きつねをおがんだ人たち
小川未明



 むらに、おいなりさまのちいさいやしろがありました。まずこのはなしからしなければなりません。

 むかし一人ひとり武士ぶしが、殿とのさまのお使つかいで、たびかけました。おもいのほか日数にっすうがかかり、ようがすんで、帰途きとにつきましたが、いいつけられたまでに、もどれそうもありませんでした。そのうち、あいにくゆきがふりだしました。北国ほっこくふゆ天気てんきほど、あてにならぬものはありません。たちまちゆきはつもって、みちをふさぎました。

 あるばんがた、ようやく武士ぶし湖水こすいのあるところまで、たどりつきました。おりからゆきはやんで、西にしやまのはしが、あかるく黄色きいろにそまり、明日あす天気てんきがよさそうです。そして、村々むらむらは、白々しろじろとしたゆき広野こうやなかに、くろくかすんでえました。

「ああ、この湖水こすいがわたれるなら、はやかえれるだろうに。」と、湖水こすいほうをながめて、ためいきをつきました。

 このとき、一ぴきのけものがどこからかびだして、ゆきをけたてて、湖水こすいよこぎり、たちまち姿すがたしてしまいました。

「や、いまのは、たしかにきつねであった。きつねがとおると、みずこおって、ひとわたれるという。かみさまがあわれんで、たすけてくださるというおげであろうか。」と、武士ぶしおもい、そのはここでかしました。

 翌朝よくあさると、はたして湖水こすいおもては、かがみのごとくひかって、かたくりつめたこおりは、武士ぶしをやすやすと、むこうのきしまで、わたらせてくれたのでした。

 この、いなりのやしろは、武士ぶしが、おれいてたものだといいつたえられています。

 はなしはべつに、あるまち病院びょういんで、まずしげなふうをした母親ははおや少年しょうねん二人ふたりが、待合室まちあいしつかたすみで、ちぢこまって、いていました。ちょうど、こちらには、こざっぱりとしたようすの母子おやこが、すわっていましたが、子供こどもはまだちいさく、ははのほうはどことなくなさけぶかそうにえました。すると、彼女かのじょちあがって、

「どうなさったのでございますか。」と、少年しょうねんづいて、たずねました。あわれな少年しょうねん母親ははおやは、

「このが、このあいだから、いたいといいますので、今日きょうきててもらいますと、もうておくれになっているので、すぐに片方かたほううでりとってしまわなければ、いのちがないとおっしゃいます。どうしたらいいものか、まよっているのです。」と、こたえました。

 そのとき、子供こどもははは、わせのかねかみにつつんで、おみまいのつもりで、なにかにつかってやってくれとやったのでありますが、子供こどもこころをうたれて、どく少年しょうねんかおをじっとまもっていました。

 その子供こどもが、中学ちゅうがくがるころのこと、みちあるいていると、荷車にぐるまく、つよそうな若者わかものあいました。ふとかおをあわせると、いつか病院びょういんで、うでらなければぬといわれた少年しょうねんでした。若者わかものもおどろいて、あたまげ、

「いつぞやは、ありがとうございました。その、おいなりさまにがんをかけますと、うみがまして、いまではこうしてはたらけるようになりました。」と、いいました。

 これをくと、やはりかみはあるのだと、ふかかんぜずにいられませんでした。これまでいたのは、これから、わたしがこの少年しょうねん将来しょうらいかたるに必要ひつような、まえがきのようなものであります。

 やがて、少年しょうねん学校がっこう成人せいじんすると、にぎやかな都会とかいにあこがれ、そこでらすようになりました。またぜいたくがしたくなり、千きんゆめみてかぶなどへすようになると、さすがに自分じぶんちからばかりをしんじられず、ひたすらかみさまをたよろうとするようになりました。

 かれは、毎朝まいあさきたときと、よるねむるときには、かならずふるさとのほうをむいて、あたまげ、あのさびしいもりなかやしろをおがんだのです。そして、かぜは、ゴウゴウとえだがさわぐありさまを想像そうぞうし、あめのふるは、おまいりするものもない、ぬれた社殿しゃでん屋根やねにえがきながら、どうぞわたしたすけたまえとおがみました。

 それにもかかわらず、くに戦争せんそうにやぶれてからは、景気けいき変動へんどうもはげしく、とうとうかれはどんぞこへつきおとされました。それでも、まだかみのご利益りやくがあるものとしんじて、むら知人ちじんをたよってかえりましたが、もはやだれもふりむくものはなかったので、そのうにこまり、星晴ほしばれのしたある、おいなりさまの境内けいだい自殺じさつをはかりました。こう不幸ふこうか、なわをかけたえだれて、かれ地上ちじょうあたまつとそのままとおくなってしまいました。

 しばらくすると、だれかきてそばったようにかんじました。うすかりでると、しろいひげのはえた、からだつきのがっちりした老人ろうじんでした。かすかながらも、記憶きおくがあります。そうだ、用水池ようすいいけつくって、むら旱魃かんばつからすくった、ごろみんなの尊敬そんけいしているひとでした。老人ろうじんはいいました。

「おまえは、子供こども時分じぶん、なかなか正直しょうじき子供こどもだったが、どうして、こんな人間にんげんになったのか、それにはわけがあろう。」

 こうかれると、かれは、おいなりさまの、いろいろのご利益りやくいて、自分じぶんもしあわせにしてもらいたいためだといいました。そして、こうなったのは、まだ信仰しんこうりないからでしょうと、こたえました。

「ばかものめ、たとえかみさまがいらしても、ひとのためをおもわぬ欲深よくふかや、ひきょうものに、なんで味方みかたをなさるものか。とりや、けものをるがいい。いつもいきいきとして、自由じゆうにたのしんでいる。かみさまからもらった、あしにしかたよらないからだ。気力きりょくのない人間にんげんだけがあしちながら、はたらくのをわすれて、はじらずにも、あたまばかりげて、おめぐみにあずかろうとする。こんなこじきは、とりや、けものの世界せかいにいない。」

 老人ろうじんに、くわでこづかれたとおもってかれは、がつき、がさめました。かんがえると、この老人ろうじんは、とっくのまえに、あのへいったひとでした。

底本:「定本小川未明童話全集 14」講談社

   1977(昭和52)年1210日第1刷発行

   1983(昭和58)年119日第5刷発行

底本の親本:「太陽と星の下」あかね書房

   1952(昭和27)年1

初出:「週刊家庭朝日」

   1950(昭和25)年1

※表題は底本では、「きつねをおがんだひとたち」となっています。

※初出時の表題は「狐をおがんだ人たち」です。

入力:特定非営利活動法人はるかぜ

校正:酒井裕二

2018年1124日作成

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