小さな妹をつれて
小川未明
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きょうは、二郎ちゃんのお免状日です。お母さんは、新しい洋服を出して、
「これを着ていらっしゃい。よごすのでありませんよ。」と、おっしゃいました。二郎ちゃんの、いままで着ていた洋服はよごれて、ところどころつくろってあります。
「お母さん、これでいいよ。」と、二郎ちゃんは、いいました。こないだまで、こんな服は、みっともないといったくせに、きょうは、新しい服を着ていくとはいわぬのです。
「どうしてですか。」
「いいよ、これで。」
「三年生になったのですから、新しいのを着ていらっしゃい。」
「だって、お母さん、非常時でしょう。」
「まあ、それでそういうの。」
「なんでも、きょうは、これでいいのだよ。」と、二郎ちゃんは、いいはりました。
「みんなほかの人は、きれいにしていらっしゃるのに、おまえだけ、そんなふうをしていていいのですか。」と、お母さんは、じっと、二郎ちゃんをごらんになりました。
「だって、僕、わるいお点だと、新しい洋服など着ていって、恥ずかしいんだもの。」と、二郎ちゃんは、きまり悪そうに、いいました。
「ああ、それでそういうのですか。考えてごらんなさい、平常遊んでばかりいて、いい成績のとれるはずがないでありませんか。」
「僕、新学年から、勉強するのだ。」
「どうですか。」
「ほんとうだよ、お母さん。」
「いままでのように、遊んではいけませんよ。」
「お母さん、これから勉強するから、丙があってもしからない。」
「丙ですか、そんなわるい点があると思うのですか。」と、お母さんは目をまるくしました。
お母さんは、これから勉強するなら、しからないとお約束をして、新しい洋服を着せて、二郎ちゃんをお出しになりました。
二郎ちゃんは、自分でも、あまりいい成績とは思われなかったので、いくつ甲があるかなあと考えていました。先生が、通信箋をお渡しなさると、胸をどきどきさせながら開いてみました。体操が甲になっているだけで、あとはずっと乙の行列でありました。二郎ちゃんは、おしどりが行儀よく並んでいるので、おかしくなりました。しかし、お家へ帰ると、さすがに、元気よくこれをお母さんに見せる勇気がなかったのです。お縁側には、ねこがひなたぼっこをしていました。二郎ちゃんは、ねこが大好きでしたから、すぐそのそばへすわりました。ねこは二郎ちゃんを見ると、ごろりと横になって、あくびをしながら四つ足をのばしました。
「僕は、体操がうまいんだぜ、ほら甲だろう……。」と、通信箋をねこの鼻さきにひろげて見せたのです。
こちらのへやで、お仕事をなさっていたお母さんは、二郎ちゃんの声を聞くと、
「二郎ちゃん、帰ったのですか。なぜここへきて、ごあいさつをしないのです。」と、おっしゃいました。
「うん、いまいくよ。」
二郎ちゃんは、ねこの顔へ、自分の顔を押しつけてから立ち上がりました。
いいお天気で、日曜日です。もう、学校は二、三日前から、はじまっていました。ご用があっても、二郎ちゃんは、外へ遊びに出たぎり帰ってきません。新学年から、勉強をするといいながら、しかたのない子だとお母さんは探しに外へ出られました。
春風が吹いて、たこのうなりがきこえています。お母さんは、
「二郎は、ここらにいませんか。」と、遊んでいる子供にお聞きになりました。
「二郎ちゃんは、さっき勇ちゃんと原っぱの方へいったよ。」と、子供は、答えました。
どこかの庭に咲いている花の香が、往来まで流れてきます。自転車は、日の光の輪をかがやかして走っていきました。原っぱには、子供がたくさん遊んでいました。お母さんは、どの子供を見ても、自分の子に見えたのです。ズボンを短くはいて、足がすらりとして、帽子を横にかぶっている十歳前後の子供たちばかりであります。また、お母さんは、
「二郎はいませんか。」と、お聞きになりました。
「いませんよ。勇ちゃんのお家へいったのでない。」と、一人の子供が、おしえてくれました。
「ありがとうよ。」
お母さんは、帰りかけながら、お隣の勇ちゃんの家を思い出しました。いま勇ちゃんのお母さんは、お産をして、まだ床についていられました。先日、おみまいにいくと、勇ちゃんの妹の、小さなみい子さんが、
「二郎ちゃんのおばさん、ここ、ここ。」といって、無理に二郎ちゃんのお母さんをたんすの前へつれてきました。
「うん、うん。」と、ひきだしを開けろというのであります。すると、寝ている勇ちゃんのお母さんは、
「みい子のお好きな赤いおべべが、はいっているというのですよ。」と、おっしゃいました。
「まあ、みい子ちゃんの赤いおべべが。」
「赤ちゃんのおべべよりも、きれいだといっていただきたいのですよ。奥さん、どうかあけて見てやってください。」と、勇ちゃんのお母さんが、いわれました。
二郎ちゃんのお母さんは、たんすを開けて、みい子ちゃんの、きれいなおべべをごらんになりました。
「きれいな、いいおべべですこと。」と、二郎ちゃんのお母さんが、おほめになりました。
「みい子おべべ。」と、みい子ちゃんは、しきりにいって、こんどは、これをきせてくれというのです。しかし、それは単衣物でありました。
二郎ちゃんのお母さんは、そのときの無邪気なみい子ちゃんのようすを思い出して、ひとりほほえみながら、歩いていられました。
二郎ちゃんは、勇ちゃんの家にもいませんでした。二郎ちゃんと勇ちゃんは、小さなみい子ちゃんをつれて、川へ釣りに出かけたのです。それは、勇ちゃんと二郎ちゃんの釣りにいく約束がしてあったところ、
「勇ちゃん、すこしみい子を見てやっておくれ。」と、寝ているお母さんにいわれたので、妹もいっしょにつれていくことにしたのです。途中、勇ちゃんは、小さな妹の手をひいてやりました。
生まれてはじめて、広い、青々とした畑を見たので、みい子ちゃんは、なにを見ても珍しかったのです。花びらが、風に吹かれて飛んできても、
「ちょうちょう、ちょうちょう。」といって、よろこびました。川へくると、ほかの子供たちもおおぜいいました。
「二郎ちゃん、あすこがいいよ。」と、勇ちゃんが、川の曲がり角をさしました。そこには、おじいさんが、釣りをしていました。二郎ちゃんと、勇ちゃんは、おじいさんのじゃまにならぬように、すこしはなれて糸を下げたのです。
「あ、二郎ちゃん、引いたのではない。」と、勇ちゃんが、いいました。
「ごみが、ひっかかったのだよ。」と、二郎ちゃんは糸を上げて、ごみを取りました。
「兄ちゃん、もう帰るの。」と、みい子ちゃんが、泣き声をだしました。
「ばか、いまきたばかしじゃないか。」
みい子ちゃんは、しかたなく一人で遊んでいました。
「もうお家へ帰るの。」と、またいいだしました。二郎ちゃんが、ふり向いて、
「みい子ちゃん、一匹釣れたら帰ろうね。」といいました。
「みい子のばか。」と、勇ちゃんは、しかりました。すると、みい子ちゃんは、わあわあと泣き出したのです。
「あちらへ、つれていって。」と、おじいさんが、いいました。勇ちゃんも、二郎ちゃんも、おじいさんの顔を見ました。そして、みい子ちゃんをつれて、ほかのところへ移りました。
「二郎ちゃん、僕、先へ帰るから。」と、勇ちゃんがいいました。
「僕も、いっしょに帰るよ。」と、二郎ちゃんも、帰る支度をしました。
三人は、また田圃道を歩いて、往来へ出ました。
「兄ちゃん、おんぶして。」と、急にみい子ちゃんは、道の上へしゃがんでしまいました。
「困ったなあ。」と、勇ちゃんは、小さな妹を負いました。途中で、二郎ちゃんが、代わってやりました。しかし、二人とも疲れてしまいました。みんなは、おなかがすいたのです。このとき、二郎ちゃんが、ポケットに手を入れると、昨日お母さんが、明日の朝忘れるといけないとていいって、お渡しになった月謝が入っていました。
「勇ちゃん待っておいで。」と、二郎ちゃんは、どこかへ向かって、走り出しました。そして、道端のお菓子屋から、キャラメルを買ってきて、みい子ちゃんにも、勇ちゃんにも分けてやりました。三人は、やっと元気がついて、歩くことができたのでした。
その晩のことです。二郎ちゃんは、月謝のお金を使ってしまって、どういっておわびをしていいかと苦しんでいました。ちょうどそのとき、
「ごめんください。」と、玄関で声がしました。お隣の勇ちゃんのお父さんがいらしたのです。
「お礼に上がりました。きょうは二郎ちゃんに、うちの子供がたいへんお世話になりまして。」と、おじさんは、お礼をいって、月謝の金を返しにきてくだされたのです。二郎ちゃんのお母さんも、お父さんも、はじめてそのことを知って、すぐにいいお返事もできず、ただおたがいさまどうしですからと、笑っていられました。しかし、おじさんがお帰りなさると、
「おまえは、いいことをしました。そんなときは、自分の力でできることなら、なんでもしなくてはなりません。」と、お父さんは、二郎ちゃんをおほめになりました。
底本:「定本小川未明童話全集 12」講談社
1977(昭和52)年10月10日第1刷発行
1982(昭和57)年9月10日第5刷発行
底本の親本:「夜の進軍喇叭」アルス
1940(昭和15)年4月
※表題は底本では、「小さな妹をつれて」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2017年10月25日作成
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