宿題
小川未明
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戸田は、お父さんがなくて、母親と妹と三人で、さびしく暮らしているときいていたので、賢吉は、つねに同情していました。それで、自分の読んでしまった雑誌を、
「君見るならあげよう。」と、与えたこともありました。
学校へきても、戸田のようすは、なんとなくさびしそうだった。親しい友だちもなく、いつも独りでいました。運動場へ出ても、賢吉のほうから、話をしなければ、だまっているというふうでありました。遠足の日が、近づいたときでした。みんなは、集まれば、楽しそうに、その話をしていました。
「海へいったら、かにをつかまえてこよう。」と、いうものもあれば、
「僕は、きれいな石をたくさん拾ってくるのだ。」と、いうものもあります。
「針と糸を持っていって、魚を釣ろうかな。」
「ばか、そんなことできるもんか、生きているたこを売っているというから買ったらいいよ。」と、いったものもあります。
そんなときでも、戸田は、黙ってみんなの話をきいていました。
「君もいくだろう。」と、賢吉がいうと、戸田は、口のあたりに寂しい笑いをたたえて、うなずきました。
遠足の前の晩でした。賢吉はお母さんにつれられて、明日持っていく、お菓子を買いに出かけました。
「キャラメルは、二箱あれば、いいでしょう。」と、お菓子屋で、お母さんが、おっしゃると、
「三箱、買ってよ。」と、賢吉は、いいました。
「まあ、そんなに食べられて?」と、お母さんは、お笑いになりました。
こんどは、果物屋の前にきて、
「りんごは、いくつ?」と、お母さんが、おっしゃると、
「四つ買ってよ。」と、賢吉はいいました。
「そんなに持っていくの?」
お母さんは、驚きなされたけれど、賢吉のいうようにしてくださいました。そして、お家へ帰って、お弁当にお寿司を、こしらえてくだされたのです。
「お母さん、たくさん入れてよ。僕、お腹がすくのだから。」と、賢吉は、お頼みしました。
「おまえは、どうしたんですか、いくら遠足でも、そんなに食べられるはずがないでしょう。」と、お母さんは、賢吉の顔をごらんになりました。
賢吉は、うそをいっては悪いと思って、かわいそうなお友だちに分けてやるのだと答えると、お母さんは、喜んで賢吉のいうようにしてくださいました。しかし、戸田は、ついに遠足にこなかったのです。
ある日のことでした。算術の時間に、先生は、戸田が、宿題をしてこなかったので、たいそうおしかりになりました。
「おまえには、新しい問題をやらない。」と、いって宿題の刷ってある紙をお渡しになりませんでした。そのうちに、暑中休暇となりました。ある暑い日の午後のこと、賢吉の父親は、外から汗をふきながらもどりました。
「いま、彼方の田圃道を歩いてくると、ひきがえるが、かまきりをのもうとしていた。」と、話されました。
「それから、どうした?」と、賢吉は、目をまるくして、ききました。
「かまきりも大きいから、かまを振り上げて、横目で、じっとひきがえるを見ていたぞ。」と、お父さんは、答えました。
「お父さんは、なんで助けてやらなかったの。」
「かまきりだって、小さな虫を食べて、生きているのだもの。」
「だって、かわいそうじゃないか。」と、賢吉は、お父さんに、怒りました。そして、その場所をきくと、すぐ自転車に飛び乗って走りました。
雲のない空に、日が輝いて、草の葉先がちかちかと光っています。彼は、すぐ川のところへ出ました。お父さんから聞いた場所を、よく探しても、かまきりもいなければ、ひきがえるも見つかりませんでした。
「どうしたのだろうな、もう食べて、どこかへいってしまったのだろうか。」と、草を踏み分けると、いろいろのほかの虫が飛び出しました。賢吉は、はじめて自分のめめしかったのがわかったような気がしたのです。
「なにしているの?」
だれか声をかけたので、見ると、夕刊を配達している戸田でした。戸田の顔は、汗と元気に光って、いきいきとしていました。賢吉は、なつかしげに彼のそばへ寄ると、
「僕、宿題でわからないところがあるから、聞きにいってもいい?」と、戸田が、いいました。
「いいとも、先生は、君の働いているのを知らないのだよ。」
賢吉は、家へ帰ってお父さんにそのことを話すと、
「その子のほうが、おまえよりよほど強いのだぞ。」と、お父さんは、戸田をおほめになりました。
底本:「定本小川未明童話全集 12」講談社
1977(昭和52)年10月10日第1刷発行
1982(昭和57)年9月10日第5刷発行
底本の親本:「小学四年生」
1938(昭和13)年8月号
初出:「小学四年生」
1938(昭和13)年8月号
※表題は底本では、「宿題」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2017年5月20日作成
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