渋温泉の秋
小川未明



 九月の始めであるのに、もはや十月の気候のように感ぜられた日もある。日々に、東京から来た客は帰って、温泉場には、派手な女の姿が見られなくなった。一雨毎に、冷気を増してびれるばかりである。

 朝早く馬が、向いの宿屋の前に繋がれた。其のうちに三十四五の病身らしい女がはんてんを着て敷蒲団を二枚馬のに重ねて、其の上に座った。頭には、菅笠すげがさを被って前に風呂敷包を乗せている。草津行の女であるということが分った。

 三階にいて私は、これから草津に湯治とうじにゆく、此の哀れな女の身の上のことなどを空想せられたのである。草津の湯は、皮膚のただれるように熱い湯であると聞いている。六畳の室には電燈が吊下つるさがっていて、下の火鉢に火がさかんに起きている。鉄瓶には湯が煮えっていた。小さな机兼食卓の上には、鞄の中から、出された外国の小説と旅行案内と新聞が載っている。私は、此の室の中で、独りたり、起きたり、瞑想に耽ったり、本を読んだりした。朝寒いので、床の中に入っていたけれど、朝起きの癖がついているのでじっとしていられなかった。起きても、羽織すら用意して来なかったので、内湯に行ったのである。広いという程でないけれど、澄み切った礦泉が湯槽ゆつぼに溢れている。足の爪尖つまさきまで透き通って見ることが出来る。無限に湧き出ている礦泉は、自然力の不思議ということを思わせる。常に折よく、他に誰も入っていない時が多かった。独り眼を閉じて、何を考えるともなしに淋しい気持を和げようとしている。眼を開くと、窓際に突き出た青い楓の枝が繁っている。硝子窓をすかして、青い影が湯に映っている。五六月頃の春の初めには、此の山中にも、うす緑色の色彩は柔かに艶かにあるものをと夢幻的の感じに惹き入られた。

 昼過ぎになると、日は山を外れて温泉場の屋根を紅く染めた。遠く眺めると彼方の山々も、野も、河原も、一様に赤い午後の日に色どられている。其処にも、秋のひややかな気が雲の色に、日の光りに潜んでいた。

 前の山には、ぶな、白樺、松の木などがある。小高い山の中程に薬師堂があって鐘の音が聞える。境内には柳や、桜などが植っている。其等の木々の葉が白く、日光に、風のあるたびに裏を返して見せているのも淋しかった。

 眼の下にお土産物を売っている店がある。木地細工の盆や、茶たくや、こまや、玩具おもちゃなどを並べている。其の隣りには、果物店くだものみせがあった。また絵はがきをも売っている。稀に、明日あす帰るというような人が、木地細工の店に入っているのを見るばかりであるが、果物店には、いかなる日でも人の入っていないことはなかった。別に、眼をたのしますものもないから、らんりかゝって、前の二階の客が煙草を喫ったり、話しをしていたり、やはり、つくねんとして此方こっちを見ているのを見る他、眼をどうしても、此の二軒の店に落さずにはいられなかった。そのたびに、果物店には、赤い帯が見えて、娘が葡萄や、林檎を買っていたり、また絵はがきを選んでいるのを見て、よくはやる家だと思わぬことはなかった。

 四日目である。

 真昼の空はからりと晴れて、くもがなかった。日は紅く、河原や、温泉場を照らして山の木々の葉は、ひら〳〵と笑っていた。此の日、此の村の天川あまかわ神社の祭礼で、小さな御輿みこしが廻った。笛の音が冴えて、太鼓の音が聞えた。此方の三階から、遠く、たにの川原を越えて彼方の峠の上の村へと歩いて行く御輿の一列が見られた。──赤い日傘──白い旗──黒い人の一列──山間の村でこういう景色を見ることは、さながら印象主義のを見るような、明るいうちに哀愁が感じられた。

 夕暮方、温泉場の町を歩いていると、夫婦連の西洋人を見た。男は肥えて顔が赤かった。女は痩せて丈が高くて黒い覆面をしていた。この町の小供等は、二人の西洋人の後方についてぞろぞろと歩いていた。斯様かように、子供等がうるさくついたら、西洋人も散歩にならぬだろうと思われた。山国の渋温泉には、西洋人はよく来るであろう。けれど其れは盛夏の頃である。こう、日々にさびれて、涼しくなるといずれも帰ってしまう。今は、西洋人は此の二人よりないらしい。それで子供等は、西洋人を物珍らしく思うのであろう。二人の西洋人は、ある宿屋の店に腰をかけて、暮れゆく夜の山を見ながら話し合っていた。

 夜、安代やすしろの旅籠屋で琵琶歌があるから、聞きに行かぬかと誘われたけれど行かなかった。日が暮れると、按摩の笛の音が淋しく聞かれるばかりである。

 此の頃来たという美しい女の飴売が、二人の子供を連れて太鼓を叩きながら、田中の方から、昼も、夜も、日に二三回は必ずやって来るが、あまり銭をやるものもないと見えて、じきに行ってしまう。銭をもらって歌をうたうて聞かせるのである。按摩の笛の音と、此の飴売の太鼓の音をかわる〴〵聞きながら、私は、床の中に横わって眼を閉じる。溪川のにおいが近く、遠く幽かに耳について遠いところへ来てゐるという感じがせられた。


 渋には、まだしも物売る店がある。郵便局がある。理髪店がある。其の他いろんな店がある。これに較べると上林かんばやしは淋しい。宿屋が二三軒あるばかりである。山が裏手に幾重にも迫って、溪の底にも溪がある。点々としている自然、永劫の寂寥をしみ〴〵味わうというなら此処に来るもいゝが、陰気と、単調に人をして愁殺するものがある。風雨のために壊された大湯、其処に此の山の百姓らしい女が浴している。少し行くと、草原に牡牛が繋がれている。狭い、草原を分けて行くと、もう秋は既に深かった。草の葉が紅く、黄色く色づいているのが見られる。危い崖を踏んで溪川を左手に眺めながら行くと林の下に樵夫きこりの小舎がある。其処から少し行くと、地獄谷というところに出る。常に岩の間から熱湯を沸き上げている。あたりには、白く霧がかゝっている。溪川には、湯が湧き出で、白い湯花が漂って、岩に引っかゝっているところもある。

 崖の上に一軒のみすぼらしい茶屋があった。渋温泉に来た客は、此の地獄谷へ来るものはあっても、稀にしか崖を上って此の茶屋で休むものはなかろう。其の少ない客を頼りに此の茶屋は生活しているとしたら不安であると思われた。

 都会の中心に生活している人と、斯様こんな寂しい、わびしい生活をつゞけている人と、どちらが幸福であるかということは容易に裁断しがたい。

 青く、空の冴えた日の朝である。私は、山に入って、琵琶滝と澗満たにみつの滝を見に行こうと出かけた。足許の草花は既に咲き乱れていた。而して、虫の音は悲しげに聞かれた。

底本:「芸術は生動す」国文社

   1982(昭和57)年330日初版第1刷発行

底本の親本:「夜の街にて」岡村盛花堂

   1914(大正3)年15日初版

入力:Nana ohbe

校正:仙酔ゑびす

2011年1130日作成

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