写生に出かけた少年
小川未明
|
野原の中に、大きなかしの木がありました。その下で、二人の少年は、あたりの風景を写生していました。
あちらには町があって、屋根が強い日の光にかがやいています。こちらには、青々とした田圃があって、野菜の花が、白に黄色に、咲いているのが見られました。
「僕は、あの並木を描こう。」と、西田が、いいました。
だまって、南は、じっとひとところを見つめては、チョークをうごかしていました。
「君は、なにを写生しているの?」
西田は、友だちのスケッチ帳をのぞくと、煙突から、煙が上がっている、町の遠景を描いていました。
「いいね、あの風に光っている木立も、雲も……」と、顔を上げた南が、答えました。
このとき、前方から、一人の男が、なにかぴかぴかするものを、手のひらにのせて、それを見ながら、やってきました。
「光るな、なんだろうか。」と、南がいいました。
「あの男は、ばかなんだよ。」と、西田がいいました。
「ええ、ばか?」
「ああ、あの男は、ばかなんだよ。けれど、おとなしい、なんにもわるいことをしないのだ。活動のエキストラになんか出て、喜んでいるという話だよ。」と、西田は、人から聞いたことを話しました。
「どうして、ばかになったのだろうね。」
南は目をみはりながら、あちらからくる男を見ていました。帽子もかぶらずに、手のひらを熱心に見つめています。
「あれは、金貨みたいだね。」
「は、は、は、金貨なもんか。きっと、新しい一銭銅貨なんだよ。光るから喜んで見ているのだろう。」
「たくさん持っているね。」
「ほんとうに、光るのばかりためたんだろう。」
ふつうならば、高等小学か、中学一年へでも入っている年ごろでした。どうしてばかになったんだろうと思うと、南は、なんだかいじらしい気がして、笑われなくなりました。
男は、こちらに自分を見ているものがいるとも知らず、また、夏の景色がどんなに美しかろうと目を向けず、ただ、手のひらの銅貨に気をとられて、ひとり、にやにや、たのしそうに笑いながら、わきみもせずに、道を歩いていました。
すると、こっちから、馬子が、手綱をとり、馬に空車を引かせてやってきました。
そして、いつかばかとすれちがいになったのです。それでもばかは、ただ自分の手のひらの上の銅貨だけを数えたり、ながめたりしていました。
「あぶない。」と、西田が、思わず、いったときです。ばかは、馬の顔に自分の顔を打ちつけました。
「ひゃっ!」と、びっくりした彼は、おどろいて顔を上げると、馬の大きな顔を見たので、手に持っていた、銅貨をばらばらと落としました。
ガラガラと、そんなことに気づかず、馬子は、馬を引いていってしまいました。
その後で、ばかは、いっしょうけんめいに落とした銅貨をひろっていました。
すると、また、けたたましい音をたて、あちらから、オートバイが砂煙を上げてやってきました。なんと思ったか、あわれな男は、拾った銅貨をにぎって、逃げるように、どこへとなくかけ出していきました。
「あ、は、は、は。」と、二人の少年は、その有り様を見て、笑わずにいられませんでした。
二人は、また写生にとりかかって、しばらくは、それに余念がなかったのです。
「西田くん、あすこに、光るものが落ちているね。」と、さっきばかの銅貨を落とした道の上を、南が指したのでした。
「ああ、オートバイがきたので、あわてて、みんな拾わずにいったんだよ。」
「かわいそうだね。」
「きっと、さがしに、もどってくるだろう。」
「早くもどってくればいいが、知らぬ人が通ると拾ってしまうね。」
「もうすこし、ここにいて、あの銅貨の番をしていようや。」と、西田と南は、顔を見合って笑いました。そのうちに、はたしてばかが、あちらから、道の上を血眼になってさがしながらもどってきました。そして、落ちていた銅貨を見つけると、飛びつくようにひろって、喜んでほおにおしあてました。
「かわいそうにね。」と、二人の少年は、白い雲を見上げながら、野原をさったのであります。
底本:「定本小川未明童話全集 12」講談社
1977(昭和52)年10月10日第1刷発行
1982(昭和57)年9月10日第5刷発行
底本の親本:「赤土へ来る子供たち」文昭社
1940(昭和15)年8月
初出:「小学四年生」
1939(昭和14)年8月
※表題は底本では、「写生に出かけた少年」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2017年5月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。