果物の幻想
小川未明
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梅雨の頃になると、村端の土手の上に、沢山のぐみがなりました。下の窪地には、雨水がたまって、それが、鏡のように澄んで、折から空を低く駆けて行く、雲の影を映していました。私達は、太い枝に飛びついて、ぶら下りながら赤く熟したのから、もぎとりました。中には、片輪の実もあった。まだ、熟さないのは、黄色かった。鬱陶しい、黒っぽい、あたりの景色が眼にうつりました。そして、揺ぶるたびに、冷たい雫が、パタ〳〵と滴った。葉裏についている白い蛾が、ちょうど花びらかなどの散ったように、私達の身のまわりをひら〳〵しました。それは気味わるかったが、広々と開けた場処へ出て、みんなで、もぎとって来た、針の先でつゝいたような白い点々のある、真赤の実を食べた、そのうまかったことと、青い、青い、田園の景色を忘れることができません。
この話は、初期のころの作品、「日蝕」のうちに書いたことがあります。
私は、病気で、臥ていました。六つか、七つ頃のことです。昼ごろ、母は、使から帰って来ました。そしておみやげに、大きな巴旦杏を枕許に置いてくれました。私は熱のため、頭痛がするのを床の上に起き直って、暗紫色にうまそうな水をたゝえた果物を頬につけたり接吻したりしました。
その時、丁度、珍らしくも、皆既食が、はじまったのでした。私は、わい〳〵人々が、戸外に出て語っているのを夢の中で聞くような心持で聞いたのを覚えています。
やはり、子供の時分のこと、まくわ瓜が大好きでした。その香も私には、よかったのです。まだ、あまりメロンなどを見なかった頃で、この種のものに、より良い種のあることなど知らなかったのでした。これにつけて、忘れ難きは、四万八千日の日に、祖母は、毎年のごとく、頭痛持ちの私にお加持をしてもらうべくお寺へつれて行ったのでありますが、そのかえりに寺の前の八百屋でまくわ瓜を買ってくるのを例としたことです。
先年、初夏の頃、水郷を旅行して、船で潮来から香取に着き、雨中、佐原まで来る途中、早くも掛茶屋の店頭に、まくわ瓜の並べてあるのをみて、これを、なつかしく思い、立寄って、たべたことがありました。
燕温泉に行った時、ルビーのような、赤い実のついている苔桃を見つけて、幽邃のかぎりに感じたことがあります。日光の射さない、湿っぽい木蔭に、霧にぬれている姿は、道ばたの石の間から、伸び出て咲いている雪のような梅鉢草の花と共に、何となく深山の情趣を漂わせます。もとより、これを味うには、あまりに稀品とすべきでありましょう。
底本:「芸術は生動す」国文社
1982(昭和57)年3月30日初版第1刷発行
底本の親本:「常に自然は語る」日本童話協会出版部
1930(昭和5)年12月20日初版
入力:Nana ohbe
校正:仙酔ゑびす
2011年11月30日作成
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