丘の下
小川未明
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年雄は、丘の上に立って、ぼんやりと考えていました。
「学校で、みんなと別れるときは悲しかった。先生にごあいさつをすると、先生は、みんなに向かって、こんど年雄くんは、お父さんが転勤なさるので、遠くへいかれることになったから、よくお別れをなさいとおっしゃったのだ。みんなは、僕に手紙をくれよといって、所番地を紙片に書いて僕のポケットの中へ入れてくれたっけ。しかし、住所だけで、名を書いてないものは、だれだかわからないのだ。きっと、顔を知っているから、そのときは、いいと思ったのだろう。」
仲よく遊んだ、友だちの顔が、一人、一人、はっきりと目に映ったのでありました。
それは、ちょうど夏のはじめであったが、いまは、はや秋も末になっていました。あちらは、じき雪の降るころであろう。年雄は、北の遠い地平線をながめました。あの雲の漂っている下に、自分のなつかしい学校があるのだ。いまごろ、みんなは、どうしているだろうかと思ったのです。
キチ、キチといって、小鳥が、けたたましく鳴いてうしろの雑木林の中へ下りました。美しく色づいた葉も、だいぶ散ってしまって、林の中は、まばらに枝が見えていましたが、その鳥の姿はよくわかりませんでした。日の光は、ほのかに足もとをあたためて、草のうちには、まだ生き残った虫が、細い声で、しかし、朗らかに歌をうたっていました。
「なんて、平和で、静かな景色だろう。」
彼は、懐中から、スケッチ帖を出して、前方の黄色くなった田圃や、灰色にかすんだ林の景色などを写生しにかかったのであります。
「あの光るのは、水かな。」と、彼は、田の中を流れる小川に目を注いでいました。そのとき、がやがやと声がして、丘の下を、学校の遠足が通ったのであります。
「どこの学校かしらん。こんなに遅くなってから、遠足するのは?」
年雄は、鉛筆を握ったままで、しばらく、その列をながめていました。彼の目は、いま列の先頭に立って歩いていく、先生の姿にとまったのです。
「小山先生に、よく似ているが。」
小山先生こそ、いままで思い出していた、やさしい先生でありました。列の先頭になっていく先生は、背が高く、黒い洋服を着て、うつむいて歩いていられます。小山先生の姿と癖そのままであります。
「ああ、あの太った、洋服を着た女の先生も?」
年雄は、その先生が、学校にいられたのを記憶しています。
どきどきする心臓を、こらえるようにして、目をじっと下に向けていると、列の終わりに、こんどはロイド眼鏡をかけて髪を長くした、若い先生が、後れながらついていかれます。
「ああ、あの先生も、たしかにいられた。」
年雄は、不思議でならなかったのです。
「どうして、こんな遠いところまで、遠足にいらしたのだろう? きっと来年、卒業する六年生かもしれない。どれ、走っていって見よう。」
年雄は、小山先生だったら、飛びつきたいのでした。スケッチ帖を懐中に押し入れると、丘を駆け下りました。
「小山先生だったら、うれしいんだがなあ。先生は、僕の顔を見たら、びっくりなさるだろう。おお、おまえはこんなところへきたのか? こんどの学校はどんなだねと、おっしゃるにちがいない……。」
彼の顔は、勢い込んで、真っ赤になりました。田圃の道のあるところ、ないところ、かまわずに走って、列に追いついて見ると、なんとこの近村の学校の子供たちであったのであります。彼は、がっかりしてしまいました。そして、ますます別れてきた先生や、お友だちが恋しくなりました。
彼は、泣きたい気持ちになって、独り川辺を歩いていました。夏のころ、どこの子供のつけた足跡かしれないが、浅瀬のどろの上に残っていました。
きっと、魚をすくいにきたか、それとも、泳ぎにきたときにつけたのだろう。
年雄は、その足跡に、なんとなく親しみを覚えたのです。高い木の立っている村へ入ると、お宮がありました。また、百姓家がありました。すこしくると、往来の日だまりに子供たちが遊んでいました。そこは、くぼ地になっていて、そばに大きなかきの木がありました。それから散った葉が、一面にひろがっていました。なかには、真っ赤なのや、紫色がかったのや、美しいのもあれば、もう色のあせてしまって、からからに乾いたのもありました。
おばあさんが、それを掻き集めて、火をたいていました。煙がゆるく上っています。鶏が、クウ、クウと、いいながら、餌をあさっています。その近くで、男の子や女の子が、遊んでいました。男の子は、めんこをしていました。赤いちゃんちゃんこを着た、小さな女の子が立って、それを見ていました。
「ずるいや、いつも、そんなのばかり出して。」と、一人の男の子が、一人の男の子にいいました。悪いめんこを出して、いいのを取ろうとしているからです。
「大きいのを出せよ。」
その男の子は、あくまで、相手に大きいめんこを出させようとしていました。しかし、相手の男の子は、手にいいのを持ちながら、なかなかそのいいのを出そうとしませんでした。
「僕も出したんだろう。君もいいのをお出しよ。」
このとき、いっしょに遊んでいる、他の男の子が、
「やかましく、いうなよ。」と、おこっている男の子をなだめて、仲裁しました。
「だって、ずるいや。」
「いいよ。あいつ、大きいのを取られると、泣くんだから、よせ。」と、仲裁に入った、男の子がいいました。
恥ずかしめられた子は、いたたまらなくなって、あちらへ逃げていこうとしました。が、やはり、手に持っているいいめんこを出そうとしませんでした。
「あいつ、卑怯だね。」と、そこにいる男の子たちが、いうと、女の子まで、さげすむような目つきをして、去っていく男の子を見送っていました。
「どこにも、あんなずるい奴がいるんだな。」と、年雄は思いました。彼は、半日の散歩で、思いがけない、いろいろのことを経験したのであります。
底本:「定本小川未明童話全集 12」講談社
1977(昭和52)年10月10日第1刷発行
1982(昭和57)年9月10日第5刷発行
底本の親本:「日本の子供」文昭社
1938(昭和13)年12月
初出:「小学四年生」
1938(昭和13)年1月
※表題は底本では、「丘の下」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2016年9月9日作成
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