春はよみがえる
小川未明
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太陽ばかりは、人類のはじめから、いや、それどころか、地球のできたはじめから、光のとどくかぎり、あらゆるものを見てきました。この町が火を浴びて、焼け野原と化し、緑の林も、風に吹かれた木立も、すべて、あと形もなくなったのを知っていました。
いつしか、そのときから、はや五、六年たったのであります。
「いま一度、起き上がる気があったら、力をためすがいい。」
長い間、自然の栄枯盛衰を見てきた、偉大な母である太陽は、町の焼けて焦土となったその日から、下を見下ろして、こういいました。
そして、風は建物の無惨な傷口をなで、雨は土の深手を静かに洗ったのです。そのうち、ところどころ新しい家が建ちはじめ、人々の手によって、植えられた木立は、ふたたび林となりました。小さな庭にさえ、すくすくとして、木が風にその小枝を吹かせたのです。
やがて、冬が去り、春になろうとして、気流は争いました。乱れる雲の間から、太陽は下界をのぞいて、たゆみなき人間の努力をながめながら、
「おお、いい町ができた。」と、ほほえみました。
すると、若木をゆする風が、
「昔も、あちらに、煙突があって、いつも黒い煙が上がっていた。」と、ささやきました。
雲や、風ばかりでなく、小鳥たちも、前に遊んだのを思い出したのか、今朝、めずらしくうぐいすが飛んできて、いい声で鳴きました。
「おや、うぐいすがきたよ。」
正吉は、おどろきのあまり、この喜びをだれとともに語ろうかと、家から外へかけ出しました。
この近くに、一人の画家が、住んでいました。あの人ならきっと、いっしょに喜んでくれるだろうと思いました。
「おじさん、うぐいすを聞きましたか。」
正吉は、へやへ入るなり、いいました。
「聞いたよ、君も聞いてどうだった。やはりうぐいすはいいね。戦後はじめてだろう。これでやっと、平和の春らしくなった。」と、画家は、窓を開けて、まぶしそうに青空を見上げ、はればれとした顔つきをしました。
「正ちゃんなんか、これからだ。ぼくみたいに年をとると、若いうちのように旅へも出られないから、春がきて花でも見るより、ほかに楽しみはないが、うぐいすの声を聞いたときに、さすがに生きがいを感じたよ。また、花の咲くうちは、たびたびきてくれるだろう。」と、画家は、自然に対して、感謝したのでした。
正吉は、こうして、人間がことごとく平和を愛するなら、この世の中はどんなに楽しかろうと思いました。しかしこのとき、彼には一抹の不安が、心にわき上がったのです。また同時に、どうかそんなことが起こらぬように、そして、おじさんも自分も、平和な春が楽しまれるようにと、祈ったのでした。その平和をかき乱しはしないかと、正吉の気にかかったのは、このごろ、この町へ越してきた青服の男のことでした。どことなくきざに見える、その男はサングラスをかけ、青地の服を着て、毎日空気銃を持ち、この付近をぶらついていました。
さらに、事実を上げると、先日のこと、男は、かきの木にとまった、すずめをねらっていました。この木は火をまぬかれた老木で、枝を張り、すずめなどのいい遊び場所でした。だれでも、こうした光景を見るなら、生物の命のとうとさを知るものは、神の救いを祈ったでありましょう。正吉も、心のうちで、どうか弾のはずれるようにと願っていました。しかし、精巧な機械のほうが、よりその結果は確実でした。たぶん、子すずめを助けたいばかりに、親すずめが身がわりになったらしく、いっしょに逃げればよかったものを、ただ一羽だけ、じっとして、弾に当たったのでした。
正吉だけでなく、酒屋の主人も、このありさまを見ていました。
「あれは、たしかに親すずめが、身がわりになったんだよ。かわいそうにな。」と、正吉が青服にきこえるように、いうと、
「どこが、かわいそうなんだ。そういうなら、牛肉も、魚も、食べないかい。ばかをいっちゃ困るよ。」と、青服は、せせら笑いました。
赤い顔の酒屋の主人は、青服に近よって、
「旦那、いい空気銃ですね。そこらのおもちゃとちがって、だいいち鉄砲がいいや。」といって、ほめました。
青服は、銃がいいので当たると、酒屋の主人がいったとでもとったか、
「なに、おれは腕に自信があるんだよ。先だっても浜の射的屋で、旦那、どうかごかんべんねがいますって、あやまられたんだぜ。ねらったが最後、はずしっこないからな。」と、青服は自慢しました。それから、木の下へいって、落ちたすずめをひろいました。さっきまで、仲間とさえずりあっていた、哀れな鳥は、もはや屍となって、かたく目を閉じていました。
「やはり、今のものなら、日本製でしょうね。」と、主人が聞くと、
「ちがう。戦争前のドイツ製さ。これなら、かもでも、きじでも、なんでも打てるよ。こんどうずら打ちにいこうと思っている。」と、こう答えて、青服は、獲物をみつめるように、目をかがやかせました。
「おもしろいでしょうね。」と、わざとらしく、酒屋の主人は、あいづちを打ちました。
「なによりも、殺生とかけごとが、大好きだなんて、困った性分さ。」と、青服は、自分をあざけりながら、他人のいやがることを好むのが、近代的と思いこみ、かえって誇りとするらしく見えました。
「どれ、見せてください。あんたの鉄砲を。」
「おれんでない、家主のだよ。ただ打つのがおもしろいので、食べやしないから、みんな鳥は借り賃にやってしまうのさ。なんで、あのけちんぼが、ただで、銃なんか貸すもんか。」
「じゃ、鳥は、みんな家主さんに、やるんですね。」
「おとといだか、打ったもずをやると、すずめより、大きいって、喜んだよ。」
正吉が、それを聞いて、この男は、禁鳥でも打つのかと、おどろきました。彼が空気銃を持って歩くかぎり、小鳥たちにも、この町にも、平和はないという気がしました。
うぐいすの声を聞いて、画家をたずねてから、はや、二、三日たちました。いつも朝起きる時分に鳴いたのが、急にその声がしなくなりました。正吉は、なんとなく、不安を感じたのです。学校の休みを待って、心の引かれるまま、うぐいすのきた方角へ出かけてみました。道ばたの畑には、梅の木があり、桜の木があり、また松の若木がありました。戦後になって、どこからか植木屋がここへ移植したものです。いろいろの下草は、霜にやけて赤く色づいていたし、土は、黒くしめりをふくんでいました。
正吉は、まだ深くも探してみないうちに、それは、真に偶然でした。ふと足もとを見ると、草の中に落ちている、小鳥の死骸が目にはいりました。はっと思って、予期したとおりだと、胸がどきどきしました。けれど、まだうぐいすと信じきれず、手にとって見ると、草色をした羽は、すでに生色がなく、体はこわばっているが、うぐいすにちがいなかったのです。おそらく、声がしなくなった日に打たれたので、ねこも気がつかなかったとみえました。
正吉は、さっそく画家に知らせました。そして、いいました。
「たしかに、あの青い服を着た男が、空気銃で打ったのです。」
「せっかく山から、林をつたってきたのを、思いやりのないことをしたものだな。」と、画家は、うぐいすの死を悲しみました。
「ほんとうに、悪いやつです。」と、正吉は、いいました。
「どんな顔の男だな。」と、画家が、聞きました。
正吉は、自分の知るだけのことを、くわしく話して、
「青服は、自分の口から、かけごとと殺生がなにより大好きだというのだから、やさしい顔はしていませんよ。酒屋のおじさんが、あの男は、べつに仕事もせず、競輪や、競馬で、もうけた金で、ぶらぶらして暮らすんですって。そして、お体裁にあんな日よけ眼鏡をかけているのだって。」
「そうか、与太者らしいな。まじめな人間なら、そんなふうをしないし、殺生をなにより好きだなどといわぬだろう。いまごろ、はやりもしない空気銃を、どこから持ち出したものか。」と、画家は、不審に思いました。
「あすこの空き地へ二軒つづきの家が幾つも建ったでしょう。あすこにいるんですよ。銃は家主から借りて、自分は打つのがおもしろいので、鳥は家主にやるといいました。家主は、戦争中、竹の子生活をした人から、時計や、双眼鏡や、空気銃など安く買い取ったのだと、やはり酒屋のおじさんがいっていました。」と、正吉は語りました。
「あたりが、やっとおちついて、昔のような平和がきたと思ったら、いつのまにか、人間の心が変わってしまって、信用どころか、なんだか危険で、油断ができなくなったよ。」と、画家は歎息しました。
「酒屋さんは、ああいうのを、アプレゲールとか、いうので、いままでの日本人とちがっているのだと、いっていましたよ。」
「正ちゃん、見ていてごらん、その男は、きっとろくなことをしでかさないから。」と、画家は予言しました。
それから後というもの、正吉は、青服の男が、子供の目を打ちぬかないか、また、ガラス窓を破って人を傷つけはしないかと、心配したのでした。
さむい風が吹いて冬が逆もどりしたような日でありました。青服は、屋根にとまっているすずめをねらっていたが、パチリ! と、引き金をひくと、たまが命中して、すずめはもんどり打って、とよの中へころげ込みました。どこで見ていたか、ふいに黒ねこが飛び出して、すずめをさらって逃げようとするのを、すばやく青服は、そのねこをねらって打ちました。ねこは悲鳴をあげ、屋根をつたって、姿を消しました。たぶんそのあとに、血がたれたと思います。これを見た青服は、さも心地よげに、
「わっは、は、は。」と、声をたてて笑いました。
「あのねこは、ペンキ屋のだよ。」と、見ていた子供たちがいっていると、ペンキ屋から、顔を真っ赤にして、若者がとび出しました。この家のせがれのかんしゃく持ちは、このあたりで知らぬものが、なかったのです。
「どいつだ、うちのねこを打ったのは!」
「やい、てめえか。」と、いきなりせがれは、青服の手から空気銃をもぎとりました。暴力と暴力のはたしあいでした。青服がなにかいいかけるのを聞かばこそ、台じりをさかさに銃を振り上げて、力いっぱい折れよとばかり地面にたたきつけました。この一撃で、さしも精巧なドイツ製も、銃身がみにくく曲がってしまいました。
正吉はあとで、この事件を聞いたのであるが、これがため、青服は家主に銃を返されなくなったので、弁償することに、話がついたといいました。
ところが、それ以来、青服には、競輪も、競馬も、いっこうに運がむいてこず、金の工面に苦しみました。一方、家主からは、矢つぎばやに金をさいそくされたのであります。
ついに、青服夫婦は、この町にいたたまらなくなって、ある晩、どこかへ、居所をくらましてしまいました。そして、だれの目にも、あばずれ女としか見えなかった青服の若い女房は、ふだん唇を紅くぬって断髪をちぢらしていたが、雲がくれする前のこと、
「わたしたちみたいな、ばかはないよ。うちのひとが、鉄砲を打つのがうまいからって、いやがるのをむりに打たし、とった鳥はみんな取り上げておきながら、鉄砲がいたんだから、お金で、弁償せいと、どこにそんな強欲の家主さんがあろうか。どちらがまちがっているか、みんなに聞いてもらいたいもんだ。」と、悪口を世間へいいふらしました。
これを聞いて、事情の知らぬ人たちは、金持ちや、家主にありそうなことだと、逃げ出した青服夫婦へ、同情したかもしれません。
このような、おのれを弱者と見せかけて、世間を偽ろうとする、不正直者が、このごろだんだん多くなったのでした。
正吉は、これをにがにがしく思いました。ひっきょう恥を感じなくなった人間は、自分というものがなくなったので、どこまで、堕落するものだろうかと考えました。
こうして町では、人々が、喜んだり、悲しんだり、たがいに争ったりするうちに、いつしか春めいてきました。大空で太陽は、すべてを見たけれど、干渉しようとはしなかったのです。そして永久に、ただ愛と恵みとしか知らない、太陽の光は、いつも、うららかで、明るく、平和で、善と美に満ちていました。
ある日、正吉が画家を訪ねると、もう、すべてのことを知っていて、画家のほうから、
「あの空気銃を持って、鳥を打って歩いた男は、どこかへいったという話だね。」と、顔に明るい表情をただよわしながら、いいました。
「それに、おじさん、聞きましたか、ペンキ屋のせがれが怒って、空気銃を地面へたたきつけてもう打てなくしてしまったんですよ。」と、正吉は、告げたのです。画家は、そのことも、だれかに聞いたとみえて、知っていました。
「ああ、それでいいんだよ。そんなものさえなければ、持つものもないんだからね。」
なるほど、それで、ほんとうにいいのだと、正吉は思いました。こんどのことで、いちばん損をしたのは、高価な銃をなくし、世間からわるく思われた家主であろうと、考えたので、画家にそう話すと、
「いつも、自分だけ得をしようとする、家主の量見がちがっているから、銃を曲げられたのは、罰があたったのだよ。たとえなんと世間からいわれても、平常の心がけがよくないから、これもしかたがないのだ。なんにしろ、あぶない銃を打つやつがいなくなって、やっと安心したよ。」と、画家は、さも、うれしそうでありました。
「すずめも、これから安心ですね。もうあんな青服みたいな人間がこなければ、いいんだがなあ。」と、正吉がいうと、
「もうこやしないから、安心したまえ。そうわるいやつばかりでないだろう、君のようないい少年もいるのだから。」と、画家は、正吉をはげましました。
「ああ、春がきた。」といって、二人は自然の偉大なる力を信ぜずに、いられませんでした。
底本:「定本小川未明童話全集 14」講談社
1977(昭和52)年12月10日第1刷発行
1983(昭和58)年1月19日第5刷発行
底本の親本:「太陽と星の下」あかね書房
1952(昭和27)年1月
初出:「小学六年生 3巻11号」
1951(昭和26)年1月新年特別号
※表題は底本では、「春はよみがえる」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2017年2月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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