古いはさみ
小川未明
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どこのお家にも、古くから使い慣れた道具はあるものです。そしてそのわりあいに、みんなからありがたがられていないものです。英ちゃんのおうちの古いはさみもやはりその一つでありましょう。
英ちゃんの、いちばん上のお姉さんが小さいときに、そのはさみで折り紙を切ったり、また、お人形の着物を造るために、赤い布や紫の布などを切るときに使いなされたのですから、考えてみるとずいぶん古くからあったものです。
その時分にはこんな黒い色でなく、ぴかぴか光っていました。そして刃もよくついていてうっかりすると、指さきを切ったのであります。
「よく気をつけて、おつかいなさい。おててを切りますよ。」と、お母さんが、よく、ご注意なさったのでした。
お姉さんは、おちついた性質で、お勉強もよくできた方ですから、めったに、このはさみで指さきを切るようなことはしませんでした。使ってしまえば、箱の中に、ちゃんとしまっておきました。
お姉さんが、まだ十か十一のころです。ある日のこと、
「あれ、なあに。」と、ふいにお母さんにききました。
「なんですか。」と、お母さんは、おわかりになりませんでした。
「アカギタニタニタニって?」
「あああれですか、はさみ、ほうちょう、かみそりとぎという、とぎ屋さんですよ。」と、お母さんはお笑いになりました。
「私の持っている、はさみといでもらっていい。」と、お姉さんがききました。
このときの、アカギタニタニタニがいつまでもお家の笑い話の種となりました。
「ほら、アカギタニタニタニがきましたよ。」と、とぎ屋さんが、まわってくると、お母さんが笑っておっしゃいました。それからいくたびこのはさみは、とぎ屋さんの手にかかったでしょう。
お姉さんは、女学校を卒業なさると、お針のけいこにいらっしゃいました。そのときには、このはさみは、もう、そんな役にたたなかったので、新しい、もっと大きなはさみをお求めになりました。そして、いままでのはさみは、平常、うちの人の使い用とされてしまいました。けれど、ちょうど、英ちゃんの上の兄さんが、いたずら盛りであって、このはさみで、ボール紙を切ったり、また竹などを切ったりしたのです。
けれど、はさみは、不平をいいませんでした。あるときは、縁台の上に置き忘れられたり、また冷たい石の上や、窓さきに置かれたままでいたことがありました。そんなときは、さすがにさびしかったのです。
「はやく、お家へはいらないと、知らぬ人につれられていってしまうがな。」と、星の光をながめて心細く思ったことがありました。
「また、はさみが見えませんが、どこへいったでしょう。」と、あくる朝、お母さんが、つめを切ろうとして、はさみが見つからないので、こうおっしゃいました。
「きのうまで、箱の中にはいっていたんですよ。また、太郎さんが使って、どこかへ置き忘れたのでしょう。」
姉さんは、方々おさがしになりました。そして、子供たちが遊ぶご門の石の上に置いてあったのを見つけなさいました。
「まあ、こんなとこに置いてあって、よく人に拾われなかったこと。」
そういって、お姉さんは、子供の時分からのはさみをなつかしそうに、ごらんなさいました。すると、過ぎ去った日の記憶がつぎつぎと目に浮かんできたのです。
「長くあるはさみね、だいじにしなければならないわ。」
お姉さんは、なくならないように、赤いひもをはさみにおつけになりました。
しかし、はさみは、もう年をとって、たいした役にはたちませんでした。
「切れない、はさみだなあ。」と、太郎さんが、かんしゃくを起こして畳の上へ投げ出しても、はさみは自分の切れないのをよく知っていましたから、がまんをして、あきらめていたのであります。そしてこのごろは、げたの鼻緒を立てたり、つめを切ったりするときだけにしか使われなかったけれど、年とったはさみは、若いころ、お嬢さんが人形の着物をつくるときに、美しい千代紙や、折り紙を切ったり、また、お母さんが、お仕事をなさるときに使われた、いくつかの華やかな思い出を目に浮かべて、せめてものなぐさめとしていたのでした。
あるときのことです。いつもの、とぎ屋さんがやってくると、
「アカギタニタニタニがきた、はさみといでもらっていいでしょう。」と、太郎さんは、お母さんにいいました。とぎ屋さんのことを、いつか、アカギタニタニタニとしてしまったのでした。
お母さんが、いいとおっしゃったので、とぎ屋さんにたのむと、おじいさんは、しみじみとはさみをながめて、
「もう、古くなって、腰がよわくなりましたから、といでもそう切れませんよ。」といいました。人間と同じように、はさみの腰がまがって、よわってしまったのでした。
ちょうどその時分、いちばん小さい英ちゃんが学校に上がりました。そして学校で手工にはさみがいることになりました。
「英ちゃんが持っていくのに、ちょうどあぶなくなくてこのはさみがいいでしょう。」と、お母さんが、赤いひものついているはさみをお出しになりました。
はさみはまた筆入れの中にいれられて、その後英ちゃんのお供をすることになりました。お家の人はこのはさみならとみんな安心していました。なんでもすべて古くからのものには、こうした愛と安心と親しみがあるものです。
底本:「定本小川未明童話全集 10」講談社
1977(昭和52)年8月10日第1刷発行
1983(昭和58)年1月19日第6刷発行
※表題は底本では、「古いはさみ」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:仙酔ゑびす
2011年12月1日作成
2012年9月28日修正
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