感覚の回生
小川未明
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夏の午後になると風も死んで了った。村の中は、湯に浸されたように空気が烈しい日の光りのためによどんでいる。私は、友達もなく独り座敷に坐って、外のもろこしの葉や、柿の葉に日の光りが照り付けているのを眺めていると、何事もすべて、其の葉に映っている日光の焼点の中に集められているような気がした。東京に行った隣の友吉の姿も、寺の御堂にかゝっている蜂の巣も、或る夕暮方、見た六部の姿を考えるとなしに、じっと一点に集って葉の上に光っている太陽の焼点の中に映っているような気がした。で、自分は、其の光りの中に集っている其等の一つ一つの姿や、記憶や、懐しさのある面影を探ねようと、茫然と其の葉の上を見ていると、家の人々は、昼眠をして誰も起きているものもないから、極めて家の中がしんとしている。遠くで、いつもする糸車の音も響いて来なかった。けれど私の心は、此の四辺の静かな裡に一つあって、眠ることも出来なければ、安らかに居ることも出来なかった。この音のない天地を、小さな子供の努力でありながら、掻き乱したい。眠ることの出来ない孤独の我が心を、昵として淋しくしているだけの忍耐が出来なかった。
其処で、私は、眠ている祖母の傍に行って揺って起こそうとした。すると母は、『お前、昼眠をせんで起きているのか、頭に悪いから斯様熱いのに外へは出られんから少し眠て起きれ。』といって、また其儘眠ってしまった。私は、張合が抜けて父の室に行って見ると、新聞を読んでいた父もいつしか眼鏡をかけたまゝ、手枕をして眠っている。私は、父を揺り起そうとした。すると、『うるさい。少し眠かしてくれ。』といったぎり、また眠ってしまった。私は、全く、孤独であった。
熱い烈しい日光を冒して外に出て見たが、眼が眩むように、草も木も、すべてだらりと葉を垂れて、眤と光っている。此の平和の村は、何処の家も昼眠をしていると見えて、誰も、外に出ている人の姿を認めなかった。
『斯様、暑い日に外へ出るのはお前ばかりだ。』といった母の言葉が思い出された。
私は、語ろうと思ったけれど、友達がなかった。独りで桑圃のある方へ歩いて来ると、おはぐろ蜻蛉が、一疋頭の上を舞っている。私は、このおはぐろ蜻蛉は、どんな気持で、此の烈しい日光の中を飛んでいるかと思って、暫らく立止って眺めていると、極めて落付いて安心して、自分の考えるまゝに自分は自由に平気で飛んでいるのだといわぬばかりに、ひら〳〵と頭の上を飛んでいた。其のような、蜻蛉の飛んでいる様子を見た時に、私は見逃すような穏しい子供でなかった。常に、『これはいゝあんばいだ。こんなおはぐろ蜻蛉が下に降りて飛んでいることはない』と心は躍って、きっと工夫して帽子で捕えるか、細い棒で叩き落したものである。
また草の繁った中に入って、チッ、チッ、チッと啼いている虫の音を聞き澄して捕えようと焦ったものだ。自分の踏んだ草が、自然に刎ね返って、延び上った姿、青い葉の裏に、青い円い体に銀光の斑点の付いている裸虫の止っているのも啼く虫と見えて、ぎょっとしたこと、其の時の小さな心臓の鼓動、かゝる空溝に生えている草叢にすら特有の臭い、其等は、今、こうやって机に向っていると、まざ〳〵として目に見え、鼻に来る覚えがする。
けれど、平常ペンを採っていて、この色、この臭いを今考える程強く書いたことはなかった。
また、かゝる日に自己の興を求めて殺生した事実について考えさせられたこともなかった。
真面目に自己というものを考える時は常に色彩について、嗅覚に付て、孤独を悲しむ感情に付て、サベージの血脈を伝えたる本能に付て、最も強烈であり、鮮かであった少年時代が追懐せられる。故に、習慣に累せられず、知識に妨げられずに、純鮮なる少年時代の眼に映じた自然より得来た自己の感覚を芸術の上に再現せんとして、努力するのは、蓋し、茲に甚大の意義を有することを知からである。
底本:「芸術は生動す」国文社
1982(昭和57)年3月30日初版第1刷発行
底本の親本:「北国の鴉より」岡村盛花堂
1912(大正元)年11月25日初版
1913(大正2)年6月17日再版
入力:Nana ohbe
校正:仙酔ゑびす
2011年11月30日作成
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