ひとをたのまず
小川未明



 あるわたし偶然ぐうぜんまえあるいていく三にん子供こどもを、観察かんさつすることができました。

 こうたかく、おついろくろく、へいはやせていました。そして、バケツをげるもの、ほうきをつもの、そのようすはどこかへそうじをしに、いくようにえました。

 そのかれらは、学校がっこうで、成績表せいせきひょうをもらったのであろうか、

きみは、成績せいせきが、よかった?」と、おつが、こうかって、ききました。

 こうは、すました態度たいどで、なかなか、それにこたえようとしませんでした。おつが、まず自分じぶんから、

「ぼくは、ゆうが一つで、あとみんなりょうだったよ。」と、おしえました。はじめて、こうは、

「ぼくは、ちょうど、その反対はんたいだった。」と、いいました。

「じゃあ、りょう一つしかなく、あとみんなゆうなのね。」と、おつは、その成績せいせきの、あまりいいのに、おどろいたようでした。

 こうは、だまって、うなずきました。

きみは?」と、こんどは、おつが、へいかって、ききました。いままで、二人ふたりはなしをききながら、あるいていたへいは、したいて、なんといわれても、だまっていました。

「いいだろう、おしえても。」

 そう、おつが、いったけれど、へいは、やはりしたいていました。

       *   *   *   *   *

 三にんは、神社じんじゃまえへくると、境内けいだいへはいりました。あたりをると、そこの鳥居とりいにも、かきねにも、こないだの、選挙せんきょのビラが、はりつけられてあり、また、方々ほうぼうにらくがきがしてありました。だから、それを、きれいにするためだと、すぐわかりました。

 かれらは、石段いしだんのところで、ひとまず、ったものをおいて、やすみました。

「これを、みんなきれいにするのかなあ。」と、おつは、境内けいだいまわしました。

「なに、わけはないさ。」と、こうが、ほほえみました。こんなときでもへいは、だまっていました。

 わたしは、とりすましたこうにも、また、陰気いんきえるへいにも、どこか不自然ふしぜんなところがあるのをかんじました。ひとり、いろくろおつだけは正直しょうじきで、明朗めいろうがしました。

 とつぜん、へいが、石段いしだんりて、鳥居とりいそとていきました。

「にげるんでない、ずるいや。」と、こうがおこりました。

「すぐ、かえってくるのだろう。」と、おつがいいました。

「ぼく、よんでくるよ。」と、こうちかけました。

「ほっておおきよ。」と、おつはとめたけれど、こうは、境内けいだいからかけしました。

 わたしは、ようたしをするためここをはなれなければなりませんでした。そして、一時間じかんばかりののち、ふたたび、ここをとおりかけました。

「あの子供こどもらは、どうしたろう。」

 三にんとも、はたらいているだろうか。それとも、もうおわって、かえったであろうか。こんなことをかんがえながら、神社じんじゃ境内けいだいへきてみると、ただひとりおつだけが、まだはたらいていました。

 あとの二人ふたりは、どうしたろうか。あれから、こなかったのだろうか。わたしは、なんとなくたまりかねて、

きみ、ひとりでやっているの、てつだってあげようか。」と、おつこえをかけました。

 この元気げんき少年しょうねんは、ふいによびかけられて、びっくりしたように、こちらをふりいたが、

「だいじょうぶです。もう、あとすこしばかりですから。」と、いって、にっこりわらいました。

 わたしは、ひとのちからをたのもうとせず、ひとりでやりとおす少年しょうねんを、けなげにおもいながら、しばらく、たか木立こだちあいだから、あお秋空あきぞらえる、すがすがしい境内けいだいを、散歩さんぽしたのでした。

底本:「定本小川未明童話全集 14」講談社

   1977(昭和52)年1210日第1刷発行

   1983(昭和58)年119日第5刷発行

底本の親本:「みどり色の時計」新子供社

   1950(昭和25)年4

初出:「少年少女ペン」

   1949(昭和24)年1

入力:特定非営利活動法人はるかぜ

校正:酒井裕二

2020年221日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。