おじいさんが捨てたら
小川未明



 ある、おじいさんはいつものように、ちいさな手車てぐるまきながら、そのうえに、くずかごをのせて、裏道うらみちあるいていました。すると、一けんいえから、んだのであります。

 いってみると、いえなかのうすぐらい、喫茶店きっさてんでありました。こわれた道具どうぐや、不用ふようのがらくたをってくれというのでした。

「はい、はい。」といって、おじいさんは、一つ一つ、その品物しなものとおしました。

「この植木鉢うえきばちも、っていってくださいませんか。」と、おかみさんらしいひとがいいました。

 それは、粗末そまつだけれど、おおきなはちえてある南天なんてんであります。もう、幾日いくにちみずをやらなかったとみえて、もとのつちしろかわいていました。あかみがかった、光沢こうたくのあるがついていたのであろうけれど、ほとんどちてしまい、また、うつくしい、ぬれたさんごじゅのようなのかたまったふさが、ついていたのだろうけれど、それもちてしまって、まったくかげはありませんでした。

「ああ、かわいそうに。」と、おじいさんは、おもわずつぶやきました。

 これをくと、わかいおかみさんは、「おじいさん、どうせそのは、だめなんですから、どこかへてて、はちだけっていってくださいな。」と、わらいながらいいました。

 このとき、おじいさんはまだいのちがあるかどうかと、まゆをひそめてえだなどをってしらべていましたが、

「このたすかるものなら、らすのはかわいそうです。」とこたえました。

 おかみさんは、ただわらって、だまっていましたが、こころなかで、きっとやさしいおじいさんだとおもったでありましょう。それとも、そんなことをおもひとでなかったかもしれません。

 やがて、おじいさんは、いろいろなものをって、それを手車てぐるまうえにのせました。南天なんてんはちものせました。そして、ガラガラといてはこりました。

 かえ道筋みちすじ、おじいさんは、うつきかげんにあるいて、かんがえていました。

「あのみせも、はやらないとみえて、みせめるのだな。しかし、ものを、こんなに、ぞんざいにするようでは、なに商売しょうばいだって、さかえないのも無理むりはない。」と、こんなことをかんがえたのであります。

 いえかえるとさっそく、みずをやりました。また、わずかばかりのこっていた、についているほこりをあらってやりました。そしてのよくたるところへしてやりました。

 仕事しごとをしていた、息子むすこよめさんがてきてこれをながめながら、

「おじいさん、そのれてはいませんか。」とたずねました。

れたのも同然どうぜんのものだが、まだすこしばかりいのちがあるらしい。わたし丹誠たんせいたすけたいとおもっている。」と、おじいさんはこたえました。

 こうしたやさしいおじいさんでありますから、ちいさいもの、よわいものにたいして、平常ふだんからしんせつでありました。

正坊まさぼうはどうしたか。」と、かえるとすぐに、まごのことをききました。

「いま、どこかそとあそんでいます。」と、よめさんはこたえました。

「よく、をつけて、けがをさしてはいけない。こののようなもので、れたえだが、をふいて、もとのようになるのには容易よういなことでない。病気びょうきをしたり、けがをしたりすると、とりかえしがつかぬから。」と、おじいさんは、注意ちゅういしました。

 晩方ばんがた息子むすこ工場こうばからもどって、みせさきにある南天なんてんはちました。

「おじいさん、この南天なんてんれているじゃありませんか。なぜ、こんなものをくのですか。」といいました。

わたしが、をかけてみようとおもっているのだ。」と、おじいさんは、こたえました。

「このがよくなるのは、たいへんなことですね。」

子供こどもそだてるとおなじようなもので、くさでもでも丹誠たんせいひとつだ。」

 こう、おじいさんは、いったのでした。それから、おじいさんは、あさきて、かけるまえに、はちあたりにしてやりました。またかえればみせさきにいれてやり、そしてときどきはあめにあわせてやるというふうにをかけましたから、れかかった南天なんてんもすこしずつせいがついて、あたらしいをだしました。あたらしいは、また子供こどものように、太陽たいようひかり新鮮しんせん大気たいきうち元気げんきよくびてゆきました。そしてなつのころしろはなき、そのとしれにはっかおもそうにれさがったのであります。

 軒端のきばにくるすずめまでが、まるくして、ほめそやしたほどですから、近所きんじょひとたちも、

「あんなれかかったが、こんなによくなるとは、きものは、丹誠たんせいひとつですね。」といって、たまげました。

 がらくたとならべたみせさきに、南天なんてんはちしておくと、とおりがかりの人々ひとびとがながめて、

「いい南天なんてんだな。」といってゆくものもあれば、なかには、ってくれぬかといったものもありますけれど、おじいさんは、

「これは、金銭きんせんではられない代物しろものだ。」といって、ことわったのでありました。

 ところが、おじいさんのかわいがっている正坊まさぼうが、おもいかぜをひいてました。

 そのとき、てもらったお医者いしゃさまが、またしんせつなひとであって、たとえ、夜中よなかでも、ねつたかくなって、むかえにゆけば、いやなかおをせずに、すぐにきてくだされたから、うちじゅうのものが、みんなありがたくおもいました。それで、正坊まさぼう病気びょうきもだんだんとよくなりました。ある、このお医者いしゃさまが、この南天なんてんて、たいそうみごとだといってほめられたので、おじいさんは、だいじにしていたのだけれど、おれいこころざしにお医者いしゃさまにあげたのであります。そして、そのあとで、

「あのひとなら、だいじょうぶらすことはない。」といって、おじいさんは、安心あんしんしていました。

底本:「定本小川未明童話全集 10」講談社

   1977(昭和52)年810日第1刷発行

   1983(昭和58)年119日第6刷発行

※表題は底本では、「おじいさんがてたら」となっています。

入力:特定非営利活動法人はるかぜ

校正:仙酔ゑびす

2011年121日作成

2012年928日修正

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