波の如く去来す
小川未明
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人間の幸不幸、それは一様ではない。十人が十人、皆それ〴〵の悩みと楽しみとがある。併し恐らく一生を通じて苦悩のない者はなく、歓喜のないものも又ないだろう。そしてそれらは、波の寄せては返すように、循環しているものであろう。誰でもが自分の生活を享楽と、総て喜びでありたいと願うだろうが、併しそれは、健康な者が常に健康ではあり得ないように、少しの間隙が生ずれば、直に不安は襲うて来るであろう。又それは、明るみを歩む人間に、常に暗い影が伴い、喜びの裡に悲しみの潜むのと同じである。しかし悲しみの中にも来るべき喜びの萌しのあるのも勿論だ。
人間は苦悩に遭遇した時、「いつこの悩みから逃れられるのか?」と、恰もそれが永久に負わされた悩みでもあるかのように転々反側するけれど、ものには限度のあるもので、その後には必ず喜びが来る。まして人間は忘却と云うものを有っている。忘却は総てのものに……永久の苦しみも喜びも、その人の人生観を一変させるほどの失恋の苦悩でも……を、やはり時が経てば、昔のそれのようにさせない。最愛の子を失うた親の悲しみも、月日が経てば忘れ得る。総ては時の裁断に待つのみだ。たゞ人間の理想も幸福もみな刹那的なもので、軈て最後は絶滅すると云う、永久に変ることのない、亡びるものゝ悩みがある。昔から虚無の思想に到達したものは歓喜を見ない。ニヒリストの姿は寂しい。
また別に「いくら働いても人間の生活はよくならぬ、人間は苦しみの為に生れて来たのだ。」と云う無産階級者の苦悩も、現在の社会制度が現在の儘であるならば、或は免れ難い苦悩であるかも知れぬが、これはその原因を明かにして、これに対応する理想と努力さえあれば、よりよき生活や社会が生れて来ることは確実になった。即ち経済的の苦悩はお互の努力によって歓喜の域に入ることが出来るであろう。
多くのことは、人の心の持方、人の境遇の転換によって、波の寄せるように、暗影と光明とを伴って一去一来しているのだ。この意味に於て、私は時が偉大な裁判者だと信ずるのである。
底本:「芸術は生動す」国文社
1982(昭和57)年3月30日初版第1刷発行
底本の親本:「人間性のために」二松堂書店
1923(大正12)年2月10日初版
入力:Nana ohbe
校正:仙酔ゑびす
2011年11月30日作成
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