『火星兵団』の作者の言葉
海野十三
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この書『火星兵団』は、私がこれまでに書いた一等長い小説であります。
少国民新聞(今は名前もなつかしい当時の「小学生新聞」)に、前後四百六十回にわたって連載されたもので、作者としても、これを完成するのに、精根をつくしました。
この『火星兵団』の筋は、ある年、とつぜん地球にモロー彗星が接近し、そしてやがて地球に衝突するだろうということが分り、二十億年という永い歴史をもつ地球が、ここにかなしき崩壊をとげなければならぬことになりまして、世界は大さわぎを始めました。その折しも、この地球のさわぎを知った火星の生物が、地球の崩壊前に人類やその他の動植物を手に入れ、火星へ持ってかえって、人類や動物は、これを家畜とし、植物も新しい資材として利用しようと思い、ここに火星兵団を編成して、地球へ攻めてくるのです。そのために、わが地球は、二重の危機をひきうけることとなるのですが、不屈の精神と、優れた科学力を持った人類は、ついにこの難局を切り抜けるというのが大体の筋であります。
なぜ私が、こんな筋の少年科学小説を書いたかということについて、すこしく説明をさせていただきましょう。
まず第一に、私の考えましたことは、今日の時代ほど、わが日本が、急いで多数の科学者や技術者をほしがっている時期は、他にないのであります。皆さんもよく御承知のとおり、いまや全世界は、二つに分れて、世界戦争を始めかけています。今度の大戦は、どっちかを完全に叩きのめしてしまうまでは、やめにならないでしょう。そして勝敗いずれかの鍵は、民族的精神の強弱と、そしてもう一つは、科学力の強弱にかけられていると申してもよろしいのです。わが日本は、幸いにして、御稜威のもとに、建国二千六百余年の光輝ある国史をもち、軍人は忠勇無双、銃後国民も亦すこぶるりっぱです。この点ではどこの国にも負けません。しかしながら、ただ残念なことに、わが国の科学力は、正直な話が、たいへん貧弱であります。私どもは、日本の工業力が躍進したとか、日本人が世界的発明をしたとか耳にしますが、これを全体的に考え、かつしずかにおちついて調べてみますと、わが国一般国民の科学力は、とても一等国らしいところはなく、三等国以下ではないかと思われる節もあります。私も、実は工科学生として永い間勉強し、それから後十八年間も技術者として仕事をしてまいりました関係上、そこらのことは、よく存じているつもりであります。
そのような貧弱な科学国が、今度いよいよ国の運命を定める世界戦争に、うって出なければならなくなったのです。しかも、これまでならば、旧日本とでも申しますか、日本内地と植民地とそして満洲ぐらいを護っていればよかったのが、ここへ来まして、わが国の生命を安全に保つには、どうしても大東亜を日本が自ら親しく護り、かつ導かねばならぬことになったのです。今までのような小さい日本ではありません。急に日本が、おそろしくふくれあがったのです。それを護りとおすには、三等国以下の科学力で、果してうまくいくでしょうか。直接の国防科学力だけではない、建設に役立つ科学力も、同時に必要なのです。どんなに内輪に見つもりましても、わが国は、これまでの科学力に百倍する科学力を持たねばならないのです。しかも、それはぐずぐずしていられません。明日にもそれが欲しいのです。実に、さしせまった問題なのであります。ですから、これからの少年少女諸君も、みな手をかしてくださらなければ、困ります。てんでに科学力を備え、そして出来るだけたくさんの方々が、専門の科学者として勉強をはじめ、そして科学界に工業界に働いていただかなければ、日本は危いのです。こう申せばおわかりになったでしょう。
しかしこのような話だけを書いたのでは、なかなか皆さんは、読んでくださらない。それで私は、皆さんがよろこんで読んでくださる少年少女むきの科学小説にして、さしだしたわけです。
この『火星兵団』を読んでくださる方々が、みな同じ感想をおもちになるとは思いません。
『これはたいへんだ。僕は、えらい科学者になって、国を救ってみせるぞ』と感ずる少年諸君もありましょうが、中にはまた『ああ恐しかった。でもよかった、ああおもしろかった』と、ただそれだけをお感じになる方もありましょう。なるべくなら、前の少年諸君のように感じていただきたいのですが、後の場合でもわるいとは思いません。なぜかというと、とにかくこの小説を読まれた方は、どなたでも、すっかり科学とおなじみになり、更にもっとふかく科学を知りたいと、思われるようになるにちがいないからであります。科学に対するおなじみがついただけでも、私としてはうれしいのです。皆さんが、これを御縁に、ぞくぞくと科学に関心をもたれ、また進んで科学の門へお入りになってくださることになれば、私は更にうれしいのです。たくさん集ってくださればくださるほど、わが国の未来の科学力は強大となるものと考えていいからです。なぜなら、いま日本は、早くそしてたくさんの科学者を必要とするからです。そして小さいときから、科学におなじみで、そして熱心な皆さんの中から、やがて続々と、わが国のためになる大した発明や、りっぱな設計が生まれるであろうことは、いうまでもありません。
大分長く書きましたが、これが『火星兵団』を書いた動機の一つであります。
それから、まだありますよ。
『火星兵団』に書いてあることは、小説だから、あれはみんなでたらめだと思っている方が、あるかもしれません。しかし、それは大まちがいです。私は、この小説にあるようなことが、やがていつかは、必ず起るであろうと、かたく信じて書出したのです。ですから、これからの皆さんは、用心してください。そして勉強もしてくださいと、この小説によって私は皆さんに警告をしているつもりです。
火星に生物がすんでいるなんて、そんなことは嘘だよ──という方があるでしょう。今日の研究では、火星に生物がすんでいるという説と、その反対に、すんでいないという説と二つあります。どっちが本当か、それはもっと研究がすすまないと分りません。
しかし『火星兵団』では、火星に生物がすんでいるとしました。私の考えでは、実は、この広い宇宙には、地球以外の星に、人間と同じか、或はもっとりっぱな頭脳をもった生物がすんでいるはずだ、そういう者から、地球が攻撃をうける日があるだろうということを警戒して、科学を勉強してください──ということを、理解していただき、そして悟っていただきたかったのです。そして便利上、皆さんおなじみの火星に、人がすんでいるとしたのです。
プラネタリウムを御らんになった方や、天文学の本をおよみになった方、そうでなくても、深夜何万といううつくしい星のちらばった空を見上げた方ならば、この大宇宙の広大をご存じでしょう。あの星の一つ一つは、丁度わが太陽と同じような恒星で、そのまわりには、地球や火星のような遊星がいくつも廻っていることでしょう。その数は、何万いや何億とあることでしょう。その数多い星の中には、丁度わが地球と同じように、気候もよくて、生物がいる星が交っているはずです。われわれ人類は、はじめて祖先が出来てから、ようやく二十五万年しかたっていませんが、この大宇宙には、もっと大昔からすんでいる生物もあることでしょうし、それが、文化の力も、われわれ人類よりもずっと発達しているとしたら、彼等は、いつ地球へ向けて、手をさしのべてくるかもしれません。
嘉永年間、浦賀へアメリカの黒船が来たとき、日本人はおどろきましたように、大宇宙の黒船は、いつ地球へ、とつぜん姿をあらわすかもしれない状態にあるのです。そのときのおどろきを考えてみてください。しかもそのとき、われわれは決して負けてはならないのです。人智をみがくために、科学力をいやが上にもすぐれたものにするために、人類の中でも、特にすぐれた素質をもつわれわれ日本民族は、他の民族よりも進んで勉強し、地球全体の中から選ばれた第一線民族として、宇宙から来る外敵に対して、いさましく立上らねばならないのです。われわれの科学研究の目標は、これほど遠くに置くのが本当だと思います。
つまりわれわれは、世界戦争にも勝たなければならないし、更に広い宇宙から来る夥しい未知の敵に対しても、絶対に勝たねばならないのです。われわれは、どんなに勉強しても、勉強しすぎるということはないのです。
その中でも、新しい動力の研究、航空機の研究、宇宙探求のもととなる天文学や電波工学の研究、人体改造の研究、対宇宙生物兵器の研究などは、特に大切なる研究題目ではないかと思います。
こう考えてくると、私たちは、すこしの間も、ぼんやりしてはいられないことが、わかってまいりました。勝つか負けるか、生きるか死ぬかの超々大戦争は、すでにはじまっているのです。そのはるかなる、そして重大なる目標を思えば、われわれの胸には、あたらしい勇気が、りんりんと鳴りひびきます。今日われわれがなめている苦しさや不足などは、ものの数ではありません。われわれ日本民族は、地球人類の先駆者として立ち、やがては地球全土を指導し、そしてまた大宇宙をも支配するという大きな希望を目標に、うんと勉強し、そして強く鍛えねばなりません。
底本:「海野十三傑作集3 火星兵団」桃源社
1971(昭和46)年9月25日発行
入力:ハチミツ
校正:小林繁雄
2010年12月20日作成
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