夏と悲運
中原中也



とど、俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられない。


思へば小学校の頃からだ。

例へば夏休みも近づかうといふ暑い日に、

唱歌教室で先生が、オルガン弾いてアーエーイー

すると俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられなかつた。

格別、先生の口唇が、鼻腔が可笑をかしいといふのぢやない、

起立して、先生のあとから歌ふ生徒等が可笑しいといふのでもない、

それどころか、俺は大体、此の世に笑ふべきものがあらうとは思つちやゐなかつた。

それなのに、とど、笑ひ出さずにやゐられない。

すると先生は、俺を廊下に立たせるのだつた。

俺は風のよく通る廊下で、随分淋しい思ひをしたもんだ。

俺としてからが、どう反省のしやうもなかつたんだ。

別に邪魔になる程に、大声で笑つたわけでもなかつたし、

それにしてもだ、先生がカン〳〵になつてたことは事実だし、

先生自身何をそんなに怒るのか知つてゐぬらしいことも事実だし、

俺としたつて意地やふざけで笑つたわけではなかつたのだ。

俺は廊下に立たされて、何がなし、「運命だ」と思ふのだつた。


大人となつた今日でさへ、さうした悲運はやみはせぬ。

夏の暑い日に、俺は庭先の樹の葉を見、蝉を聞く。

やがて俺は人生が、すつかり自然と遊離してゐるやうに感じだす。

すると俺としたことが、とど、笑ひ出さずにやゐられない。

格別俺は人生がどうのかうのと云ふのではない、

理想派でも虚無派でもあるわけではない。

孤高を以て任ずるなどといふのぢや尚更ない。

しかし俺としたことが、とど、笑ひ出さずにやゐられない。


どうして笑はざゐられぬか、実以て俺自身にも分らない。

しかしそれが結果する悲運ときたらだ、いやといふほど味はつてゐる。

(一九三七・七・一二)

底本:「中原中也詩集」角川文庫、角川書店

   1968(昭和43)年1210日改版初版発行

   1973(昭和48)年830日改版13版発行

入力:ゆうき

校正:木浦

2013年123日作成

2018年1227日修正

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