二少年の話
小川未明



 たっちゃんのくみに、田舎いなかから転校てんこうしてきた、ひでちゃんという少年しょうねんがありました。んでいるおうちおな方向ほうこうだったので、よく二人ふたりは、いっしょに学校がっこうへいったり、かえったりしたのであります。

 あるのこと、たっちゃんは、夕飯ゆうはんのときになにかおもしてくすくすとわらいました。

「なにか、おかしいことがあったの。」と、おねえさんがおっしゃいました。

「きょう、秀公ひでこうといっしょにかえったら、鳥屋とりやまえで、いろいろのとりいているのをて、ああ、うそが、ことだんじているといったんだよ。」とはなしました。

「うそってなあに?」と、おねえさんがたずねられました。

ねえさんは、まだ、うそというとりらないのかい。べにがらのようにあかくて、もっとおおきいとりなんだよ。じゃ、ねえさんは、文鳥ぶんちょうっているだろう。ちょうど、あんなようなとりなのさ。」と、たっちゃんは、いいました。すると、こんど、おにいさんが、

「うそなら、さむほうにいるとりだ。そして、それがどうしたというんだい。」と、きかれました。

秀公ひでこうが、ちいさいとき、おばあさんから、昔話むかしばなしをきいたんだって。むかしあるおひめさまが、悪者わるもののためにさらわれていって、おきしまで、一しょうひとりさびしくことだんじておくると、んでから、そのたましいがうそになったというのだよ。それで、うそがさえずっていたので、秀公ひでこうが、ことだんじているといったんだそうだ。ぼく、なんのことかわからなかったのさ。」

 たっちゃんが、おもしてわらうと、ねえさんもその意味いみがわかって、わらわれたのでした。

「だが、おもしろいおはなしじゃないか。」と、にいさんは、いわれました。

「また、秀公ひでこうまれたむらから、日本海にほんかいちかいんだって。うみへいく道端みちばたに、はるになるとさくらいて、それはきれいだといっていたよ。」

はるは、田舎いなかがいいだろうからな。」

秀公ひでこうは、やはり田舎いなかがいいといっていた。」

ひでちゃんて、どんな?」

「できないので、先生せんせいにしかられてばかりいるのさ。」

 こういうと、おねえさんは、たっちゃんをにらみました。

自分じぶんだって、できないくせに、ひとのことをわるくいうもんでないわ。」

 これをきいて、おとうさんも、おかあさんも、おにいさんも、みんながおわらいになりました。

 その、あくるの、ばんはんのときでありました。いつものように、みんなは、めいめいきまった場所ばしょにすわって、食事しょくじをしましたが、すんでしまうと、またいろいろおはなしたのであります。

秀公ひでこうは、どうしたい。」と、おにいさんが、おもして、おききになりました。たっちゃんは、片手かたてにはしをにぎって、をかがやかしながら、

秀公ひでこうのやつ、また、きょう先生せんせいにしかられて、おかしかったよ。」

「よくしかられるのね。」

田舎いなか学校がっこうのほうが、しかられなくて、よっぽどいいといっていた。」

「どうして、しかられたの。」と、おねえさんが、たずねました。

運動場うんどうじょうのもちのきをって、もちをつくるのだといって、いしうえで、コツ、コツたたいているところを、先生せんせいつかったのだ。そして、このさむいのに、三十ぷんたされたんだよ。」

 こういうと、おにいさんは、かんがえていられましたが、

広々ひろびろとした、田舎いなか自由じゆうそだったものからたら、この都会とかいは、せせっこましいところにちがいない。」といわれたのです。

「こんど秀公ひでこうが、うちへあそびにくるって。」

 これを、おききになって、おかあさんが、

「だれとでもなかよくしなければ、いけませんよ。」と、おっしゃいました。

たっちゃんは、ひとのことばかしいうが、自分じぶんだって、しかられることがあるのでしょう。」と、おねえさんが、いわれました。

「だれが、しかられなんかするものか。」と、たっちゃんは、みみのあたりをあかくしたのです。

 あるのこと、ひでちゃんが、たっちゃんのうちあそびにきました。ちょうどおねえさんも、うちにいらっしゃいました。

 たっちゃんと、いっしょにへやへはいってきたひでちゃんは、

「こんにちは。」と、快活かいかつに、おねえさんにむかって、丁寧ていねいにあいさつをしました。

 一目ひとめて、元気げんきそうな、のくりくりした子供こどもでしたから、おねえさんもわらって、

「いらっしゃい。」と、あいさつをなさいました。

 ひでちゃんは、はじめてのおうちへきたので、かしこまっていましたが、だんだんれると、さっぱりとした性質せいしつですから、はなしかけられれば、はきはき、ものをいいますので、すぐにみんなとうちとけてしまいました。

 いろいろとはなしをしているうち、ふいに、

「うちのたっちゃんは、学校がっこうで、先生せんせいにしかられたことがあったでしょう。」と、おねえさんは、ひでちゃんにおききになったのです。そして、なんというかと、ひでちゃんのかおをごらんになりました。

 はきはきはなしをしていたひでちゃんは、きゅうくちをつぐんで、両方りょうほうのほおをあかくしながら、たっちゃんのかおました。そして、わらって、さすがにだまっていました。

「ねえ、しかられたことがあるでしょう。」と、おねえさんは、かおをのぞくようにして、おききになりました。

「おい、秀公ひでこう、だまっていろ。」と、たっちゃんは、おどすような剣幕けんまくをして、いいました。

たっちゃん、そんなことをいうのは、卑怯ひきょうですよ。」と、おねえさんは、たっちゃんをたしなめなさいました。

 じつは、今日きょう学校がっこうで、たっちゃんは先生せんせいにしかられたのでした。それは時間中じかんちゅうに、砂場すなば採取さいしゅしてきた砂鉄さてつかみうえにのせて、磁石じしゃくかみうら摩擦まさつしながら、すなをぴょんぴょんとおどらせていたのを、先生せんせいつかったからです。もし、このことをひでちゃんが、おねえさんにはなしたら、おねえさんが、うちじゅうのひとはなしして、たいへんだとおもったからでしょう。

「ねえ、ひでちゃん、正直しょうじきにおっしゃいよ。」と、おねえさんは、おききになりました。

 元来がんらい、なんでもきかれれば、っていることは、はきはきとはな性質せいしつひでちゃんですから、いまにも、そのことが、くちからもれやしないかとたっちゃんは、でなかったのでした。

「しかられたことはないけれど、わらわれたことがあった。」と、ひでちゃんが、いいました。それは、ひでちゃんのくちもとをつめていた、たっちゃんにも意外いがいにきこえました。

「まあ、わらわれたって、どんなことがあったの。」と、おねえさんは、はやくききたかったのでした。

栗鼠りすのことを、くりねずみといったんで、みんながわらったんだ。」と、ひでちゃんが、こたえたので、おねえさんも、して、

たっちゃん、おまえ、くりねずみといったの?」と、おわらいになりました。

 たっちゃんは、秀公ひでこうが、どんな自分じぶんこまることをいいだすだろうと、内心ないしんびくびくしていたのですが、なにこれくらいのことなら、そうずかしくないと安心あんしんしたのでした。そして秀公ひでこうの、やさしいのに感心かんしんし、またありがたくもかんじたのであります。

 おねえさんは、たっちゃんが、どんなことをおもっているかわからないものだから、

「そんなことまちがって、どうするの。あそんでばかりいて、勉強べんきょうをしないからですよ。」といわれました。

っていたんだけど、ただ、ちょっとまちがっただけなんだよ。」と、たっちゃんは、くちではこんなしみをいいましたけれど、学校がっこうでみんながわらった、あのときのことをおもすと、きまりがわるくなりました。

 ひでちゃんは、いつまでも、そんなことをおもっていませんでした。

きみ、なにか、おもしろい雑誌ざっしがない?」と、ひでちゃんが、いいました。

「あるよ。」とこたえて、たっちゃんはこれをいい機会きかいがりました。そして、いろいろのほんや、雑誌ざっししてきてせました。二人ふたりは、それからおもしろくあそんだのであります。

 その、おねえさんは、ひでちゃんからきいたはなしをなきれたので、みんながわらいました。

たっちゃんは、自分じぶんわらわれたことをちっともはなさないのね。」

 こうおかあさんが、おっしゃると、たっちゃんはなんとも返事へんじができませんでした。そして、こころなかで、秀公ひでこうがよく、自分じぶん砂鉄さてつでいたずらをしてしかられたことをだまっていてくれたと、いくたびも感謝かんしゃして、これから、自分じぶんもひとのことをいわないようにしようとおもいました。

底本:「定本小川未明童話全集 10」講談社

   1977(昭和52)年810日第1刷発行

   1983(昭和58)年119日第6刷発行

※表題は底本では、「二少年しょうねんはなし」となっています。

入力:特定非営利活動法人はるかぜ

校正:仙酔ゑびす

2011年121日作成

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