水七景
小川未明



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 むらから、まちる、途中とちゅうかわがありました。どもは、おかあさんにつれられて、あるいていました。

 はしをわたりかけると、どもは、欄干らんかんにつかまりかわおろしました。みずが、あとから、あとから、ながれてきて、くいにぶつかっては、うずをまき、ジョボン、ジョボン、と、おとをたてていました。どもは、ふしぎそうに、それをまもり、

「おかあちゃん、みずが、なにかいっていますね。」と、いいました。

はやく、道草みちくさをとらんで、いらっしゃいと、いっているのですよ。」と、おかあさんは、こたえました。

「このみずは、どこまでいくの。」

「そうですね、むらや、まちとおって、うみへいくのですよ。」

 二人ふたりは、はなしながら、また、あるきだしました。きしの、ねこやなぎは、まだあかいずきんをかぶって、ねていました。


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 今年ことしの、遠足えんそくは、むかしの、しろあとをにいくのでした。

 ぼくたちは、んぼの、小道こみちあるいて、もりのあるむらとおり、そして、さびしい小山こやまのふもとへました。

 そこが、しろあとでありました。わずかにのこるものは、当時とうじ、とりでにつかったという、あおごけのはえた、おおきないしと、やぶにかくれた、いけくらいのものです。そのいけにはひとのいないとき、きんくらくという、いいつたえがありました。

「みなさん、いけはあぶないから、をつけるんですよ。」と先生せんせいは、いわれました。

 くまざさをわけて、したをのぞくと、みずのおもてが、青黒あおぐろひかって、それへ、まわりのえだから、たれさがる、むらさきいろのふじのはなが、うつくしいかげをうつしていました。「ドボン。」と、どこかで、かえるのとびこむおとがしました。


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 ぼくたちの、およぎにいくかわは、むらちかくにありました。みずが、いつもたくさんで、きれいでした。あさいところは、そこにうずまる、しろいせとものや、あおいしころまですきとおってえました。はしのところから、川下かわしもへいくにつれて、だんだん、ふかくなりました。

 くるみののあるあたりが、いちばんふかくて、ぼくたちのは、ちません。ここでは、よくおおきなふなや、なまずなどが、つれました。

 今年ことしも、いつしかたのしい、およぎの季節きせつとなりました。おばあさんが、

「きゅうりの、はつなりを、水神すいじんさまにあげなさい。」と、おっしゃったので、ぼくは、はたけから、みごとなきゅうりを、もいできて、それへ、自分じぶんきました。そして、それをかわながしにいきました。

 ぼくは、ひさしぶりで、なつかしいかわのにおいをかぎました。みずも、ぼくをわらえば、太陽たいようまで、きら、きらと、よろこんで、歓迎かんげいしてくれました。


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 地主じぬしは、縁側えんがわで、にわをながめながら、たばこをすっていました。そのとき、きたないふうをした、旅僧たびそうが、はいってきて、

「どうぞ、みずを一ぱい、いただきたい。」と、もうしました。すると、地主じぬしは、つれなく、

「この井戸いどみずは、金気かなけがあって、のめない。どうぞ、よそへいきなされ。」と、ことわりました。

 旅僧たびそうは、そのまま、だまって、木戸口きどぐちていきました。

 旅僧たびそうは、こんど、むらはずれの、ちいさな百姓家しょうやへはいって、たのみました。

「おやすいことです。さあ、たくさんめしあがれ。」と、いって、あるじは、わざわざ井戸いどから、つめたいみずをくんでくれました。

 そうは、よろこんで、おきょうをあげて、たちさりました。

 それからというもの、どんなひでりつづきで、ほかの井戸いどが、かれても、このいえ井戸いどは、ご利益りやくで、みずのつきることは、なかったといいます。


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 ある、わたしが、まちあるいていると、広場ひろばの、くらがりに、人々ひとびとがあつまって、なにかていました。

 わたしも、そのそばへちかづくと、おじいさんが、おおきな望遠鏡ぼうえんきょうをすえつけて、おかねをとって、つきせているのでした。

「どうです、よくえませんか。あのくものようなのが、山脈さんみゃくで、ぼつ、ぼつが、噴火口ふんかこうのあとです。つき世界せかいには、みずがないから、生物せいぶつもいない。んだ世界せかいですよ。」と、おじいさんは、説明せつめいしました。

「ああ、それで、つきみずがのみたいのか。」と、わたしは、おもいました。

 だから、どんなちいさなみずたまりにも、また、ほそながれにも、つきが、姿すがたをうつしていました。

 わたしが、まちて、さびしい、小道こみちをいくと、はたけで、むしがないていました。まだ、ふけともならぬのに、いものに、もうつゆがおりていました。そして、そのつゆたまにも、やはり、つきのかげが、やどっていました。


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 あきの、うららかなでした。

 はたけから、とってきたはなを、母親ははおやは、まえ小川おがわあらっていました。

 少年しょうねんは、そのそばにって、ていました。毎年まいとし、いまごろになると、どこのいえでも、ふゆ用意よういに、をつけるのでした。

「まだ、なかなか。ぼく、おなかがすいた。」と、少年しょうねんは、いいました。

「もう、ちっとがまんをおし、じきわりますからね。そうしたら、はいって、ごはんのしたくをします。」と、母親ははおやは、こたえました。

 が、だんだんと、西にしへかたむいて、みずうえが、かげりはじめました。

 そのとき、川上かわかみから、あたらしいが、ながれてきました。

「おかあさん、どこで、あらっているんでしょうね。」

「さあ、どこのいえでしょうね。どこでも、このお天気てんきのうちに、をつけるんですよ。きっと、このあとは、ゆきがふりますからね。」

 ふと、このとき、少年しょうねんあたまに、ほかでも、こうして、母親ははおやをまっている、どものあることが、うかびました。


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 庭先にわさきの、おおきな水盤すいばんには、なつから、あきへかけて、まっかな、すいれんのはながさきました。

 また、きんぎょと、めだかが、なかよく、およいでいました。

 そのころ、毎日まいにち、一ぴきのはちが、みずをのみに、とんできました。はちは、すいれんの、まるいのまんなかへ、おりました。それから、みずにひたる、のふちまであるきました。

 いつしか、あきふかくなると、すいれんのは、くろくくちて、みずそこへしずみました。また、はちも、どこへいったか、こなくなりました。けれど、水盤すいばんなかでは、あいかわらず、きんぎょと、めだかが、およいでいました。

 とうとう、こがらしのふく、季節きせつとなりました。すると、水盤すいばんみずは、こおりのようにつめたかったのです。あるどもは、さかなたちを、かわいそうにおもって、ちいさなものへうつし、あたたかな、自分じぶんのへやへもってきました。しかし、つめたくとも、すみなれた場所ばしょのほうが、よかったのか、一晩ひとばんのうちに、いくひきかんでしまいました。どもは、おどろいて、あとのさかなたちを、ふたたび、水盤すいばんなかに、もどしました。

底本:「定本小川未明童話全集 14」講談社

   1977(昭和52)年1210日第1刷発行

   1983(昭和58)年119日第5刷発行

底本の親本:「みどり色の時計」新子供社

   1950(昭和25)年4

初出:「童話読本」

   1948(昭和23)年9

※表題は底本では、「みずけい」となっています。

※初出時の表題は「水とこども」です。

入力:特定非営利活動法人はるかぜ

校正:酒井裕二

2017年1226日作成

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