文庫版『雀の卵』覚書
北原白秋
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初版『雀の卵』は大正十年八月にアルスより刊行された。四六版アンカト、五二五頁、部厚で重く、兎も角尨然たる大冊となつた。恩地孝四郎氏の装幀で、鼠色の薬嚢絨布で、表紙は無地、背の上部に白の鞁を当て、之に金文字を捺しただけであつた。大扉と小扉は同じく同氏の手に成るカツトで飾つた。挿画はわたくし自身で葛飾時代から描きためて置いた十七葉を以てした。
此の『雀の卵』の装幀には二種ある。再版後の分は、表は同じ鼠の無地であるが、背の鞁の金文字は自身のものに換へ大扉と小扉も同じく之に準つた。
いづれも内容は同じであるが、ただ一首後のに訂正されてゐる。これは「雀の卵」の中「山家抄」の二、三首目の歌
の第二句が「尖りて」と改まつてゐる。何版のからさうなつたかは、記憶がさだかでない。
此の文庫版は、この後のに従ひ、それまでを総じて原版と見なすことにした。以来絶版してゐたのを、今度縮刷したのである。無論、『白秋全集』には収録した。
『雀の卵』上梓の径路に就いては、その大序に委細を尽したと思ふ故、ここに改めて書く余事も無いやうである。
歌風に就いては、現代短歌全集の『北原白秋篇』の後記に書いた二三行が簡潔に要約してゐる。
「この集に於て、歌風はまた一転した。東洋芸術の精神とするところの閑寂境に向つて、わたくしは幽かにわたくしの霊を澄徹させようとした。葛飾に居住するに至つて、愈〻わたくしは自然の真実相に親しむ日夕を雀と楽しむやうになつた。」
昭和五年版、全集のⅤ歌集第一の後記には、此の中の三部の推移に就いて些か回顧してゐる。心境もいくらか進んで来て、自ら省みることも冷やかになつた。
「「輪廻三鈔」には未だ「雲母集」の余波が輝き、「雀の卵」に於て漸くその圏外に逃れ、心は身の落つきを思ふ朝夕と相重つて、いよいよ「葛飾閑吟集」の寂心に閑かに住しようとした。さうして『雲母集』の歌風と遠く相隔たつて了つた。
此の三部歌集『雀の卵』編纂当時は、わたくしは小田原の山荘に在つた。此処で再び推敲し、また更に新作した。此の間既に九年近くも経過して、成すところのものは僅かにこれだけのものであつた。ただ、その間にいつかしら修業の心が初めて眼を開いたやうであつた。少しづつは深めて来たであらう。
これも亦、今日にして見ると、かの大序などは気を負ひ過ぎた。どうにか澄んでゆくやうでも、事に触れては弾む。人間といふものはしようのないものだと思ふ。畢竟は修業未熟の為である。」
かの大序は、今にして忸怩の念を覚えしめるものであり、兎角序言で己れを語り過ぎるといふことは、世の好感を衷ひ易く、作歌そのものの吟味にさへ他の反撥を醸し易い。しかしながら、何が故にあれほどの亢奮を我と抑制し得なかつたかといふには大いな理由があつた。
九年に亘つての苦業から贏ち得た『雀の卵』の完成は、わたくしにとつても、肉親にとつても、どうしようもない歓びであつた。天を仰いで感謝したい気持でいつぱいであつた。一家の窮乏を凌ぎ、幾多の犠牲を忍んでの結実であつただけに、刊行者としての弟鉄雄の張りきり方も非常であつた。製本成るや、弟は礼装に身を正し、その一本を携へて、四海民蔵君を訪ひ、此の集に対する曾ての厚意を涙して感謝したものである。わたくしたち兄弟はそれほどの念慮を此の一巻に籠め、厳粛に一つ憂を頒ち、切実に一つ歓びを感じたのであつた。書肆アルスにとつては全く再び興るか否かの分れ目であつたのだ。これが為に、著者たるこの兄が鼻じろむほどの大々的広告もした。この間の機微については大方も言きびしく咎めてくださらぬであらう。
で、此の文庫版は、その原版を記念する為、後日に改作した歌もあり、又意に満たぬ個処はあつても、敢て訂正はしなかつた。
改訂本或は決定本は今後の事に属する。
本集の大序の中に、わたくしは推敲の幾多の実例として、原作と改作とを比較対照した。しかし、その後になつて、訂正完了と思へたそれらの中の歌にもまた慊らない個処が眼につき、或作は元に還し、或作は補訂した。之等の中の幾首かは、選集編纂の場合に、改めて処理した。処理し得たつもりではあつたが、年時を経るにつれてまた完了と未了とが瞭然と判別されても来た。未了の分はまた密かな苦労の種となつた。で、閑さへあれば、わたくしは自装の手沢本に朱を入れた。縦横に朱を入れて、これでよしとしたその後になつてまた、よしなき事にも思ひ、却て悪くして了つたことにも気づき、浅慮であつたことも省みられた。で、折りに触れては手をつけ手をつけした。さうなるとどうにも止度もなくなるものである。世の賢い人たちは、かうした未練と混乱とを、凝つて思案に能はずとか、過ぎたるは及ばざる如しとも、昔から嗤つてゐる。さもあらうと苦笑される。
此の『雀の卵』編纂の際には、一首一首を成すのに全く首の座に直る気持であつた。それでゐて、以来加筆せねばならなくなつたといふことは羞恥に堪へぬ次第ではある。これが声ならばその時かぎりであるが、なまじ文字は紙上で改め易いものであるだけ未練が出るのである。それではまた、あの節には未了のままに投げ出したかといふに決してさうではなかつた。あの当時の自身としては精一杯の努力であり、全力を傾注し尽したものであつた。禍であつたことはただ未熟であつたといふのみが云へようか。あれ以上にはどうにもならなかつたのだ。
そこで思ふのに、文庫版『雲母集』の後記にも書いたごとく、二十年後の今日のより進んだ心境と手法とを以てして、たとひ巧慧に改め得たとしてもそれが果して真に当時の気合なり歌風なりを生かし得るであらうかである。私の勉強にはなるかもしれぬが、この道につき到り尽しての上ならば兎もあれ、年々歳々成長の道程にある分際としては容易に完了した形に於て公に発表すべきでないとも自省される。直しても直しきれないものならば寧ろ原作のままで諦めて置いた方がよい。
で、此の文庫版『雀の卵』は、それらの朱筆の跡には触れないことにした。ただ、既に選集の中に補訂した作品のみを、参考として左に再録するに留める。大概はよく直つたとは思ふが、過を再びしたと思へるものもある。いづれは決定版上梓の秋を俟つて、整理したいと思ふ。
鳰鳥の葛飾小野の夕霞ねもごろあかし春もいぬらむ (四七頁)
面ほそり寂し吾妹も浅茅生の露けき朝は裾かかげけり (四八頁)
躑躅さきしろき月夜をさぬつ鳥雉子とよめりこもらふらしも (五〇頁)
物の葉の葉べりにむすぶ雨だりは見つつよろしも揺れまろみつつ (五二頁)
さき蟹の音かき立つる竹の縁見のすがすがし昼寝さめゐる (五三頁)
見のすがし雨の霧らひやひた揺れにしぶく小竹より蟹ころび落つ (五三頁)
矢のごとく時たま翔る小鳥のかげ山すそに見えて晴天の風 (五五頁)
松風の下吹く椎のこもり風なほしさやげり雨はらら過ぎ (五六頁)
雑木ふく風はしづもり松の風いやさや澄みぬ真間の弘法寺 (五七頁)
月明き浅夜の野良の家いくつ洋燈つけたり馬鈴薯の花 (六一頁)
地靄立つ堆肥の前の百合の花月の光に照らされにけり (六二頁)
はらら来て雀逸れゆく木槿垣風か立ちたる花のうごくは (九九頁)
いよよ寒く時雨れ来る田の片明り後なる雁がまだわたる見ゆ (一一八頁)
かさこそと掛稲の裾掻く稲雀陽のまだ残る穂をくぐりつつ (一二六頁)
曳かれ来てうしろ振り向く雄の牛の一眼光る穂薄の風 (一二九頁)
ほとほとに西日けうとくなりにけり霙がちなる蒲の穂の立 (一二九頁)
溜池に枯れし柳もしだれけりみ冬は小さき不二のよく見ゆ (一三一頁)
一色に枯れてわびしき庭ながら夕かげはひり深うかがよふ (一三二頁)
ただ一つ庭には白しすべすべと嘗めつくしける犬の飯皿 (一三二頁)
池のべに枯れて声せぬ河柳ちらとうごかす雀が白く (一三二頁)
註、現代短歌全集には四句原作「お庭に白し」に還す。
夜のひかりはやこごるらしほそり木の枯木の枝の交らふ見れば (一三三頁)
ほとほとに障子ゆるがす羽音風雀なりけりかたぶき聴けば (一三六頁)
春浅み背戸の水田のさみどりの根芹は馬に食べられにけり (一四六頁)
註、三句「さみどりの」は抑〻の原作に還したのである。大正六年の「曼陀羅」創刊号所載。
虹の輪にひとしほ映ゆる早苗田の水田の遠の燈火の列 (一四八頁)
鳰鳥の葛飾小野のゆふがすみねもごろあかし春もいぬらむ (四七頁)
ささ蟹の音かき立つる竹の縁見のすがすがし昼寝さめゐる (五三頁)
燕とまるただち揺れ立つ柳の枝つかのま水につきつつ反る (五〇頁)
月夜よし厩の空の枇杷の枝に啼く鶉ゐて露しとどなる (六三頁)
揺れあがる一つ火蛍息つかししとどの雨か降り小止みたる (六六頁)
月読の面に近くさららめく青じゆずだまの秋風のこゑ (一〇四頁)
白の猫庭の木賊の日たむろに眼はほそめつつまだ現なり (一〇二頁)
夕かげの木賊に移る小さ蝶驚きて立ちてまた留りゐる (一〇二頁)
菱形に白く霜置く田の畔のさむざむしもよ田にと続きて (一一八頁)
霜しろき野田のはさ木のうしろ風馬は通へり尻に菰著て (一一九頁)
鳰鳥の葛飾早稲の新しぼり煮つつよろしき夜はさだまりぬ (一一五頁)
たまたまは障子にぬくむ日の色のうれしとを見れすぐかげるなり (一三五頁)
ただひとつお庭に白しすべすべと嘗めつくしける犬の飯皿 (一三二頁、還元)
雨ふくむ槻のほづえの萠えちかく消ぬかの虹のまだ斜なる (一四八頁)
飛ぶとしてしきり羽たたく雀の子声立てて還る若葉の揺れに (四五頁)
噴井べのあやめの下のこぼれ水雀飲み居りかがやく水を (五九頁)
とりどりに木の上にあそぶ雀子の思ひなげなる声の羨しさ (八三頁)
涼し涼し妻が盛りたる摺鉢の夏菊のなかに雀飛び入る (八六頁)
風向に見えて羽ばたく稲雀さやぐ穂づらに分き吹かれつつ (一〇八頁)
ちりぢりに雀吹かるる垂穂波風は入日の照り吹きあほる (一〇八頁)
秋ふかむ夕日明りや枯小竹に雀羽ばたくこの閑けさを (一一〇頁)
枝にゐて一羽はのぞく庭の霜雀つらつら竝みふくれつつ (一二〇頁)
刈小田に落穂よろこぶむら雀うしろ向けるが尾振りせはしも (一二七頁)
むら雀しきり飛び立つ日の寒さほづえには赤き守柿ひとつ (一三一頁)
古池に破れて影さす葭簀垣今朝も寒そな雀が一羽 (一三一頁)
池のべに枯れて声せぬ河柳ちらとうごかす雀がしろく (一三二頁)
むきむきに雀すぼまる木の梢は夕づき早し陽のかげりつつ (一三四頁)
一羽出ていつかちらばるむら雀野路も寒みか尾にうごきつつ (一三九頁)
護謨の木の畑の苗木の重き葉の大きなる葉の照りひびくなり (一五九頁)
註、五句、「花樫」にては原作の「ふとひびらぎぬ」に還す。
肉厚く重き護謨の葉照り久しおのづからふかき息たてにける (一五九頁)
日は暑し夏の野椰子の葉ずれより木高きものはあらじとぞ思ふ (一五八頁)
うつし世のちよろづごとの誓言もむなしかりけりわかれ去らしむ (一七三頁)
わが妻が別れに置きし一言は真実なりけりよく聴きにけり (一七三頁)
これの世に家はなしとふ女子を突き放ちたりまた見ざる外に (一七三頁)
ほとほとに戸を去りあへず泣きにけり早や去りにけり日の暮れにけり (一七四頁)
眺むれば満月光に飛ぶ鴉一羽二羽三羽四羽五羽六羽 (一八五頁)
註、この五句は、以前の「地上巡礼」所載の原作に還したものである。
鴉飛びて朱の満月過ぎにけり鮮かに見えつ太き嘴 (一八五頁)
註、但、後の改造文庫「花樫」再版にて、この三句は原作の「過ぎるとき」に還した。
円かなる月の光のいはれなくふと暗がりて来る夜ふけあり (一八九頁)
月の夜の白き天霧もくもくと流れて尽きず夜灯の上 (一八九頁)
真夏日の光はげしく闌けにけり耳に入り来る発電機の音 (一九二頁)
ひと色に黒くにじめる冬の山雨過ぎぬらし竹のみな靡く (墨画を見て) (二〇五頁)
註、訂正前の原歌に還したのである。本は墨画を見ての作であつた。
冬の光しんかんたるに真竹原閻魔大王の咳とほる (二〇七頁)
三縁山増上寺の朱の山門にふる時雨日がな日ぐらしふりにけるかも (二一三頁)
常青き堅木常盤木その葉落ちずいよいよ経れば霜下りにけり (二一五頁)
吹雪やみて月夜明りとなりにけりおほに湧き起る牛の遠吼 (二二一頁)
硝子戸をさやに拭きこむこの朝明隣の雪が眼の傍に見ゆ (二二八頁)
雪煙ちらし蹴合へる組み雀ぱぱと立ちたり庇まで来て (二二九頁)
ほのかなる降りなりしかど椎の葉に一夜積みたる雪のうれしさ (二二九頁)
嘴ほそき鶴の一羽は見上げたり雪の気霧らふ空の暗みを (二三六頁)
おのづから睡眠さめ来るたまゆらはまだほのぼのし童ごころ (二九〇頁)
日に常に食べ馴れつつ米の飯やうましとも思はね我も飽かぬかも (二五三頁)
とり立てて味は香はなし米の飯ただ噛みしめていよよ知るべし (二五四頁)
人皆の眼おどろき見てを居り人のひとりの描く花蓮 (二五六頁)
ははそはのこれや我が母我がどちのこのよき母も老いましにけり (二六五頁)
葱のぬた食しつつふともこの葱は硬き葱ぞと父の宣らしつ (二七〇頁)
母の深き吐息きくとき子の我や母のこころにひたと触りたり (二七〇頁)
竹河岸の竹の櫓の春寒し細かに見ればその尖の揺れて (二八八頁)
ひしひしと繁み立てたれ竹の尖は突きぬけて寒し竝倉の上に (二八九頁)
吹雪やみて月夜明りとなりにけりおほに湧き起る牛の太吼 (二二一頁)
いまだ起きて火だね守りゐたりさらさらとあたりの沈黙に雪のさやる音 (二二四頁)
石臼と杵と真白き路次の奥あなさやけ今朝は一面の雪 (二三〇頁)
ふかぶかと雪盛りうづむ石の臼杵の柄も外に出てましろなり (二三〇頁)
短日の光つめたき小竹の葉に雨さゐさゐと降りて来にけり (二〇八頁)
横しぐれ濡羽はららに寒竹の枝をたわめて飛ぶ雀かも (二〇九頁)
白木蓮の花の木の間を飛ぶ雀遠くは行かね声のさびしさ (二八六頁)
鴉のこゑ遠退きゆけば雀のこゑ連れつつ明る雨霧の中 (二一三頁)
鐘鳴りて早やも子供の声すなりほのぼのしかも春の寝醒は (二九〇頁)
朝めざめ朱墨つきたる掌などしみじみと見つつ起きむともせず (二九〇頁)
酒のまぬ人は窓から顔出してひめもす四方の雲眺めます (二四四頁)
目を掻けば思ひかけずも火のごとき忘られしもののしたたりにけり (二四七頁)
ははそはのこれや我が母我がどちのこのよき母も老いましにけり (二六五頁)
咽喉ぼとけ母に剃らせてうつうつと眠りましたり父は口あけて (二六七頁)
垂乳根の深き溜息今もなほ耳にこもれり外をいそげども (二七一頁)
もの言はば涙ながれむこの父になにかあらがはむ父の子なるを (二七二頁)
母と来て遊ぶ子供をながめゐつ此方ながめつ遊ぶ子供も (二七五頁)
急に涙が流れ落ちたり母上に裾からそつと蒲団をたたかれて (二七七頁)
右に就き附言したいことは、『花樫』は昭和三年十月改造社より刊行され、現代短歌全集『北原白秋集』は同四年九月同社より上梓された。で前ので訂正された歌は後のもさうなつてゐる。又、『花樫』は同五年に改造文庫の一冊として再版された。その時、初版に一二訂正を加へたのがある。
『花樫』及び現代短歌全集『北原白秋集』編纂の際に、訂正作の外にそれぞれ往年の作から拾ひあげたのと、興を得て新作追補したのが少しばかりあり、『白秋全集』Ⅵ歌集二にも収めた。で、こゝに摘録して置く。
雨の日のつめたき縁にほの光る蛍の骸はつまみ棄てたり (現、新作)
日のうちも寒き雀が枝にゐて膨れきらねば真顔かなしも (現、拾遺)
山かげの真間の庵の白つつじにほへる妹と夜楽しめり (花、新)
木の芽だつ楉ゆりつつ鳴く声はまだいはけなき夏の百舌かも (花、拾遺)
むらさきのあやめ積藁むらすずめ農家の庭の麦扱きの音 (現、拾遺)
しきりなく寒けくあらし日向辺をすがふ雀の羽の音きけば (新)
註、全集Ⅵに、四句「すがふ子雀の」とあるは誤植。
ほとほとに障子ゆるがす羽音風雀なりけりかたぶき聴けば (新)
ひむがしに夕虹たちぬさやさやし笠ふり向けよ早少女がとも (新)
風高き椰子の葉末の月夜雲消なば消ぬべし帰るすべなし (花、新)
この夜ごろ物の音冴えぬ巷辺の夜霜の凝りか置き深むらし (花、新)
へうとして何か夜に呼ぶ声すなり巷の吹雪闌けまさるらし (現、新)
夕しぐれ間なくふりつぐ小竹の枝に雀は久しすくみゐにけり (訂正、拾遺)
酒のます人はゆららに丸木橋わたりてゆかす瓢かつぎて (拾遺)
根府川の石のすがたぞおもしろき常なかりてふ沙羅の盛りを (新)
揺れやすき母の寝息の耳につきて背ひには向けど愛し我が母よ (拾遺)
愛しけく親と子とゐて執る箸の朝の餉にすら笑ふすべなし (拾遺)
垂乳根と詣でて見れば麻布やま子供あそべり日のあたりよみ (新)
母と来て遊ぶ子供をながめゐつ此方ながめつ遊ぶ子供も (新)
ひつたりと父のころもは身につきぬ常あらめやも父のかをりの (新)
父恋し母恋してふ子の雉子は赤と青とに染められにけり (新)
『白秋全集Ⅵ歌集第二』に於ては、更に補遺篇の中に「雀の卵時代」一章がある。当時の作で、『雀の卵』に洩れた作品を収録した。内訳をすれば
葛飾閑吟集 六十三首
但、内一首、「紫のあやめ積藁」の歌、『北原白秋集』と重複。
輪廻三鈔 四十二首
但、「眺むれば満月光に」の原作介入、重複。
雀の卵 百六十三首
総計二百六十八首である。で、二首差引き二百六十六首の補遺となる。諸雑誌及び「印度更紗」第一輯「真珠抄」に載つた作品である。
この内には、集の中の歌の原作であつたものが僅かながら入り交つてゐる。なほ、再査すれば捨てるでもなかつたと思へるものもいくらかは見当る。尤も大方はうち捨ててもよろしい。
しかし、之等は此の文庫版には収録を憚つた。参照したい方は全集に就いて鑑賞してほしい。
いづれ、之等は、決定版刊行の節に処理するつもりである。
底本:「白秋全集 7」岩波書店
1985(昭和60)年3月5日発行
底本の親本:「雀の卵」白秋文庫、アルス
1937(昭和12)年8月18日刊行
入力:岡村和彦
校正:フクポー
2017年6月25日作成
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