少年と秋の日
小川未明
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もう、ひやひやと、身にしむ秋の風が吹いていました。原っぱの草は、ところどころ色づいて、昼間から虫の鳴き声がきかれたのです。
正吉くんは、さっきから、なくしたボールをさがしているのでした。
「不思議だな、ここらへころがってきたんだけど。」
どうしたのか、そのボールは見つかりませんでした。お隣の勇ちゃんは、用事ができて帰ってしまったけれど、彼だけは、まだ、思いきれなかったのでした。ボールがほしいというよりは、どこへいったものか、消えてなくならないかぎり、このあたりに落ちているものと思ったからです。
この広い原っぱには、ほかにだれも遊んではいませんでした。彼は、勇ちゃんが、スパイクを買ってもらったら、自分もお母さんに買ってもらうお約束があるので、さっきも勇ちゃんと、その話をしていたのでした。
「ね、君は、いつスパイクを買ってもらうの?」
「お父さんが、旅行からお帰りになったら。」と、勇ちゃんはいいました。
「君が、買ってもらったら、ぼくにも買ってやると、お母さんがいったよ。」
二人は、早くその日のくるのが楽しみだったのです。
正吉くんは、いまも、そのことを考えていると、ふいに、
「君、なにかさがしているの?」と、後方で、声がしました。おどろいて振り向くと、知らない子が立っていました。
「りゅうのひげなら、あすこにたくさんあるよ。ぼくもりゅうのひげの実を取りにきたのだ。」と、知らない子が、いいました。
「りゅうのひげ?」
「ああ、りゅうのひげさ、君、まだ知らないの?」
「僕、りゅうのひげの実を見たことがないよ。」と、正吉くんはいいました。
知らない子は、先になって駆け出しました。
「君、ここに、こんなになっているだろう。」と、足もとのしげった草の中をさしました。そこにも、冷たい秋の風はあって、細くて長いひげのような草の葉を動かしていました。
なるほど、手で草をわけてみると、濃紫の小さい美しい実が、重なり合うようにしてなっていました。
「僕の妹が、ほしいというので、僕、さがしにきたのだ。」と、知らない子は、いいました。
「君は、りゅうのひげの実を取りにきたのかい。僕は、ボールをなくしたので、さがしているのだ。」と、正吉くんは、いいました。
「そうか、あったかい。ないの? 僕、さがすのは、とてもうまいんだぜ。」
知らない子は、りゅうのひげをポケットに入れて、それから、ボールをさがしてくれました。
「なんだ、ここにあるじゃないか。」と、さっき正吉くんが、いくら、さがしても見つからなかったところから、拾い出しました。
「君、キャッチボールをしようか。」と、正吉くんが、いうと、
「うん、こんどしよう。妹が、待っているから、早く帰らなければならないよ。」
「君の家は、遠いの。」
「遠いけど、自転車に乗ってゆけば、すぐだ。君、いっしょに遊びにおいでよ。」と、知らない子は、誘いました。正吉くんは、その子は、いい子だから、お友だちになりたかったのでした。
「どうしようかな。」と、ボールを握って、考えていました。
「僕、帰りに、送ってあげるから、おいでよ。」
正吉くんは、ついにゆく気になりました。その子のそばには、真っ赤に塗った二輪車が、置いてありました。正吉くんは、知らない子のうしろに乗って、肩につかまると、風を切って、風のように、その自転車は走りました。いくつかの、まだ見たことのない森や、まだ知らない道を通って、やはり原っぱの中に、五、六軒あった、その一軒の前に止まり、庭の木戸口を開けて、二人は、入りました。
「ここが、僕の家だよ、あがりたまえ。」
庭には、はげいとうや、しおんのような、秋草が咲き乱れていました。中にも、うす紅色のコスモスの花がみごとでした。縁側の日当たりに、十ばかりの少女が、すわって、兄さんの帰るのを待っていました。その子は、病気と思われるほど、やせていました。しかし、目は、ぱっちりとして、黒く大きかったのでした。
兄さんは、ポケットから、りゅうのひげの実を出して妹にやると、
「まあ。」といって、顔を上げて、喜びました。正吉くんは、なんとなく、この兄妹の仲のいいのがうらやましくなって、自分もいつか微笑んで、二人のようすをながめていました。
「新しい、お友だちをつれてきたのだよ。」と、兄は、妹にいいました。
「これから、ときどき、遊びにきてもいい?」と、正吉くんが、ききました。
「ええ、道をよくおぼえていて、いらっしゃいね。」と、少女は、答えました。
三人は、その日のよく当たる縁側で、りゅうのひげで、おはじきをしました。
あちらの壁に、海を描いた、油絵がかかっていました。白い鳥が、波の上を飛んでいました。正吉くんは、どこかで見たような景色だと思いました。あるいは、自分が生まれる前の世界であったかもしれません。そのそばに、マンドリンがかかっていました。
「あれは、マンドリンだね。」と、正吉くんは、珍しそうにして、指しました。
「わたし、マンドリンひけてよ。こんどいらっしゃったら、きかしてあげるわ。」と、少女は、正吉くんの顔を見て、笑いました。
「あ、僕、もう家へ帰らなければ。」と、正吉くんは、急に、お母さんが迎えに出て、自分が見つからないので、案じていられる姿を目に浮かべたのです。
「今度、キャッチボールをしようね。」と、知らない子は、いいました。そしてまた、自転車のうしろに正吉くんを乗せて送ってくれました。雲の間の夕日は、赤かったのでした。
「僕、君を呼びにゆくときは、スパイクをはいてゆくから。」と、知らない子が、いいました。
その夜のことでした。
正吉くんは、ふと目をさますと、外のアスファルトの往来をカチ、カチと、スパイクの鉄を、石に打ちつける音がしました。
「あ、あの子がきた?」といって、飛び起きました。このようすを見た、お姉さんが、
「正ちゃん、いま時分、だれがくるものですか、耳のせいですよ。」といわれました。
「カチ、カチ、いうじゃないか! 姉さんには、きこえないの?」
「ほんとうだわ、見ましょうか?」
二人は、窓を開けて、外をのぞきました。澄みわたった、月の光に照らされて、さながら、水の中を見るような往来を、一人のスパイクをはいた子供が、駆けていました。
「だあれ?」と、正吉くんが、叫びました。
「正ちゃん、僕!」
それは、意外にも、勇ちゃんの声でした。
「勇ちゃん、どうしたの?」
「僕、スパイク買ってもらって、うれしいのだよ。」
そういった、勇ちゃんの声は、たしかに、うれしそうでした。
「まあ、いま時分、どうしたの?」と、お姉さんがいいました。
「お父さんが帰っていらっしたから、お母さんに買ってきてもらったのだ!」
「じゃ、僕も明日買ってもらおう。」
二人の少年は、月の光を浴びて、朗らかに笑いました。
底本:「定本小川未明童話全集 10」講談社
1977(昭和52)年8月10日第1刷発行
1983(昭和58)年1月19日第6刷発行
初出:「児童文学」
1935(昭和10)年11月
※表題は底本では、「少年と秋の日」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:仙酔ゑびす
2012年7月16日作成
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