芽は伸びる
小川未明
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泉は、自分のかいこが、ぐんぐん大きくなるのを自慢していました。にやりにやり、と笑いながら、話を聞いていた戸田は、自分のもそれくらいになったと思っているので、おどろきはしなかったが、誠一は、ひとり感心していました。お母さんが、きらいでなければ、自分もかいこを飼いたいのです。なんでお母さんは、あんな虫が怖いのだろう。お母さんや、妹が、かわいい顔をしているかいこを、気味わるがっているのが、不思議でたまらなかったのであります。そこへ、ちょうど理科の長田先生が通りかかられました。
「君たち、なにをしているね。」と、みんなの顔を見て笑っていられたのです。
「おかいこの話をしていたのです。先生、僕のおかいこは大きくなりました。」と、泉が、いいました。
「そうか、学校のと、どっちがいい繭を造るかな。」
「競争するといいや。」と、戸田がいいました。
「君も、飼っているのかね。」
「飼っています。」
ひとり誠一がだまっているので、先生は誠一の顔をごらんになって、
「南、おまえは。」と、お聞きになりました。
誠一は、こないだ先生がみんなにかいこを飼ってみるようにおすすめなさったのを覚えています。自分だけ飼わぬと答えるのは、なんだか理科に対して、不熱心に思われはせぬかと考えたので、
「僕、かいこを飼いたいのですけれど、かいこがないのです。」といいました。
「ほんとうに飼うなら、学校のを四、五匹あげよう。あとからきたまえ。」といって、先生は、誠一の頭をぐりぐりとなでて、彼方へいってしまわれました。三人は先生の後を見送っていましたが、たがいに心の中でやさしい先生だと思ったに、ちがいありません。
「じゃ、みんなで、競争しようか。」と、泉が、いいました。
「いいとも。」と、戸田が、答えました。
まったく経験のない、そして、どうするかも知らない誠一は、すぐに返事ができなかったのです。
誠一は、
「むずかしいだろうね。」と、心もとなさそうに、いいました。
「僕、よく教えてあげるよ。お菓子の空き箱と、あとでわらがあればいいんだよ。」と、戸田が、勇気づけてくれました。
「それに、桑の葉がないのだが。」
「桑の葉なら、僕、明日学校へ持ってきてあげる。びんの中へ水を入れてさしておきたまえ。」と、泉が、教えました。
誠一は、先生が、大きな桑の葉の上へ、かいこを七匹ばかり、のせて渡してくだされたのをありがたくいただきました。さあこれをどうして持って帰ったらいいだろう。紙もなかったので、葉の上にのせたまま、それを手のひらで支えて、そろそろ歩いて、学校の門から一人出たのであります。
うすい、白雲を破って、日光はかっと町の建物を照らしていました。車が通ります。自転車が走っていきます。そのあわただしい景色に心を奪われるでもなく、誠一は、ゆっくり、ゆっくり、おかいこを見守りながら、道を歩いてきました。町の人々は、なんだろうと思って、誠一の手をのぞくものもありました。
「やあい、おかいこをあんなことして持っていくやあい。」と、笑っている子供もありました。いつもなら、十五分ぐらいで帰れるのに、三十分あまりもかかって、やっと我が家の門が目にはいったのです。
「お母さんが、いけないといって、しかりはしないかなあ。」と、誠一は、ちょっと心配になりました。
「誠ちゃん、たいそうおそかったですね。」
お母さんは、そうおっしゃいました。
「先生から、おかいこをもらってきたのだよ。」
誠一は、先生からといったら、お母さんは、許してくださりはしないかと思って、先生という語に力を入れたのです。
「お母さんは、はだか虫がきらいなのを知っているでしょう。なんでそんなものをもらってきたのですか。」と、お母さんは、おっしゃいました。
「生糸は、日本の大事な産業だって、それで先生がみんなに飼ってごらんとおっしゃったのです。かいこはちっともこわくもなんともないのに、お母さんがこわがるのは、お母さんが、よわ虫だからだろう。」と、誠一が、いいました。
「ほんとうにそうですね。じゃ、私の目につかないところに置いておくれ。」
誠一は、お母さんがそういったので、いくらか安心しましたが、おかいこをどこへ置いたらいいだろう。
「お母さんの目につかないところって、どこかなあ。」
妹といっしょに勉強するへやに置くことはできませんでした。妹がやはりお母さんと同じく、虫がきらいだからです。
「物置にしようか、あすこは、暗くて、風がよく通らないし。」と、考えているところへ、学校で約束した、戸田がやってきました。
「先生からいただいたおかいこをお見せよ。」
「こんなんだ。」
誠一は、もうしおれかかった桑の葉の上にのっているかいこを見せました。
「大きいんだね。もうじき上がるんじゃない。僕のは、こんなに大きくないよ。」
「先生だから、うまいんだろう。」
「早く、お菓子の空き箱を持っておいでよ。」
誠一は、お菓子の空き箱を出しました。また近所の米屋へ走っていって、わらももらってきました。戸田は、かいこを飼う箱を一つ、まぶしを一つ造ってくれました。
「ここらに、桑の木はないのかい。」
「君のうちにあるの。」
「僕のうちのは、縁日で買ってきた苗木だよ。」
「ここらに桑畑がないんだ。」
「あとで、さがしておいでよ。こう細かくきざんでやるのだ。」
戸田が、帰ってしまった後でした。
「誠ちゃん、こんなところに、おかいこを置いては、かわいそうじゃありませんか。風の通る涼しいところがいいではありませんか。」と、物置へはいって、石炭を出していられたお母さんが、かいこの箱を見つけておっしゃいました。
「お母さんの、見えないところといったんでしょう。」
「あんたのおへやに置きなさい。」
「みよ子がいやだというのだもの。」
「あの子も、私ににたのですね。そんならお座敷に置きなさい。」
「え、お座敷に置いていいの。」
「ちらかさないように、下になにか敷いてね。」
お母さんが、そうおっしゃると、誠一はうれしかったのです。やはりお母さんは、やさしいなと感じたのです。
門の外へ出ると、西の空が赤々としていました。とみ子さんや、よし子さんや、勇ちゃんたちが、遊んでいました。
「どこかに、桑の木がないか知らない。」
「おかいこにやるの。」
「うん、先生から、おかいこをもらってきたけれど、桑の葉がなくて困っているのだ。」
「僕に見せておくれよ。」と、勇ちゃんが、いいました。
「私、知っているわ。原っぱにあってよ。」と、とみ子さんが、いいました。
「どこの原っぱに。」
「土管の置いてある、原っぱに。」
「ほんとう。僕、桑の木なんか見なかったがなあ。」
「あってよ。おしえてあげましょうか。」と、とみ子さんは、真っ先になって、原っぱの方へ駈け出しました。あとからみんながつづいたのです。
原っぱの片すみの方は、草の茂ったやぶになっていました。そこへは、近所の人たちが、よく空き俵や、ごみなどを捨てるのです。そのやぶの中をさして、
「ほら、あの木がそうよ。」と、とみ子さんがいいました。そこには、青々とした、一本の木が、夕日の光を浴びていました。
「あれ、桑の木かしらん。」
「そうよ。」
誠一は、やぶの中へはいっていきました。いつか、ここで、ねこが子を産んだことがあります。
「ねこが、ここで子を産んだね。」
「あのねこは、死んじゃったよ。」と、勇ちゃんが、いいました。誠一は、白と黒の、あわれなねこの姿が目に浮かんだのでした。彼の後について勇ちゃんも、とみ子ちゃんも、よし子さんもはいってきたのです。
「ほんとうに、桑の木だ。」
「赤い実がなっているわ。」
「ここにも。」
みんなが、わあわあいっていると、すぐあちらの家のおばさんが、生垣の間から、こちらをのぞいて、
「みんな葉をとらないでください。私の家にも、おかいこがありますからね。」といいました。
こんなにたくさん葉があるのにと思って、誠一は、へんな気持ちがしたが、
「すこししか、とりませんよ。」と、答えました。子供たちは、また、草を分けて、原っぱの広々としたところへもどると、
「いやなおばさんだね。」と、とみ子さんが、いいました。
「やな、ばばあだな。」と、勇ちゃんが、いって、みんなは、赤い屋根を見上げました。
翌日、学校へいくと、泉はしんせつにびんの中へ桑の枝をさして、持ってきてくれました。
「こんど、僕の家へ取りにおいでよ。自転車に乗ってくれば、わけがないだろう。」といいました。
その桑の葉はつやつやとして、色が黒く、厚くて、ほんとうにうまそうです。こんな葉を食べているおかいこは、きっとよくふとっているだろう。そして、いい繭を造るにちがいない。競争は、泉の勝ちかもしれないと、誠一は思いました。
学校の帰り道で、戸田といっしょになったのです。
「君のところの桑の葉も、こんなに大きくて、おいしそうかい。」と、誠一は、たずねました。
「まだ、木が小さいからね。」
「僕は、原っぱに生えている桑の木の葉を取ってきたけれど、かたくて、おいしくなさそうだ。」
「それは、こやしを、やらないからだよ。」
「これは、こやしがきいているんだね。」
「そうさ。」と、戸田は、なぜかくすくす笑いました。
「僕、毎朝、自転車にのって、もらいにいこうかな。」
「泉の家の前は、桑畑なんだぜ。だから、すこしばかり取ったって、かまわないのさ。」
「泉の家から、火葬場が近いんだってね。」と、誠一が聞きました。
「だから桑の木のこやしに火葬場の灰をやるんだよ。」
「えっ、火葬場の灰をやるの。」
「いってみたまえ、根のところが白くなってるから。」
「僕、もういくのをよした。」
「どうして。」
「だって、気味がわるいもの。」
誠一には、手に持っている桑の葉の光が、急に普通とちがっているように感じられたのです。その葉は捨てなかったけれど、それからは、やはり原っぱへいって、桑の葉を取ってきました。
ある日、やぶのところで、十ばかりの女の子と、八つばかりの男の子が、桑の木の方に向かって立っていました。とんぼを捕るのでもなければ、また、きちきちを捕るようなようすもなかったのです。
「なにしているの。」と、不思議に思って、誠一は、聞きました。
「桑の葉を取りにきたの。」
「どこから。」
「私の家は、あの赤い屋根のお家よ。」
誠一は、いつかみんな葉を取ってはいけないといった、おばさんの家だと思いました。
「おかいこをたくさん飼っているの。」
「五十匹ばかりいるの。」
「たくさんいるんだね。」
「もう、そろそろ上がりかけているわ。」
「早いなあ、僕も桑の葉を取りにきたのさ。」と、誠一がいうと、
「大きなへびがいるよ。」と、男の子が、いいました。
「どこに?」と、誠一はびっくりしました。
「私が、学校の帰りにここを通ると、大きなへびがあすこへはいっていったのよ。」
女の子が、そういうのを聞いて、誠一もおそろしくなりました。桑の木を見れば、摘んでも、摘んでも、伸びる若芽が、風の吹くたびになよなよとかがやいています。その葉の間から、白い枝が見えるのが、なんだかへびのからんでいるようにも見えたのであります。誠一は、石や、土くれを拾って、やぶを目あてに投げていました。こうすれば、へびがおどろいてどこへか姿をかくすからでした。
「お姉ちゃん、帰ろうよ。」
「僕が、取ってあげるから待っておいで。」
誠一は、勇気を出して、草を分けてはいっていきました。桑の枝を折ろうとすると、熟しきった赤い実が、ぽとぽとと落ちました。
「さあ、これを持ってお帰り。」
誠一は、桑の枝を女の子の手に渡してやったのです。
朝早く起きた誠一は、いつになく忙しそうでした。かいこが、いよいよ上がりかけたのです。学校へいってしまった後で、お母さんがおへやへはいってみると、手紙が置いてありました。
「まあ、なんでしょうか。」と、お母さんは、笑いながら、開けてごらんになりました。
「お母さん、おかいこが口から糸を出したら、まぶしに入れてください。まぶしに入れたのには、桑をやらないでください。糸を出さないほかのには、桑の葉を細かくきざんでやってください。誠一より。」
お母さんは虫はきらいでしたけれど、子供のためには、怖いとも思わず、なんでもしてやる気になられました。そして、おかいこの前へいって、一つ、一つ、しらべていられました。
底本:「定本小川未明童話全集 12」講談社
1977(昭和52)年10月10日第1刷発行
1982(昭和57)年9月10日第5刷発行
底本の親本:「赤土へ来る子供たち」文昭社
1940(昭和15)年8月
※表題は底本では、「芽は伸びる」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2017年4月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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