お伽草紙
太宰治
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「あ、鳴つた。」
と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾をかぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を脊負つて壕の奧にうずくまつてゐる。
「近いやうだね。」
「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」
「さうかね。」と父は不滿さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危險がある。」
「でも、もすこし廣くしてもいいでせう。」
「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐるから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます。
母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段は繪本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に讀んで聞かせる。
この父は服裝もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元來ただものでないのである。物語を創作するといふまことに奇異なる術を體得してゐる男なのだ。
ムカシ ムカシノオ話ヨ
などと、間の拔けたやうな妙な聲で繪本を讀んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が醞釀せられてゐるのである。
ムカシ ムカシノオ話ヨ
ミギノ ホホニ ジヤマツケナ
コブヲ モツテル オヂイサン
このお爺さんは、四國の阿波、劍山のふもとに住んでゐたのである。といふやうな氣がするだけの事で、別に典據があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から發してゐるものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事實がちやんと記載せられているし、また萬葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙傳などといふものに依つても、それらしいものが傳へられてゐるやうだし、また、つい最近に於いては鴎外の戲曲があるし、逍遙などもこの物語を舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能樂、歌舞伎、藝者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、讀んだ本をすぐ人にやつたり、また賣り拂つたりする癖があるので、藏書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし讀んだ筈の本を搜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一册の繪本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考證はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出來上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、
と壕の片隅に於いて、繪本を讀みながら、その繪本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。
このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飮みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤獨なものである。孤獨だから酒を飮むのか、酒を飮むから家の者たちにきらはれて自然に孤獨の形になるのか、それはおそらく、兩の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顏をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に惡い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである。若い時から無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。
「もう、春だねえ。櫻が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、
「さうですか。」と興の無いやうな返辭をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しますから。」と言ふ。
お爺さんは浮かぬ顏になる。
また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飮まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ默々と野良仕事、近所近邊の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず髯を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、實に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。
けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ氣持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飮まざるを得ないやうな氣持になるのである。しかし、うちで飮んでは、いつそう浮かぬ氣持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飮んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、默つてごはんを食べてゐる。
「時に、なんだね、」とお爺さんは少し醉つて來ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も來た。」
言はなくたつていい事である。
お婆さんも息子も、默つてゐる。
「春宵一刻、價千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。
「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一禮して立つ。
「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。
うちでお酒を飮むと、たいていそんな工合ひである。
アルヒ アサカラ ヨイテンキ
ヤマヘ ユキマス シバカリニ
このお爺さんの樂しみは、お天氣のよい日、腰に一瓢をさげて、劍山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、
「よい眺めぢやなう。」
と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飮む。實に、樂しさうな顏をしてゐる。うちにゐる時とは別人の觀がある。ただ變らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、
「こりや、いい孫が出來た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、
「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覺めた事を言ひ、また、お婆さんも、
「いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に對して何の關心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出來たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本當に、自分の可愛い孫のやうに思ひ、自分の孤獨を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顏を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのである。けふのやうに、山でひとりで、お酒を飮んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飮みながら、頬の瘤を撫で、
「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく醉ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの惡口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである。
ニハカニ クラク ナリマシタ
カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
アメモ ザアザア フリマシタ
春の夕立ちは、珍しい。しかし、劍山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異變も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、
「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも惡くないわい。」
と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、
「こりや、どうも。ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を脊負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獸で大混雜である。
「はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」
とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奧に進み、山櫻の大木の根もとが廣い虚になつてゐるのに潛り込んで、
「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寢てしまつた。酒飮みといふものは醉つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである。
ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ
ツカレガ デタカ オヂイサン
イツカ グツスリ ネムリマス
オヤマハ ハレテ クモモナク
アカルイ ツキヨニ ナリマシタ
この月は、春の下弦の月である。淺みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚から飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、
「これは、いけない。」
と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顏と、おごそかな聖人の顏で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく歸つたのでは、どうも氣まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。
「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飮みほして、ほろりと醉ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、──」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚から這ひ出ると、
オヤ ナンデセウ サワグコヱ
ミレバ フシギダ ユメデシヨカ
といふ事になるのである。
見よ。林の奧の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議の光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いからである。幼少の頃から、その繪姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて來たが、その實物に面接するの光榮には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。殺人鬼、吸血鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜惡の性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇の鬼才何某先生の傑作、などといふ文句が新聞の新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜惡の才能を持つてゐるといふ事實を暴露し、以て世人に警告を發するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉を使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文學の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失禮千萬の醜惡な綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の稱號を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鐵の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの藝術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。鬼才だの、文學の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狹いゆゑであつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辭典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博學の士に一變して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顏をして、鬼に就いて縷々千萬言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供の繪本が一册ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの繪本の繪に依つて、論斷せざるを得ないのである。
見よ。林の奧の、やや廣い草原に、異形の物が十數人、と言ふのか、十數匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、圓陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである。
お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飮みといふものは、お酒を飮んでゐない時には意氣地が無くてからきし駄目でも、醉つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ醉ひである。かの嚴肅なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異樣の風景に接して、腰を拔かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚から出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、
「氣持よささうに、醉つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奧底から、妙なよろこばしさが湧いて出て來た。お酒飮みといふものは、よそのものたちが醉つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覺えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり、隣家の仕合せに對して乾盃を擧げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も醉ひたいが、隣人もまた、共に樂しく醉つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物ともつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覺してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく醉つてゐる。お爺さんも醉つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異樣の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、殺人鬼、吸血鬼などの如く、佞惡の性質を有してゐる種族のものでは無く、顏こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽氣で無邪氣な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、劍山の隱者とでも稱すべき頗る温和な性格の鬼なのである。地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鐵棒などといふ物騷なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない證據と言つてよい。しかし、隱者とは言つても、かの竹林の賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この劍山の隱者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐるから、何でもかまはぬ、山の奧に住んでゐる人を仙人と稱してよろしいといふ、ひどく簡明の學説を聞いた事があるけれども、かりにその學説に從ふなら、この劍山の隱者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊稱を贈呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隱者または仙人と呼稱するはうが妥當のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有樣を見るに、ただ意味も無く奇聲を發し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして圓陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、藝の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文學の鬼とかいふ言葉は、まるで無意味なものだといふことを證明できるやうに思はれる。こんな愚かな藝無しどもが、もろもろの藝術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、
「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく。
ヲドリノ スキナ オヂイサン
スグニ トビダシ ヲドツタラ
コブガ フラフラ ユレルノデ
トテモ ヲカシイ オモシロイ
お爺さんには、ほろ醉ひの勇氣がある。なほその上、鬼どもに對し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、圓陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、
むすめ島田で年寄りやかつらぢや
赤い襷に迷ふも無理やない
嫁も笠きて行かぬか來い來い
とかいふ阿波の俗謠をいい聲で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な聲を發し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乘つて、
大谷通れば石ばかり
笹山通れば笹ばかり
とさらに一段と聲をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ輕妙に踊り拔く。
オニドモ タイソウ ヨロコンデ
ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ
ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ
ソノ ヤクソクノ オシルシニ
ダイジナ モノヲ アヅカラウ
と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小聲で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ寶物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて來るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奧に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覺え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。
お爺さんは驚き、
「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歡聲を擧げる。
アサデス ツユノ ヒカルミチ
コブヲ トラレタ オヂイサン
ツマラナサウニ ホホヲ ナデ
オヤマヲ オリテ ユキマシタ
瘤は孤獨のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、輕くなつた頬が朝風に撫でられるのも、惡い氣持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて來たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。
「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて莊重に朝の挨拶をする。
「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失してゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、氣附かぬ振りして默つて別れたのである。
家に歸るとお婆さんは、
「お歸りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。
「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出來事を知らせてやりたくて仕樣が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に壓倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。
「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。
「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。
「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。
「うむ。」
「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」
「さうだらう。」
結局、このお爺さんの一家に於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本當に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて來た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋沒させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇觀を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。體躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服裝だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら學問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飮みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるとかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊稱を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として樂しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに美人でもないが色白くぽつちやりして、少し蓮葉なくらゐいつも陽氣に笑つてはしやいでゐる。十二、三の娘がひとりあつて、これはなかなかの美少女であるが、性質はいくらか生意氣の傾向がある。でも、この母と娘は氣が合つて、いつも何かと笑ひ騷ぎ、そのために、この家庭は、お旦那の苦蟲を噛みつぶしたやうな表情にもかかはらず、まづ明るい印象を人に與へる。
「お母さん。お父さんの瘤は、どうしてそんなに赤いのかしら。蛸の頭みたいね。」と生意氣な娘は、無遠慮に率直な感想を述べる。母は叱りもせず、ほほほと笑ひ、
「さうね。でも、木魚を頬ぺたに吊してゐるやうにも見えるわね。」
「うるさい!」と旦那は怒り、ぎよろりと妻子を睨んですつくと立ち上り、奧の薄暗い部屋に退却して、そつと鏡を覗き、がつかりして、
「これは、駄目だ。」と呟く。
いつそもう、小刀で切つて落さうか、死んだつていい、とまで思ひつめた時に、近所のあの酒飮みのお爺さんの瘤が、このごろふつと無くなつたといふ噂を小耳にはさむ。暮夜ひそかに、お旦那は、酒飮み爺さんの草屋を訪れ、さうしてあの、月下の不思議な宴の話を明かしてもらつた。
キイテ タイソウ ヨロコンデ
「ヨシヨシ ワタシモ コノコブヲ
ゼヒトモ トツテ モラヒマセウ」
と勇み立つ。さいはひその夜も月が出てゐた。お旦那は、出陣の武士の如く、眼光炯々、口をへの字型にぎゆつと引き結び、いかにしても今宵は、天晴れの舞ひを一さし舞ひ、その鬼どもを感服せしめ、もし萬一、感服せずば、この鐵扇にて皆殺しにしてやらう、たかが酒くらひの愚かな鬼ども、何程の事があらうや、と鬼に踊りを見せに行くのだか、鬼退治に行くのだか、何が何やら、ひどい意氣込みで鐵扇右手に、肩いからして劍山の奧深く踏み入る。このやうに、所謂「傑作意識」にこりかたまつた人の行ふ藝事は、とかくまづく出來上るものである。このお爺さんの踊りも、あまりにどうも意氣込みがひどすぎて、遂に完全の失敗に終つた。お爺さんは、鬼どもの酒宴の圓陣のまんなかに恭々肅々と歩を運び、
「ふつつかながら。」と會釋し、鐵扇はらりと開き、屹つと月を見上げて、大樹の如く凝然と動かず。しばらく經つて、とんと輕く足踏みして、おもむろに呻き出すは、
「是は阿波の鳴門に一夏を送る僧にて候。さても此浦は平家の一門果て給ひたる所なれば痛はしく存じ、毎夜此磯邊に出でて御經を讀み奉り候。磯山に、暫し岩根のまつ程に、暫し岩根のまつ程に、誰が夜舟とは白波に、楫音ばかり鳴門の、浦靜かなる今宵かな、浦靜かなる今宵かな。きのふ過ぎ、けふと暮れ、明日またかくこそ有るべけれ。」そろりとわづかに動いて、またも屹つと月を見上げて端凝たり。
オニドモ ヘイコウ
ジユンジユンニ タツテ ニゲマス
ヤマオクヘ
「待つて下さい!」とお旦那は悲痛の聲を擧げて鬼の後を追ひ、「いま逃げられては、たまりません。」
「逃げろ、逃げろ。鍾馗かも知れねえ。」
「いいえ、鍾馗ではございません。」とお旦那も、ここは必死で追ひすがり、「お願ひがございます。この瘤を、どうか、どうかとつて下さいまし。」
「何、瘤?」鬼はうろたへてゐるので聞き違ひ、「なんだ、さうか。あれは、こなひだの爺さんからあづかつてゐる大事の品だが、しかし、お前さんがそんなに欲しいならやつてもいい。とにかく、あの踊りは勘辨してくれ。せつかくの醉ひが醒める。たのむ。放してくれ。これからまた、別なところへ行つて飮み直さなくちやいけねえ。たのむ。たのむから放せ。おい、誰か、この變な人に、こなひだの瘤をかへしてやつてくれ。欲しいんださうだ。」
オニハ コナヒダ アヅカツタ
コブヲ ツケマス ミギノ ホホ
オヤオヤ トウトウ コブ フタツ
ブランブラント オモタイナ
ハヅカシサウニ オヂイサン
ムラヘ カヘツテ ユキマシタ
實に、氣の毒な結果になつたものだ。お伽噺に於いては、たいてい、惡い事をした人が惡い報いを受けるといふ結末になるものだが、しかし、このお爺さんは別に惡事を働いたといふわけではない。緊張のあまり、踊りがへんてこな形になつたといふだけの事ではないか。それかと言つて、このお爺さんの家庭にも、これといふ惡人はゐなかつた。また、あのお酒飮みのお爺さんも、また、その家族も、または、劍山に住む鬼どもだつて、少しも惡い事はしてゐない。つまり、この物語には所謂「不正」の事件は、一つも無かつたのに、それでも不幸な人が出てしまつたのである。それゆゑ、この瘤取り物語から、日常倫理の教訓を抽出しようとすると、たいへんややこしい事になつて來るのである。それでは一體、何のつもりでお前はこの物語を書いたのだ、と短氣な讀者が、もし私に詰寄つて質問したなら、私はそれに對してかうでも答へて置くより他はなからう。
性格の悲喜劇といふものです。人間生活の底には、いつも、この問題が流れてゐます。
浦島太郎といふ人は、丹後の水江とかいふところに實在してゐたやうである。丹後といへば、いまの京都府の北部である。あの北海岸の某寒村に、いまもなほ、太郎をまつつた神社があるとかいふ話を聞いた事がある。私はその邊に行つてみた事が無いけれども、人の話に依ると、何だかひどく荒涼たる海濱らしい。そこにわが浦島太郎が住んでゐた。もちろん、ひとり暮しをしてゐたわけではない。父も母もある。弟も妹もある。また、おほぜいの召使ひもゐる。つまり、この海岸で有名な、舊家の長男であつたわけである。舊家の長男といふものには、昔も今も一貫した或る特徴があるやうだ。趣味性、すなはち、之である。善く言へば、風流。惡く言へば、道樂。しかし、道樂とは言つても、女狂ひや酒びたりの所謂、放蕩とは大いに趣きを異にしてゐる。下品にがぶがぶ大酒を飮んで素性の惡い女にひつかかり、親兄弟の顏に泥を塗るといふやうな荒んだ放蕩者は、次男、三男に多く見掛けられるやうである。長男にはそんな野蠻性が無い。先祖傳來の所謂恆産があるものだから、おのづから恆心も生じて、なかなか禮儀正しいものである。つまり、長男の道樂は、次男三男の酒亂の如くムキなものではなく、ほんの片手間の遊びである。さうして、その遊びに依つて、舊家の長男にふさはしいゆかしさを人に認めてもらひ、みづからもその生活の品位にうつとりする事が出來たら、それでもうすべて滿足なのである。
「兄さんには冐險心が無いから、駄目ね。」とことし十六のお轉婆の妹が言ふ。「ケチだわ。」
「いや、さうぢやない。」と十八の亂暴者の弟が反對して、「男振りがよすぎるんだよ。」
この弟は、色が黒くて、ぶをとこである。
浦島太郎は、弟妹たちのそんな無遠慮な批評を聞いても、別に怒りもせず、ただ苦笑して、
「好奇心を爆發させるのも冐險、また、好奇心を抑制するのも、やつぱり冐險、どちらも危險さ。人には、宿命といふものがあるんだよ。」と何の事やら、わけのわからんやうな事を悟り澄ましたみたいな口調で言ひ、兩腕をうしろに組み、ひとり家を出て、あちらこちら海岸を逍遙し、
苅薦の
亂れ出づ
見ゆ
海人の釣船
などと、れいの風流めいた詩句の斷片を口ずさみ、
「人は、なぜお互ひ批評し合はなければ、生きて行けないのだらう。」といふ素朴の疑問に就いて鷹揚に首を振つて考へ、「砂濱の萩の花も、這ひ寄る小蟹も、入江に休む鴈も、何もこの私を批評しない。人間も、須くかくあるべきだ。人おのおの、生きる流儀を持つてゐる。その流儀を、お互ひ尊敬し合つて行く事が出來ぬものか。誰にも迷惑をかけないやうに努めて上品な暮しをしてゐるのに、それでも人は、何のかのと言ふ。うるさいものだ。」と幽かな溜息をつく。
「もし、もし、浦島さん。」とその時、足許で小さい聲。
これが、れいの問題の龜である。別段、物識り振るわけではないが、龜にもいろいろの種類がある。淡水に住むものと、鹹水に住むものとは、おのづからその形状も異つてゐるやうだ。辨天樣の池畔などで、ぐつたり寢そべつて甲羅を干してゐるのは、あれは、いしがめとでもいふのであらうか、繪本には時々、浦島さんが、あの石龜の脊に乘つて小手をかざし、はるか龍宮を眺めてゐる繪があるやうだが、あんな龜は、海へ這入つたとたんに鹹水にむせて頓死するだらう。しかし、お祝言の時などの島臺の、れいの蓬莱山、尉姥の身邊に鶴と一緒に侍つて、鶴は千年、龜は萬年とか言はれて目出度がられてゐるのは、どうやらこの石龜のやうで、すつぽん、たいまいなどのゐる島臺はあまり見かけられない。それゆゑ、繪本の畫伯もつい、(蓬莱も龍宮も、同じ樣な場所なんだから)浦島さんの案内役も、この石龜に違ひないと思ひ込むのも無理のない事である。しかしどうも、あの爪の生えたぶざいくな手で水を掻き、海底深くもぐつて行くのは、不自然のやうに思はれる。ここはどうしても、たいまいの手のやうな廣い鰭状の手で悠々と水を掻きわけてもらはなくてはならぬところだ。しかしまた、いや決して物識り振るわけではないが、ここにもう一つ困つた問題がある。たいまいの産地は、本邦では、小笠原、琉球、臺灣などの南の諸地方だといふ話を聞いてゐる。丹後の北海岸、すなはち日本海のあの邊の濱には、たいまいは、遺憾ながら這ひ上つて來さうも無い。それでは、いつそ浦島さんを小笠原か、琉球のひとにしようかとも思つたが、しかし、浦島さんは昔から丹後の水江の人ときまつてゐるらしく、その上、丹後の北海岸には浦島神社が現存してゐるやうだから、いかにお伽噺は繪空事ときまつてゐるとは言へ、日本の歴史を尊重するといふ理由からでも、そんなあまりの輕々しい出鱈目は許されない。どうしても、これは、小笠原か琉球のたいまいに、日本海までおいでになつてもらはなければならぬ。しかしまた、それは困る、と生物學者のはうから抗議が出て、とかく文學者といふものには科學精神が缺如してゐる、などと輕蔑せられるのも不本意である。そこで、私は考へた。たいまいの他に、掌の鰭状を爲してゐる鹹水産の龜は、無いものか。赤海龜、とかいふものが無かつたか。十年ほど前、(私も、としをとつたものだ)沼津の海濱の宿で一夏を送つた事があつたけれども、あの時、あの濱に、甲羅の直徑五尺ちかい海龜があがつたといつて、漁師たちが騷いで、私もたしかにこの眼で見た。赤海龜、といふ名前だつたと記憶する。あれだ。あれにしよう。沼津の濱にあがつたのならば、まあ、ぐるりと日本海のはうにまはつて、丹後の濱においでになつてもらつても、そんなに生物學界の大騷ぎにはなるまいだらうと思はれる。それでも潮流がどうのかうのとか言つて騷ぐのだつたら、もう、私は知らぬ。その、おいでになるわけのない場所に出現したのが、不思議さ、ただの海龜ではあるまい、と言つて澄ます事にしよう。科學精神とかいふものも、あんまり、あてになるものぢやないんだ。定理、公理も假説ぢやないか。威張つちやいけねえ。ところで、その赤海龜は、(赤海龜といふ名は、ながつたらしくて舌にもつれるから、以下、單に龜と呼稱する)頸を伸ばして浦島さんを見上げ、
「もし、もし。」と呼び、「無理もねえよ。わかるさ。」と言つた。浦島は驚き、
「なんだ、お前。こなひだ助けてやつた龜ではないか。まだ、こんなところに、うろついてゐたのか。」
これがつまり、子供のなぶる龜を見て、浦島さんは可哀想にと言つて買ひとり海へ放してやつたといふ、あの龜なのである。
「うろついてゐたのか、とは情無い。恨むぜ、若旦那。私は、かう見えても、あなたに御恩がへしをしたくて、あれから毎日毎晩、この濱へ來て若旦那のおいでを待つてゐたのだ。」
「それは、淺慮といふものだ。或いは、無謀とも言へるかも知れない。また子供たちに見つかつたら、どうする。こんどは、生きては歸られまい。」
「氣取つてゐやがる。また捕まへられたら、また若旦那に買つてもらふつもりさ。淺慮で惡うござんしたね。私は、どうしたつて若旦那に、もう一度お目にかかりたかつたんだから仕樣がねえ。この仕樣がねえ、といふところが惚れた弱味よ。心意氣を買つてくんな。」
浦島は苦笑して、
「身勝手な奴だ。」と呟く。龜は聞きとがめて、
「なあんだ、若旦那。自家撞着してゐますぜ。さつきご自分で批評がきらひだなんておつしやつてた癖に、ご自分では、私の事を淺慮だの無謀だの、こんどは身勝手だの、さかんに批評してやがるぢやないか。若旦那こそ身勝手だ。私には私の生きる流儀があるんですからね。ちつとは、みとめて下さいよ。」と見事に逆襲した。
浦島は赤面し、
「私のは批評ではない、これは、訓戒といふものだ。諷諫、といつてもよからう。諷諫、耳に逆ふもその行を利す、といふわけのものだ。」ともつともらしい事を言つてごまかした。
「氣取らなけれあ、いい人なんだが。」と龜は小聲で言ひ、「いや、もう私は、何も言はん。私のこの甲羅の上に腰かけて下さい。」
浦島は呆れ、
「お前は、まあ、何を言ひ出すのです。私はそんな野蠻な事はきらひです。龜の甲羅に腰かけるなどは、それは狂態と言つてよからう。決して風流の仕草ではない。」
「どうだつていいぢやないか、そんな事は。こつちは、先日のお禮として、これから龍宮城へ御案内しようとしてゐるだけだ。さあ早く私の甲羅に乘つて下さい。」
「何、龍宮?」と言つて噴き出し、「おふざけでない。お前はお酒でも飮んで醉つてゐるのだらう。とんでもない事を言ひ出す。龍宮といふのは昔から、歌に詠まれ、また神仙譚として傳へられてゐますが、あれはこの世には無いもの、ね、わかりますか? あれは、古來、私たち風流人の美しい夢、あこがれ、と言つてもいいでせう。」上品すぎて、少しきざな口調になつた。
こんどは龜のはうで噴き出して、
「たまらねえ。風流の講釋は、あとでゆつくり伺ひますから、まあ、私の言ふ事を信じてとにかく私の甲羅に乘つて下さい。あなたはどうも冐險の味を知らないからいけない。」
「おや、お前もやつぱり、うちの妹と同じ樣な失禮な事を言ふね。いかにも私は、冐險といふものはあまり好きでない。たとへば、あれは、曲藝のやうなものだ。派手なやうでも、やはり下品だ。邪道、と言つていいかも知れない。宿命に對する諦觀が無い。傳統に就いての教養が無い。めくら蛇におぢず、とでもいふやうな形だ。私ども正統の風流の士のいたく顰蹙するところのものだ。輕蔑してゐる、と言つていいかも知れない。私は先人のおだやかな道を、まつすぐに歩いて行きたい。」
「ぷ!」と龜はまた噴き出し、「その先人の道こそ、冐險の道ぢやありませんか。いや、冐險なんて下手な言葉を使ふから何か血なまぐさくて不衞生な無頼漢みたいな感じがして來るけれども、信じる力とでも言ひ直したらどうでせう。あの谷の向う側にたしかに美しい花が咲いてゐると信じ得た人だけが、何の躊躇もなく藤蔓にすがつて向う側に渡つて行きます。それを人は曲藝かと思つて、或ひは喝采し、或ひは何の人氣取りめがと顰蹙します。しかし、それは絶對に曲藝師の綱渡りとは違つてゐるのです。藤蔓にすがつて谷を渡つてゐる人は、ただ向う側の花を見たいだけなのです。自分がいま冐險をしてゐるなんて、そんな卑俗な見榮みたいなものは持つてやしないんです。なんの冐險が自慢になるものですか。ばかばかしい。信じてゐるのです。花のある事を信じ切つてゐるのです。そんな姿を、まあ、假に冐險と呼んでゐるだけです。あなたに冐險心が無いといふのは、あなたには信じる能力が無いといふ事です。信じる事は、下品ですか。信じる事は、邪道ですか。どうも、あなたがた紳士は、信じない事を誇りにして生きてゐるのだから、しまつが惡いや。それはね、頭のよさぢやないんですよ。もつと卑しいものなのですよ。吝嗇といふものです。損をしたくないといふ事ばかり考へてゐる證據ですよ。御安心なさい。誰も、あなたに、ものをねだりやしませんよ。人の深切をさへ、あなたたちは素直に受取る事を知らないんだからなあ。あとのお返しが大變だ、なんてね。いや、どうも、風流の士なんてのは、ケチなもんだ。」
「ひどい事を言ふ。妹や弟にさんざん言はれて、濱へ出ると、こんどは助けてやつた龜にまで同じ樣な失敬な批評を加へられる。どうも、われとわが身に傳統の誇りを自覺してゐない奴は、好き勝手な事を言ふものだ。一種のヤケと言つてよからう。私には何でもよくわかつてゐるのだ。私の口から言ふべき事では無いが、お前たちの宿命と私の宿命には、たいへんな階級の差がある。生れた時から、もう違つてゐるのだ。私のせゐではない。それは天から與へられたものだ。しかし、お前たちには、それがよつぽど口惜しいらしい。何のかのと言つて、私の宿命をお前たちの宿命にまで引下げようとしてゐるが、しかし、天の配劑、人事の及ばざるところさ。お前は私を龍宮へ連れて行くなどと大法螺を吹いて、私と對等の附合ひをしようとたくらんでゐるらしいが、もういい、私には何もかもよくわかつてゐるのだから、あまり惡あがきしないでさつさと海の底のお前の住居へ歸れ。なんだ、せつかく私が助けてやつたのに、また子供たちに捕まつたら何にもならぬ。お前たちこそ、人の深切を素直に受け取る法を知らぬ。」
「えへへ、」と龜は不敵に笑ひ、「せつかく助けてやつたは恐れいる。紳士は、これだから、いやさ。自分がひとに深切を施すのは、たいへんの美徳で、さうして内心いささか報恩などを期待してゐるくせに、ひとの深切には、いやもうひどい警戒で、あいつと對等の附合ひになつてはかなはぬなどと考へてゐるんだから、げつそりしますよ。それぢや私だつて言ひますが、あなたが私を助けてくれたのは、私が龜で、さうして、いぢめてゐる相手は子供だつたからでせう。龜と子供ぢやあ、その間にはひつて仲裁しても、あとくされがありませんからね。それに、子供たちには、五文のお金でも大金ですからね。しかし、まあ、五文とは値切つたものだ。私は、も少し出すかと思つた。あなたのケチには、呆れましたよ。私のからだの値段が、たつた五文かと思つたら、私は情け無かつたね。それにしてもあの時、相手が龜と子供だつたから、あなたは五文でも出して仲裁したんだ。まあ、氣まぐれだね。しかし、あの時の相手が龜と子供でなく、まあ、たとへば荒くれた漁師が病氣の乞食をいぢめてゐたのだつたら、あなたは五文はおろか、一文だつて出さず、いや、ただ顏をしかめて急ぎ足で通り過ぎたに違ひないんだ。あなたたちは、人生の切實の姿を見せつけられるのを、とても、いやがるからね。それこそ御自身の高級な宿命に、糞尿を浴びせられたやうな氣がするらしい。あなたたちの深切は、遊びだ。享樂だ。龜だから助けたんだ。子供だからお金をやつたんだ。荒くれた漁師と病氣の乞食の場合は、まつぴらなんだ。實生活の生臭い風にお顏を撫でられるのが、とてもとても、いやなんだ。お手を、よごすのがいやなのさ。なんてね、こんなのを、聞いたふうの事、と言ふんですよ、浦島さん。あなたは怒りやしませんね。だつて、私はあなたを好きなんだもの。いや、怒るかな? あなたのやうに上流の宿命を持つてゐるお方たちは、私たち下賤のものに好かれる事をさへ不名譽だと思つてゐるらしいのだから始末がわるい。殊に私は龜なんだからな。龜に好かれたんぢやあ氣味がわるいか、しかし、まあ勘辨して下さいよ、好き嫌ひは理窟ぢや無いんだ。あなたに助けられたから好きといふわけでも無いし、あなたが風流人だから好きといふのでも無い。ただ、ふつと好きなんだ。好きだから、あなたの惡口を言つて、あなたをからかつてみたくなるんだ。これがつまり私たち爬蟲類の愛情の表現の仕方なのさ。どうもね、爬蟲類だからね、蛇の親類なんだからね、信用のないのも無理がねえよ。しかし私は、エデンの園の蛇ぢやない、はばかりながら日本の龜だ。あなたに龍宮行きをそそのかして墮落させようなんて、たくらんでゐるんぢやねえのだ。心意氣を買つてくんな。私はただ、あなたと一緒に遊びたいのだ。龍宮へ行つて遊びたいのだ。あの國には、うるさい批評なんか無いのだ。みんな、のんびり暮してゐるよ。だから、遊ぶにはもつて來いのところなんだ。私は陸にもかうして上つて來れるし、また海の底へも、もぐつて行けるから、兩方の暮しを比較して眺める事が出來るのだが、どうも、陸上の生活は騷がしい。お互ひ批評が多すぎるよ。陸上生活の會話の全部が、人の惡口か、でなければ自分の廣告だ。うんざりするよ。私もちよいちよいかうして陸に上つて來たお蔭で、陸上生活に少しかぶれて、それこそ聞いたふうの批評なんかを口にするやうになつて、どうもこれはとんでもない惡影響を受けたものだと思ひながらも、この批評癖にも、やめられぬ味がありまして、批評の無い龍宮城の暮しにもちよつと退屈を感ずるやうになつたのです。どうも、惡い癖を覺えたものです。文明病の一種ですかね。いまでは私は、自分が海の魚だか陸の蟲だか、わからなくなりましたよ。たとへばあの、鳥だか獸だかわからぬ蝙蝠のやうなものですね。悲しき性になりました。まあ海底の異端者とでもいつたやうなところですかね。だんだん故郷の龍宮城にも居にくくなりましてね。しかし、あそこは遊ぶには、いいところだ、それだけは保證します。信じて下さい。歌と舞ひと、美食と酒の國です。あなたたち風流人には、もつて來いの國です。あなたは、さつき批評はいやだとつくづく慨歎してゐたではありませんか、龍宮には批評はありませんよ。」
浦島は龜の驚くべき饒舌に閉口し切つてゐたが、しかし、その最後の一言に、ふと心をひかれた。
「本當になあ、そんな國があつたらなあ。」
「あれ、まだ疑つてゐやがる。私は嘘をついてゐるのぢやありません。なぜ私を信じないんです。怒りますよ。實行しないで、ただ、あこがれて溜息をついてゐるのが風流人ですか。いやらしいものだ。」
性温厚の浦島も、そんなにまでひどく罵倒されては、このまま引下るわけにも行かなくなつた。
「それぢやまあ仕方が無い。」と苦笑しながら、「仰せに隨つて、お前の甲羅に腰かけてみるか。」
「言ふ事すべて氣にいらん。」と龜は本氣にふくれて、「腰かけてみるか、とは何事です。腰かけてみるのも、腰かけるのも、結果に於いては同じぢやないか。疑ひながら、ためしに右へ曲るのも、信じて斷乎として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。どつちにしたつて引返すことは出來ないんだ。試みたとたんに、あなたの運命がちやんときめられてしまふのだ。人生には試みなんて、存在しないんだ。やつてみるのは、やつたのと同じだ。實にあなたたちは、往生際が惡い。引返す事が出來るものだと思つてゐる。」
「わかつたよ、わかつたよ。それでは信じて乘せてもらはう!」
「よし來た。」
龜の甲羅に浦島が腰をおろしたとみるみる龜の脊中はひろがつて疊二枚くらゐ敷けるくらゐの大きさになり、ゆらりと動いて海にはひる。汀から一丁ほど泳いで、それから龜は、
「ちよつと眼をつぶつて。」ときびしい口調で命令し、浦島は素直に眼をつぶると夕立ちの如き音がして、身邊ほのあたたかく、春風に似て春風よりも少し重たい風が耳朶をなぶる。
「水深千尋。」と龜が言ふ。
浦島は船醉ひに似た胸苦しさを覺えた。
「吐いてもいいか。」と眼をつぶつたまま龜に尋ねる。
「なんだ、へどを吐くのか。」と龜は以前の剽輕な口調にかへつて、「きたねえ船客だな。おや、馬鹿正直に、まだ眼をつぶつてゐやがる。これだから私は、太郎さんが好きさ。もう眼をあいてもよござんすよ。眼をあいて、よもの景色をごらんになつたら、胸の惡いのなんかすぐになほつてしまひます。」
眼をひらけば冥茫模糊、薄みどり色の奇妙な明るさで、さうしてどこにも影がなく、ただ茫々たるものである。
「龍宮か。」と浦島は寢呆けてゐるやうな間伸びた口調で言つた。
「何を言つてるんだ。まだやつと水深千尋ぢやないか。龍宮は海底一萬尋だ。」
「へええ。」浦島は妙な聲を出した。「海つてものは、廣いもんだねえ。」
「濱育ちのくせに、山奧の猿みたいな事を言ふなよ。あなたの家の泉水よりは少し廣いさ。」
前後左右どちらを見ても、ただ杳々茫々、脚下を覗いてもやはり際限なく薄みどり色のほの明るさが續いてゐるばかりで、上を仰いでも、これまた蒼穹に非ざる洸洋たる大洞、ふたりの話聲の他には、物音一つ無く、春風に似て春風よりも少しねばつこいやうな風が浦島の耳朶をくすぐつてゐるだけである。
浦島はやがて遙か右上方に幽かな、一握りの灰を撒いたくらゐの汚點を認めて、
「あれは何だ。雲かね?」と龜に尋ねる。
「冗談言つちやいけねえ。海の中に雲なんか流れてゐやしねえ。」
「それぢや何だ。墨汁一滴を落したやうな感じだ。單なる塵芥かね。」
「間拔けだね、あなたは。見たらわかりさうなものだ。あれは、鯛の大群ぢやないか。」
「へえ? 微々たるものだね。あれでも二、三百匹はゐるんだらうね。」
「馬鹿だな。」と龜はせせら笑ひ、「本氣で云つてゐるのか?」
「それぢやあ、二、三千か。」
「しつかりしてくれ。まづ、ざつと五、六百萬。」
「五、六百萬? おどかしちやいけない。」
龜はにやにや笑つて、
「あれは、鯛ぢやないんだ。海の火事だ。ひどい煙だ。あれだけの煙だと、さうさね、日本の國を二十ほど寄せ集めたくらゐの廣大な場所が燃えてゐる。」
「嘘をつけ。海の中で火が燃えるもんか。」
「淺慮、淺慮。水の中だつて酸素があるんですからね。火の燃えないわけはない。」
「ごまかすな。それは無智な詭辯だ。冗談はさて置いて、いつたいあの、ゴミのやうなものは何だ。やつぱり、鯛かね? まさか、火事ぢやあるまい。」
「いや、火事だ。いつたい、あなた、陸の世界の無數の河川が晝夜をわかたず、海にそそぎ込んでも、それでも海の水が増しもせず減りもせず、いつも同じ量をちやんと保つて居られるのは、どういふわけか、考へてみた事がありますか。海のはうだつて困りますよ。あんなにじやんじやん水を注ぎ込まれちや、處置に窮しますよ。それでまあ時々、あんな工合ひにして不用な水を燒き捨てるのですな。やあ、燃える、燃える、大火事だ。」
「なに、ちつとも煙が廣がりやしない。いつたい、あれは、何さ。さつきから、少しも動かないところを見ると、さかなの大群でもなささうだ。意地わるな冗談なんか言はないで、教へておくれ。」
「それぢや教へてあげませう。あれはね、月の影法師です。」
「また、かつぐんぢやないのか?」
「いいえ、海の底には、陸の影法師は何も寫りませんが、天體の影法師は、やはり眞上から落ちて來ますから寫るのです。月の影法師だけでなく、星辰の影法師も皆、寫ります。だから、龍宮では、その影法師をたよりに暦を作り、四季を定めます。あの月の影法師は、まんまるより少し缺けてゐますから、けふは十三夜かな?」
眞面目な口調でさういふので、浦島も、或ひはさうかも知れぬと思つたが、しかし、何だかへんだとも思つた。でもまた、見渡す限り、ただ薄みどり色の茫洋乎たる大空洞の片隅に、幽かな黒一點をとどめてゐるものが、たとひそれは嘘にしても月の影法師だと云はれて見ると、鯛の大群や火事だと思つて眺めるよりは、風流人の浦島にとつて、はるかに趣きがあり、郷愁をそそるに足るものがあつた。
そのうちに、あたりは異樣に暗くなり、ごうといふ凄じい音と共に烈風の如きものが押し寄せて來て、浦島はもう少しで龜の脊中からころげ落ちるところであつた。
「ちよつとまた眼をつぶつて。」と龜は嚴肅な口調で言ひ、「ここはちやうど、龍宮の入口になつてゐるのです。人間が海の底を探險しても、たいていここが海底のどんづまりだと見極めて引上げて行くのです。ここを越えて行くのは、人間では、あなたが最初で、また最後かも知れません。」
くるりと龜はひつくりかへつたやうに、浦島には思はれた。ひつくりかへつたまま、つまり、腹を上にしたまま泳いで、さうして浦島は龜の甲羅にくつついて、宙返りを半分しかけたやうな形で、けれどもこぼれ落ちる事もなく、さかさにすつと龜と共に上の方へ進行するやうな、まことに妙な錯覺を感じたのである。
「眼をあいてごらん。」と龜に言はれた時には、しかし、もうそんな、さかさの感じは無く、當り前に龜の甲羅の上に坐つて、さうして、龜は下へ下へと泳いでゐる。
あたりは、あけぼのの如き薄明で、脚下にぼんやり白いものが見える。どうも、何だか、山のやうだ。塔が連立してゐるやうにも見えるが、塔にしては洪大すぎる。
「あれは何だ。山か。」
「さうです。」
「龍宮の山か。」興奮のため聲が嗄れてゐた。
「さうです。」龜は、せつせと泳ぐ。
「まつ白ぢやないか。雪が降つてゐるのかしら。」
「どうも、高級な宿命を持つてゐる人は、考へる事も違ひますね。立派なものだ。海の底にも雪が降ると思つてゐるんだからね。」
「しかし、海の底にも火事があるさうだし、」と浦島は、さつきの仕返しをするつもりで、「雪だつて降るだらうさ。何せ、酸素があるんだから。」
「雪と酸素ぢや縁が遠いや。縁があつても、まづ、風と桶屋くらゐの關係ぢやないか。ばかばかしい。そんな事で私をおさへようたつて駄目さ。どうも、お上品なお方たちは、洒落が下手だ。雪はよいよい歸りはこはいつてのはどんなもんだい。あんまり、うまくもねえか。それでも酸素よりはいいだらう。さんそネツと來るか。はくそみたいだ。酸素はどうも、助からねえ。」やはり、口では龜にかなはない。
浦島は苦笑しながら、
「ところで、あの山は、」と云ひかけると、龜はまたあざ笑ひ、
「ところで、とは大きく出たぢやないか。ところであの山は、雪が降つてゐるのではないのです。あれは眞珠の山です。」
「眞珠?」と浦島は驚き、「いや、嘘だらう。たとひ眞珠を十萬粒二十萬粒積み重ねたつて、あれくらゐの高い山にはなるまい。」
「十萬粒、二十萬粒とは、ケチな勘定の仕方だ。龍宮では眞珠を一粒二粒なんて、そんなこまかい算へ方はしませんよ。一山、二山、とやるね。一山は約三百億粒だとかいふ話だが、誰もそれをいちいち算へた事も無い。それを約百萬山くらゐ積み重ねると、まづざつとあれくらゐの峯が出來る。眞珠の捨場には困つてゐるんだ。もとをただせば、さかなの糞だからね。」
とかくして龍宮の正門に着く。案外に小さい。眞珠の山の裾に螢光を發してちよこんと立つてゐる。浦島は龜の甲羅から降りて、龜に案内をせられ、小腰をかがめてその正門をくぐる。あたりは薄明である。さうして森閑としてゐる。
「靜かだね。おそろしいくらゐだ。地獄ぢやあるまいね。」
「しつかりしてくれ、若旦那。」と龜は鰭でもつて浦島の脊中を叩き、「王宮といふものは皆このやうに靜かなものだよ。丹後の濱の大漁踊りみたいな馬鹿騷ぎを年中やつてゐるのが龍宮だなんて陳腐な空想をしてゐたんぢやねえのか。あはれなものだ。簡素幽邃といふのが、あなたたちの風流の極致だらうぢやないか。地獄とは、あさましい。馴れてくると、この薄暗いのが、何とも言へずやはらかく心を休めてくれる。足許に氣をつけて下さいよ。滑つてころんだりしては醜態だ。あれ、あなたはまだ草履をはいてゐるね。脱ぎなさいよ、失禮な。」
浦島は赤面して草履を脱いだ。はだしで歩くと、足の裏がいやにぬらぬらする。
「何だこの道は。氣持が惡い。」
「道ぢやない。ここは廊下ですよ。あなたは、もう龍宮城へはひつてゐるのです。」
「さうかね。」と驚いてあたりを見廻したが、壁も柱も何も無い。薄闇が、ただ漾々と身邊に動いてゐる。
「龍宮には雨も降らなければ、雪も降りません。」と龜はへんに慈愛深げな口調で教へる。「だから、陸上の家のやうにあんな窮屈な屋根や壁を作る必要は無いのです。」
「でも、門には屋根があつたぢやないか。」
「あれは、目じるしです。門だけではなく、乙姫のお部屋にも、屋根や壁はあります。しかし、それもまた乙姫の尊嚴を維持するために作られたもので、雨露を防ぐためのものではありません。」
「そんなものかね。」と浦島はなほもけげんな顏つきで、「その乙姫の部屋といふのは、どこにあるの? 見渡したところ冥途もかくや、蕭寂たる幽境、一木一草も見當らんぢやないか。」
「どうも田舍者には困るね。でつかい建物や、ごてごてした裝飾には口をあけておつたまげても、こんな幽邃の美には一向に感心しない。浦島さん、あなたの上品もあてにならんね。もつとも丹後の荒磯の風流人ぢや無理もないがね。傳統の教養とやらも、聞いて冷汗が出るよ。正統の風流人とはよくも言つた。かうして實地に臨んでみると、田舍者まる出しなんだから恐れいる。人眞似こまねの風流ごつこは、まあ、これからは、やめるんだね。」
龜の毒舌は龍宮に着いたら、何だかまた一段と凄くなつて來た。
浦島は心細さ限り無く、
「だつて、何も見えやしないんだもの。」とほとんど泣き聲で言つた。
「だから、足許に氣をつけなさいつて、言つてるぢやありませんか。この廊下は、ただの廊下ぢやないんですよ。魚の掛橋ですよ。よく氣をつけてごらんなさい。幾億といふ魚がひしとかたまつて、廊下の床みたいな工合ひになつてゐるのですよ。」
浦島はぎよつとして爪先き立つた。だうりで、さつきから足の裏がぬらぬらすると思つてゐた。見ると、なるほど、大小無數の魚どもがすきまもなく脊中を並べて、身動きもせず凝つとしてゐる。
「これは、ひどい。」と浦島は、にはかにおつかなびつくりの歩調になつて、「惡い趣味だ。これがすなはち簡素幽邃の美かね。さかなの脊中を踏んづけて歩くなんて、野蠻きはまる事ぢやないか。だいいちこのさかなたちに氣の毒だ。こんな奇妙な風流は、私のやうな田舍者にはわかりませんねえ。」とさつき田舍者と言はれた鬱憤をここに於いてはらして、ちよつと溜飮がさがつた。
「いいえ、」とその時、足許で細い聲がして、「私たちはここに毎日集つて、乙姫さまの琴の音に聞き惚れてゐるのです。魚の掛橋は風流のために作つてゐるのではありません。かまはず、どうかお通り下さい。」
「さうですか。」と浦島はひそかに苦笑して、「私はまた、これも龍宮の裝飾の一つかと思つて。」
「それだけぢやあるまい。」龜はすかさず口をはさんで、「ひよつとしたら、この掛橋も浦島の若旦那を歡迎のために、乙姫さまが特にさかなたちに命じて、」
「あ、これ、」と浦島は狼狽し、赤面し、「まさか、それほど私は自惚れてはゐません。でも、ね、お前はこれを廊下の床のかはりだなんていい加減を言ふものだから、私も、つい、その、さかなたちが踏まれて痛いかと思つてね。」
「さかなの世界には、床なんてものは必要がありません。これがまあ、陸上の家にたとへたならば、廊下の床にでも當るかと思つて私はあんな説明をしてあげたので、決していい加減を言つたんぢやない。なに、さかなたちは痛いなんて思ふもんですか。海の底では、あなたのからだだつて紙一枚の重さくらゐしか無いのですよ。何だか、ご自分のからだが、ふはふは浮くやうな氣がするでせう?」
さう言はれてみると、ふはふはするやうな感じがしないでもない。浦島は、重ね重ね、龜から無用の嘲弄を受けてゐるやうな氣がして、いまいましくてならぬ。
「私はもう何も信じる氣がしなくなつた。これだから私は、冐險といふものはいやなんだ。だまされたつて、それを看破する法が無いんだからね。ただもう、道案内者の言ふ事に從つてゐなければいけない。これはこんなものだと言はれたら、それつきりなんだからね。實に、冐險は人を欺く。琴の音も何も、ちつとも聞えやしないぢやないか。」とつひに八つ當りの論法に變じた。
龜は落ちついて、
「あなたはどうも陸上の平面の生活ばかりしてゐるから、目標は東西南北のいづれかにあるとばかり思つていらつしやる。しかし、海にはもう二元の方向がある。すなはち、上と下です。あなたはさつきから、乙姫の居所を前方にばかり求めていらつしやる。ここにあなたの重大なる誤謬が存在してゐたわけだ。なぜ、あなたは頭上を見ないのです。また、脚下を見ないのです。海の世界は浮いて漂つてゐるものです。さつきの正門も、また、あの眞珠の山だつて、みんな少し浮いて動いてゐるのです。あなた自身がまた上下左右にゆられてゐるので、他の物の動いてゐるのが、わからないだけなのです。あなたは、さつきからずゐぶん前方にお進みになつたやうに思つていらつしやるかも知れないけれど、まあ、同じ位置ですね。かへつて後退してゐるかも知れない。いまは潮の關係で、ずんずんうしろに流されてゐます。さうして、さつきから見ると、百尋くらゐみんな一緒に上方に浮きました。まあ、とにかくこの魚の掛橋をもう少し渡つてみませう。ほうら、魚の脊中もだんだんまばらになつて來たでせう。足を踏みはづさないやうに氣をつけて下さいよ。なに、踏みはづしたつて、すとんと落下する氣づかひはありませんがね、何せ、あなたも紙一枚の重さなんだから。つまり、この橋は斷橋なのです。この廊下を渡つても前方には何も無い。しかし、脚下を見よです。おい、さかなども、少しどけ、若旦那が乙姫さまに逢ひに行くのだ。こいつらは、かうして龍宮城の本丸の天蓋をなしてゐるやうなものです。海月なす漂へる天蓋、とでも言つたら、あなたたち風流人は喜びますかね。」
さかなたちは、靜かに無言で左右に散る。かすかに、琴の音が脚下に聞える。日本の琴の音によく似てゐるが、しかしあれほど強くはなく、もつと柔かで、はかなく、さうしてへんに嫋々たる餘韻がある。菊の露。薄ごろも。夕空。きぬた。浮寢。きぎす。どれでもない。風流人の浦島にも、何だか見當のつかぬ可憐な、たよりない、けれども陸上では聞く事の出來ぬ氣高い淒しさが、その底に流れてゐる。
「不思議な曲ですね。あれは、何といふ曲ですか。」
龜もちよつと耳をすまして聞いて、
「聖諦。」と一言、答へた。
「せいてい?」
「神聖の聖の字に、あきらめ。」
「ああ、さう、聖諦。」と呟いて浦島は、はじめて海の底の龍宮の生活に、自分たちの趣味と段違ひの崇高なものを感得した。いかにも自分の上品などは、あてにならぬ。傳統の教養だの、正統の風流だのと自分が云ふのを聞いて龜が冷汗をかくのも無理がない。自分の風流は人眞似こまねだ。田舍の山猿にちがひない。
「これからは、お前の言ふ事は何でも信じるよ。聖諦。なるほどなあ。」浦島は呆然とつつ立つたまま、なほもその不思議な聖諦の曲に耳を傾けた。
「さあ、ここから飛び降りますよ。あぶない事はありません。かうして兩腕をひろげて一歩足を踏み出すと、ゆらゆらと氣持よく落下します。この魚の掛橋の盡きたところから眞つすぐに降りて行くと、ちやうど龍宮の正殿の階段の前に着くのです。さあ、何をぼんやりしてゐるのです。飛び降りますよ、いいですか。」
龜はゆらゆら沈下する。浦島も氣をとり直して、兩腕をひろげ、魚の掛橋の外に一歩、足を踏み出すと、すつと下に氣持よく吸ひ込まれ、頬が微風に吹かれてゐるやうに涼しく、やがてあたりが、緑の樹蔭のやうな色合ひになり、琴の音もいよいよ近くに聞えて來たと思ふうちに、龜と並んで正殿の階段の前に立つてゐた。階段とは言つても、段々が一つづつ分明になつてゐるわけではなく、灰色の鈍く光る小さい珠の敷きつめられたゆるい傾斜の坂のやうなものである。
「これも眞珠かね。」と浦島は小聲で尋ねる。
龜は、あはれむやうな眼で浦島の顏を見て、
「珠を見れば、何でも眞珠だ。眞珠は、捨てられて、あんなに高い山になつてゐるぢやありませんか。まあ、ちよつとその珠を手で掬つてごらんなさい。」
浦島は言はれたとほりに兩手で珠を掬はうとすると、ひやりと冷たい。
「あ、霰だ!」
「冗談ぢやない。ついでにそれを口の中に入れてごらん。」
浦島は素直に、その氷のやうに冷たい珠を、五つ六つ頬張つた。
「うまい。」
「さうでせう? これは、海の櫻桃です。これを食べると三百年間、老いる事が無いのです。」
「さうか、いくつ食べても同じ事か。」と風流人の浦島も、ついたしなみを忘れて、もつと掬つて食べようといふ氣勢を示した。「私はどうも、老醜といふものがきらひでね。死ぬのは、そんなにこはくもないけれど、どうも老醜だけは私の趣味に合はない。もつと、食べて見ようかしら。」
「笑つてゐますよ。上をごらんなさい。乙姫さまがお迎へに出てゐます。やあ、けふはまた一段とお綺麗。」
櫻桃の坂の盡きるところに、青い薄布を身にまとつた小柄の女性が幽かに笑ひながら立つてゐる。薄布をとほして眞白い肌が見える。浦島はあわてて眼をそらし、
「乙姫か。」と龜に囁く。浦島の顏は眞赤である。
「きまつてゐるぢやありませんか。何をへどもどしてゐるのです。さあ、早く御挨拶をなさい。」
浦島はいよいよまごつき、
「でも、何と言つたらいいんだい。私のやうなものが名乘りを擧げてみたつて、どうにもならんし、どだいどうも、私たちの訪問は唐突だよ。意味が無いよ。歸らうよ。」と上級の宿命の筈の浦島も、乙姫の前では、すつかり卑屈になつて逃支度をはじめた。
「乙姫さまは、あなたの事なんか、もうとうにご存じですよ。階前萬里といふぢやありませんか。觀念して、ただていねいにお辭儀しておけばいいのです。また、たとひ乙姫さまが、あなたの事を何もご存じ無くつたつて、乙姫さまは警戒なんてケチくさい事はてんで知らないお方ですから、何も斟酌には及びません。遊びに來ましたよ、と言へばいい。」
「まさか、そんな失禮な。ああ、笑つていらつしやる。とにかく、お辭儀をしよう。」
浦島は、兩手が自分の足の爪先にとどくほどのていねいなお辭儀をした。
龜は、はらはらして、
「ていねいすぎる。いやになるね。あなたは私の恩人ぢやないか。も少し威嚴のある態度を示して下さいよ。へたへたと最敬禮なんかして、上品もくそもあつたものぢやない。それ、乙姫さまのお招きだ。行きませう。さあ、ちやんと胸を張つて、おれは日本一の好男子で、さうして、最上級の風流人だといふやうな顏をして威張つて歩くのですよ。あなたは私たちに對してはひどく高慢な乙な構へ方をするけれども、女には、からきし意氣地が無いんですね。」
「いやいや、高貴なお方には、それ相當の禮を盡さなければ。」と緊張のあまり聲がしやがれて、足がもつれ、よろよろと千鳥足で階段を昇り、見渡すと、そこは萬疊敷とでも云つていいくらゐの廣い座敷になつてゐる。いや、座敷といふよりは、庭園と言つた方が適切かも知れない。どこから射して來るのか樹蔭のやうな緑色の光線を受けて、模糊と霞んでゐるその萬疊敷とでも言ふべき廣場には、やはり霰のやうな小粒の珠が敷きつめられ、ところどころに黒い岩が秩序無くころがつてゐて、さうしてそれつきりである。屋根はもちろん、柱一本も無く、見渡す限り廢墟と言つていいくらゐの荒涼たる大廣場である。氣をつけて見ると、それでも小粒の珠のすきまから、ちよいちよい紫色の小さい花が顏を出してゐるのが見えて、それがまた、かへつて淋しさを添へ、これが幽邃の極といふのかも知れないが、しかし、よくもまあ、こんな心細いやうな場所で生活が出來るものだ、と感歎の溜息に似たものがふうと出て、さらにまた思ひをあらたにして乙姫の顏をそつと盜み見た。
乙姫は無言で、くるりとうしろを向き、そろそろと歩き出す。その時はじめて氣がついたのであるが、乙姫の背後には、めだかよりも、もつと小さい金色の魚が無數にかたまつてぴらぴら泳いで、乙姫が歩けばそのとほりに從つて移動し、そのさまは金色の雨がたえず乙姫の身邊に降り注いでゐるやうにも見えて、さすがにこの世のものならぬ貴い氣配が感ぜられた。
乙姫は身にまとつてゐる薄布をなびかせ裸足で歩いてゐるが、よく見ると、その青白い小さい足は、下の小粒の珠を踏んではゐない。足の裏と珠との間がほんのわづか隙いてゐる。あの足の裏は、いまだいちども、ものを踏んだ事が無いのかも知れぬ。生れたばかりの赤ん坊の足の裏と同じやうにやはらかくて綺麗なのに違ひない、と思へば、これといふ目立つた粉飾一つも施してゐない乙姫のからだが、いよいよ眞の氣品を有してゐるものの如く、奧ゆかしく思はれて來た。龍宮に來てみてよかつた、と次第にこのたびの冐險に感謝したいやうな氣持が起つて來て、うつとり乙姫のあとについて歩いてゐると、
「どうです、惡くないでせう。」と龜は、低く浦島の耳元に囁き、鰭でもつて浦島の横腹をちよこちよことくすぐつた。
「ああ、なに、」と浦島は狼狽して、「この花は、この紫の花は綺麗だね。」と別の事を言つた。
「これですか。」と龜はつまらなささうに、「これは海の櫻桃の花です。ちよつと菫に似てゐますね。この花びらを食べると、それは氣持よく醉ひますよ。龍宮のお酒です。それから、あの岩のやうなもの、あれは藻です。何萬年も經つてゐるので、こんな岩みたいにかたまつてゐますが、でも、羊羹よりも柔いくらゐのものです。あれは、陸上のどんなごちそうよりもおいしいですよ。岩によつて一つづつみんな味はひが違ひます。龍宮ではこの藻を食べて、花びらで醉ひ、のどが乾けば櫻桃を含み、乙姫さまの琴の音に聞き惚れ、生きてゐる花吹雪のやうな小魚たちの舞ひを眺めて暮してゐるのです。どうですか、龍宮は歌と舞ひと、美食と酒の國だと私はお誘ひする時にあなたに申し上げた筈ですが、どうですか、御想像と違ひましたか?」
浦島は答へず、深刻な苦笑をした。
「わかつてゐますよ。あなたの御想像は、まあドンヂヤンドンヂヤンの大騷ぎで、大きなお皿に鯛のさしみやら鮪のさしみ、赤い着物を着た娘つ子の手踊り、さうしてやたらに金銀珊瑚綾錦のたぐひが、──」
「まさか、」と浦島もさすがに少し不愉快さうな顏になり、「私はそれほど卑俗な男ではありません。しかし、私は自分を孤獨な男だと思つてゐた事などありましたが、ここへ來て眞に孤獨なお方にお目にかかり、私のいままでの氣取つた生活が恥かしくてならないのです。」
「あのかたの事ですか?」と龜は小聲で言つて無作法に乙姫のはうを顎でしやくり、「あのかたは、何も孤獨ぢやありませんよ。平氣なものです。野心があるから、孤獨なんて事を氣に病むので、他の世界の事なんかてんで問題にしてなかつたら、百年千年ひとりでゐたつて樂なものです。それこそ、れいの批評が氣にならない者にとつてはね。ところで、あなたは、どこへ行かうてんですか?」
「いや、なに、べつに、」と浦島は、意外の問に驚き、「だつて、お前、あのお方が、──」
「乙姫はべつにあなたを、どこかへ案内しようとしてゐるわけぢやありません。あのかたは、もう、あなたの事なんか忘れてゐますよ。あのかたは、これからご自分のお部屋に歸るのでせう。しつかりして下さい。ここが龍宮なんです、この場所が。ほかにどこも、ご案内したいやうなところもありません。まあ、ここで、お好きなやうにして遊んでゐるのですね。これだけぢや、不足なんですか。」
「いぢめないでくれよ。私は、いつたいどうしたらいいんだ。」と浦島はべそをかいて、「だつて、あのお方がお迎へに出て下さつてゐたので、べつに私は自惚れたわけぢやないけど、あのお方のあとについて行くのが禮儀だと思つたんだよ。べつに不足だなんて考へてやしないよ。それだのに私に何か、別ないやらしい下心でもあるみたいなへんな言ひ方をするんだもの。お前は、じつさい意地が惡いよ。ひどいぢやないか。私は生れてから、こんなに體裁の惡い思ひをした事は無いよ。本當にひどいよ。」
「そんなに氣にしちやいけない。乙姫は、おつとりしたものです。そりや、陸上からはるばるたづねて來た珍客ですもの、それにあなたは、私の恩人ですからね、お出迎へするのは當り前ですよ。さらにまた、あなたは、氣持はさつぱりしてゐるし、男つぷりは佳し、と來てゐるから、いや、これは冗談ですよ、へんにまた自惚れられちやかなはない。とにかく、乙姫はご自分の家へやつて來た珍客を階段まで出迎へて、さうして安心して、あとはあなたのお氣の向くままに勝手に幾日でもここで遊んでいらつしやるやうにと、素知らぬ振りしてああしてご自分のお部屋に引上げて行くといふわけのものぢやないんですかね。實は私たちにも、乙姫の考へてゐる事はあまりよく判らないのです。何せ、どうにも、おつとりしてゐますから。」
「いや、さう言はれてみると、私には、少し判りさうな氣がして來たよ。お前の推察も、だいたいに於いて間違ひはなささうだ。つまり、こんなのが、眞の貴人の接待法なのかも知れない。客を迎へて客を忘れる。しかも客の身邊には美酒珍味が全く無雜作に並べ置かれてある。歌舞音曲も別段客をもてなさうといふ露骨な意圖でもつて行はれるのではない。乙姫は誰に聞かせようといふ心も無くて琴をひく。魚どもは誰に見せようといふ衒ひも無く自由に嬉々として舞ひ遊ぶ。客の讚辭をあてにしない。客もまた、それにことさらに留意して感服したやうな顏つきをする必要も無い。寢ころんで知らん振りしてゐたつて構はないわけです。主人はもう客の事なんか忘れてゐるのだ。しかも、自由に振舞つてよいといふ許可は與へられてゐるのだ。食ひたければ食ふし、食ひたくなければ食はなくていいんだ。醉つて夢うつつに琴の音を聞いてゐたつて、敢へて失禮には當らぬわけだ。ああ、客を接待するには、すべからくこのやうにありたい。何のかのと、ろくでも無い料理をうるさくすすめて、くだらないお世辭を交換し、をかしくもないのに、矢鱈におほほと笑ひ、まあ! なんて珍らしくもない話に大仰に驚いて見せたり、一から十まで嘘ばかりの社交を行ひ、天晴れ上流の客あしらひをしてゐるつもりのケチくさい小利口の大馬鹿野郎どもに、この龍宮の鷹揚なもてなし振りを見せてやりたい。あいつらはただ、自分の品位を落しやしないか、それだけを氣にしてわくわくして、さうして妙に客を警戒して、ひとりでからまはりして、實意なんてものは爪の垢ほども持つてやしないんだ。なんだい、ありや。お酒一ぱいにも、飮ませてやつたぞ、いただきましたぞ、といふやうな證文を取かはしてゐたんぢや、かなはない。」
「さう、その調子。」と龜は大喜びで、「しかし、あまりそんなに興奮して心臟麻痺なんか起されても困る。ま、この藻の岩に腰をおろして、櫻桃の酒でも飮むさ。櫻桃の花びらだけでは、はじめての人には少し匂ひが強すぎるかも知れないから、櫻桃五、六粒と一緒に舌の上に載せると、しゆつと溶けて適當に爽涼のお酒になります。まぜ合せの仕方一つで、いろんな味に變化しますからまあ、ご自分で工夫して、お好きなやうなお酒を作つてお飮みなさい。」
浦島はいま、ちよつと強いお酒を飮みたかつた。花びら三枚に、櫻桃二粒を添へて舌端に載せるとたちまち口の中一ぱいの美酒、含んでゐるだけでも、うつとりする。輕快に喉をくすぐりながら通過して、體内にぽつと灯りがともつたやうな嬉しい氣持になる。
「これはいい。まさに、憂ひの玉帚だ。」
「憂ひ?」と龜はさつそく聞きとがめ、「何か憂鬱な事でもあるのですか?」
「いや、べつに、そんなわけではないが、あははは、」とてれ隱しに無理に笑ひ、それから、ほつと小さな溜息をつき、ちらと乙姫のうしろ姿を眺める。
乙姫は、ひとりで默つて歩いてゐる。薄みどり色の光線を浴び、すきとほるやうなかぐはしい海草のやうにも見え、ゆらゆら搖蕩しながらたつたひとりで歩いてゐる。
「どこへ行くんだらう。」と思はず呟く。
「お部屋でせう。」龜は、きまりきつてゐるといふやうな顏つきで、澄まして答へる。
「さつきから、お前はお部屋お部屋と言つてゐるが、そのお部屋はいつたい、どこにあるの? 何も、どこにも、見えやしないぢやないか。」
見渡すかぎり平坦の、曠野と言つていいくらゐの鈍く光る大廣間で、御殿らしいものの影は、どこにも無い。
「ずつと向う、乙姫の歩いて行く方角の、ずつと向うに、何か見えませんか。」と龜に言はれて、浦島は、眉をひそめてその方向を凝視し、
「ああ、さう云はれて見ると、何かあるやうだね。」
ほとんど一里も先と思はれるほどの遠方、幽潭の底を覗いた時のやうな何やら朦朧と烟つてたゆたうてゐるあたりに、小さな純白の水中花みたいなものが見える。
「あれか。小さいものだね。」
「乙姫がひとりおやすみになるのに、大きい御殿なんか要らないぢやありませんか。」
「さう言へば、まあ、さうだが、」と浦島はさらに櫻桃の酒を調合して飮み、「あのお方は、何かね、いつもあんなに無口なのかね。」
「ええ、さうです。言葉といふものは、生きてゐる事の不安から、芽ばえて來たものぢやないですかね。腐つた土から赤い毒きのこが生えて出るやうに、生命の不安が言葉を醗酵させてゐるのぢやないのですか。よろこびの言葉もあるにはありますが、それにさへなほ、いやらしい工夫がほどこされてゐるぢやありませんか。人間は、よろこびの中にさへ、不安を感じてゐるのでせうかね。人間の言葉はみんな工夫です。氣取つたものです。不安の無いところには、何もそんな、いやらしい工夫など必要ないでせう。私は乙姫が、ものを言つたのを聞いた事が無い。しかし、また、默つてゐる人によくありがちの、皮裏の陽秋といふんですか、そんな胸中ひそかに辛辣の觀察を行ふなんて事も、乙姫は決してなさらない。何も考へてやしないんです。ただああして幽かに笑つて琴をかき鳴らしたり、またこの廣間をふらふら歩きまはつて、櫻桃の花びらを口に含んだりして遊んでゐます。實に、のんびりしたものです。」
「さうかね。あのお方も、やつぱりこの櫻桃の酒を飮むかね。まつたく、これは、いいからなあ。これさへあれば、何も要らない。もつといただいてもいいかしら。」
「ええ、どうぞ。ここへ來て遠慮なんかするのは馬鹿げてゐます。あなたは無限に許されてゐるのです。ついでに何か食べてみたらどうです。目に見える岩すべて珍味です。油つこいのがいいですか。輕くちよつと酸つぱいやうなのがいいですか。どんな味のものでもありますよ。」
「ああ、琴の音が聞える。寢ころんで聞いてもいいんだらうね。」無限に許されてゐるといふ思想は、實のところ生れてはじめてのものであつた。浦島は、風流の身だしなみも何も忘れて、仰向にながながと寢そべり、「ああ、あ、醉つて寢ころぶのは、いい氣持だ。ついでに何か、食べてみようかな。雉の燒肉みたいな味の藻があるかね。」
「あります。」
「それと、それから、桑の實のやうな味の藻は?」
「あるでせう。しかし、あなたも、妙に野蠻なものを食べるのですね。」
「本性暴露さ。私は田舍者だよ。」と言葉つきさへ、どこやら變つて來て、「これが風流の極致だつてさ。」
眼を擧げて見ると、はるか上方に、魚の天蓋がのどかに浮び漂つてゐるのが、青く霞んで見える。とたちまち、その天蓋から一群の魚がむらむらとわかれて、おのおの銀鱗を光らせて滿天に雪の降り亂れるやうに舞ひ遊ぶ。
龍宮には夜も晝も無い。いつも五月の朝の如く爽やかで、樹蔭のやうな緑の光線で一ぱいで、浦島は幾日をここで過したか、見當もつかぬ。その間、浦島は、それこそ無限に許されてゐた。浦島は、乙姫のお部屋にも、はひつた。乙姫は何の嫌惡も示さなかつた。ただ、幽かに笑つてゐる。
さうして、浦島は、やがて飽きた。許される事に飽きたのかも知れない。陸上の貧しい生活が戀しくなつた。お互ひ他人の批評を氣にして、泣いたり怒つたり、ケチにこそこそ暮してゐる陸上の人たちが、たまらなく可憐で、さうして、何だか美しいもののやうにさへ思はれて來た。
浦島は乙姫に向つて、さやうなら、と言つた。この突然の暇乞ひもまた、無言の微笑でもつて許された。つまり、何でも許された。始めから終りまで、許された。乙姫は、龍宮の階段まで見送りに出て、默つて小さい貝殼を差し出す。まばゆい五彩の光を放つてゐるきつちり合つた二枚貝である。これが所謂、龍宮のお土産の玉手箱であつた。
行きはよいよい歸りはこはい。また龜の脊に乘つて、浦島はぼんやり龍宮から離れた。へんな憂愁が浦島の胸中に湧いて出る。ああ、お禮を言ふのを忘れた。あんないいところは、他に無いのだ。ああ、いつまでも、あそこにゐたはうがよかつた。しかし、私は陸上の人間だ。どんなに安樂な暮しをしてゐても、自分の家が、自分の里が、自分の頭の片隅にこびりついて離れぬ。美酒に醉つて眠つても、夢は、故郷の夢なんだからなあ。げつそりするよ。私には、あんないいところで遊ぶ資格は無かつた。
「わあ、どうも、いかん。淋しいわい。」と浦島はやけくそに似た大きい聲で叫んだ。「なんのわけだかわからないが、どうも、いかん。おい、龜。何とか、また景氣のいい惡口でも言つてくれ。お前は、さつきから、何も一ことも、ものを言はんぢやないか。」
龜は先刻から、ただ默々と鰭を動かしてゐるばかり。
「怒つてゐるのかね。私が龍宮から食ひ逃げ同樣で歸るのを、お前は、怒つてゐるのかね。」
「ひがんぢやいけねえ。陸上の人はこれだからいやさ。歸りたくなつたら歸るさ。どうでも、あなたの氣の向いたやうに、とはじめから何度も言つてるぢやないか。」
「でも、何だかお前、元氣が無いぢやないか。」
「さう言ふあなたこそ、妙にしよんぼりしてゐるぜ。私や、どうも、お迎へはいいけれど、このお見送りつてやつは苦手だ。」
「行きはよいよい、かね。」
「洒落どころぢやありません。どうも、このお見送りつてやつは、氣のはずまねえものだ。溜息ばかり出て、何を言つてもしらじらしく、いつそもう、この邊でお別れしてしまひたいやうなものだ。」
「やつぱり、お前も淋しいのかね。」浦島は、ほろりとして、「こんどはずゐぶん、お前のお世話にもなつたね。お禮を言ひます。」
龜は返事をせず、なんだそんなこと、と言はぬばかりにちよつと甲羅をゆすつて、さうしてただ、せつせと泳ぐ。
「あのお方は、やつぱりあそこで、たつたひとりで遊んでゐるのだらうね。」浦島は、いかにもやるせないやうな溜息をついて、「私にこんな綺麗な貝をくれたが、これはまさか、食べるものぢやないだらうな。」
龜はくすくす笑ひ出し、
「ちよつと龍宮にゐるうちに、あなたも、ばかに食ひ意地が張つて來ましたね。それだけは、食べるものでは無いやうです。私にもよくわかりませんが、その貝の中に何かはひつてゐるのぢやないんですか?」と龜は、ここに於いて、かのエデンの園の蛇の如く、何やら人の好奇心をそそるやうな妙な事を、ふいと言つた。やはりこれも、爬蟲類共通の宿命なのであらうか。いやいや、さうきめてしまふのは、この善良の龜に對して氣の毒だ。龜自身も以前、浦島に向つて、「しかし、私は、エデンの園の蛇ではない、はばかりながら日本の龜だ。」と豪語してゐる。信じてやらなけりや可哀想だ。それにまた、この龜のこれまでの浦島に對する態度から判斷しても、決してかのエデンの園の蛇の如く、佞奸邪智にして、恐ろしい破滅の誘惑を囁くやうな性質のものでは無いやうに思はれる。それどころか、所謂さつきの鯉の吹流しの、愛すべき多辯家に過ぎないのではないかと思はれる。つまり、何の惡氣も無かつたのだ。私は、そのやうに解したい。龜は、さらにまた言葉をつづけて、「でも、その貝は、あけて見ないはうがいいかも知れません。きつとその中には龍宮の精氣みたいなものがこもつてゐるのでせうから。それを陸上であけたら、奇怪な蜃氣樓が立ち昇り、あなたを發狂させたり何かするかも知れないし、或ひはまた、海の潮が噴出して大洪水を起す事なども無いとは限らないし、とにかく海底の酸素を陸上に放散させては、どうせ、ろくな事が起らないやうな氣がしますよ。」と眞面目に言ふ。
浦島は龜の深切を信じた。
「さうかも知れないね。あんな高貴な龍宮の雰圍氣が、もしこの貝の中にひめられてあるとしたら、陸上の俗惡な空氣にふれた時には、戸惑ひして、大爆發でも起すかも知れない。まあ、これはかうして、いつまでも大事に、家の寶として保存して置くことにしよう。」
既に海上に浮ぶ。太陽の光がまぶしい。ふるさとの濱が見える。浦島はいまは一刻も早く、わが家に駈け込み、父母弟妹、また大勢の使用人たちを集めて、つぶさに龍宮の模樣を物語り、冐險とは信じる力だ、この世の風流なんてものはケチくさい猿眞似だ、正統といふのは、あれは通俗の別稱さ、わかるかね、眞の上品といふのは聖諦の境地さ、ただのあきらめぢや無いぜ、わかるかね、批評なんてうるさいものは無いんだ、無限に許されてゐるんだ、さうしてただ微笑があるだけだ、わかるかね、客を忘れてゐるのだ、わかるまい、などとそれこそ、たつたいま聞いて來たふうの新知識を、めちや苦茶に振りまはして、さうしてあの現實主義の弟のやつが、もし少しでも疑ふやうな顏つきを見せた時には、すなはちこの龍宮の美しいお土産をあいつの鼻先につきつけて、ぎやふんと參らせてやらう、と意氣込み、龜に別離の挨拶するのも忘れて汀に飛び降り、あたふたと生家に向つて急けば、
ドウシタンデセウ モトノサト
ドウシタンデセウ モトノイヘ
ミワタスカギリ アレノハラ
ヒトノカゲナク ミチモナク
マツフクカゼノ オトバカリ
といふ段どりになるのである。浦島は、さんざん迷つた末に、たうとうかの龍宮のお土産の貝殼をあけて見るといふ事になるのであるが、これに就いて、あの龜が責任を負ふ必要はないやうに思はれる。「あけてはならぬ」と言はれると、なほ、あけて見たい誘惑を感ずると云ふ人間の弱點は、この浦島の物語に限らず、ギリシヤ神話のパンドラの箱の物語に於いても、それと同樣の心理が取りあつかはれてゐるやうだ。しかし、あのパンドラの箱の場合は、はじめから神々の復讐が企圖せられてゐたのである。「あけてはならぬ」といふ一言が、パンドラの好奇心を刺戟して、必ずや後日パンドラが、その箱をあけて見るにちがひないといふ意地惡い豫想のもとに「あけるな」といふ禁制を宣告したのである。それに引きかへ、われわれの善良な龜は、まつたくの深切から浦島にそれを言つたのだ。あの時の龜の、餘念なささうな言ひ方に依つても、それは信じていいと思ふ。あの龜は正直者だ。あの龜には責任が無い。それは私も確信をもつて證言できるのであるが、さて、もう一つ、ここに妙な腑に落ちない問題が殘つてゐる。浦島は、その龍宮のお土産をあけて見ると、中から白い煙が立ち昇り、たちまち彼は三百歳だかのお爺さんになつて、だから、あけなきやよかつたのに、つまらない事になつた、お氣の毒に、などといふところでおしまひになるのが、一般に傳へられてゐる「浦島さん」物語であるが、私はそれに就いて深い疑念にとらはれてゐる。するとこの龍宮のお土産も、あの人間のもろもろの禍の種の充滿したパンドラの箱の如く、乙姫の深刻な復讐、或ひは懲罰の意を祕めた贈り物であつたのか。あのやうに何も言はず、ただ微笑して無限に許してゐるやうな素振りを見せながらも、皮裏にひそかに峻酷の陽秋を藏してゐて、浦島のわがままを一つも許さず、嚴罰を課する意味であの貝殼を與へたのか。いや、それほど極端の悲觀論を稱へずとも、或ひは、貴人といふものは、しばしば、むごい嘲弄を平氣でするものであるから、乙姫もまつたく無邪氣の惡戲のつもりで、こんなひとのわるい冗談をやらかしたのか。いづれにしても、あの眞の上品の筈の乙姫が、こんな始末の惡いお土産を與へたとは、不可解きはまる事である。パンドラの箱の中には、疾病、恐怖、怨恨、哀愁、疑惑、嫉妬、憤怒、憎惡、呪咀、焦慮、後悔、卑屈、貪慾、虚僞、怠惰、暴行などのあらゆる不吉の妖魔がはひつてゐて、パンドラがその箱をそつとあけると同時に、羽蟻の大群の如く一齊に飛び出し、この世の隅から隅まで殘るくまなくはびこるに到つたといふ事になつてゐるが、しかし、呆然たるパンドラが、うなだれて、そのからつぽの箱の底を眺めた時、その底の闇に一點の星のやうに輝いてゐる小さな寶石を見つけたといふではないか。さうして、その寶石には、なんと、「希望」といふ字がしたためられてゐたといふ。これに依つて、パンドラの蒼白の頬にも、幽かに血の色がのぼつたといふ。それ以來、人間は、いかなる苦痛の妖魔に襲はれても、この「希望」に依つて、勇氣を得、困難に堪へ忍ぶ事が出來るやうになつたといふ。それに較べて、この龍宮のお土産は、愛嬌も何もない。ただ、煙だ。さうして、たちまち三百歳のお爺さんである。よしんば、その「希望」の星が貝殼の底に殘つてゐたとしたところで、浦島さんは既に三百歳である。三百歳のお爺さんに「希望」を與へたつて、それは惡ふざけに似てゐる。どだい、無理だ。それでは、ここで一つ、れいの「聖諦」を與へてみたらどうか。しかし、相手は三百歳である。いまさら、そんな氣取つたきざつたらしいものを與へなくたつて、人間三百歳にもなりや、いい加減、諦めてゐるよ。結局、何もかも駄目である。救濟の手の差伸べやうが無い。どうにも、これはひどいお土産をもらつて來たものだ。しかし、ここで匙を投げたら、或いは、日本のお伽噺はギリシヤ神話よりも殘酷である。などと外國人に言はれるかも知れない。それはいかにも無念な事だ。また、あのなつかしい龍宮の名譽にかけても、何とかして、この不可解のお土産に、貴い意義を發見したいものである。いかに龍宮の數日が陸上の數百年に當るとは言へ、何もその歳月を、ややこしいお土産などにして浦島に持たせてよこさなくてもよささうなものだ。浦島が龍宮から海の上に浮かび出たとたんに、白髮の三百歳に變化したといふのなら、まだ話がわかる。また、乙姫のお情で、浦島をいつまでも青年にして置くつもりだつたのならば、そんな危險な「あけてはならぬ」品物を、わざわざ浦島に持たせてよこす必要は無い。龍宮のどこかの隅に捨てて置いたつていいぢやないか。それとも、お前のたれた糞尿は、お前が持つて歸つたらいいだらう、といふ意味なのだらうか。それでは、何だかひどく下等な「面當て」みたいだ。まさかあの聖諦の乙姫が、そんな長屋の夫婦喧譁みたいな事をたくらむとは考へられない。どうも、わからぬ。私は、それに就いて永い間、思案した。さうして、このごろに到つて、やうやく少しわかつて來たやうな氣がして來たのである。
つまり、私たちは、浦島の三百歳が、浦島にとつて不幸であつたといふ先入感に依つて誤られて來たのである。繪本にも、浦島は三百歳になつて、それから、「實に、悲慘な身の上になつたものさ。氣の毒だ。」などといふやうな事は書かれてゐない。
それでおしまひである。氣の毒だ、馬鹿だ、などといふのは、私たち俗人の勝手な盲斷に過ぎない。三百歳になつたのは、浦島にとつて、決して不幸ではなかつたのだ。
貝殼の底に、「希望」の星があつて、それで救はれたなんてのは、考へてみるとちよつと少女趣味で、こしらへものの感じが無くもないやうな氣もするが、浦島は、立ち昇る煙それ自體で救はれてゐるのである。貝殼の底には、何も殘つてゐなくたつていい。そんなものは問題でないのだ。曰く、
年月は、人間の救ひである。
忘卻は、人間の救ひである。
龍宮の高貴なもてなしも、この素張らしいお土産に依つて、まさに最高潮に達した觀がある。思ひ出は、遠くへだたるほど美しいといふではないか。しかも、その三百年の招來をさへ、浦島自身の氣分にゆだねた。ここに到つても、浦島は、乙姫から無限の許可を得てゐたのである。淋しくなかつたら、浦島は、貝殼をあけて見るやうな事はしないだらう。どう仕樣も無く、この貝殼一つに救ひを求めた時には、あけるかも知れない。あけたら、たちまち三百年の年月と、忘却である。これ以上の説明はよさう。日本のお伽噺には、このやうな深い慈悲がある。
浦島は、それから十年、幸福な老人として生きたといふ。
カチカチ山の物語に於ける兎は少女、さうしてあの慘めな敗北を喫する狸は、その兎の少女を戀してゐる醜男。これはもう疑ひを容れぬ儼然たる事實のやうに私には思はれる。これは甲州、富士五湖の一つの河口湖畔、いまの船津の裏山あたりで行はれた事件であるといふ。甲州の人情は、荒つぽい。そのせゐか、この物語も、他のお伽噺に較べて、いくぶん荒つぽく出來てゐる。だいいち、どうも、物語の發端からして酷だ。婆汁なんてのは、ひどい。お道化にも洒落にもなつてやしない。狸も、つまらない惡戲をしたものである。縁の下に婆さんの骨が散らばつてゐたなんて段に到ると、まさに陰慘の極度であつて、所謂兒童讀物としては、遺憾ながら發賣禁止の憂目に遭はざるを得ないところであらう。現今發行せられてゐるカチカチ山の繪本は、それゆゑ、狸が婆さんに怪我をさせて逃げたなんて工合ひに、賢明にごまかしてゐるやうである。それはまあ、發賣禁止も避けられるし、大いによろしい事であらうが、しかし、たつたそれだけの惡戲に對する懲罰としてはどうも、兎の仕打は、執拗すぎる。一撃のもとに倒すといふやうな颯爽たる仇討ちではない。生殺しにして、なぶつて、なぶつて、さうして最後は泥舟でぶくぶくである。その手段は、一から十まで詭計である。これは日本の武士道の作法ではない。しかし、狸が婆汁などといふ惡どい欺術を行つたのならば、その返報として、それくらゐの執拗のいたぶりを受けるのは致し方の無いところでもあらうと合點のいかない事もないのであるが、童心に與へる影響ならびに發賣禁止のおそれを顧慮して、狸が單に婆さんに怪我をさせて逃げた罰として兎からあのやうなかずかずの恥辱と苦痛と、やがてぶていさい極まる溺死とを與へられるのは、いささか不當のやうにも思はれる。もともとこの狸は、何の罪とがも無く、山でのんびり遊んでゐたのを、爺さんに捕へられ、さうして狸汁にされるといふ絶望的な運命に到達し、それでも何とかして一條の血路を切りひらきたく、もがき苦しみ、窮餘の策として婆さんを欺き、九死に一生を得たのである。婆汁なんかをたくらんだのは大いに惡いが、しかし、このごろの繪本のやうに、逃げるついでに婆さんを引掻いて怪我させたくらゐの事は、狸もその時は必死の努力で、謂はば正當防衞のために無我夢中であがいて、意識せずに婆さんに怪我を與へたのかも知れないし、それはそんなに憎むべき罪でも無いやうに思はれる。私の家の五歳の娘は、器量も父に似て頗るまづいが、頭腦もまた不幸にも父に似て、へんなところがあるやうだ。私が防空壕の中で、このカチカチ山の繪本を讀んでやつたら、
「狸さん、可哀想ね。」
と意外な事を口走つた。もつとも、この娘の「可哀想」は、このごろの彼女の一つ覺えで、何を見ても「可哀想」を連發し、以て子に甘い母の稱讚を得ようといふ下心が露骨に見え透いてゐるのであるから、格別おどろくには當らない。或ひは、この子は、父に連れられて近所の井の頭動物園に行つた時、檻の中を絶えずチヨコチヨコ歩きまはつてゐる狸の一群を眺め、愛すべき動物であると思ひ込み、それゆゑ、このカチカチ山の物語に於いても、理由の如何を問はず、狸に贔屓してゐたのかも知れない。いづれにしても、わが家の小さい同情者の言は、あまりあてにならない。思想の根據が、薄弱である。同情の理由が、朦朧としてゐる。どだい、何も、問題にする價値が無い。しかし私は、その娘の無責任きはまる放言を聞いて、或る暗示を與へられた。この子は、何も知らずにただ、このごろ覺えた言葉を出鱈目に呟いただけの事であるが、しかし、父はその言葉に依つて、なるほど、これでは少し兎の仕打がひどすぎる、こんな小さい子供たちなら、まあ何とか言つてごまかせるけれども、もつと大きい子供で、武士道とか正々堂々とかの觀念を既に教育せられてゐる者には、この兎の懲罰は所謂「やりかたが汚い」と思はれはせぬか、これは問題だ、と愚かな父は眉をひそめたといふわけである。
このごろの繪本のやうに、狸が婆さんに單なる引掻き傷を與へたくらゐで、このやうに兎に意地惡く飜弄せられ、脊中は燒かれ、その燒かれた個所には唐辛子を塗られ、あげくの果には泥舟に乘せられて殺されるといふ悲慘の運命に立ち到るといふ筋書では、國民學校にかよつてゐるほどの子供ならば、すぐに不審を抱くであらう事は勿論、よしんば狸が、不埒な婆汁などを試みたとしても、なぜ正々堂々と名乘りを擧げて彼に膺懲の一太刀を加へなかつたか。兎が非力であるから、などはこの場合、辯解にならない。仇討ちは須く正々堂々たるべきである。神は正義に味方する。かなはぬまでも、天誅! と一聲叫んで眞正面からをどりかかつて行くべきである。あまりにも腕前の差がひどかつたならば、その時には臥薪嘗膽、鞍馬山にでもはひつて一心に劍術の修行をする事だ。昔から日本の偉い人たちは、たいていそれをやつてゐる。いかなる事情があらうと、詭計を用ゐて、しかもなぶり殺しにするなどといふ仇討物語は、日本に未だ無いやうだ。それをこのカチカチ山ばかりは、どうも、その仇討の仕方が芳しくない。どだい、男らしくないぢやないか、と子供でも、また大人でも、いやしくも正義にあこがれてゐる人間ならば、誰でもこれに就いてはいささか不快の情を覺えるのではあるまいか。
安心し給へ。私もそれに就いて、考へた。さうして、兎のやり方が男らしくないのは、それは當然だといふ事がわかつた。この兎は男ぢやないんだ。それは、たしかだ。この兎は十六歳の處女だ。いまだ何も、色氣は無いが、しかし、美人だ。さうして、人間のうちで最も殘酷なのは、えてして、このたちの女性である。ギリシヤ神話には美しい女神がたくさん出て來るが、その中でも、ヴイナスを除いては、アルテミスといふ處女神が最も魅力ある女神とせられてゐるやうだ。ご承知のやうに、アルテミスは月の女神で、額には青白い三日月が輝き、さうして敏捷できかぬ氣で、一口で言へばアポロンをそのまま女にしたやうな神である。さうして下界のおそろしい猛獸は全部この女神の家來である。けれども、その姿態は決して荒くれて岩乘な大女ではない。むしろ小柄で、ほつそりとして、手足も華奢で可愛く、ぞつとするほどあやしく美しい顏をしてゐるが、しかし、ヴイナスのやうな「女らしさ」が無く、乳房も小さい。氣にいらぬ者には平氣で殘酷な事をする。自分の水浴してゐるところを覗き見した男に、颯つと水をぶつかけて鹿にしてしまつた事さへある。水浴の姿をちらと見ただけでも、そんなに怒るのである。手なんか握られたら、どんなにひどい仕返しをするかわからない。こんな女に惚れたら、男は慘憺たる大恥辱を受けるにきまつてゐる。けれども、男は、それも愚鈍の男ほど、こんな危險な女性に惚れ込み易いものである。さうして、その結果は、たいていきまつてゐるのである。
疑ふものは、この氣の毒な狸を見るがよい。狸は、そのやうなアルテミス型の兎の少女に、かねてひそかに思慕の情を寄せてゐたのだ。兎が、このアルテミス型の少女だつたと規定すると、あの狸が婆汁か引掻き傷かいづれの罪を犯した場合でも、その懲罰が、へんに意地くね惡く、さうして「男らしく」ないのが當然だと、溜息と共に首肯せられなければならぬわけである。しかも、この狸たるや、アルテミス型の少女に惚れる男のごたぶんにもれず、狸仲間でも風采あがらず、ただ團々として、愚鈍大食の野暮天であつたといふに於いては、その悲慘のなり行きは推するに餘りがある。
狸は爺さんに捕へられ、もう少しのところで狸汁にされるところであつたが、あの兎の少女にひとめまた逢ひたくて、大いにあがいて、やつと逃れて山へ歸り、ぶつぶつ何か言ひながら、うろうろ兎を搜し歩き、やつと見つけて、
「よろこんでくれ! おれは命拾ひをしたぞ。爺さんの留守をねらつて、あの婆さんを、えい、とばかりにやつつけて逃げて來た。おれは運の強い男さ。」と得意滿面、このたびの大厄難突破の次第を、唾を飛ばし散らしながら物語る。
兎はぴよんと飛びしりぞいて唾を避け、ふん、といつたやうな顏つきで話を聞き、
「何も私が、よろこぶわけは無いぢやないの。きたないわよ、そんなに唾を飛ばして。それに、あの爺さん婆さんは、私のお友達よ。知らなかつたの?」
「さうか、」と狸は愕然として、「知らなかつた。かんべんしてくれ。さうと知つてゐたら、おれは、狸汁にでも何にでも、なつてやつたのに。」と、しよんぼりする。
「いまさら、そんな事を言つたつて、もうおそいわ。あのお家の庭先に私が時々あそびに行つて、さうして、おいしいやはらかな豆なんかごちそうになつたのを、あなただつて知つてたぢやないの。それだのに、知らなかつたなんて嘘ついて、ひどいわ。あなたは、私の敵よ。」とむごい宣告をする。兎にはもうこの時すでに、狸に對して或る種の復讐を加へてやらうといふ心が動いてゐる。處女の怒りは辛辣である。殊にも醜惡な魯鈍なものに對しては容赦が無い。
「ゆるしてくれよ。おれは、ほんとに、知らなかつたのだ。嘘なんかつかない。信じてくれよ。」と、いやにねばつこい口調で歎願して、頸を長くのばしてうなだれて見せて、傍に木の實が一つ落ちてゐるのを見つけ、ひよいと拾つて食べて、もつと無いかとあたりをきよろきよろ見廻しながら、「本當にもう、お前にそんなに怒られると、おれはもう、死にたくなるんだ。」
「何を言つてるの。食べる事ばかり考へてるくせに。」兎は輕蔑し果てたといふやうに、つんとわきを向いてしまつて、「助平の上に、また、食ひ意地がきたないつたらありやしない。」
「見のがしてくれよ。おれは、腹がへつてゐるんだ。」となほもその邊を、うろうろ搜し廻りながら、「まつたく、いまのおれのこの心苦しさが、お前にわかつてもらへたらなあ。」
「傍へ寄つて來ちや駄目だつて言つたら。くさいぢやないの。もつとあつちへ離れてよ。あなたは、とかげを食べたんだつてね。私は聞いたわよ。それから、ああ可笑しい、ウンコも食べたんだつてね。」
「まさか。」と狸は力弱く苦笑した。それでも、なぜだか、強く否定する事の能はざる樣子で、さらにまた力弱く、「まさかねえ。」と口を曲げて言ふだけであつた。
「上品ぶつたつて駄目よ。あなたのそのにほひは、ただの臭みぢやないんだから。」と兎は平然と手きびしい引導を渡して、それから、ふいと別の何か素晴らしい事でも思ひついたらしく急に眼を輝かせ、笑ひを噛み殺してゐるやうな顏つきで狸のはうに向き直り、「それぢやあね、こんど一ぺんだけ、ゆるしてあげる。あれ、寄つて來ちや駄目だつて言ふのに。油斷もすきもなりやしない。よだれを拭いたらどう? 下顎がべろべろしてるぢやないの。落ついて、よくお聞き。こんど一ぺんだけは特別にゆるしてあげるけれど、でも、條件があるのよ。あの爺さんは、いまごろはきつとひどく落膽して、山に柴刈りに行く氣力も何も無くなつてゐるでせうから、私たちはその代りに柴刈りに行つてあげませうよ。」
「一緒に? お前も一緒に行くのか?」狸の小さい濁つた眼は歡喜に燃えた。
「おいや?」
「いやなものか。けふこれから、すぐに行かうよ。」よろこびの餘り、聲がしやがれた。
「あしたにしませう、ね、あしたの朝早く。けふはあなたもお疲れでせうし、それに、おなかも空いてゐるでせうから。」といやに優しい。
「ありがたい! おれは、あしたお辨當をたくさん作つて持つて行つて、一心不亂に働いて十貫目の柴を刈つて、さうして爺さんの家へとどけてあげる。さうしたら、お前は、おれをきつと許してくれるだらうな。仲よくしてくれるだらうな。」
「くどいわね。その時のあなたの成績次第でね。もしかしたら、仲よくしてあげるかも知れないわ。」
「えへへ、」と狸は急にいやらしく笑ひ、「その口が憎いや。苦勞させるぜ、こんちきしやう。おれは、もう、」と言ひかけて、這ひ寄つて來た大きい蜘蛛を素早くぺろりと食べ、「おれは、もう、どんなに嬉しいか、いつそ、男泣きに泣いてみたいくらゐだ。」と鼻をすすり、嘘泣きをした。
夏の朝は、すがすがしい。河口湖の湖面は朝霧に覆はれ、白く眼下に烟つてゐる。山頂では狸と兎が朝露を全身に浴びながら、せつせと柴を刈つてゐる。
狸の働き振りを見ると、一心不亂どころか、ほとんど半狂亂に近いあさましい有樣である。ううむ、ううむ、と大袈裟に唸りながら、めちや苦茶に鎌を振りまはして、時々、あいたたたた、などと聞えよがしの悲鳴を擧げ、ただもう自分がこのやうに苦心慘憺してゐるといふところを兎に見てもらひたげの樣子で、縱横無盡に荒れ狂ふ。ひとしきり、そのやうに凄じくあばれて、さすがにもうだめだ、といふやうな疲れ切つた顏つきをして鎌を投げ捨て、
「これ、見ろ。手にこんなに豆が出來た。ああ、手がひりひりする。のどが乾く。おなかも空いた。とにかく、大勞働だつたからなあ。ちよつと休息といふ事にしようぢやないか。お辨當でも開きませうかね。うふふふ。」とてれ隱しみたいに妙に笑つて、大きいお辨當箱を開く。ぐいとその石油罐ぐらゐの大きさのお辨當箱に鼻先を突込んで、むしやむしや、がつがつ、ぺつぺつ、といふ騷々しい音を立てながら、それこそ一心不亂に食べてゐる。兎はあつけにとられたやうな顏をして、柴刈りの手を休め、ちよつとそのお辨當箱の中を覗いて、あ! と小さい叫びを擧げ、兩手で顏を覆つた。何だか知れぬが、そのお辨當箱には、すごいものがはひつてゐたやうである。けれども、けふの兎は、何か内證の思惑でもあるのか、いつものやうに狸に向つて侮辱の言葉も吐かず、先刻から無言で、ただ技巧的な微笑を口邊に漂はせてせつせと柴を刈つてゐるばかりで、お調子に乘つた狸のいろいろな狂態をも、知らん振りして見のがしてやつてゐるのである。狸の大きいお辨當箱の中を覗いて、ぎよつとしたけれども、やはり何も言はず、肩をきゆつとすくめて、またもや柴刈りに取かかる。狸は兎にけふはひどく寛大に扱はれるので、ただもうほくほくして、たうとうやつこさんも、おれのさかんな柴刈姿には惚れ直したかな? おれの、この、男らしさには、まゐらぬ女もあるまいて、ああ、食つた、眠くなつた、どれ一眠り、などと全く氣をゆるしてわがままいつぱいに振舞ひ、ぐうぐう大鼾を掻いて寢てしまつた。眠りながらも、何のたはけた夢を見てゐるのか、惚れ藥つてのは、あれは駄目だぜ、きかねえや、などわけのわからぬ寢言を言ひ、眼をさましたのは、お晝ちかく。
「ずいぶん眠つたのね。」と兎は、やはりやさしく、「もう私も、柴を一束こしらへたから、これから脊負つて爺さんの庭先まで持つて行つてあげませうよ。」
「ああ、さうしよう。」と狸は大あくびしながら腕をぽりぽり掻いて、「やけにおなかが空いた。かうおなかが空くと、もうとても、眠つて居られるものぢやない。おれは敏感なんだ。」ともつともらしい顏で言ひ、「どれ、それではおれも刈つた柴を大急ぎで集めて、下山としようか。お辨當も、もう、からになつたし、この仕事を早く片づけて、それからすぐに食べ物を搜さなくちやいけない。」
二人はそれぞれ刈つた柴を脊負つて、歸途につく。
「あなた、さきに歩いてよ。この邊には、蛇がゐるんで、私こはくて。」
「蛇? 蛇なんてこはいもんか。見つけ次第おれがとつて、」食べる、と言ひかけて、口ごもり、「おれがとつて、殺してやる。さあ、おれのあとについて來い。」
「やつぱり、男のひとつて、こんな時にはたのもしいものねえ。」
「おだてるなよ。」とやにさがり、「けふはお前、ばかにしをらしいぢやないか。氣味がわるいくらゐだぜ。まさか、おれをこれから爺さんのところに連れて行つて、狸汁にするわけぢやあるまいな。あははは。そいつばかりは、ごめんだぜ。」
「あら、そんなにへんに疑ふなら、もういいわよ。私がひとりで行くわよ。」
「いや、そんなわけぢやない。一緒に行くがね、おれは蛇だつて何だつてこの世の中にこはいものなんかありやしないが、どうもあの爺さんだけは苦手だ。狸汁にするなんて言ひやがるから、いやだよ。どだい、下品ぢやないか。少くとも、いい趣味ぢやないと思ふよ。おれは、あの爺さんの庭先の手前の一本榎のところまで、この柴を脊負つて行くから、あとはお前が運んでくれよ。おれは、あそこで失敬しようと思ふんだ。どうもあの爺さんの顏を見ると、おれは何とも言へず不愉快になる。おや? 何だい、あれは。へんな音がするね。なんだらう。お前にも、聞えないか? 何だか、カチ、カチ、と音がする。」
「當り前ぢやないの? ここは、カチカチ山だもの。」
「カチカチ山? ここがかい?」
「ええ、知らなかつたの?」
「うん。知らなかつた。この山に、そんな名前があるとは今日まで知らなかつたね。しかし、へんな名前だ。嘘ぢやないか?」
「あら、だつて、山にはみんな名前があるものでせう? あれが富士山だし、あれが長尾山だし、あれが大室山だし、みんなに名前があるぢやないの。だから、この山はカチカチ山つていふ名前なのよ。ね、ほら、カチ、カチつて音が聞える。」
「うん、聞える。しかし、へんだな。いままで、おれはいちども、この山でこんな音を聞いた事が無い。この山で生れて、三十何年かになるけれども、こんな、──」
「まあ! あなたは、もうそんな年なの? こなひだ私に十七だなんて教へたくせに、ひどいぢやないの。顏が皺くちやで、腰も少し曲つてゐるのに、十七とは、へんだと思つてゐたんだけど、それにしても、二十も年をかくしてゐるとは思はなかつたわ。それぢやあなたは、四十ちかいんでせう、まあ、ずゐぶんね。」
「いや十七だ、十七。十七なんだ。おれがかう腰をかがめて歩くのは、決してとしのせゐぢやないんだ。おなかが空いてゐるから、自然にこんな恰好になるんだ。三十何年、といふのは、あれは、おれの兄の事だよ。兄がいつも口癖のやうにさう言ふので、つい、おれも、うつかり、あんな事を口走つてしまつたんだ。つまり、ちよつと傳染したつてわけさ。そんなわけなんだよ、君。」狼狽のあまり、君といふ言葉を使つた。
「さうですか。」と兎は冷靜に、「でも、あなたにお兄さんがあるなんて、はじめて聞いたわ。あなたはいつか私に、おれは淋しいんだ、孤獨なんだよ、親も兄弟も無い、この孤獨の淋しさが、お前、わからんかね、なんておつしやつてたぢやないの。あれは、どういふわけなの?」
「さう、さう、」と狸は、自分でも何を言つてゐるのか、わからなくなり、「まつたく世の中は、これでなかなか複雜なものだからねえ、そんなに一概には行かないよ。兄があつたり無かつたり。」
「まるで、意味が無いぢやないの。」と兎もさすがに呆れ果て、「めちや苦茶ね。」
「うん、實はね、兄はひとりあるんだ。これは言ふのもつらいが、飮んだくれのならず者でね、おれはもう恥づかしくて、面目なくて、生れて三十何年間、いや、兄がだよ、兄が生れて三十何年間といふもの、このおれに、迷惑のかけどほしさ。」
「それも、へんね。十七のひとが、三十何年間も迷惑をかけられたなんて。」
狸は、もう聞えぬ振りして、
「世の中には、一口で言へない事が多いよ。いまぢやもう、おれのはうから、あれは無いものと思つて、勘當して、おや? へんだね、キナくさい。お前、なんともないか?」
「いいえ。」
「さうかね。」狸は、いつも臭いものを食べつけてゐるので、鼻には自信が無い。けげんな面持で頸をひねり、「氣のせゐかなあ。あれあれ、何だか火が燃えてゐるやうな、パチパチボウボウつて音がするぢやないか。」
「それやその筈よ。ここは、パチパチのボウボウ山だもの。」
「嘘つけ。お前は、ついさつき、ここはカチカチ山だつて言つた癖に。」
「さうよ、同じ山でも、場所に依つて名前が違ふのよ。富士山の中腹にも小富士といふ山があるし、それから大室山だつて長尾山だつて、みんな富士山と續いてゐる山ぢやないの。知らなかつたの?」
「うん、知らなかつた。さうかなあ、ここがパチパチのボウボウ山とは、おれが三十何年間、いや、兄の話に依れば、ここはただの裏山だつたが、いや、これは、ばかに暖くなつて來た。地震でも起るんぢやねえだらうか。何だかけふは薄氣味の惡い日だ。やあ、これは、ひどく暑い。きやあつ! あちちちち、ひでえ、あちちちち、助けてくれ、柴が燃えてる。あちちちち。」
その翌る日、狸は自分の穴の奧にこもつて唸り、
「ああ、くるしい。いよいよ、おれも死ぬかも知れねえ。思へば、おれほど不仕合せな男は無い。なまなかに男振りが少し佳く生れて來たばかりに、女どもが、かへつて遠慮しておれに近寄らない。いつたいに、どうも、上品に見える男は損だ。おれを女ぎらひかと思つてゐるのかも知れねえ。なあに、おれだつて決して聖人ぢやない。女は好きさ。それだのに、女はおれを高邁な理想主義者だと思つてゐるらしく、なかなか誘惑してくれない。かうなればいつそ、大聲で叫んで走り狂ひたい。おれは女が好きなんだ! あ、いてえ、いてえ。どうも、この火傷といふものは始末がわるい。づきづき痛む。やつと狸汁から逃れたかと思ふと、こんどは、わけのわからねえボウボウ山とかいふのに足を踏み込んだのが、運のつきだ。あの山は、つまらねえ山であつた。柴がボウボウ燃え上るんだから、ひどい。三十何年、」と言ひかけて、あたりをぎよろりと見廻し、「何を隱さう、おれあことし三十七さ、へへん、わるいか、もう三年經てば四十だ、わかり切つた事だ、理の當然といふものだ、見ればわかるぢやないか。あいたたた、それにしても、おれが生れてから三十七年間、あの裏山で遊んで育つて來たのだが、つひぞいちども、あんなへんな目に遭つた事が無い。カチカチ山だの、ボウボウ山だの、名前からして妙に出來てる。はて、不思議だ。」とわれとわが頭を毆りつけて思案にくれた。
その時、表で行商の呼賣りの聲がする。
「仙金膏はいかが。やけど、切傷、色黒に惱むかたはゐないか。」
狸は、やけど切傷よりも、色黒と聞いてはつとした。
「おうい、仙金膏。」
「へえ、どちらさまで。」
「こつちだ、穴の奧だよ。色黒にもきくかね。」
「それはもう、一日で。」
「ほほう、」とよろこび、穴の奧からゐざり出て、「や! お前は、兎。」
「ええ、兎には違ひありませんが、私は男の藥賣りです。ええ、もう三十何年間、この邊をかうして賣り歩いてゐます。」
「ふう、」と狸は溜息をついて首をかしげ、「しかし、似た兎もあるものだ。三十何年間、さうか、お前がねえ。いや、歳月の話はよさう。糞面白くもない。しつつこいぢやないか。まあ、そんなわけのものさ。」としどろもどろのごまかし方をして、「ところで、おれにその藥を少しゆづつてくれないか。實はちよつと惱みのある身なのでな。」
「おや、ひどい火傷ですねえ。これは、いけない。ほつて置いたら、死にますよ。」
「いや、おれはいつそ死にてえ。こんな火傷なんかどうだつていいんだ。それよりも、おれは、いま、その、容貌の、──」
「何を言つていらつしやるんです。生死の境ぢやありませんか。やあ、脊中が一ばんひどいですね。いつたい、これはどうしたのです。」
「それがねえ、」と狸は口をゆがめて、「パチパチのボウボウ山とかいふきざな名前の山に踏み込んだばつかりにねえ、いやもう、とんだ事になつてねえ、おどろきましたよ。」
兎は思はず、くすくす笑つてしまつた。狸は、兎がなぜ笑つたのかわからなかつたが、とにかく自分も一緒に、あはははと笑ひ、
「まつたくねえ。ばかばかしいつたらありやしないのさ。お前にも忠告して置きますがね、あの山へだけは行つちやいけないぜ。はじめ、カチカチ山といふのがあつて、それからいよいよパチパチのボウボウ山といふ事になるんだが、あいつあいけない。ひでえ事になつちやふ。まあ、いい加減に、カチカチ山あたりでごめんかうむつて來るんですな。へたにボウボウ山などに踏み込んだが最後、かくの如き始末だ。あいててて。いいですか。忠告しますよ。お前はまだ若いやうだから、おれのやうな年寄りの言は、いや、年寄りでもないが、とにかく、ばかにしないで、この友人の言だけは尊重して下さいよ。何せ、體驗者の言なのだから。あいてててて。」
「ありがたうございます。氣をつけませう。ところで、どうしませう、お藥は。御深切な忠告を聞かしていただいたお禮として、お藥代は頂戴いたしません。とにかく、その脊中の火傷に塗つてあげませう。ちやうど折よく私が來合せたから、よかつたやうなものの、さうでもなかつたら、あなたはもう命を落すやうな事になつたかも知れないのです。これも何かのお導きでせう。縁ですね。」
「縁かも知れねえ。」と狸は低く呻くやうに言ひ、「ただなら塗つてもらはうか。おれもこのごろは貧乏でな、どうも、女に惚れると金がかかつていけねえ。ついでにその膏藥を一滴おれの手のひらに載せて見せてくれねえか。」
「どうなさるのです。」兎は、不安さうな顏になつた。
「いや、はあ、なんでもねえ。ただ、ちよつと見たいんだよ。どんな色合ひのものだかな。」
「色は別に他の膏藥とかはつてもゐませんよ。こんなものですが。」とほんの少量を、狸の差出す手のひらに載せてやる。
狸は素早くそれを顏に塗らうとしたので兎は驚き、そんな事でこの藥の正體が暴露してはかなはぬと、狸の手を遮り、
「あ、それはいけません。顏に塗るには、その藥は少し強すぎます。とんでもない。」
「いや、放してくれ。」狸はいまは破れかぶれになり、「後生だから手を放せ。お前にはおれの氣持がわからないんだ。おれはこの色黒のため生れて三十何年間、どのやうに味氣ない思ひをして來たかわからない。放せ。手を放せ。後生だから塗らせてくれ。」
つひに狸は足を擧げて兎を蹴飛ばし、眼にもとまらぬ早さで藥をぬたくり、
「少くともおれの顏は、目鼻立ちは決して惡くないと思ふんだ。ただ、この色黒のために氣がひけてゐたんだ。もう大丈夫だ。うわつ! これは、ひどい。どうもひりひりする。強い藥だ。しかし、これくらゐの強い藥でなければ、おれの色黒はなほらないやうな氣もする。わあ、ひどい。しかし、我慢するんだ。ちきしやうめ、こんどあいつが、おれと逢つた時、うつとりおれの顏に見とれて、うふふ、おれはもう、あいつが、戀わづらひしたつて知らないぞ。おれの責任ぢやないからな。ああ、ひりひりする。この藥は、たしかに效く。さあ、もうかうなつたら、脊中にでもどこにでも、からだ一面に塗つてくれ。おれは死んだつてかまはん。色白にさへなつたら死んだつてかまはんのだ。さあ塗つてくれ。遠慮なくべたべたと威勢よくやつてくれ。」まことに悲壯な光景になつて來た。
けれども、美しく高ぶつた處女の殘忍性には限りが無い。ほとんどそれは、惡魔に似てゐる。平然と立ち上つて、狸の火傷にれいの唐辛子をねつたものをこつてりと塗る。狸はたちまち七轉八倒して、
「ううむ、何ともない。この藥は、たしかに效く。わああ、ひどい。水をくれ。ここはどこだ。地獄か。かんにんしてくれ。おれは地獄へ落ちる覺えは無えんだ。おれは狸汁にされるのがいやだつたから、それで婆さんをやつつけたんだ。おれに、とがは無えのだ。おれは生れて三十何年間、色が黒いばつかりに、女にいちども、もてやしなかつたんだ。それから、おれは、食慾が、ああ、そのために、おれはどんなにきまりの惡い思ひをして來たか。誰も知りやしないのだ。おれは孤獨だ。おれは善人だ。眼鼻立ちは惡くないと思ふんだ。」と苦しみのあまり哀れな譫言を口走り、やがてぐつたり失神の有樣となる。
しかし、狸の不幸は、まだ終らぬ。作者の私でさへ、書きながら溜息が出るくらゐだ。おそらく、日本の歴史に於いても、これほど不振の後半生を送つた者は、あまり例が無いやうに思はれる。狸汁の運命から逃れて、やれ嬉しやと思ふ間もなく、ボウボウ山で意味も無い大火傷をして九死に一生を得、這ふやうにしてどうやらわが巣にたどりつき、口をゆがめて呻吟してゐると、こんどはその大火傷に唐辛子をべたべた塗られ、苦痛のあまり失神し、さて、それからいよいよ泥舟に乘せられ、河口湖底に沈むのである。實に、何のいいところも無い。これもまた一種の女難にちがひ無からうが、しかし、それにしても、あまりに野暮な女難である。粹なところが、ひとつも無い。彼は穴の奧で三日間は蟲の息で、生きてゐるのだか死んでゐるのだか、それこそ全く幽明の境をさまよひ、四日目に、猛烈の空腹感に襲はれ、杖をついて穴からよろばひ出て、何やらぶつぶつ言ひながら、かなたこなた食ひ搜して歩いてゐるその姿の氣の毒さと來たら比類が無かつた。しかし、根が骨太の岩乘なからだであつたから、十日も經たぬうちに全快し、食慾は舊の如く旺盛で、色慾などもちよつと出て來て、よせばよいのに、またもや兎の庵にのこのこ出かける。
「遊びに來ましたよ。うふふ。」と、てれて、いやらしく笑ふ。
「あら!」と兎は言ひ、ひどく露骨にいやな顏をした。なあんだ、あなたなの? といふ氣持、いや、それよりもひどい。なんだつてまたやつて來たの、圖々しいぢやないの、といふ氣持、いや、それよりもなほひどい。ああ、たまらない! 厄病神が來た! といふ氣持、いや、それよりも、もつとひどい。きたない! くさい! 死んぢまへ! といふやうな極度の嫌惡が、その時の兎の顏にありありと見えてゐるのに、しかし、とかく招かれざる客といふものは、その訪問先の主人の、こんな憎惡感に氣附く事はなはだ疎いものである。これは實に不思議な心理だ。讀者諸君も氣をつけるがよい。あそこの家へ行くのは、どうも大儀だ、窮屈だ、と思ひながら澁々出かけて行く時には、案外その家で君たちの來訪をしんから喜んでゐるものである。それに反して、ああ、あの家はなんて氣持のよい家だらう、ほとんどわが家同然だ、いや、わが家以上に居心地がよい、我輩の唯一の憇ひの巣だ、なんともあの家へ行くのは樂しみだ、などといい氣分で出かける家に於いては、諸君は、まづたいてい迷惑がられ、きたながられ、恐怖せられ、襖の陰に帚など立てられてゐるものである。他人の家に、憇ひの巣を期待するのが、そもそも馬鹿者の證據なのかも知れないが、とかくこの訪問といふ事に於いては、吾人は驚くべき思ひ違ひをしてゐるものである。格別の用事でも無い限り、どんな親しい身内の家にでも、矢鱈に訪問などすべきものでは無いかも知れない。作者のこの忠告を疑ふ者は、狸を見よ。狸はいま明らかに、このおそるべき錯誤を犯してゐるのだ。兎が、あら! と言ひ、さうして、いやな顏をしても、狸には一向に氣がつかない。狸には、その、あら! といふ叫びも、狸の不意の訪問に驚き、かつは喜悦して、おのづから發せられた處女の無邪氣な聲の如くに思はれ、ぞくぞく嬉しく、また兎の眉をひそめた表情をも、これは自分の先日のボウボウ山の災難に、心を痛めてゐるのに違ひ無いと解し、
「や、ありがたう。」とお見舞ひも何も言はれぬくせに、こちらから御禮を述べ、「心配無用だよ。もう大丈夫だ。おれには神さまがついてゐるんだ。運がいいのだ。あんなボウボウ山なんて屁の河童さ。河童の肉は、うまいさうで、何とかして、そのうち食べてみようと思つてゐるんだがね。それは餘談だが、しかし、あの時は、驚いたよ。何せどうも、たいへんな火勢だつたからね。お前のはうは、どうだつたね。べつに怪我も無い樣子だが、よくあの火の中を無事で逃げて來られたね。」
「無事でもないわよ。」と兎はつんとすねて見せて、「あなたつたら、ひどいぢやないの。あのたいへんな火事場に、私ひとりを置いてどんどん逃げて行つてしまふんだもの。私は煙にむせて、もう少しで死ぬところだつたのよ。私は、あなたを恨んだわ。やつぱりあんな時に、つい本心といふものがあらはれるものらしいのね。私には、もう、あなたの本心といふものが、こんど、はつきりわかつたわ。」
「すまねえ。かんにんしてくれ。實はおれも、ひどい火傷をして、おれには、ひよつとしたら神さまも何もついてゐねえのかも知れない、さんざんの目に遭つちやつたんだ。お前はどうなつたか、決してそれを忘れてゐたわけぢやなかつたんだが、何せどうも、たちまちおれの脊中が熱くなつて、お前を助けに行くひまも何も無かつたんだよ。わかつてくれねえかなあ。おれは決して不實な男ぢやねえのだ。火傷つてやつも、なかなか馬鹿にできねえものだぜ。それに、あの、仙金膏とか、疝氣膏とか、あいつあ、いけない。いやもう、ひどい藥だ。色黒にも何もききやしない。」
「色黒?」
「いや、何。どろりとした黒い藥でね、こいつあ、強い藥なんだ。お前によく似た、小さい、奇妙な野郎が藥代は要らねえ、と言ふから、おれもつい、ものはためしだと思つて、塗つてもらふ事にしたのだが、いやはやどうも、ただの藥つてのも、あれはお前、氣をつけたはうがいいぜ、油斷も何もなりやしねえ、おれはもう頭のてつぺんからキリキリと小さい龍卷が立ち昇つたやうな氣がして、どうとばかりに倒れたんだ。」
「ふん、」と兎は輕蔑し、「自業自得ぢやないの。ケチンボだから罰が當つたんだわ。ただの藥だから、ためしてみたなんて、よくもまあそんな下品な事を、恥づかしくもなく言へたものねえ。」
「ひでえ事を言ふ。」と狸は低い聲で言ひ、けれども、別段何も感じないらしく、ただもう好きなひとの傍にゐるといふ幸福感にぬくぬくとあたたまつてゐる樣子で、どつしりと腰を落ちつけ、死魚のやうに濁つた眼であたりを見廻し、小蟲を拾つて食べたりしながら、「しかし、おれは運のいい男だなあ。どんな目に遭つても、死にやしない。神さまがついてゐるのかも知れねえ。お前も無事でよかつたが、おれも何といふ事もなく火傷がなほつて、かうしてまた二人でのんびり話が出來るんだものなあ。ああ、まるで夢のやうだ。」
兎はもうさつきから、早く歸つてもらひたくてたまらなかつた。いやでいやで、死にさうな氣持。何とかしてこの自分の庵の附近から去つてもらひたくて、またもや惡魔的の一計を案出する。
「ね、あなたはこの河口湖に、そりやおいしい鮒がうようよゐる事をご存じ?」
「知らねえ。ほんとかね。」と狸は、たちまち眼をかがやかして、「おれが三つの時、おふくろが鮒を一匹捕つて來ておれに食べさせてくれた事があつたけれども、あれはおいしい。おれはどうも、不器用といふわけではないが、決してさういふわけではないが、鮒なんて水の中のものを捕へる事が出來ねえので、どうも、あいつはおいしいといふ事だけは知つてゐながら、それ以來三十何年間、いや、はははは、つい兄の口眞似をしちやつた。兄も鮒は好きでなあ。」
「さうですかね。」と兎は上の空で合槌を打ち、「私はどうも、鮒など食べたくもないけれど、でも、あなたがそんなにお好きなのならば、これから一緒に捕りに行つてあげてもいいわよ。」
「さうかい。」と狸はほくほくして、「でも、あの鮒つてやつは、素早いもんでなあ、おれはあいつを捕へようとして、も少しで土左衞門になりかけた事があるけれども、」とつい自分の過去の失態を告白し、「お前に何かいい方法があるのかね。」
「網で掬つたら、わけは無いわ。あの鸕鷀島の岸にこのごろとても大きい鮒が集つてゐるのよ。ね、行きませう。あなた、舟は? 漕げるの?」
「うむ、」幽かな溜息をついて、「漕げないことも無いがね。その氣になりや、なあに。」と苦しい法螺を吹いた。
「漕げるの?」と兎は、それが法螺だといふ事を知つてゐながら、わざと信じた振りをして、「ぢや、ちやうどいいわ。私にはね、小さい舟が一艘あるけど、あんまり小さすぎて私たちふたりは乘れないの。それに何せ薄い板切れでいい加減に作つた舟だから、水がしみ込んで來て危いのよ。でも、私なんかどうなつたつて、あなたの身にもしもの事があつてはいけないから、あなたの舟をこれから、ふたりで一緒に力を合せて作りませうよ。板切れの舟は危いから、もつと岩乘に、泥をこねつて作りませうよ。」
「すまねえなあ。おれはもう、泣くぜ。泣かしてくれ。おれはどうしてこんなに涙もろいか。」と言つて嘘泣きをしながら、「ついでにお前ひとりで、その岩乘ないい舟を作つてくれないか。な、たのむよ。」と拔からず横着な申し出をして、「おれは恩に着るぜ。お前がそのおれの岩乘な舟を作つてくれてゐる間に、おれは、ちよつとお辨當をこさへよう。おれはきつと立派な炊事係りになれるだらうと思ふんだ。」
「さうね。」と兎は、この狸の勝手な意見をも信じた振りして素直に首肯く。さうして狸は、ああ世の中なんて甘いもんだとほくそ笑む。この間一髮に於いて、狸の悲運は決定せられた。自分の出鱈目を何でも信じてくれる者の胸中には、しばしば何かのおそるべき惡計が藏せられてゐるものだと云ふ事を、迂愚の狸は知らなかつた。調子がいいぞ、とにやにやしてゐる。
ふたりはそろつて湖畔に出る。白い河口湖には波ひとつ無い。兎はさつそく泥をこねて、所謂岩乘な、いい舟の製作にとりかかり、狸は、すまねえ、すまねえ、と言ひながらあちこち飛び廻つて專ら自分のお辨當の内容調合に腐心し、夕風が微かに吹き起つて湖面一ぱいに小さい波が立つて來た頃、粘土の小さい舟が、つやつやと鋼鐵色に輝いて進水した。
「ふむ、惡くない。」と狸は、はしやいで、石油鑵ぐらゐの大きさの、れいのお辨當箱をまづ舟に積み込み、「お前は、しかし、ずいぶん器用な娘だねえ。またたく間にこんな綺麗な舟一艘つくり上げてしまふのだからねえ。神技だ。」と齒の浮くやうな見え透いたお世辭を言ひ、このやうな器用な働き者を女房にしたら、或ひはおれは、女房の働きに依つて遊んでゐながら贅澤ができるかも知れないなどと、色氣のほかにいまはむらむら慾氣さへ出て來て、いよいよこれは何としてもこの女にくつついて一生はなれぬ事だ、とひそかに覺悟のほぞを固めて、よいしよと泥の舟に乘り、「お前はきつと舟を漕ぐのも上手だらうねえ。おれだつて、舟の漕ぎ方くらゐ知らないわけでは、まさか、そんな、知らないと云ふわけでは決して無いんだが、けふはひとつ、わが女房のお手並を拜見したい。」いやに言葉遣ひが圖々しくなつて來た。「おれも昔は、舟の漕ぎ方にかけては名人とか、または達者とか言はれたものだが、けふはまあ寢轉んで拜見といふ事にしようかな。かまはないから、おれの舟の舳を、お前の舟の艫にゆはへ附けておくれ。舟も仲良くぴつたりくつついて、死なばもろとも、見捨てちやいやよ。」などといやらしく、きざつたらしい事を言つてぐつたり泥舟の底に寢そべる。
兎は、舟をゆはへ附けよと言はれて、さてはこの馬鹿も何か感づいたかな? とぎよつとして狸の顏つきを盜み見たが、何の事は無い、狸は鼻の下を長くしてにやにや笑ひながら、もはや夢路をたどつてゐる。鮒がとれたら起してくれ。あいつあ、うめえからなあ。おれは三十七だよ。などと馬鹿な寢言を言つてゐる。兎は、ふんと笑つて狸の泥舟を兎の舟につないで、それから、櫂でぱちやと水の面を撃つ。するすると二艘の舟は岸を離れる。
鸕鷀島の松林は夕陽を浴びて火事のやうだ。ここでちよつと作者は物識り振るが、この島の松林を寫生して圖案化したのが、煙草の「敷島」の箱に描かれてある、あれだといふ話だ。たしかな人から聞いたのだから、讀者も信じて損は無からう。もつとも、いまはもう「敷島」なんて煙草は無くなつてゐるから、若い讀者には何の興味も無い話である。つまらない知識を振りまはしたものだ。とかく識つたかぶりは、このやうな馬鹿らしい結果に終る。まあ、生れて三十何年以上にもなる讀者だけが、ああ、あの松か、と藝者遊びの記憶なんかと一緒にぼんやり思ひ出して、つまらなさうな顏をするくらゐが關の山であらうか。
さて兎は、その鸕鷀島の夕景をうつとり望見して、
「おお、いい景色。」と呟く。これは如何にも奇怪である。どんな極惡人でも、自分がこれから殘虐の犯罪を行はうといふその直前に於いて、山水の美にうつとり見とれるほどの餘裕なんて無いやうに思はれるが、しかし、この十六歳の美しい處女は、眼を細めて島の夕景を觀賞してゐる。まことに無邪氣と惡魔とは紙一重である。苦勞を知らぬわがままな處女の、へどが出るやうな氣障つたらしい姿態に對して、ああ青春は純眞だ、なんて言つて垂涎してゐる男たちは、氣をつけるがよい。その人たちの所謂「青春の純眞」とかいふものは、しばしばこの兎の例に於けるが如く、その胸中に殺意と陶醉が隣合せて住んでゐても平然たる、何が何やらわからぬ官能のごちやまぜの亂舞である。危險この上ないビールの泡だ。皮膚感覺が倫理を覆つてゐる状態、これを低能あるひは惡魔といふ。ひところ世界中に流行したアメリカ映畫、あれには、こんな所謂「純眞」な雄や雌がたくさん出て來て、皮膚感觸をもてあまして擽つたげにちよこまか、バネ仕掛けの如く動きまはつてゐた。別にこじつけるわけではないが、所謂「青春の純眞」といふものの元祖は、或ひは、アメリカあたりにあつたのではなからうかと思はれるくらゐだ。スキイでランラン、とかいふたぐひである。さうしてその裏で、ひどく愚劣な犯罪を平氣で行つてゐる。低能でなければ惡魔である。いや、惡魔といふものは元來、低能なのかも知れない。小柄でほつそりして手足が華奢で、かの月の女神アルテミスにも比較せられた十六歳の處女の兎も、ここに於いて一擧に頗る興味索然たるつまらぬものになつてしまつた。低能かい。それぢやあ仕樣が無いねえ。
「ひやあ!」と脚下に奇妙な聲が起る。わが親愛なる而して甚だ純眞ならざる三十七歳の男性、狸君の悲鳴である。「水だ、水だ。これはいかん。」
「うるさいわね。泥の舟だもの、どうせ沈むわ。わからなかつたの?」
「わからん。理解に苦しむ。筋道が立たぬ。それは御無理といふものだ。お前はまさかこのおれを、いや、まさか、そんな鬼のやうな、いや、まるでわからん。お前はおれの女房ぢやないか。やあ、沈む。少くとも沈むといふ事だけは眼前の眞實だ。冗談にしたつて、あくどすぎる。これはほとんど暴力だ。やあ、沈む。おい、お前どうしてくれるんだ。お辨當がむだになるぢやないか。このお辨當箱には鼬の糞でまぶした蚯蚓のマカロニなんか入つてゐるのだ。惜しいぢやないか。あつぷ! ああ、たうとう水を飮んぢやつた。おい、たのむ、ひとの惡い冗談はいい加減によせ。おいおい、その綱を切つちやいかん。死なばもろとも、夫婦は二世、切つても切れねえ縁の艫綱、あ、いけねえ、切つちやつた。助けてくれ! おれは泳ぎが出來ねえのだ。白状する。昔は少し泳げたのだが、狸も三十七になると、あちこちの筋が固くなつて、とても泳げやしないのだ。白状する。おれは三十七なんだ。お前とは實際、としが違ひすぎるのだ。年寄りを大事にしろ! 敬老の心掛けを忘れるな! あつぷ! ああ、お前はいい子だ、な、いい子だから、そのお前の持つてゐる櫂をこつちへ差しのべておくれ、おれはそれにつかまつて、あいたたた、何をするんだ、痛いぢやないか、櫂でおれの頭を毆りやがつて、よし、さうか、わかつた! お前はおれを殺す氣だな、それでわかつた。」と狸もその死の直前に到つて、はじめて兎の惡計を見拔いたが、既におそかつた。
ぽかん、ぽかん、と無慈悲の櫂が頭上に降る。狸は夕陽にきらきら輝く湖面に浮きつ沈みつ、
「あいたたた、あいたたた、ひどいぢやないか。おれは、お前にどんな惡い事をしたのだ。惚れたが惡いか。」と言つて、ぐつと沈んでそれつきり。
兎は顏を拭いて、
「おお、ひどい汗。」と言つた。
ところでこれは、好色の戒めとでもいふものであらうか。十六歳の美しい處女には近寄るなといふ深切な忠告を匂はせた滑稽物語でもあらうか。或ひはまた、氣にいつたからとて、あまりしつこくお伺ひしては、つひには極度に嫌惡せられ、殺害せられるほどのひどいめに遭ふから節度を守れ、といふ禮儀作法の教科書でもあらうか。
或ひはまた、道徳の善惡よりも、感覺の好き嫌ひに依つて世の中の人たちはその日常生活に於いて互ひに罵り、または罰し、または賞し、または服してゐるものだといふ事を暗示してゐる笑話であらうか。
いやいや、そのやうに評論家的な結論に焦躁せずとも、狸の死ぬるいまはの際の一言にだけ留意して置いたら、いいのではあるまいか。
曰く、惚れたが惡いか。
古來、世界中の文藝の哀話の主題は、一にここにかかつてゐると言つても過言ではあるまい。女性にはすべて、この無慈悲な兎が一匹住んでゐるし、男性には、あの善良な狸がいつも溺れかかつてあがいてゐる。作者の、それこそ三十何年來の、頗る不振の經歴に徴して見ても、それは明々白々であつた。おそらくは、また、君に於いても。後略。
私はこの「お伽草紙」といふ本を、日本の國難打開のために敢鬪してゐる人々の寸暇に於ける慰勞のささやかな玩具として恰好のものたらしむべく、このごろ常に微熱を發してゐる不完全のからだながら、命ぜられては奉公の用事に出勤したり、また自分の家の罹災の後始末やら何やらしながら、とにかく、そのひまに少しづつ書きすすめて來たのである。瘤取り、浦島さん、カチカチ山、その次に、桃太郎と、舌切雀を書いて、一應この「お伽草紙」を完結させようと私は思つてゐたのであるが、桃太郎のお話は、あれはもう、ぎりぎりに單純化せられて、日本男兒の象徴のやうになつてゐて、物語といふよりは詩や歌の趣きさへ呈してゐる。もちろん私も當初に於いては、この桃太郎をも、私の物語に鑄造し直すつもりでゐた。すなはち私は、あの鬼ヶ島の鬼といふものに、或る種の憎むべき性格を附與してやらうと思つてゐた。どうしてもあれは、征伐せずには置けぬ醜怪極惡無類の人間として、描寫するつもりであつた。それに依つて桃太郎の鬼征伐も大いに讀者諸君の共鳴を呼び起し、而してその戰鬪も讀む者の手に汗を握らせるほどの眞に危機一髮のものたらしめようとたくらんでゐた。(未だ書かぬ自分の作品の計畫を語る場合に於いては、作者はたいていこのやうにあどけない法螺を吹くものである。そんなに、うまくは行きませぬて。)まあさ、とにかく、まあ、聞き給へ。どうせ、氣焔だがね。とにかく、ひやかさずに聞いてくれ給へ。ギリシヤ神話に於いて、最も佞惡醜穢の魔物は、やはりあの萬蛇頭のメデウサであらう。眉間には狐疑の深い皺がきざみ込まれ、小さい灰色の眼には淺間しい殺意が燃え、眞蒼な頬は威嚇の怒りに震へて、黒ずんだ薄い唇は嫌惡と侮蔑にひきつつたやうにゆがんでゐる。さうして長い頭髮の一本一本がことごとく腹の赤い毒蛇である。敵に對してこの無數の毒蛇は、素早く一樣に鎌首をもたげ、しゆつしゆつと氣味惡い音を立てて手向ふ。このメデウサの姿をひとめ見た者は、何とも知れずいやな氣持になつて、さうして、心臟が凍り、からだ全體つめたい石になつたといふ。恐怖といふよりは、不快感である。人の肉體よりも、人の心に害を加へる。このやうな魔物は、最も憎むべきものであり、かつまたすみやかに退治しなければならぬものである。それに較べると、日本の化物は單純で、さうして愛嬌がある。古寺の大入道や一本足の傘の化物などは、たいてい酒飮みの豪傑のために無邪氣な舞ひをごらんに入れて以て豪傑の乙夜丑滿の無聊を慰めてくれるだけのものである。また、繪本の鬼ヶ島の鬼たちも、圖體ばかり大きくて、猿に鼻など引掻かれ、あつ! と言つてひつくりかへつて降參したりしてゐる。一向におそろしくも何とも無い。善良な性格のもののやうにさへ思はれる。それでは折角の鬼退治も、甚だ氣拔けのした物語になるだらう。ここは、どうしてもメデウサの首以上の凄い、不愉快きはまる魔物を登場させなければならぬところだ。それでなければ讀者の手に汗を握らせるわけにはいかぬ。また、征服者の桃太郎が、あまりに強くては、讀者はかへつて鬼のはうを氣の毒に思つたりなどして、その物語に危機一髮の醍醐味は湧いて出ない。ジイグフリイドほどの不死身の大勇者でも、その肩先に一箇所の弱點を持つてゐたではないか。辨慶にも泣きどころがあつたといふし、とにかく、完璧の絶對の強者は、どうも物語には向かない。それに私は、自身が非力のせゐか、弱者の心理にはいささか通じてゐるつもりだが、どうも、強者の心理は、あまりつまびらかに知つてゐない。殊にも、誰にも絶對に負けぬ完璧の強者なんてのには、いま迄いちども逢つた事が無いし、また噂にさへ聞いた事が無い。私は多少でも自分で實際に經驗した事で無ければ、一行も一字も書けない甚だ空想が貧弱の物語作家である。それで、この桃太郎物語を書くに當つても、そんな見た事も無い絶對不敗の豪傑を登場させるのは何としても不可能なのである。やはり、私の桃太郎は、小さい時から泣蟲で、からだが弱くて、はにかみ屋で、さつぱり駄目な男だつたのだが、人の心情を破壞し、永遠の絶望と戰慄と怨嗟の地獄にたたき込む惡辣無類にして醜怪の妖鬼たちに接して、われ非力なりと雖もいまは默視し得ずと敢然立つて、黍團子を腰に、かの妖鬼たちの巣窟に向つて發足する、とでもいふやうな事になりさうである。またあの、犬、猿、雉の三匹の家來も、決して模範的な助力者ではなく、それぞれに困つた癖があつて、たまには喧譁もはじめるであらうし、ほとんどかの西遊記の悟空、八戒、悟淨の如きもののやうに書くかも知れない。しかし、私は、カチカチ山の次に、いよいよこの、「私の桃太郎」に取りかからうとして、突然、ひどく物憂い氣持に襲はれたのである。せめて、桃太郎の物語一つだけは、このままの單純な形で殘して置きたい。これは、もう物語ではない。昔から日本人全部に歌ひ繼がれて來た日本の詩である。物語の筋にどんな矛盾があつたつて、かまはぬ。この詩の平明濶達の氣分を、いまさら、いぢくり廻すのは、日本に對してすまぬ。いやしくも桃太郎は、日本一といふ旗を持つてゐる男である。日本一はおろか日本二も三も經驗せぬ作者が、そんな日本一の快男子を描寫できる筈が無い。私は桃太郎のあの「日本一」の旗を思ひ浮べるに及んで、潔く「私の桃太郎物語」の計畫を放棄したのである。
さうして、すぐつぎに舌切雀の物語を書き、それだけで一應、この「お伽草紙」を結びたいと思ひ直したわけである。この舌切雀にせよ、また前の瘤取り、浦島さん、カチカチ山、いづれも「日本一」の登場は無いので、私の責任も輕く、自由に書く事を得たのであるが、どうも、日本一と言ふ事になると、かりそめにもこの貴い國で第一と言ふ事になると、いくらお伽噺だからと言つても、出鱈目な書き方は許されまい。外國の人が見て、なんだ、これが日本一か、などと言つたら、その口惜しさはどんなだらう。だから、私はここにくどいくらゐに念を押して置きたいのだ。瘤取りの二老人も浦島さんも、またカチカチ山の狸さんも、決して日本一ではないんだぞ、桃太郎だけが日本一なんだぞ、さうしておれはその桃太郎を書かなかつたんだぞ。本當の日本一なんか、もしお前の眼前に現はれたら、お前の兩眼はまぶしさのためにつぶれるかも知れない。いいか、わかつたか。この私の「お伽草紙」に出て來る者は、日本一でも二でも三でも無いし、また、所謂「代表的人物」でも無い。これはただ、太宰といふ作家がその愚かな經驗と貧弱な空想を以て創造した極めて凡庸の人物たちばかりである。これらの諸人物を以て、ただちに日本人の輕重を推計せんとするのは、それこそ刻舟求劍のしたり顏なる穿鑿に近い。私は日本を大事にしてゐる。それは言ふまでも無い事だが、それゆゑ、私は日本一の桃太郎を描寫する事は避け、また、他の諸人物の決して日本一ではない所以をもくどくどと述べて來たのだ。讀者もまた、私のこんなへんなこだはり方に大いに贊意を表して下さるのではあるまいかと思はれる。太閤でさへ言つたぢやないか。「日本一は、わしではない。」と。
さて、この舌切雀の主人公は、日本一どころか、逆に、日本で一ばん駄目な男と言つてよいかも知れぬ。だいいち、からだが弱い。からだの弱い男といふものは、足の惡い馬よりも、もつと世間的の價値が低いやうである。いつも力無い咳をして、さうして顏色も惡く、朝起きて部屋の障子にはたきを掛け、帚で塵を掃き出すと、もう、ぐつたりして、あとは、一日一ぱい机の傍で寢たり起きたり何やら蠢動して、夕食をすますと、すぐ自分でさつさと蒲團を敷いて寢てしまふ。この男は、既に十數年來こんな情無い生活を續けてゐる。未だ四十歳にもならぬのだが、しかし、よほど前から自分の事を翁と署名し、また自分の家の者にも「お爺さん」と呼べと命令してゐる。まあ、世捨人とでも言ふべきものであらうか。しかし、世捨人だつて、お金が少しでもあるから、世を捨てられるので、一文無しのその日暮しだつたら、世を捨てようと思つたつて、世の中のはうから追ひかけて來て、とても捨て切れるものでない。この「お爺さん」も、いまはこんなささやかな草の庵を結んでゐるが、もとをただせば大金持の三男坊で、父母の期待にそむいて、これといふ職業も持たず、ぼんやり晴耕雨讀などといふ生活をしてゐるうちに病氣になつたりして、このごろは、父母をはじめ親戚一同も、これを病弱の馬鹿の困り者と稱してあきらめ、月々の暮しに困らぬ小額の金を仕送りしてゐるといふやうな状態なのである。さればこそ、こんな世捨人みたいな生活も可能なのである。いかに、草の庵とはいへ、まあ、結構な身分と申さざるを得ないであらう。さうして、そんな結構な身分の者に限つて、あまりひとの役に立たぬものである。からだが弱いのは事實のやうであるが、しかし、寢てゐるほどの病人では無いのだから、何か一つくらゐ積極的な仕事の出來ぬわけはない筈である。けれども、このお爺さんは何もしない。本だけは、ずゐぶんたくさん讀んでゐるやうだが、讀み次第わすれて行くのか、自分の讀んだ事を人に語つて知らせるといふわけでもない。ただ、ぼんやりしてゐる。これだけでも、既に世間的價値がゼロに近いのに、さらにこのお爺さんには子供が無い。結婚してもう十年以上にもなるのだが、未だ世繼が無いのである。これでもう完全に彼は、世間人としての義務を何一つ果してゐない、といふ事になる。こんな張合の無い亭主に、よくもまあ十何年も連添うて來た細君といふのは、どんな女か、多少の興をそそられる。しかし、その草庵の垣根越しに、そつと覗いてみた者は、なあんだ、とがつかりさせられる。實に何とも、つまらない女だ。色がまつくろで、眼はぎよろりとして、手は皺だらけで大きく、その手をだらりと前にさげて少し腰をかがめていそがしげに庭を歩いてゐるさまを見ると、「お爺さん」よりも年上ではないかと思はれるくらゐである。しかし、今年三十三の厄年だといふ。このひとは、もと「お爺さん」の生家に召使はれてゐたのであるが、病弱のお爺さんの世話を受持たされて、いつしかその生涯を受持つやうになつてしまつたのである。無學である。
「さあ、下着類を皆、脱いでここへ出して下さい。洗ひます。」と強く命令するやうに言ふ。
「この次。」お爺さんは、机に頬杖をついて低く答へる。お爺さんは、いつも、ひどく低い聲で言ふ。しかも、言葉の後半は、口の中で澱んで、ああ、とか、うう、とかいふやうにしか聞えない。連添うて十何年になるお婆さんにさへ、このお爺さんの言ふ事がよく聞きとれない。いはんや、他人に於いてをや。どうせ世捨人同然のひとなのだから、自分の言ふ事が他人にわかつたつて、わからなくたつてどうだつていいやうなものかも知れないが、定職にも就かず、讀書はしても別段その知識でもつて著述などしようとする氣配も見えず、さうして結婚後十數年經過してゐるのに一人の子供もまうけず、さうして、その上、日常の會話に於いてさへ、はつきり言ふ手數を省いて、後半を口の中でむにやむにや言つてすますとは、その骨惜しみと言はうか何と言はうか、とにかくその消極性は言語に絶するものがあるやうに思はれる。
「早く出して下さいよ。ほら、襦袢の襟なんか、油光りしてゐるぢやありませんか。」
「この次。」やはり半分は口の中で、ぼそりと言ふ。
「え? 何ですつて? わかるやうに言つて下さい。」
「この次。」と頬杖をついたまま、にこりともせずお婆さんの顏を、まじまじと見つめながら、こんどはやや明瞭に言ふ。「けふは寒い。」
「もう冬ですもの。けふだけぢやなく、あしたもあさつても寒いにきまつてゐます。」と子供を叱るやうな口調で言ひ、「そんな工合ひに家の中で、じつと爐傍に坐つてゐる人と、井戸端へ出て洗濯してゐる人と、どつちが寒いか知つてゐますか。」
「わからない。」と幽かに笑つて答へる。「お前の井戸端は習慣になつてゐるから。」
「冗談ぢやありません。」とお婆さんは顏をしかめて、「私だつて何も、洗濯をしに、この世に生れて來たわけぢやないんですよ。」
「さうかい。」と言つて、すましてゐる。
「さあ、早く脱いで寄こして下さいよ。代りの下着類はいつさいその押入の中にはひつてゐますから。」
「風邪をひく。」
「ぢやあ、よござんす。」いまいましさうに言ひ切つてお婆さんは退却する。
ここは東北の仙臺郊外、愛宕山の麓、廣瀬川の急流に臨んだ大竹藪の中である。仙臺地方には昔から、雀が多かつたのか、仙臺笹とかいふ紋所には、雀が二羽圖案化されてゐるし、また、芝居の先代萩には雀が千兩役者以上の重要な役として登場するのは誰しもご存じの事と思ふ。また、昨年、私が仙臺地方を旅行した時にも、その土地の一友人から仙臺地方の古い童謠として次のやうな歌を紹介せられた。
カゴメ カゴメ
カゴノナカノ スズメ
イツ イツ デハル
この歌は、しかし、仙臺地方に限らず、日本全國の子供の遊び歌になつてゐるやうであるが、
と言つて、ことさらに籠の小鳥を雀と限定してゐるところ、また、デハルといふ東北の方言が何の不自然な感じも無く插入せられてゐる點など、やはりこれは仙臺地方の民謠と稱しても大過ないのではなからうかと私には思はれた。
このお爺さんの草庵の周圍の大竹藪にも、無數の雀が住んでゐて、朝夕、耳を聾せんばかりに騷ぎ立てる。この年の秋の終り、大竹藪に霰が爽やかな音を立てて走つてゐる朝、庭の土の上に、脚をくじいて仰向にあがいてゐる小雀をお爺さんは見つけ、默つて拾つて、部屋の爐傍に置いて餌を與へ、雀は脚の怪我がなほつても、お爺さんの部屋で遊んで、たまに庭先へ飛び降りてみる事もあるが、またすぐ縁にあがつて來て、お爺さんの投げ與へる餌を啄み、糞をたれると、お婆さんは、
「あれ汚い。」と言つて追ひ、お爺さんは無言で立つて懷紙でその縁側の糞をていねいに拭き取る。日數の經つにつれて雀にも、甘えていい人と、さうでない人との見わけがついて來た樣子で、家にお婆さんひとりしかゐない時には、庭先や軒下に避難し、さうしてお爺さんがあらはれると、すぐ飛んで來て、お爺さんの頭の上にちよんと停つたり、またお爺さんの机の上をはねまはり、硯の水をのどを幽かに鳴らして飮んだり、筆立の中に隱れたり、いろいろに戲れてお爺さんの勉強の邪魔をする。けれども、お爺さんはたいてい知らぬ振りをしてゐる。世にある愛禽家のやうに、わが愛禽にへんな氣障つたらしい名前を附けて、
「ルミや、お前も淋しいかい。」などといふ事は言はない。雀がどこで何をしようと、全然無關心の樣子を示してゐる。さうして時々、默つてお勝手から餌を一握り持つて來て、ばらりと縁側に撒いてやる。
その雀が、いまお婆さんの退場後に、はたはたと軒下から飛んで來て、お爺さんの頬杖ついてゐる机の端にちよんと停る。お爺さんは少しも表情を變へず、默つて雀を見てゐる。このへんから、そろそろこの小雀の身の上に悲劇がはじまる。
お爺さんは、しばらく經つてから一言、「さうか。」と言つた。それから深い溜息をついて、机上に本をひろげた。その書物のペエジを一、二枚繰つて、それからまた、頬杖をついてぼんやり前方を見ながら、「洗濯をするために生れて來たのではないと言ひやがる。あれでも、まだ、色氣があると見える。」と呟いて、幽かに苦笑する。
この時、突然、机上の小雀が人語を發した。
「あなたは、どうなの?」
お爺さんは格別おどろかず、
「おれか、おれは、さうさな、本當の事を言ふために生れて來た。」
「でも、あなたは何も言ひやしないぢやないの。」
「世の中の人は皆、嘘つきだから、話を交すのがいやになつたのさ。みんな、嘘ばつかりついてゐる。さうしてさらに恐ろしい事は、その自分の嘘にご自身お氣附きになつてゐない。」
「それは怠け者の言ひのがれよ。ちよつと學問なんかすると、誰でもそんな工合ひに横着な氣取り方をしてみたくなるものらしいのね。あなたは、なんにもしてやしないぢやないの。寢てゐて人を起こすなかれ、といふ諺があつたわよ。人の事など言へるがらぢや無いわ。」
「それもさうだが、」とお爺さんはあわてず、「しかし、おれのやうな男もあつていいのだ。おれは何もしてゐないやうに見えるだらうが、まんざら、さうでもない。おれでなくちや出來ない事もある。おれの生きてゐる間、おれの眞價の發揮できる時機が來るかどうかわからぬが、しかし、その時が來たら、おれだつて大いに働く。その時までは、まあ、沈默して、讀書だ。」
「どうだか。」と雀は小首を傾け、「意氣地無しの陰辨慶に限つて、よくそんな負け惜しみの氣焔を擧げるものだわ。廢殘の御隱居、とでもいふのかしら、あなたのやうなよぼよぼの御老體は、かへらぬ昔の夢を、未來の希望と置きかへて、さうしてご自身を慰めてゐるんだわ。お氣の毒みたいなものよ。そんなのは氣焔にさへなつてやしない。變態の愚癡よ。だつて、あなたは、何もいい事をしてやしないんだもの。」
「さう言へば、まあ、そんなものかも知れないが、」と老人はいよいよ落ちついて、「しかし、おれだつて、いま立派に實行してゐる事が一つある。それは何かつて言へば、無慾といふ事だ。言ふは易くして、行ふは難いものだよ。うちのお婆さんなど、おれみたいな者ともう十何年も連添うて來たのだから、いい加減に世間の慾を捨ててゐるかと思つてゐたら、どうもさうでもないらしい。まだあれで、何か色氣があるらしいんだね。それが可笑しくて、ついひとりで噴き出したやうな次第だ。」
そこへ、ぬつとお婆さんが顏を出す。
「色氣なんかありませんよ。おや? あなたは、誰と話をしてゐたのです。誰か、若い娘さんの聲がしてゐましたがね。あのお客さんは、どこへいらつしやいました。」
「お客さんか。」お爺さんは、れいに依つて言葉を濁す。
「いいえ、あなたは今たしかに誰かと話をしてゐましたよ。それも私の惡口をね。まあ、どうでせう、私にものを言ふ時には、いつも口ごもつて聞きとれないやうな大儀さうな言ひ方ばかりする癖に、あの娘さんには、まるで人が變つたみたいにあんな若やいだ聲を出して、たいへんごきげんさうに、おしやべりしていらしたぢやないの。あなたこそ、まだ色氣がありますよ。ありすぎて、べたべたです。」
「さうかな。」とお爺さんは、ぼんやり答へて、「しかし、誰もゐやしない。」
「からかはないで下さい。」とお婆さんは本氣に怒つてしまつた樣子で、どさんと縁先に腰をおろし、「あなたはいつたいこの私を、何だと思つていらつしやるのです。私はずゐぶん今までこらへて來ました。あなたはもう、てんで私を馬鹿にしてしまつてゐるのですもの。そりやもう私は、育ちもよくないし學問も無いし、あなたのお話相手が出來ないかも知れませんが、でも、あんまりですわ。私だつて、若い時からあなたのお家へ奉公にあがつてあなたのお世話をさせてもらつて、それがまあ、こんな事になつて、あなたの親御さんも、あれならばなかなかしつかり者だし、せがれと一緒にさせても、──」
「嘘ばかり。」
「おや、どこが嘘なのです。私が、どんな嘘をつきました。だつて、さうぢやありませんか。あの頃、あなたの氣心を一ばんよく知つてゐたのは私ぢやありませんか。私でなくちや駄目だつたんです。だから私が、一生あなたのめんだうを見てあげる事になつたんぢやありませんか。どこが、どんな工合ひに嘘なのです。それを聞かして下さい。」と顏色を變へてつめ寄る。
「みんな嘘さ。あの頃の、お前の色氣つたら無かつたぜ。それだけさ。」
「それは、いつたい、どんな意味です。私には、わかりやしません。馬鹿にしないで下さい。私はあなたの爲を思つて、あなたと一緒になつたのですよ。色氣も何もありやしません。あなたもずゐぶん下品な事を言ひますね。ぜんたい私が、あなたのやうな人と一緒になつたばかりに、朝夕どんなに淋しい思ひをしてゐるか、あなたはご存じ無いのです。たまには、優しい言葉の一つも掛けてくれるものです。他の夫婦をごらんなさい。どんなに貧乏をしてゐても、夕食の時などには樂しさうに世間話をして笑ひ合つてゐるぢやありませんか。私は決して慾張り女ではないんです。あなたのためなら、どんな事でも忍んで見せます。ただ、時たま、あなたから優しい言葉の一つも掛けてもらへたら、私はそれで滿足なのですよ。」
「つまらない事を言ふ。そらぞらしい。もういい加減あきらめてゐるかと思つたら、まだ、そんなきまりきつた泣き言を並べて、局面轉換を計らうとしてゐる。だめですよ。お前の言ふ事なんざ、みんなごまかしだ。その時々の安易な氣分本位だ。おれをこんな無口な男にさせたのは、お前です。夕食の時の世間話なんて、たいていは近所の人の品評ぢやないか。惡口ぢやないか。それも、れいの安易な氣分本位で、やたらと人の陰口をきく。おれはいままで、お前が人をほめたのを聞いた事がない。おれだつて、弱い心を持つてゐる。お前にまきこまれて、つい人の品評をしたくなる。おれには、それがこはいのだ。だから、もう誰とも口をきくまいと思つた。お前たちには、ひとの惡いところばかり眼について、自分自身のおそろしさにまるで氣がついてゐないのだからな。おれは、ひとがこはい。」
「わかりました。あなたは、私にあきたのでせう。こんな婆が、鼻について來たのでせう。私には、わかつてゐますよ。さつきのお客さんは、どうしました。どこに隱れてゐるのです。たしかに若い女の聲でしたわね。あんな若いのが出來たら、私のやうな婆さんと話をするのがいやになるのも、もつともです。なんだい、無慾だの何だのと悟り顏なんかしてゐても、相手が若い女だと、すぐもうわくわくして、聲まで變つて、ぺちやくちやとお喋りをはじめるのだからいやになります。」
「それなら、それでよい。」
「よかありませんよ。あのお客さんは、どこにゐるのです。私だつて、挨拶を申さなければ、お客さんに失禮ですよ。かう見えても、私はこの家の主婦ですからね、挨拶をさせて下さいよ。あんまり私を蹈みつけにしては、だめです。」
「これだ。」とお爺さんは、机上で遊んでゐる雀のはうを顎でしやくつて見せる。
「え? 冗談ぢやない。雀がものを言ひますか。」
「言ふ。しかも、なかなか氣のきいた事を言ふ。」
「どこまでも、そんなに意地惡く私をからかふのですね。ぢやあ、よござんす。」矢庭に腕をのばして、机上の小雀をむずと掴み、「そんな氣のきいた事を言はせないやうに、舌をむしり取つてしまひませう。あなたは、ふだんからどうもこの雀を可愛がりすぎます。私には、それがいやらしくて仕樣が無かつたんですよ。ちやうどいい鹽梅だ。あなたが、あの若い女のお客さんを逃がしてしまつたのなら、身代りにこの雀の舌を拔きます。いい氣味だ。」掌中の雀の嘴をこじあけて、小さい菜の花びらほどの舌をきゆつとむしり取つた。
雀は、はたはたと空高く飛び去る。
お爺さんは、無言で雀の行方を眺めてゐる。
さうして、その翌日から、お爺さんの大竹藪探索がはじまるわけである。
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
毎日毎日、雪が降り續ける。それでもお爺さんは何かに憑かれたみたいに、深い大竹藪の中を搜しまはる。藪の中には、雀は千も萬もゐる。その中から、舌を拔かれた小雀を搜し出すのは、至難の事のやうに思はれるが、しかし、お爺さんは異樣な熱心さを以て、毎日毎日探索する。
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
お爺さんにとつて、こんな、がむしやらな情熱を以て行動するのは、その生涯に於いて、いちども無かつたやうに見受けられた。お爺さんの胸中に眠らされてゐた何物かが、この時はじめて頭をもたげたやうにも見えるが、しかし、それは何であるか、筆者(太宰)にもわからない。自分の家にゐながら、他人の家にゐるやうな浮かない氣分になつてゐるひとが、ふつと自分の一ばん氣樂な性格に遭ひ、之を追ひ求める、戀、と言つてしまへば、それつきりであるが、しかし、一般にあつさり言はれてゐる心、戀、といふ言葉に依つてあらはされる心理よりは、このお爺さんの氣持は、はるかに侘しいものであるかも知れない。お爺さんは夢中で探した。生れてはじめての執拗な積極性である。
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
まさか、これを口に出して歌ひながら搜し歩いてゐたわけではない。しかし、風が自分の耳元にそのやうにひそひそ囁き、さうして、いつのまにやら自分の胸中に於いても、その變てこな歌ともお念佛ともつかぬ文句が一歩一歩竹藪の下の雪を蹈みわけて行くのと同時に湧いて出て、耳元の風の囁きと合致する、といふやうな工合ひなのである。
或る夜、この仙臺地方でも珍らしいほどの大雪があり、次の日はからりと晴れて、まぶしいくらゐの銀世界が現出し、お爺さんは、この朝早く、藁靴をはいて、相も變らず竹藪をさまよひ歩き、
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
竹に積つた大きい雪のかたまりが、突然、どさりとお爺さんの頭上に落下し、打ちどころが惡かつたのかお爺さんは失神して雪の上に倒れる。夢幻の境のうちに、さまざまの聲の囁きが聞えて來る。
「可愛さうに、たうとう死んでしまつたぢやないの。」
「なに、死にやしない。氣が遠くなつただけだよ。」
「でも、かうしていつまでも雪の上に倒れてゐると、こごえて死んでしまふわよ。」
「それはさうだ。どうにかしなくちやいけない。困つた事になつた。こんな事にならないうちに、あの子が早く出て行つてやればよかつたのに。いつたい、あの子は、どうしたのだ。」
「お照さん?」
「さう、誰かにいたづらされて口に怪我をしたやうだが、あれから、さつぱりこのへんに姿を見せんぢやないか。」
「寢てゐるのよ。舌を拔かれてしまつたので、なんにも言へず、ただ、ぽろぽろ涙を流して泣いてゐるわよ。」
「さうか、舌を拔かれてしまつたのか。ひどい惡戲をするやつもあつたものだなあ。」
「ええ、それはね、このひとのおかみさんよ。惡いおかみさんではないんだけれど、あの日は蟲のゐどころがへんだつたのでせう、いきなり、お照さんの舌をひきむしつてしまつたの。」
「お前、見てたのかい?」
「ええ、おそろしかつたわ。人間つて、あんな工合ひに出し拔けにむごい事をするものなのね。」
「やきもちだらう。おれもこのひとの家の事はよく知つてゐるけれど、どうもこのひとは、おかみさんを馬鹿にしすぎてゐたよ。おかみさんを可愛がりすぎるのも見ちやをられないものだが、あんなに無愛想なのもよろしくない。それをまたお照さんはいいことにして、いやにこの旦那といちやついてゐたからね。まあ、みんな惡い。ほつて置け。」
「あら、あなたこそ、やきもちを燒いてゐるんぢやない? あなたは、お照さんを好きだつたのでせう? 隱したつてだめよ。この大竹藪で一ばんの美聲家はお照さんだつて、いつか溜息をついて言つてたぢやないの。」
「やきもちを燒くなんてそんな下品な事をするおれではない。が、しかし、少くともお前よりはお照のはうが聲が佳くて、しかも美人だ。」
「ひどいわ。」
「喧嘩はおよし、つまらない。それよりも、このひとを、いつたいどうするの? ほつて置いたら死にますよ。可哀想に。どんなにお照さんに逢ひたいのか、毎日毎日この竹藪を搜して歩いて、さうしてたうとうこんな有樣になつてしまつて、氣の毒ぢやないの。このひとは、きつと、實のあるひとだわ。」
「なに、ばかだよ。いいとしをして雀の子のあとを追ひ廻すなんて、呆れたばかだよ。」
「そんな事を言はないで、ね、逢はしてあげませうよ。お照さんだつて、このひとに逢ひたがつてゐるらしいわ。でも、もう舌を拔かれて口がきけないのだからねえ、このひとがお照さんを搜してゐるといふ事を言つて聞かせてあげても、藪のあの奧で寢たまま、ぽろぽろ涙を流してゐるばかりなのよ。このひとも可哀想だけれども、お照さんだつて、そりや可哀想よ。ね、あたしたちの力で何とかしてあげませうよ。」
「おれは、いやだ。おれはどうも色戀の沙汰には同情を持てないたちでねえ。」
「色戀ぢやないわ。あなたには、わからない。ね、みなさん、何とかして逢はせてあげたいものだわねえ。こんな事は、理窟ぢやないんですもの。」
「さうとも、さうとも。おれが引受けた。なに、わけはない。神さまにたのむんだ。理窟拔きで、なんとかして他の者のために盡してやりたいと思つた時には、神さまにたのむのが一ばんいいのだ。おれのおやぢがいつかさう言つて教へてくれた。そんな時には神さまは、どんな事でも叶へて下さるさうだ。まあ、みんな、ちよつとここで待つてゐてくれ。おれはこれから、鎭守の森の神さまにたのんで來るから。」
お爺さんが、ふつと眼の覺めたところは、竹の柱の小綺麗な座敷である。起き上つてあたりを見廻してゐると、すつと襖があいて、身長二尺くらゐのお人形さんが出て來て、
「あら、おめざめ?」
「ああ、」とお爺さんは鷹揚に笑ひ、「ここはどこだらう。」
「すずめのお宿。」とそのお人形さんみたいな可愛い女の子が、お爺さんの前にお行儀よく坐り、まんまるい眼をぱちくりさせて答へる。
「さう。」とお爺さんは落ちついて首肯き、「お前は、それでは、あの、舌切雀?」
「いいえ、お照さんは奧の間で寢てゐます。私は、お鈴。お照さんとは一ばんの仲良し。」
「さうか。それでは、あの、舌を拔かれた小雀の名は、お照といふの?」
「ええ、とても優しい、いいかたよ。早く逢つておあげなさい。可哀想に口がきけなくなつて、毎日ぽろぽろ涙を流して泣いてゐます。」
「逢ひませう。」とお爺さんは立ち上り、「どこに寢てゐるのですか。」
「ご案内します。」お鈴さんは、はらりと長い袖を振つて立ち、縁側に出る。
お爺さんは、青竹の狹い縁を滑らぬやうに、用心しながらそつと渡る。
「ここです、おはひり下さい。」
お鈴さんに連れられて、奧の一間にはひる。あかるい部屋だ。庭には小さい笹が一めんに生え繁り、その笹の間を淺い清水が素早く流れてゐる。
お照さんは小さい赤い絹蒲團を掛けて寢てゐた。お鈴さんよりも、さらに上品な美しいお人形さんで、少し顏色が青かつた。大きい眼でお爺さんの顏をじつと見つめて、さうして、ぽろぽろと涙を流した。
お爺さんはその枕元にあぐらをかいて坐つて、何も言はず、庭を走り流れる清水を見てゐる。お鈴さんは、そつと席をはづした。
何も言はなくてもよかつた。お爺さんは、幽かに溜息をついた。憂鬱の溜息ではなかつた。お爺さんは、生れてはじめて心の平安を經驗したのだ。そのよろこびが、幽かな溜息となつてあらはれたのである。
お鈴さんは靜かにお酒とお肴を持ち運んで來て、
「ごゆつくり。」と言つて立ち去る。
お爺さんはお酒をひとつ手酌で飮んで、また庭の清水を眺める。お爺さんは、所謂お酒飮みではない。一杯だけで、陶然と醉ふ。箸を持つて、お膳のたけのこを一つだけつまんで食べる。素敵においしい。しかし、お爺さんは、大食ひではない。それだけで箸を置く。
襖があいて、お鈴さんがお酒のおかはりと、別な肴を持つて來る。お爺さんの前に坐つて、
「いかが?」とお酒をすすめる。
「いや、もうたくさん。しかし、これは、よいお酒だ。」お世辭を言つたのではない。思はず、それが口に出たのだ。
「お氣に召しましたか。笹の露です。」
「よすぎる。」
「え?」
「よすぎる。」
お爺さんとお鈴さんの會話を寢ながら聞いてゐて、お照さんは微笑んだ。
「あら、お照さんが笑つてゐるわ。何か言ひたいのでせうけれど。」
お照さんは首を振つた。
「言へなくたつて、いいのさ。さうだね?」とお爺さんは、はじめてお照さんのはうを向いて話かける。
お照さんは、眼をぱちぱちさせて、嬉しさうに二三度うなづく。
「さ、それでは失禮しよう。また來る。」
お鈴さんは、このあつさりしすぎる訪問客には呆れた樣子で、
「まあ、もうお歸りになるの? こごえて死にさうになるまで、竹藪の中を搜し歩いていらして、やつとけふ逢へたくせに、優しいお見舞ひの言葉一つかけるではなし、──」
「優しい言葉だけは、ごめんだ。」とお爺さんは苦笑して、もう立ち上る。
「お照さん、いいの? おかへししても。」とお鈴さんはあわててお照さんに尋ねる。
お照さんは笑つて首肯く。
「どつちも、どつちだわね。」とお鈴さんも笑ひ出して、「それぢやあ、またどうぞいらして下さいね。」
「來ます。」とまじめに答へ、座敷から出ようとして、ふと立ちどまり、「ここは、どこだね。」
「竹藪の中です。」
「はて? 竹籔の中に、こんな妙な家があつたかしら。」
「あるんです。」と言つてお鈴さんは、お照さんと顏を見合せて微笑み、「でも、普通のひとには見えないんです。竹藪のあの入口のところで、けさのやうに雪の上に俯伏していらしたら、私たちは、いつでもここへご案内いたしますわ。」
「それは、ありがたい。」と思はずお世辭で無く言ひ、青竹の縁側に出る。
さうしてまた、お鈴さんに連れられて、もとの小綺麗な茶の間にかへると、そこには、大小さまざまの葛籠が並べられてある。
「せつかくおいで下さつても、おもてなしも出來なくて恥かしゆう存じます。」とお鈴さんは口調を改めて言ひ、「せめて、雀の里のお土産のおしるしに、この葛籠のうちどれでもお氣に召したものをお邪魔でございませうが、お持ち歸り下さいまし。」
「要らないよ、そんなもの。」とお爺さんは不機嫌さうに呟き、そのたくさんの葛籠には目もくれず、「おれの履物はどこにあります。」
「困りますわ。どれか一つ持つて歸つて下さいよ。」とお鈴さんは泣き聲になり、「あとで私は、お照さんに怒られます。」
「怒りやしない。あの子は、決して怒りやしない。おれは知つてゐる。ところで、履物はどこにあります。きたない藁靴をはいて來た筈だが。」
「捨てちやいました。はだしでお歸りになるといいわ。」
「それは、ひどい。」
「それぢや、何か一つお土産を持つてお歸りになつてよ。後生、お願ひ。」と小さい手を合せる。
お爺さんは苦笑して、座敷に並べられてある葛籠をちらと見て、
「みんな大きい。大きすぎる。おれは荷物を持つて歩くのは、きらひです。ふところにはひるくらゐの小さいお土産はありませんか。」
「そんなご無理をおつしやつたつて、──」
「そんなら歸る。はだしでもかまはない。荷物はごめんだ。」と言つてお爺さんは、本當にはだしのままで、縁の外に飛び出さうとする氣配を示した。
「ちよつと待つて、ね、ちよつと。お照さんに聞いて來るわ。」
はたはたとお鈴さんは奧の間に飛んで行き、さうして、間もなく、稻の穗を口にくはへて歸つて來た。
「はい、これは、お照さんの簪。お照さんを忘れないでね。またいらつしやい。」
ふと、われにかへる。お爺さんは、竹藪の入口に俯伏して寢てゐた。なんだ、夢か。しかし、右手には稻の穗が握られてある。眞冬の稻の穗は珍らしい。さうして、薔薇の花のやうな、とてもよい薫りがする。お爺さんはそれを大事さうに家へ持つて歸つて、自分の机上の筆立に揷す。
「おや、それは何です。」お婆さんは、家で針仕事をしてゐたが、眼ざとくそれを見つけて問ひただす。
「稻の穗。」とれいの口ごもつたやうな調子で言ふ。
「稻の穗? いまどき珍らしいぢやありませんか。どこから拾つて來たのです。」
「拾つて來たのぢやない。」と低く言つて、お爺さんは書物を開いて默讀をはじめる。
「をかしいぢやありませんか。このごろ毎日、竹藪の中をうろついて、ぼんやり歸つて來て、けふはまた何だか、いやに嬉しさうな顏をしてそんなものを持ち歸り、もつたい振つて筆立に揷したりなんかして、あなたは、何か私に隱してゐますね。拾つたのでなければ、どうしたのです。ちやんと教へて下さつたつていいぢやありませんか。」
「雀の里から、もらつて來た。」お爺さんは、うるささうに、ぷつんと言ふ。
けれども、そんな事で、現實主義のお婆さんを滿足させることはとても出來ない。お婆さんは、なほもしつこく次から次へと詰問する。嘘を言ふ事の出來ないお爺さんは、仕方なく自分の不思議な經驗をありのままに答へる。
「まあ、そんな事、本氣であなたは言つてゐるのですか。」とお婆さんは、最後に呆れて笑ひ出した。
お爺さんは、もう答へない。頬杖ついて、ぼんやり書物に眼をそそいでゐる。
「そんな出鱈目を、この私が信じると思つておいでなのですか。嘘にきまつてゐますさ。私は知つてゐますよ。こなひだから、さう、こなひだ、ほら、あの、若い娘のお客さんが來た頃から、あなたはまるで違ふ人になつてしまひました。妙にそはそはして、さうして溜息ばかりついて、まるでそれこそ戀のやつこみたいです。みつともない。いいとしをしてさ。隱したつて駄目ですよ。私にはわかつてゐるのですから。いつたい、その娘は、どこに住んでゐるのです。まさか、藪の中ではないでせう。私はだまされませんよ。藪の中に、小さいお家があつて、そこにお人形みたいな可愛い娘さんがゐて、うつふ、そんな子供だましのやうな事を言つて、ごまかさうたつて駄目ですよ。もしそれが本當ならば、こんどいらした時にそのお土産の葛籠とかいふものでも一つ持つて來て見せて下さいな。出來ないでせう。どうせ、作りごとなんだから。その不思議な宿の大きい葛籠でも脊負つて來て下さつたら、それを證據に、私だつて本當にしないものでもないが、そんな稻の穗などを持つて來て、そのお人形さんの簪だなんて、よくもまあそのやうな、ばからしい出鱈目が言へたもんだ。男らしく、あつさり白状なさいよ。私だつて、わけのわからぬ女ではないつもりです。なんのお妾さんの一人や二人。」
「おれは、荷物はいやだ。」
「おや、さうですか。それでは、私が代りにまゐりませうか。どうですか。竹藪の入口で俯伏して居ればいいのでせう? 私がまゐりませう。それでも、いいのですか。あなたは困りませんか。」
「行くがいい。」
「まあ、圖々しい。嘘にきまつてゐるのに、行くがいいなんて。それでは、本當に私は、やつてみますよ。いいのですか。」と言つて、お婆さんは意地惡さうに微笑む。
「どうやら、葛籠がほしいやうだね。」
「ええ、さうですとも、さうですとも、私はどうせ、慾張りですからね。そのお土産がほしいのですよ。それではこれからちよつと出掛けて、お土産の葛籠の中でも一ばん重い大きいやつを貰つて來ませう。おほほ。ばからしいが、行つて來ませう。私はあなたのその取り澄したみたいな顏つきが憎らしくて仕樣が無いんです。いまにその贋聖者のつらの皮をひんむいてごらんにいれます。雪の上に俯伏して居れば雀のお宿に行けるなんて、あははは、馬鹿な事だが、でも、どれ、それではひとつお言葉に從つて、ちよつと行つてまゐりませうか。あとで、あれは嘘だなどと言つても、ききませんよ。」
お婆さんは、乘りかかつた舟、お針の道具を片づけて庭へ下り、積雪を踏みわけて竹藪の中へはひる。
それから、どのやうなことになつたか、筆者も知らない。
たそがれ時、重い大きい葛籠を脊負ひ、雪の上に俯伏したまま、お婆さんは冷たくなつてゐた。葛籠が重くて起き上れず、そのまま凍死したものと見える。さうして、葛籠の中には、燦然たる金貨が一ぱいつまつてゐたといふ。
この金貨のおかげかどうか、お爺さんは、のち間もなく仕官して、やがて一國の宰相の地位にまで昇つたといふ。世人はこれを、雀大臣と呼んで、この出世も、かれの徃年の雀に對する愛情の結實であるといふ工合ひに取沙汰したが、しかし、お爺さんは、そのやうなお世辭を聞く度毎に、幽かに苦笑して、「いや、女房のおかげです。あれには、苦勞をかけました。」と言つたさうだ。
底本:「太宰治全集 8」筑摩書房
1998(平成10)年11月25日初版第1刷発行
底本の親本:「お伽草紙」筑摩書房
1946年(昭和21)年2月25日再版
初出:「お伽草紙」筑摩書房
1945年(昭和20)年10月25日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「石油鑵」と「石油罐」の混在は底本通りとしました。
※このファイルには、以下の青空文庫のテキストを、上記底本にそって修正し、組み入れました。
「お伽草紙」(入力:八巻美惠、校正:高橋じゅんや)
入力:大沢たかお
校正:阿部哲也
2011年7月17日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。