赤い実
小川未明
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だんだん寒くなるので、義雄さんのお母さんは精を出して、お仕事をなさっていました。
「きょうのうちに、綿をいれてしまいたいものだ。」と、ひとりごとをしながら、針を持つ手を動かしていられました。
秋も深くなって、日脚は短くなりました。かれこれするうちに、はや、晩方となりますので、あちらで、豆腐屋のらっぱの音がきこえると、お母さんの心は、ますますせいたのでありました。
ちくちくと、縫っていられますうちに、糸が短くなって糸の先が、針孔からぬけてしまったのです。お母さんは、新しい糸の先を指で細くして針の孔にとおそうとなさいました。けれど、うまいぐあいに、糸は孔にとおらなかったのです。
お母さんは、気をおもみになりました。そして、明るい方を向いて、針の小さな孔をすかすようにして、糸の先をいれようとしましたが、やはりうまくいきませんでした。
「義雄さん。」と、お母さんはたまりかねて、隣のへやで、勉強をしていた義雄さんをお呼びになりました。
「なんですか、お母さん。」と、義雄さんは、すぐにやってきました。
「お母さんは、目がわるくなって、とおらないから、ちょっと糸を針孔にとおしておくれ。」と、おっしゃいました。
これをきくと、義雄さんは急に胸がふさがって、悲しくなりました。
「お母さんは、まだおばあさんじゃないんでしょう。」と、義雄さんはききました。
「いいえ、もうおばあさんなんですよ。」
こうおっしゃったお母さんの言葉に、やさしい義雄さんは、目の中に、熱い涙がわいてきました。糸をとおしてあげて、ふと、庭さきを見ると赤いものが、目にとまったのです。
「あの、赤いのはなんだろうな。お母さん、あの赤いのはなんでしょうね。」
「どれですか。」
「ざくろの木の、あの枝さきについている……。」
すでに、黄色くなった葉が落ちてしまって、ざくろの木は枝ばかりになっていました。その一本の枝のさきに、小さい真っ赤なものが、ついていたのです。そして、それはなんであるか、お母さんにもわかりませんでした。
義雄さんは、庭に下りて、すぐにざくろの木に登りはじめました。
「おちるといけませんよ。」と、お母さんは、注意をなさいました。
「だいじょうぶです。」と、義雄さんは、もう木の中ほどまで登ってその枝に、足をかけていました。
近づいてみると、ちょうどルビーのように、美しくすきとおる、なにかの小さい実が、ざくろのとげにつきさされていたのでした。
「どうして、こんなところに赤い実がつきさされているのだろう。」
義雄さんは、赤い実をとげからぬき取って、木から下りると、お母さんのところへ持ってまいりました。
すると、お母さんは、
「うぐいすか、なにかそんなような鳥が、どこからか、くわえてきてさしていったのです。」とおっしゃいました。
「どうして、あんなところにさしておいたんでしょうね。」
「あとから、こっちへとんでくるお友だちに知らせる目印にしたのかもしれませんね。それでなければ、あまり赤くてきれいな実だから、食べるのが惜しくてしまっておいたのかもしれません。そして、そのうちに忘れてしまって、どこかへ飛んでいってしまったのでしょう。」と、お母さんはおっしゃいました。義雄さんは、なんだかそのうぐいすがなつかしい気がしました。
「お母さん、きっと、惜しくてたべなかったんですよ。」
「ああ、そうかもしれません。」
美しい、赤い実を掌の上にのせて、ながめていた義雄さんは、なんの実だろうかと思いました。
「お母さん、木の実でしょうか、草の実でしょうか?」と、ききました。
「やぶの中に生えている、なにかの木の実のようですね。」
「これを土にうずめておくと、芽が出るでしょうか。」と、義雄さんは、たずねました。
「ええ、出ますとも、みんな草や、木の実は下に落ちてそこだけに、芽を出すものではありません。こうして、鳥にたべられて、その鳥が、遠方に飛んでいって、ふんをすると種子が、その中にはいっていて、芽を出すこともあるのです。そして、その芽が大きく伸びて、一本の木となった時分には、その木の親木は、もう、枯れていることもあります。またじょうぶでいることもあります。そんなことが、たび重なるにつれて、その木の子や、孫が地面上に殖えていって繁栄するのです。」と、お母さんは、おっしゃいました。
「考えると、不思議なもんですね。」
「それだから、美しい実のなるのも、木には、深い意味があるので、自分の種類を保存することになるのです。」
「人間は、どうなんですか。」
「どう、おまえは考えるの。お父さんや、お母さんは、だんだん年をとって、働くことができなくなります。その時分には、おまえたちは大きくなって世の中のためにつくし、また、家のために力とならなければならない。そして、私たちの力でできなかったことをもやりとげなければならないのです。」とおっしゃいました。
義雄さんは、お母さんのお話をきくと、いっそう、赤い実がなつかしくなりました。その赤い実を、またざくろの木にさしておこうかとも思ったが、それよりは、お庭の日当たりのいいやわらかな土にうずめてやったほうがいいと思って、そうしました。
義雄さんには、将来の楽しみが一つできました。来年の芽の出る春が待たれたのであります。
底本:「定本小川未明童話全集 10」講談社
1977(昭和52)年8月10日第1刷発行
1983(昭和58)年1月19日第6刷発行
※表題は底本では、「赤い実」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:仙酔ゑびす
2011年12月1日作成
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