舞子より須磨へ
小川未明



 舞子の停車場に下りた時は夕暮方で、松の木に薄寒い風があった。誰も、下りたものがなかった。松の木の下を通って、右を見ても、左も見ても、賑かな通りもなければ、人の群っているのも目に入らない。海は程近くあるということだけが、空の色、松風の音で分るが、まだ海の姿は見えなかった。私は、松並木のある、長い通りを往ったり、来たりして、何の宿屋に泊ろうかと思った。ちょうど、一軒の一品料理店の前に、赤い旗が下っていた。其の店頭に立っていた女に、

『舞子の町は、何の辺ですか』と聞いた。女は淋しそうな顔をしていた。

『町って、別にありません』

 これが、舞子か……と私は、思っていたより淋しい処であり、斯様こんな処なら、越後の海岸に幾何いくらもありそうな気がした。

 亀屋という宿屋の、海の見える二階で、臥転ねころんで始めて海を見た。いつになく、其の日は曇っているのだそうな。こう女がいった時、よく自分は、南に来るたびに其の特色の景色を見ることが出来ない。今年の一月、伊豆山に行った時も、雪が降った。また舞子に来ても、所謂いわゆる、瀬戸内海の晴れた海を見ることが出来ないのをよく〳〵運のないことゝ思った。目の下を男と女と二人並で散歩している。二人は海を見て立止った。潮風が二人の袂と裾をかえしている。流石さすがに、避暑地に来たらしい感もした。

 夕飯の時、女は海の方を見て『今日は、波が高い』といったが、日本海の波をみている私には、この高いという波が、あまり静かなのに驚かされていた位であるから、平常ふだんの海はどんなに静かであろうと疑われた。

 隣の室には、髭の生えた男がいる。其の次の間にも、二三人いたようだ。大きな宿屋は、至って静かだ。たゞ、海から吹いて来る風が開け放たれた室に入った。海は、さながら、鏡のおもてに息を吹きかけて、曇った程にしか見られない。彼の、北国ほっこくの海の上を走るような、黒い陰気な雲の片影すらなかった。曇っても飽迄あくまで明るい瀬戸内海は女性的である。自然は広い、これも自然の有する姿の一であると思えば、生れてから暗い海のみを見ていた私は、自然というものゝ解釈が違ったようだ。

 酒を飲み尽さないうちに、海は、暮れてしまった。波は益々高くなったようであったけれど、出ている船の数は多かった。全く、其等の船の影が闇の中に隠れた。電燈は、膳の上の、あたらしい魚の肉を盛った皿に青く輝いた。奈良、法隆寺と海の遠い処の、宿屋に泊って、半分腐れかゝった魚を食べさせられた自分は、舞子の一泊を忘れることが出来ない。闇の中を青い火を点した蒸気船が通る。彼方にいた、赤い小さな燈火あかりが、いつか、目の前に来ている。

 淡路島の一角に建てられた燈台の白い光りが、長く波の上に映っている。船の通るたびに、其の白い光りは見えなくなる。

『あれ、また船が通ります』と、女は、やはり海の方を見ていて言った。

 てすりに寄って、遠く、汽船の青い火の、淋しい、闇に消えて行く方を見守った。何処へ行くのだろうと思われた。また眼を転じて此方を見ると、ちら〳〵と漁火いさりびのように、明石の沿岸の町から洩れる火影が波に映っている。

 歩いて須磨へ行く途中、男がざる石竹せきちくを入れて往来を来るのに出遇った。見たことのないような、小さな、淡紅うすあかい可愛らしい花が咲いていた。また、活動写真にある背景はこのあたりを写したのであろうと思われるような松並木のある街道を通った。

 私の手携てさげ袋の中には、奈良の薬師寺で拾った瓦や、東大寺で買った鐘や、いろ〳〵のものが入っているので、手が痛くなって、其処の松並木の下の草原で暫らく休んだ。

 遙かに、紀伊の山々が望まれた。海の上を行って、五十里はあれど百里はあるまいと思うと、学校時代に最も親しかった、たゞ一人の友のいる国の山が見えるのに、此処まで来て其の友に遇わずに帰るのが悲しくて、また、何時か来られるか分らないのにと思うと、低徊して去るに忍びなかった。

敦盛あつもりそばや』に来て、この友に絵はがきにたよりを書いた。十五六歩左手に敦盛の墓がある。やっと一杯のそばを食べた。それに蠅が多いのでうるさい。風もなく、日は、山地やまぢに照り付けて何処からともなく蝉の声が聞えて来る。夏蜜柑の皮を剥きながら、此の草葺くさぶき小屋の内を見廻した。年増の女が、たゞ独り、彼方で後向になって針仕事をしていた。そばを食べると昔の歌をうたって聞かせるという話だが、何も歌わなかった。

 私が、この小舎を出る時、二人旅人が入って来た。

底本:「芸術は生動す」国文社

   1982(昭和57)年330日初版第1刷発行

底本の親本:「夜の街にて」岡村盛花堂

   1914(大正3)年15日初版

入力:Nana ohbe

校正:仙酔ゑびす

2011年1130日作成

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