先生三人
太宰治



 けさ新聞紙上にて、文壇師弟間の、むかしながらのスパルタ的なる鞭の訓練ちらと垣覗かきのぞきして、あれではお弟子が可愛さうだと、清潔の義憤、しかも、酸鼻といふ言葉に據つて辛くも表現できる一種凌壯の感覺に突き刺されて、あ、と小さい呼び聲、女の作家、中條百合子氏の、いちいち汚れなき抗議の文字、「文學に、何ぞ、この封建ふうの徒弟氣質、──」云々の、お言葉に接して、いまは猶豫の時に非ず、良き師持ちたるこの身の幸福を、すこしも早う、いちぶいちりんあやまちなく、はつきり、お教へしなければならぬ、たのしき義務をさへ感じました。

 いま、私には、三人の誇るべき先生がございます。井伏さんからは特に文章を、佐藤先生からは特に文人墨客の魂を、さうして、菊池氏からは家を。かかる三君への同時の奉仕、しかも、いささかの不自然、こだはりの片鱗だに無し。きのふは佐藤先生へ、「ハネ起きて、先生わかりました! 五百圓は一時。將來は永し。千萬の弱く美しき青年のため私のため、先生のため、山ほどの仕事があつた。アリガタウ存ジマス。この答案、百點滿點しかるべし。」といふ内容の手紙を、投函しての歸りみち、友人の山岸外史とひよつこり逢つた。七月、精養軒以來はじめての對面である。山岸、莞爾と笑つて、「けふは、佐藤春夫先生の御使者だ。工合ひ見て來い、との親心さ。」しまつた! 御使者、山岸から深きことども承り、私のめくらを恥ぢました。云々と書いたら、百點滿點笑止の沙汰、まさしく佐藤家の寶物だ、と殘念むねん、へそを噛むが如き思ひであつた。そのこと、ありのままに山岸へ告げたところ、山岸しさいらしく腕組み、

「君、それが惡い。何も、そんなに迄して、わが功ゆづる必要なし。たいへんの惡癖だ。君、よくぞ、そこまで氣づいて呉れた。僕たちには、それが嬉しくて、──僕、その手紙に間に合はなくて、ああ、よかつた。」

 ことし十一月入院することにきまつた。二年間みつしり治療して、血線、四時熱、一夜に寢卷三枚づつ必要の盜汗、すべて退治て、ゆつたりした人物になつてお目にかかります、と傳言たのみ、入院に先立ち、私の短篇小説集出版して、お小使ひ、すこし得たく、このことは井伏さん、とつて置きのよい本屋へたのんで下さることにきまつてゐて、裝釘、ぜひとも井伏さんにしてもらつて、ああ、私は、甘えることと毆ることと、二つの生きかたしか知らぬ男だ。先刻、菊池寛氏へもわが生きかたの粗雜貧弱を告白して、いまは大事の時だ、めそめそ泣いて歩きまはつてゐたつて仕樣がない。ちくらの別莊でもなんでも貸してやるから、きつと病氣をなほさなければいけない。友人からの借金や何か、病氣全快してから少しづつ返すやうに心掛けて、なにも、くよくよ心配する必要なし。なくなつたら、また貰ひに來い。ばかな奴だ、と大いに叱つて、どつさり呉れた。

 師弟の間、酸鼻の跡まつたく無し。酸鼻は、むしろ、師に拾てられ、垣を燒かれたうりはな

底本:「太宰治全集11」筑摩書房

   1999(平成11)年325日初版第1刷発行

初出:「文藝通信 第四巻第十一号」

   1936(昭和11)年111

入力:小林繁雄

校正:阿部哲也

2011年1012日作成

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