泣きんぼうの話
小川未明
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あるところに、毎日、よく泣く子がありました。その泣き様といったら、ひい、ひいといって、耳がつんぼになりそうなばかりでなく、いまにも火が、あたりにつきそうにさえ思われるほどです。
その近所の人々は、この子が泣くと、
「また、泣きんぼうが、泣きだしたぞ。ああたまらない。」といって、まゆをひそめました。
「泣きんぼう」といえば、だれひとり、知らぬものがなかったほどでありました。
こんな泣きんぼうでも、おばあさんだけは、目に入るほど、かわいいとみえて、泣きんぼうの後から、どこへでもついて歩きました。
「いい子だから泣くでない。そんなに泣くと、血がみんな頭に上ってしまって大毒だ。みなさんが、あれ、あんなに見て笑っていなさる……さあ、もう、いい子だから、泣かんでおくれ。」と、おばあさんだけはいいました。
そんな、やさしいことをいったくらいで、きく子ではありませんでした。
ある日のこと、往来の上で、なにか気に入らないことがあったとみえて、泣きんぼうは、泣き出しました。おばあさんは、また、大きな声を出しては困ると思ったから、
「なにがそんなに気に入らなかったのだ。いっておくれ、なんでもおまえの気に入るようにしてやるから。いい子だから、もう、そんなに大きな声を出して泣かないでおくれ。」と、あとから、子供について歩いて、おばあさんは頼みました。
泣きんぼうは、やさしくいわれると、ますます体を揺すぶって、空を向いて、両手をだらりと垂れて、顔いっぱいに大きな口を開けて泣き出しました。いがぐり頭を日にさらしながら、涙は光って、玉となって日に焼けた顔の上を走りました。
白髪のおばあさんは、さしている日がさを地面に置いて、子供をすかしたり、なだめたりしました。二人の立っている往来の空には、とんぼが、羽を輝かしながら飛んでいます。
「やだい。やだい。ひい──ひい。」と、子供はいって、泣きました。
日盛りごろで、あたりは、しんとして、強い夏の日光が、木の葉や、草の葉の上にきらきらときらめいているばかりでした。人々は、家の中で、昼寝でもしようと思っているやさきなものですから、頭を枕からあげて口説きました。
「また、泣きんぼうが泣きだした。あんな、いやな子は、この世界じゅうさがしたってない。」と、ののしったものもあります。
「坊や、いい子だ。おばあさんが悪かったのだから、もう泣かんでおくれ。ほれ、ほれ、みんな出て坊やを見てたまげていなさる。あっちをごらん。」と、おばあさんは、子供の気をまぎらせようと苦心しました。けれど、子供は、泣きやみませんでした。
このとき、あちらの家から、だれか頭を出しました。
「あ、やかましくてしようがありませんね。泣かないようにしてください。」といいました。
「ほら、ごらん、やかましいとおっしゃる。いい子だから泣くでない。」と、おばあさんは、しわの寄った額ぎわに汗を結んで、子供に頼むようにいいました。
すると子供は、かえってあちらの方を向いて、いまよりも、もっと大きな声を出して泣きました。どうして、こんなに大きな声が、こんな子供の体から出るだろうかと、だれしも思わないものがなかったほどであります。
おばあさんは、孫の泣くのを見て、
「いまに、みんな血が頭に上ってしまって、ガンといって、頭がわれてしまうよ。」と、心配しました。
昼寝をしようと思って、家の中で、できなくてまゆをひそめているものは、いまにもあの声から火が出て、あたりの家や、草や、木に燃えついて、空が真紅になりはしないかと思っていたのです。
おばあさんは、ほんとうに困ってしまいました。ちょうど、そのとき、だれも通らない往来を、あちらから、男が、自転車に乗ってやってきました。
おばあさんは、子供をすかすために、
「もし、もし、この泣く子をつれていってください。」と、おばあさんはいいました。
「よしきた。さんざ、あっちの野原へいって泣くだ。」と、男は、ひょいと泣く子を抱きあげると、おばあさんの止めるまもなく、さっさと、あちらの野原の方へ走っていきました。
男は、自転車に、泣きんぼうを乗せて、広い野原の真ん中へつれていって降ろしました。
「さあ、ここでうんと泣くんだ。そうしたら、黙るだろう。」と、男はたった独り、子供を野原の真ん中に残して、自分は、自転車に乗って、また、どこへとなく走っていってしまいました。
子供は、野原の真ん中で、大きな声を出して泣きました。けれど、だれも、その泣き声を聞きつけるものはなかったのです。太陽と雲とが、この声を聞きつけて、びっくりしました。そして、じっと下を見つめていました。
「ああ、かわいそうに、あの子を花にしてやれ。」と、太陽は、独りでいいました。
このとき、おばあさんが、とぼとぼと小径を探しながら、野原へ歩いてきました。
「あんなに、おばあさんが子供を探しています。子供が見つからなかったら、どんなに歎くでしょう。」と、雲は太陽に向かっていいました。
「あの老婆も花にしてやれ。」と、太陽はいいました。
子供と老婆が、二人とも村からいなくなったので、人々は驚いて、方々を探しまわりました。けれど、ついに見当たらずにしまったのです。そして、広い、広い、野原の中に、明くる日、一本の脊の高いひまわりの花と、一本のかわいらしい、ひなげしが咲いていました。
底本:「定本小川未明童話全集 3」講談社
1977(昭和52)年1月10日第1刷
1981(昭和56)年1月6日第7刷
初出:「時事新報」
1922(大正11)年8月16日
※表題は底本では、「泣きんぼうの話」となっています。
※初出時の表題は「泣きん坊の話」です。
入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班
校正:江村秀之
2013年12月5日作成
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