猟師と薬屋の話
小川未明
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村に一人の猟師が、住んでいました。もう、秋もなかばのことでありました。ある日知らない男がたずねてきて、
「私は、旅の薬屋でありますが、くまのいがほしくてやってきました。きけば、あなたは、たいそう鉄砲の名人であるということですが、ひとつ大きなくまを打って、きもを取ってはくださらないか。そのかわり、お金はたくさん出しますから。」といいました。
猟師は、貧乏をしていましたから、これはいい仕事が手にはいったと思いました。
「そんなら、くまをさがしに山へはいってみましょう。」
「どうぞ、そうしてください。このごろ、くまのいが、品切れで困っているのですから、値をよく買いますよ。」と、薬屋はいいました。
これをきいて、猟師は、よろこんで引き受けました。
村から、西にかけて、高い山々が重なり合っていました。昔から、その山にはくまや、おおかみが棲んでいたのであります。
猟師は、仕度をして、鉄砲をかついで山へはいってゆきました。霧のかかった嶺を越えたり、ザーザーと流れる谷川をわたって、奥へ奥へと道のないところをわけていきますと、ぱらぱらと落ち葉が体に降りかかってきました。
猟師は、しばらく歩いては耳をすまし、また、しばらく歩いては耳をすましたのです。そして、あたりに、猛獣のけはいはしないかと、ようすをさぐったのでした。
そのうちに、目の前に、大きな足跡を見つけました。
「あ、くまの足跡だ!」と、猟師は思わずさけびました。
これこそ、天が与えてくださったのだ。はやく打ちとめて家へしょって帰ろう。そうすればきもは、あの旅の薬屋に高く売れるし、肉は、村じゅうのものでたべられるし、皮は皮で、お金にすることができるのだ。こう思いながら、肩から、鉄砲をはずして、弾丸をこめて、その足跡を見失わないようにして、ついてゆきました。
裏山は、雲が切れて、秋の日があたたかそうに照らしていました。そして、二、三十メートルかなたに、大きなとちの木があって、熟した実がぶらさがっていましたが、その下に黒いものがしきりに動いているのを見つけたのです。
「いた! いた!」と猟師は、低い声でいいました。そして、じっと気づかれないように木かげにかくれて、ようすをうかがいました。その一匹は大きく、その一匹は小さかったのです。小さいのは、まだ生まれてから日数のたたない子ぐまで、大きいのは、母ぐまでした。二匹は、いま自分たちが、人間にねらわれているということもしらずに、楽しく遊んでいたのであります。子ぐまは、お乳を飲みあきたか、それとも、とちの実をたべあきたか、お母さんの背中に乗ったり、また、胸のあたりに飛びついたりしました。母ぐまは、それをうるさがるどころか、かわいくて、かわいくて、しかたがないというふうに、子ぐまのするままにしていたが、ときどき、自分でひっくりかえって、子ぐまを上に抱きあげ、子ぐまがぴちぴちするのを見て喜んでいたのでした。
猟師は、鉄砲のしりを肩につけて、ねらいを定めました。名人といわれるだけ、万に一つも打ちそんじはないはずです。そして、引き金をおろしかけて、ふと打つのをやめてしまいました。
「あの母ぐまを殺したら、どんなに子ぐまが悲しがるだろう。そして、晩から、あたたかなふところに抱いてもらって眠ることができない。かわいそうな殺生をばしたくない。」
こういって、猟師は、打つのをやめて、また、出直してこようと家へもどろうとしたのであります。
その途中で、知らない猟人に出あいました。その猟人もこれから山へ、くまを打ちにゆこうというのです。その男は、傲慢でありまして、なにも獲物なしに帰る猟人を見ますと鼻の先で笑いました。
「私は、これまで山へはいって、から手で家へ帰ったことはない。こんどもこうして山へはいれば、きつねか、おおかみか、大ぐまをしとめて、土産にするから、どうか私の手並を見ていてもらいたいものだ。」と、大口をききました。
これにひきかえて、母子のくまを打たずにもどったやさしい猟人は、どうか、はやく、あの母子のくまはどこかへ隠れてくれればいいと思いながら歩いてきました。
家ではおかみさんが待っていました。
「うちの人は、久しぶりで山へはいったのだが、いい獲物を見つけて、うまくしとめて、無事にもどってくれればいい。そして、くまのいがいい値で売れたら、子供にも春着が買ってやれるし、暮らしもよくなるだろうし、こんないいことはないのだが。」と、思っていました。そこへ、夫がから手で、帰ってきましたから、
「獲物が見つかりませんでしたか。」と、ききました。猟師は、見つけたが、母子ぐまが、平和に無邪気に、遊んでいるので、かわいそうで打てなかったと答えました。
すると、おかみさんが、またやさしい心の人で、
「それは、いいことをなさいました。親子の情に、人間もくまも、かわりはないでしょう。思いやりがあるなら、どうしてそれが打たれましょう。また、日をあらためて、お出かけなさいまし。」といったのであります。
二、三日たってから、猟師は、ふたたび鉄砲をかついで出かけました。すると途中で、なんでもこのあいだのこと、猟師が山でくまを打ちそこねて、くまのために大けがをして山を下ったという話をききました。
「それなら、自分がもどるときに、出あったあの猟師でなかろうか。たいへん自慢をしていたが、きっと打ちそこねて、くまにかみつかれたのかもしれない。」と、猟師は考えました。
一度、そんなことがあると、くまは気がたっていますから、もし、こんど人間を見たら、どんなに怒って飛びかかってくるかもしれないと考えましたから、猟師はすこしも油断をせずに山の中へはいってゆきました。
この前、母ぐまと子ぐまの遊んでいた、裏山までやってきました。ああ、ここだったなと思ってながめますと、そのときと同じように、とちの木の葉は、黄色にいろづいて、熟した実がいくつも、いくつもぶらさがっていました。しかし、くまの姿は、今日は見えませんでした。
「あの猟師の打ったくまというのは、あのときの母ぐまではなかったろうか。」と、猟師は思いました。
もし、そうであったら、あの母ぐまと子ぐまは、いまごろどうなっているだろうと考えながら、一歩、一歩、奥へとはいってゆきました。
たちまち、猟師は、草の倒れているところへ出ました。それは、くまが、もうすこし前に通ったあとでした。こうなると、いつ、どこからくまが飛び出してくるかわからないので、猟師は用心の上にも用心をして、ゆきますと、どこか、あちらのがけのあたりで、ものすごいうなり声のようなものがきこえました。
「あ、こないだの猟師に打たれた、くまが傷をうけて倒れているのだな。」と、猟師はすぐに頭に浮かびました。
「よし、おれが、今日はしとめてくれるぞ。」と力んで、猟師は足音を忍んで、近よって、そのようすをうかがいました。ところがどうでしょう。倒れているのは、まさしくこのあいだの母ぐまであって、子ぐまが、かなしそうに、お母さんの傷口をながめながら、なめては、またなめているではありませんか。
これを見た猟師は、どうして、鉄砲を向けることができましょう。彼は、気づかれないように後ずさりをしました。そして、また、くまを打たずに家へもどったのでありました。
「ああ、暮らしのためといいながら、なんて殺生するのはいやな商売だろう。あのくまを殺すのはぞうさもないが、金のために、そんなむごいことができようか。」と、猟師がため息をつきました。
ところが、困ったことには、おかみさんが重いかぜにかかって、どっさり床についたのです。貧乏で、医者にかけるどころか、あたたかなおいしいものをたべさせることもできません。頼むところはなし、どうすることもできなく、猟師は自分のだいじな鉄砲を売ろうと決心しました。なぜならほかに、売るような金目の品物は、なんにもなかったからです。
「これを手放してしまえば、明日から、自分は、猟にゆくことができない。」と、思いましたが、妻が病気なら、そんなことをいっていられませんので、ある朝、鉄砲を持って、町へ出かけようとしました。
ちょうど、そこへ、旅の薬屋さんがやってきました。あれから、くま打ちにいかなかったかと、たずねましたから、猟師が、その後のことをすっかり打ち明けて物語ったのでした。だまってきいていた薬屋さんが、いくたびもうなずいて、
「いや、やさしいお心がけです。それでこそ、ほんとうの人間です。私は、こうして真正のくまのいをさがしていますのも、人の命を助けたいためからで、ただ金もうけのためばかりではありません。きけばお困りになって、商売道具をお売りなさるとか、とんだことです。私は、ここに金を置いてゆきますから、このつぎきますまでに、そんなかわいそうなくまでない、もっと恐ろしい大ぐまをしとめて、きもをとっておいてください。」といって、金を渡してゆきました。
あとで、この話きいた村の人たちは、猟師をほめれば、また薬屋さんを感心な人だといって、ほめたのであります。
底本:「定本小川未明童話全集 10」講談社
1977(昭和52)年8月10日第1刷発行
1983(昭和58)年1月19日第6刷発行
※表題は底本では、「猟師と薬屋の話」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:仙酔ゑびす
2012年2月19日作成
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