小さな弟、良ちゃん
小川未明
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良ちゃんは、お姉さんの持っている、銀のシャープ=ペンシルがほしくてならなかったのです。けれど、いくらねだっても、お姉さんは、
「どうして、こればかしは、あげられますものか。」と、いわぬばかりな顔つきをして、うんとはおっしゃらなかったのでした。
お姉さんは、良ちゃんをかわいがっていました。英ちゃんや、義雄さんよりも、かわいがっていました。それは、良ちゃんはまだ小さくて、やっと今年から学校へ上がったばかりなのですもの。
「お姉さん、その光った、鉛筆をおくれよ。」と、また思い出したように、お姉さんのところへやってきました。いままでにも、だめといったのが、無理に頼めば、しまいにはきいてもらえたので、シャープ=ペンシルにしても、いつか自分のものになると思ったからです。
「こればかりは、だめよ。」と、お姉さんは、おっしゃいました。
「だめ? じゃ、ちょっと僕に見せておくれよ。」と、良ちゃんは、小さい手を差し出しました。
「だめよ。なんといっても、これは、良ちゃんにあげられません。お姉さんが、使っているのですもの。」
「見せて、おくれよ。」と、良ちゃんは、けっして、自分のものにはしないから、ただ手に取らしてよく見せてくれないかということを、顔色に現していいました。
「ええ、見せてあげますわ。けれど、あげるのではなくてよ。」と、いって、お姉さんは、ハンドバッグから、シャープ=ペンシルを出して良ちゃんの手にお渡しになりました。
良ちゃんは、いつかもこうして、無理に美しい、コンパクトの容器をもらったことを思い出すと、今度も、これをもらえるのでないかと思いましたから、
「僕、これほしいな。」といって、銀の軸に小さな英語の彫ってあるのをじっと見ていますと、
「こればかしは、いけないの。」と、お姉さんは念を押すようにおっしゃいました。
「僕の持っているもの、お姉さんにあげるけどなあ。」と、良ちゃんは、いいました。
「ほほほほ、良ちゃんは、どんなものを持っているの?」
「僕だいじにしているものがあるのだよ。」
「どんなもの、良ちゃんのだいじにしているものって、なんでしょう?」
「あれと代えてくれる?」
「それはわからないわ。どんなものか、私知らないのですもの……。」と、お姉さんは、良ちゃんを見下ろして、お笑いになりました。
「こまと、水鉄砲と、まりと、ろうせき……。水鉄砲は、いつまでも貸しておいてあげるから……。」
「ほほほほ、良ちゃん、私、そんなもの、なんにするのよ……。」と、いって、お姉さんは、良ちゃんのほっぺたをぷっと吹きました。
良ちゃんは、心持ち顔を赤くして、
「じゃ、みんなとなら、ペンシルと代えてくれる?」と、熱心にいいました。
お姉さんは、かわいそうになりました。
「私、今日、デパートへ寄るから、良ちゃんにいいのを買ってきてあげるわ。」と、お姉さんは、いいました。すると、たちまち、良ちゃんの目はかがやきました。
「ほんとう? お姉ちゃん、僕にぴかぴかした、シャープ=ペンシルを買ってきてくれる?」と、良ちゃんは、急に元気になりました。
「ええ、きっと、光った、いいのを買ってきますよ。お姉さんは、お約束をして、うそをいったことがないでしょう?」
「うん。」と、良ちゃんは、うなずきました。そして、お姉さんの銀のシャープ=ペンシルをお返ししました。
その日、お姉さんは、外からお帰りなさると、
「ぴか、ぴかしたのを、買ってきた?」と、良ちゃんは、飛び出しました。
お姉さんは、ニッケル製の子供持ちのを買ってきてくださいました。良ちゃんは、喜んで、
「どうも、ありがとう。」と、いって、お姉さんにお礼をいいました。そして、それをさっそく洋服のポケットに差して、お友だちに見せようと遊びに出ました。
「良ちゃんには、光っていれば、みんな銀になって見えるのね。」と、お姉さんは、その後ろ姿を見送りながらおっしゃいました。お姉さんには、その無邪気なのが、なんとなくいじらしかったのです。
きょうも、また、良ちゃんは、兄の英ちゃんに、釣りにつれていってくれと、泣かんばかりにして頼んでいました。
「やだ、おまえ一人でゆけばいいだろう。だれかお友だちを誘って……。」と、英ちゃんは、いっていました。
「ねえ、つれていってよ。」と、良ちゃんは、頼んでいました。英ちゃんは、釣りざおの糸をしらべたり、浮きをつけかえたりしていましたが、
「もう生意気なことはいわんな。はいといえばつれていってやる。」と、いいました。
「もういわんから、つれていってね。」
「ああ、よし。」
「うれしいな。」と、良ちゃんは手をたたいて飛び上がりました。
「みみずを取りにゆくのだから、これを持っておいで。」と、英ちゃんは、いいました。
小さな良ちゃんは、片手に紅茶の空きかんを持ち、片手に手シャベルを握って、兄さんのお供をしたのです。
「まあ、威張っているわね、にくらしい。」
窓から、小さな兄弟、二人の話をきき、出てゆく後ろ姿が見送っていたお姉さんは、いいました。
そのうちに、二人は、みみずをとって、帰ってきました。
「お母さん、早くご飯にしておくれ、みんなと釣りにゆくのだから。」と英ちゃんが、いいました。
「良三、途中で帰るなんていったら、なぐるぜ。」と、英ちゃんがいいました。
「ああ、いいよ。」
これをきいていたお姉さんは、もうたまらなくなりました。
「良ちゃん、釣りになんかゆくのをおよしよ。」と、お姉さんは、いいました。
「なんで? 僕、ゆきたいんだもの、いってはいけないの?」と、良ちゃんは、泣き出しそうになりました。
「だって、そんなにまでしていきたいの?」
「うん、ゆきたい。」
「じゃ、いらっしゃい。英ちゃん、あんまり良ちゃんをしかったら、ひどいから。」と、お姉さんが、いいますと、
「じゃ、つれていってやらないよ。」と、英ちゃんは、いいました。良ちゃんは、泣き出してしまいました。そのとき、お母さんが、
「さあ、ご飯ができましたよ、仲よくしていっていらっしゃい。」と、おっしゃいました。良ちゃんは、ご飯を食べる間も英ちゃんの機嫌をとっていました。
そのうちに、みんなが外へ迎えにきました。二人は「いってまいります。」をしました。
「気をつけてね。」といって、お姉さんとお母さんは、見送ってくださいました。
英ちゃんは、さおを持ち、良ちゃんは、片手に、みみずの入った紅茶の空きかんを持ち、片手にバケツをぶらさげていました。ほかの男の子たちも、さおとバケツと紅茶の空きかんを持っていました。
お姉さんは、これまで見た、紅茶の空きかんといえば、たいていリプトンであったのが、いつのまにか、みんな和製を使用するようになったとみえて、リプトンの空きかんは、一つもないと思われました。ここにも、世の中の変化があらわれているような気がしました。
「良ちゃんは、さおがないの?」と、お母さんが、おききなさると、
「こんなものに、なにが釣れるかって……。」と英ちゃんが、笑いました。
「まあ、ご苦労な、ただバケツを持ってお供をするだけなの。」と、お姉さんは、ほんとうに、良ちゃんがかわいそうになりました。
はや、みんなの姿は、かなたの道の上に小さくなりました。
「かわいそうに、それをつれてゆくとか、ゆかぬとか意地悪をしてさ。」と、お姉さんは、涙ぐみました。
「いえ、みんな小さいうちは、それで楽しいんです。大きくなると、わかってきます。」と、お母さんは、おっしゃいました。
底本:「定本小川未明童話全集 10」講談社
1977(昭和52)年8月10日第1刷発行
1983(昭和58)年1月19日第6刷発行
初出:「子供のテキスト」
1935(昭和10)年8月
※表題は底本では、「小さな弟、良ちゃん」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:仙酔ゑびす
2012年7月10日作成
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