子供の床屋
小川未明
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町はずれに、大きなえのきの木がありました。その下に、小さな床屋がありました。円顔の目のくるりとした男が、白い上着を被て、ただ一人控えていましたが、めったに客の入っているのを見ませんでした。なんとなく、みすぼらしく、それに狭苦しい感じがしたからでしょう。
勇ちゃんも、年ちゃんも、学校へゆくときはその前を通りました。
「怖い顔をした、おじさんだね。」と、小さい声で勇ちゃんがいいました。
「僕のゆく床屋はきれいだよ、鏡が五つもあるよ、ここは、一つしかないね。」と、年ちゃんが、いいました。
「僕、こんなとこは、いくら安くてもやだな。」
「もっと、きれいでなければね。」
「そうさ。」
二人は、学校から帰ると、原っぱでボールを投げて遊んでいました。
「いいかい、カーブを出すよ。」
「オーライ。」
そのうちに、ボールはころがって往来のそばの深いみぞの中に落ちました。
「困ったね。」と、二人が下を見ていっているところへ、
「どれ、拾えないかな。」といって、顔を出したのは、思いがけない白い上着を被た床屋の主人でした。
「待っていな、いま取ってやるから。」と、主人は、自分の家へ走っていって長いさおを持ってきました。そして、ボールをこちらへ寄せて取ってくれました。
「ありがとう。」と、二人は心からお礼をいいました。
主人の姿が見えなくなると
「いいおじさんだね。」と、二人は、顔を見合って、にっこりしました。
その後、四、五日たってからです、勇ちゃんは学校へゆくときに、年ちゃんに向かって、
「僕、昨日、ここの床屋で頭を刈ってもらった。」と、床屋の方をふりむきながら、いいました。
「汚くない?」
「狭いけれど、清潔だよ。あのおじさんは、怖い顔をしているけれど、やさしいよ。若いときは、軍人で、満洲へいったんだって、いろいろ戦争の話をしてきかせたよ。」
「そうかい、僕も今度から、ゆこうかしらん。」と、年ちゃんは、いいました。
二人は、この床屋へゆくようになってから、おじさんと仲よしになりました。晩になると、えのきの木の下に、縁台を出して、三人は、腰をかけて、涼みながら、おじさんから、田舎で釣りにいった話や、また、夜川原に火をたいて、魚を寄せて、網ですくった話などをききました。
「火をたくと、魚が寄ってくる?」と、勇ちゃんが、ききました。
「そうです、その川は、小さな川でしたが、なまずの大きいのがいましたよ。」と、おじさんは、星空をながめて語りました。
「田舎へ、いってみたいな。」と、年ちゃんが、いいました。
どこかで、ボーンと花火の上がる音がしました。きっと、徳ちゃんたちが、原っぱで上げているのでしょう。けれど、そこへゆくよりか、おじさんの話のほうがおもしろいのでした。
「私の小さい時分には、この、えのきの木の実をたまにして、竹で鉄砲を造ったものです。」と、おじさんは、夜風に、さらさらと葉のそよいで鳴る、えのきの木を見上げました。
「あの、青い実が、たまになるの?」
「いい音がしますよ。」
「こんど、僕にそんなてっぽうを造っておくれよ。」と、年ちゃんが頼みました。
「おじさん、僕にもね。」と、勇ちゃんが、いいました。
二人は、おじさんに、竹のてっぽうを造ってもらうことを約束しました。
「田舎は、やぶへゆけば、いくらでも竹があるが、ここでは、なかなか竹がありませんね。」と、おじさんは、考えていました。
きれいな、大きな床屋へいって、この小さな床屋へこないほかの子供たちは、なんとなく、この縁台にきて、腰をかけて、おじさんから、お話をきくのを遠慮していましたが、いつのまにか、みんなおじさんと親しくなって、この床屋へくるようになりました。
おじさんが、子供が好きだったからです。そして、しまいに、この床屋は、子供の床屋という、あだながつくようになりました。近所の子供は、床屋の前をいい遊び場所にしました。おじさんは、いつも元気で、小さい店先で、子供たちの頭を、ジョキジョキ刈っています。
底本:「定本小川未明童話全集 10」講談社
1977(昭和52)年8月10日第1刷
1983(昭和58)年1月19日第6刷
※表題は底本では、「子供の床屋」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2015年5月24日作成
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