、呂布もどこへ行きおったか?」
董卓の眸は、猜疑に燃えていた。
今し方、彼は朝廷から退出した。呂布の赤兎馬は、いつもの所につないであるのに、呂布のすがたは見えなかった。怪しみながら、車に乗って相府へ帰ってみると、貂蝉の衣は、衣桁に懸っているが、貂蝉のすがたは見当らないのである。
「さては」
と、彼は、侍女を糺して、男女の姿を見つけに、自身、後園の奥へ捜しに来たのであった。
二人は鳳儀亭の曲欄にかがみこんで、泣きぬれていた。貂蝉は、ふと、董卓の姿が彼方に見えたので、
「あっ……来ました」と、あわてて呂布の胸から飛び離れた。
呂布も、驚いて、
「しまった。……どうしよう」
うろたえている間に、董卓はもう走り寄って来て、
「匹夫っ。白日も懼れず、そんな所で、何しているかっ」
と、怒鳴った。
呂布は、物もいわず、鳳儀亭の朱橋を躍って、岸へ走った。──すれ交いに、董卓は、
「おのれ、どこへ行く」と、彼の戟を引ったくった。
呂布が、その肘を打ったので、董卓は、奪った戟を取り落してしまった。彼は、肥満しているので、身をかがめて拾い取るのも、遅鈍であった。──その間に、呂布はもう五十歩も先へ逃げていた。
「不埓者っ」
董卓は、その巨きな体を前へのめらせながら、喚いて云った。
「待てっ。こらっ。待たぬかっ、匹夫め」
すると、彼方から馳けて来た李儒が、過って出会いがしらに、董卓の胸を突きとばした。
董卓は、樽の如く、地へ転げながら、いよいよ怒って、
「李儒っ、そちまでが、予をささえて、不届きな匹夫を援けるかっ。──不義者をなぜ捕えん」
と、呶号した。
李儒は、急いで、彼の身を扶け起しながら、
「不義者とは、誰のことですか。──今、てまえが後園に人声がするので、何事かと出てみると、呂布が、太師狂乱して、罪もなきそれがしを、お手討になさると追いかけて参るゆえ、何とぞ、助け賜われとのこと、驚いて、馳けつけて来たわけですが」
「何を、ばかな。──董卓は狂乱などいたしてはおらん。予の目を偸んで、白昼、貂蝉に戯れているところを、予に見つけられたので、狼狽のあまり、そんなことを叫んで逃げ失せたのだろう」
「道理で、いつになく、顔色も失って、ひどく狼狽の態でしたが」
「すぐ、引っ捕えて来い。呂布の首を刎ねてくれる」
「ま。そうお怒りにならないで、太師にも少し落着いて下さい」
李儒は、彼の沓を拾って、彼の足もとへ揃えた。
そして、閣の書院へ伴い、座下に降って、再拝しながら、
「ただ今は、過ちとはいえ、太師のお体を突き倒し、罪、死に値します」
と、詫び入った。
董卓はなお、怒気の冷めぬ顔を、横に振って、
「そんなことはどうでもよい。速やかに、呂布を召捕って来て、予に、呂布の首を見せい」
といった。
李儒は、あくまで冷静であった。董卓が、怒るのを、あたかも痴児の囈言のように、苦笑のうちに聞き流して、
「恐れながら、それはよろしくありません。呂布の首を刎ねなさるのは、ご自身の頸へご自身で刃を当てるにも等しいことです」と、諫めた。
「なぜ悪いかっ。なぜ、不義者の成敗をするのが、よろしくないか」
董卓は、そう云いつのって、どうしても、呂布を斬れと命じたが、李儒は、
「不策です。いけません」
頑として、彼らしい理性を、変えなかった。
「太師のお怒りは、自己のお怒りに過ぎませんが、てまえがお諫め申すのは、社稷のためです。──昔、こういう話があります」
と、李儒は、例をひいて、語りだした。
それは、楚国の荘王のことであるが、或る折、荘王が楚城のうちに、盛宴をひらいて、武功の諸将をねぎらった。
すると──宴半ばにして、にわかに涼風が渡って、満座の燈火がみな消えた。
荘王、
(はや、燭をともせ)と、近習へうながし、座中の諸将は、かえって、
(これも涼しい)と、興ありげにさわいでいた。
──と、その中へ、特に、諸将をもてなすために、酌にはべらせておいた荘王の寵姫へ、誰か、武将のひとりが戯れてその唇を盗んだ。
寵姫は、叫ぼうとしたが、じっとこらえて、その武将の冠の纓をいきなりむしりとって、荘王の側へ逃げて行った。
そして、荘王の膝へ、泣き声をふるわせて、
「この中で今、誰やら、暗闇になったのを幸いに、妾へみだらに戯れたご家来があります。はやく燭をともして、その武将を縛めてください。冠の纓の切れている者が下手人です」
と、自分の貞操をも誇るような誇張を加えて訴えた。
すると荘王は、どう思ったか、
「待て待て」と、今しも燭を点じようとする侍臣を、あわてて止め、
「今、わが寵姫が、つまらぬことを予に訴えたが、こよいはもとより心から諸将の武功をねぎらうつもりで、諸公の愉快は予の愉快とするところである。酒興の中では今のようなことはありがちだ。むしろ諸公がくつろいで、今宵の宴をそれほどまで楽しんでくれたのが予も共にうれしい」
と、いって、さてまた、
「これからは、さらに、無礼講として飲み明かそう。みんな冠の纓を取れ」と、命じた。
そしてすべての人が、冠の纓を取ってから、燭を新たに灯させたので、寵姫の機智もむなしく、誰が、女の唇を盗んだ下手人か知れなかった。
その後、荘王は、秦との大戦に、秦の大軍に囲まれ、すでに重囲のうちに討死と見えた時、ひとりの勇士が、乱軍を衝いて、王の側に馳けより、さながら降天の守護神のごとく、必死の働きをして敵を防ぎ、満身朱になりながらも、荘王の身を負って、ついに一方の血路をひらいて、王の一命を完うした。
王は、彼の傷手のはなはだしいのを見て、
「安んぜよ、もうわが一命は無事なるを得た。だが一体、そちは何者だ。そして如何なるわけでかくまで身に代えて、予を守護してくれたか」と、訊ねた。
すると、傷負の勇士は、
「──されば、それがしは先年、楚城の夜宴で、王の寵姫に冠の纓をもぎ取られた痴者です」
と、にこと笑って答えながら死んだという。
──李儒は、そう話して、
「いうまでもなく、彼は、荘王の大恩に報じたものです。世にはこの佳話を、絶纓の会と伝えています。……太師におかれても、どうか、荘王の大度を味わってください」
董卓は、首を垂れて聞いていたが、やがて、
「いや、思い直した。呂布の命は助けておこう。もう怒らん」
翻然と、諫めを容れて去った。
李儒はかねて、呂布が何を不平として、近ごろ董卓に含んでいるか、およそ察していたので、
──困ったものだ。
と、内心、貂蝉に溺れている董卓にも、それに瞋恚を燃やしている呂布にも、胸を傷めていた折であった。
それゆえ、「絶纓の会」の故事をひいて、諄々と、諫めたところ、さすが、董卓も暗愚ではないので、
「忘れおこう、呂布はゆるせ」と、釈然と悟った容子なので、これ、太師の賢明によるところ、覇業万歳の基であると、直ちに、呂布へもその由を告げて、大いに安心していた。
董卓は、李儒を退けると、すぐ後堂へ入って行ったが、見ると、帳にすがって、貂蝉はまだ独りしくしく泣いていた。
「何を泣くか。女にも隙があるから、男が戯れかかるのだ。そなたにも半分の罪があるぞ」
董卓が、いつになく叱ると、貂蝉はいよいよ悲しんで、
「でも、太師は常に、呂布はわが子も同様だと仰っしゃっていらっしゃいましょう。──ですから私も、太師のご養子と思って、敬まっていたんです。それを今日は、恐い血相で、戟を持って私を脅し、むりやりに鳳儀亭に連れて行ってあんなことをなさるんですもの……」
「いや、深く考えてみると、悪いのは、そなたでも呂布でもなかった。この董卓が愚かだった。──貂蝉、わしが媒ちして、そなたを呂布の妻にやろう。あれほど忘れ難なく恋している呂布だ。そなたも彼を愛してやれ」
眼をとじて、董卓がいうと、貂蝉は、身を投げて、その膝にとりすがった。
「なにをおっしゃいます。太師に捨てられて、あんな乱暴な奴僕の妻になれというのですか。嫌なことです。死んだって、そんな辱めは受けません」
いきなり董卓の剣を抜きとって、咽に突き立てようとしたので、董卓は仰天して、彼女の手から剣を奪りあげた。
貂蝉は、慟哭して、床に伏しまろびながら、
「……わ、わかりました。これはきっと、李儒が呂布に頼まれて、太師へそんな進言をしたにちがいありません。あの人と呂布とは、いつも太師のいらっしゃらない時というと、ひそひそ話していますから。……そうです。太師はもう、私よりも、李儒や呂布のほうがお可愛いんでしょう。わたしなどはもう……」
董卓は、やにわに、彼女を膝に抱きあげて、泣き濡れているその頬やその唇へ自分の顔をすり寄せて云った。
「泣くな、泣くな、貂蝉、今のことばは、冗戯じゃよ。なんでそなたを、呂布になど与えるものか。──明日、郿塢の城へ帰ろう。郿塢には、三十年の兵糧と、数百万の兵が蓄えてある。事成れば、そなたを貴妃とし、事成らぬ時は、富貴の家の妻として、生涯を長く楽しもう。……嫌か、ウム、嫌ではあるまい」
次の日──
李儒は改まって、董卓の前に伺候した。ゆうべ、呂布の私邸を訪い、恩命を伝えたところ、呂布も、深く罪を悔いておりました──と報告してから、
「きょうは幸いに、吉日ですから、貂蝉を呂布の家にお送りあってはいかがでしょう。──彼は単純な感激家です。きっと、感涙をながして、太師のためには、死をも誓うにちがいありません」
と、いった。
すると董卓は、色を変じて、
「たわけたことを申せ。──李儒っ、そちは自分の妻を呂布にやるかっ」
李儒は、案に相違して、唖然としてしまった。
董卓は早くも車駕を命じ、珠簾の宝台に貂蝉を抱き乗せ、扈従の兵馬一万に前後を守らせ、郿塢の仙境をさして、揺々と発してしまった。
董太師、郿塢へ還る。──と聞えたので、長安の大道は、拝跪する市民と、それを送る朝野の貴人で埋まっていた。
呂布は、家にあったが、
「はてな?」
窓を排して、街の空をながめていた。
「今日は、日も吉いから、貂蝉を送ろうと、李儒は云ったが?」
車駕の轣音や馬蹄のひびきが街に聞える、巷のうわさは嘘とも思えない。
「おいっ、馬を出せっ、馬を」
呂布は、厩へ馳け出して呶鳴った。
飛びのるが早いか、武士も連れず、ただ一人、長安のはずれまで鞭打った。そこらはもう郊外に近かったが、すでに太師の通過と聞えたので、菜園の媼も、畑の百姓も、往来の物売りや旅芸人などまで、すべて路傍に草の如く伏していた。
呂布は、丘のすそに、駒を停めて、大樹の陰にかくれてたたずんでいた。そのうちに車駕の列が蜿蜒と通って行った。
──見れば、金華の車蓋に、珠簾の揺れ鳴る一車がきしみ通って行く。四方翠紗の籠屏の裡に、透いて見える絵の如き人は貂蝉であった。──貂蝉は、喪心しているもののように、うつろな容貌をしていた。
ふと、彼女の眸は、丘のすそを見た。そこには、呂布が立っていた。──呂布は、われを忘れて、オオと、馳け寄らんばかりな容子だった。
貂蝉は、顔を振った。その頬に、涙が光っているように見えた。──前後の兵馬は、畑土を馬蹄にあげて、たちまち、その姿を彼方へ押しつつんでしまった。
「…………」
呂布は、茫然と見送っていた。──李儒の言は、ついに、偽りだったと知った。いや、李儒に偽りはないが、董卓が、頑として、貂蝉を離さないのだと思った。
「……泣いていた、貂蝉も泣いていた。どんな気もちで郿塢の城へいったろう」
彼は、気が狂いそうな気がしていた。沿道の百姓や物売りや旅人などが、そのせいか、じろじろと彼を振向いてゆく。呂布の眼はたしかに血走っていた。
「や、将軍。……こんな所で、なにをぼんやりしているんですか」
白い驢を降りて、彼のうしろからその肩を叩いた人がある。
呂布は、うつろな眼を、うしろへ向けたが、その人の顔を見て、初めてわれにかえった。
「おう、あなたは王司徒ではないか」
王允は、微笑して、
「なぜ、そんな意外な顔をなされるのか。ここはそれがしの別業の竹裏館のすぐ前ですのに」
「ああ、そうでしたか」
「董太師が郿塢へお還りと聞いたので、門前に立ってお見送りしたついでに、一巡りしようかと驢を進めて来たところです。──将軍は、何しに?」
「王允、何しにとは情けない。其許がおれの苦悶をご存じないはずはないが」
「はて。その意味は」
「忘れはしまい。いつか貴公はこの呂布に、貂蝉を与えると約束したろう」
「もとよりです」
「その貂蝉は老賊に横奪りされたまま、今なお呂布をこの苦悩に突きおとしているではないか」
「……その儀ですか」
王允は、急に首を垂れて、病人のような嘆息をもらした。
「太師の所行はまるで禽獣のなされ方です。わたくしの顔を見るたびに、近日、呂布の許へ貂蝉は送ると、口ぐせのようにいわるるが、今もって、実行なさらない」
「言語道断だ。今も、貂蝉は、車のうちで泣いて行った」
「ともかく、ここでは路傍ですから……、そうだ、ほど近い私の別業までお越し下さい。篤と、ご相談もありますから」
王允は、慰めて、白驢に乗って先へ立った。
そこは長安郊外の、幽邃な別業であった。
呂布は、王允に誘われて、竹裏館の一室へ通されたが、酒杯を出されても、沈湎として、溶けぬ忿怒にうな垂れていた。
「いかがです、おひとつ」
「いや、今日は」
「そうですか。では、あまりおすすめいたしません。心の楽しまぬ時は、酒を含んでも、いたずらに、口にはにがく、心は燃えるのみですから」
「王司徒」
「はい」
「察してくれ……。呂布は生れてからこんな無念な思いは初めてだ」
「ご無念でしょう。けれど、私の苦しみも、将軍に劣りません」
「おぬしにも悩みがあるか」
「あるか──どころではないでしょう。折角、将軍の室へ娶っていただこうと思ったわが養女を、董太師に汚され、あなたに対しては、義を欠いている。──また、世間は将軍をさして、わが女房を奪われたる人よ、と蔭口をきくであろうと、わが身に誹りを受けるより辛く思われます」
「世間がおれを嘲うと!」
「董太師も、世の物笑いとなりましょうが、より以上、天下の人から笑い辱められるのは、約束の義を欠いた私と、将軍でしょう。……でもまだ私は老いぼれのことですから、どうする術もあるまいと、人も思いましょうが、将軍は一世の英雄でありまた、お年も壮んなのに、なんたる意気地のない武士ぞといわれがちにきまっています。……どうぞ、私の罪を、おゆるし下さい」
王允がいうと、
「いや、貴下の罪ではない!」
呂布は、憤然、床を鳴らして突っ立ったかと思うと、
「王司徒、見ておれよ。おれは誓って、あの老賊をころし、この恥をそそがずにはおかぬから」
王允は、わざと仰山に、
「将軍、卒爾なことを口走り給うな。もし、そのようなことが外へ洩れたら、お身のみか、三族を亡ぼされますぞ」
「いいや、もうおれの堪忍もやぶれた。大丈夫たる者、豈鬱々として、この生を老賊の膝下に屈んで過そうや」
「おお、将軍。今の僭越な諫言をゆるして下さい。将軍はやはり稀世の英邁でいらっしゃる。常々ひそかに、将軍の風姿を見ておるに、古の韓信などより百倍も勝れた人物だと失礼ながら慕っていました。韓信だに、王に封ぜられたものを、いつまで、区々たる丞相府の一旗下で居たまうわけはない……」
「ウーム、だが……」
呂布は牙を噛んで呻いた。
「──今となって、悔いているのは、老賊の甘言にのせられて、董卓と義父養子の約束をしてしまったことだ。それさえなければ、今すぐにでも、事を挙げるのだが、かりそめにも、義理の養父と名のついているために、おれはこの憤りを抑えておるのだ」
「ほほう……。将軍はそんな非難を怖れていたんですか。世間は、ちっとも知らないことですのに」
「なぜ」
「でも、でも、将軍の姓は呂、老賊の姓は董でしょう。聞けば、鳳儀亭で老賊は、あなたの戟を奪って投げつけたというじゃありませんか。父子の恩愛がないことは、それでも分ります。ことに、未だに、老賊が自分の姓を、あなたに名乗らせないのは、養父養子という名にあなたの武勇を縛っておくだけの考えしかないからです」
「ああ、そうか。おれはなんたる智恵の浅い男だろう」
「いや、老賊のため、義理に縛られていたからです。今、天下の憎む老賊を斬って、漢室を扶け、万民へ善政を布いたら、将軍の名は青史のうえに不朽の忠臣としてのこりましょう」
「よしっ、おれはやる。必ず、老賊を馘ってみせる」
呂布は、剣を抜いて、自分の肘を刺し、淋漓たる血を示して、王允へ誓った。
呂布の帰りを門まで送って出ながら、王允は、そっとささやいた。
「将軍、きょうのことは、ふたりだけの秘密ですぞ。誰にも洩らして下さるな」
「もとよりのことだ。だが大事は、二人だけではできないが」
「腹心の者には明かしてもいいでしょう。しかし、この後は、いずれまた、ひそかにお目にかかって相談しましょう」
赤兎馬にまたがって、呂布は帰って行った。王允は、その後ろ姿を見送って、
──思うつぼに行った。
と独りほくそ笑んでいた。
その夜、王允はただちに、日頃の同志、校尉黄琬、僕射士孫瑞の二人を呼んで、自分の考えをうちあけ、
「呂布の手をもって、董卓を討たせる計略だが、それを実現するに、何かよい方法があるまいか」
と、計った。
「いいことがあります」と、孫瑞がいった。
「天子には、先頃からご不予でしたが、ようやく、この頃ご病気も癒えました。ついては、詔と称し、偽の勅使を郿塢の城へつかわして、こういわせたらよいでしょう」
「え。偽勅の使いを?」
「されば、それも天子の御為ならば、お咎めもありますまい」
「そしてどういうのか」
「天子のおことばとして──朕病弱のため帝位を董太師に譲るべしと、偽りの詔を下して彼を召されるのです。董卓はよろこんで、すぐ参内するでしょう」
「それは、餓虎に生餌を見せるようなものだ。すぐ跳びついてくるだろう」
「禁門に力ある武士を大勢伏せておいて、彼が、参内する車を囲み、有無をいわせず誅戮してしまうのです。──呂布にそれをやらせれば、万に一つものがす気遣いはありません」
「偽勅使には誰をやるか」
「李粛が適任でしょう。私とは同国の人間で、気性も分っていますから、大事を打明けても、心配はありません」
「騎都尉の李粛か」
「そうです」
「あの男は、以前、董卓に仕えていた者ではないか」
「いや、近頃勘気をうけて、董卓の扶持を離れ、それがしの家に身を寄せています。なにか、董卓にふくむことがあるらしく、怏々として浮かない日を過しているところですから、よろこんでやりましょうし、董卓も、以前目をかけていた男だけに、勅使として来たといえば、必ず心をゆるして、彼の言を信じましょう」
「それは好都合だ。早速、呂布に通じて、李粛と会わせよう」
王允は、翌晩、呂布をよんで、云々と、策を語った。──呂布は聞くと、
「李粛なら自分もよく知っている。そのむかし赤兎馬をわが陣中へ贈ってきて、自分に、養父の丁建陽を殺させたのも、彼のすすめであった。──もし李粛が、嫌のなんのといったら、一刀のもとに斬りすててしまう」と、いった。
深夜、王允と呂布は、人目をしのんで、孫瑞の邸へゆき、そこに食客となっている李粛に会った。
「やあ、しばらくだなあ」
呂布はまずいった。李粛は、時ならぬ客に驚いて唖然としていた。
「李粛。貴公もまだ忘れはしまいが、ずっと以前、おれが養父丁原と共に、董卓と戦っていた頃、赤兎馬や金銭をおれに送り、丁原に叛かせて、養父を殺させたのは、たしか貴公だったな」
「いや、古いことになりましたね。けれど一体、何事ですか、今夜の突然のお越しは」
「もう一度、その使いを、頼まれて貰いたいのだ。しかし、こんどは、おれから董卓のほうへやる使いだが」
呂布は、李粛のそばへ、すり寄った。そして、王允に仔細を語らせて、もし李粛が不承知な顔いろを現したら、即座に斬って捨てんとひそかに剣を握りしめていた。
ふたりの密謀を聞くと、李粛は手を打って、
「よく打明けて下すった。自分も久しく董卓を討たんとうかがっていたが、めったに心底を語る者もないのを恨みとしていたところでした。善哉善哉、これぞ天の助けというものだろう」
と喜んで、即座に、誓いを立てて荷担した。
そこで三名は、万事を諜しあわせて、その翌々日、李粛は二十騎ほど従えて郿塢の城へおもむき、
「天子、李粛をもって、勅使として降し給う」と、城門へ告げた。
董卓は、何事かと、直ぐに彼を引いて会った。
李粛は恭しく、拝をなして、
「天子におかれては、度々のご不予のため、ついに、太師へ御位を譲りたいとご決意なされました。どうか天下の為、すみやかに大統をおうけあって、九五の位にお昇りあるよう。今日の勅使は、その御内詔をお伝えに参ったわけです」
そういって、じっと董卓の面を見ていると、つつみきれぬ喜びに、彼の老顔がぱっと紅くなった。
「ほ。……それは意外な詔だが、しかし、朝臣の意向は」
「百官を未央殿にあつめ給い、僉議も相すみ、異口同音、万歳をとなえて、一決いたした結果です」
聞くと、董卓は、いよいよ眼を細めて、
「司徒王允は、何といっておるかの」
「王司徒は、よろこびに堪えず、受禅台を築いて、早くも、太師の即位を、お待ちしているふうです」
「そんなに早く事が運んでいるとは驚いた。ははは。……道理で思い当ることがある」
「なんですか。思い当ることとは」
「先頃、夢を見たのじゃ」
「夢を」
「むむ。巨龍雲を起して降り、この身に纏うと見て目がさめた」
「さてこそ、吉瑞です。一刻も早く、車をご用意あって、朝へ上り、詔をおうけなされたがよいと思います」
「この身が帝位についたら、そちを執金吾に取立てて得させよう」
「必ず忠誠を誓います」
李粛が、再拝しているまに、董卓は、侍臣へ向って、車騎行装の支度を命じた。
そして彼は、馳けこむように、貂蝉の住む一閣へ行って、
「いつか、そなたに云ったことがあろう。わしが帝位に昇ったら、そなたを貴妃として、この世の栄華を尽させんと。とうとうその日が来た」と、早口に云った。
貂蝉は、チラと、眼をかがやかしたが──すぐ無邪気な表情をして、
「まあ。ほんとですか」と、狂喜してみせた。
董卓はまた、後堂から母をよび出して、事の由をはなした。彼の母はすでに年九十の余であった。耳も遠く眼もかすんでいた。
「……なんじゃ。俄に、どこへ行くというのかの」
「参内して、天子の御位をうけるのです」
「誰がの?」
「あなたの子がです」
「おまえがか」
「ご老母。あなたも、いい伜を持ったお蔭で、近いうちに、皇太后と敬われる身になるんですぞ。嬉しいと思いませんか」
「やれやれ。わずらわしいことだのう」
九十余歳の老媼は、上唇をふるわせて、むしろ悲しむが如く、天井を仰いだ。
「あははは、張合いのないものだな」
董卓は、嘲りながら、濶歩して一室へかくれ、やがて盛装をこらして車に打乗り、数千の精兵に前後を護られて郿塢山を降って行った。
蜿蜒と行列はつづいた。
幡旗に埋められて行く車蓋、白馬金鞍の親衛隊、数千兵の戟の光など、威風は道を掃い、その美しさは眼もくらむばかりだった。
すでに十里ほど進んで来ると、車の中の董卓は、ガタッと大きく揺すぶられたので、
「どうしたのだっ」と、咎めた。
「お車の輪が折れました」と、侍臣が恐懼して云った。
「なに。車の輪が折れた」
彼は、ちょっと機嫌を曇らし、
「沿道の百姓どもが、道の清掃を怠って、小石を残しておいたからだろう。見せしめのため、村長を馘れ」
彼は、傾いた車を降りて、逍遥玉面というべつな車馬へ乗りかえた。
そしてまた、六、七里も来たかと思うと、こんどは馬が暴れいなないて、轡を切った。
「李粛、李粛」と、金簾のうちから呼んで、彼は怪しみながら訊ねた。
「車の輪が折れたり、馬が轡を噛み切ったり、これは一体、どういうわけだろう」
「お気にかけることはありません。太師が、帝位に即き給うので、旧きを捨て新しきに代る吉兆です」
「なるほど。明らかな解釈だ」
董卓はまた、機嫌を直した。
途中、一宿して、翌日は長安の都へかかるのだった。ところがその日は、めずらしく霧がふかく、行列が発する頃から狂風が吹きまくって、天地は昏々と暗かった。
「李粛。この天相は、なんの瑞祥だろうか」
事毎に、彼は気に病んだ。
李粛は笑って、
「これぞ、紅光紫霧の賀瑞ではありませんか」と、太陽を指した。
簾の陰から、雲を仰ぐと、なるほど、その日の太陽には、虹色の環がかかっていた。
やがて長安の外城を通り、市街へ進み入ると、民衆は軒を下ろし、道にかがまり、頭をうごかす者もない。
王城門外には、百官が列をなして出迎えていた。
王允、淳于瓊、黄琬、皇甫嵩なども、道の傍に、拝伏して、
「おめでとう存じあげます」と、慶賀を述べ、臣下の礼をとった。
董卓は、大得意になって、
「相府にやれ」と、車の馭官へ命じた。
そして丞相府にはいると、
「参内は明日にしよう。すこし疲れた」と、いった。
その日は、休憩して、誰にも会わなかったが、王允だけには会って、賀をうけた。
王允は、彼に告げて、
「どうか、こよいは悠々身心をおやすめ遊ばして、明日は斎戒沐浴をなし、万乗の御位を譲り受け給わらんことを」と、祷って去った。
「ご気分はいかがです」と、誰かその後から帳をうかがう者があった。
呂布であった。
董卓は、彼を見ると、やはり気強くなった。
「オオ、いつもわしの身辺を護っていてくれるな」
「大事なお体ですから」
「わしが位についたら、そちには何をもって酬いようかな。そうだ、兵馬の総督を任命してやろう」
「ありがとうございます」
呂布は、常のように戟を抱え、彼の室外に立って、夜もすがら忠実に護衛していた。
その夜は、さすがに彼も、婦女を寝室におかず、眠りの清浄を守った。
けれど、明日は、九五の位をうける身かと思うと、心気昂ぶって、容易に眠りつけない様子だった。
──と、室の外を。
戛。戛。
と、誰か歩く靴音がする。
むくと、身を起し、
「誰かっ」と咎めると、帳の外に、まだ起きていた李粛が、
「呂布が見廻っているのです」と、答えた。
「呂布か……」
そう聞くと、彼はすっかり安心してかすかに鼾をかき始めたが、また、眼をさまして、しきりと、耳をそばだてている。
──遠く、深夜の街に、子どもらの謡う童歌が聞えた。
青々、千里の草も
眼に青けれど
運命の風ふかば
十日の下は
生き得まじ
風に漂ってくる歌声は、深沈と夜をながれて、いかにも哀切な調子だった。
彼は、それが耳について、
「李粛」と、また呼んだ。
「は。まだお目をさましておいででしたか」
「あの童謡は、どういう意味だろう。なんだか、不吉な歌ではないか」
「その筈です」
李粛は、でたらめに、こう解釈を加えて、彼を安心させた。
「漢室の運命の終りを暗示しているんですから。──ここは長安の帝都、あしたから帝が代るのですから、無心な童謡にも、そんな予兆が現れないわけはありません」
「なるほど。そうか……」
憐れむべし、彼はうなずいて、ほどなく昏々と、ふかい鼾の中に陥ちた。
後に思えば。
童謡の「千里の草」というのは「董」の字であり、「十日の下」とは卓の字のことであった。
千里草
何青々
十日下
猶不生
と街に歌っていた声は、すでに彼の運命を何者かが嘲笑していた暗示だったのであるが、李粛の言にあやされて、さしもの奸雄も、それはわが身ならぬ漢室のことだと思っていたのである。
朝の光は、彼の枕辺に映しこぼれてきた。
董卓は、斎戒沐浴した。
そして、儀仗をととのえ、きのうに勝る行装をこらして、朝霧のうすく流れている宮門へ向って進んでゆくと、一旒の白旗をかついで青い袍を着た道士が、ひょこり道を曲ってかくれた。
その白旗に、口の字が二つ並べて書いてあった。
「なんじゃ、あれは」
董卓が、李粛へ問うと、
「気の狂った祈祷師です」と、彼は答えた。
口の字を二つ重ねると「呂」の字になる。董卓はふと、呂布のことが気になった。鳳儀亭で貂蝉と密会していた彼のすがたが思い出されていやな気もちになった。
──と、もうその時、儀杖の先頭は、宮中の北掖門へさしかかっていた。
禁門の掟なので、董卓も、儀仗の兵士をすべて、北掖門にとどめて、そこから先は、二十名の武士に車を押させて、禁廷へ進んだ。
「やっ?」
董卓は、車の内でさけんだ。
見れば、王允と黄琬の二人が、剣を執って、殿門の両側に立っているではないか。
彼は、何か異様な空気を感じたのであろう。突然、
「李粛李粛。──彼らが、抜剣して立っているのは如何なるわけか」
と、呶鳴った。
すると、李粛は車の後ろで、
「されば、閻王の旨により、太師を冥府へ送らんとて、はや迎えに参っているものとおぼえたりっ」
と、大声で答えた。
董卓は、仰天して、
「な、なんじゃと?」
膝を起そうとした途端に、李粛は、それっと懸け声して、彼の車をぐわらぐわらと前方へ押し進めた。
王允は、大音あげて、
「郿塢の逆臣が参ったり、出でよっ、武士どもっ」
声を合図に──
「おうっ」
「わあっ」
馳け集まった御林軍の勇兵百余人が、車を顛覆えして、董卓を中からひきずり出し、
「賊魁ッ」
「この大奸」
「うぬっ」
「天罰」
「思い知れや」
無数の戟は、彼の一身へ集まって、その胸を、肩を、頭を滅多打ちに突いたり斬り下げたりしたが、かねて要心ぶかい董卓は、刃もとおさぬ鎧や肌着に身をかためていたので、多少血しおにはまみれてもなお、致命傷には至らなかった。
巨体を大地に転ばせながら、彼はその間に絶叫を放っていた。
「──呂布っ、呂布ッ。──呂布はあらざるかっ、義父の危難を助けよ」
すると、呂布の声で、
「心得たり」と、聞えたと思うと、彼は画桿の大戟をふりかぶって、董卓の眼前に躍り立ち、「勅命によって逆賊董卓を討つ」と、喚くや否、真っ向から斬り下げた。
黒血は霧のごとく噴いて、陽も曇るかと思われた。
「うッ──むっ。……おのれ」
戟はそれて、右の臂を根元から斬り落したにすぎなかった。
董卓は、朱にそまりながら、はったと呂布をにらんで、まだなにか叫ぼうとした。
呂布は、その胸元をつかんで、
「悪業のむくいだ」と罵りざま、ぐざと、その喉を刺しつらぬいた。
禁廷の内外は、怒濤のような空気につつまれたが、やがて、それと知れ渡ると、
「万歳っ」
と、誰からともなく叫びだし、文武百官から厩の雑人や、衛士にいたるまで、皆万歳万歳を唱え合い、その声、そのどよめきは、小半刻ほど鳴りもやまなかった。
李粛は、走って、董卓の首を打落し、剣尖に刺して高くかかげ、呂布はかねて王允から渡されていた詔書をひらいて、高台に立ち、
「聖天子のみことのりにより、逆臣董卓を討ち終んぬ。──その余は罪なし、ことごとくゆるし給う」
と、大音で読んだ。
董卓、ことし五十四歳。
千古に記すべきその日その年、まさに漢の献帝が代の初平三年壬申、四月二十二日の真昼だった。
大奸を誅して、万歳の声は、禁門の内から長安の市街にまで溢れ伝わったが、なお、
「このままではすむまい」
「どうなることか」と、戦々兢々たる人心の不安は去りきれなかった。
呂布は、云った。
「今日まで、董卓のそばを離れず、常に、董卓の悪行を扶けていたのは、あの李儒という秘書だ。あれは生かしておけん」
「そうだ。誰か行って、丞相府から李儒を搦め捕って来い」
王允が命じると、
「それがしが参ろう」
李粛は答えるや否、兵をひいて、丞相府へ馳せ向った。
すると、その門へ入らぬうちに、丞相府の内から、一団の武士に囲まれて、悲鳴をあげながら、引きずり出されて来るあわれな男があった。
見ると、李儒だった。
丞相府の下部たちは、
「日頃、憎しと思う奴なので、董太師が討たれたりと聞くや否、かくの如く、われわれの手で搦め、これから禁門へつきだしに行くところでした。どうか、われわれには、お咎めなきよう、お扱いねがいます」と、訴えた。
李粛は、なんの労もなく、李儒を生擒ったので、すぐ引っさげて、禁門に献じた。
王允は、直ちに、李儒の首を刎ねて、
「街頭に梟けろ」と、それを刑吏へ下げた。
なお、王允がいうには、
「郿塢の城には、董卓の一族と、日頃養いおいた大軍がいる。誰か進んでそれを掃討してくれる者はいないか」
すると、声に応じて、「それがしが参る」と、真っ先に立った者がある。
呂布であった。
「呂布ならば」と、誰も皆、心にゆるしたが、王允は、李粛、皇甫嵩にも、兵をさずけ、約三万余騎の兵が、やがて郿塢へさして下って行った。
郿塢には、郭汜、張済、李傕などの大将が一万余の兵を擁して、留守を護っていたが、
「董太師には、禁廷において、無残な最期を遂げられた」
との飛報を聞くと、愕然、騒ぎだして、都の討手が着かないうちに、総勢、涼州方面へ落ちてしまった。
呂布は、第一番に、郿塢の城中へ乗込んだ。
彼は、何者にも目をくれなかった。
ひたむきに、奥へ走った。
そして、秘園の帳内を覗きまわって、
「貂蝉っ、貂蝉っ……」
と、彼女のすがたを血眼で捜し求めた。
貂蝉は、後堂の一室に、黙然とたたずんでいた。呂布は、走りよって、
「おいっ、歓べ」と、固く抱擁しながら、物いわぬ体を揺すぶった。
「うれしくないのか。あまりのうれしさに口もきけないのか。貂蝉、おれはとうとうやったよ。董卓を殺したぞ。これからは二人も晴れて楽しめるぞ。さあ、怪我をしては大変だ。長安へお前を送ろう」
呂布はいきなり彼女の体を引っ抱えて、後堂から走り出した。城内にはもう皇甫嵩や李粛の兵がなだれ入って、殺戮、狼藉、放火、奪財、あらゆる暴力を、抵抗なき者へ下していた。
金銀珠玉や穀倉やその他の財物に目を奪われている味方の人間どもが、呂布には馬鹿に見えた。
彼は、貂蝉をしかと抱いて、乱軍の中を馳け出し、自分の金鞍に乗せて、一鞭、長安へ帰って来た。
郿塢城の大奥には、貂蝉のほかにも良家の美女八百余人が蓄えられてあった。
繚乱の百花は、暴風の如く、馳け入る兵に踏み荒され、七花八裂、狼藉を極めた。
皇甫嵩は、部下の兵が争うて奪うにまかせ、なお、
「董卓が一族は、老幼をわかたず、一人残らず斬り殺せ」と、厳命した。
董卓の老母で今年九十幾歳という媼は、よろめき出て、
「扶け給え」と、悲鳴をあげながら、皇甫嵩の前へひれ伏したが、ひとりの兵が跳びかかったかと見るまにその首はもう落ちていた。
わずか半日のまに、誅殺された一族の数は男女千五百余人に上ったという。
それから金蔵を開いてみると、十庫の内に黄金二十三万斤、白銀八十九万斤が蓄えられてあった。また、そのほかの庫内からも金繍綾羅、珠翠珍宝、山を崩して運ぶ如く、続々と城外へ積み出された。
王允は、長安から命を下して、
「すべて、長安へ移せ」と、いいつけた。
また、穀倉の処分は、「半ばを百姓に施し、半ばは官庫に納むべし」と、命令した。
その米粟の額も八百万石という大量であった。
長安の民は賑わった。
董卓が殺されてからは、天の奇瑞か、自然の暗合か、数日の黒霧も明らかに霽れ、風は熄んで地は和やかな光に盈ち、久しぶりに昭々たる太陽を仰いだ。
「これから世の中がよくなろう」
彼らは、他愛なく歓び合った。
城内、城外の百姓町人は、老いも若きも、男も女も祭日のように、酒の瓶を開き、餅を作り軒に彩聯を貼り、神に燈明を灯し、往来へ出て、夜も昼も舞い謡った。
「平和が来た」
「善政がやって来よう」
「これから夜も安く眠られる」
そんな意味の詞を、口々に唄い囃して、銅鑼をたたいて廻った。
すると彼らは、街頭に曝してあった董卓の死骸に群れ集まって、
「董卓だ董卓だ」と、騒いだ。
「きょうまで、おれ達を苦しめた張本人」
「あら憎や」
首は足から足へ蹴とばされ、また首のない屍の臍に蝋燭をともして手をたたいた。
生前、人いちばい肥満していた董卓なので、膏が煮えるのか、臍の燈明は、夜もすがら燃えて朝になってもまだ消えなかったということである。
また。
董卓の弟の董旻、兄の子の董璜のふたりも、手足を斬られて、市に曝された。
李儒は、董卓のふところ刀と日頃から憎しみも一倍強くうけていた男なので、その最期は誰よりも惨たるものだった。
こうして、ひとまず誅滅も片づいたので、王允は一日、都堂に百官をあつめて慶びの大宴を張った。
するとそこへ、一人の吏が、
「何者か、董卓の腐った屍を抱いて、街路に嘆いている者があるそうです」
と、告げて来たので、すぐ引っ捕えよと命じると、やがて縛られて来たのは、侍中蔡邕であったから人々はみなびっくりした。
蔡邕は、忠孝両全の士で、また曠世の逸才といわれる学者だった。だが、彼もただ一つ大きな過ちをした。それは董卓を主人に持ったことである。
人々は、彼の人物を惜しんだが、王允は獄に下して、免さなかった。そのうちに何者かのために獄の中で縊め殺されてしまった。彼ばかりか、こういう惜しむべき人間もまた、幾多犠牲になったことか知れないであろう。
都堂の祝宴にも、ただひとり顔を見せなかった大将がある。
呂布であった。
「微恙のため」と断ってきたが、病気とも思われない。
長安の市民が七日七夜も踊り狂い、酒壺を叩いて、董卓の死を祝している時、彼は、門を閉じて、ひとり慟哭していた。
「貂蝉、貂蝉っ……」
それは、わが家の後園を、狂気のごとく彷徨いあるいている呂布の声だった。
そして、小閣の内へかくれると、そこに横たえてある貂蝉の冷たい体を抱きあげてはまた、「なぜ死んだ」と、頬ずりした。
貂蝉は、答えもせぬ。
彼女は、郿塢城の炎の中から、呂布の手にかかえられて、この長安へ運ばれ、呂布の邸にかくされていたが、呂布がふたたび戦場へ出て行った後で、ひとり後園の小閣にはいって、見事、自刃してしまったのである。
「もう貂蝉も、おれのものだ。はれておれの妻となった」
やがて帰って来た呂布は、それまでの夢を打破られてしまった。
貂蝉の自殺が、
「なぜ死んだか」
彼には解けなかった。
「──貂蝉は、あんなにも、おれを想っていたのに。おれの妻となるのを楽しんでいたのに」
と思い迷った。
貂蝉は、何事も語らない。
だが、その死顔には、なんの心残りもないようであった。
──すべきことを為しとげた。
微笑の影すら唇のあたりに残っているように見えた。
彼女の肉体は獣王の犠牲にひとたびは供されたが、今は彼女自身のものに立ち返っていた。天然の麗質は、死んでからよけいに珠のごとく燦いていた。死屍の感はすこしもなく、生けるように美しかった。
呂布の煩悩は、果てしなく醒めなかった。彼の一本気は、その煩悩まで単純であった。
きのうも今宵も、彼は飯汁も喉へ通さなかった。夜も、後園の小閣に寝た。
月は晦い。
晩春の花も黒い。
懊悩の果て、彼は、貂蝉の胸に、顔を当てたままいつか眠っていた。ふと眼がさめると、深夜の気はひそとして、闇の窓から月がさしていた。
「おや、何か?」
彼は、貂蝉の肌に秘められていた鏡嚢を見つけて、何気なく解いた。中には、貂蝉が幼少から持っていたらしい神符札やら麝香などがはいっていた。それと、一葉の桃花箋に詩を書いたものが小さく折りたたんであった。
詩箋は麝香に染みて、名花の芯をひらくような薫りがした。貂蝉の筆とみえ、いかにも優しい文字である。呂布は詩を解さないが、何度も読んでいるうちに、その意味だけは分った。
女の皮膚は弱いというが
鏡にかえて剣を抱けば
剣は正義の心を強めてくれる
わたしはすすんで荊棘へ入る
父母以上の恩に報いる為に
またそれが国の為と聞くからに
楽器を捨て、舞踊する手に
匕首を秘めて獣王へ近づき
遂に毒杯を献じたり、右と左にそして最後の一盞にわれを仆しぬ
聞ゆ──今、死の耳に
長安の民が謡う平和の歓び
われを呼ぶ天上の迦陵頻伽の声
「あ……あっ。では……?」
呂布もついに覚った。貂蝉の真の目的が何にあったかを知った。
彼は、貂蝉の死体を抱えて、いきなり馳け出すと、後園の古井戸へ投げこんでしまった。それきり貂蝉のことはもう考えなかった。天下の権を握れば、貂蝉ぐらいな美人はほかにもあるものと思い直した容子だった。
西涼(甘粛省・蘭州)の地方におびただしい敗兵が流れこんだ。
郿塢の城から敗走した大軍だった。
董卓の旧臣で、その四大将といわれる李傕、張済、郭汜、樊稠などは、連名して、使者を長安に上せ、
「伏して、赦を乞う」
と、恭順を示した。
ところが、王允は、
「断じて赦せない」
と、使いを追い返し、即日、討伐令を発した。
西涼の敗兵は、大いに恐れた。
すると、謀士の聞えある賈詡が云った。
「動揺してはいけない。団結を解いてはならん。もし諸君が、一人一人に分離すれば、田舎の小役人の力でも召捕ることができる。よろしく集結を固め、その上に、陝西の地方民をも糾合しして、長安へ殺到すべしである。──うまくゆけば、董卓の仇を報じて、朝廷をわれらの手に奉じ、失敗したらその時逃げても遅くない」
「なるほど」
四将は、その説に従った。
すると、西涼一帯に、いろいろな謡言が流布されて、州民は、恐慌を起した。
「長安の王允が、大兵を向けて、地方民まで、みなごろしにすると号している」と、いう噂だ。
その人心へつけ入って、
「坐して死を待つより、われわれの軍と共に、抗戦せよ!」と、四将は煽動した。
集まった雑軍を入れて、十四万という大軍になった。
気勢をあげて、押し進むと、途中で董卓の女婿の中郎将牛輔も、残兵五千をつれて、合流した。
いよいよ意気は昂った。
だが、やがて敵と近づいて対峙すると、
「これはいかん」と、四将の軍は、たちまち意気沮喪してしまった。
それは、有名な呂布が向って来たと分ったからである。
「呂布にはかなわない」と戦わぬうちから観念したからであった。
で、一度は退いたが、謀士の賈詡が、夜襲しろといったので、夜半、ふいに戻って敵陣をついた。
ところが、敵は案外もろかった。
その陣の大将は呂布でなく、董卓誅殺の時、郿塢の城へ偽勅使となって来た李粛だった。
油断していた李粛は、兵の大半を討たれ、三十里も敗走するという醜態だった。
後陣の呂布は、
「何たるざまだ」と、激怒して、「戦の第一に、全軍の鋭気をくじいた罪は浅くない」と、李粛を斬ってしまった。
李粛の首を、軍門に梟けるや、彼は自身、陣頭に立ち、またたくまに牛輔の軍を撃破した。
牛輔は、逃げ退いて、腹心の胡赤児という者へ、蒼くなってささやいた。
「呂布に出て来られては、とても勝てるものではない。いっそのこと、金銀をさらって、逃亡しようと思うが」
「そのことです。足もとの明るいうちだと、私も考えていたところで」
四、五名の従者だけをつれて、未明の陣地から脱走した。
だが、この主君の下にこの家来ありで、胡赤児は、途中の河べりまで来ると、川を渉りかけた牛輔を、不意に後ろから斬って、その首を掻き落してしまった。
そして、呂布の陣へ走り、
「牛輔の首を献じますから、私を取立てて下さい」と、降伏して出た。
だが、仲間の一人が、胡赤児が牛輔を殺したのは、金銀に目がくれて、それを奪おうためであると、陰へ廻って自白したので、呂布は、
「牛輔の首だけでは取立ててやるには不足だ。その首も出せ」
と、胡赤児を叱咤し、その場ですぐ彼をも馘ってしまった。
牛輔の死が伝えられた。また、それを殺した胡赤児も、呂布に斬られたという噂が聞えた。
「この上は、死か生か、決戦あるのみだ」と、敵の四将も臍をかためたらしい。
四将の一人、李傕は、「呂布には、正面からぶつかったのでは、所詮、勝ち目はない」と、呂布が勇のみで、智謀に長けないのをつけ目として、わざと敗れては逃げ、戦っては敗走して、呂布の軍を、山間に誘いこみ、決戦を長びかせて、彼をして進退両難におちいらしめた。
その間──
張済と樊稠の二将は、道を迂回して、長安へ進んでしまった。
「長安が危ない。はやく引返して防げ」と、王允から幾たびも急使が来たが、呂布は動きがつかなかった。
山峡の隘地を出て、軍を返そうとすれば、たちまち、李傕や郭汜の兵が、沢や峰や渓谷の陰から、所きらわず出て来て戦を挑むからだった。
好まない戦だが、応戦しなければ潰滅するし、応戦していれば果てしがない。
結局、空しく、進退を失ったまま、幾日かを過ごしていた。
一方。
長安へ向って、殺到した張済、樊稠の軍は、行くほどに、勢いをまして、
「董卓の仇をとれ」
「朝廷をわが手に奉ぜよ」と、潮の決するような勢いで、城下へ肉薄して行った。
しかし、そこには、鉄壁の外城がある。いかなる大軍も、そこでは喰い止められるものと人々は考えていたところ、なんぞ計らん、長安の市中に潜伏して生命を保っていた無数の旧董卓派の残党が、
「時こそ来れ」と、ばかり白日の下におどり出して、各城門を内部からみな開けてしまった。
「天われに与す」と、西涼軍は、雀躍りして、城内へなだれこんだ。それはまるで、堤を切った濁流のようだった。
雑軍の多い暴兵である。ひとたび長安の巷におどると、狼藉いたらざるなしの態たらくであった。
ついこの間、酒壺をたたき、平和来を謳って、戸ごとに踊り祝っていた民家は、ふたたび暴兵の洪水に浸され、渦まく剣光を阿鼻叫喚に逃げまどった。
どこまで呪われた民衆であろうか。
無情な天は、そこからあがる黒煙に、陽を潜め、月を隠し、ただ暗々瞑々、地上を酸鼻にまかせているのみであった。
変を聞いて。
呂布は、一大事とばかり、ようやく山間の小競り合いをすてて引返して来た。
だが、時すでに遅し──
彼が、城外十数里のところまで駆けつけて来てみると、長安の彼方、夜空いちめん真赤だった。
天に冲する火焔は、もうその下に充満している敵兵の絶対的な勢力を思わせた。
「……しまった!」
呂布は呻いた。
茫然と、火光の空を、眺めたまましばらく自失していた。
やんぬる哉。さすがの呂布も、今はいかんともする術もなかった。手も足も出ない形とはなった。
「そうだ、ひとまず、袁術の許へ身を寄せて後図を計ろう」
そう考えて、軍を解き、わずか百余騎だけを残し、にわかに道をかえて、夜と共に悄然と落ちて行った。
前には、恋の貂蝉を亡い、今また争覇の地を失って、呂布のうしろ影には、いつもの凜々たる勇姿もなかった。
好漢惜しむらくは思慮が足らない。また、道徳に欠けるところが多い。──天はこの稀世の勇猛児の末路を、そも、何処に運ぼうとするのであろうか。
騒乱の物音が遠くする。
夜も陰々と。
昼間も轟々と。
宮中の奥ふかき所──献帝はじいっと蒼ざめた顔をしておられた。
長安街上に躍る火の魔、血の魔がそのお眸には見えるような心地であられたろう。
「皇宮の危機が迫りました」
侍従が云って来た。
しばらくするとまた、
「西涼軍が、潮のごとく、禁門の下へ押して参りました」と、侍臣が奏上した。
──こんどは朝廷へ襲ってくるな、とはや、観念されたように、献帝は眼をふさいだまま、
「ウム。……むむ」
うなずかれただけだった。
事実、朝臣すべても、この際、どうしたらいいか、為すことを知らなかった。
すると侍従の一人が、
「彼らも、帝座の重きことはわきまえておりましょう。この上は、帝ご自身、宣平門の楼台に上がられて、乱をご制止あそばしたら、鎮まるだろうと思います」と奏請した。
献帝は、玉歩を運んで宣平門へ上がった。血に酔って、沸いていた城下の狂軍は、禁門の楼台に瑤々と翳された天子の黄蓋にやがて気づいて、
「天子だ」
「ご出御だ」
と、その下へ、わいわいと集まった。
李傕、郭汜の二将は、
「しずまれっ。鎮まれっ」
と、にわかに味方を抑え、必死に暴兵を鎮圧して、自分らも、宣平門の下へ来た。
献帝は門上から、
「汝ら、何ゆえに、朕がゆるしも待たず、ほしいままに長安へ乱入したか」と、大声で詰問された。
すると、李傕は、
「陛下っ。亡き董太師は、陛下の股肱であり、社稷の功臣でした。しかるに、ゆえなくして、王允らの一味に謀殺され、その死骸は、街路に辱められました。──それ故に、われわれ董卓恩顧の旧臣が、復讐を計ったのであります。謀叛では断じてありません。──今、陛下のお袖の陰にかくれている憎ッくき王允の身を、われらにおさげ下さるなら、われらは、即時禁門から撤兵します!」と、宙を指さして叫んだ。
その声を聞くと、全軍、わあっと雷同して、献帝の答えいかにと要求を迫る色を示した。
献帝は、ご自身の横を見た。
そこには王允が侍している。
王允は、蒼ざめた唇をかんで、眼下の大軍を睨んでいたが、献帝の眸が自分のもとにそそがれたと知ると、やにわに起って、
「一身何かあらん」と、門楼のうえから身をなげうって飛び降りた。
犇々と林立していた戟や槍の上へ、彼の体は落ちて来た。
なんで堪ろう。
「おうっ、こいつだ」
「巨魁っ」
「主の讐め」
寄りたかった剣槍は、たちまち、王允の体をずたずたにしてしまった。
兇暴な彼らは、要求が容れられても、まだ退かなかった。この際、天子を弑し、一挙に大事を謀らんなど、区々な暴議をそこで計っている様子だった。
「だが、そんな無茶をしても、恐らく民衆が服従しないだろう。おもむろに、天子の勢力を削いで、それからの仕事をしたほうが賢明だろう」
樊稠や、張済の意見に、軍はようやく鎮まった気ぶりだが、なお退かないので帝は、
「はや、軍馬を返せ」と、ふたたび諭された。
すると壁下の暴将兵は、
「いや、王室へ功をいたしたわれわれ臣下にまだ勲爵の沙汰がないので、待っているわけです」
と、官職の要求をした。
宮門に軍馬をならべて、官職を与えよと、強請する暴臣のさけびに、帝も浅ましく思われたに違いないが、その際、帝としても、如何とする術もなかった。
彼らの要求は認められた。
で──李傕は車騎将軍に、郭汜は後将軍に、樊稠は右将軍に任ぜられた。
また、張済は驃騎将軍となった。
匹夫みな衣冠して、一躍、廟堂に並列したのである。──実に、一個の董卓の掌から、天下の大権は、転々と騒乱のうちにもてあそばれ、こうしてまたたちまち、四人の掌に移ったのであった。
猜疑心は、成りあがり者の持前である。彼らは、献帝のそばにまで、密偵を立たせておいた。
こういう政府が、長く人民に平和と秩序を布いてゆけるわけはない。
果たして。
それから程なく、西涼の太守馬騰と、并州の刺史韓遂のふたりは、十余万の大軍をあわせて、「朝廟の賊を掃討せん」と号して長安へ押しよせて来た。
李傕たちの四将は、「どうしたものか」と、謀士賈詡に計った。
賈詡は、一策を立てて、消極戦術をすすめた。
長安の周囲の外城をかため、塁の上に塁を築き、溝はさらに掘って溝を深くし、いくら寄手が喚いて来ても、「相手にするな」と、ただ守り固めていた。
百日も経つと、寄手の軍は、すっかり意気を沮喪させてしまった。糧草の欠乏やら、長期の滞陣に士気は倦み、あげくの果てに、雨期をこえてからおびただしい病人が出たりして来たのである。
機をうかがっていた長安の兵は、一度に四門をひらいて寄手を蹴ちらした。大敗した西涼軍は、ちりぢりになって逃げ走った。
すると、その乱軍の中で、并州の韓遂は、右将軍の樊稠に追いつかれて、すでに一命も危うかった。
韓遂は、苦しまぎれに、以前の友誼を思い出してさけんだ。
「樊稠樊稠っ。貴公とわしとは同郷の人間ではないか」
「ここは戦場だ。国乱をしずめるためには、個々の誼みも情も持てない」
「とはいえ、おれが戦いに来たのも、国家のためだ。貴公が国士なら、国士の心もちは分るだろう。おれは君に討たれてもよいが、全軍の追撃をゆるめてくれ給え」
樊稠は、彼のさけびに、つい人情にとらわれて、軍を返してしまった。
翌日、長安の城内で勝軍の大宴がひらかれたが、その席上、四将の一人李傕は、樊稠のうしろへ廻って、
「裏切者っ」と、突然、首を刎ねた。
同僚の張済は驚きのあまり床へ坐って、慄えおののいてしまった。李傕は、彼を扶け起して、
「君にはなんの科もない。樊稠はきのう戦場で、敵の韓遂を故意に助けたから誅罰したのだ」といった。
樊稠のことを叔父に密告したのは李傕の甥の李別という者だった。李別は、叔父に代って、
「諸君、こういうわけだ」と、樊稠の罪を、席上の将士へ、大声で演舌した。
最後に、李傕はまた、張済の肩をたたいて、
「今も甥がいったようなわけで樊稠は刑罰に附したが、しかし、貴公はおれの腹心だから、おれは貴公になんの疑いも抱いてはおらんよ。安心し給え」
と、樊稠隊の統率を、みな張済の手に移した。
諸州の浪人の間で、
「近ごろ兗州の曹操は、頻りと賢を招き、士を募って、有能の士には好遇を与えるというじゃないか」と、もっぱら評判であった。
聞きつたえて、兗州(山東省西南部)へ志してゆく勇士や学者が多かった。
ここ山東の天地はしばらく静かだったが、帝都長安の騒乱は、去年からたびたび聞えて来た。
「こんどは、李傕、郭汜などという者が、兵権も政権も左右しているそうだ」
とか、
「西涼軍は、木ッぱ微塵に敗れて、再起もおぼつかないそうだ」
とか、また、
「李傕という男も、朝廷を切ってまわすくらいだから、前の董卓にもおとらない才物とみえる」
などと大国だけに、都の乱もひと事のように語っていた。
そのうちに青州地方(済南の東)にまた黄巾賊が蜂起しだした。中央が乱れると、響きに答えるように、この草賊はすぐ騒ぎ出すのである。
朝廷から曹操へ、
「討伐せよ」と、命が下ってきた。
曹操は、近頃、朝廷に立ってほしいままに兵馬政権をうごかしている新しい廟臣たちを、内心では認めていない。
だが、朝廷という名において、命に服した。また、どんな機会にでも、自分の兵馬をうごかすのは一歩の前進になると考えるので、命を奉じた。
彼の精兵は、たちまち、地方の鼠賊を掃滅してしまった。朝廷は、彼の功を嘉し、新たに、「鎮東将軍」に叙した。
けれど、その封爵の恩典よりも、彼の獲た実利のほうがはるかに大きかった。
討伐百日の戦に、賊軍の降兵三十万、領民のうちからさらに屈強な若者を選んで総勢百万に近い軍隊を新たに加えた。もちろん、済北済南の地は肥沃であるから、それを養う糧草や財貨もあり余るほどだった。
時は初平三年十一月だった。
こうして彼の門には、いよいよ諸国から、賢才や勇猛の士が集まった。
曹操が見て、
「貴様は我が張子房である」
と許したほどの人物、荀彧もその時に抱えられた。
荀彧はわずか二十九歳だった。また甥の荀攸も、行軍教授として、兵学の才を用いられて仕え、そのほか、山中から招かれて来た程昱だの、野に隠れていた大賢人郭嘉だの、みな礼を篤うしたので、曹操の周囲には、偉材が綺羅星のごとく揃った。
わけても、陳留の典韋は、手飼いの武者数百人をつれて、仕官を望んで来た。身丈は一丈に近く眼は百錬の鏡のようだった。戦えば常に重さ八十斤の鉄の戟を左右の手に持って、人を討つこと草を薙ぐにひとしいと豪語してはばからない。
「嘘だろう」
曹操も信じなかったが、
「さらば、お目にかけん」と、典韋は、馬を躍らせて、言葉のとおり実演して見せた。ちょうどまた、その折、大風が吹いて、営庭の大旗がたおれかかったので、何十人の兵がかたまって、旗竿をたおすまいとひしめいていたが、強風の力には及ばず、あれよあれよと騒いでいるのを見て、典韋は、
「みんな退け」と、走りよって、片手でその旗竿を握り止めてしまったのみか、いかに烈風が旗を裂くほど吹いても、両掌を用いなかった。
「ウーム、古の悪来にも劣らない男だ」
曹操も舌を巻いて、即座に彼を召抱え、白金襴の戦袍に名馬を与えた。
悪来というのは、昔、殷の紂王の臣下で、大力無双と名のあった男である。曹操がそれにも勝ると称したので、以来、典韋の綽名になった。
曹操は、一日ふと、
「おれも今日までになるには、随分親に不孝をかさねてきた」と、故山の父を思い出した。
彼の老父は、その頃もう故郷の陳留にもいなかった。瑯琊という片田舎に隠居していると聞くのみであった。
山東一帯に地盤もでき、一身の安定もつくと、曹操は老父をそうしておいては済まないと思い出した。
「わしの厳父を迎えて来い」
彼は、泰山の太守応劭を、使いとして、にわかに瑯琊へ向けた。
迎えをうけて、曹操の父親の曹嵩は、夢かとばかり歓んだ。それと共に、周囲へ向って、
「それみろ」と、曹嵩の息子自慢はたいへんなものだった。
「あれの叔父貴も、親類どもも、曹操が少年時分には行く末が案じられる不良だなどと、口をきわめて、悪く云いおったが──なアに、あいつは見所があるよと、大まかに許していたのは、わしばかりじゃった。やはりわしの眼には狂いがなかったんじゃ」
落ちぶれても、一家族四十何人に、召使いも百人からいた。それに家財道具を、百余輛の車につんで、曹嵩一家は、早速、兗州へ向って出発した。
折から秋の半ばだった。
「楓林停車」という南画の画題そのままな旅行だった。老父は時おり、紅葉の下に車を停めさせて、
「こんな詩ができたがどうじゃ。──ひとつ曹操に会ったら見せてやろう」
などと興じていた。
途中、徐州(江蘇省・徐州)まで来ると、太守陶謙が、わざわざ自身、郡境まで出迎えに出ていた。そして、
「ぜひ、こよいは城内で」と、徐州城に迎え、二日にわたって下へもおかないほど歓待した。
「一国の太守が、老いぼれのわしを、こんなに待遇するはずはない。曹操が偉いからだ。思えばわしはよい子を持った」
曹嵩は、城内にいる間も、息子自慢で暮していた。
事実、ここの太守陶謙はかねてから曹操の盛名を慕って、折あれば曹操と誼みを結びたいと思っていたが、よい機会もなかったのである。──ところへ、曹操の父が一家をあげて、自分の領内を通過して兗州へ引移ると聞いたので、「それはよい機会だ」と、自身出迎えて、一行を城内に泊め、精いっぱいの歓迎を傾けたのであった。
「陶謙は好い人らしいな」
曹操の老父は、彼の人物にふかく感じた。陶謙が温厚な君子であることは、彼のみでなく、誰も認めていた。
恩を謝して、老父の一行は、三日目の朝、徐州を出発した。陶謙は特に、部下の張闓に五百の兵隊をつけて、「途中、間違いのないよう、お送り申しあげろ」と、いいつけた。
華費という山中まで来ると、変りやすい秋空がにわかにかき曇って、いちめんの暗雲になった。
青白い電光が閃いてきたかと思うと、ぽつ、ぽつと大粒の雨が落ちて来た。木の葉は、山風に捲かれ、峰も谷も霧にかくれて、なんとなく物凄い天候になった。
「通り雨だ。どこか、雨宿りするところはないか」
「寺がある。山寺の門が」
「あれへ逃げこめ」
馬も車も人も雨に打ち叩かれながら山門の陰へ隠れこんだ。
そのうちに、日が暮れてきたので、
「こよいはこの寺へ泊るから、本堂を貸してくれと、寺僧へ掛合って来い」
と、張闓は兵卒へ命じた。
彼は日頃、部下にも気うけのよくない男と見え、濡れ鼠となった兵隊は皆何か不平にみちた顔をしていた。
冷たい秋の雨は、蕭条と夜中までつづいていた。
暗い廊に眠っていた張闓は、何思ったか、むっくりと起きて、兵の伍長を、人気のない所へ呼びだしてささやいた。
「宵から、兵隊たちが皆、不平顔をしているじゃないか」
「仕方がありません。なにしろ日頃の手当は薄いし、こんなつまらぬ役をいいつかって、兗州まであんな老いぼれを護送して行っても、なんの手功にもならないことは知れていますからね」
伍長は、嘯いて云った。叱るのかと思うと、張闓は、
「いや、もっともだ、無理はない」と、むしろ煽動して、
「なにしろ、俺たちは、もともと黄巾賊の仲間にいて、自由自在に、気ままな生活をしていたんだからな。──陶謙に征伐されて、やむなく仕えてみたが、ただの仕官というやつは、薄給で窮屈で、兵隊どもが、不平勝ちに思うのも仕方がない。……どうだ、いっそのこと、また以前の黄色い巾を髪につけて、自由の野に暴れ出そうか」
「──といっても、今となっちゃあ遅蒔でしょう」
「なあに、金さえあればいいのだ。幸い、俺たちの護衛して来た老いぼれの一族は、金もだいぶ持っているらしいし、百輛の車に、家財を積んでいる。こいつを横奪りして山寨へ立て籠るんだ」
こんな悪謀がささやかれているとは知らず、曹嵩は、肥えた愛妾と共に、寺の一室でよく眠っていた。
夜も三更に近い頃──
突然、寺のまわりで、喊声がわきあがったので、老父の隣の部屋に寝ていた曹操の実弟の曹徳が、
「やっ。何事だろう」と、寝衣のまま、廊へ飛び出したところを、物もいわず、張闓が剣をふりかざして斬り殺してしまった。
──ぎゃっッ。
という悲鳴が、方々で聞えた。曹嵩のお妾は、
「ひッ、ひと殺しっ」
と絶叫しながら、方丈の墻をこえて逃げようとしたが、肥っているので転げ落ちたところを、張闓の手下が槍で突き刺してしまった。
護衛の兵は、兇悪な匪賊と変じて、一瞬の間に殺戮をほしいままにしはじめたのである。
老父の曹嵩も厠へかくれたが発見されて、ズタズタに斬り殺されてしまい、その他の家族召使いなど百余人、すべて血の池の中へ葬られてしまった。
曹操から迎えのため派遣されて付いていた使者の応劭は、この兇変に度を失って、わずかな従者と共に危難は脱したが、自分だけ助かったので後難をおそれたか、主君の曹操のところへは帰りもせず、その地から袁紹を頼って逃亡してしまった。
──酸鼻な夜は明けた。
まだそぼ降っている秋雨の中に、山寺は火を放たれて焼けていた。そして、張闓一味の兇兵は、百余輛の財物と共に、もう一人もいなかった。
× × ×
兗州の曹操は、変を聞いて、嚇怒した。
「老父をはじめ、我が一家の縁者を、みな殺しにした陶謙こそ、不倶戴天の仇敵である」
と、眦を裂いて云った。
彼はあくまで、老父の遭難を陶謙の罪として怨んだ。
若年の頃、自分の邪推から、叔父の一家をみな殺しにして、平然とすましていた曹操ではあったが、それと似た兇変が今、自分の身近にふりかかってみると、その残虐を憎まずにいられなかった。その酷たらしさを聞いて哭かずにいられなかった。
「徐州を討て」
即日、大軍動員の令は発せられた。軍の上には報讐雪恨と書いた旗がひるがえった。
復讐の大軍を催して、曹操が徐州へ攻進するという噂が諸州へ聞えわたった前後、
「ぜひ会わせて下さい」と、曹操を陣門に訪ねて来た者があった。
それは陳宮であった。
陳宮は、かつて曹操が、都から落ちて来る途中、共に心肚を吐いて、将来を盟い合ったが、やがて曹操の性行を知って、
(この人は、王道に拠って、真に国を憂うる英雄ではない。むしろ国乱をして、いよいよ禍乱へ追い込む覇道の姦雄だ)と怖れをなして、途中の旅籠から彼を見限り、彼を棄てて行方をくらましてしまった旧知であった。
「君は今、何しているか」
曹操に訊かれると、陳宮は、すこし間が悪そうに、
「東郡の従事という小役人を勤めています」と、答えた。
すると曹操は、皮肉な笑みをたたえながら、早くも相手の来意を読んでいた。
「じゃあ、徐州の陶謙とは親しい間がらとみえるね。たぶん君は、その知己のために、予をなだめに来たのだろうが、おそらく君の懇願も、この曹操の恨みと憤りを解くのは不可能だと思う。──まあ遊んで行き給え」
「お察しの通りな目的で来ました。小生の知る陶謙は、世に稀な仁人です、君子です。──ご尊父がむごたらしい難に遭われたのは、まったく陶謙の罪ではなく、張闓の仕業です。小生は、ゆえなき戦乱のため、仁君子が苦しめられ、同時に将軍の声望が傷つけられんとするのを見て、悲しまずにいられません」
「ばかをいえ」
曹操は、今までの微笑を一喝に変えて云い放った。
「父や弟の恨みをそそぐのが、なんでわが声望の失墜になるか、君は元来、逆境の頃の予を見捨てて走った男ではないか、人に向って遊説して歩く資格があると思うのか」
陳宮は、顔赤らめて、辞し去ったが、その不成功を、陶謙に復命する勇気もなく、そこから陳留の太守張邈の所へ走ってしまった。
かくて「報讐雪恨」の大旗は、曹操の怒りにまかせて、陶謙の胆を抉り肉を喰らわねばやまじ──とばかりの勢いで、徐州城下へ向って進発した。
行く行くこの猛軍は人民の墳墓をあばいたり、敵へ内通する疑いのある者などを、仮借なく斬って通ったので、民心は極端に恐れわなないた。
徐州の老太守陶謙は、
「曹操の軍には、とても敵しようもない。彼の恨みをうけたは皆、自分の不徳である。──自分は縛をうけて、甘んじて、彼の憤刀へこの首を授けようと思う。そして百姓や城兵の命乞いを彼にすがろう」
諸将を集めてそう告げた。しかし、将の大部分は、
「そんなことはできません。太守を見殺しにして、なんで自分らのみ助けをうけられましょうや」
と、策を議して、北海(山東省・寿光県)に急使を派し、孔子二十世の孫で泰山の都尉孔宙の子孔融に援けを頼んだ。
折からまた、黄巾の残党が集結して、各所で騒ぎだしていた。北平の公孫瓚も、国境へ征伐に向っていたが、その旗下にあった劉備玄徳は、ふと徐州の兵変を聞いて、義のため、仁人の君子といううわさのある陶謙を援けに行きたいと、公孫瓚にはなしてみた。
公孫瓚は、むしろ不賛成で、
「よしてはどうだ。なにも君は曹操に恨みがあるわけでもなし、陶謙に恩もないだろうに」
と、止めた。
けれど、玄徳は、義の廃れた今、義を示すのは今だと思った。強いて暇を乞い、また、幕僚の趙雲を借りて、総勢五千人を率い、曹操の包囲を突破して、遂に徐州へ入城した。
太守陶謙は、手をとらんばかり玄徳を迎え、
「今の世にも、貴君のごとき義人があったか」と、涙をたたえた。
城兵の士気は甦った。
孤立無援の中に、苦闘していた城兵は、思わぬ劉玄徳の来援に、幾たびも歓呼をあげてふるった。
老太守の陶謙は、「あの声を聞いて下さい」と、歓びにふるえながら、玄徳を上座に直すと、直ちに太守の佩印を解いて、
「今日からは、この陶謙に代って、あなたが徐州の太守として、城主の位置について貰いたい」
といった。
玄徳は驚いて、
「飛んでもないことです」と、極力辞退したが、
「いやいや、聞説、あなたの祖は、漢の宗室というではないか。あなたは正しく帝系の血をうけている。天下の擾乱を鎮め、紊れ果てた王綱を正し、社稷を扶けて万民へ君臨さるべき資質を持っておられるのだ。──この老人の如きは、もうなんの才能も枯れている。いたずらに、太守の位置に恋々としていることは、次に来る時代の黎明を遅くさせるばかりじゃ。わしは今の位置を退きたい。それを安んじて譲りたい人物も貴公以外には見当らない。どうか微衷を酌んで曲げてもご承諾ねがいたい」
陶謙のことばには真実がこもっていた。うわさに聞いていた通り、私心のない名太守であった。世を憂い、民を愛する仁人であった。
けれど劉備玄徳は、なお、
「自分はあなたを扶けに来た者です。若い力はあっても、老台のような徳望はまだありません。徳のうすい者を太守に仰ぐのは、人民の不幸です。乱の基です」
と、どうしても、彼もまた、固辞して肯き容れなかった。
張飛、関羽のふたりは、彼のうしろの壁ぎわに侍立していたが、
「つまらない遠慮をするものだ。どうも大兄は律義すぎて、現代人でなさ過ぎるよ、……よろしいと、受けてしまえばよいに」と、歯がゆそうに、顔見合わせていた。
老太守の熱望と、玄徳の謙譲とが、お互いに相手を立てているのに果てしなく見えたので、家臣糜竺は、
「後日の問題になされては如何ですか。何ぶん城下は敵の大軍に満ちている場合ではあるし」
と、側から云った。
「いかにも」
二人もうなずいて、即刻、評議をひらき、軍備を問い、その上で、一応はこの解決を外交策に訴えてみるも念のためであるとして、劉玄徳から曹操へ使いを立て、停戦勧告の一文を送った。
曹操は、玄徳の文を見ると、
「何。……私の讐事は後にして、国難を先に扶けよと。……劉備ごときに説法を受けんでも、曹操にも大志はある。不遜な奴めが」
と、それを引っ裂いて、
「使者など斬ってしまえ」と、一喝に退けた。
時しもあれ、その時、彼の本領地の兗州から、続々早打ちが駆けつけて来て、
「たいへんです。将軍の留守をうかがって、突如、呂布が兗州へ攻めこみました」
と、次々に報らせが来た。
× × ×
呂布がどうして、曹操の空巣をねらってその根拠地へ攻めこんできたのであろうか。
彼も、都落ちの一人である。
李傕、郭汜などの一味に、中央の大権を握られ、長安を去った彼は、一時、袁術の所へ身を寄せていたが、その後また、諸州を漂泊して陳留の張邈を頼り、久しくそこに足を留めていた。
すると一日、彼が閣外の庭先から駒を寄せて、城外へ遊びに出かけようとしていると、
「ああ、近頃は天下の名馬も、無駄に肥えておりますな」
呂布の顔の側へきて、わざと皮肉に呟いた男があった。
──変なことをいう奴だ。
呂布は迂さん臭い顔して、その男の風采を黙って見つめていた。
それは、陳宮であった。
先頃、陶謙に頼まれて、曹操の侵略を諫止せんと、説客におもむいたが、かえって曹操に一蹴されて不成功に終ったのを恥じて、徐州に帰らず、そのままこの張邈の許へ隠れていた彼だった。
「なんで吾輩の馬が、いたずらに肥えていると嘆くのか。よけいなおせっかいではないか」
呂布がいうと、
「いや、もったいないと申したのです」と、陳宮はいい直して、
「駒は天下の名駿赤兎馬、飼い人は、三歳の児童もその名を知らぬはない英傑であられるのに、碌々として、他家に身を寄せ、この天下分崩、群雄の競い立っている日を、空しく鞭を遊ばせているのは、実に惜しいことだと思ったのです」
「そういう君は一体誰だ」
「陳宮という無名の浪人です」
「陳宮? ……。では以前、中牟県の関門を守り、曹操が都落ちをした時、彼を助けるため、官を捨てて奔った県令ではないのか」
「そうです」
「いや、それはお見それした。だが、君は吾輩に今、謎みたいなことをいわれたが、どういう真意なのか」
「将軍は、この名馬をひいて、生涯、食客や遊歴に甘んじているおつもりか。それを先に聞きましょう」
「そんなことはない。吾輩にだって志はあるが時利あらずで」
「時は眼前に来ているではありませんか。──今、曹操は徐州攻略に出征して、兗州にわずかな留守がいるのみです。この際、兗州を電撃すれば、無人の野を収める如く、一躍尨大な領土が将軍のものになりましょう」
呂布の顔色に血がさした。
「あっ、そうか。よく云ってくれた。君の一言は、吾輩の懶惰をよく醒ましてくれた。やろう!」
それからのことである。
兗州は兵乱の巷になり、虚を衝いて侵入した呂布の手勢は、曹操の本拠地を占領してから、さらに、勢いにのって、濮陽方面(河北省・開州)にまで兵乱をひろげていた。
× × ×
「不覚!」
曹操は、唇を噛んだ。
われながら不覚だったと悔いたがもう遅い。彼は、徐州攻略の陣中で、その早打ちを受けとると、
「どうしたものか」と、進退きわまったものの如く、一時は茫然自失した。
けれど、彼の頭脳は、元来が非常に明敏であった。また、太ッ腹でもあった。一時の当惑から脱すると、すぐ鋭い機智が働いて、常の顔いろに返った。
「最前、城内からの劉備玄徳の使者は、まだ斬りはしまいな。──斬ってはならんぞ。急いでこれへ連れて来い」
それから彼は、玄徳の使いに、
「深く考えるに、貴書の趣には、一理がある。仰せにまかせて、曹操はいさぎよく撤兵を断行する。──よろしく伝えてくれい」
と、掌を返すように告げて、使者を鄭重に城中へ送り帰し、同時に洪水の退くように、即時、兗州へ引揚げてしまった。
偶然だが、玄徳の一文がよくこの奇効を奏したので、城兵の随喜はいうまでもなく、老太守の陶謙はふたたび、
「ぜひ自分に代って、徐州侯の封を受けてもらいたい、自分には子もあるが、柔弱者で、国家の重任にたえないから──」と、玄徳へ、国譲りを迫った。
しかし玄徳は、なんとしても肯き入れなかった。そしてわずかに近郷の小沛という一村を受けて、ひとまず城門を出、そこに兵を養いながら、なおよそながら徐州の地を守っていた。
快鞭一打──
曹操は、大軍をひっさげて、国元へ引っ返した。
彼は、難局に立てば立つほど、壮烈な意気にいよいよ強靱を加える性だった。
「呂布、何者」
とばかり、すでに相手をのんでいた。奪われた兗州を奪回するに、何の日時を費やそうぞと、手に唾して向っていった。
軍を二つに分け、旗下の曹仁をして兗州を囲ませ、自身は濮陽へ突進した。敵の呂布は、濮陽を占領して、そこの州城にいると見たからである。
濮陽に迫ると、
「休め」
と、彼は兵馬にひと息つかせ、真ッ紅な夕陽が西に沈むまで、動かなかった。
その前に、旗下の曹仁が、彼に向って注意した言葉を、彼はふと胸に思い出した。
それは、こういうことだった。
「呂布の大勇にはこの近国で誰あって当る者はありません。それに近頃彼の側には例の陳宮が付き従っているし、その下には文遠、宣高、郝萌などとよぶ猛将が手下に加わっておるそうです。よくよくお心をつけて向わぬと、意外に臍を噛むやも知れませんぞ──」
曹操は、その言葉を今、胸に反復してみても、格別、恐怖をおぼえなかった。呂布に勇猛あるかも知れぬが、彼には智慮がない。策士陳宮の如きは、たかの知れた素浪人、しかも自分を裏切り去った卑怯者、目にもの見せてやろうと考えるだけであった。
一方。
呂布は、曹操の襲来を知って、藤県から泰山の難路をこえて引っ返して来た。彼もまた、
「曹操、何かあらん」という意気で、陳宮の諫めも用いず、総軍五百余騎をもって対峙した。
曹操の炯眼では、「彼の西の寨こそ手薄だな」と見た。
で、暗夜に山路を越え、李典、曹洪、于禁、典韋などを従えて、不意に攻めこんだ。
呂布はその日正面の野戦で曹操の軍をさんざんに破っていたので、勝戦に驕り、陳宮が、
「西の寨が危険です」と、注意したにもかかわらず、そう気にもかけず眠っていた。
濮陽の城内は混乱した。西の寨はたちまちに陥落して曹操の兵が旗を立てた。けれどはね起きた呂布が、
「寨は我一人でも奪回して見せん。汝ら入りこんだ敵の奴ばらを、一匹も生かして帰すな」
と、指揮に当ると、彼の麾下はまたたくまに、秩序をとりかえし、鼓を鳴らして包囲して来た。
山間の嶮をこえて深く入り込んだ奇襲の兵は、もとより大軍でないし、地の理にも晦かった。一度、占領した寨は、かえって曹操らの危地になった。
乱軍のうちに、夜は白みかけている。身辺を見るとたのむ味方もあらかた散ったり討死している。曹操は死地にあることを知って、
「しまった」
にわかに寨を捨てて逃げ出した。
そして南へ馳けて行くと、南方の野も一面の敵。東へ逃げのびんとすれば、東方の森林も敵兵で充満している。
「愈〻いかん」
彼の馬首は、行くに迷った。ふたたびゆうべ越えて来た北方の山地へ奔るしかなかった。
「すわや、曹操があれに落ちて行くぞ」
と、呂布軍は追跡して来た。もちろん、呂布もその中にいるだろう。
逃げまわった末、曹操は、城内街の辻を踏み迷って、鞭も折れんばかり馬腹を打って来た。するとまたもや前面にむらがっていた敵影の中から、カンカンカンカンと梆子の音が高く鳴ったと思うと、曹操の身一つを的に、八方から疾風のように箭が飛んで来た。
「最期だっ。予を助けよ。誰か味方はいないか!」
さすがの曹操も、思わず悲鳴をあげながら、身に集まる箭を切り払っていた。
──時に、彼方から誰やらん、おうっ──と吠えるような声がした。
見れば、左右の手に、重さ八十斤もあろうかと見える戟をひっさげ、敵の真っただ中を斬り開いて馳せつけて来る者がある。馬も人も、朱血を浴びて、焔が飛んで来るようだった。
「ご主君、ご主君っ、馬をお降りあれ。そして地へ這いつくばり、しばらく敵の矢をおしのぎあれ」
矢攻めの中に立ち往生している曹操へ向って、彼は近よるなり大声で注意した。
誰かと思えば、これなん先ごろ召抱えたばかりの悪来──かの典韋であった。
「おお、悪来か」
曹操は急いで馬を跳び下り、彼のいう通り地へ這った。
悪来も馬を降りた。両手の戟を風車のように揮って矢を払った。そして敵軍に向って濶歩しながら、
「そんなヘロヘロ矢がこの悪来の身に立ってたまるか」
と、豪語した。
「小癪なやつ。打殺せ」
五十騎ほどの敵が一かたまりになって馳けて来た。
悪来は善く戦い、敵の短剣ばかり十本も奪い取った。彼の戟はもう鋸のようになっていたので、それをなげうって、十本の短剣を身に帯びて、曹操の方を振向いた。
「──逃げ散りました。今のうちです。さあおいでなさい」
彼は、徒歩のまま、曹操の轡をとって、また馳け出した。二、三の従者もそれにつづいた。
けれど矢の雨はなお、主従を目がけて注いで来た。悪来は、盔の錣を傾けてその下へ首を突っ込みながら、真っ先に突き進んでいたが、またも一団の敵が近づいて来るのを見て、
「おいっ、士卒」と、後ろへどなった。
「──おれは、こうしているから、敵のやつが、十歩の前まで近づいたら声をかけろ」
と命じた。
そして、矢唸りの流れる中に立って、眠り鴨のように、顔へ錣をかざしていた。
「十歩ですっ」
と、後ろで彼の従者が教えた。
とたんに、悪来は、
「来たかっ」
と、手に握っていた短剣の一本をひゅっと投げた。
われこそと躍り寄って来た敵の一騎が、どうっと、鞍からもんどり打って転げ落ちた。
「──十歩ですっ」
また、後ろで聞えた。
「おうっ」
と、短剣が宙を切って行く。
敵の騎馬武者が見事に落ちる。
「十歩っ」
剣はすぐ飛魚の光を見せて唸ってゆく──
そうして十本の短剣が、十騎の敵を突き殺したので、敵は怖れをなしたか、土煙の中に馬の尻を見せて逃げ散った。
「笑止なやつらだ」
悪来はふたたび曹操の駒の轡をとって、逃げまどう敵の中へ突ッ込んで行った。そして敵の武器によって敵をなで斬りにしながら、ようやく一方の血路をひらいた。
山の麓まで来ると、旗下の夏侯惇が数十騎をつれて逃げのびて来たのに出会った。味方の手負いと討死は、全軍の半分以上にものぼった。──惨憺たる敗戦である。いや曹操の生命が保たれたのはむしろ奇蹟といってよかった。
「そちがいなかったら、千に一つもわが生命はなかったろう」
曹操は、悪来へ云った。──夜に入って大雨となった。越えてゆく山嶮は滝津瀬にも似ていた。
帰ってから悪来の典韋は、この日の功によって、領軍都尉に昇級された。
ここ呂布は連戦連勝だ。
失意の漂泊をつづけていた一介の浪人は、またたちまち濮陽城の主だった。先に曹操を思うさま痛めつけて、城兵の士気はいやが上にも昂まっていた。
「この土地に、田氏という旧家があります。ごぞんじですか」
謀士の陳宮が、唐突に云い出したことである。呂布も近頃は、彼の智謀を大いに重んじていたので、また何か策があるかと、
「田氏か。あれは有名な富豪だろう。召使っている僮僕も数百人に及ぶと聞いているが」
「そうです。その田氏をお召出しなさいまし。ひそかに」
「軍用金を命じるのか」
「そんなつまらないことではありません。領下の富豪から金をしぼり取るなんていうことは、自分の蓄えを気短かに喰ってしまうようなものです。大事さえ成れば、黄金財宝は、争って先方がご城門へ運んで来ましょう」
「では、田氏をよびつけて何をさせるのか」
「曹操の一命を取るのです」
陳宮は、声をひそめて、なにかひそひそと呂布に説明していた。
それから数日後。
ひとりの百姓が、竹竿の先に鶏の蒸したのを苞にくるみ、それを縛って、肩にかつぎながら、寄手の曹操の陣門近くをうろついていた。
「胡散な奴」と、捕えてみると、百姓は、
「これを大将に献じたい」と、伏し拝んでいう。
「密偵だろう」
と、有無をいわさず、曹操の前へ引っぱって来た。すると百姓は態度を変えて、
「人を払って下さい、いかにも私は密使です。けれど、あなたの不為になる使いではありません」
と、いった。
近臣だけを残して、士卒たちを遠ざけた。百姓は、鶏の苞を刺していた竹の節を割って、中から一片の密書を出して曹操の手へ捧げた。
見ると、城中第一の旧家で富豪という聞えのある田氏の書面だった。呂布の暴虐に対する城中の民の恨みが綿々と書いてある。こんな人物に城主になられては、わたくし達は他国へ逃散するしかないとも認してある。
そして、密書の要点に入って、
(──今、濮陽城は留守の兵しかいません。呂布は黎陽へ行っているからです。即刻、閣下の軍をお進め下さい。わたくしどもは機を計って内応し、城中から攪乱します。義の一字を大きく書いた白旗を城壁のうえに立てますから、それを合図に、一挙に濮陽の兵を殲滅なさるように祷る──機はまさに今です)と、ある。
曹操は、破顔してよろこんだ。
「天、われに先頃の雪辱をなさしめ給う。濮陽はもう掌のうちの物だ!」
使いを犒って、承諾の返辞を持たせ帰した。
「危険ですな」
策士の劉曄がいった。
「念のため、軍を三分して、一隊だけ先へ進めてごらんなさい。呂布は無才な男ですが、陳宮には油断はできません」
曹操も、その意見を可として、三段に軍を立てて、徐々と敵の城下まで肉薄して行った。
「オオ、見える」
曹操はほくそ笑んだ。
果たせるかな、大小の敵の旌旗が吹きなびいている城壁上の一角──西門の上あたりに一旒の白い大旗がひるがえっていた。手をかざして見るまでもなく、その旗には明らかに「義」の一字が大書してあった。
「もはや事の半ばは成就したも同じだ」
曹操は左右へいって、
「──だが、夜に入るまでは、息つきの小競り合いに止めておいて敵が誘うとも深入りはするな」
と、誡めた。
城下の商戸はみな戸を閉ざし、市民はみな逃げ去って、町は昼ながら夜半のようだった。曹操の軍馬はそこ此処に屯して、食物や飲水を求めたり、夜の総攻撃の準備をしていた。
果たして、城兵は奇襲して来た。辻々で少数の兵が衝突して、一進一退をくり返しているうちに陽はやがて、とっぷり暮れて来た。
薄暮のどさくさまぎれにひとりの土民が曹操のいる本陣へ走りこんできた。捕えて詰問すると、
「田氏から使いです」と密書を示していう。
曹操は聞くとすぐ取寄せてひらいてみた。紛れもない田氏の筆蹟である。
初更の星、燦々の頃
城上に銅鑼鳴るあらん
機、逸し給うなかれ、即ち前進。
衆民、貴軍の蹄戛を待つや久し
鉄扉、直ちに内より開かれ
全城を挙げて閣下に献ぜん
「よしっ。機は熟した」
曹操は、密書の示す策によって、すぐ総攻撃の配置にかかった。
夏侯惇と曹仁の二隊は、城下の門に停めておいて、先鋒には夏侯淵、李典、楽進と押しすすめ、中軍に典韋らの四将をもって囲み、自身はその真ん中に大将旗を立てて指揮に当り、重厚な陣形を作って徐々と内城の大手へ迫った。
しかし李典は、城内の空気に、なにか変な静寂を感じたので、
「一応、われわれが、城門へぶつかって、小当りに探ってみますから、御大将には、暫時、進軍をお待ちください」と、忠言してみた。
曹操は気に入らない顔をして、
「兵機というものは機をはずしては、一瞬勝ち目を失うものだ。田氏の合図に手違いをさせたら、全線が狂ってしまう」
といって肯き入れないのみか、なお逸って自身、真っ先に馬を進めだした。
月はまだ昇らないが満天の星は宵ながら繚乱と燦めいていた。たッたッたッたッ──と曹操に馳けつづく軍馬の蹄が城門に近づいたかと思うと、西門あたりに当って、陰々と法螺貝の音が尾をひいて長く鳴った。
「やっ、なんだっ」
寄手の諸将はためらい合ったが、曹操はもう濠の吊橋を騎馬で馳け渡りながら、
「田氏の合図だっ。何をためらっているか。この機に突っこめっ──」と、振向いてどなった。
とたんに、正面の城門は、内側から八文字に開け放されていた。──さては、田氏の密書に嘘はなかったかと、諸将も勢いこんで、どっと門内へなだれ入った。
──が、とたんに、
「わあっ……」
と、闇の中で、喊声があがった。敵か味方か分らなかったし、もう怒濤のように突貫の行き足がついているので、にわかに、駒を止めて見返してもいられなかった。
すると、どこからともなく、石の雨が降って来た。石垣の陰や、州の政庁の建物などの陰から、同時に無数の松明が光りかがやき、その数は何千か知れなかった。
「や、や、やっ?」
疑う間に投げ松明だ。軍馬の上に、大地に、盔に、袖に、火の雨がそそがれ出したのである。曹操は仰天して、突然、
「いかんっ。──敵の謀計にひッかかった。退却しろ」
と、声をかぎりに後ろへ叫んだ。
敵の計に陥ちたとさとって、曹操が、しまったと馬首をめぐらした刹那、一発の雷砲が、どこかでどん──と鳴った。
彼につづいて突入してきた全軍は、たちまち混乱に墜ちた。奔馬と奔馬、兵と兵が、方向を失って渦巻くところへなお、
「どうしたっ?」
「早く出ろ」と、後続の隊は、後から後からと押して来た。
「退却だっ」
「退くのだっ」
混乱は容易に救われそうもない。
石の雨や投げ松明の雨がやんだと思うと、城内の四門がいちどに口を開いて、中から呂布の軍勢が、
「寄手の奴らを一人も生かして帰すな」と、東西から挟撃した。
度を失った曹操の兵は、網の中の魚みたいに意気地もなく殲滅された。討たれる者、生捕られる者数知れなかった。
さすがの曹操も狼狽して、
「不覚不覚」
と憤然、唇を噛みながら、一時北門から逃げ退こうとしたが、そこにも敵軍が充満していた。南門へ出ようとすれば南門は火の海だった。西門へ奔ろうとすれば、西門の両側から伏兵が現れてわれがちに喚きかかってくる。
「ご主君ご主君。血路はここに開きました。早く早く」
彼を呼んだのは悪来の典韋であった。典韋は、歯をかみ眼をいからして、むらがる敵を蹴ちらし、曹操のために吊橋の道を斬り開いた。
曹操は、征矢の如く駆けぬけて城下の町へ走った。殿となった悪来も、後を追ったが、もう曹操の姿は見あたらない。
「おういっ。……わが君っ」
悪来が捜していると、
「典韋じゃないか」と、誰か一騎、馳け寄って来た味方がある。
「オオ、李典か、ご主君の姿を見なかったか」
「自分も、それを案じて、お捜し申しているところだ」
「どう落ちて行かれたやら」
兵を手分けして、二人は八方捜索にかかったが、皆目知れなかった。
何処を見ても火と黒煙と敵兵だった。曹操自身さえ南へ馳けているのか西へ向っているのか分らない。ただ果てしない乱軍の囲みと炎の迷路だった。その中からどうしても出ることができないほど、頭脳も顛倒していた。
──すると彼方の暗い辻から、一団の松明が、赤々と夜霧をにじませて曲って来た。
近づいて見るまでもなく敵にちがいない。曹操は、
「南無三」と、思ったが、あわてて引っ返してはかえって怪しまれる。肚をすえて、そのまま行き過ぎようとした。
何ぞ計らん、従者の松明に囲まれて戛々と歩いて来たのは、敵将の呂布であった。例の凄まじい大戟を横たえ、左に赤兎馬の手綱を持って悠然と来る姿が、はっと、曹操の眸に大きく映った。
ぎょっとしたが、すでに遅し! である。曹操は顔をそ向け、その顔を手で隠しながら、何気ない素振りを装ってすれ違った。
すると呂布は、何思ったか、戟の先を伸ばして曹操の盔の鉢金をこつんと軽く叩いた。そして──恐らくは自分の味方の将と間違えたのだろう、こう訊ねた。
「おい。曹操はどっちへ逃げて行ったか知らんか。──敵の曹操は?」
「はっ」
曹操は、作り声で、
「それがしも彼を追跡しているところです。何でも、毛の黄色い駿足にまたがって、彼方へ走って行ったそうで」と、指さすや否、その方角へ向って、一散に逃げ去った。
「やっ、怪しい……?」と、後見送りながら、呂布が気づいた時は、すでに曹操の影は、町中に立ちこめている煙の中に見えなくなっていた。
「ああ、危うかった」
曹操は、夢中で逃げ走ってきてから、ほっと駒を止めて呟いた。真に虎口を脱したとは、このことだろうと思った。
──が、一体ここは何処か。西か東か。その先の見当は依然として五里霧中のここちだった。
そうしてさまよっているうちに、ようやく自分を捜している悪来に出会った。そして悪来に庇護されながら、辻々で血路を斬り開き、東の街道に出る城外の門まで逃げてきた。
「やあ、ここも出られぬ!」
曹操は、思わず嘆声をあげた。駒も大地を蹄でたたくばかりで前へ出なくなった。
それも道理。街道口の城門は、今、さかんに焼けていた。長い城壁は一連の炎の樋となって、火熱は天地も焦がすばかりである。
「どうッ。どうッ。どうッ……」
熱風を恐れて駒は狂いに狂う。鞍つぼにも、盔へも、パラパラと火の粉は降りかかる。
曹操は、絶望的な声で、
「悪来。戻るより外はあるまい」と、後ろを見て云った。
悪来は、火よりも赤い顔に、眦を裂いて睨んでいたが、
「引っ返す道はありません。ここの門が幽明の境です。てまえが先に馳け抜けて通りますから、すぐ後からお続きなさい」
楼門は一面焔につつまれている。城壁の上には、沢山な薪や柴に火が移っている。まさに地獄の門だ。その下を馳け抜けるなどは、九死に一生を賭す芸当より危険にちがいない。
しかし、活路はここしかない。
悪来の乗っている馬の尻に、びゅんッと凄い音がした。彼の姿はとたんに馬もろとも、火焔の洞門を突破して行った──と見るや否、曹操も、戟をもって火塵を払いながら、どっと焔の中へ馳けこんだ。
一瞬に、呼吸がつまった。
眉も、耳の穴の毛までも、焼け縮れたかと思われた時は、曹操の胸がもう一歩で、楼門の向う側へ馳け抜けるところだった。
──が、その刹那。
楼上の一角が、焼け落ちて来たのである。何たる惨! 火に包まれた巨大な梁が、そこから電光の如く落下してきた。そしてちょうど曹操の乗った馬の尻をうったので、馬は脚をくじいて地にたおれ、ほうり出された曹操の体のほうへ、その梁はまたぐわらっと転がって来た。
「──あっ」
曹操は、仰向けにたおれながら、手をもってその火の梁を受けた。──当然、掌も肱も、大火傷をした。自分の体じゅうから、焦げくさい煙が立ちのぼった。
「……ウウム!」
彼は手脚を突っ張ってそり返ったまま焔の下に、気を失ってしまった。
しきりと自分を呼ぶ者がある。──どれくらい時が経っていたか、とにかくかすかに意識づいた時は、彼は、何者かの馬上に引っ抱えられていた。
「悪来か。悪来か」
「そうです。もうご安心なさい。ようやく敵地も遠くなりましたから」
「わしは、助かったのか」
「満天の星が見えましょう」
「見える……」
「お生命はたしかです。お怪我も火傷の程度だから、癒るにきまっています」
「ああ……。星空がどんどん後ろへ流れてゆく」
「後から馳け続いて来るのは、味方の夏侯淵ですから、ご心配には及びませんぞ」
「……そうか」
うなずくと曹操はにわかに苦しみ始めた。安心すると同時に半身の大火傷の痛みも分ってきたのである。
夜は白々と明けた。
将も兵もちりぢりばらばらに味方の砦へ帰って来た。どの顔も、どの姿も、惨憺たる敗北の血と泥にまみれている。
しかも、生きて還ったのは、全軍の半分にも足らなかったのである。
そこへ、悪来と夏侯淵に扶けられた曹操が、馬の鞍に抱えられて帰ってきたので、全軍の士気は墓場のように銷沈してしまい、滅失の色深い陣営は、旗さえ朝露重たげにうなだれていた。
「何。将軍が戦傷なされたと?」
「ご重傷か」
「どんなご容体か」
聞き伝えた幕僚の将校たちは、曹操の抱えこまれた陣幕の内へ、どやどやと群れ寄ってきた。
「しッ……」
「静かに」
と、中の者に制されて、なにかぎょっとしたものを胸に受けながら、将校たちは急に厳粛な無言を守り合っていた。
手当てに来ていた典医がそっと戻って行った。典医の顔も憂色に満ちている。それを見ただけで、幕僚たちは胸が迫ってきた。
──すると、突然幕のうちで、
「わははは、あははは」
曹操の笑う声がした。
しかも、平常よりも快活な声だ。
驚いて一同、彼の横臥している周りを取巻いて、その容体をのぞきこんだ。
右の肱から肩、太股まで、半身は大火傷にただれているらしい。繃帯ですっかり巻かれていた。顔半分も、薬を塗って、白い覆面をしたように片目だけ出していた。玉蜀黍の毛のように、髪の毛まで焦げている。
「もう、いい。心配するな」
片目で幕僚を見まわしながら、曹操は強いて笑いを見せて、
「考えてみると、何も、敵が強いのでもなんでもない。おれは火に負けたまでだ。火にはかなわんよ。──なあ、諸君」と、いってまた、「それと、少し軽率だった。たとえ、過ちにせよ、匹夫呂布ごとき者の計におちたのは、われながら面目ない。しかしおれもまた彼に向って計をもって酬いてくれる所存だ。まあ見ておれ」
すこし身をねじろうとしたが、体が動かない。無理に首だけ動かして、
「夏侯淵」
「はっ」
「貴様に、予の葬儀を命ずる。葬儀指揮官の任につけ」
「不吉なお言葉を」
「いや、策だ。──今暁、曹操遂に死せりと、喪を発するがよい。伝え聞くや、呂布はこの時とばかり、城を出て攻め寄せて来るにちがいない。仮埋葬を営むと触れてわが仮の柩を、馬陵山へ葬れ」
「はっ……」
「馬陵山の東西に兵を伏せ、敵をひき寄せ、円陣のうちにとらえて、思う存分、殲滅してくれるのだ。わかったか」
「わかりました」
「どうだ、諸君」
「ご名策です」
幕僚は、その場で皆、喪章をつけた。──そして将軍旗の竿頭にも、弔章が附せられた。
──曹操死す。
の声が伝わった。まことしやかに濮陽にまで聞えて来た。呂布は耳にすると、
「しめた、おれの強敵は、これで除かれた」
と膝を叩き、念のため、探りを放って確かめると、喪の敵陣は、枯野のように、寂として声もないという。
馬陵山の葬儀日を狙って、呂布は濮陽城を出て、一挙に敵を葬り尽そうとした。ところがなんぞ計らん。それは呂布を拉して冥途へ送らんとする偽りの葬列だった。
起伏する丘陵一帯の陰から、たちまち鳴り起った陣鼓鑼声は、完全に呂布軍をたたきのめした。
呂布は、命からがら逃げた。一万に近い犠牲と面目を馬陵山に捨てて逃げた。──以来、それにこりごりして、濮陽を堅く守り、容易にその城から出なかった。
穴を出ない虎は狩れない。
曹操は、あらゆる策をめぐらして、呂布へ挑んだが、
「もうその策には乗らない」と、彼は容易に、濮陽から出なかった。
そのくせ、前線と前線との、偵察兵や小部隊は日々夜々小ぜりあいをくり返していたが、戦いらしい戦いにもならず、といってこの地方が平穏にもならなかった。
いや、世の乱脈な兇相は、ひとりこの地方ばかりではない。土のある所、人間の住む所、血腥い風に吹き捲られている。
こういう地上にまた、戦争以上、百姓を悲しませる出来事が起った。
或る日。
一片の雲さえなく晴れていた空の遠い西の方に、黒い綿を浮かべたようなものが漂って来た。やがて、疾風雲のように見る見るうちにそれが全天に拡がって来たかと思うと、
「いなごだ。いなごだ」
百姓は騒ぎ始めた。
いなごの襲来と伝わると、百姓は茫然、泣き悲しんで、鋤鍬も投げて、土蜂の巣みたいな土小屋へ逃げこみ、
「ああ。しかたがない」
絶望と諦めの呻きを、おののきながら洩らしているだけだった。
いなごの大群は、蒙古風の黄いろい砂粒よりたくさん飛んで来た。天をおおういちめんの雲かとも紛う妖虫の影に、白日もたちまち晦くなった。
地上を見れば、地上もいなごの洪水であった。たちまち稲の穂を蝕い尽してしまい、蝕う一粒の稲もなくなると、妖虫の狂風は、次々と、他の地方へ移動してゆく。
後からくるいなごは、喰う稲がない。遂には、餓殍と餓殍が噛みあって何万何億か知れない虫の空骸が、一物の青い穂もない地上を悽惨に敷きつめている。
──が、その浅ましい光景は、虫の社会だけではない。やがて人間も噛み合い出した。
「喰う物がない!」
「生きて行かれないっ」
悲痛な流民は、喰う物を追って、東西に移り去った。
糧食とそれを作る百姓を失った軍隊は、もう軍隊としての働きもできなくなってしまった。
軍隊も「食」に奔命しなければならない。しかも山東の国々ではその年、いなごの災厄のため、物価は暴騰に暴騰をたどって、米一斛の価は銭百貫を出しても、なかなか手に入らなかった。
「やんぬる哉」
曹操は、これには、策もなく、手の下しようもなかった。
戦争はおろか、兵が養えないのである。やむなく彼は、陣地を引払って、しばらくは他州にひそみ、衣食の節約を令して、この大飢饉をしのぎ、他日を待つしか方法はあるまいと観念した。
同じように、濮陽の呂布たりといえども、この災害をこうむらずにいるわけはない。
「曹操の軍も、とうとう囲みを解いて、引揚げました」
そう報告を聞いても、
「うむ。そうか」とのみで、彼の愁眉はひらかれなかった。
彼もまた、
「細く長く喰え」
と、兵糧方に厳命した。
自然──
双方の戦争はやんでしまった。
いなごが、人間の戦争を休止させてしまったのである。
とはいえ。
また、春は来る、夏は巡って来る。大地は生々と青い穀物や稲の穂を育てるであろう。いなごは年々襲っては来ないが、人間同士の戦争は、遂に、土が物を実らせる力のある限り永劫に絶えそうもない。
ここに、徐州の太守陶謙はまた、誰に我がこの国を譲って死ぬべきや──を、日ごと、病床で考えていた。
「やはり、劉備玄徳をおいては、ほかにない」
彼はもう年七十になんなんとしていた。ことにこんどは重態である。自ら命数を感じている。けれど、国の将来に安心の見とおしがつかないのが、なんとしても心の悩みであった。
「お前らはどう思う」
枕頭に立っている重臣の糜竺、陳登のふたりへ、鈍い眸をあげて云った。
「ことしは、いなごの災害のために、曹操は軍をひいたが、来春にでもなればまた、捲土重来してくるだろう。その時、ふたたびまた、呂布が彼の背後を襲うような天佑があってくれれば助かるが、そういつも奇蹟はあるまい。わしの命数も、この容子ではいつとも知れないから、今のうちに是非、確たる後継者をきめておきたいが」
「ごもっともです」
糜竺は、老太守の意中を察しているので、自分からすすめた。
「もう一度、劉玄徳どのをお招きになって、懇ろにお心を訴えてごらんになっては如何ですか」
陶謙は、重臣の同意を得、少し力づいたものの如く、
「早速、使いを派してくれ」と、いった。
使いをうけた玄徳は、取る物も取りあえず、小沛から駈けつけて、太守の病を見舞った。
陶謙は、枯木のような手をのばして、玄徳の手を握り、
「あなたが、うんと承諾してくれないうちは、わしは安心して死ぬことができない。どうか、世の為に、また、漢朝の城地を守るために、この徐州の地をうけて、太守となってもらいたいが」
「いけません。折角ですが」
玄徳は、依然として、断りつづけた。そして──
(あなたには、二人のご子息があるのに)と、理由を云いかけたが、それをいうとまた、重態の病人が、出来の悪い不肖の実子のことについて、昂奮して語り出すといけないので、──玄徳はただ、
「私は、その器でありません」と、ばかり頑なに首をふり通してしまった。
そのうちに、陶謙は、ついに息をひきとってしまった。
徐州は喪を発した。城下の民も城士もみな喪服を着け、哀悼のうちに籠った。そして葬儀が終ると、玄徳は小沛へ帰ったが、すぐ糜竺、陳登などが代表して、彼を訪れ、
「太守が生前の御意であるから、まげても領主として立っていただきたい」
と、再三再四、懇請した。
すると、また、次の日、小沛の役所の門外に、わいわいと一揆のような領民が集まって来た。──何事かと、関羽、張飛を従えて、玄徳が出てみると、何百とも知れない民衆は、彼の姿をそこに見出すと、
「オオ、劉備さまだ」と、一斉に大地へ坐りこんで、声をあわせて訴えた。
「わたくしども百姓は、年々戦争には禍いされ、今年はいなごの災害に見舞われて、もうこの上の望みといったら、よいご領主様がお立ちになって、ご仁政をかけていただくことしかございません。もし、あなた様でなく他のお方が、太守になるようでもあったら、私どもは、闇夜から闇夜を彷徨わなければなりません。首をくくって死ぬ者がたくさん出来るかも知れません」
中には、号泣する者もあった。
その愍れな飢餓の民衆を見るに及んで、劉備もついに意を決した。即ち太守牌印を受領して、小沛から徐州へ移ったのである。
劉玄徳は、ここに初めて、一州の太守という位置をかち得た。
彼の場合は、その一州も、無名の暴軍や悪辣な策謀を用いて、強いて天に抗して横奪したのではなく、きわめて自然に、めぐり来る運命の下に、これを授けられたものといってよい。
涿県の一寒村から身を起して今日に至るまでも、よく節義を持して、風雲にのぞんでも功を急がず、悪名を流さず、いつも関羽や張飛に、「われわれの兄貴は、すこし時勢向きでない」と、歯がゆがられていたことが、今となってみると、遠い道を迂回していたようでありながら、実はかえって近い本道であったのである。
さて、彼は、徐州の牧となると、第一に先君陶謙の霊位を祭って、黄河の原でその盛大な葬式を営んだ。
それから陶謙の徳行や遺業を表に彰して、これを朝廷に奏した。
また、糜竺だの、孫乾、陳登などという旧臣を登用して、大いに善政を布いた。
こうして「いなご飢饉」と戦争に、草の芽も枯れ果てた領土へのぞんで、民力の恢復を計ったので、百姓たちのひとみにも、生々と、希望がよみがえって来た。
ところが、百姓たちの謳歌して伝えるその名声を耳にして、
「なに。──劉玄徳が徐州を領したと。あの玄徳が、徐州の太守に坐ったのか」
いかにも意外らしく、また、軽蔑しきった口ぶりで、こう洩らしたのは、曹操であった。
彼はその新しい事実を知ると意外としたばかりでなく、非常に怒って云った。
「死んだ陶謙は、わが亡父の讐なることは、玄徳も承知のはずだ。その讐はまだ返されていないではないか。──しかるに玄徳が、半箭の功もなき匹夫の分際をもって、徐州の太守に居坐るなどとは、言語道断な沙汰だ」
曹操は、いずれ自分のものと、将来の勘定に入れていた領地に、思わぬ人間が、善政を布いて立ったので、違算を生じたばかりでなく、感情の上でも、はなはだ面白くなかったのであろう。
「予と徐州のいきさつを承知しながら、徐州の牧に任ずるからには、それに併せて、この曹操にも宿怨を買うことは、彼は覚悟の上で出たのだろう。──このうえはまず劉玄徳を殺し、陶謙の屍をあばいて、亡父の怨みをそそがねばならん!」
曹操は、直ちに、軍備を命じた。
すると、それを諫めたのは、荀彧であった。──召抱えられた時、曹操から、
(そちは我が張子房なり)と、いわれた人物であった。
荀彧がいうには、
「今いるこの地方は、天下の要衝で、あなたにとっては、大事な根拠地です。その兗州の城は、呂布に奪われているではありませんか。しかも、兗州を囲めば、徐州へ向ける兵は不足です。徐州へ総がかりになれば、兗州の敵の地盤は固まるばかりです。徐州も陥ちず、兗州も奪還できなかったら、あなたはどこへ行かれますか」
「しかし、食糧もない飢饉の土地に、しがみついているのも、良策ではあるまいが」
「さればです。──今日の策としては、東の地方、汝南(河南省・汝南)から潁州の一帯で、兵馬を養っておくことです。あの地方にはなお、黄巾の残党どもが多くいますが、その草賊を討って、賊の糧食を奪い、味方の兵を肥やしてゆけば、朝廷に聞えもよく、百姓も歓迎しましょう。これが一石二鳥というものです」
「よかろう。汝南へ進もう」
曹操は、気のさっぱりした男である。人の善言を聴けば、すぐ用いるところなど彼の特長といえよう。──彼の兵馬はもう東へ東へと移動を開始していた。
その年の十二月、曹操の遠征軍は、まず陳の国を攻め、汝南(河南省)潁川地方(河南省・許昌)を席巻して行った。
──曹操来る。
──曹操来る。
彼の名は、冬風の如く、山野に鳴った。
ここに、黄巾の残党で、何儀と黄邵という二頭目は、羊山を中心に、多年百姓の膏血をしぼっていたが、
「なに曹操が寄せて来たと。曹操には兗州という地盤がある。偽ものだろう。叩きつぶしてしまえ」
羊山の麓にくり出して、待ちかまえていた。
曹操は、戦う前に、
「悪来、物見して来い」と、いいつけた。
典韋の悪来は、
「心得て候」とばかり馳けて行ったが、すぐ戻って来て、こう復命した。
「ざっと十万ばかりおりましょう。しかし狐群狗党の類で、紀律も隊伍もなっていません。正面から強弓をならべ、少し箭風を浴びせて下さい。それがしが機を計って右翼から駈け散らします」
戦の結果は、悪来のことば通りになった。賊軍は、無数の死骸をすてて八方へ逃げちるやら、または一団となって、降伏して出る者など、支離滅裂になった。
「いくら鳥なき里の蝙蝠でも、十万もいる中には、一匹ぐらい、手ごたえのある蝙蝠がいそうなものだな」
曹操をめぐる猛将たちは、羊山の上に立って笑った。
すると、次の日、一隊の豹卒を率いて、陣頭へやって来た巨漢がある。
この漢、馬にも乗らず、七尺以上もある身の丈を持ち、鉄棒をかい込んで双の眼をつりあげ、漆黒の髯を山風に顔から逆しまに吹かせながら、
「やあやあ、俺を誰と思う。この地方に隠れもない、截天夜叉何曼というのはおれのことだ。曹操はどこにいるか。真の曹操ならこれへ出て、われと一戦を交えろ」
と、どなった。
曹操は、おかしくなって、
「誰か、行ってやれ」と、笑いながら下知した。
「よし、拙者が」と、旗本の李典が行こうとすると、いやこのほうに譲れと、曹洪が進み出て、わざと馬を降り、刀を引っ提げて、何曼に近づき、
「真の曹将軍は、貴様ごとき野猪の化け物と勝負はなさらない。覚悟しろ」
斬りつけると、何曼は怒って、大剣をふりかぶって来た。
この漢、なかなか勇猛で、曹洪も危うく見えたが、逃げると見せて、急に膝をつき後ろへ薙ぎつけて見事、胴斬りにしてようやく屠った。
李典は、その間に、駒をとばして、賊の大将黄邵を、馬上で生擒りにした。──もう一名の賊将、何儀のほうは、二、三百の手下をつれて、葛陂の堤を、一目散に逃げて行った。
すると、突然──
一方の山間から旗印も何も持たない変な軍隊がわっと出て来た。その真っ先に立った一名の壮士は、やにわに路を塞いで、何儀を馬から蹴落した。もんどり打って馬から落ちた何儀は、
「うぬ何者だ」
と、槍を持ち直したが、壮士はいちはやくのしかかって、何儀を縛りあげてしまった。
何儀についていた賊兵は、怖れおののいて皆、壮士の前に降参を誓った。壮士は、自分の手勢と降人を合わせて、意気揚々、もとの山間へひきあげて行こうとした。
こんなこととは知らず、何儀を追いかけて来た悪来典韋は、それと見て、
「待て待て。賊将の何儀をどこへ持って行くか。こっちへ渡せ」
と、壮士へ呼びかけたが、壮士は肯かないので、たちまち、両雄のあいだに、龍攘虎搏の一騎討が起った。
この壮士は一体何者だろう。
悪来典韋は、闘いながらふと考えた。
賊将を生擒って、どこかへ拉して行こうとする様子から見れば、賊ではない。
といって、自分に刃向って来るからには、決して味方ではなおさらない。
「待て壮士」
悪来は、戟をひいて叫んだ。
「無益な闘いは止めようじゃないか。貴様は黄巾賊の残党でもないようだ。賊将の何儀を、われらの大将、曹操様へ献じてしまえ。さすれば一命は助けてやる」
すると壮士は、哄笑して、
「曹操とは何者だ。汝らには大将か知らぬが、おれ達には、なんの恩顧もない人間ではないか。せっかく、自分の手に生擒った何儀を、縁もゆかりもない曹操へ献じる理由はない」
「おのれ一体、どこの何者か」
「おれは譙県の許褚だ」
「賊か。浪人か」
「天下の農民だ」
「うぬ、土民の分際で」
「それほど俺の生擒った何儀が欲しければ俺の手にあるこの宝刀を奪ってみろ。そうしたら何儀を渡してやる」
悪来典韋はかえって、許褚のために愚弄されたので烈火の如く憤った。
悪来は、双手に二振の戟を持って、りゅうりゅうと使い分けながら再び斬ってかかった。しかし、許褚の一剣はよくそれを防いで、なお、反対に悪来をしてたじろがせるほどな余裕と鋭さがあった。
でも、悪来はまだかつて自分を恐れさせたほどな強い敵に出会ったことはないとしていたので、「この男、味をやるな」ぐらいに、初めは見くびってかかっていた。
ところが、刻々形勢は悪来のほうが悪くなった。悪来が疲れだしたなと思われると、俄然、許褚の勢いは増してきた。
「これは!」
と、悪来も本気になって、生涯初めての脂汗をしぼって闘った。しかし許褚は毫も乱れないのである。いよいよ、勇猛な喚きを発して、一電、また一閃、その剣光は、幾たびか悪来の鬢髪をかすめた。
こうして、両雄の闘いは、辰の刻から午の刻にまで及んだが、まだ勝負がつかなかったのみか、馬のほうが疲れてしまったので、日没とともに、勝負なしで引分けとなった。
曹操は、後から来て、この勝負を高地から眺めていたが、そこへ悪来がもどってくると、
「明日は偽って、負けた振りして逃げることにしろ」と、云いふくめた。
翌日の闘いでは、曹操にいわれた通り、悪来は三十合も戟を合わせると、にわかに、許褚にうしろを見せて逃げ出した。
曹操も、わざと、軍を五里ほど退いた。そしていよいよ相手に気を驕らせておいて、また次の日、悪来を陣頭へ押し出した。
許褚は彼のすがたを見ると、
「逃げ上手の卑怯者め。また性懲りもなく出てきたか」と、駒をとばして来た。
悪来は、あわてふためくと見せかけて、味方へは、懸れ懸れと下知しながら、自分のみ真ッ先に逃げ走った。
「おのれ、きょうは遁さん」
許褚は、まんまと、曹操の術中へ躍り込んでしまった。およそ一里も追いかけて行くかと見えたが、そのうちに、かねて曹操が掘らせておいた大きな陥し坑へ、馬もろとも、どうっと、転げ込んでしまった。
それとばかり、四方から馳け現れた伏兵は、坑の周りに立ち争って、許褚の体を目がけて、熊手や鈎棒などを滅茶苦茶に突っこんだ。
罠にかかった許褚は、たちまち、曹操の前へひきずられて来た。
まるで材木か猪でも引っぱるように、熊手や鈎棒でわいわいと兵たちが許褚の体を大地に摺って連れて来たので、
「ばかっ。縄目にかけた人ひとりを捕えて来るに、なんたる騒ぎだ」と、曹操は叱りつけた。
そしてまた、部将や兵に、
「貴様たちには、およそ人間を観る目がないな。士を遇する情けもない奴だ。──はやくその縄を解いてやれ」と、案外な言葉であった。
それもその筈。曹操はこの許褚と悪来とが、火華をちらして夕方に迫るまで闘っていた一昨日の有様を、とくと実見していたので、心のうちに(これはよい壮士を見出した)と早くも、自分の幕下へ加えようと、目算を立てていたからであった。
曹操から、俺の敵と睨まれたら助からないが、反対に彼が、この男はと見込むと、その寵遇は、どこの将軍にも劣らなかった。
彼は、士を愛することも知っていたが、憎むとなると、憎悪も人一倍強かった。──許褚の場合は、一目見た時から、愉快なやつと惚れこんで、(殺すのは惜しい。何とかして、臣下に加えたいが)と、考えていたものだった。
「彼に席を与えろ」
と、曹操は、引っ立てて来た部下に命じ、自ら寄って、許褚の縄目を解いてやった。
思わぬ恩情に、許褚は意外な感に打たれながら、曹操の面を見まもった。曹操は、改めて彼の素姓をたずねた。
「譙県の生れで、許褚といい、字は仲康という者です。これといって今日まで、人に語るほどの経歴は何もありません。──なぜ山寨に住んでいたかといえば、この地方の賊害に災いされて、わたくしどもは安らかに耕農に従事していられないのみか、食は奪われ、生命も常に危険にさらされています。──でついに一村の老幼や一族をひきつれ山に砦を構えて賊に反抗していたわけです」
許褚は、そう告げてから、その間にはこんなこともあったと苦心を話した。
賊軍の襲来をうけても自分の抱えている部下は善良な土民なので彼らのように武器もない。そこで常に砦のうちに礫を蓄えておき、賊が襲せて来ると礫を投げて防ぐ。──自慢ではないが、私の投げる礫は百発百中なので賊も近ごろは怖れをなし、あまり襲って来なくなりました。
また、或る時は──
砦の内に米がなくなってしまい何とかして米を手に入れたいがと思うと、幸い、二頭の牛があったので、賊へ交易を申しこみました。すると賊のほうでは、すぐ承知して米を送って来ましたから、即座に牛を渡しましたが、賊の手下が牛をひいて帰ろうとしても牛はなかなか進まず、中途まで行くと暴れて私たちの砦へ帰って来てしまいます。
そこで私は、二頭の巨牛の尻尾を両手につかまえ、暴れる牛を後ろ歩きにさせて賊の屯の近所まで持って行ってやりました。──すると賊はひどく魂消て、その牛を受取りもせず、翌日は麓の屯まで引払ってどこかへ立ち退いてしまいました。
「あはははは、すこし自慢ばなしでしたが、まアそんなわけで、今日まで、一村の者の生命を、どうやら無事に守ってきました。──けれど貴軍の力で、賊を掃蕩してくれれば、もはや私という番人を失っても、村の老幼は、田畠へ帰って鍬を持てましょう。思いのこすことはありません、将軍、どうか首を刎ねて下さい」
許褚は、悪びれもせず、始終、笑顔で語っていた。曹操は、死を与える代りに、恩を与えた。もちろん許褚はよろこんで、その日から彼の臣下になった。
出稼ぎの遠征軍は、風のままにうごく。蝗のように移動してゆく。
近頃、風のたよりに聞くと、曹操の古巣の兗州には、呂布の配下の薛蘭と李封という二将がたて籠っているが、軍紀はすこぶるみだれ兵隊は城下で掠奪や悪事ばかり働いているし、城中の将は、苛税をしぼって、自己の享楽にばかり驕り耽っているという。
「今なら討てる」
曹操は、直感して、軍の方向を一転するや、剣をもって、兗州を指した。
「われわれの郷土へ帰れ!」
颷兵は、またたくまに、目的の兗州へ押寄せた。
李封、薛蘭の二将は、「よもや?」と、疑っていた曹軍を、その目に見て、驚きあわてながら、駒を揃えて、討って出た。
新参の許褚は、曹操のまえに出て、
「お目見得の初陣に、あの二将を手捕りにして、君前へ献じましょう」といって、駆け出した。
見ているまに、許褚は、薛蘭、李封の両人へ闘いを挑んで行った。面倒と思ったか、許褚は、李封を一気に斬ってしまった。それにひるんで、薛蘭が逃げ出してゆくと、曹操の陣後から、呂虔がひょうッと一箭を放った。──箭は彼の首すじを射ぬいたので、許褚の手を待つまでもなく、薛蘭も馬から転げ落ちた。
兗州の城は、そうして、曹操の手に還った。が、曹操は、
「この勢いで濮陽も収めろ」と、呂布の根城へ逼った。
呂布の謀臣陳宮は、
「出ては不利です」と、籠城をすすめたが、
「ばかをいえ」と、呂布はきかない。
例の気性である。それに、曹操の手心もわかっている。一気に撃滅して、兗州もすぐ取返さねば百年の計を誤るものだと、全城の兵をくり出して、物々しく対陣した。
呂布の勇猛は、相変らずすこしも老いていない。むしろ年と共にその騎乗奮戦の技は神に入って、文字どおり万夫不当だ。まったく戦争するために、神が造った不死身の人間のようであった。
「おうっ、自分にふさわしい好敵手を見つけたぞ」
許褚は、見事なる敵将の呂布を見かけると、自分までがはなはだしく英雄的な精神を昂められた。
「いで、あの敵を!」と、目がけてかかった。
だが、呂布は、彼如きを近づけもしないのである。許褚は、歯がみをして彼の前へ前へと、しつこくつけ廻った。そして戟を合わせたが、勝負はつかない。
そこへ、悪来典韋が、
「助太刀」と、喚きかかったが、この両雄が、挟撃しても、呂布の戟にはなお余裕があった。
折からまた、夏侯惇その他、曹操幕下の勇将が六人もここへ集まった。──今こそ呂布を遁すなとばかりにである。──呂布は、危険を悟ったか、さっと一角を蹴破るや否や、赤兎馬に鞭をくれて逃げてしまった。
わが城門の下まで引揚げて来た。だが、呂布はあッと駒を締めて立ちすくんだ。こは抑いかに? ──と眼をみはった。
城門の吊橋がはね上げてあるではないか。何者が命令したのか。彼は、怒りながら、大声で、濠の向うへどなった。
「門を開けろ。──橋を下ろせ! ばかっ」
すると、城壁の上に、小兵な男が、ひょッこり現れた。かつては呂布のために、曹操の陣へ、反間の偽書を送って、曹軍に致命的な損害を与えた土地の富豪の田氏であった。
「いけませんよ。呂大将」
田氏は歯をむいて城壁の上から嘲笑を返した。
「きのうの味方もきょうの敵ですからね。わたくしは初めから利のあるほうへ付くと明言していたでしょう。もともと、武士でもなんでもない身ですから、きょうからは曹将軍へ味方することにきめました。どうもあちらの旗色のほうが良さそうですからな。……へへへへ」
呂布は牙を噛んで、
「やいっ、開けろ、城門を開けおらんか。うぬ、憎ッくい賤民め、どうするか見ておれ」
と、口を極めて罵ってみたが、どうすることもできないのみか、城壁の上の田氏は、
「もうこの城は、お前さんの物ではない。曹操様へ献上したのだ。さもしい顔をしていないで、足もとの明るいうちに、どこへでも落ちておいでなさい。──いや、なんともお気の毒なことで」
といよいよ、嘲弄を浴びせかけた。
利を嗅いで来た味方は、また利を嗅いで敵へ去る。小人を利用して獲た功は、小人に裏切られて、一挙に空しくなってしまった。呂布は、散々に罵り吠えていたが、結局、そこで立ち往生していれば、曹軍に包囲されるのを待っているようなものである。ぜひなく定陶(山東省・定陶)をさしてひとまず落ちて行った。
かくと聞いて、陳宮は、
「田氏を用いて、彼に心をゆるしていたのは、自分の過ちでもあった」
と、自責にかられたか、急遽、城の東門へ迫って、内部の田氏に交渉し、呂布の家族たちの身を貰いうけて、後から呂布を追い慕って行った。
城地を失うと、とたんに、従う兵もきわだって減ってしまう。
(この大将に従いていたところで──)と、見限りをつけて四散してしまうのである。田氏は田氏ひとり在るのみではなかった。無数の田氏が離合集散している世の中であった。
だが、ひとたび敗軍を喫して漂泊の流軍に転落すると、大将や幕僚は、結局そうなってくれたほうが気が安かった。何十万というような大軍は養いかねるからである。いくら掠奪して歩いても、一村に千、二千という軍がなだれこめば、たちまち村の穀倉は、いなごの通った後みたいになってしまう。
呂布は、ひとまず定陶まで落ちてみたが、そこにも止ることができないで、
「この上は、袁紹を頼って、冀州へ行ってみようか」と、陳宮に相談した。
陳宮は、さあどうでしょう? と首をかしげて、すぐ賛成しなかった。呂布の人気は、各地において、あまり薫しくないことを知ったからである。
で、一応、先に人を派して、それとなく袁紹の心を探らせてみているうちに、袁紹は伝え聞いて謀士の審配へ意見を徴していた。
審配は、率直に答えた。
「およしなさい、呂布は天下の勇ですが、半面、豺狼のような性情を持っています。もし彼が勢力を持ち直して、兗州を奪りかえしたら、次には、この冀州を狙って来ないとは限りません。──むしろ曹操と結んで、呂布のごとき乱賊は殺したほうがご当家の安泰でしょう」
「大きにそうだった」
袁紹は、直ちに、部下の顔良に五万余の兵をさずけ、曹操の軍に協力させ、曹操へ親善の意をこめた書を送った。
呂布はうろたえた。
逆境の流軍はあてなく歩いた。
「そうだ。近頃、新しく徐州の封をうけて、陶謙の跡目をついで立った劉玄徳を頼ってゆこう。……どうだろう陳宮」
「そうですな。徐州の新しい太守は、世間の噂がよいようです。先さえ吾々を容れるものなら、徐州を頼るに越したことはありません」
そこで、呂布は、玄徳のところへ使いを立てた。
劉備は、自分の領地へ、呂布一族が来て、仁を乞うと聞くと、
「あわれ。彼も当世の英雄であるのに」
と、関羽、張飛をつれて、自ら迎えに出ようとした。
「とんでもないことです」
家臣の糜竺は、出先をさえぎって、極力止めた。
糜竺はいうのである。
「呂布の人がらは、ご承知のはずです。袁紹ですら、容れなかったではありませんか。徐州は今、太守の鎮守せられて以来、上下一致して、平穏に国力を養っているところです。なにを好んで、餓狼の将を迎え入れる必要がありましょう」
側にいた関羽も張飛も、
「その意見は正しい」と、いわんばかりの顔してうなずいた。
劉玄徳も、うなずきはしたけれど、彼はこういって、肯かなかった。
「なるほど、呂布の人物は、決して好ましいものではない。──けれど先頃、もし彼が曹操のうしろを衝いて、兗州を攻めなかったら、あの時、徐州は完全に曹操のために撃破されていたろう。それは呂布が意識して徐州にほどこした徳ではないが、わしは天佑に感謝する。──今日、呂布が窮鳥となって、予に仁愛を乞うのも、天の配剤かと思える。この窮鳥を拒むことは自分の気持としてはできない」
「……は。そう仰っしゃられれば、それまでですが」
糜竺も口をつぐんだ。
張飛は、関羽をかえりみて、
「どうも困ったものだよ。われわれの兄貴は人が好すぎるね。狡い奴は、その弱点へつけ込むだろう。……まして、呂布などを出迎えに出るなんて」と、不承不承従った。
玄徳は車に乗って、城外三十里の彼方まで、わざわざ呂布を迎えに行った。
流亡の将士に対して、実に鄭重な礼であったから、呂布もさすがに恐縮して、玄徳が車から出るのを見ると、あわてて駒をおり、
「なんでそれがし如きを、かように篤く迎えられるか、ご好意に応えようがない」
と、いうと、劉備は、
「いや私は、将軍の武勇を尊敬するものです。志むなしく、流亡のお身の上と伺って、ご同情にたえません」
呂布は、彼の謙譲を前に、たちまち気をよくして、胸を張った。
「いや、察して下さい。天下の何人も、どうすることもできなかった朝廟の大奸董卓を亡ぼしてから、ふたたび李傕一派の乱に遭い、それがしが漢朝に致した忠誠も水泡に帰して、むなしく地方に脱し、諸州に軍を養わんとしてきましたが、気宇の小さい諸侯の容れるところとならず、未だにかくの如く、男児の為すある天地をたずね歩いておる始末です」と、自嘲しながら、手をさしのべて、玄徳の手を握り、「どうですか。将来、貴下のお力ともなり、また、それがしの力ともなっていただいて、共々大いにやって行きたい考えですが……」
と、親しみを示すと、劉備は、それには答えないで、袂の中から、かねて先太守陶謙から譲られた「徐州の牌印」を取出し、彼のまえに差しだした。
「将軍。これをお譲りしましょう。陶太守の逝去の後、この地を管領する人がないため、やむなく私が代理していましたが、閣下がお継ぎ下さればこれに越したことはありません」
「えっ、それがしに、この牌印を」
呂布は、意外な顔と同時に、無意識に大きな手を出して、次にはすぐ、(しからば遠慮なく)と、受取ってしまいそうな容子だったが、ふと、玄徳のうしろに立っている人間を見ると、自分の顔いろを、くわッと二人して睨みつけているので、
「ははははは」と、さり気なく笑って、その手を横に振った。
「何かと思えば、徐州の地をお譲り下さるなどと、あまりに望外過ぎて、ご返辞にうろたえます。──それがしは元来、武弁一徹、州の吏務をつかさどるなどということは、本来の才ではありません。まあ、まあ」
と、云いまぎらわすと、側にいた彼の謀臣陳宮も、口をあわせて辞退した。
そこから劉玄徳は先に立って、呂布の一行を国賓として城内に迎え、夜は盛宴をひらいて、あくまで篤くもてなした。
呂布は、翌る日、
「その答礼に」と、披露して、自分の客舎に、玄徳を招待したいと、使いをよこした。
関羽、張飛のふたりは、こもごも、玄徳に云った。
「お出でになるつもりですか」
「行こうと思う、折角の好意を無にしては悪いから」
「なにが好意なものか。呂布の肚の底には、この徐州を奪おうとする下心が見える、断ってしまったほうがいいでしょう」
「いや、わしはどこまでも、誠実をもって人に接してゆきたい」
「その誠実の通じる相手ならいいでしょうが」
「通じる通じないは人さまざまで是非もない。わたしはただわしの真心に奉じるのみだ」
玄徳は、車の用意を命じた。
関羽、張飛も、ぜひなく供について、呂布の客舎へのぞんだ。──もちろん、呂布は非常な歓びで、下へもおかない歓待ぶりである。
「何ぶん、旅先の身とて、充分な支度もできませんが」と、断って、直ちに、後堂の宴席へ移ったが、日ごろ質素な玄徳の眼には、豪奢驚くばかりだった。
宴がすすむと、呂布は、自分の夫人だという女性を呼んで、
「おちかづきをねがえ」
と、玄徳に紹介わせた。
夫人は、嬋娟たる美女であった。客を再拝して、楚々と、良人のかたわらに戻った。
呂布はまた、機嫌に乗じてこういった。
「不幸、山東を流寓して、それがし逆境の身に、世間の軽薄さを、こんどはよく味わったが、昨日今日は、実に愉快でたまらない。尊公の情誼にふかく感じましたよ。──これというのも、かつて、この徐州が、曹操の大軍に囲まれて危殆に瀕した折、それがしが、彼の背後の地たる兗州を衝いたので、一時に徐州は敵の囲みから救われましたな。──あの折、この呂布がもし兗州を襲わなかったら、徐州の今日はなかったわけだ。──自分の口からいっては恩着せがましくなるが、そこをあなたが忘れずにいてくれたのは実によろこばしい。いい事はしておくものだ」
玄徳は、微笑をふくんで、ただうなずいていたが、今度は、彼の手を握って、
「はからずも、その徐州に身を寄せて、賢弟の世話になろうとは。──これも、なにかの縁というものだろうな」
と酔うに従って、呂布はだんだんなれなれしく云った。
始終、気に入らない顔つきをして、黙って飲んでいた張飛は、突然、酒杯を床へ投げ捨てたかと思うと、
「何、なんだと、もういちどいってみろ」と、剣を握って突っ立った。
なにを張飛が怒りだしたのか、ちょっと見当もつかなかったが、彼の権まくに驚いて、呂夫人などは悲鳴をあげて、良人のうしろへ隠れた。
「こらっ呂布。汝は今、われわれの長兄たり主君たるお方に対して、賢弟などとなれなれしく称んだが、こちらはいやしくも漢の天子の流れをくむ金枝玉葉だ、汝は一匹夫、人家の奴に過ぎない男ではないか。無礼者め! 戸外へ出ろっ、戸外へ」
酔った張飛が、これくらいなことを云いだすのは、歌を唄うようなものだが、彼の手は、同時に剣を抜き払ったので、馴れない者は仰天して色を失った。
「これっ。何をするっ」
劉備は、一喝に、張飛を叱りつけた。関羽も、あわてて、
「止さないか、場所がらもわきまえずに」と張飛を抱きとめて、壁ぎわへ押しもどした。
が、張飛は、やめない。
「ばかをいえっ。場所がらだから承知できないのだ。どこの馬の骨か分りもしない奴に、われわれの主君たり義兄たるお方を、手軽に賢弟などと、弟呼ばわりされてたまるか」
「わかったよ、分った」
「そればかりでない。さっきから黙って聞いていれば、呂布のやつめ、自分の野望で兗州を攻めたことまで、恩着せがましくいってやがる。こっちが、謙遜して下手に出れは、ツケ上がって!」
「止せといったら。それだから貴様は、真情ですることも、常に、酒の上だと人にいわれるのだ」
「酒の上などではない」
「では、黙れ」
「ウウム。いまいましいな」
張飛は、憤然たるまま、ようやく席にもどったが、よほど腹が癒えないとみえて、ひとり手酌で大杯をあおりつづけていた。
劉備は、当惑顔に、
「どうも、折角のお招きに、醜態をお目にかけて、おゆるしください。舎弟の張飛は、竹を割ったような気性の漢ですが、飲むと元気になり過ぎましてな。……はははは」
笑いにまぎらしながら詫びた。
呂布は、蒼白になっていたが、劉備の笑顔に救われて、強いて快活を装いながら、
「いやいや、なんとも思っておりはしません。酒のする業でしょうから」
それを聞くと、張飛はまた、
(何ッ?)
と云いたげな眼光を呂布へ向けたが、劉備の顔を見ると、舌うちして、黙ってしまった。
宴は白けたまま、浮いてこない。呂夫人も、恐がって、いつの間にか姿を消してしまった。
「夜も更けますから」と、劉備はほどよく礼をのべて門を辞した。
客を見送るべく呂布も門の外までついて出た。すると、一足先に門外へ出ていた張飛が馬上に槍を横たえて突然呂布の前へ立ち現れ、
「さあ、星の下で俺と三百合まで勝負しろっ。三百合まで戟を合わせてもなお勝負がつかなかったら、生命は助けておいてやる!」と、どなった。
劉備は驚いて彼の乱暴を叱りつけ、関羽もまた劉備と共に躍り狂う駒の口輪をつかんで、
「いい加減にしろっ」と、必死に喰い止めながら、遮二無二帰り道へひいて行った。
その翌る日、呂布は少し銷沈して劉備を城へ訪ねて来た。
そして、いうには、
「あなたのご厚情は、充分にうけ取れるが、どうもご舎弟たちは、それがしを妙に見ておられるらしい。所詮、ご縁がないのであろう──ついては、他国へ行こうと思うので、今日は、お暇乞いに来たわけです」
「それでは私が心苦しい。……どうもこのままお別れではいさぎよくありません。家弟の無礼は、私から謝します。まあ、しばらくお駐りあって、ゆるゆる兵馬をお養い下さい。狭い土地ですが、小沛は水もよし、糧食も蓄えてありますから」
強って、玄徳はひき止めた。そして自分が前にいた小沛の宅地を彼のために提供した。それもあくまで慇懃な勧めである。呂布もどうせにわかに的もない身空なので、一族兵馬をひきつれて、彼の好意にまかせて小沛へ住むことになった。
一銭を盗めば賊といわれるが、一国を奪れば、英雄と称せられる。
当時、長安の中央政府もいいかげんなものに違いなかったが、世の中の毀誉褒貶もまたおかしなものである。
曹操は、自分の根城だった兗州を失地し、その上、いなご飢饉の厄にも遭いなどして、ぜひなく汝南、潁川方面まで遠征して地方の草賊を相手に、いわゆる伐り奪り横行をやって苦境をしのいでいたが、その由、長安の都へ聞えると、朝廷から、
(乱賊を鎮定して、地方の平穏につくした功によって、建徳将軍費亭侯に封じ給う)
と、嘉賞の沙汰を賜わった。
で、曹操は、またも地方に勢威をもりかえして、その名、いよいよ中外に聞えていたが、そうした中央の政廟には、相かわらず、その日暮しな政策しか行われていなかった。
長安の大都は、先年革命の兵火に、その大半を焼き払われ、当年の暴宰相董卓は殺され、まったく面目を一新するかと思われたが、その後には李傕、郭汜などという人物が立って、依然政事を私し、私慾を肥やし、悪政ばかり濫発して、すこしも自粛するところがなかったため、民衆は怨嗟を放って、「一人の董卓が死んだと思ったら、いつのまにか、二人の董卓が朝廷にできてしまった」と、いった。
けれど誰も、それを大声でいう者はない。司馬李傕、大将軍郭汜の権力というものは、百官を圧伏せしめて、絶対的なものとなっている。
ここに太尉楊彪という者があった。或る時朱雋と共に、そっと献帝に近づいて奏上した。
「このままでは、国家の将来は実に思いやられます。聞説、曹操は今、地方にあって二十余万の兵を擁し、その幕下には、星のごとく、良い武将と謀臣をかかえているそうです。ひとつ、彼を用いて、社稷に巣くう奸党を剿滅なされたら如何なものでしょう。……われわれ憂いを抱く朝臣はもとより、万民みな、現状の悪政を嘆いておりますが」
暗に、二奸の誅戮を帝にすすめたのであった。
献帝は落涙され、
「おまえたちがいうまでもない。朕が、彼ら二賊のために、苦しめられていることは、実に久しいものだ。日々、朕は、我慢と忍辱の日を送っている。……もし、あの二賊を討つことができるものなら、天下の人民と共に朕の胸中もどんなに晴々するかと思う。けれど悲しいかな、そんな策はあり得まい」
「いや、ないことはありません。帝の御心さえ決するなれば」
「どうして討つか」
「かねて、臣の胸に、ひとつの策が蓄えてあります。郭汜と李傕とは、互に並び立っていますから計略をもって、二賊を咬み合わせ、相叛くようにして、しかる後、曹操に密詔を下して、誅滅させるのです」
「そう行くかの」
「自信があります。その策というのは、郭汜の妻は、有名な嫉妬やきですから、その心理を用いて、彼の家庭からまず、反間の計を施すつもりです。おそらく失敗はあるまいと思います」
帝の内意をたしかめると、楊彪は秘策を胸にねりながら、わが邸へ帰って行った。帰るとすぐ、彼は妻の室へはいって、
「どうだな。この頃は、郭汜の令夫人とも、時々お目にかかるかね。……おまえたち奥さん連ばかりで、よく色々な会があるとのことだが」
と、両手を妻の肩にのせながら、いつになく優しい良人になって云った。
楊彪の妻は怪しんで、良人を揶揄した。
「あなた。どうしたんですか、いったい今日は」
「なにが?」
「だって、常には、私に対して、こんなに機嫌をとるあなたではありませんもの」
「あははは」
「かえって、気味が悪い」
「そうかい」
「なにかわたしに、お頼みごとでもあるんでしょ、きっと」
「さすがは、おれの妻だ。実はその通り、おまえの力を借りたいことがあるのだが」
「どんなことですか」
「郭汜の夫人は、おまえに負けない嫉妬やきだというはなしだが」
「あら、いつ私が、嫉妬なんぞやきましたか」
「だからさ、おまえのことじゃないよ。郭汜夫人が──といっているじゃないか」
「あんな嫉妬深い奥さんと一緒にされてはたまりませんからね」
「おまえは良妻だ。わしは常に感謝している」
「嘘ばかり仰っしゃい」
「冗談は止めて。──時に、郭汜の夫人を訪問して、ひとつ、おまえの口先であの人の嫉妬をうんと焚きつけてくれないか」
「それがなんの為になるんですか。他家の奥さんを悋気させることが」
「国家のためになるのだ」
「また、ご冗談を」
「ほんとにだ。──ひいては漢室のお為となり、小さくは、おまえの良人楊彪の為にもなることなのだから」
「分りません。どうしてそんなつまらないことが、朝廷や良人の為になりますか」
「……耳をお貸し」
楊彪は、声をひそめて、君前の密議と、意中の秘策を妻に打明けた。
楊彪の妻は、眼をまろくして、初めのうちは、ためらっていたが良人の眼を仰ぐと、くわっと、恐ろしい決意を示しているので、
「ええ。やってみます」と、答えた。
楊彪は、圧しかぶせて、
「やってみるなんて、生ぬるい肚ではだめだ。やり損じたら、わが一族の破滅にもなること。毒婦になったつもりで、巧くやり終せてこい」と、云い含めた。
翌る日。
彼の妻は、盛装をこらし、美々しい輿に乗って、大将軍郭汜夫人を訪問に出かけた。
「まあ、いつもお珍しい贈り物をいただいて」と、郭汜夫人は、まず珍貴な音物の礼をいって、
「よいお召服ですこと」と、客の着物や、化粧ぶりを褒めた。
「いいえ、わたくしの主人なんかちっとも衣裳などには構ってくれませんの。それよりも、令夫人のお髪は、お手入れがよいとみえて、ほんとにお綺麗ですこと。いつお目にかかっても、心からお美しいと思うお方は、世辞ではございませんが、そうたんとはございません。……それなのに、男というものは」
「オヤ、あなたは、わたくしの顔を見ながらなんで涙ぐむのですか」
「いいえ、べつに……」
「でも、おかしいではございませんか、なにか理があるのでしょう。隠さないで、はなして下さい。私にいえないことですか」
「……つい、涙などこぼして、夫人様おゆるし下さいませ」
「どうしたんです、一体」
「では、おはなし申しますが、ほんとに、誰にも秘密にして下さらないと」
「ええ、誰にも洩らしはしません」
「実はあの……夫人様のお顔を見ているうちに、なにもご存じないのかと、お可哀そうになって来て」
「え。わたしが、可哀そうになってですって。──可哀そうとは、一体、どういうわけで。……え? え?」
郭夫人は、もう躍起になって、楊彪の妻に、次のことばをせがみたてた。
楊彪の妻は、わざと同情にたえない顔をして見せながら、
「ほんとに夫人様は、なにもご存じないんですか」
と、空おそろしいことでも語るように声をひそめた。
郭汜の夫人は、もう彼女の唇の罠にかかっていた。
「なにも知りません。……なにかあの、宅の主人に関わることではありませんか」
「え、そうなんですの……奥さま、どうか、あなたのお胸にだけたたんでおいて下さいませ。あの、お綺麗なんで有名な李司馬のお若い奥様をご存じでいらっしゃいましょ」
「李傕様と良人とは、刎頸の友ですから、私も、あの夫人とは親しくしておりますが」
「だから夫人様は、ほんとにお人が好すぎるって、世間でも口惜しがるんでございましょうね。あの李夫人と、お宅の郭将軍とは、もう疾うからあの……とても……何なんですって」
「えっ。主人と、李夫人が?」
郭汜の妻は、さっと、顔いろを変えて、
「ほ、ほんとですか」と、わなないた。
楊彪の妻は、「奥さま。男って、みんなそうなんですから、決して、ご主人をお怨みなさらないがようございますよ。ただ私は、李夫人が、憎らしゅうございますわ。あなたという者があるのを知っていながら、何ていうお方だろうと思って──」と、すり寄って、抱かないばかりに慰めると、郭夫人は、
「道理でこの頃、良人の容子が変だと思いました。夜もたびたび遅く帰るし、私には、不機嫌ですし……」と、さめざめと泣いた。
楊彪の妻が、帰ってゆくと、彼女は病人のように、室へ籠ってしまった。その夜も、折悪しく、彼女の良人は夜更けてから、微酔をおびて帰って来た。
「どうしたのかね。おい、真っ蒼な顔しておるじゃないか」
「知りません! うっちゃッておいて下さい」
「また、持病か。ははは」
「…………」
夫人は、背を向けて、しくしく泣いてばかりいた。
四、五日すると、李傕司馬の邸から、招待があった。郭夫人は、良人の出先に立ちふさがって、
「およしなさい。あんな所へ行くのは」と、血相を変えて止めた。
「いいじゃないか。親しい友の酒宴に行くのが、なぜ悪いのか」
「李司馬だって、あなたを心で怨んでいるにちがいありません」
「なぜ」
「なぜでも」
「分らんやつじゃな」
「今に分りましょう。古人も訓えております。両雄ならび立たずです。その上、個人的にも、面白くないことが肚にあるんですもの。──もしあなたが、酒宴の席で、毒害でもされたら私たちはどうなりましょう」
「はははは。なにかおまえは、勘ちがいしてるんじゃろ」
「なんでもようございますから、今夜は行かないで下さい。ね、あなた、お願いですから」
果ては、胸にすがって、泣かれたりしたので、郭汜も、振りもぎっても行かれず、遂に、その夜の招宴には、欠席してしまった。
──と、次の日李傕の邸からわざわざ料理や引出物を、使いに持たせて贈って来た。厨房を通して受け取った郭汜の妻は、わざとその一品の中に、毒を入れて良人の前へ持って来た。
郭汜は何気なく、
「美味そうだな」と、箸を取りかけると、夫人はその手を振りのけて、
「大事なお体なのに、他家から来た喰べ物を、毒味もせずに召上がるなんて、飛んでもない」
と、その箸をもって、料理の一品をはさんで、庭面へ投げやると、そこにいた飼犬が、とびついて喰べてしまった。
「……やっ?」
郭汜は驚いた。見ているまに、犬は独楽のごとく廻って、一声絶叫すると、血を吐いて死んでしまった。
「おお! 怖ろしい」
郭夫人は、良人にしがみつきながら、大仰に、身をふるわせて云った。
「ごらんなさい。妾がいわないことではないでしょう。この通り、李司馬から届けてよこした料理には毒が入っているではありませんか。人の心だって、これと同じようなものです」
「ウむむ……」と、郭汜もうめいたきり、目前の事実に、ただ茫然としていた。
こんなこともあってから、郭汜の心には、ようやく李傕に対しての疑いが、芽を伸ばしていた。
「はてな、あの漢?」と、視る眼を、前とちがって、事ごとに歪んで視るようになった。
それから一ヵ月ほど後、朝廷から退出して帰ろうとする折を、李傕に強って誘われて、郭汜はぜひなく彼の邸へ立ち寄った。
「きょうは、少し心祝いのある日だから、充分に飲んでくれ給え」
例によって、李司馬は、豪奢な食卓に、美姫をはべらせて、彼をもてなした。
郭汜はつい帯紐解いて、泥酔して家に帰った。
だが、帰る途中で、彼はすこし酔がさめかけた。──というのは生酔本性にたがわずで、なにかのはずみにふと、神経を起して、
「まさか、今夜の馳走には、毒は入っていなかったろうな?」
と、いつぞや毒にあたって死んだ犬の断末魔の啼き声を思い出してきたからであった。
「……大丈夫かしら?」
そう神経が手伝いだすと、なんとはなく胸がむかついて来た。急に鳩尾のあたりへそれが衝きあげてくる。
「あ。これはいかん」
彼は、額の汗を指で撫でた。そして車の者に、
「急げ、急げ」と、命じた。
邸へ戻るなり、彼は、あわてて妻を呼び、
「なにか、毒を解す薬はないか」
と、牀へ仰向けに仆れながら云った。
夫人は、理を聞くと、この時とばかり、薬の代りに糞汁をのませて、良人の背をなでていた。さらぬだに、神経を起していた郭汜はあわてて異様なものを嚥みくだしたので、とたんに、牀の下へ、腹中のものをみな吐き出してしまった。
「オオ。いい塩梅に、すぐ薬が効きました。これでさっぱりしたでしょう」
「ああ、苦しかった」
「もうお生命は大丈夫です」
「……ひどい目に遭った」
「あなたもあなたです。いくら妾がご注意しても、李司馬を信じきっているから、こんなことになるんです」
「もう分った。われながら、おれはあまり愚直すぎた。よろしい、李司馬がその気なら、おれにも俺の考えがある」
蒼白になった額を、自分の拳で、二つ三つ叩いていたが、やにわに室を躍りだしたと思うと、郭汜は、その夜のうちに、兵を集め、李司馬の邸へ夜討をかけた。
李傕の方にも、いちはやく、そのことを知らせた者があるので、
「さては、此方を除いて、おのれ一人、権を握らんとする所存だな。いざ来い、その儀ならば」
と、すでに彼のほうにも、充分な備えがあったので、両軍、巷を挟んで、翌日もその翌日も、修羅の巷を作って、血みどろな戦闘を繰返すばかりだった。
一日ごとに、両軍の兵は殖え、長安の城下にふたたび大乱状態が起った。──その混乱の中に、李司馬の甥の李暹という男は、
「そうだ。……天子をこっちへ」
と、気づいて、いちはやく龍座へせまって、天子と皇后を無理無態に輦へうつし、謀臣の賈詡、武将左霊のふたりを監視につけ、泣きさけび、追い慕う内侍や宮内官などに眼もくれず、後宰門から乱箭の巷へと、がらがら曳きだして行った。
「李司馬の甥が、天子を御輦にのせて、どこかへ誘拐して行きます」
部下の急報を聞いて、郭汜は非常に狼狽した。
「ああ、抜かった。天子を奪われては、一大事だ。それっ、やるな!」
にわかに、後宰門外へ、兵を走らせたが、もう間にあわなかった。
奔馬と狂兵にひかれてゆく龍車は、黄塵をあげて、郿塢街道のほうへ急いでいた。
「あれだあれだ」
郭汜の兵は、騒ぎながら、ワラワラと追矢を射かけた。しかし、敵の殿軍に射返されて、却っておびただしい負傷者を求めてしまった。
「出し抜かれたか。くそいまいましいことではある」
郭汜は、自分の不覚の鬱憤ばらしに兵を率いて、禁闕へ侵入し、日頃気にくわない朝臣を斬り殺したり、また、後宮の美姫や女官を捕虜として、自分の陣地へ引っ立てた。
そればかりか、すでに帝もおわさず、政事もそこにはない宮殿へ無用な火を放って、
「この上は、あくまで戦うぞ」と、その炎を見て、いたずらに快哉をさけんだ。
一方──
帝と皇后の御輦は、李暹のために、李司馬の軍営へと、遮二無二、曳きこまれて来たが、そこへお置きするのはさすがに不安なので李傕、李暹の叔父甥は、相談のうえ、以前、董相国の別荘でありまた、堅城でもある郿塢の城内へ、遷し奉ることとした。
以来、献帝並びに皇后は、郿塢城の幽室に監禁されたまま、十数日を過しておられた。帝のご意志はもとよりのこと、一歩の自由もゆるされなかった。
供御の食物なども、実にひどいもので、膳がくれば、必ず腐臭がともなっていた。
帝は、箸をお取りにならない。侍臣たちは、強いて口へ入れてみたが、みな嘔吐をこらえながら、ただ、涙をうかべあうだけだった。
「侍従どもが、餓鬼のごとく痩せてゆくのは、見ている身が辛い。願わくは、朕へ徳をほどこす心をもて、彼らに愍れみを与えよ」
献帝は、そう仰っしゃって、李司馬の許へ使いを立て、一嚢の米と、一股の牛肉を要求された。すると、李傕がやって来て、
「今は、闕下に大乱の起っている非常時だ。朝夕の供御は、兵卒から上げてあるのに、この上、なにを贅沢なご託をならべるのかっ」
と、帝へ向って、臣下にあるまじき悪口をほざいた。そして、なにか傍らから云った侍従をも撲りつけて立ち去ったが、さすがに後では、少し寝ざめが悪かったものとみえ、その日の夕餉には若干の米と、腐った牛肉の幾片かが皿に盛られてあった。
「ああ。これが彼の良心か」
侍従たちは、その腐った物の臭気に面をそむけた。
帝は、いたく憤られて、
「豎子、かくも朕を、ないがしろに振舞うか」
と、袞龍の袖をお眼にあてたまい身をふるわせてお嘆きになった。
侍臣のうちに、楊彪もひかえていた。──
彼は、断腸の思いがした。
自分の妻に、反間の計をふくめて、今日の乱を作った者は、誰でもない楊彪である。
計略図にあたって、郭汜と李傕とが互に猜疑しあって、血みどろな角逐を演じ出したのは、まさに、彼の思うつぼであったが、帝と皇后の御身に、こんな辛酸が下ろうとは、夢にも思わなかったところである。
「陛下。おゆるし下さい。そして李傕の残忍を、もうしばらく、お忍び下さい。そのうちに、きっと……」
云いかけた時、幽室の外を、どやどやと兵の馳ける跫音が流れて行った。そして城内一度に、何事か、わあっと鬨の声に揺れかえった。
折も折である。
帝は、容色を変えて、
「何事か?」と、左右をかえりみられた。
「見て参りましょう」
侍臣の一人があわてて出て行った。そして、すぐ帰って来ると、
「たいへんです。郭汜の軍勢が城門に押しよせ、帝の玉体を渡せと、喊のこえをあげ、鼓を鳴らして、ひしめいておりまする」と、奉答した。
帝は、喪心せんばかり驚いて、
「前門には虎、後門には狼。両賊は朕の身を賭物として、爪牙を研ぎあっている。出ずるも修羅、止まるも地獄、朕はそもそも、いずこに身を置いていいのか」と、慟哭された。
侍中郎の楊琦は、共に涙をふきながら、帝を慰め奉った。
「李傕は、元来が辺土の夷そだちで最前のように、礼をわきまえず、言語も粗野な漢ですが、あの後で、心に悔いる色が見えないでもありませんでした。そのうちに、不忠の罪を慚じて、玉座の安泰をはかりましょう。ともあれ、ここは静かに、成行きをご覧あそばしませ」
そのうちに、城門外では、ひと合戦終ったか、矢叫びや喊声がやんだと思うと、寄手の内から一人の大将が、馬を乗出して、大音声にどなっていた。
「逆賊李傕にいう。──天子は天下の天子なり、何故なれば、私に、帝をおびやかし奉り、玉座を勝手にこれへ遷しまいらせたか。──郭汜、万民に代って汝の罪を問う、返答やあるっ!」
すると、城内の陰から李傕、さっさっと駒をすすめて、
「笑うべきたわ言かな。汝ら乱賊の難を避けて帝おん自らこれへ龍駕を奔らせ給うによって、李傕御座を守護してこれにあるのだ。──汝らなお、龍駕をおうて天子に弓をひくかっ」
「だまれっ。守護し奉るに非ず、天子を押しこめ奉る大逆、かくれないことだ。速やかに、帝の御身を渡さぬにおいては、立ちどころに、その素っ首を百尺の宙へ刎ねとばすぞ」
「なにをっ、小ざかしい」
「帝を渡すか、生命を捨てるか」
「問答無用っ」
李傕は、槍を振って、りゅうりゅうと突っかけてきた。
郭汜は、大剣をふりかざし、おのれと、唇をかみ、眦を裂いた。双方の駒は泡を噛んで、いななき立ち、一上一下、剣閃槍光のはためく下に、駒の八蹄は砂塵を蹴上げ、鞍上の人は雷喝を発し、勝負は容易につきそうもなかった。
「待ち給え。両将、しばらく待ち給え!」
ところへ。
城中から馳せ出して、双方を引分けた者は、つい今し方、帝のお傍から見えなくなっていた太尉楊彪だった。
楊彪は、身を挺してふたりに向って、懸河の弁をふるい、
「ひとまず、ここは戦をやめて、双方、一応陣を退きなさい。帝の御命でござる。御命に背く者こそ、逆賊といわれても申し訳あるまい」と、いった。
その一言に、双方、兵を収めてついに引退いた。
楊彪は、翌日、朝廷の大臣以下、諸官の群臣六十余名を誘って、郭汜の陣中におもむいた。そして一日もはやく李傕と和睦してはどうかとすすめてみた。
誰もまだ気づかないが、もともとこの戦乱の火元は楊彪なのである。ちと薬が効きすぎたと彼もあわてだしたのだろうか。それともわざと仲裁役を買ってことさら、仮面の上に仮面をかむって来たのだろうか。彼もまた複雑な人間の一人ではある。
底本:「三国志(一)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
1989(平成元)年4月11日第1刷発行
2009(平成21)年2月2日第62刷発行
「三国志(二)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
1989(平成元)年4月11日第1刷発行
2008(平成20)年12月22日第53刷発行
※副題には底本では、「群星の巻」とルビがついています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2013年7月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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