純情主義を想う
小川未明
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ナロードニーキ社会主義運動の精神を、私達は、今に於てなつかしまざるを得ない。真実を至上とし、行動を良心の上に置いたからである。彼等は、正義のため、全く自己を犠牲にして惜しまなかった。
私達は、この精神に即してのみ社会運動の意義を見出さんと欲する。そして、この情熱に於てのみ、不断の感激をそゝられるのである。
主観的信念より、客観的組織に就くことは自然として、何等疑いを挾まない。けれど、これしも空想的社会主義から科学的社会主義にいれるものとして価値を差別せんとするに対しては、我等は見界を異にせざるを得ないであろう。
所謂、空想的社会主義と、科学的社会主義との相違は、単に、その手段、方法の問題たるにとどまらず、其処に、性格の相違あり、また、全く人生に対する、前提の同じからざるによるものがある。
チャイコフスキイ団の如き、謙譲と真実と愛によってのみ民衆は教化せらるゝものと信じた。そして、彼等は、まさに身をもって、その任に当った。東西古今、真理を愛し、正義に感ずるもの、まさに、青年に如くはなかった。
クロポトキンは、「何事をおいてもの快楽の情欲しか持たないところの、のらくら息子でないかぎりは、真理のために起つであろう」と、言っている。
青年時代は、最も、真理を検別するに、敏感であるばかりでなく、また真理の前に正直であるからである。今日、真面目なる学生等が、社会科学の研究に趣くのを不思議としないであろう。
一八五〇年代のロシアの学生が、「民衆の中に」行った気持には、悲壮なものがあった。彼等は、大学を捨てたばかりでなく、一切の都会的享楽から離れて、農村に走り、農奴と伍した。そして、自から耕牧して、彼等と共に、苦楽を分った。彼等の生活が正しいばかりでなく、愛するためには、身を以て殉ぜんとしたところに、真実さがなければならぬ。一人、一人の魂に触れるということは、これ程、たしかなことはないからであろう。
ナロード主義が、空想的であって、マルクス主義が科学的である故に、前者に、大衆を獲得する力がないといって、貶することができるであろうか。
その時代の民衆作家は、みなナロードの精神を有していた。彼等は、親しく、農村の生活を観察したるにとゞまらない。無智の農民の代弁となり、その生活を詩化することによって階級的侮辱から、また彼等を救わんとさえ試みたのである。
かくの如き、青年や、作家の行動を空想的にすぎぬと言ってしまうことができるであろうか? 行動は、即ち良心なりと信ずるかぎり、この種の自己犠牲精神を他にして、人生の熱情も、感激も見られないのである。
レーニンの弁証法に、ブハーリンの史的唯物論に、もとより真理のある事を否まない。且つ、科学的基礎のあることをば信ずる。たゞこれを漫然と繙くものに、いずこにか、ナロードニーキの運動を嗤う権利があろう?
現代は、科学的という言葉に、あまり多くの意味を置きすぎている。科学的に、人間生活が解釈され得るとするも、それは、ある部分にしかすぎない。社会科学の場合と常に同様に考えることはできぬ。人間の生活が、科学の法則のみによって支配されるものでないからである。そして、永久に、説明しつくされざる何ものかを残しているためである。
このことは、自己を認識すること、いよ〳〵深ければ、深い程、思いあたるにちがいない。即ち科学の外に、芸術の存在を許容する所以だ。芸術は職能として、人生の複雑なる心理、環境と生活、社会と個人等を描くにある。体質に於て同じからざる人間は、同じからざる考えを抱く。また生活層によって、喜怒哀楽を異にする。それ等を、公平によって、書くことは不可能なことである。
都市労働者の生活は、これを最もよく知れる者によって書かれなければならない如く、農村の百姓の生活は、同じく体験あるものによって、始めて代弁されるであろう。
私達は、近代、機械によれる文学、もしくは、芸術の出現を認めない訳にはいかぬ。これを科学の産んだ芸術と呼んで差支えないのである。シネマと、ラヂオのごとき、一地域もしくは、局部の生活に抵抗せず、超国土的に、一般の大衆に訴へんとするものが、それである。これ等の統一的な芸術にあっては、はじめより、大衆に共通する趣味、興味、感情、思想等を標準とし、普遍性を指標とするを特色とする。勿論その中には、郷土的色彩のあるものもあるけれど、要するにそれ等の認識、発見に目的があるのでなくして、一般の娯楽に供せんとする発意に外ならない。いやしくも、それ等の芸術に依拠して、真の美感を与えよく芸術の使命を果すものありとすれば、それは、たしかに天才の仕事でなければならぬ。私達は、かゝる芸術の存在理由をも、効果をも疑うものでないが、芸術は、創造であり、個的でなければならぬところに理由を置く。芸術は、感激であり、魂であるからである。
社会運動に、芸術運動に、苟くも、人間を対象とするかぎり、闘争を意味し、感激を意味し、良心の上に立つことを意味せざるはない。謙虚と純情と自己犠牲の観念によって、はじめて感激の火は民衆に移されるのである、これ即ち、ナロードニーキの精神であった。同時に、我等の精神である。
いま、科学主義万能によって、いちじるしく、軟柔性を欠き、硬直したる社会運動に、また芸術運動に、直面して、真に思い出さるゝことは、二たび、当年のナロードの精神に帰れということではあるまいか。
底本:「芸術は生動す」国文社
1982(昭和57)年3月30日初版第1刷発行
底本の親本:「常に自然は語る」日本童話協会出版部
1930(昭和5)年12月20日初版
入力:Nana ohbe
校正:仙酔ゑびす
2011年11月30日作成
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