初夏の不思議
小川未明
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百姓のおじいさんは、今年ばかりは、精を出して、夏のはじめに、早くいいすいかを町へ出したいと思いました。
おじいさんは、肥料をやったり、つるをのばしたりして、毎日のように、圃へ出ては、
「どうかいいすいかがなりますように。」と、心の中で、太陽に祈りました。そのかいがあって、いいすいかがなりました。おじいさんは、ある朝そのすいかを車にのせて町の八百屋へ持ってゆきました。
「まあ、みごとなすいかですね。」と、それを見た、八百屋の主人もおかみさんも、びっくりしました。
「今年は、丹精のかいがあって、いいやつがなりました。」と、おじいさんは、ほくほくしました。
「それに、いつもよりか、早うございましたね。」と、八百屋の主人がいいました。
「お日さまの照りあんばいが、ばかにようございましたもので、こんなにいいやつがなりました。」と、おじいさんは、喜んで、自分の作ったすいかをながめながら、たばこをぱくぱくとすっていました。
「そうですとも、なかなかの丹精じゃありません。」と、八百屋の主人もおかみさんも、おじいさんに同情をしないものはありませんでした。
おじいさんは、すいかを八百屋に卸して、自分はまた静かな平和な村に空車を引いて帰ってゆきました。これから、つぎつぎと生長する圃の野菜物に手をいれてやらなければなりません。それで、おじいさんは、なかなか暇というものがありませんでした。
八百屋の主人は、小僧を呼びました。
「このすいかをかついで出て、売ってこい。」といいました。
すこし値は高いが、はしりではあり、こんなにいいのだから、売れないことはないと、主人は考えました。
「もう、半月もたちゃ、すいかだって珍しくはない。いまなら値が張っても売れるだろう。」と、主人は、つけくわえていいました。
小僧は、遠方から、この店に雇われてきていました。正直な少年でありましたが、生まれつきものをいうときに、どもる癖がありました。そして、急き込めばますますどもるのでありました。だから、小僧がものをいう時分には、耳たぶが赤くなって、平生でさえ、なんとなく、そのようすがあわれに見られたのであります。
小僧は、主人にいいつかって、両方のかごに幾つかのすいかを分けていれました。それをかついで、町の中を売って歩きました。また、さびしい屋敷町の方へと、はいっていったのであります。
ある家の前へきましたときに、女が呼び止めました。家の中から、もうそんなに若くはない、年をとった女が出てきて、
「どれ、すいかを見せておくれ。」といいました。
小僧は、肩からかごをおろしました。
女は、かごの中をのぞいて、いろいろすいかを取って見ていましたが、そのうちに、一つ一つ、値をききはじめました。小僧は、どもりながら、その値をば答えました。
「なんて、高いすいかだろう。」と、女は、びっくりしたように、大きな声でいいました。
「お、奥さん、まだすいかは、はしりですから、た、高いのでございます。」と、小僧は、どもりながら答えました。
女は、小僧のいうことを鼻さきで、嘲笑うようなようすをして、
「だって、もう、半月もたてば、その値の半分だってしないよ。だれが、そんな高い値でこのすいかを買うもんか。」と、女はいいました。
「奥さん、そういわんで、ど、どうか、買ってください。」
「小僧さん、二十銭まけておきよ。おまえが、一日売って歩いたって、売れはしないから。」と、女は、その中で、いちばん大きなすいかを取りあげていいました。
「お、奥さん、私は、主人から、その値でなければ、う、売ってきては、いけんといわれました。」と、小僧は、耳たぶを真っ赤にして、答えました。
「それでは、まからないのかい、じゃ、いらないよ。」
女は、邪慳にいって、手に取りあげていたいちばん大きなすいかを投げ出すように、かごの中へ落としました。あまり、手荒であったため、大きなすいかは、下のすいかにぶつかって傷がつきました。
小僧はびっくりいたしました。
「お、奥さん、こんなに傷がついてしまいました。傷物になっては、主人にいいつかった値では、どこへいったって売れません。ど、どうかこのすいかを買ってください。」と、顔を赤くして、頼みました。
「なに、私が、そんなことを知ったものかね、私は、下に置いたばかしなのだよ。」と、女は、邪慳にいって、相手にしませんでした。
この有り様をだれも見ていたものはありません。ただ、太陽だけが、空から、ながめていました。小僧は、途方にくれて、目に、いっぱい涙をためていました。
ちょうど、このとき、あちらから、かすんだ往来をまだ若い薬売りがやってきました。二、三年前まで、おじいさんが、薬を売りにやってきたのでしたが、このごろは隠居でもしたのか、まだ若い男が、旅から、わざわざこの村の方までやってきて、薬を売るのでありました。
「先祖代々の家伝、いっさいの妙薬。」といって、歩いてきました。
やがて、若い薬売りは、箱を負って、すげがさを目深にかぶって、草鞋をはいて、こちらにきかかりますと、女と子供が、なにかたがいにいいあっているようすでありましたから思わず歩みをとめました。
「薬屋さん、いっさいの妙薬なら、このすいかの傷がなおされるだろう。」と、女は、あざ笑っていいました。
若い薬売りは、いったい何事が起こったのだろうと思って、にわかに、返事ができませんでした。すると、小僧は、どもりながら、今日のことをいっさい語って聞かせたのです。
この話を聞いた薬売りは、静かに顔をあげて、
「奥さん、それは、あなたのほうが無理です。」といいました。
女は、たいそう怒りました。
「なにが無理か。おまえこそいいかげんなうそをいって、人をごまかそうと思っているじゃないか。いっさいの妙薬なら、このすいかの傷をなおしてごらん。」といいました。
若い薬売りは、しばらく黙っていましたが、
「奥さん、なおしてみせます。」といって、脊に負っている箱をおろしました。そして、中から金色の薬をとり出して、その薬を水で溶かして、すいかの傷口に塗りました。太陽の暖かな光のために、薬は流れて、大きなすいかを金色に染めてしまいました。
小僧は、あっけにとられて見ていました。すると、不思議にすいかの傷口は、ふさがってわからなくなってしまったのです。
女は、これを見て、言葉が出なく、ただぼんやりしていました。
「このすいかを食べた人は長生きします。今晩、このすいかを夜店に持って出ると、きっと値がよく売れますよ。」と、薬売りはいいました。そして、若い薬売りは、あちらにいってしまいました。
薬売りも八百屋の小僧もいなくなってから、女は、ほんとうに不思議なことがあるものだと考えました。
「あの薬売りは、いつもくる薬売りと顔がちがっていたようだ。今日の薬売りは、神さまか仏さまにちがいない。それでなくて、どうして、あのすいかの傷がなおったろう。たしかに、私の目には、傷口がふさがったように思われた。」と、ひとり女はつぶやきました。
それから、女は、薬を塗って、すいかの傷口がなおるものかと、二、三人の人々にたずねますと、みんな大きな口を開けて、
「おまえは、きつねにばかされているのではないか。」といって笑いました。それで、女はますます驚いてしまいました。
女は、日の暮れるのを待っていました。やがて、晩方になると、町へいってみました。もう八百屋の小僧が夜店を出していました。そして、ちょうど、ひげの白い老人が、その前にうずくまって、例の金色のすいかを取り上げ、カンテラの火に照らしてながめていました。
女は、この有り様を見ると、そばへ寄ってきて、
「小僧さん、このすいかを私に売ってください。すこし子細がありますから。」といって、銭を払って、おじいさんの手から奪うようにして持ってゆきました。
空は、よく晴れて、きれいな星の光が、幾つもこの町を照らしていました。
女は、家に帰って、ランプの下で、もう一度よくすいかを見ました。しかし、どうしたことか傷口がわかりませんでした。そのとき、家じゅうのものがみんな出てきて、ランプの下に集まりました。そして、女の話をきいて、すいかをめいめいが手にとってながめて、不思議がりました。
「このすいかを切ってみなさい。」と、おばあさんがいわれました。
女の亭主も、おじいさんも、叔母さんも、それがいいといったので、女は、さっそく庖丁を持ってきて、真っ二つにすいかを切ってみました。すると、その中は、真っ赤であったばかりでなく、血がだくだくと切り口から流れたのです。
女は、驚いて、目をみはりました。
「このすいかは、生きていたのだ。」と、おばあさんがいわれました。
「あまり、おまえが邪慳だから、見せしめのために、神さまがこうしてお見せになったのだ。」と、おじいさんはいわれました。
円い、みずみずしい月が、ちょうど窓からのぞいていました。それから、女は、やさしい、いい人になったということであります。
底本:「定本小川未明童話全集 3」講談社
1977(昭和52)年1月10日第1刷
1981(昭和56)年1月6日第7刷
初出:「赤い鳥」
1923(大正12)年6月
※表題は底本では、「初夏の不思議」となっています。
入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班
校正:江村秀之
2014年1月18日作成
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