笑わなかった少年
小川未明



 あるのこと、学校がっこう先生せんせいが、生徒せいとたちにかって、

「あなたたちはどんなときに、いちばんおとうさんや、おかあさんをありがたいとおもいましたか、そうかんじたときのことをおはなしください。」と、おっしゃいました。

 みんなは、をかがやかして、をあげました。最初さいしょにさされたのは、竹内たけうちでありました。

わたしが、病気びょうきでねていましたとき、おとうさんは毎晩まいばんめしあがるおきなさけもおみになりませんでした。そして、おかあさんは、ごはんもあまりめしあがらず、よるもねむらずにまくらもとにすわって、こおりまくらのこおりがなくなれば、とりかえたりしてくださいました。ぼくは、コツ、コツとこおりくだけるおとをきいて、しみじみとありがたいとかんじました。」と、こたえました。

 先生せんせいは、これをきくと、おうなずきになりました。ほかの生徒せいとたちも、みんなだまって、おとなしくきいていました。そのつぎに、さされたのは、佐藤さとうでありました。佐藤さとうが、ちあがると、みんなは、どんなことをいうだろうかと、かれかお見守みまもっていました。

ぼくも、やはり竹内たけうちくんとおなじのであります。いおうとおもったことを、竹内たけうちくんがみんなはなしてくれました。」

 佐藤さとうこたえは、ただそれだけでありました。先生せんせいは、こんど、小田おだをおさしになりました。かれは、くみじゅうでの乱暴者らんぼうものでした。そればかりでなく、いえ貧乏びんぼうとみえて、いつもやぶれたふくて、やぶれたくつをはいてきました。くつしたなどは、めったにはいたことがないのです。みんなの視線しせんは、たちまち、小田おだかおうえあつまったのはいうまでもありません。

 かれは、がると、

わたしのおかあさんは、おかねのないときは、自分じぶんのだいじなものもって、ぼくのためにいろいろなものをってくださいます。そんなとき、わたしはじつにすまないとかんじます。」といいました。すると、先生せんせいは、

「いろいろなものとは、どんなものですか。」と、おききになりました。小田おだは、そのこたえにこまったらしく、しばらく、うついてだまっていましたが、やっとかおげると、

ぼく月謝げっしゃや……また、どこかへ帽子ぼうしをなくしたときには、おかあさんは、自分じぶん着物きものって、ってくださいました。」と、こたえました。

 この言葉ことばは、みんなにすくなからず動揺どうようをあたえました。なかには、また、くすくすわらうものさえありました。しかし、先生せんせいが、わらうものをおしかりなさったので、すぐにしずかになったけれど、小田おだは、そのとき、みんなから、なんだか侮辱ぶじょくされたようながして、かおあかくなりました。

 そのとき、ひとりとなりならんでこしをかけている北川きたがわだけは、わらいもしなければ、じっとしてまゆひとつうごかさず、まじめにきいていました。小田おだは、こころなかで、かれ態度たいどをありがたくおもったのです。

 小田おだのおとうさんは、もうんでしまって、ありませんでした。ひとりおかあさんが、手内職てないしょくをして、母子おやこは、その、そのまずしい生活せいかつをつづけていました。

 かれは、学校がっこうからかえると、今日きょうのおはなしをおかあさんにしたのでした。そのあったことは、なんでもかえってからおかあさんにはなすのがつねでありました。これをきくと、おかあさんは、

「あんまり、おまえがうちのことを正直しょうじきにいったものだから、みんなにわらわれたのですよ。」と、なみだをためて、おっしゃいました。

「おかあさんが、ぼくのために、自分じぶん大事だいじになさっているものもなくして、ってくださるのを、ぼくがありがたくおもっているといって、いけないのですか。」

「いえ、正直しょうじきにいって、すこしもわるいことはないんですけど……。」

 こういって、おかあさんは、またをおふきになりました。

「だが、おかあさん、わらったやつもあったけど、わらわないものだってありましたよ。わらったやつは、こんどなぐってやるのだ。」と、小田おだが、いいました。

「そんなことをしてはいけません。おまえが、乱暴らんぼうだから、みんなが、こんなときにわらうのです。どちらがただしいかわかるときがありますから、けっして、そんな乱暴らんぼうをしてはいけません。」と、おかあさんは、おいましめになりました。

 小田おだは、かんがえていましたが、

「ねえ、おかあさん、いつか、うちあそびにきたことのある、北川きたがわくんなどは、だまってきいていましたよ。」といいました。

「よくもののわかる、おりこうなおさんですね。」と、おかあさんは、いって、また、なみだをおふきになりました。

 それから、二、三にちしてからです。小田おだは、学校がっこうへゆく途中とちゅうで、あちらからきた、北川きたがわくんに出遇でくわしました。かれは、今年ことしから学校がっこうに上がったという、ちいさなおとうとといっしょでありました。

「おはよう。」

「いっしょにいこうよ。」

 たがいに、こえをかけって、三にんが、ならんであるきました。そして、学校がっこうもんをはいったときであります。

「ひとりで、パンがえる?」と、北川きたがわくんが、まって、やさしくおとうとかおをのぞくようにして、きいていました。

 ちいさなおとうとは、だまって、うなずきました。

「もし、おかねとしたら、にいさんのところへいってくるのだよ。」と、北川きたがわくんは、いっていました。

 兄弟きょうだいたない小田おだは、このなかのいい二人ふたりのようすをて、こころからうらやまずにはいられなかったのです。

ぼくたち、おかあさんが、かぜをひいてねているので、今日きょうは、弁当べんとうってこなかったんだ。」と、北川きたがわくんが、小田おだかって、はなしました。

 そのとき、小田おだは、また自分じぶんのおかあさんのことをおもわずにはいられませんでした。

「いまごろ、おかあさんは、いっしょうけんめいで、お仕事しごとをなさっているだろう……。」

 そうおもうと、おかあさんの、お仕事しごとをなさっている姿すがたが、にありありとかんできて、しぜんとあつなみだがわいてくるのでした。

 その、ちょうど、おひるまえやす時間じかんでありました。北川きたがわおとうとさんが、しきりににいさんをさがしているのをつけましたから、小田おだは、おおきなこえで、

北川きたがわくん!」と、んで、らせたのです。

 北川きたがわは、すぐにはしってきました。そして、おとうとのそばへいって、なにかいうのをきいていましたが、

「だから、をつけるようにいったじゃないか。」というこえがきこえたかとおもうと、ちいさなおとうとは、しくしくときだしました。

 小田おだは、おとうとが、パンのおかねとしたのだなとさとりました。しかし、いってたずねるまもなく、

かんだって、いいのだよ。」といって、北川きたがわが、自分じぶんっているおかねをやって、おとうとあたまをなでると、おとうとは、くのをやめて、きゅうに、元気げんきづいて、あちらへしてゆきました。

「なんて、ほがらかな兄弟きょうだいだろう。」と、小田おだは、このさまて、感心かんしんしました。

 そのうちに、はな時間じかんもなく、ベルがってお教室きょうしつはいり、授業じゅぎょうがはじまりました。

 いよいよおひるになって、みんながお弁当べんとうべるときとなったのです。ひとり、北川きたがわだけはつくえかって、宿題しゅくだいをしていました。

 小田おだには、なにもかもわかっていました、自分じぶんが、パンをべずに、おとうとにパンをってやったことも。このこころがあればこそ、このあいだも、自分じぶんはなしをまじめにきいていてくれたのだと、小田おだは、おもいました。

「これが、ほんとうの同情どうじょうというものだ。」

 そう小田おださとると、自分じぶん行為こういまでがかえりみられて、これから、自分じぶんも、ほんとうのただしい、つよ人間にんげんになろうと決心けっしんしたのでした。

底本:「定本小川未明童話全集 10」講談社

   1977(昭和52)年810日第1刷発行

   1983(昭和58)年119日第6刷発行

※表題は底本では、「わらわなかった少年しょうねん」となっています。

入力:特定非営利活動法人はるかぜ

校正:仙酔ゑびす

2012年219日作成

2012年928日修正

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