街を行くまゝに感ず
小川未明
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たま〳〵書斎から、歩を街頭に移すと、いまさら、都会の活動に驚かされるのであります。こちらの側から、あちらの側に行くことすら、容易ならざる冒険であって時には、自分に不可能であると感じさせる程、自動車や、自転車や電車がしっきりなしに相ついで、往来しているのであります。
これを見るものは、誰しも、大都会に対して、その偉なる外観に歎賞の声を発せぬものはなかろうと思います。しかし、私は、この時、すぐに、次のような疑いの生ずるのを何うすることもできない。「何が、こんなに忙しいのか。こんなに忙しそうに、みんなが動かなければならない必然の理由は、何であろう……」
私は、みんなが、忙しそうに動かなければならぬ、その仕事に対して、その仕事の目的に対して、いかなる自覚を持ち、その上で動いているか、否かを疑わずにはいられなかったのです。
たいして、急がなければならぬことでないのに、彼等は自動車に乗り、また、出なくて家にいてもいゝのに、外へ出たり、また、それ程、物資に欠乏していないのにかゝわらず、物資をその上にも輸送し、輸入するために、トラックを走らせたり、すべてが、必然に迫っていないにかゝわらず、一刻を争ったりしているように、その多くが、いたずらに、動き、消費しつゝあるのではないかというような疑問が感ぜられるのです。もし、個人的に、社会的に、合理的に動きつゝあるなら、そして、かくの如く、必然に向って、働きつゝあるなら、この社会は、いまゝでにも、もっとより善く、より正しくならなければならぬと感じられるからです。
けれど、私達は、いかに、かく都会に喧騒を極めても、このまゝであったら、決して、私達の生活は、光明を望むものでないことをむしろ痛感せざるを得ないのは、なぜでしょうか。
それは暫く措き、都会がいたずらに発達するということも、中央集権的であるということも、従って都会人は、ようやく此生活から離れて行くがために、いよ〳〵変則的な生活を営むということも、また中央集権的なるが故に、文化がこゝのみに発達して、都会人の生活は、問題にされるが辺土の生活は顧みられないということも、所謂、社会政策というものは、いかなるものかということも、さまざまに考えられるのでした。
私達は、子供の時分を田舎に過した。しかし、多年、其の土地を離れているうちに、いつしかその時分の生活がどんなようなものであったかを忘れるに至った。これは、すべて都会に住む人々の多くがそうであると思われるのです。
田舎の人達は、どんなにして働いたか、西瓜を作り、南瓜を作り、茄子を作り、芋を作るのに、どんなに汗水を滴らして働いたか。
また、林檎を栽培し、蜜柑、梨子、柿を完全に成熟さして、それを摘むまでに、どれ程の労力を費したか。彼等は、この辛苦の生産品を市場にまで送らなければならないのです。
都会人のある者は、彼等の辛苦について、労働については、あまり考えないで、安いとか、高いとかいって、商人の手から買い、安いければ、安いで無考えに消費するまでのことです。
「今年は、西瓜が安い、また豆が安い……」と言って、消費者は喜びます。これを作った百姓の喜びは、やがて、市価の下落によって反対の悲哀を見なければならない。なぜなら商人は、彼等に対して、いつまでも搾取を惜まないからです。
考えれば、いろ〳〵な不条理がこの社会に存しています。
こればかりでない。もし都会に不幸な家庭があったとします。そして、その家庭は、世間の人々の同情を受けるのに、充分値したとする。もし、そうした家庭があったなら、その家庭の事情は、都会の新聞によって報道せられないことはなかろうと思います。
新聞は、社会の耳目を以て任じ、また、社会の人々は、そうした人達を幾分なりと救うことも善事と心得ているからです。まことにそうあることは、善いことであるに相違ない。
しかし、私は、こうした家庭があまりに都会から遠い辺土であったなら、もとより新聞に載せることもなく、また、人々から同情されることもないと思うのです。そして、そうした悲惨な事実は、都会に於てゞばかりでなく、至るところにあると見るのが至当であります。都会の多くの新聞は、そうした事実について必ずしも知らぬのでない。たゞ人々があまり遠いところのことに対しては、刺戟も同情もないというだけの理なのであります。多くの社会政策なるものがやはり、こんなようなもので、多くの人の気付くところには、何等かの対策もするが、人々の気付かないところには、犠牲者を冷酷に看過するといっていゝのです。
私達が、これまでの政治に対して、あきたらないものは、こゝに理由が存するのです。そして、かく言わんとする所以のものは、独り、良心ある作家に、至嘱するからでした。
いまゝでの多くの作家は、その態度に於けるばかりでなく、気持の上からも、思想の上からも、全く知識階級的の立場にあったと言い得られるのでありました。田舎というところは、一種彼等には、詩的のところのようにすら思われていました。新鮮な空気と青々とした野菜と、そして広々とした野原とは、全く都会生活者には、そう思われるか知れない。けれど、そこに営まれつゝある生活は、別種のものではなかった。もっと都会の労働者に於けるよりも経済的に苦しまなければならぬものであった。彼等のあるものは、まだ奴隷的階級にあるといっていゝものも少くなかった。そうしたことに考え至らずして、これまでの作家は、田園を詩的に取扱ったものが多かった。そして、自然の生活に帰れとか、土の文学とか、いろ〳〵に名づけていたが、畢竟、ブルジョア意識に生じた文学と言わなければならなかったのです。
恰も、今日の都会居住の作家によって描かれつゝある、所謂都会芸術は、その名称に於てこそ、心理描写と言い、或は感覚の芸術であると言われるけれど、真の階級意識を有せざる点に於て、プロレタリアの芸術と言うことができないと同じであります。
苟くも田舎を取材にするなら、小作人の立場になって、階級意識の上に書かれた芸術でないかぎりは、所詮、ブルジョア文学たることを免れない如く、都会の芸術は今日の工場労働者の精神に徹せざるかぎり、真のプロレタリア芸術と言うことはできないのであります。
芸術に、階級意識のあると否とを構成上の条件とするか、せざるかは、むしろ、作者がいかなる生活意識を有するかによって決定されることです。
知識階級が、単独な階級として、持続されないことは、今や、明かなことゝされています。大多数が支配階級の附属たり、また擁護者たることを甘んずるとしても、芸術家が正義の感激から、被搾取階級のために、戦わずして止むべきかは、一にその人の良心に依ることです。
芸術に於て、プロレタリアの作家の出現は、すでに必然の真理とします。たゞ、この過渡期にあっては、知識階級中の若干分子が、その代弁者たることの止むを得ざることです。
それにつけて、都会の生活は、新聞に、雑誌に、実際をきくこと屡々なるけれど、今日の田舎の生活は、真実にして、尚お、階級意識の支持者たる、真のプロレタリア作家の筆に俟たなければ、いまだ真の地の叫びをきくに至らない実状にあります。都会の新興文学を思うにつけて、私達は、田園の新興文学を思わざるを得ない。
底本:「芸術は生動す」国文社
1982(昭和57)年3月30日初版第1刷発行
底本の親本:「未明感想小品集」創生堂
1926(大正15)年4月30日初版
入力:Nana ohbe
校正:仙酔ゑびす
2011年11月30日作成
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