雲と子守歌
小川未明
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どんなに寒い日でも、健康な若い人たちは、家にじっとしていられず、なんらか楽しみの影を追うて、喜びに胸をふくらませ、往来を歩いています。こうした人たちの集まるところは、いつも笑い声のたえるときがなければ、口笛や、ジャズのひびきなどで、煮えくり返っています。しかし、路一筋町をはなれると、急に空き地が多くなるのが例でした。なかでも病院の建物の内は、この日とかぎらず、いつも寂然としていました。
どの病室にも、顔色の悪い患者が、ベッドの上に横たわったり、あるいは、すわったりして、さも怠屈そうに、やがて暮れかかろうとする、窓際の光線を希望なく見つめているのでした。
「あんた、いい顔色をしているのね。」
このとき、火の気のない廊下で、すれちがった一人の看護婦が、同じく白い服を着た友だちに、言葉をかけました。
「そう、そんなに赤いこと。外の冷たい風に当たってきたからよ。」
「町へいってきたの、うらやましいわ。私なんか、昨夜から休まないんですもの。」
「よくないの? 困ったわね。」
「まだ若い奥さんなのよ。お子さんが二人もあるんですって、ほんとうに、お気の毒よ。なおればいいが。」
「あんたも、疲れるでしょう。お大事に。」
そういって、二人は、たがいににっこり笑って別れました。病人につききりの看護婦は、手に氷袋をぶらさげていました。
健康の人の住む世界と、病人の住む世界と、もし二つの世界が別であるなら、それを包む空気、気分、色彩が、また異なっているでありましょう。そうすれば、これらの若い献身的な人々は、いったいどちらの世界に住むというべきであろうか。
ここは、病院の一室でありました。そこには、五つになる男の子が、ろっ骨カリエスにて、もう永らく入院していました。その子の看護には、真のお母さんが、あたりました。子供は、日増しにつのる病勢のために、手足はやせて、まったくの、骨と皮ばかりになって、見るさえ痛々しかったのでした。それだけでなく、ものにおびえるような目つきは、日に幾回となく、ゲリゾン注射や、ぶどう糖注射や、ときには輸血をもしなければならなかったので、そのたび苦痛を訴えて、泣き叫ぶ事実を語るのであります。子供の小さな肉体と可憐な魂は、病菌が、内部から侵蝕するのと、これを薬品で抗争する、外部からの刺激とで、ほとんど堪えきれなかったのであります。
しかしながら、こうした子供の体にも、またすこしの間は、平静なときがありました。それをたとえるなら、一時間に幾十回となく、貨車や、客車が往復するために、熱を発し、烈しく震動する線路でも、ある時間は、きわめてしんとして、冷たく白光りのする鋼鉄の面へ、無心に大空の色を映すといったような具合です。
ちょうど、子供の病室の窓から見える、青い空には、きざんだ色紙をちらしたように、白い雲、赤い雲、紫の雲が、思い思いの姿で、上になり、下になり、遊んでいるのを、子供は、寝ながらながめていました。
「みんなして、鬼ごっこをしているんだね。」と、子供はひとりごとをいいました。すると、空の上で、耳ざとくききつけた、白い雲が、
「坊やも、お仲間におはいりよ。」と、呼びかけました。
「ぼく、足が弱くて、飛べないんだもの。」
「飛べるように、雲にしてあげるから、早くおいでよ。」
「ほんとうに、雲にしてくれるの?」
「いいとも、坊やの好きな、雲にしてあげる。」
「そんなに遠くいけば、お母さんが見えなくなるだろう。」
「どんなに高いところからだって見えるさ。ここから、よく坊やが見えるのだもの。」と、雲が、やさしくいいました。
さかんに燃えていた、西の海の炎が、いつしか波に洗われて、うすくなったと思うと、窓から見える空も、暗くなりかけていました。そして、白い雲も、赤い雲も、紫の雲も、どこへかかくれて消えてしまったのです。
「みんな、お家へ帰っちまった。」と、子供は、さもさびしそうに、つぶやきました。ひとり自分だけが、置き残されたように、頼りなさを感じたのでした。
晩の食事を告げる鐘の音が、廊下の方から、とびらを通して伝わりました。
「たいへん、おとなしかったのね。気分がいいんでしょう。お母さんは、坊やのいいのが、なによりうれしいんですよ。おみかんでもあげましょうか。」と、お母さんがいいました。
子供は、これに対して、すげなく頭をふりました。そして、うつろに開いた目で、電燈の光が、薄く弱々しく漂う、四方を見まわしました。ここには、明るい、清らかな、空の喜びはなく、すべてが灰色をして、ほこりがかかっているような気持ちがしました。
階下にある、外来患者の控え室に、かかっている時計の、鳴る音がしました。風が、吹きはじめたようです。引き窓のガラス戸は、いつか閉められました。月がなく、星の光も射さず、曇っているとみえ、外は暗かった。風だけ、低くかすめ、なんにでもぶつかっていく、そうぞうしいうめきがきかれたのであります。
子供は、白壁の上を、戸のすきまのあたりをじっと見つめていました。このとき、そこから、忍び込む悪魔がありました。はじめ灰色の雲のようなものがはい出ました。よく見ると、その雲の上に、黒い着物を着た魔物が乗っています。鋭い剣を手に持ち、怖ろしい顔をして、だんだん子供の体に近づくのでした。
「痛いよ! お母さん。」
子供は、逃げるにも逃げられず、もだえながら叫びました。
「お、おう、かわいそうに、また痛み出したのですか。」
いたわる母親の目は、すでに力なく疲れていました。その言葉にも、たとえ親とはいえ、どうすることもできぬなげきが感じられました。しかたなく、いつものごとく、子守歌をうたって聞かせるのです。
まだ、この子が、まったく乳飲み子のときから、抱いたり、おぶったり、寝かせるとき、うたった歌であります。子供は、これを聞きつつ、うつつの世界から、夢の世界へ、夢の世界から、さらに遠い生まれぬ前の世界へとかよった、ただ一筋のまぶしい、かすかな路でありました。
「坊やは、いい子だ、ねんねしな、
泣かんで、いい子だ、ねんねしな。」
子供は、母の胸にしっかり顔をおしつけ、耳をすましていました。耳というよりか、心をすましていました。そうする間だけ、痛みを忘れたのです。さいなまれる魂が、やわらかな、温かい愛のしらべに救われて、暗い中、風の吹く、はてしない広野をさまよい、林の方へ、知らない町の方へ、また、高い、高い、空の上へと、苦しみのない、安らかな場所を探しにいくのでした。そこには、おばけや、悪魔などの、けっしてわからない、ただお母さんと自分だけが知っている、いいところだと子供は信じているのでした。
また、母親は、声に真心が通じて、子供の苦痛がやわらげられるものなら、どんなにでもして、うたってやろうと思いました。そして、安らかにすることによって、奇跡的に、病気がなおるよう、神に念じたのであります。
しかし、いかにやさしい、信仰深いお母さんでも、疲れれば、しぜんと眠気を催し、眠ることによって、気力を回復する、若い、健康な肉体の持ち主たることに変わりはありません。幾日、幾夜の看病の疲れが出て、いくら我慢をしても、しきれずに、歌の声は、だんだんかすれて、とぎれたのでした。
「お母さん、ほんとうに、うたっておくれよ。」
子供は、母に、真実にうたってくれと訴えるのでした。驚き、気をとり直した母親は、
「ほんとうに、うたってあげますとも。知らぬまに眠って、わるかったですね。坊やの苦しいのからみれば、お母さんは、どんなことでも、我慢しなければなりません。」
母親は、真剣になって、子守歌をうたいはじめるのでした。母の愛から流れ出る、なつかしい、細いしらべは、光る絹糸のように、切れんとして、切れずに、つづくのでした。子供は、それを頼りに、しんしんたる遠い道を、ただひとり旅をするのでした。鳥の鳴く、林の中を歩くこともあったし、たちまち白い雲といっしょに、鬼ごっこをしていることもありました。そのときは、いつのまにか、自分は、紅い雲となっていたのです。
とつぜん、歌がやむと、糸がぷつりと切れて、からだは、真っ暗な穴の中へ落ち込むような気がしました。そして、ずきずきと痛み出しました。このとき、どこからともなく悪魔があらわれて、一所けんめいに逃げようとする自分を追いかけるのでした。
「こわいよう! お母さん。」と、子供は、火のつくように、叫びました。
「おお、よしよし。」と、母親は、我が子をしっかりと抱いたのでした。
「お母さん、どこかへいってしまってはいやよ。」
「どこへいくもんですか、坊やとここにいるじゃありませんか。」
「お母さん、じきだまってしまうのだもの。」
「いいえ、さっきから、うたっているのですよ。」
「よく、うたってよう。」
母は、こんどは、しずかに、ゆっくりと力づよく、うたいはじめるのでした。こうしてうたうことによって、いくらかでも子供の気持ちが休まるなら、自分は、生命のつづくかぎり、どんなにでもして、うたうであろうとうたったのでした。考えると、こうしてうたったことは、今夜だけでなく、この子が生まれたときから、いくたびあったであろう。たとえば、気むずかしく、どうしても眠らなかったときとか、病気で、夜じゅう泣き明かしたときとか、母として、べつに他につくす手もなければ、おばあさんに、自分がうたってもらった記憶をわずかに呼び起こして子守歌をうたい、やっとねかしつけ、すこしでも安らかなれと祈ったのでした。母と子の愛に昔も今も変わりはなかったのです。
控え室にかかっている時計が、規則正しく、鳴るのが聞こえました。夜はしだいに更けていくのです。そのとき、暗い、寒い、廊下に立って、子守歌に耳を傾けている、おばあさんがありました。
「私も、せがれを大きくするまでには、いくど泣いたり、笑ったりしたかしれない。そして、戦争で、出征してからも、便りがなかったのは、一年や二年でなかった。実に長い間のことで、あの子の安否を気遣い、そのため、私は、やせてしまった。しかし死んだとは思われず、どこかに生きているものと、毎日かげぜんを供えて、ただ、あの子が、どうかして無事に帰ってくれるのを待っていた。そのかいもなく、戦死の報知があったときには、私は、まったく気が転倒してしまった。しかし、いまだに、死んだと信ずることができず、どこか南の名もない島にでも生きているような気がして、きょうまではかない希望をつないでいるのではあるが、もしせがれが、草葉のかげに眠るとしたら、一人の母が、こうして、派出婦となって、たよりなく、日を送るのを、どうして知るであろうか。」
哀れな老婆は、しわの寄るほおを流れる、涙を手でふいていました。
重い荷でも積んだトラックが、どこか外の往来のぬかるみに、はまり込んだとみえ、先刻から、けたたましく笛を鳴らして、抜け出ようとあせっている。それが、なんで病床に横たわる、患者たちの安静を妨げずにおくことがありましょう。おばあさんは、ついにたまりかねて、足音をたてぬように、階段を下りると、ようすを見に外へ出ていきました。
いつしか、人の気づかぬうちに、天気模様はがらりと変わっていました。真っ暗な空は、ただ一つの星影だに、目にとまらなかった。吹きすさぶ風にまじる粉雪が、顔を打ち、もつれた髪に、降りかかりました。
あちらには、獰猛な獣の、大きい目のごとく、こうこうとした黄色の燈火が、無気味な一筋の線を夜の奥深く描いているのです。
翌日の明け方、子供は、ついにこの世界から去りました。雪は、その道筋を潔めるため、白く化粧して、野原や、森までを清浄にしました。そして、風は、悲しむ母親に代わり、はるかなる国へさまよいゆく、みなし子のために、かすれがちな声で、子守歌をうたってきかせるのであります。
底本:「定本小川未明童話全集 13」講談社
1977(昭和52)年11月10日第1刷発行
1983(昭和58)年1月19日第5刷発行
底本の親本:「心の芽」文寿堂出版株式会社
1948(昭和23)年10月
初出:「新児童文化 第1冊」
1946(昭和21)年8月
※表題は底本では、「雲と子守歌」となっています。
※初出時の表題は「雲と子守唄」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2017年6月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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